【ハンギョレ】李舜臣将軍の最期の場面が書かれた「柳成龍備忘録暦」日本で発見、韓国に戻る [11/25] [新種のホケモン★]
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柳成龍の備忘録暦の臨時の表紙の部分。李舜臣将軍が鷺梁海戦で戦死した状況についての内容が直筆で書きこまれている
「戦いの日、矢と石が飛び交う中で乗り出し陣頭指揮するのを武将らが引き止めながら『大将が自ら軽々しく乗り出してはなりません』と言った。(それに耳を貸さず)戦闘を直接督励し、ついて銃弾を受けて死んだ。ああ!」
朝鮮時代の壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592~1598)当時、李舜臣(イ・スンシン、1545~1598)将軍が鷺梁海戦で最期を迎える状況を描写するように書いた当時の知人の直筆の記録が初めて世に出た。記録者と推定されるのは、李舜臣の親友であり名宰相だった柳成龍(リュ・ソンリョン、1542~1607)。開戦後、右議政と領議政を務め、戦時の政府を率いて抗戦を主導し、17世紀の朝鮮、中国、日本でベストセラーになった壬辰倭乱回顧録『懲毖録』を書いた人物でもある。文化財庁と国外所在文化財財団は24日、柳成龍が直筆で書いたと推定される16世紀の備忘録の暦が日本で発見され、韓国に持ち込まれたと発表した。
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柳成龍の備忘録暦の本文の第1章。本の題が書かれており「巻数題面」と呼ばれる
(中略)
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暦で庚子年の二十四節気の日時を記した部分(右)と各方位の吉凶を占う参考図である「年神方位之図」の部分(左)
国外所在文化財財団側は「京都大学のキム・ムンギョン名誉教授の情報提供で現地に所蔵された暦の存在を知り、文化財庁と国外所在文化財財団が数回調査を行って基本内訳を把握し、還収戦略を立てて交渉した末、9月に国内に持ち込むことに成功した」と伝えた。
(中略)
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柳成龍の備忘録暦の6月の頁の一部(左)。日本に連れて行かれた姜沆の帰国に関する内容が書かれている
余白に記された備忘録の内容は、壬辰倭乱の最高政府官僚であり軍事戦略家として活躍した柳成龍の具体的な日常を示している。『西厓先生年譜』では扱われていない内容が書かれており、友人である李舜臣との交遊状況、当時捕虜となって日本に連れて行かれた学者の姜沆(カン・ハン、1567~1618)の帰国など、庚子年の歴史的事実も広く把握できる。原表紙が消失し臨時でつけた仮綴りの表紙には、李舜臣が部下らの引き止めにもかかわらず鷺梁海戦の現場で督励していた中、銃弾を受けて戦死した状況を描写した直筆記録が残っていた。戦死の情況の他に、柳成龍が弾劾を受けて辞職したという知らせを聞いた李舜臣が、船に乗っているときには真水を汲み置き自らを戒めたというエピソードも書かれている。
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柳成龍の備忘録暦の7月の頁の一部。懿仁王后の死去の知らせを聞き玉淵精舎で悲しみに沈んだことが記されている
文化財庁は「直筆で描写された当時の李舜臣の行跡記録として希少であり、史料的価値が高い。宗孫家所蔵の宝物『柳成龍宗家の門跡』から抜け落ちていた新しい資料を発掘し取り戻したという点も意味深い」と評価した。今後は傘下の国立故宮博物館で管理し、柳成龍関連史料として展示などに幅広く活用する計画だという。文化財庁と国外所在文化財財団は24日午前10時30分、ソウル景福宮の国立故宮博物館でこの暦をマスコミに公開する。
ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
登録:2022-11-25 10:46
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/45216.html 韓国に文化財渡すのやめとけ
1年経たず消失するんだし >日本で発見され、韓国に持ち込まれたと発表した。
正規の手続きを経てるの? それに書かれてることが事実かどうかはどう証明するんだ? 部下の言うことを聞いてれば死なずに済んだのにバカチョンだな
こんな情けないやつおる?
卑怯者だけならまだしも将軍のくせに真っ先に死ぬとか兵士を殺したいのか? 、17世紀の朝鮮、中国、日本でベストセラーになった壬辰倭乱回顧録『懲毖録』
ベストセラー?どこのパラレル日本ニカ? 返すじゃないだろ、日韓請求権協定で定められた期日以前から日本国内にある物について、日本の所有物なんだからな
あと指揮官が最前線に出るのは格好はいいが、銃弾食らって戦死なら匹夫の勇だ この頃から条約破棄して襲いかかり
それが故に死ぬというまさに大韓 矢と石が飛び交っていたのに急に銃弾が飛んでくるなんてありえないニダ!! >>18
講和条約を結んだのに、
条約を無視して背後から秀吉軍に襲い掛かり、
返り討ちにあって死んだのが李舜臣。
この時、既に朝鮮人は約束を守らなかったんだな。 韓国に古書あるじゃない
日帝が全部燃やした???
また朝鮮人の嘘がバレたね >>23
多分条約という言葉が理解できず
分からないままウンウンと頷いてたんだろう 日本「講和しようぜ」
明「いいアル。食い物がないアル。」
小西「よかった。これでボス死にバレずに退却できる」
李「ボスが死んでたらしい。突撃ニダ!」
薩摩「返り討ちでごわす」 >>23
約束というものに全く価値を見出さず、それを破るズルさを、卑怯と認識する知性もない
今も昔も変わらない朝鮮人 購入でも返還でも貸与でもなく
持ち込まれたって表記はもう借りパク宣言じゃん >>23
そもそも、
勘違いしてるのは
当時
明の属国で
明が秀吉と交渉をしてるのに
まるで独立国のように
勝手なふるまいの、朝鮮 戦が終わったら、また将軍から一兵卒に降格されただろうから、将軍として戦いの中で死ねたのは幸運だったんじゃないか?(ハナホジ) この人韓国で唯一?の日本に戦果を挙げたことになってるらしい将軍で合ってる?
それにしてはその華々しい部分の抜粋何も無いのな 小西行長と
沈惟敬らの協議によって
日本と明の間では休戦成立
日本軍は南に後退したものの、
ばかな朝鮮人が
帰国を妨害したので
朝鮮半島に築いた城塞に駐留した。 >>52
読めるわけないだろ
溥儀という
香典袋もよめないのに >記録者と推定されるのは、
推定が間違ってるよ、いつものことだけど 小西が平壌まで侵攻したら
明が大群で防衛
すったもんだしてるうちに
秀吉なくなったのと
明軍長期化でやるきなく
互いに講話むすんで
帰国しようとしたら
ばかが帰国妨害
でも返り討ちあい
あっけなく殺されたアホ
将軍でもなんでもねえ
>>57
そもそも
日本のものを
泥棒する
民族 当時は(今も)支那の属国だから漢字を使用してたんだな
現在は漢字を覚えきれずに記号に置き換えたみたいだが 戦場にはなるけど、休戦の決定権は他国が持っているって状況は朝鮮戦争と似てるな。伝統なのか? 国外所在文化財財団側は「京都大学のキム・ムンギョン名誉教授の情報提供で現地に所蔵された暦の存在を知り、文化財庁と国外所在文化財財団が数回調査を行って基本内訳を把握し、
還収戦略を立てて交渉した末、
9月に国内に持ち込むことに成功した
↑
まさか
借りたものを
盗むつもりん? 何このドラマチックな描写w
完全に創作物じゃねーかw どこから入手したのかが書いてないから
正当な手段で手に入れたのか疑われるんだわな >>6
だったら日本のほうで先に報道される
さっしろよ 島津の捨てがまりに引っかかったんじゃなかったっけ? >>63
わからん
そもそも日本ではまったく知られていない
海賊の船長が丸木舟に乗って暴れてたので日本が征伐したってのは聞いてるが 停戦協定を無視して撤退する船団を急襲
流れ弾に当たって死亡
これで、何故か「英雄」だから笑える
韓国は「英雄」すら嘘w >>1
鬼島津に
討ち取られた
恥ずかしい
チョーセンバカ愚将wwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwww 戦後簡易化された漢字が見つかるパターンじゃないかなあ 日本だから保存出来てたのに下朝鮮に持ち込んだらあっという間にボロボロになるぞ >>1
何が言いたいのかわからんが、嘘をそこかしこに埋め込んであるな >>57
前にTBSが北朝鮮の博物館を取材した時に、向こうの職員が
「三国時代の魏の竹籠なんだが記録が一切無いんだ、調べてくれないか」
って言われて日本で調べてみたんだ。
そしてたら東京の古本屋に、併合時代に日本の調査隊が遺跡調査した時の、
報告書(関係者のみに十数部配布)が見つかったw >>41
大韓民国憲法原本
『そうか……残す価値無かったのか、俺は』 李舜臣将軍は認めるしかないよな、唯一日本が手も足も出ない状況に追い込まれた世界でも稀な指導者だからな。 ちゃんとした文化財であるなら、チョンにくれてやる理由はないはずだが
日本でテキトーに捏造した物なら存在価値ないが >>84
普通に島津勢に負けて死んだわけですが。
どこの世界線からあらしたので? >>84
そいつ犬死にしとるが?
日本側は有力武将誰も死んでないぞ。 停戦して撤退中の輸送隊に不意打ち仕掛けて返り討ちで死んだ奴? >>70
普通に遠距離斉射で蜂の巣にされた。
たまたま流れ弾に当たったってことにしたいんだろうが、そもそも当たり所が余程悪くなければ一発食らった食らった程度ですぐには死なない。
島津の鉄砲隊の主力は、他家のような鉄砲足軽ではなく練度の高い武士団。
身分の上下関係無く鉄砲を扱えるからこそ、』捨てがまり』なんて戦法が運用出来た。
そんな練度の高い集団なら、精密狙撃まではいかなくとも、遠距離斉射で当てられる能力がある。
流れ弾としか認識出来ない有効射程距離ギリギリの距離から複数被弾してやられた、というのが真相。 >>96
そうだよ。
「露梁海戦では、夜半からの戦闘が長時間続き、日本軍、明・朝鮮水軍の双方が大きな被害を被ったとされる。明・朝鮮側の資料では自軍の勝利を強調しているが、明軍では副将鄧子龍が戦死、朝鮮軍では主将の李舜臣が島津兵の鉄砲の弾丸を受けて戦死した(後述)。朝鮮軍ではさらに、李英男(加里浦僉使)、方徳龍(楽安郡守)、高得蒋(興陽県監)、李彦良、といった将官が戦死した[19]。一時突出した明軍の主将陳璘も日本軍の包囲から危うく逃れている。」
生き残りも追撃した相手から逆包囲を受けて壊滅してる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています