戦後に杉原が外務省を解雇されたいきさつは、外務省が独断で解雇したと
いうことになっているが、外務省の人事異動にGHQが口出ししないはずがない。
占領政策の最中にGHQにとって望ましい人間が左遷されたり、望ましくない人間が
昇進したりするのをGHQが黙認すると考えるのがおかしい。

1945年の秋からマッカーサーの占領統治が開始され、1946年11月3日に新憲法が公布。
杉原が辞職勧告を受けたのは1947年6月13日。
極東軍事裁判は1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われた。
日中戦争以降終戦にいたるまでのほとんどすべての日本軍の行動を調べつくしていた
GHQがユダヤ人難民救出のいきさつや杉原のことを知らなかったと考えるのは
不自然だ。むしろアメリカが手を回して杉原を辞めさせたと考えるほうが自然です。
極東裁判の審理中に日本軍がユダヤ人を助けた話が出ては困ると考えたのだろう。