【韓流】 沖縄近代書芸の第一人者は韓国人の弟子、ホン・ギルドン伝など…「琉球は小さな朝鮮」[06/11] [LingLing★]
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沖縄近代書芸の第一人者・雲石、海岡金圭鎭(キムギュジン)弟子だった。
韓流文化研究所のイ・ソンヘ所長は「琉球は東アジアの過去と現在を理解するための重要なパズルのピース。」と話した。サンジニ提供
「2015年でした。数十年分の『毎日新報』を数年間読み、『韓国近代書画の生産と流通』を出版した後、日本福岡県立図書館で琉球漢文学関連の本に触れた時、頭の中にピカッと光が走りました。 一ヶ月間、毎日行ってその本を読んで、以降、休みの都度沖縄に行って、資料を探しました。」
7年の功力が出た。イ・ソンヘ釜山大学のチョムピルジェ研究所専任研究員が最近出版した<琉球漢文学>(サンジニ出版)がそれだ。「琉球漢文学の背景」、「琉球漢文学の人物と思想」、「朝鮮文人と琉球文人の出会い」、3部構成で、13編の文が載せられた。
ユグ(琉球)は1429年に開国して、1879年に「琉球処分」により日本に合併されるまで450年間続いた「リュウキュウ王国」で、現在の沖縄県だ。なぜ琉球であり、漢文学なのか。「琉球は東アジアの過去と現在を理解するための重要なパズルのピースですが、これまで疎外されてきた部分です。日本に合併される前の独立王国であり、東アジア漢字文化圏の一員であったことを強調するため、『琉球漢文学』にスポットを当てました。」
・リュウキュウ、450年間存続した日本独立王国
・18世紀の学者、イ・ドクム「琉球は小さな朝鮮」
・ホンギルドン(洪吉童)伝に出てくるユルド国説など親熟
琉球は私たちと関係が深い場所だ。キム・ジョンハンの秀作小説「沖縄からの手紙」もあり、ホン・ギルドンが行ったユルド国が琉球国だという説と、三別抄の残存勢力が沖縄に行って琉球王国の基礎を築いたという説は非常に有力だという。「癸酉年に高麗瓦職人が作った」と書かれた13世紀または14世紀の名門瓦も出土した。ところが、イ専任研究員は全く違うものを初めて見つけた。「謝花雲石ジャハナ・ウンセキ(1883~1975)は、沖縄近代書芸の第一人者です。この方が韓国の代表的な書画家、キム・ギュジン(1868~1933)の弟子です。雲石は1911年から8年間、朝鮮総督府の職員として京城に来ていた時、キム・ギュジンから書芸を習いました。帰国して、彼はキム・ギュジンの弟子であることを誇らしく明かしました。芸術の脈で、韓国と沖縄がつながった例です。雲石の死後4年後の1979年、その弟子たちが雲石の意だとし、キム・ギュジンの息子であるキム・ヨンギを沖縄に招待しました。」
もう一つの事実もある。14世紀後半、朝鮮太祖の時に朝鮮に亡命してきた「琉球・山南王の承察度」は沖縄に行った高麗三別抄の後孫と推定されるということだ。 「承察度は、琉球の歴史のうち3つの王国が角逐した三山時代に山南王国の王でしたが、権力を奪われ朝鮮に亡命してきました。〈朝鮮王朝実録〉に関連記録5件があります。最初は晋陽に来て暮らして、1398年に漢陽で死にました。彼が琉球に近い台湾や中国に行かずに朝鮮を選んだのは、三別抄の後孫だったからではないかと思います。」
朝鮮が世界に対する卓越した感覚を持っていた16世紀初めまで、朝鮮の使臣は3度琉球に行って、琉球の使臣はなんと46回も朝鮮を訪れたという。「トンチャダン」は有名な琉球の使臣で、イ専任研究員がシン・スクチュなどと取り交わした知られていない詩も多く発見した。イ専任研究員は「1530年以降からは直接的な使臣交換はなくなって、北京を通じた迂回外交が始まった」とし、「それでも18世紀朝鮮知識人イ・ドクムが『琉球は小さな朝鮮』と言ったほど琉球は私たちの知的感覚の中にあった。」と話した。
(つづく)
チェ・ハクリム記者
ソース 釜山日報(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/082/0001159526
