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▲ノーベル化学賞と生命は切っても切れない。図イ・デヨン

1944年、ドイツの放射化学者あるいは核化学者であるオットー・ハーン(Otto Hahn、1879〜1968)は「中核分裂を発見した功績」でノーベル化学賞を単独授賞した。
(中略:核分裂関連ノーベル賞の説明)

韓日間の国力や自尊心を比較する時、客観的指標としてノーベル賞受賞者数がある。我が国はノーベル平和賞1人、韓国出身米国国籍のノーベル化学賞1人で二人が韓国生まれ、日本は日本国籍だけで25人になる。物理学賞9人、化学賞8人、生理医学賞5人、文学賞2人そして平和賞1人。ここに日本出身外国国籍者3人と日本関連出身の外国国籍者2人を含めれば30人にもなる。

1932年にすでに日本ではノーベル賞受賞者30人輩出を目標に日本学術振興会(Japan Society for the Promotion of Science, JSPS)を設立した。目標30人で「スキ間に食い込むプロジェクト」を実施し87年後の2019年、30人の目標を達成した。
(中略:JSPSの活動と学歴のない田中耕一と小柴昌俊は韓国では認められないだろうと紹介)

1949年、日本人原子物理学者、湯川秀樹(1907〜1981)は「核兵器に対する理論的研究に基づいた中間子存在を予測した功績」で単独受賞者としてノーベル物理学賞を受けた。この結果をひっくり返して見ると、1932年、JSPSを設立した背景が純粋な学問振興ではなく、原子爆弾および化学兵器軍事兵器開発と組み合わせて大東亜共栄に利用したと見ることができる。
(訳注:ここで「核兵器」は韓国語でヘクムギ(核武器)。湯川博士の研究は「核力」であって「核武器」は誤訳。英語の元単語が"nuclear power"でpowerを「兵器」と訳したものと考えられる)

韓半島に関連したJSPSの活動を確認すれば、大まかに原爆・生化学兵器製造の隠蔽であった。すなわち、
i) 1932年ヒロヒト天皇の秘密プロジェクト黒龍江省ハルビン近隣に関東軍防疫給水部、別名731部隊(Unit 731)他10余りの秘密生体実験部隊を設置、生物化学兵器開発および生体実験を秘密裏に推進、
ii) 1933年京都帝国大学の原子物理学者、湯川秀樹、原爆製造の可能性検討、アインシュタイン、セシル・パウエル等、核物理学者諮問、
iii) 1934年豊富な石灰岩地域、龍川(ヨンチョン)の原爆製造基地化、
iv) 1937年10月ウラニウム濃縮電力供給のために新義州(シンウィジュ)東北東80キロに世界最大落差を利用した風水力発電所建設、
v) 1938年興南(フンナム)チッ素工場(1927年すでに建設)を化学武器製造廠に改造、
vi) 1940年には陸軍第2号秘密課題で推進し、1945年6月に入り海軍中心核融合研究(Fission Study)を公開的に推進した。

米・英のマンハッタンプロジェクト(Manhattan Project)は日本より遅れた1939年に始まったが、1945年7月16日トリニティ(Trinity)核実験成功によって20キロトン原子爆弾を最初に持つことになった。

このような背景のもと原子物理学者、湯川秀樹は日本京都市で生まれて母方の祖父から漢文を習い、西洋学問としてはやっと実らせた英語でロンドン タイムズ(London Times)を晩年まで購読した。尋常小学校を卒業し、京都第一中学の時のあだ名はあまり目立たないという意味の権兵衛だった。…
(後略:湯川秀樹の履歴を詳細に紹介。文中に「日本陸軍で進めてきた原爆開発プロジェクトに参加した。」の一文が挿入されている)

文=チョン・ギョンウン、コリア未来研究所首席研究員

ソース:大邱(テグ)新聞(韓国語)ノーベル賞受賞者、韓国2人vs日本30人…この差、何のために?
https://www.idaegu.co.kr/news/articleView.html?idxno=329662

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