モンゴル帝国が日本侵攻にこだわった理由と、彼らに出口治明氏が注目するワケ [11/12] [昆虫図鑑★]
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13世紀に出現したモンゴル帝国は当時の「世界最大の国」でした。そんな国が「元寇」で小さな島国である日本への侵攻にこだわったのはなぜでしょうか。そして、「知の巨人」とも称される出口治明氏がこのモンゴル帝国を「今こそ学ぶべき」と注目する理由とは?(ダイヤモンド編集部副編集長 鈴木崇久)
● モンゴル帝国が「元寇」で 日本侵攻にこだわった戦略的理由
チンギス・ハンが1206年に建国したモンゴル帝国は、長い世界史の中でも大英帝国と一二を争う巨大さだったとされます。ユーラシア大陸を覆うように領土を拡大していきました。
そんな13世紀当時の世界最大の国は「元」に国名を改めた後に日本と歴史が交差します。それが日本史で習うあの有名な「元寇」です。
1274年には約900の船隊に3万人以上の兵を乗せて襲来し、1281年には約3500の船隊に約10万人の兵を乗せて日本に攻め込んだとされています。しかし、「神風」と呼ばれた暴風雨のおかげもあり、日本は国土を守りきりました。
世界最大の帝国による二度の侵攻に、小さな島国の日本が耐えた――。そんな奇跡としか言いようがない史実に注目が集まりがちですが、モンゴル帝国(元)が日本侵攻を諦めきれずに二度も攻めてきたのはなぜなのでしょうか?
「日本のような小国を落とせないようでは帝国の沽券に関わる」という事情もあったかもしれません。しかし、モンゴル帝国にとって日本侵略という作戦は、領土拡大戦争の戦略上、重要な意味を持っていたのです。そしてその理由を知ると、世界史と日本史が交わって歴史の奥深さや楽しさを実感できます。
では、『世界最大のモンゴル帝国が日本侵攻にこだわった理由【世界史でわかる日本史】』という記事の中から、その理由をご紹介しましょう。
● モンゴル帝国は日本を服属させて 海軍を組織したかった
答えを先に言ってしまうと、モンゴル帝国は日本を侵略して服属させ、海軍を組織しようと考えていたようです。
その背景には、当時モンゴル帝国が中国全土の統一に向けて南宋に侵攻していたという事情があります。
「150年間中国を支配してきた南宋の抵抗は激しく、戦いは膠着状態。戦況の打開を図ろうと、南宋の西側に位置する大理国を征服。東側は朝鮮半島を統治していた高麗を支配。南宋の退路を断ちます」(『世界最大のモンゴル帝国が日本侵攻にこだわった理由【世界史でわかる日本史】』より)
その上でさらにモンゴル帝国が欲したのが、海から南宋を追い詰めるための海軍でした。「海軍を持たないモンゴル帝国にとって、海上艦隊の確保は喫緊の課題だったのです」(同)。
日本史に登場する元寇について、このように世界史の1ピースとして捉えると、全く別の見方ができて面白いと思いませんか?
ただ、この時に日本がモンゴル帝国に敗れて侵略されてしまっていたら…という「歴史のif(もしも)」を考えるとゾッとします。必死の思いで日本を守ってくれた当時の人々への感謝を忘れてはいけませんね。
● 「現代の知の巨人」出口治明氏が モンゴル帝国に注目する理由
このモンゴル帝国ですが、実は「現代の知の巨人」とも称される出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)が世界史の中で注目すべき存在としてその名前を挙げています。
出口氏の寄稿記事『出口治明氏が世界史「4つの分岐点」を解説、モンゴル帝国に注目の理由』の中で、学ぶべき歴史テーマとして「グローバリゼーションとモンゴル帝国」をピックアップしているのです。
その理由について出口氏は、同記事の中で次のように解説しています。
「(モンゴル帝国は)ユーラシア規模で、織田信長の楽市楽座政策を実施した。関税などを全て撤廃し、自由貿易を促進した。TPP(環太平洋経済連携協定)を大きく進化させたようなものだ」
「当時の国際通貨である銀の流通を促し、陸と海を結んだ交易ルートを発展させ……と真のグローバリゼーションを実現している」
そして、「日本は教材とすべきだろう」と結んでいます。
なお、今回ご紹介した2本の記事では、以下のようなポイントも解説しているので、ぜひ基の記事も併せてご覧ください。
(略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7df1d40702a30e64126fe9f03684e50e0506627?page=1 >>1
だからといって韓国とは仲良くしたくありません モンゴルに蹂躙されて属国化した朝鮮人が日本を攻めろって進言したというのが一般的な見方になってるがな 日本人にひどいことをした韓国は日本に謝罪すべきだな >モンゴル帝国が日本侵攻にこだわった理由
使者を
首チョンパして送り返したからだろww 元寇の頃の日本の水軍なんてたいした物じゃなかったでしょ ↓「元を退けた『唯一の』国日本は神国!」みたいな勘違いしたくそぶざまなネトウヨホルホル チョンに騙されたからだろ
チョンって征服されると第3者の勢力を借りて、漁夫の利政策で独立しようとしたり
利権を得ようとするからな たった10万で攻め込んで日本に勝てるわけ無いだろ
朝鮮や欧州の小国相手にするのと日本では規模が違いすぎて話しにならない
秀吉が九州を落とすのに20万動員してるのに あほなんか?
日本へ攻めてきたのが南宋の敗残兵なのに。 >「海軍を持たないモンゴル帝国にとって、海上艦隊の確保は喫緊の課題だったのです」
当時の日本に海軍などと呼べるものはなかった。よって論理は破綻している。 この話になると神風ばっかで上陸してたの滅多に言わないよな 鎌倉武士とか戦闘民族相手に
勝てるわキャスねえだろ 鎌倉武士をなめすぎ。神風なんて後つけで九州の陸戦でも圧勝してる。 >「知の巨人」とも称される
ニックネームつけるの本当好きだな、マスコミはw
「〜のジャンヌダルク」みたいに、何人目だよコレw 2回目に日本に攻め込む前に既に南宋は落ちてるけどね 2回目に日本に攻め込む前に既に南宋は落ちてるけどね >>1
>「神風」と呼ばれた暴風雨のおかげもあり、日本は国土を守りきりました。
あの法則のおかげ。 >>8
日本に攻めてきた連中の主力はお前らクソチョンコだろ
誤魔化してもおまエラが日本侵略を企てた史実は変わらん 高麗がモンゴルの属国にされたから腹立ちまぎれにバカチョンがモンゴルを煽ったんだよ。
ホント、チョンはいつの時代も騒動の元になっているな。
うざいチョンを滅ぼしたほうがいいわ さすがに「知の巨人」は持ち上げ過ぎだろう。
巨人とか巨匠とか達人とか、安っぽい言葉になったもんだ。 2回も来襲したわりには、あちらの戦闘意欲が薄かったのが全て。
モンゴル帝国本体じゃなく属国に戦わせたし。
中途ハンバな戦闘はかえって犠牲は大きい。 >>1
>● モンゴル帝国は日本を服属させて 海軍を組織したかった
馬鹿なのか?鎌倉時代にそんなのねえよ
後年の秀吉の明征伐の時でも直接明に攻め込めないから半島通ることにしたんだしよ‥ >>7
> 元寇の頃の日本の水軍なんてたいした物じゃなかったでしょ
倭寇が出来たくらいだから、それなりに海賊がいたんじゃない? 日本=海軍の意味がわからない
元寇当時?
こいつ妄想入ってない? 1そう考えるほどの海軍力が日本にあったという話はどこから出てきた?
小説家などが珍説を唱えて一般人がそれを鵜呑みにするので歴史の研究家は
大迷惑しているそうだ。 侵略して従属させて
関税を撤廃したようなもんだ!
ってよくわからん チンギス・ハン=源義経だったので、祖父の祖国に拘った。
と、チンギス・ハン=源義経の論者なら言うかも知れない。 >>1
一度目はフビライはその気だったが、その時の失敗で二度目の侵攻の踏ん切りはつかなかった
だが高麗の忠烈王がしつこく再侵攻を唆したので
渋々二度目を行った >>35
日本の海軍を吸収しようとしたんじゃなくて
日本に海軍を組織したかったんじゃね 強い海軍が欲しかったから日本侵攻にこだわった まあこれはいいとして
強い海軍がなければ日本侵略は難しかったのでは? いや、海軍を組織しようと日本を攻めたって、その日本を攻めるために海軍が必要やがな。
日本を屈服させれるほどの海軍があれば、もう日本の海軍はあてにする必要ないがな。 それはない
それだったら既に属国であった朝鮮に海軍を置けばいいだけ >>39
日本側のプロパガンダみたいなもんだからな
台風じゃなくて日本の実力で撃退した事になるんだけど >>30
>モンゴル帝国本体じゃなく属国に戦わせたし。
豊臣秀吉がキリシタン大名の勢力を弱めるために朝鮮出兵したのと同じ理屈なんだろうな。 海軍力が足りないのに、おそらく自分たちよりも海軍戦力が上の日本を下す?意味が解らん >>33
日本人を酷使して戦艦建造、そして日本の海賊みたいな小舟の船乗りを使って、東シナ海渡って南宋攻撃? 日本から南宋を海軍で攻めるとすると広大な日本海を渡海するわけだから外洋船が必要になる
だが、当時の日本の和船は平底であり、一般的には海岸沿いを航行する用である
もし南宋を攻めるとすれば大航海時代の欧州のような深底の外洋船が必要になるのでは? >>39
2回目なんか何か月間も沖合に停泊してたんだろ
そりゃ台風の一つも来るだろっての >>40
モンゴル帝国にも海軍のノウハウなんて無いのに?
無いのに無理して攻めたから失敗したんだよ元寇 そもそもモンゴルは大陸だけで十分なのになんで海を渡って日本の海軍力を欲しがる必要があるのか。
当時は、海を渡るのにものすごくコストがかかるのにな。
対馬すら征服できなかったじゃん(笑) 知の巨人て、、ただの読書好き爺さんじゃないか。そりゃ本読んでるから知識は普通の人よりあるが、小林秀雄や三島由紀夫に代わるスーパーヘビー級の知性と比べればただの老人。 中国人は元寇を学校で習わない
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1625458108/
ゴースト・オブ・ツシマで知った人も
そりゃあ元寇は中国にとって都合が悪い歴史だからなw
まず中国が蒙古に征服されたという屈辱の歴史w
あと蒙古の走狗となって日本を侵略しに行ったという、ぜったいに隠したい歴史w
中国は日本を侵略したことなど一度もないw >>1
いや、こだわっていないだろ、
騎馬民族が馬をのせて海を渡るとか考えんよ。
鮮人にのせられただけ。 >>1
伝説の海軍たる半島民は使い物にならんかったんやな 倭寇の原因て元寇の復讐からだよね?
糞チョンが対馬、九州で暴れたから >>9
それは違うわ
って言うかまんまと騙されるとか元を舐めすぎ >>15
全く同感
海軍を手に入れたいのなら南宋攻略した時点で目的は達成している >>62
倭寇は今で言う自称だから倭と関係ない朝鮮半島の海賊も居たっぽいぞ >>50
南宋だから日本海ではなく南シナ海な。
でぇ、向こうから船に乗って日本に攻めてきたんだから、日本も向こうに攻めていけるぐらいの船は作れると思う。
がー、日本に大軍で攻めて来れるほどの船団が作れるのであれば、もはや日本の海軍を当てにする必要はないと言う・・・ >>11
流石に源氏平氏朝廷の三つ巴に決着ついて
武家の勢力争いに移行してすぐの時代と
秀吉の頃を比べるのはちょっとナニでないかい >>30
帝国全体で戦ってないからってのは理屈としてはおかしいな
帝国全体で戦うなんて、四方から同時に攻め込まれない限り有り得ない設定だわ
それを言ったら日本だってほぼ九州だけで対応してるわけだしな >>67
その辺がこの記事では曖昧なんだよな
足場というか基地が欲しかったみたいな話ならまだまだ分からんではないんだが >>1
珍説を言いたがる程度のソース元ダイヤモンドオンライン プライドの問題だろ
敗因は朝鮮人と組んだ事
今でこそ平和ボケしてるが
歴史から見れば、日本人は戦争大好きの
戦闘民族だよ、相手が悪るかった。 >>71
そうそう、ただの海賊行為だけど倭寇を名乗ってただけ
日本人がいたのは戦国終了直後の浪人が傭兵として雇われてた頃だけじゃね? 日本を攻めろと朝鮮人が率先して蒙古軍に進言したという、記録は知っている >>30
そうは言うてもモンゴルのいつものやり方なんだろ >>71
恐怖の対象から名を借りて暴虐の限りを尽くす、シナ朝鮮の生態だよね ここの住人って下手な学者より歴史に詳しい人が多いからなぁ
怖い怖い >>83
どうやってよ?自分にも相手にもノウハウがないものをどうやってよ 朝鮮が唆したからだろうに。
で、朝鮮人が先兵役で投入されて糞味噌に殺された。 >>44
何か他の理由で朝鮮に拠点は置きたくなかったんじゃね
例えば飯がマズいとか 日本には大量の牧草なんて無いし補給出来ずに戦うのなんて始めから無理だったろうに >>57
小林秀雄や三島由紀夫がスーパーヘビー級の知性?
こいつらもエエカッコシイの目立ちたがり屋だけじゃん。 >>76
基地にしても南宋攻略した後では、日本に拠点を作る意味って無いからね
日本そのものが目的じゃないと成り立たないし、それは日本海軍ではないよね >>88
西欧の古地図で、あの半島は泥棒海岸と称されてるくらいだしなあ >>68
前期は基本的には日本人で、徐々にその他の奴らが入ってきた感じ この記事の一番のポイントは「立命館アジア太平洋大学」 >>1
意図的に日本を過小評価して結論がグローバル化の参考にしろ、じゃお里が知れるわな 鎌倉武士は敵が味方や地元の日本人が蒙古軍に人質に取られても人質を無視して敵を攻撃したらしいから。
そんで蒙古軍がビビったらしい。そんで上して拠点を築けないうちに船上で台風にやられたと。
マジ鎌倉武士やばすぎ(笑) >>55
九州以外も軒並みおかしいのばっかりだからなぁ…
ちな源氏最強のXナンバー鎌倉ガンダムの称号は鎮西八郎
パッパに持て余されて追放食らったら、全然反省せずに九州制覇しやがったでござる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています