本当の教育って何だらう。。。part.1 [無断転載禁止]©2ch.net
今も昔も学校って優秀な人材を育成する教育はするけど、実際にはほとんどが落ちこぼれるか普通に落ち着くわけで、夢を叶えられなかった時の自己啓発とかも教えた方が良いんじゃないのかなと。
学力や収入だけが全てじゃないと。
あと、過疎化が進む地方創生のためには学校と言う形態はコストに見合わないと思うので、高卒と同程度の学力を保証して高卒じゃなくても大学受験する資格大検とかみたいな資格形式とか、昔に戻って寺子屋形式も認めるとかどうだろう?
もう一つ、経験上(理科が好きで理科系だけは高校でも一番だった)学問を好きになってもらえれば勝手にグングン子供の学力って伸びると思うんだよね。
私にとっては漫画やアニメと科学や数学の専門書は同じく位置にある。
子供の頃はアニメと迷ってわくわく動物ランドとか生き物地球紀行見てた。 なまじ自由があるから悩みも深くなるのかもしれない。
自由があるように見えて実はないから、一々自分を奮い起こさなければならない。
忙しすぎて悩んでる暇なんかないという境地に突き抜けられない。 うじうじ?きれいな心になりますよ。経過を経た方が。 でも最後は人生に出口なんかないということに思い至れるかどうかだと思う。
それが当たり前になれば見える景色も違ってくるのだろう。 最後?まだ過程じゃないわけだ。オバマケアまだ依然効果あると思うけど。 人生が楽しい、そうあるべきというのがそもそもの勘違い。
面白くもない世の中をどう面白がって生きていくかで、環境を自分のものにできるかどうかが決まる。 面白くない原因は自分のつまらなさなんだから面白く生きれば世界は面白く
なっていく。 人生に過剰な意味づけをする人間ほど、少しでもうまくいかないと
自暴自棄になって犯罪を犯したり自殺したりする。
全ての人間が成功する社会など存在しないので、
落ちこぼれた人間でもそれなりに生きていける社会を目指すべき。 男子は包茎手術をする事ですね。それが真の教育です。 自分の中に譲れない一線を持っていない人間が人から尊重されるわけがない。
周りとの調和も通すべきは通す自分があった上でのこと。 もちろん譲り合いの精神は大切。
ただここから先を譲ると自分が自分でなくなるというラインが分かっていれば
相手にそれを押し付けることもなくなる。
それがお互いの人格を認め合うということ。 人生なんか所詮暇つぶしなんだから、もっといい加減に生きればいいのにな。
四角四面の真面目バカにも困ったものだ。
狭量・過信・自己保身といった不誠実は、
人生に確かな手ごたえを過剰に追い求める態度から生まれるということは言い添えておく。 金と暇があればいいけどね。
金もないのに暇こいてる奴は結局は誰かが迷惑する事になる。 別に充実した人生をおくるだけが人生じゃないから。
そういう人は心の空白を穴埋めしてるんだなと思ってる。 自分の価値なんてものは自分で決めるもの。
他人がどれ程よってたかって否定したところで、自分さえあると思えば価値はある。 損しない限り他人には親切にすること。
しかしながら物事の筋は通すこと。
これさえ押さえておけば自分本位でいい。 どんな人生であれ価値があると思えばあるし、ないと思えばない。
逆に言えば人生なんてその程度のもの。
望むと望まざるに関わらず今ここで生きているのだから、
自分だけでも自分を肯定した方が少しはましな人生を送れるかもしれない。 みんな自分のことで精一杯。
他人のことにかまけてる余裕はない。
また情けをかけている相手がそれをすんなりと受け取るかどうかという矜持の問題もある。
明日は我が身という緊張感があれば過度の深情けはお互いの為にならないと気づくはず
他者への善行は身の丈の自分にできることの積み重ねに過ぎないということを弁えないから、
同調しない人間にむやみに攻撃的になるんだよな。
歯止めの利かない思いやりは裏に憎悪が貼りついている。 >>46
だからゆとり教育がはじまったのです。
詰め込み教育が行き過ぎて自分さえよければいいって人間ばかりになってしまった反省から
思いやりのある血の通った人間を育てようという事になったのです。
ゆとり教育は間違っていませんでした。町から不良が消えて少年犯罪の数は過去最低となりました。
よい子が育ったんです。 善意であればなんでも受け入れてもらえるとは思わないこと。
押しつけの善意は相手のプライドを傷つける場合もある。
相手の人格を認めるということは、相手を救う対象としてのみ見ないということ。
過度の深情けが相手の人格を踏みにじることにつながることもあるってこと。 もう少し噛み砕いて言うと
他者への親切も所詮自己満足に過ぎないという自覚があれば、
親切も相手あってのもの、
相手の存在が見えれば相手の為であると同時に自分の為でもある
お互いの為のものだと分かるはず。
いずれにせよ義務ではないのでやりたければやればいいし、嫌ならやらなければいい。
相手の存在が見えるとはそういうこと。 三年生のうちの息子がスーパーの七夕コーナー短冊に
「○○先生が優しくなりますように」と書きました
→母親が連絡帳の先生とのやりとりで
「こんな事書いてましたよ〜笑」みたいな感じで書きました
→次の日の放課後、息子の帰りが遅いので
心配になって学校に迎えにいくとその先生に
息子がすごい剣幕で起こられ泣いているところでした
どうやら人の名前を書いて一般の人の目につくとこに置いては行けないという理由で
放課後 親に何の連絡もなく
一時間以上ネチネチとすごい剣幕で
説教を続けていたとのこと
しかも
そんな事書かれて自分は傷ついた
あんたのために言ってるんだ
わかってくれないならクラスにいなくてもいい
みたいな事を延々と続けていたとか
そんな放課後呼び止めて泣かせなが一時間も続けるような事か?
一言「それは行けない」と言って終わりじゃないの?
息子の方がよっぽど傷ついたんですけど
そもそも短冊の願い事で子供にそんな事書かれてしまう自分の振る舞いに何とも思わないの?
それが正しい教育なんですか?
うちの息子には新たな恐怖が植え付けられただけですけど!
あー腹立つ!こんなのが担任なんて嫌過ぎる
出るとこ出てやろうかと本気で思案中
教育ってなんですか…? どんなに積み重ねたつもりになっても、崩れる時は一瞬で崩れるのが人生。
それでも積み重ねざるを得ないのが人間というものかもしれない。 人は知らず知らず自分に過大な要求を課してしまいがちなので、
自分を高めようと思うなら、なおさらできることとできないことを認識しておく必要がある。
手に入れたいものは一足飛びには手に入らないということ。 一つの考えだけにこだわらないこと。
ダメモトと腹をくくることで見えてくるものもある。 あと自分を波に乗せる為には頭で考える前に大まかな流れをつかむこと。
身体を動かす中からしか課題は見えてこない。 生き方になにがしかの型を求めることは自分の強みでもあるが、
同時に刻々と変化していく世の中に対応しきれない縛りともなり得る。
行き詰まりを感じる前にゼロから再構築し直すのも悪くないかもしれない。 失敗を恐れないこと。失敗の中からしか自分のリズム・感覚はつかめない。
自分の輪郭はアップデートの繰り返しの中から立ち現れるものかもしれない。 理屈は理屈、身体は身体。
最後は直感で動くもので、ごちゃごちゃ考えないこと。惑わせるようなことを言ってすまんね。
要は身体の動くにまかせるということ。頭を働かせるのは身体の流れをつかんだ上でのこと。 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 無理なら無理でそれはしょうがないこと。
不完全な自分を受け入れつつ進んでいくしかない。 何とかしようと思わないこと。思ってどうにかなるのならとっくになっている。 つーか体罰・暴力が良いか悪いかいう議論は馬鹿馬鹿しくて加わる気にもならん。
良いとか悪いとかじゃなく、あって当たり前、起こるべくして起こるもの。
なかった時代・地域を探す方が難しい。
人格込みで本気で指導するということがどういうことか考えた上でしゃべれと。 色々考えてまうんが人間ってもん。人間ってそういうもん。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 自分を確固としたものにする事じゃないか?
自分と他人の人生をごっちゃにしてしまうから虚栄心、傲慢さ、妬みが生まれると考えるのよ。
自分の生きる人生に対して自信を持てるように教える事がその人の幸せを自分で見つける手助けになると思う。 >>1
本当の教育は自育だよ。他育はそれを障害する。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 子どもだからって
サイズは小さくても魂は大人と同じで ガキのサイズから世界的逸材までそろっている。それを小学校のスモールサイズにすることの愚かさを知ることが大切。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。
【大阪】ファッションヘルスでアルバイト、小学校の女性講師を停職処分 「やめられなかった」
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540983476/
大阪市教委は31日、風俗店でアルバイトをして報酬を得ていたとして、
市立小の女性講師(27)を停職3カ月(同日付で依願退職)とする懲戒処分を発表した。
市民から匿名の通報が複数回あり、市教委が調査していた。
市教委によると、女性講師は今年4〜9月、週1、2回のペースで大阪府内のファッションヘルス店に勤務。
男性客の相手をし、月平均約8万円の報酬を得ていた。
また、ほぼ同時期に連鎖販売取引業者の化粧品や日用品を第三者に紹介、購入を促して月数千円を得ていた。
いずれも兼業を禁じた地方公務員法に抵触すると判断した。
女性講師は今年4月〜来年2月の予定で、育児休業を取得した教諭の代替を務めていた。
市教委の調査に「採用以前からやっていた。禁止行為と知っていたが借金があり、やめられなかった」と説明。
「子どもを指導する立場として示しがつかない行為で反省している」と話しているという。
https://mainichi.jp/articles/20181101/k00/00m/040/038000c 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 学力や収入というと教育の一形態の結実にすぎず、多様で多彩な能力に
分岐していったと思われます。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 教育基本法とか誰か調べてその辺から議論できるかやって見れ。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 創志学園 環太平洋大学 大橋博
中学受験 港区の不届きな私立中高物語〜こんな私立中学を受験しますか?〜
http://hirogakuillegalact.blog.jp/ 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 先生より生徒のIQが高かったら教育じゃなくて虐待だしw 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 https://chugakujyu.exblog.jp/i4/
2005年 11月 03日
設立趣旨/スタッフ紹介
2005年10月31日
世の中は 日本も世界も大きな曲がり角に来ており、その中で「日本の教育」とくに私立中高一貫教育もまた、歴史的とも言える曲がり角に直面しています。
進学塾にとっては色々な面で「受験の常識」が通用しなくなりました。しかしそういう事態に対して大手進学塾や受験ジャーナリズムの一部には、時々有益な指針を提起しているものもありますが、
概して大勢は、戦後日本の塾運動の成果を破壊する「非常識」さを拡大し、その道を突進しているように見えて仕方ありません。
私達は、非力な中小塾関係者ばかりですが、私立・国立・中学受験の世界で「非常識」ではなく、「良識」を、「建前(嘘)」ではなく、「ホンネ(真実)」を、
塾としての「経営論理」だけではなく「教育の論理」をも情報発信すべく群れ集まりました。
ネット上にバーチャルな学園「中学受験 悠遊学園」を設立致しました。主なスタッフは以下の通りです。
https://chugakujyu.exblog.jp/i8/
学園長 金 廣志(悠遊塾主宰)
教務課長 安本 満(龍馬塾主宰)
広報課長 永田 淳一(武久出版)
事務局長 三戸 さとみ(塾 指導者)
教諭 算数 金 廣志
国語 平井 好男(中学受験教室代表)
社会 海風荘主人
理科 永田 淳一
港区南麻布共学私立 理事長 TOMMY IKEDAの盟友は元過激派 金 廣志(キム・クヮンジ)
金 廣志(キム・クヮンジ)
1951年大阪生まれ。在日2世。東京都立北園高校中退。
69年に赤軍派に加盟。翌年全国指名手配され15年間逃亡潜伏。その間は肉体労働に従事。
時効成立後、86年から塾講師の道へ。96年高知で自宅近所の子達を集め「悠遊(ゆうゆう)塾」を開く。
ソウシ学園(仮称) グループ 創始者 大橋博(仮称) の大罪
港区南麻布私立共学校 池田富一(仮称)と金子暁(仮称)の大罪
中学受験 港区の不届きな私立中高物語〜こんな私立中学を受験しますか?〜
http://hirogakuillegalact.blog.jp/ 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 教育は学校で行われるものだろうか、学校で行われたセクハラを教育と呼ぶにふさわしいか。 人間はどいつもこいつも人間なのに神のように振る舞いたがる 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 又吉先生のような本物を育てることでしょう
又吉先生は国語の偏差値75で当然全国1位でした
偏差値75は上限なので実際の力は測定不能です
又吉先生は僕らの目標ですよね 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 本当の教育と言うより
親の教育、幼稚園の教育、小学校と変化するし、国語と体育は違う 自分にとって得か損かの利害感覚を手元に引き付けることができない人間は結局何もできない。
エゴイズムが核にない人間ほど、薄っぺらい理想に吸い寄せられて身につかないきれいごとで自分を慰めるもの。 自分の存在がそこにいるだけで、多くの人間を押しのけ可能性を塞いでいるという宿命を噛みしめること。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。