>>254
>>「主観」とは異なる「何らかの要因」によって「体の機能や知覚を変える」ものだと言える

>これを否定する>>248に書いたことをスルーするから問題なんだよw

そんな覚えはないがw

そもそも
>>「主観」とは異なる「何らかの要因」によって「体の機能や知覚を変える」ものだと言える
はプラシーボの効果を限定したものではない

>>249
https://wired.jp/2014/01/30/placebo-effect/
>痛みからの解放を期待するだけで、強力な鎮痛剤であるモルヒネと同等の「無痛」を引き起こす人達が一定の割合で存在する。
>これが「プラシーボ効果」と呼ばれるものだ。驚くべきことは、痛み止めを飲んでもいないのに、鎮痛剤の効果を抑制するナロキソンを注入された患者は、それがどう作用するかもわからないまま、再び痛みを感じ始めたことだ。
>偽薬で緩和された痛みは、ただの暗示効果ではなく、生化学的変化を伴う事実を示している。プラシーボとは、本人の自覚なしに体の機能や知覚を変えるものなのだ。

>つまりは「主観」による「暗示効果」に加え
>「本人の自覚なしに体の機能や知覚を変える」
>という特別な効果を得られるものが「プラシーボ」なんだよ

とした時点で
プラシーボが「暗示効果」「心因的・心理的効果」を含むことを認めている
というかそれ以前からそんなことは折り込み済みだが
自論を展開することに際し
敢えて「プラシーボ」の「暗示効果」「心因的・心理的効果」と「主観」とは異なる「何らかの要因」とを分離して論じている