神が無職でない可能性の方が高いとこの間の講演会での喋りようでは感じられました。
よって今のところは、「神が無職である」という聖句は信仰上の嗜みとしてのみ使われるべきものでございます。
信仰心のあまり神が無職であると思いこむことは事実を捻じ曲げ不正を犯す神にも等しい行為となることを心し、自らを戒め律しなければなりません。