【レトロ】70〜81年代の国産オーディオ大好き part2
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たまには見習ってコテハン1001ZXL子ってしてみれば?
けっこう気づかれないかもよ この時代の製品で現役なのはテクニクスSP10Mk2とサエクWE505/39、それにオーディオクラフトAC4000MCか。
トーンアームは長くなきゃあかんのだ。 それ、国産のアナログ最盛期の製品の中でも、一番高値になるよ。
俺は2006年に手放したけど、そのときでさえ新品価格の1.5倍くらいだった。 >>11
マジで!
どう考えてもそんなかちはないな 新品でもdynavector507で60
SMEのVのも100万超えとかじゃないかな Lo-DのHT840っつぅレコードプレーヤーがあって、これはHT800という単売のターンテーブルをごっついキャビネットっていうかベースに取り付けて、アームを付けましたっていうもの。
まぁビクターのQL-A7の先駆けみたいなの。
昔、マクセルのカセットテープを買いに日立の店へ行ったら、これがあって、なんか凄そうと思った。
お店の若旦那(現 ご隠居)いわく、3年飾ってあるけど売れない、そうで。
あれ、欲しかったなぁ。 カッコの悪い物は売れない
売れなかったから今になって物珍しさを逆手に取って
幻の〜、とかやる人いるけど大いに怪しいわなw パワーアンプがPOA3000だろうとHMA9500やM7050はてはP300Xであっても、組み合わせているプリアンプはPRA2000
そんな時代が確かにあった。 あけおめ
プリが欲しいな〜。
パイオニアとかどうだろう?
何かオススメの機種ありますか?
お金はありません。 このスレの対象でパイオニアのプリっつうと
Exclusive C3
Pioneer C21
Pioneer C-Z1
こんなもん?
正直、俺なら他を選ぶなぁ。 安プリ買うくらいならセレクター噛ましてパワー直結だしなぁ >>26
アナログレコードを真剣に聴く前提で
デンオンPRA2000
オーレックスSY88
ソニーTA-E88
アキュフェーズC200X
ヤマハC2X
輸入品かつMCヘッドアンプなしだが
マッキントッシュC29
ライン以降重視なら
アキュフェーズC200L
ヤマハC2X
どうだろう? アナログ派なんでこの中から選びたいですね!
金作らにゃならんな。 どれも素晴らしいと思いますが、個人的に最高のお奨めはC200Xですね。
当時、マニアが好んでたポリーニのピアノ、アバドが振ったシカゴ交響楽団のバルトークピアノ協奏曲1番2番。
これが熱く鳴らすのはコイツだけ。
今時のシーンとしたアキュフェーズとは違うんですよ。 >>30
安いSU-A6はSE-A5との組み合わせでヒットしましたね。
これはこのコンビのみ良くて、プリ単独では魅力に欠けるように思います。
上位機種のSU-A4は聴く機会がありませんでした。
マランツも凄く古い3600を親父が一時使ってたのですが、すぐ換えてしまったのと、私がまだ幼くて記憶にないですし評価できないです。 サンスイが出ていませんがプリは駄目ですか?
サンスイのパワーに合わせたいなと考えています。 そうですか
サンスイの907で一応国産プリメインは満足したので
次はセパレートかな?と
他のコンポ製品が案外好みだと気づいたのでオンキョーもp-306とか安くていいかななんて思ってます >>33
残念ながらサンスイのプリは思い付きません。
パワーは何ですか?
B2201,2301系とB2102MVの系統とで大きく音が違うので。 >>34
オンキヨーの306,309は良いものだとは思いますが、やっぱりペアのパワーアンプとのコンビじゃないと、という気がします。すいませんが、経験値が低く評価できません。 >>35
現在はプリメインアンプ907MRを使用しています。
まずこれをパワーにと考えています
後にパワーも欲しいですね
2031 2102はそんなに違いますか?
FF+ダイヤモンド世代など、どちらかというと古いサンスイの音の方が好きです。 >>37
2301系のほうが古い世代のサンスイのいろに近いと思いますよ。
力があって、少し重め。
B2301Lは出てすぐに買いました。
買い換えてしまって今は持っていませんが。
2102系の出力段がMOS-FETのシリーズは軽快な印象が強いですね。
私は今もB2103MVとα607MOS Premiumを持っています。 サンスイ最高峰ですね。
新しいサンスイの音はオールドとは違いますが流石サンスイ、広く綺麗ですね。 デンオンPRA2000 PRA2000Z はフロントパネルで3系統あるフォノ入力の切り替えができないってホントですか?
いちいちラック動かすって。。。
ZRはフロントから出来るのですか? 2000はシーリングポケットを開けたらセレクターがある。
2000ZとZRはフロントパネルに普通にセレクターがある。
これでPhone1〜3を切り替えることはできる。
ただし、ひとつのPhone端子でMM/MCを切り替えるというのはできない。 >>42
読んでみたけどその内容も40も間違ってないよ。 >>42のサイトにはフロントパネルで切り替え出来ない、ピンジャックの差し替えが必要とありますので常に一台のターンテーブルしか接続出来ない?
MM付けたらピンジャック差し替え。
MCつけてトランスで聞きたくなったからピンジャック差し替え。
って事でしょうか?
しかし
>>41さんの説明では三台のターンテーブルを接続しておけてきフロントパネルで聞きたいターンテーブルを選べると仰ってます >>45
40の質問内容に対して41の答えは間違っていないでしょ?
セレクターあるんだから。
3台のプレーヤーでも3本のアームでも良いけど、phono1,2,3に繋いでおいてセレクターで切り換えることはできますが、1台のプレーヤー(1本のアーム)でカートリッジをMM,MC(2000のヘッドアンプ使用)を切り換えようというならケーブルの繋ぎ直しが必要です。 分かりました。90年代のプリメインアンプによくある人角フォノ入口横に対してMM.MC切り替えスイッチは無いよと言う事ですね。
詳しく説明有難う御座います。 訂正
90年代プリメインアンプによくあるフォノ入力一つに対して レコードプレーヤーの下にプリアンプを置くと、確かにPRA2000は使い勝手は良くなかったな。
音は良かったけどねぇ。 昔の機種、掘り返して調べてみると人気はそれほどでもなかったけど
今見返すと面白いな、って物が結構ある
定評ある物は中古価格も異常に高かったりで面白み、うまみが無い
という訳で今こそロートルの知恵知識思い出を結集して
新たな人気機種を発掘しようではないか >>50
そういう趣旨でいくと
Lo-D HMA8500
どうだろう?
長岡さん押しの9500の影、同時期同価格帯のSE-A5の影に隠れていたが、今、マルチアンプの中域にこれを使ってみるととっても良い。 転売その1
〜長岡鉄男氏絶賛! 美品 使用頻少 SANSUI AU-D607〜
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c644133894
「こちらの商品は、前オーナー様がサンスイのサービスにて
しっかりとメンテナンスをされていた固体でしたので」
↓前オーナー様↓
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s555412982
使用頻少?前オーナー様がしっかりとメンテナンスしてた様に思える? 転売その3も落札済み
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j467980002
これも使用頻少、前オーナー様がしっかりと
メンテナンスをされていた固体として近日出品予定。
鴨が尽きる事無い不特定多数参加のヤフオク。
隠蔽・嘘・騙しの悪徳出品も尽きないね。
騙される落札者より手数料を貢いでくれる出品者。
ヤフオクに報告しても動いてくれないだろうな。 長岡鉄男氏絶賛! 美品 使用頻少 〜 の人
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e258333970
(2018年 1月 16日 11時 49分 追加)
「★商品説明の一部に記載ミスがございました。
慎んでお詫び申し上げるとともに訂正いたします。
説明文に、大型のパワートランスを2個搭載して
中略
今後はこの様な記載ミスが起こらないように
十二分の注意をはらってまいりますので
今後とも変わらぬ ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。」
正直だなぁー・・・つか、他に気になる点は無いのだろうか・・・
専門医に診せたら病名付きそうなレベル。 あの頃はスピーカーも面白かった。 各社1000シリーズで張り合っていた。中でもトリオのLS-1000は、今では作れないだろうな。 私は美品頻少の方からアンプを購入しましたが、届いた商品は極上美品の
間違いの無い品物でした。パネルを外して中も確認しましたが、
コンデンサ、トランジスタ全てが純正パーツで中もちゃんと
クリーニングされていました。
音はタイトル通りのオールドサンスイの素晴らしい音でした。
上記を貼り付けたのはたぶん業者でしょう ID追っかけると右から左のテンバイヤーですけどね。
貴方はラッキーだったのですね。 日本社会の壊れ具合と照らし合わせて
右から左のテンバイヤーの何が悪いのかさっぱりわからなくなったな
むしろ溜め込むより経済回してるだけマシって思うようになった aurexのプリアンプ、88シリーズではどれが良いですか?
99は高くて買えんです。 >>64
フォノステージもIIが良いですか?
何処かで聴いてみたいものですが叶いそうにありませんので買って試す他無いですね。 Aurexはラムダコンや日立の高級電解コンデンサが交換されてないといいんだけどな >>68
残っていても機能的に劣化が有るお年頃ではないでしょうか?
その辺りが心配ですね。
聴き比べた経験がないので教えて欲しいのですが、これらのコンデンサはやはり現代の物では音が劣ってしまう物なのでしょうか?
銅箔などは変え難いものでしょうが電解コンデンサーは現在のテクノロジーで勝った物が流通してそうですがどうでしょう?
経験者からのご意見求む。 >>69
特殊パーツで実力が底上げされてる機種はさっさと売り払うのが精神衛生上いいよ ドラえもんがいればタイムマシンで新品を買いに行くし、タイムふろしきで新品に戻せるのに。 >>70
やはり現代の技術を持っても太刀打ち出来ないでしょうか。
しかし東芝は凄いモノを作りましたね。 >>69
うちにSY-λ88Uがあるけど、ラムダほかフィルムコンデンサーは大丈夫みたい。
電源まわりの電解コンデンサーは2回交換してる。ここやられて他に負荷かけるとパーだから。
Vコンやλコンって、高級オーディオに使うことを意識して開発されただけあって、リードとボディの境目とかもきっちり作ってある。
定格内で使うかぎり寿命はかなり長いと思うよ。 >>78
参考になります。
電源部のコンデンサーだけでも先ずはチェックしてみようと思います。
λコンでは頭の膨れたのがあるので気になっています。
いつまで聴かせてくれるのか、頼むぞ88II! >>78
Λコン本体は銅蒸着の酸化を防ぐために樹脂の中にある
頭の膨れは熱でカバーがふくれただけかと
劣化してるかどうかは外して計測するしかないよ >>79
Λコン本体は銅蒸着の酸化を防ぐために樹脂の中にある
頭の膨れは熱でカバーがふくれただけかと
劣化してるかどうかは外して計測するしかないよ >>82
お話を聞かせて頂けて少し安心しました確かに頭を押さえたらパコパコヘコんだ?ような気がします。
基盤を見ているとパーツの取り外しガ大変そうですね。100wの半田ごてがいるそうな。
Stereo mono切り替えのスイッチの足が真っ黒なので掃除したい気分です。
あのゲジゲジスイッチのカシメ(ピースした日本指を思い切り広げたようなカシメ方)用の地具などあるのでしょうか?
ご存知でしたら情報お願い致します。 81年とか生まれてないわ
皆さん親くらいの歳なんかな >>83
HAKKO PRESTOとはんだ吸い取り線を使っているよ
頭が膨れてるのは日立の電解かと?
これにΛコンが並列接続してある
入江氏が気に入っていた電解で
うちにあるものは全て容量もESRも異常はなかった
切り替えスイッチはMONOの時しか接点を通らないので
STEREOしか使わなければ問題ないよ >>85
知り尽くされている方からのアドバイスは大変勉強になります
頭の膨れているのはバランスボリュームの後ろに二列に並ぶコンデンサーです
これはΛコンではなかったですね、Λコンはその右側に並ぶコンデンサーですね、勘違いしていました。
ご自分でレストアされているのですか?
ご紹介の鏝はターボ付きで良さそうですね。
家にあるのはFX-600なので500度までしか温度が上がりませんので道具をそろえて取り掛かろうと思います。
実は家のΛ88IIは問題を抱えております
本機のバランスは左右各3ポイントづつ切り替わる方式ですが
左右最大位置でしか音が移動しない状態、つまり左右2ポイントまでは音は中央のままなのですが
これは切り替えアッテネーターの各ポイントの先に固定抵抗があり切り替わってゆく仕組みででしょうか?
アッテネーターの接点は見た感じ汚れなどなさそうです
左右1、2ポイント位置でも音の途切れなどなくセンターで綺麗に鳴っています
もしよろしければ引き続きアドバイス頂けますと幸いです
ずっとこの先も一緒に過ごしたいプリなので大切にしてゆきたいです
>>84
70〜80年代はオーディオが熱かった時代ですね
なので当時の機種を集めて楽しんでいます 回路図ならここにあるよSY-L88になってるけど
https://www.hifiengine.com/
バランスも使わなければ接点を通らないからそのままで
使いたいなら音が変わらない位置をテスターで確認してみたら?
DCアンプなんで出力に直流が出てないか確認したほうがいいよ >>88
URLまで紹介いただきましてありがとうございます
TP5 0V ADJ ってのがありますね、DCチェック行ってみたいと思います
バランスは通電せずにまずはテスターで見てみます
>>89
DCチェックにトランスかますのですか
深追いし過ぎて壊すパターンだけは避けたいので冷静に行きます
まずは裸になってシャワー浴びてきます
ありがとうございます >>86
500℃までしか温度が上がらないってそんなんではんだ扱うと失敗するよ。
基本的な知識欠落している。 >>91
レスありがとう御座います
gootのページで100wこての温度が545℃となっていたので自分のは少し低いかなと思っていたのですが何か間違っていますでしょうか?
ご教授頂ければ幸いです お世話になっています
SY-Λ88IIのバイアス値と計測ポイント、DCの調整個所などご存知でしたら教えて頂けないでしょうか
よろしくお願いいたします scientelec ma1ってアンプはどんなアンプ? 動作未確認ジャンク5000円買いかな? 80年代といえば、アキュM-1000、
ソニー TAN-R1
じゃないか?
世界に追いついただろう >>95
そんなの聞いたこともねーよ
そりゃ誰も知らない幻の名機かも!
んなわきゃねーわな、まず名前通りゴミだ >>98
プレーヤーとか他にプリメインアンプは作ってる様なんですけどー 感覚は思い出せない 歯が痛くて死にそうになっても歯医者で治ればその痛みは記憶に残らない
もちろん思い出せれば死ぬ思いをするからそれでいい
うまいにしたって体側で変わる 腹が減ってりゃ食パンでも最高にうまいはず
みんながすごいと決める
それはもう実力とかけ離れてもすごい何かを持つ
俺は壊れずいい音がするできるだけ小さく安いのを選びたい
昔からそうのはずだが現実は違う
現実は比較もできずできたところで感覚はあてにならず結局ブランドや名声にひかれてきた
で今回はせめてスペックは見ようと 信用するためにある情報は見とこうと思った
たとえ何もそれで明らかにならなくてもジョンアトキンソンの夢見たような美辞麗句の甘い説明はどうでもよくて
彼の数値は少なくともある程度の裏付けにはなると思った
あてにならない俺の記憶ではこの頃オーディオはいっぱいありなんというかステータス度が半端なかった
見よこのゴージャスなシステム!
だが大体ボーズの101に負けてた気がする
そのころの雑誌は数値じゃねーよ聴感できめんだよとかほざいてました
あんだけ重厚長大をあおり倒してたのに ちなみに今の雑誌はポエムが突き抜けて誉め言葉も尽きてしまい何が言いたいかまるで分らなくなってる
言いたい放題言い切った鉄男があんまり褒められないスペックのスピーカーをはやらせもした
断言するのはすがすがしいな 正解じゃなくても
仕方がないから各国のオーディオweb forumを見る羽目になったがおどろいたことにあんま変わんなかったw
お前らは煽り会うだけだし
ストロークがすくなくても受け持ちの周波数が得られるウーハー
できるけストローク小さく軽いドライバー 周波数その他の数値 これで選んだがまた失敗するかどうかはわからない
神を信じると黒いっ物も白くなる感覚のマジック 信じる者は救われるんだという暗示
これでいいと死んだカント
エージングで変わると毎日唱えるとご利益が増す
多分そんな日々がまた始まる
何かが正しいと判ずるには正しいものを知ってなきゃいけないがこれは矛盾する
二律背反 永遠に 正しいと規定するものを正しいと決めつけるのは循環論法になってしまう
共通の認識でいいとカントは死んだが
んなわけねーよばーかばーか オデオは悩むよな・・・
たまたま他人のいい音のシステムを聞く機会があったから
同じものを買えた自分はラッキー TRIO KA-7300をパワーアンプとして使ってます、結構気に入ってます。 当時のTRIOのパワーダーリントンユニットって意外と音は良いよね スイッチの入れる順番間違えると、スゴいポップノイズが出るのが難点です。 >>109
そうそう、その通りなんだよw
プリメインで使っている分にはリレーで遅れるんだけどね ちなみにスピーカーは1200円でゲットしたダイヤトーンDS-77HR
これも結構気に入ってます。 実家で発掘したトリオL-05M
今聴いても古臭い感じがない。 80年代の銘プリ、PRA-2000をイコライザーの為に買ってちょこっと自分でメンテして使用するか?
もしくは今のオペアンプに同じくらいのコストをかけてイコライザー作って手持ちのアンプに入れて使うか
どっちが幸せになりますか?
過去の銘機の実力に対して今のオペアンプを持っても太刀打ちできませんか?
実際家で使ってる機器たちは80年代のアンプやスピーカー使ってます。
現代のオペアンプの実力って実用になると思いますか?
どっちに投資すべきでしょうか? 何十年と使い続けた
山水 AU-9500 プリメインアンプ
ダイアトーン DS-22BmkII スピーカー
デンオン DP-60M アナログプレイヤー
ビクター KD-11 カセットデッキ
最近、パイオニアのPD-10AE CDプレイヤー
N-30AEのネットワークプレイヤーを繋いでる。
ジャンル関係なくオールラウンドに聞けるから面白い 半年ぶりに帰郷したら
テクニクスのSL-1600 が増えてた
大型ごみの日に拾ってきたと
80過ぎのジジ親が涼しい顔で言ってた
使えるという
俺が欲しいわい うちの親父は周りのオーディオ仲間が先に行って、遺品つうてご遺族から機材やソフト進呈の申し出でをうけることがある、つうてた。
頂いても生かせんからなぁ、と、お断りしてるそうだ。
オヤジの遺品は俺が生かすから安心しろとは言ってあるが。 >>122
もらってオークションで譲渡先を探してみては。
ゴミとして捨てられるより、オークションで売ってでも価値がわかる人に渡ったほうが機器も幸せだろう。 >>123
いや、80オーバーの爺さんには、それに費やす時間はないよマジで。
まだ現役で働いているし。 70〜81年代の音を聞き比べたくてヤフオクで安いアンプを買いまくって
気が付いたら20台にもなってしまった
もともと当時3万〜4万程度のものだからヤフオクで処分しようにも
入札入らないだろうがなんとか数を減らしたい
捨てるしかないだろうか >>125
オクで売れにくいものも、1円スタート3千円即決なら売れるんじゃ? >>125です。
皆さんご意見ありがとう
いろいろ考えてみます 何でもかんでも売れるとは限らんだろう
自分が買ったから絶対に買う人がいるとは限らん >>125
俺も70〜80年代国産プリメインのフラッグシップ機を
床が抜けそうなくらい集めてた時期があったけど、
いろいろあって今は数台しか残ってないよw 俺、親父の音基地仲間から譲ってもらったパイオニアSA9900を使っていた。
そのあとオンキヨーA810、それからヤマハA2000。
SA9900は良かったな。
取っておきたかった。 残数10台まで処分したがこれ以上は悲しくて処分できない
お気に入りに囲まれる生活は捨てれない
返事屋が少しくらい狭くなろうが無くなれば生きていく楽しみがない アナログは全て処分してしまった
重いしもうデジタルだよねと物悲しいものがあるが 1982のYAMAHA 当時4万程度のアンプをヤフオクで本当に申し訳ない価格で入手
電源以外のコンデンサーをオーディオ用に交換済みながら音が出ないという事
原因はバランスの可変抵抗器の不調
これが澄み切ったいい音で! 低音もただドンドンでなく気持ちよく出ている
前オーナーは愛着があって捨てられなくてこんな値段でも
誰かに大事にしてほしかったんだろうな
大事にしていますよと伝えたい やはり30年物はコンデンサーとか交換すれば音は良い方向になるのだろうか
どなたか交換した経験者の方教えてください 家の納屋にあったSupreme1ってアンプはロゴがKENWOODなのですが海外仕様ってことでしょうか? 日本で使えますか?
ネットで調べてみるといっぱい詰まったアンプらしいのですが直して使用するに値するアンプでしょうか?
ご存知の方教えてください、よろしくお願いします おそらくリアパネルの電源コードの近くに設定電源電圧は記入されている
100Vだったら日本向け
海外仕様でもアメリカ向けだったらそのまま使用可
音は…一度聞いてみたいな、ちょっと古すぎるけど >>143
お返事下さいましてありがとうございます。
確認しましたらswitched ac 100/117v 50/60cps とありました。
大丈夫そうですね。
古そうなので怖くて電源入れていません。
いろいろ詰まったアンプらしく修理できても高く付きそうで診てもらうか迷っています。
ルックスはカッコ良いですね >>143
>音は…一度聞いてみたいな、ちょっと古すぎるけど
KENWOODのSupremeシリーズなら、TRIO 700Mが絶対おすすめだよ。
音の質感が20万程度のプリメインとは段違い。
ツマミの質感もアキュフェーズに通じるものがある。
ただ、対になるプリのデザインが嫌で、悩んだ末売却したけれど…。 SONYのSS-G4(1979年)使ってる。ブックオフで一万そこそこで手に入れたけど、いい音で鳴ってる。
今時の10万以下の小さいブックシェルフより、こっちのほうがいいでしょ!?
いや、10万以上でも、こっちのほうがいいな。70年代最高!! 新品で買ったわ今も部屋にあるけどもうデカい音出せないから鳴らしてない
代わりにオクで3GX手に入れたら同じ音がして感激だった そのサイズのスピーカーはドフで安いから
たまに買ってきてしまうけど、置き場所に困ってすぐ売っちゃうなー。
安くしか売れないし、梱包が大変で罰ゲームスピーカーのイメージだわw PCモニタ脇スレよりコピペ
0539 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/26 08:46:37
YouTubeの動画の音声なんてあくまでも参考程度だな
それよりアンプによって音が少しずつ違うもんなんだな
最近数種類のアンプを取っ替え引っ替えしてみてるんだが
それぞれ聞こえ方というか音楽の表現の仕方が微妙に違う
面白いのは80年代の初級クラスの中古アンプ
劣化もあるだろうが、なんというか情報量の少ないドンシャリのわかりやすい音で意外にも悪くない
性能的にはそこそこ低くても音楽は充分に楽しめるもんなんだな
ベースノイズに神経質なタイプにはオススメしないが
デザインのテイストも今の製品には無いガチャガチャした感じで
ガンプラとかフィギュアのノリで見た目も楽しめるぞ
返信 ID:abtZ03Kc G4買うときはデカすぎるR5とどっちにするか悩んだわ聞くのはポップロックが基本だったし
買ったときは神経質な音だと思ったがその後ジャズ聞くようになってG4で結果オーライ
今Rも聞いてみたくなったからR1も落としてエッジ張り直してみたら明るい太い前に出るでやっぱロック用だな >>105
価格的には後継機のLS-500を今も使っている。
でもLS-202のほうが金掛かっていると思う。
https://i.imgur.com/5wNpKl5.jpg >>154
202は、大学の講堂でもブルックナーが鳴りきったよ 3万円くらいまでの予算で買えるCDプレーヤーオススメのもの紹介していただけませんか 3万円のなんて音質不満なのしか無いんだから、PC直結でいいよ >>149-153
ウチも去年G4をオクで落として使ってる。
競合もなく恐ろしく安かったんだけど、届いたのが超美品でラッキー・・・だった。
今も全部中古で買ったTA-F555ESXUと
CDP-555ESJ、TC-K555ESLにMDS-JA50ESと組み合わせて
歯切れよく松岡直也を鳴らしてる。 >>159
>> TC-K555ESLにMDS-JA50ESと組み合わせて
やっぱりレトロオーディオにはカセットデッキ必要ですよね。 ss-g7ってウーファーの取り外し大変みたいだけど
やった人どうですか フィルムコンいっぱい使ってるみたいだけど
電解コンは交換しないといけないよね 81年代?80年代の間違い?
80年台でまだ買う価値があるSPってなんですか?
セプター5001とか? >>162
ヤマハNS-1000M
トリオLS1000 どっちも持ってるな でもLS1000はコンデンサーがだめになってると思う
電解だらけだよねTRIOは LS1000は中古で4万程度か エッジはウレタン
だと思うけど意外と中古でもボロボロの見たこと無いし劣化してないね
テクニクスの平面なんかもそうだけど JBLなんかはほぼボロボロで直すの
面倒だから売っぱらう人多いけど なんか素材違うのかな
LS1000はウーファーの取り付けが特殊でトルク指定があるらしいしコンデンサー
変えようと思っても無理だよね 素人が今更手を出す代物じゃないね
ヤマハ1000もウーファーに問題抱えてるんだっけ >>159
149ですけど、G4て定音しょぼくないですか?
他所のを聞いて低温もりもりで、疑問になってきました。 ↑
ウチはむしろ低音がもっこりし過ぎな気がして
バスレフポートにふんわりスポンジを詰め込んだ
それでバランスよく鳴ってる気がしている真っ最中w 布エッジにダンプ材だからねえ今はカチカチでしょ
新品時は触るとベタベタしてたが エッジは綺麗でやわらかいんですけどねぇ
まあ40年前のものだから、当時の音とは違うんですかね 実家に学生の頃買ってもらったSONY PS-FL99があったので持って帰ってきました
以下3点、質問があるのですがご存知の方教えてください
アームがレコード面に下がる速度が速いのですが調整箇所があれば教えてください
針圧調整箇所はわかるのですが針圧自体を測る場合はどうするのでしょうか?
ボタンでアームを下げれなプラッターが回ってしまうので針圧計では測れません
T4Pのカートリッジを変えて試してみたいのですがT4Pという規格内なら取り換え可能でしょうか?
よろしくお願い致します 121なんだけど ジジ親から
SL‐1600 もらってきた
70年中頃?の製品なので
針・カートリッジ・ジンバル軸受け の状態は
42歳の厄年にちかく それなり悪いと思うのだが
72年のサイモン&GのLP 聞いてみた
CDで聞くのとは 違う聞こえ方がするです まずまず いいもんですね
うんともすんとも 動かなくなるまで
たまに 聞いてやることにします >>172
針は替えたほうがいいと思うぞ。
ダンパーのゴムが変質してたらサスガにやばい。 >>173
ありがとうございます
アマゾンかなにかで現行品のカートリッジを
調達しようと思います 高価でなくていいよね
音の違いが判ると楽しそうですね (*'▽') >>153
R5、懐かしいな。選んだ理由は30cmクラスで最安だったから。
TA-F55と一緒に買ってもらって洋楽とYMOを聞きまくりだった。 今帰宅
SS-G4からAORの百恵ちゃんの歌声が
いい感じで聞こえてくる。
やっぱ昭和歌謡は良えわ、故千家さんに合掌。 ソニーのSSシリーズはウーファーの取り外しが大変みたいだから
いやだな SS−G7のハイファイ堂の作業の記事にあったけど SS-G4とLS-202では、どちらが評価高いですか? 目糞鼻糞だろ
実際にどちらが良いかは今となっては分からないが
分かる意味ももはやないだろう >>179
中古しかないから今となっては程度の良い方だな
両方とも捨てがたいなら、しばらく楽しんで買い換えればいい。
Gシリーズはツイーターの断線が多いので買うときに注意。 ハイファイ堂でSP−G300買った人2年保証切れたからそろそろ
下取りだしてよ ほしいんで待ってるんです このころのSPって必ずアッテネーターがついてますけどカットしてます?
SB−Mでアッテネーターカットして配線するとバケるって見て
ほかのSPでも簡単にできるもんなんでしょうか
余計な回路を通る上に振動の影響を受けますので音の鮮度ガタ落ちしますよね
イコライジングとか中点で聴いて普通しないですよね セッティングでやるでしょう
いじりたいならAcoustic Research Limited Model 6 とか買えばいいでしょう
中古でしか買えないけどたいして高くない 中身はチェロだしね デノンのpm-380と言ったっけ、2000円で売れてびっくり ケンウッドのエスパスのアンプを現役で使っているのだが、最新の5万クラスのアンプと比較して音質はどうなんだろ。 >>186
求めるものにより、良し悪しが分かれる
まぁ今のD級は、個人的に嫌いだから
あたし自身は、エスパスと言うだろう ヤマハのYP-D10買った
インシュなし以外はけっこうキレイ。
おまけにDL103とAT150Eが付いててラッキー。 >>188
おめ。クォーツロック機でうらやましい。うちのYP-D8は回転が不安定になってもうた。直してくれるところあればいいんだけど。 >>190
すまんがそれのシリーズで名器はSS-G7だろ? G7が名機なら、同じ傾向のG4も名機かどうかしらんが
いいスピーカーなんじゃないかな このスレに該当しないかもしれませんが4・50年前の国産名機SPの値上がりが
ひどくて買えない・・・ 中古価格が10〜20年前の3倍くらいになってる
もうトールボイーイAV用SPしかどこも作らないし、ハイエンドはバカ高いのに
特性ばっかでつまんないのが多いから昔の買いたいんだけどなあ
オクでジャンク同然、保証もないのに中古店より高値で買ってるのは中国人?
ふっるいSPってオーディオ店で商品化しないからかな 安く買えたころに人とおり
そろえてあとは進歩してるDAC買い替えとアンプメンテ出すくらいでくそやすい
買値で上がりにした人はいいなあ 40〜50年となるとなんらかのリストアされてるだろうから人件費と思うしか >>190
G4良いよ
これがウチの場合ペア一万円以下で上物を入手。 G7はミッドが10pしかないのがやなんだよな 15インチでミッドが10pってなあ >>193
国産SPは安いのしか買えない状況なら我慢して使うけど、
高いの買えるなら海外製いっちゃうでしょ? G4はJBL4312Aと甲乙つけがたいって、オーディオマニアのおっちゃんが言ってた。
俺もそう思う。
>>195
俺もリサイクルショップで上物を\11500で入手。KEFのトールボーイも持ってたんだけど
G4のほうが自然な感じがして(70年代の音楽とか特に)早々手放した。
あのKEFはなんだったのか…… あとは真空管アンプにつなげてみたい‼ 国産JBLっぽいのってトリオの202じゃないの?ブルーバッフルだし
こっちのほうが普通は名機っていう世間の認識なのでは? 国産JBLっぽいのってトリオの202じゃないの?ブルーバッフルだし
こっちのほうが普通は名機っていう世間の認識なのでは? ごめん4312AとL100t両方持ってる時期があってL100手に入って
聞いた時音の良さにびびった 同じような構成なのにこんなに違うのかと
わりーけど4312Aはゴミだよ 値段もあるけどスタジオモニターユースと家庭用の違いじゃねぇの?
4312世代の頃はモニター用途をもはや果たしてたのか知らんが
この前店頭で4311Aが床直置きで鳴ってたけどよっぽどウチの4311Bの方が鳴ってた
上流機器の違いもあるしセッティング使いこなしもあるだろうけどね。 >>202-204
なんでそんなに必死なん、死にそうなんか? 206にみたいないうやりとりしかなくなったよねピュア板
人をバカにするレスしかできない無能 間違ったw 重複書き込みは勝手になっただけよくあるこ
訂正:206みたいないうこいうやりとりしかなくなったよねピュア板
くそ安い貧乏人用劣化ボロオーディオなんかに必死になるわけないだろばーか 捨て台詞を訂正するって、よっぽど几帳面な人なんだろうw >>209
語彙が乏しいのに必死になって
言うに事欠いて最後に『ばーか』wwww >>208
お前のほうが人のことバカにしてるだろww 実はスピーカーってこの頃から殆ど進化してないんじゃないかと思う
むしろコストダウンで退化してるんじゃ、とすら思う >>213
小型スピーカーで低音出す方向には進化してね?
能率犠牲にしてるけど。 >>216
まあたかが知れてるから私も AST-A10+AST-S1 を使い続けてるんだけどね。 >>215
でもSPが小さくなると空間表現が改善しない? >>218
それSL6が出てきたあたりで強調されだしたけど、ホントにそうか大いに疑問。 >>193
>このスレに該当しないかもしれませんが4・50年前の国産名機SPの値上がりが
>ひどくて買えない・・・ 中古価格が10〜20年前の3倍くらいになってる
残存数は減る一方だから、高くなって当たり前。
4輪2輪の高騰っぷりは3倍どころじゃないし、オーディオはまだマシな方。 程度のいいLS-202がオクに出てたのに
\12000で落札だったかな >>221
まあ、そんなもんでしょ? JBLやALTECじゃあるまいし かつての所有してたり、買えなかったあこがれの名機がハードオフでジャンク品として無造作に積み重ねられて陳列されている姿は
過ぎ去った年月がいやでも感じられてくるものがあるな・・・ SS-G4に真空管アンプつなげたった
ほんと最高ですわ >>228
ありがとう。
文化遺産だから末永く残してほしい。 >>224
APMにご執心になる前のソニーのスピーカーは良かったなぁ。
APMが悪いってんじゃなく、純粋にAPMだけなら良かったのに、
見た目がAPMなだけ(単なる角形フラット)、という濫造品まで出してたのがあかんかった。 出先の倉庫にビクターの古い金色のアンプが転がってた
「音が出ない」そうなので頼み込んでもらってきました
単なるボリューム接触不良で普通に鳴りましたよ!
臭いし汚いんでお風呂入れたら金色じゃなく銀色でした…70年代あるある(T_T) 安いモノ探してるんですがTrio L-07M L-07MII L-05M ってどうですかね?
SPはマグネパン、Victor SX-500、JBL4425などです HEY GUYS
悪くはねぇよ。モノラルだからスピカの蕎麦に於SP CABLEを短くすれば最良。
COMING SOON。 あれってL-07C専用のケーブルがあって成り立つもんじゃないの?
プリをSP近くに置けない普通のプリの場合、何メートル位RCAケーブル伸ばして良いのだろうか?
SPケーブル伸ばした方が良いかな? 当時の国内大手メーカー製ならRCAケーブルで数メートルは大丈夫だろう
ただし同軸構造でシールドが編組線じゃないヤツは環境によってはノイズ拾いやすい
高いケーブルでも環境ノイズに弱い物(ある意味で粗悪品)もいっぱいある ケーブルを選べば大丈夫ってわけですね
モノアンプゲットしたら是非スピーカーの足元に置いて挑戦してみます
TRIOの三種では結構差があるのかな?
お聞きになった事のある方のお話聞けたらお願いします ( ゚д゚)ハッ!
「オーディオケーブルの長さ」とはケーブルインピーダンスが
接続機器間、スピーカーアンプ間とかに合っているかという事です
10aでも100bでもその長さでインピーダンスが合っていなければ正確な音は出ません
たとえばまともな競技場とかケーブルが数百bありますが子供が踊りだすいい音ですよね
たとえばテキトーな長さのン万円の超高級RCAケーブルより
インピーダンスが合っていればダイソーの方が良い音になるのもあるあるです >>239
うちのSP6Ωなんだがアンプが弱いと音の立ち上がりがふにゃるぐらいしか考えてなかったわ
ケーブルはもう音好みの問題だな 70〜81年代モノなら、最近はハードオフよりも
セカンドストリートの方が多いな 70〜81年代ってたら、カセットデッキは、まだ手押しガッチャンが
いくつかある時代やな
ワシは既にフェザータッチしか持ってなかったが HEY GUYS
こんな暑い日は鉄男長岡センセー御推薦の芸能山城組「恐山」を再生汁!
大音量で再生すると背筋がゾっとするぞwww。
COMING SOON。 さて問題!次の説明に合うのは何?
【良く締まる○千匹○】で使えば使うほどに
締まりが悪くなる・・・
新品当初は月に一回血が流れる!
答は○○○ですが何か? >>242
オーディオで知り合った人の家に行った時
昔の弾き語りのテープ録音が奇麗だったので訪ねてみたら
なんと、
昔のナカミチのデッキにマイク端子が付いてたの見て
結構衝撃的だった
それがまたyoutubeの歌ってみたよりいい音させてんのよ
(歌唱力がいいとは言ってない) 1970〜1980の高さ60cm級のスピーカーがバカ安で゛
出ているけどもう、置く場所が無い
とりあえず置く場所があれば今所有ととっかえひっかえ楽しめるのに スピーカーで一番重要なスペックは寸法だ、って言いますからね。 マジかよ!
味噌ラーメンは、味噌じゃなくて、塩加減らしいな >>252
俺も最初はそう思ってました
1〜2セット買ったらタガが外れたように買ってしまうよ >>254
どのラーメンもそうだよ
カエシの量の微妙な加減 収納のプロとかよくマスコミが取り上げているけど
うちへ来てこのオーディオの山を整理してみて欲しいな
台所とか服を綺麗に並べてるの見てもなんとも思わない >>257
ああいうのは女性特有、なぜなら女性は掃除や片付ける能力が決定的に
欠落してるから。「できる奥様の整理術」なる本は存在して売れても、
「できるオヤジの整理術」なんて本は需要もないし存在すらしない。
単身でも男性よりも女性の部屋の方が汚い、というか不潔、水回りとか特に。
ソースは長年不動産屋に勤めてた俺が見てきた多数の物件。 あーあ、倉庫片づけでコーラルのスピーカーユニット出てきたんだけど、
一緒に作業してた奴がとにかく早くしろのモラハラ基地外で
俺が引き取るって言ったんだけど、目の前でぶん投げて捨てられた
中古相場2万くらいかな
もったいな… TA-F333ESX手に入れたお 自分にはこれで十分だわ コロナ禍で断捨離、高齢者死亡で
結構良いやつオークションに出て来たな あけおめ
ハードオフで大型ブックシェルフ買ってたら部屋の一画がテトリスみたいになっちゃった その通り。音楽制作スタジオでジェネレックやADAMなんかのアクティブモニターSP使われてるが
これらは内蔵DSPでTW、WFの帯域分離をデジタル領域で行い、バイアンプ駆動。
パッシブクロスオーバー回路なんて信号劣化が半端なく大きいし、シングルアンプで高音から低音までのスピーカーユニットを駆動しようとするから巨大な電源部が必要にある。
マルチアンプ化すれば大出力電源は低音用だけで済む。もっと言えばD級アンプマルチアンプなら小電力、省スペース。
ネットワーク回路内蔵パッシブスピーカーは猿でも使えるようにした一般家庭用の物で、
ハイエンド領域に踏み込むならDSPで帯域分割、音場補正をデジタル処理で行いマルチアンプ駆動になる。
信号劣化ネットワーク回路内蔵のSPをクソ重くて電力バカ食いA級アンプでシングルアンプ駆動なんてアフォなことに、団塊世代に無駄金を使わせてきたのがオーディオ業界。 C-222にE-302のパワー部が殊の外良い。
まるでどこかの試聴室で高級オーディオ聴いてるよう。
あくまでC-222をフォノプリとしてE-302のライン入力で接続するのとE-302をセパレートモードのパワーアンプとして接続するのとどっちが良いのだろう。
自分はプリプリになっちゃうから音の純度、ダイレクトさでみるとパワーアンプとして使うほうが良いかなと。 いつの間にか798アンプが4台も揃ってしまった。各社、音が違って楽しい。 時々オクに出てくるMARBLE(SANYU CORPORATION)という昭和のスピーカー、全く情報が無いんだけど
ユニットがどう見てもアイデンぽいんだけどやはりそうなのだろうか?
アイデンのユニットがOEM供給されているメーカーは知っているだけで
クライスラー・OTTO・AIWA・marantz・clarion・EVANS等だけど、
昭和はマーブルのような消えて行って情報もほとんどないガレージメーカーもたくさんあるのかな。 FOSTERも?
古いスピーカー能率が良いからか鳴りっぷりが朗々としているのが多いよね、別に高級機じゃなくでも。 Pioneer SA-910を引っ張り出した
取説はないけど箱完備(使うから戻した)
なにこの名機…!? このコピペ劣化したね
オーディオを分かってない奴が書き足してる 【その1】
「私にとって、飛翔の研究はきっと宿命なのであろう」と言って、幼少の頃、鳶の夢を見た話を彼は手記の中に書いている。
腹這いになった人が両足を揃えて屈伸して翼をはばたかせる絵が有名だが、彼が最後まではばたき飛行機に固執してついに凧型飛行機(現代の飛行機)を思いつかなかった点で彼を責める人がいるが、彼ははばたきの原理自体を理解していなかったようである。
彼のはばたき飛行機は、はばたきによって空気を下へ押さえつけて飛ぼうとするものである。
レオナルドの飛行の原理を図式化すると、落下傘の下へ長い綱を下げて、落下傘の下降速度よりも速い速さでその綱を手操って空へ昇っていこうとするのと同じである。
はばたきによって空気を下に押さえつけるには、翼が下がるときだけ空気を押さえ、翼が上がるときには空気を逃がすようになってなくてはならない。
彼は、小さな弁の集まりのような翼を考えたりしていろいろ工夫しているが、おそらくうまくいかなかったのではないだろうか。
彼はずいぶん鳥を観察しているのだから、鳥は決してそんな飛び方をしてはいないことに気づいてもよかったと思うのだが、彼には翼に働く『揚力』という現象が最後まで掴めなかったようである。 【その2】
鳥がレオナルドの考えたような飛び方をする機会は一回だけある。
それは着地の瞬間で、鳥は一瞬空中に停止し、水平よりもかなり上向きの姿勢になって、翼を水平面内でぱたぱたと振る。
その時、翼の面はおおよそ垂直であるから、この翼の使い方は、お寿司の御飯をあおぐときの団扇の使い方と同じである。
空気を下へ押さえつけるために翼は水平面内でぱたぱたと振られる。上下にはばたかれるのではない。鳥が翼を上下にはばたきながら、しかもレオナルドの想像したような原理で飛ぶ機会は一度もない。
鳥は前進しながら翼をはばたくのであるから、翼は正弦曲線の軌道に沿う運動をする。
その間、翼は常にこの正弦曲線に接する向きに保たれる。従って、はばたきは前進の為の推力だけを生むのである。
鳥の重量を支える『揚力』は、鳥が空気中を前進すること自身によって自動的に得られる。
飛行機と違って翼は固定されてないから、翼の空気に対する相対的な運動の向きは鳥の前進の方向と同じではないし、また、たえず変化する。
『揚力』はいつでも翼の空気に対する相対運動の向きに垂直に働くから、細かく議論すればかなり複雑な説明が必要になるが、大局的には飛行機が『揚力』を得るメカニズムと同じである。 【その3】
つまり、鳥と凧型飛行機との間に原理的な相違はない。推力を生む方法だけが異なるのである。
はばたきによって推進を生む方法は全く合理的で、プロペラに比べて少しも劣るものではない。現に、それがきわめて効率の高い推進法であることは、渡り鳥の長大な飛行距離が示すとおりである。
もちろん機械として見れば往復運動よりも回転運動のほうが優れているが、流体力学的な点に関しては、はばたき式推進法に不都合な点は全くない。
したがって、レオナルドがはばたき飛行機に固執したことは、それ自身では少しも間違いではない。彼がはばたきの機能を正しく理解していなかったのが欠点なのである。
しかし、その点でレオナルドを責めるのは酷であろう。現代の自然科学者でも、はたして何パーセントが鳥の飛行の原理を正しく理解しているであろうか。
物事を正しく見るということは、どんな場合にも、大変むずかしいことなのである。
鳥類の生態観察でひとつの学問分野をひらいたニコ・ティンベルヘンでさえ、飛翔のメカニックについてはレオナルドと同じ誤りをおかしているのである。 【その4】
人間機械論という言葉を、私ども現代人は、人間といえども自然法則の支配下にあるひとつの自然現象にすぎない、というきわめて広い意味に解釈するのが正しい。
もちろん、厳密にいえば、人間を自然現象と見るのはひとつの作業仮説にすぎないが、現実の問題として他に考えようがないのだから、我々はそれを自明のこととして受け取っている。
人間がひとつの自然現象であるというのは、超自然的な影響力の支配下にはないということでもある。いいかえると、物質的な因果関係によって記述し尽くすことができるということにもなる。
物質的な因果関係を追求するためには、まず人体の構造を知らなくてはならない。
生命現象は本質的には化学変化なのであるから、屍体を解剖して内部構造を明らかにするだけでは、試験管の形を見て中の薬品を当てようとするようなもので、生命現象のいちばん大切な部分は解らないわけであるが、まず解剖によって内部構造を明らかにするのがアプローチの第一歩であるのはいうまでもない。
ここからが本題になるのだが、ヨーロッパ人の考え方の大きな特徴のひとつは動物と人間との間に明確な一線を引きたがることである。
ダーウィンの進化論が白人の世界では猛烈な排斥を受けるのだが、日本には殆ど抵抗らしい抵抗を受けること無しに入ってはきている。
それはダーヴィニズムに対抗するはずのカトリシズムが日本にはなかったからだという説明では説明にならない。
ダーヴィニズムを排斥する精神がすなわちカトリシズムを生む精神であり、それが西欧人に特徴的な、人間と動物との間に一線を隔したがる精神なのである。 【その5】
レオナルドの手がけたいくつかの記念碑的作品は、ほとんどが悲劇的な運命をたどっている。
『晩餐』は完膚なきまでに手を入れられてしまったし、『騎馬像』はついに青銅に鋳られる機会を得ず、粘土の原型のまま土に帰ってしまったし、『アンギアーリの戦い』は形をなす前に彼自身が仕事を投げ出してしまっている。
唯一の例外がウフィツィ美術館の『三王礼拝図』で、未完成ではあるが、完好の保存状態で残っていることを私どもはせめてもの慰めとしなければならない。
厳然として圧倒してくるこの絵の威容をなんと表現したらよいであろうか。
私はこの絵に対比させ得るものは法隆寺金堂の壁画以外にないと思っている。
逆に法隆寺金堂の壁画に対比させえるものもレオナルドの『三王礼拝図』以外にはない。
これらふたつの絵に共通するものは「玲瓏透徹にして翳りなし」とでもいった印象であろうか。
世の中には暗くて不明瞭であることによって神秘感をかもし出しているものがいろいろある。東洋の仏画の神秘感はだいたいそれで、法隆寺金堂の壁画はきわめて顕著な例外ということができよう。
法隆寺金堂の壁画にも『三王礼拝図』にも隠微なところは全くない。
すみずみまで明瞭である。しかも、峻烈きわまる高さがあり、すさまじい威圧がある。
若き天才の緊張した精神そのものの顕現とでもいえよう。 【その6】
やや緑を含む鳶色の地塗りの上に濃い紫で下書きの素描をし、ハイライトを白で描き起こしている。鳶色と紫のコントラストがなんともいえず効果的で、絵全体が鳶色に輝いているように見える。
法隆寺金堂の壁画のようだと書いたが、このふたつの絵は線の質に関する限りまるで違う。
法隆寺の壁画の線は太さの変化のない、きわめて図式的、説明的な線である。
『三王礼拝図』の線は筆がかすれるのを物ともせずにぐいぐいと引きまくった実に豪快な線である。妙心寺竜泉庵の長谷川等伯若描きの『枯木猿喉図』、あの線がまさにレオナルドの線である。
レオナルドについては遅筆、逡巡ということがいつも言われるが、実は彼はルネサンスきってのクロッキーの名手であり、形を取ることが素敵にうまい男なのだ。
その頃の画家が大きな絵を描くときには、まず原寸大の完全な下絵を作り、それを板、あるいは壁の上に重ねて、下絵の輪郭に沿って針でちくちく刺していったり、錐の先でぎーっと力を入れてなぞったりして下絵の輪郭を板や壁に移し、後は塗り絵のようにそれぞれの部分をそれぞれの色で塗りつぶして仕上げてゆくのが常法であった。
しかし、レオナルドはごく初期の絵を除いてこの方法を使っていない。彼は原寸大の下絵というものをほとんど作ってないし、『聖アンナ』のように、原寸大の下絵を描いたと思われる場合にも、それを板に移す時にはもういちどフリーハンドで描いている。
『三王礼拝図』の場合は部分の練習はたくさんやってるし、構図の工夫もいろいろしているが、原寸大の下絵はおそらく描かなかったであろうし、描く必要がなかったことは原作を見ればよくわかる。
肖像画では『ジネブラ・ディ・ベンチ』については美しい手の素描が残っているが、『モナ・リザ』については、関係のありそうな素描は一枚も発見されていない。
完全なぶっつけ本番で会ったと私は思う。 【その7】
『三王礼拝図』は、同心円形という構図の基本線だけは決まっていたが、細かい点は決めないままで描き始めている。
影の部分を暗く塗っているうちに、混沌の中からあるイメージが形をなしてくる。するとそれを描き込む、とでもいった要領で細部に描き進んでいるように思える。
既に描き上げた部分も、他の部分をひとまわりしてきたあとで、何度も訂正されたであろう。浮動的な部分をまだ多く残した段階にある絵で、下絵として決して完成しているわけではない。
レオナルドの構図に対する要求が非常に高い水準にあったことは、『晩餐』や『聖アンナ』を見ればわかるとおりであるが、『三王礼拝図』のこれだけ多くの登場人物を『晩餐』の程度の完璧な構図にまとめ上げることは、さすがの彼にとっても容易なわざではなかったであろう。
この絵はいつまで見ていても、人物がいくらでも新しく見えてくる不思議な絵であるが、その大ぜいの人物の組み合わせにはまだまだいたるところに混乱がある。
遠景の奔躍する馬や人の群れなどは画家の遊びのようにさえ思える。 【その8】
此処で、レオナルドに於ける【完成】について触れなければなるまい。
まず確認しておかなければならないのは、レオナルドにとっては、「絵画は色のある素描ではない」ということだ。
レオナルドがほとんどすべての作品を未完成の状態で残したのは、不幸な偶然の積み重なりと素直に解釈するのが正しく、全体に共通する一貫した意味はないと私は考える。
未完成画のひとつひとつがそれぞれ別の理由で未完成に残されたのである。
言い換えれば、レオナルドの未完成作品は製作の途中で終わっている作品であって、あの段階で終わることを始めから意図して作られた作品ではない。
しかし、ひじょうに良い調子が出ているので、あのままでも芸術品としてじゅうぶん鑑賞に耐えるというにすぎない。『モナ・リザ』とてこの範疇にある絵画であることは忘れてはならない。
幾多の美術批評家たちの戯言は無視するとして、レオナルドに於ける完成の一例として、たとえば『モナ・リザ』の【右手(腕ではない)】を私はあげよう。
ここに私はレオナルドのスフマートの神技を見る。
しかし、このアルティザン的な絶技はそれを駆使する芸術家としての彼の精神があってはじめて生かされるのであって、レオナルドにおける完成は断じて職人仕事ではない。 【その9】
ヴェッキオ宮殿の大壁面にはレオナルドの『アンギアーリの戦い』とミケランジェロの『カッシーナの戦い』が対峙するはずであったのは有名な史実である。
もしこの二大壁画が完成していたら、チンクェチェントオ広間はルネサンスの記念碑的大広間となり、空前絶後の壮観を呈する至宝の空間となるはずであった。
そこにはウィンザー城やヴェネツィアのアッカデーミアに現存する素描下絵に片鱗が伺われるような、戦塵を巻き上げて激突する人馬の群れが転々と配置されるはずであった。
ルーベンスの模写に残る軍旗を奪い合う乱闘場面、ブタペスト美術館の怒号する戦士の顔が脳裏に去来する。
これこそ、真にレオナルドの名に値する宇宙的雄作になるはずであった。『アンギアーリの戦い』が完成しなかったことによって、ルネサンスは最大の遺産を失った。まさに人類史な痛恨事と言わなければならない。
『モナ・リザ』の画家レオナルドは東洋的静謐の画家と見なされているが、それは正しくない。疾風・激突・叫喚こそ彼が生涯追及して止まなかったモチーフであった。
前にも述べたように、それまで最も静かな画題であった『晩餐』を彼は激動場面としてとらえている。
スフォルツァの騎馬像も彼は後脚で躍り上がる構図を考えていた。これは技術的な理由で、結局普通の騎馬像型に落ち着くが、彼にしてみれば不本意な妥協であっただろう。
七メートルに余る巨大な騎馬像を後脚だけで支えることがもし構造力学上可能だったならば、彼は当初のままの構図を選んだに違いない(後年、馬の下で腕を伸ばし馬の腹に手をあてる戦士のインスピレーションを得て、この構造力学上の問題は解決する)。 【その10】
レオナルドはなぜ『アンギアーリの戦い』の壁画を完成しなかったのであろうか。
乾燥に失敗して絵の具が流れてしまったためとも言われ、下地が不適当であったために絵の具が壁に馴染まず、剥落してしまったためとも言われる。真相は不明である。
が、私は、マドリッド手稿に彼自身が書き残している1505年7月15日の嵐によるカルトーネの冠水という事件を重視する。
冠水によるカルトーネの破壊は、彼の精神にとって、一種の転機をなす事件ではなかったかと想像されてならない。
これは全くの想像にすぎないが、彼には、自分のカルトーネが急にみにくいものに見え始めたのではないだろうか?
大自然の暴威の前に、戦争画というものが、いかにも児戯に類する絵空事に見えてきて、いわば目の前の塵の落ちたような心境だったのではないだろうか。
『アンギアーリの戦い』は、もう精魂を打ち込むに値する対象ではなくなってしまったのであろう。
剥落であれなんであれ、仕事を放擲する口実にさえなればなんでもよい、要するに早く縁を切って次の仕事にかかりたい心境になってしまったのではないかと私は想像する。 【その11】
『イザベラ・デステの素描』がルーブルにある。
この素描を眺めながら、額から鼻筋、くちびる、おとがいから喉へと、レオナルドの正確きわまりない描線のあとを静かに眼で追っていくのが私のお気に入りの楽しみのひとつである。
イザベラがあれだけ熱を上げていたのに、レオナルドのほうは彼女を全く無視していたと見る人もいるが、そうではあるまい。
レオナルドほどの芸術家がこれほどの女性に心を動かさないはずがない。イザベラのあまりにも性急な懇望に応じきれなかったというだけで、彼は彼なりのペースで悠々と彼女を反芻咀嚼しながら肖像画の構想を練っていたのである。
【その12】
しかし、レオナルドはついにイザベラの肖像画を描かなかったではないかと言う人があるかもしれないが、そうではない。彼はイザベラを油絵にしているのである。
ルーブルの『聖アンナ』の聖母はまさにイザベラその人ではないか。理想化されているとはいえ、おでこな額、やや上を向いた鼻筋、いたずらっぽい眼つき、抑揚のある薄いくちびる、あごから喉にかけてのおもむきなど、あの聖母こそイザベラである。
一歩ゆずるとしても、イザベラとモナ・リザとの間に生まれた庶子である。
レオナルドといえども、イザベラなしであの聖母を創造し得たとは私には思えない。 【その13】
『聖母アンナ』
はじめに、この絵は全く未完成な段階にあるということを確認しておかなければならない。
レオナルドの作品中いちばん完成度が低いのは『三王礼拝図』で、これは全体の布局さえもまだ完全には決まっていない。
登場人物はもっと増えるかもしれないし、減るかもしれない。背景の騎馬戦などはたぶんある段階で消え去るべきモチーフであろう。もちろん彩色は全くない。
『三王礼拝図』よりももう少し先まで描き進んだのが『聖ジロラーモ』である。この絵は、モノクロームの下書きが終わり、背景の一部や聖者の顔(私にはレオナルドが毎夜解剖していた死体の顔に見える)にわずかに彩色を始めたところで終わっている。
それよりもさらに進んでいるのが『聖アンナ』で、画面全体に簡単な彩色をして、色の調子が整ったところで終わっている。聖母の顔はおおよそ完成とか言う人がいるが、そうではない。
聖母の顔には額、あごの先、頬骨の上に白でハイライトまで入れてあるが、それは調子を見るためのもので、最終的なものではない。
この絵が完成からほど遠い状態にあることは、写真や複製でもわかる。キリストの向かって左側の輪郭線が、聖母の右手を境にして、上下で十五センチも食い違っている。たぶん、下半身が古い線であろう。
描き進むにしたがって、キリストの上半身は位置や大きさを修正されて現在のように変わった。修正が下半身まで波及しなかったのは、さすがの彼も、仔羊のできばえに未練があって、その辺はいじりたくなかったかので、あとまわしになったのであろう。 【その14】
レオナルドが、完成という言葉でどの程度の状態を考えているかは『モナ・リザ』を見るとよくわかる。
『モナ・リザ』ももちろん完成した絵ではない。著名な識者は「専門家が辛うじて指摘し得る程度の未完成」などと言っているが暴論もはなはだしい。
左手が未完成であることは誰が見ても一目瞭然である。他にも、たとえば左肩から胸にかけてかかっているものが、現状では、たぐまった布よりも、むしろ籠の鉉か何かのように見える。
こんな不得要領なもの(例をあげればきりがない)を含む状態で完成画とはとてもいえない。
しかし、たとえば右手(腕ではない)などは彼自身もほぼ完成と考えていたのではないだろうか。
私は『モナ・リザ』の実物を見て、レオナルドのスフマートの絶技にあらためて舌をまくと同時に、私どもの持っている複製技術、写真とか印刷とかいうものがいかに幼稚な段階にあるかをしみじみ考えさせられた。
現在の複製技術にとって、レオナルドを伝えることは全く力に余る。最近の『モナ・リザ』の複製を見ると、亀裂がひとつひとつ鮮明に映っていて、いかにも本物そっくりでありそうに見えるが、たとえば右手の微妙な凹凸感、透明な肌に透けて見える血管に流れる血液の温もりなどは全部飛んでしまっている。
複製でのっぺらぼうな『モナ・リザ』ばかり見ていると、いつかそれがほんとうの『モナ・リザ』でもあるかのように思えてきてしまうだろう。
それを避けるには、実物の直接鑑賞しかないのであるが、私自身は「8Kカメラで撮影した8K画像」に期待している。
4K画像を遙かに上回る(まさに窓である)現在所有している「パイオニアPDP-5000EX」画像を凌駕するとしたら「8Kカメラで撮影した8K画像」しかないだろうから 【その15】
1501年のカルトーネは結局油絵にはならなかった。構想が更に大きく変わり、キリストの受難を象徴する仔羊が洗礼者ヨハネで置き換えられる。この段階を示すのがロンドンのカルトーネである。
結果的には、ロンドンのカルトーネはいわば寄り道となる。
『聖アンナ』は三位一体画とも呼ばれ、祖母と母と子で三位一体を象徴する神学的意味を持つ画題である。単なる聖家族の絵ではない。
したがって、受難を象徴する仔羊があってはじめて神学的な意味における構図が完成されるのである。
しかし、この寄り道をすることによって彼の構想は最終的にふっきれたように思う。ロンドンのカルトーネのキリストの位置まで聖母が前にかがみ、ヨハネの位置までキリストが移動したのがルーブルの絵の構図である。
レオナルドが、幻想の中で、ロンドンのカルトーネの背後にルーブルの絵の構図を認めたのであろうと、私は思う。
ルーブルの『聖アンナ』を彼は死の直前まで手がけていた。彼はこの絵を楽しんでいたように思える。この絵にかかっているときが彼にとっていちばん自分の時間ではなかったかという気さえする。
暇さえあればこの絵に帰ってくるのが彼の最晩年の生活だったように思う。
聖母の足もとの小石がひとつふたつかなり念入りに仕上げてある。小石の変に硬い感じが実に良く描けている。
しかし、この調子で全体を仕上げるとしたら、一体いつでき上がるつもりだったのだろうかと苦笑を禁じ得ない。
時間など完全に超越してしまって、こつこつ仕事をしていたのであろう。ハイゼンベルク教授がいつ完成するともしれない統一場の計算をこつこつと進めていた様に似ている。 【その16】
背景の山水にはウフィツィの『聖告』の背景以来の伝統がある。突兀たる奇岩の重畳は『聖ジロラーモ』や『岩窟の聖母』でいちど中景から前景にまで押し出してくる。『晩餐』では室内から窓越しに見えている。『アンギアーリの戦い』もおそらくこのような風景の中で戦われるはずだったであろう。
『モナ・リザ』で再び遠景として扱われる。『聖アンナ』の背景はその到達点であり、完成である。
ドロミーテン・アルプスを連想させる急峻な山々が奥へ奥へと重なりながら、どこまでも深まってゆくおもむきは無類である。これほど画格の高い絵は、『雪舟の山水図』意外には無い。
レオナルドの『聖アンナの背景』には水墨画の山水にはないふしぎな光がある。輝きがある。
この光と輝きというのは、三王礼拝図』以来レオナルドの絵に固有のもので、おそらく色の対比と、それから逆光をじょうずに使うことによって生み出すのであろうが、画中の空間が光を含んでいるような感じがするのである。
彼は大気を輝きとしてとらえ、それを表現することに成功している。 【その17】
『聖アンナ』の聖母は、絵画史上にに創造された最高の個性のひとつだろう。
識者はモナリザ以降彼の絵にあらわれる新しい女性類型などと訳のわからぬ解説をするが、とんでもない。
この聖母は、前にも書いた通り、『イザベラの理想形』である。
「何ごとにも動じない、落ち着いた、ものごとを悪戯っぽく眺めている愛想のよい女性」というブルクハルトの言葉は、この聖母にこそぴったりあてはまる。
私の娘に言わせると、「お手玉のじょうずそうな」聖母である。
よく発育したしなやかな体軀は成熟した女性美の典型である。考えぬかれたポーズによって、ピンクの着衣に空色のマントという図象学上の約束が最高の絵画的効果を生んでいる。
この聖母に理知的なアンナを対比させる構想は、ロンドンのカルトーネのものをそのまま踏襲している。
この絵が完成にはほど遠いことは、聖母の右腋下から腰の上部にかけて盛り上がっている衣服のたぐまりも気になるし、この襞は即物的合理性を欠いている。
ぼかしの技術も拙劣である。
この聖母は、母親ディオーネの膝に身を横たえて「神々の安逸」にひたっているアフロディーテの分身である。レオナルドは、アペルレスかポリグノートスでも描きそうな絵を描いて了ったのである。
『聖アンナ』の全体的印象をひと言であらわすとしたら、俳諧がある。
人生の黄昏に臨む大天才の枯れに枯れきった全人格を彷彿させるような絵である。良く費やされた人生は老後に飄々とした一種の境地をもたらすもののようである。
アインシュタインやハイゼンベルクとか、そのいかにも蝉脱した人柄は充実した人生の年輪のようなものを感じる。
『聖アンナ』の印象はまさに彼らの印象に通じるのである。 【その18】
レオナルドとほぼ同時代の日本の水墨画家である『雪舟』の
・『紙本墨画秋冬山水図』2幅、各47.7cm ×30.2cm(東京国立博物館)
→特に冬山水図
・『四季山水図巻(山水長巻)』1巻、縦39.7cm×横1592.0cm(毛利博物館、文明18年(1486年))
こそ、レオナルドの『聖アンナ(ルーブル美術館)』『モナ・リザの右手(ルーブル美術館)』『聖ヨハネ(ルーブル美術館)』『アンギアーリの戦い(存在せず)』『完成直後の最後の晩餐(修復され原作は想像するしかない)』に 匹敵する、強靭な精神が描いた人類の至宝である。 以上【その1】〜【その18】
これは1973年前後に、私の思考メモノートに私が書きしたためた文章を、ここに改めて書いてみた。
当時8Kなどというモニターは無かったから若干の補足はある。
この当時使用していたスピーカーシステムは、確か「K.E.F.のconcerto」だったと思うが、トリオの家具調ステレオにカートリッジのみシュアを使用し聞いていたかもしれない。
50年近く昔のことだが、レオナルドに対する考察は当時も現在も全くぶれてない。 「ヤマハのNS-690」
もこの時代の製品だったと思う。
御茶ノ水のユニオン最上階の試聴室には
JBLのオリンパスやアルテックのA7が鎮座していた。 当時は音質に妥協しない純国産の銘機があった。
今では部品が製造終了していて入手困難。 PMA−60のヘッドホン部と310USBとではやっぱり聴いて明らかな違いがあるのですか? リサイクルショップで発見してやっとレストア完了したこのデッキなんですが
ネットでは全く情報が見つからず困ってます
この東芝MT-3010について詳細ご存じの方いたら教えてほしいです
たぶん70年代の機種だと思うんですが…
https://dotup.org/uploda/dotup.org2705502.jpg.html >>296
このページの「凝る人のメカニズムが勢ぞろいしました」のページの狭間にある。
タテ形スタイル丸形ダイヤルAM/FMカセットテープステレオ MT-3010
昭和49年の新発売で99.800円
セットのスピーカーがSS-301、18000円
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/8882/S49CATO.htm
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/8882/t4903_2.jpg
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/8882/t4903_3.jpg
ここまでは割とあっさり見つかった
というわけで、このサイトの運営者に聞けばさらになにか情報あるかも。 >>298
おお確かに載ってますね!当時のカタログは盲点でした
教えてくれてありがとうございます
しかし当時で10万円とはかなり高級機ですね… 【正】リッチはソファに座って、大型システムでfar(遠い)フィールド 日本で最初のレコード盤のテレビCMと言えば
布施明のアルバム「シクラメンのかほりから」キングレコード1975年リリース
という事らしいですが、本当でしょうか? プリメインは寝室にL-550、E-302
あるところに#1250
どれも素晴らしいしサウンドにキャラクターがある気がする。
ブランドイメージを体現してるというか。 >>293
同じヤマハでも、友人宅の「黒光りしたNS-1000M」は酷かった。
ベーム&ウィーンフィルハーモニーのブルックナー交響曲4番(LP)が聞くに耐えない音で鳴った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています