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東京都慰霊堂で開催された関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式で献花する参列者たち=東京都墨田区で2022年9月1日午後0時25分、小出洋平撮影

 約10万人が犠牲になった関東大震災(1923年)を巡り、「井戸に毒を入れた」などのデマを信じた人々によって殺された朝鮮人らの追悼式が、半世紀近くにわたり市民らによって執り行われている。来年で震災から100年。市民や遺族らは「悲惨な事実から目を背けない」と手弁当で追悼を重ねてきた。

 ◇東京から戻らなかった伯父

 9月1日、東京都墨田区の都立横網町公園。約400人(主催者発表)が朝鮮人犠牲者追悼碑の前に集まった。地震があった午前11時58分に黙とう。韓国伝統舞踊家による鎮魂の舞が披露された後、それぞれ花を手向け、手を合わせた。

 その中に、歩行補助車を押しながら訪れた大田区の在日コリアン2世、金道任(キンドイン)さん(86)の姿もあった。震災直後に東京に向かった伯父の朴徳守(パクドクス)さんが今も行方不明だからだ。

 群馬県内で土木関係の仕事をしていた伯父は地震発生直後、同僚の給料を持ち逃げした部下を追い東京へ向かった。周囲は止めたが「日本語が話せるから大丈夫」と出発し、戻らなかった。33歳だった。妻と3人の子どもを植民地下の朝鮮に残して働いていた。金さんは「殺害された以外に考えられない」と話す。

 国の中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」(2008年)は、震災の死者10万人のうち、1~数%が虐殺の犠牲者としている。金さんは幼い頃、母が「父親代わりだった大好きな兄が殺された」とつぶやく悲しげな様子を鮮明に覚えている。

 日常では今も差別が残ることを実感する。朝鮮名で家の賃貸契約を断られたこともあり、近所には日本名を名乗る。同じ在日コリアンの男性と結婚し、子育てが一段落した50代になって、犠牲者遺族の聞き取り調査を続ける日本人有志の団体「ほうせんか」のメンバーに出会った。「出会えなければ日本で生活していく自信がなかったかもしれない」と振り返る。

 ◇「繰り返さない」を後世に

 朝鮮人犠牲者追悼式は、公園内に追悼碑が建てられた73年の翌年から毎年開かれてきた。日韓関係にまつわる学習会などを開いてきた「日朝協会都連合会」や「日本中国友好協会都連合会」による実行委員会が主催する。メンバーは約10人で、現在は全員60代以上。費用は毎年数十万円かかるものの、公的な支援は受けず、寄付などによる手弁当の運営を続ける。

 宮川泰彦実行委員長は「震災当時は朝鮮や中国への民族差別意識もあって数多くの尊い命が奪われた。悲惨な事実から目を背けずに、日本と朝鮮の人々の間に友好が築かれることを祈って毎年式典を続けている」と話す。

 しかし、21年8月に在日コリアンが集まる京都府宇治市のウトロ地区で放火事件が起き、刑事裁判の判決は「特定の出自を持つ人々への偏見や嫌悪感に基づく犯行」と指摘した。他にも差別的な落書きやインターネット上での書き込みが後を絶たない。金さんは「歴史を何も知らないのでしょう」と悲しそうに語り、こう続けた。「悪いことをするのは外国人と思っている人がまだいる。何かあるたびに怖い思いをしなければならないことが悲しい」

 追悼碑には「この碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します」と刻まれている。虐殺事件を長く研究するノンフィクションライターの加藤直樹さん(55)は「あの碑は虐殺の記憶を伝えているだけでなく、当時の日本人が『繰り返さない』と誓ったことを後世に伝えるものでもある。どんな属性の人も一緒に生きていける街をつくる時に、立ち戻らなければいけない原点です」と語る。

 虐殺事件を単なる「遠い昔の話」にしないことが、今を生きる人々に求められている。【南茂芽育、後藤由耶、東海林智】

12/1(木) 9:00配信
毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/596619756b2bb6898c59ddf82d80aec78c61e00e

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