https://imgnews.pstatic.net/image/082/2022/06/09/0001159526_001_20220609174708236.jpg
https://imgnews.pstatic.net/image/082/2022/06/09/0001159526_002_20220609174708333.jpg
【韓国】 新刊「琉球漢文学」…琉球国南山王の承察度は、高麗時代の三別抄の子孫である可能性[06/06] [LingLing★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1654511332/ 支那・日本にはかなわんから琉球よりは進んでいたと言い出したか。 >>6
薩摩侵攻前から 沖縄ではかな文字を使ってるからな 古代においては半島の南は日本だったから、
逆も真なりと言えるのかもな 観光資源として税金使われる
税金使われた時点で日本人の負け
自治体交流を防げないということは無能の証
自分は無能であること自覚している
していないやつらだらけなのが大問題 >>192 音節文字の仮名を使えるというのは琉球語が日本語の一種で音韻対応もあったという証拠だしな。
朝鮮文字では子音母音に過不足があって改造せんと使えない。 私たちは良心派の純粋な縄民族だけど
東偉のことは昔から聞いていますね
縄民族に文化がなくて困っていた時に
先生民族になってあげて、
上位民族として支配してあげたんだよね
石碑も残っているよ
私たち日本と決別して独立して、
韓国を宗主国とすればいいのに >>192
鹿児島県与論島から、沖縄県本島までわずか20キロ。
当たり前だが、鹿児島県(日本)との繋がりが一番深い。 >>197 琉球は鎌倉時代に日本の僧侶が渡来して仏教を伝え、かな文字も伝えた。
朝鮮が琉球に何を伝えたんだ。 売春婦、性病、キムチ、ゲイ、醜悪なものすべて…
いっぱいあるニダ >>199
16世紀に本土坊主がカナ文字や仏教を伝えたがカナ文字は特権階級の遊びや日本対応
仏教は伝えても全く沖縄人に伝わらなかった、政治の道具儀式に寺社仏閣が少しあるが
庶民とは無縁、琉球伝統の神は神殿建築しない偶像を崇拝しないそして先祖崇拝が強い
古くから中国からの漢字導入で明国東南アジアと漢字使用で交易、カナ文字は日本に
しか通用しない >>201 琉球が支那へ提出した国書は仮名文字で書いてあったそうだ。 >>202
嘘で日本美化捏造、明国が弱小国琉球とカナ文字交易はしない、日本だってアメリカに
日本語で外交しない。日本人が琉球沖縄に移住した事実はなく混血もなかった
縄文人が移住したとか源氏平家が琉球原住民を駆逐したとか数百年にわたり捏造
こんなばかリ日本の歴史は >>203 琉球が支那に提出した国書は「キョロ(オタマジャクシ)文字」で書いていたという記録があった。
オタマジャクシ文字とは平仮名のことと思われる。
平仮名では支那人には分からんから漢文訳を添えていただろうけどな。 琉球は朝鮮と同じように日本と明に朝貢していたが日本の情報を明に流して薩摩の怒りを買い実効支配された >>208
琉球王府が明国にオタマジャクシ文字を使ってた、横文字隊文字使おうと日本人に関係な
い、日本史の捏造美化をがんばれ。日本人が多くの琉球文化財破壊と歴史捏造の歴史は
昔から 2年前深夜1時無人の首里城正殿炎上、放火には強い目的憎しみがある沖縄人が悲しむ
様子が至福の時だったろう、首里城炎上後2年間本土人の喜びようがネットで溢れてた
ざまーみろ沖縄人土人の城崩壊萬歳いろいろ、その夜の首里城正殿前広場での冊封式や
琉球舞踊が中止になって大喜びも、 韓国人ってよほど自国に誇りを持てない思考なんだな。
万葉仮名が半島云々…と同じで何かしら歴史と権威があるモノに近づきたがるな。
そしていつも針小棒大。
少しでも関係することがあればそれがすべてといった感じで一般解化して騒ぎ立てる。
ときどき面白い視点提供もあるけど、考察に論理性と客観性がないからすぐに
~と思われるが、~は確定的であるmにナゾ変換されてそれを前提に妄想が花開くからww
あいつらに学術的思考は無理。 パヨク(ゴキブリ在日韓国人)
に洗脳されてるあのアホ知事なら
コロナがまん延するのも分かる >>213
翁長前沖縄県知事翁長さんが亡くなった時多くの沖縄ヘイターが大喜び、反日反米の
報いだと多くのヘイトがネットに、沖縄ヘイトは現在知事に向けられてる
沖縄人の殆どがアメリカ大好きですよ 琉球は後半は支那と薩摩に両属していた国で独立国とは言えん。
朝鮮など何の関係もないただの貿易相手のほんの一部でしかなかった。
主に日本と支那の間の仲介貿易で食っていた国だ。
後にオランダ東インド会社が出てきて仲介貿易も廃れていったがな。 琉球は薩摩に侵略されたが民族や文化血統は薩摩とつながりは全くない、
琉球人は交易先の東南アジアで大量の日本人奴隷を見て次第に交易を福州拠点強化した
薩摩軍は九州の若い男女を家畜値段の奴隷貿易で軍備強化、数十年後琉球侵攻 つーか薩摩が琉球に侵攻した時の兵力って3000人とかだっけ
ぶっちゃけ3000人に負ける琉球軍って相当弱かったのか >>217 薩摩は朝鮮出兵にも参加して戦争なれしていたから琉球くらいは一蹴したんだろう。 >>44
騎馬民族征服王朝説は学説じゃないからね
学者がノルマン征服みたいな脳内ロマンを本にしただけだからw >>219 「騎馬民族は来なかった」を書いた考古学者の佐原真はなぜか急死したな。 >>219 騎馬民族が来ていたら日本に日本語族と騎馬民族語族ができて分裂したはずだしな。
満州族の清朝も公用語は満州語だったが、日本に異民族語など何の痕跡もない。 >>217
薩摩は三重城で琉球軍の火や攻撃で撤退したが、陸伝いに南下で村々を襲い住民を攻撃
それを知った国王尚寧は戦いをやめ降伏し城門を解放した、死者を最小限に抑え命は宝
の名言を残した、今は琉球王朝発祥の地で生まれ育った浦添が見渡せる浦添ヨードレに
眠る >>「琉球は小さな朝鮮」
・・・支那朝廷での序列は琉球>朝鮮だったがな。 >>182
月光仮面の原作者は、「おふくろさん」の佐久市でも知られてる川内康範。
レインボーマンの原作者でもある。 >>219
江上波夫は、匈奴の歴史が専門で、国史は門外漢。
ただの空想だよね。 『琉球は小さな朝鮮』
沖縄の人を煽るのに使えるパワーワードありがとうございました。 「〇〇は小さな朝鮮」いいね、コレ。
京都は小さな朝鮮とか言ったら京都人は血管切れそうになるかも。 琉球は国家体制は違うが朝鮮、明国、東南アジア諸国を文化先進国として尊敬してた
世界各地で多くの民族が滅亡又は吸収されてきたが、極少数民族琉球人が生き延びて
来たのは周辺諸国のおかげなのは確か >>233 琉球も確か、元寇に抵抗して撃退した独立国だったがな。
支那に支配されたこともない。支那には渡海征服するような国力がなかった。
琉球も支那・朝鮮・東南アジアを貿易相手国と見ていただけだろう。
支那はいいお得意さんだった。 >>234
元寇の敗残兵が沖縄に上陸戦いはなかったようだ〔中国の歴史書〕元兵は殆ど中国福州
出身、明代に元の第二皇太子が多くの従者とともに琉球に島流し、高麗人の多くが
浦添城周辺んに住み着き高麗瓦を製造してた、小さな島に大量の中国東南アジア半島の
遺物が発掘されてる、中国皇帝に服従することで計り知れない恩恵を受けたが政治関与は
全くなかった >>235 >>政治関与は全くなかった
・・・沖縄本島近くの久米島だったか、支那人居留地があって支那語通訳職を独占していたそうだがな。
通訳ということは外交に関与していたんだろう。 >>236
久米の渡来人はすっかり琉球人化してたが特別な扱いを受けてた、北京国士館留学も
独占だったが徐々に広がった数百年の年月で変化。明治政府の清国への沖縄分割譲渡
の決定事項は清国のサイン待ち、それを覆したのが元琉球役人林成功の命を捨てての
嘆願書、清国皇帝は心を動かされ沖縄分割は中止、琉球役人林成功の墓は福州の琉球人
墓ではなく北京郊外の琉球人墓地に眠ってる、表には出ない渡来血筋の沖縄の真の英雄 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています