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【ショーペンハウアー】ペシミズム [転載禁止]©2ch.net
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0001考える名無しさん垢版2014/11/09(日) 22:00:16.010
人生とは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、
それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。
0509幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2018/10/05(金) 02:06:47.560
252幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:52:01.47ID:74THyRWz0>>254
『異史 明治天皇伝』を読んでいるが、福沢諭吉は実に開明的な人物だったんだな。
福沢諭吉は適塾時代に緒方洪庵からオランダ語で医学を学んだのだが、緒方洪庵は
フーフェラントの『医学全書』を『林氏医戒之略』として30巻の大著を翻訳した。
そのフーフェラントはショーペンハウエルにとってはゲッティンゲン大学医学部の先輩だ。
ローマン主義時代の欧州の啓蒙思想が幕末日本で福沢諭吉に伝わったのは興味深い。

254山師さん@トレード中2018/10/05(金) 01:53:00.23ID:IBAOAUqpp>>257
>>252
お前は適当すぎる、諭吉叩いてただろ

257幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:54:27.95ID:74THyRWz0
>>254
幸ちゃんは福沢諭吉の「百姓や車曳きに学問を教えたのは間違いだった」という晩年の言説を引用しただけだぞ。
福沢諭吉は封建制の身分制度が大嫌いだったんだがな。結局身分制度は必要だったと痛感したのであろう。

264幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:57:38.80ID:74THyRWz0
福沢諭吉は大坂の適塾で学んだが、最初は大坂で腸チフスを患って緒方洪庵の弟子の治療を
受けてから、本貫のある大分の中津に戻っているんだな。適塾は明治元年に閉鎖されて、
後に大阪大学医学部になった。それゆえ阪大医学部と慶応医学部は兄弟みたいなもんだ。

273幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 02:03:01.52ID:74THyRWz0
>>266
日本語版ウィキペディアの緒方洪庵の項目には、幕末の1857年にフーフェラントの
『医学全書』を『林氏医戒之略』として30巻の大著を翻訳した件についてすっぽり抜け落ちてる。
日本語版ウィキペディアは実にいい加減な編集をしていると言わざるを得ない。
どうせヤブ医者組合の都合なのだろうが。

277幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 02:04:24.81ID:74THyRWz0
第8回 緒方洪庵:扶氏医戒之略
https://istudy.konan.ed.jp/renandi/materialcontents/107929/101920/2016PreLabo08.pdf
0510考える名無しさん垢版2018/10/05(金) 12:54:24.580
なんだこいつは
0511幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2018/12/22(土) 20:12:14.570
    、,-ー- 、_,.,r-r,.;r';"´ ゛ヽ,
  .;r゛  ' , ,.ミ' ー--、ilr;r _   'i
  Y  ,: r'       ヾ  ;r '';
  (ヽ , r'        ,ノ   彡
    i' j!    ;     i .:::.  ;'
    ヾi. 'rtr::.' .:-':tテ、:. `i r'"t
    i:i. ' ´':  、` 、 ,i i _/
     い、 'ー-‐' ヽ  i j',!ヽ
     iヽ': '´二 ´`  r''/:::::::::i、
     r ! ヽ._   _, -' .r'::::::::::::;!:::ヽ、     アルトゥール=ショーペンハウエル 1788ダンツィヒ〜1860フランクフルト
    /::::::´:〉- 二  `/::::::::::::::/::::::::::::::ヽ、
  r'::::::::::::::::7Tl T /´::::::::::::::/::::::::::::::::;r::::::::::-、
0514アッシジのフランチェスコ垢版2019/04/20(土) 08:55:56.890
地球を生きものの楽園に
0515考える名無しさん垢版2019/04/28(日) 18:35:47.900
http://meigetu.net/?p=7082

かつて角川文庫で出ていた石井立訳「女について」が復刊の様子
0516考える名無しさん垢版2019/04/30(火) 17:39:10.100
パットンという連続殺人犯は人間社会に出ることはまず出来ないとのこと。
とっくに相当、人外らしい
0517考える名無しさん垢版2019/05/03(金) 17:56:01.220
幸福については何度も読んでるな、最近出た鈴木訳のもかなり読み易かった
アインシュタインも孤独と人生が愛読書だったとか言われてるね
0518考える名無しさん垢版2019/05/09(木) 13:08:07.870
「読書について」、はイチローが本を読まない理由にも通ずるもんがあるな
本を読むと主体性を失う
だが、知識がないと考えるってことも限定的になってしまうのもまた事実だな
0519考える名無しさん垢版2019/05/09(木) 23:52:26.210
精神に好影響な良書を読みまくることはいいことだと思うよ
知識欲を満たすこともいいし、読書のメリットは何より理性に引き戻される感がいいよね
0520考える名無しさん垢版2019/05/09(木) 23:59:32.260
イチローとかアスリート系の人は寧ろ読書とかしない方がいいんじゃないかと思う
言い方は悪いかもだけどスポーツ選手はちょっとバカの方が良いというか

知性よりも筋肉の方が必要だから
0522考える名無しさん垢版2019/05/11(土) 19:23:23.920
スポーツは肉体の感覚を頼りにして進歩していく世界だから
知識は先入観に繋がり邪魔になることもあるだろうな
ただ、指導者やトレーナーとなり自らが掴んだ感覚を後進に教えることで
成果を得ることも事実としてあるのでそれが全てとも言えないが
イチローにはそのやり方が正しかっただけで正解ないだろう
0523考える名無しさん垢版2019/05/11(土) 23:30:42.220
絶大知者のショーペンさんを観てても解る様に知性と鬱はワンセットだからね。
スポーツに励んだことある人なら解るとは思うけど、長期的な持続したトレーニングとか頭の活動を停止してある意味バカにならないと打ち込めない部分もある。

もちろん身体のコンディションを整える知識を初めとした筋トレの方法や栄養学とかメンタルトレーニングも必要だしそして何より野球での合理的な身体の使い方の感覚と言うこういうアスリート分野の知性は物凄いし、まさに天職だと思う。
0524考える名無しさん垢版2019/05/16(木) 12:16:10.170
運動好きや現役アスリートは統合失調症にならないという説がある
逆にいえば身体動かさないインドアの「怠け者」が頭でっかちなった結果糖質になるともいえる
頭使いすぎて結果壊れて脳筋よりバカになるとは皮肉だね
0525考える名無しさん垢版2019/05/17(金) 21:19:45.120
でもアスリートも無理し過ぎて身体を壊し心も…てあるからほんと気を付けないといけないね
0526考える名無しさん垢版2019/05/23(木) 11:26:10.910
知性の仕事もアスリートもストイックさは必要だけど、いわゆる濃密に太く短くか緩やかに細く長くかの人生があるよね。
それでも人生80年、若き日はアスリートだったけど年老いて研究者になってるとかそういう色々なことを経験して楽しむことは大切だよな。
0529考える名無しさん垢版2019/05/27(月) 12:27:21.650
30代から能力は低下するよ
勉強は積み重ねだから引退後の中年になってからだと研究者は厳しい
0530考える名無しさん垢版2019/05/27(月) 21:14:31.830
確かにショーペンさんも35歳位までが神経力というか頭のピークだよみたいな話してたよな
0532考える名無しさん垢版2019/06/09(日) 02:09:24.910
知性の「分ける」「曖昧をつくらない」って根本に欠陥がある気がする
どっちみち厭世のまま終わってしまう人は、物に対する判断と人に対する判断を混同している
もちろん人を知性でさばいて行くことでしか生き渡っていけないのは事実だが
0533考える名無しさん垢版2019/06/09(日) 13:50:01.780
厭世的になって「自殺を考える子供」というのがなかなか存在しない様に知性が発達して様々な現実を知ることの欠落もあるのかなと
人生で一度も死や自殺を考えたこともない知的障害者はある意味幸福かもしれないね
0535考える名無しさん垢版2019/06/09(日) 23:50:28.370
>知性の発達の欠陥

あるだろうな
ニーチェの「天才とは耐え難い存在である」
ってのは天才は凡人の嫉妬や羨望を煮えたぎらせるから、って他人目線で長く解釈してたけど
天才本人の「天才という状態」に対する耐え難さを現した主観からの話なのかなと思うことがある
0540考える名無しさん垢版2019/06/23(日) 23:36:39.770
生涯親の遺産で生きた子供部屋おじさんじゃないけどほぼ同じような人
0541考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 10:50:13.930
隠遁してなるべく知的なことを楽しもうと言ってる訳だけど、ショーペンさんの思想は仏教や禅道に似てるのもあるよね。
0542考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 13:32:06.780
人生で心身の健康とお金が何よりも重要なのは当たり前のことだよな
0543考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 13:39:46.530
論文バカにした母親にキレて親子ゲンカしたりヘーゲルの講義にわざと合わせて失敗したりネタが尽きんな
0544考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 13:54:47.330
大抵の人は祖先が暴力で他人から奪った土地や財産の上に築かれた財産
を引き継いだ親に養育されて今の生活をしてるんだから、みんな多かれ
少なかれ子供部屋おじさん/おばさんみたいなもんじゃないのか?
0546考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 14:10:16.730
先祖代々の資産を管理して、他人の労働力を活用して生活を成立させるのが
上層階級で、受け継ぐ資産がなく、自分の労働を糧に変えることしか
生きる術がないのが下層階級だった
0547考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 14:22:05.230
状況がどう変わろうと、常に自らが裁く側にいるように自らの立場を確保する
ことが、自己保全のために最も重要
0548考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 16:35:07.870
働かせる働かされる裁く裁かれるとかから徹底的に逃れて生きて行けよとショーペンさんは説いてる様だけど
0549考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 17:26:34.250
逃れ、かつ生きるためにショーペンがやってた内容がどれ程のこどおじ度だったのか
やっぱり修行部屋おじさんなんじゃないか
0550考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 18:50:34.270
自由に外にでられても社会に対して何の影響力も及ぼせないお前らのが悲惨だろ
0551考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 20:54:07.910
そもそもショーペンさんの思想のことをペシミズムや厭世とか言い始めたのは誰だろう
超現実主義と言うのが正しいと思うけど
0552考える名無しさん垢版2019/06/24(月) 21:12:38.450
>>535
それについても幸福についてでアリストテレスの引用で「天才は皆憂鬱質」だと言ってるよな
0554考える名無しさん垢版2019/06/27(木) 18:48:57.120
社会の生存競争や人間関係の煩わしさから離れて悠々自適にってことだよな
退職して哲学や物書きと趣味の毎日だったシヨーペンさんは理想の生活を送ってたんだと
0555考える名無しさん垢版2019/07/06(土) 11:49:18.460
生活のために労働時間割かれるのは仕方ないが、哲学好きは、金儲けして贅沢するより自分の自由時間確保を優先している人が多そう。
0556考える名無しさん垢版2019/07/06(土) 12:00:58.160
だなー俺みたいや
ただ、問題があるとしたら俺の考えは深遠すぎてショーペンのように一般化されてないし
誰にも受け入れられてないってことだ
0557幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2019/08/08(木) 12:54:50.660
近代の劇は、人間の意志または性格から必然的に生じ来る悲劇をのみ書こうとする。しかしそ
のように意志や性格の分析または総合などによって論理的に因果づけられた平板な近代劇などで
は割り切れぬ神秘的な力が、人間の上には働いている。そこでその神秘的な力は、必ずしもギリシャ
劇における運命のごとくに悪意ある支配力として、悪魔的なものとしてではないにせよ、偶然
の巡り合わせから人間の建設的な意志を、調和と秩序とを破壊して悲しむべき事態をもたらす。
而してかくの如き悲劇を醸成するものは人間の情熱であり愛欲である。けれども人間の高貴なる
意志が、良心が、悲壮な覚悟をもってこの破壊された道義的世界秩序の再建のために命を捧げ
るとき、深刻な感動が見物の心を捉えるのである。このような劇は果たして運命劇であろうか、それ
とも性格劇であろうか。我々はここに名称のために論議することは差し控えたい。しかしながら
シラーのこの劇における運命は、ソフォクレスの描いているような運命とはよほど性質を異にして
いる。オイディプスの運命はすでに予定されており、いかにしてもこれを避けることの不可能
なものであった。その運命から逃れようと努力した結果が、かえってそれを成就することとなる
からである。従って我々は主人公に対して何等の責任をも罪をも負わせる気にはならない。作者
は当時民衆の間に行われていた運命観によって、かくの如き劇を作ることができた。

 フリードリヒ=シラー 『メッシーナの花嫁』 解説より 岩波文庫 1950年4月 相良守峰
0559考える名無しさん垢版2019/08/08(木) 16:31:21.250
>>551
レッテル貼りをして黙殺しようとする人たち
0561考える名無しさん垢版2019/10/04(金) 20:46:35.350
動かされているという感覚についてもショーペンさんは敏感だったんだろうなと
0562考える名無しさん垢版2019/10/14(月) 15:58:50.510
なんだかんだで長生きしたショーペンさん。
そういうとこも強い。
0563考える名無しさん垢版2019/11/07(木) 16:40:49.050
厭世言ってもショーペンさんみたいな人ほど長生きするんだよな
0564考える名無しさん垢版2019/11/14(木) 19:59:51.250
厭世といっても生きている限りは持続を求める死に際しての苦痛は皆一様だからね
最初からこの世に存在がないという状態が最も望ましい
0566考える名無しさん垢版2020/01/02(木) 11:18:33.060
幸福についてを読んだけど直接的に反出生主義っぽいことは書いてないよね?どの本に書いてあるの?
0567考える名無しさん垢版2020/01/02(木) 21:23:55.490
意識と表彰のなんとか
0568考える名無しさん垢版2020/01/17(金) 18:23:11.340
反出生思想も自分は子供作らなければいいだけの話だよな
他人の人生や選択に口出しできる問題じゃないと思う

人間も生物的動物的に種の保存の為の生存がそもそもの目的だけど、そこから脱却する為の思想は惹かれるけど
0569考える名無しさん垢版2020/01/19(日) 10:47:38.940
古今の文学史全体を見ても、ヘーゲルの哲学と肩を並べるほどの虚名をはせた例はまずあるまい。
すべてがあれほど劣悪で、明々白々な嘘っぱちと出まかせ、いや、紛うかたなきたわごとは、どこを探しても見当たるまい。
加うるにあの論述ときては、反吐の出そうなとびきりの不快さが見るも腹立たしい破廉恥や鉄面皮と連れ立っている。
こうした一切合切が、これまで世界が拝むことのできた最高の叡智、最高の光輝として讃えられたためしは、あの徹頭徹尾無価値な似而非哲学をおいて他にない。
0570考える名無しさん垢版2020/01/19(日) 10:57:51.720
ヘーゲルの哲学は脳味噌の白痴化の手段として比類のないものである。
あのようなチンプンカンプンのおまじない、あのようなへらず口は、この哲学の化け物じみた構造のなかであり得べからざる思想や純然たる矛盾を思考する任務を理性に負わせることで、知性の完全な麻痺をもたらすものだからだ。
0571学術垢版2020/01/19(日) 11:18:28.980
ヘーゲルは頭脳の構造より単純ですがね。
0572学術垢版2020/01/19(日) 12:25:01.130
世界や人間を写し取るならもっと複雑、難解なことが出来たはずだ。
0573幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/06(木) 23:02:42.370
安倍首相補佐官 海外出張でも公私混同の疑い 厚労省女性幹部とコネクティングルーム宿泊
https://bunshun.jp/articles/-/31861

和泉洋人首相補佐官(66)が、大坪寛子厚生労働省大臣官房審議官(52)との海外出張の際、ホテルの部屋割りを
めぐって…

スプーンでア〜ン(^^♪
https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/1500wm/img_97a13d66348b246ed7780d2e5efe24be107899.jpg


これ動物磁気を使った催眠術じゃないか!("゚д゚)

性奴隷だ!(`・ω・´)
0574考える名無しさん垢版2020/02/06(木) 23:48:22.230
 底辺忍者参上!

    X
  ∠ ̄\∩
  (о´∀`о)ノ
 〜( ニ⊃
  ( ヽ/
  ノ>ノ
  UU


  ∠ ̄ヽ
 〜(о´∀`о)/
  / y⊂)
 (ノ〉 ⌒i
 /(_ノ^U


     臨

 前  ∠ ̄ヽ  兵
    (о´∀`о)
在  〜(_ξ)   闘
   //  <
 列 (_ノ_)  者
    ∪ ∪
   陣  皆
0575幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/09(日) 03:46:04.970
安倍側近の和泉補佐官と“公費不倫”の厚労省・大坪寛子審議官がコロナ会見に堂々と登場! 東出・唐田に大騒ぎのテレビはなぜ沈黙するのか

加藤茶と綾菜夫人、実は「創価学会婚」 夫婦円満の秘訣は「池田先生」の言葉
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/02071125/?all=1

スプーンでア〜ン(^^♪
https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/1500wm/img_97a13d66348b246ed7780d2e5efe24be107899.jpg
https://www.dailyshincho.com/wp-content/uploads/2020/02/2002100557_1.jpg
0576幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 02:11:44.230
Ανδρόγυνο
https://el.wikipedia.org/wiki/%CE%91%CE%BD%CE%B4%CF%81%CF%8C%CE%B3%CF%85%CE%BD%CE%BF

Η λέξη ανδρόγυνο προέρχεται από την Ελληνική γλώσσα
και συνδυάζει τις λέξεις άνδρας και γυνή, δηλαδή γυναίκα,
και χρησιμοποιείται για να περιγράψει άτομα που
συνδυάζουν αντρικά με θηλυκά χαρακτηριστικά, είτε σε
θέματα προσωπικότητας ή μόδας, είτε σε όσον αφορά το σώμα
τους (ίντερσεξ). Στην ελληνική γλώσσα η λέξη ανδρόγυνο
σημαίνει ερωτικό ζευγάρι γυναίκας με άντρα.

Ως ταυτότητα φύλου

Ένα ανδρόγυνο ως ταυτότητα φύλου είναι ένα άτομο
που δεν ταιριάζει ούτε στο ρόλο φύλου του άνδρα
ούτε και της γυναίκας όπως ορίζονται στη κοινωνία
στην οποία γεννήθηκε ή ζει.


日本人の死因のトップは「結核」
0577幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 13:10:40.130
第6章 年齢のちがいについて

ヴォルテールはきわめて美しく次のように言った。

その年齢相応の精神をもっていない人も、
その年齢特有の苦労をかかえている。

こうしたことからも、この幸福についてのもろもろの考察の末尾に、年齢のちがいがわれわれにもたら
すいろいろな変化について一瞥を投げかけるのは、適切なことであろう。

 われわれの一生をつうじ、われわれはつねに現在のことだけを考え、そのほかのことは無視してい
る。それでいて年齢のちがいをつくるものは、たんにわれわれが生涯のはじめには長い未来を目前に控
えているのに対し、生涯の終わりのころになると、長かった過去のことばかりが目にはいること、さら
にわれわれの性格はそんなことはないが、われわれの気質はいくつかのはっきりとした変化をとげ、その
ためにいつでも現在の色あいが異なったものとして現われることだけである。 ――

 わたしは、主著続編・第三一章三九四頁以降(第三版四四九頁以降)で、われわれはなぜ、子供のこ
ろは、欲求するよりもはるかに認識するという態度をとっているかということの説明を与えた。われわれの
0578幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 13:28:39.850
生涯のはじめの四分の一が幸福なのは、まさにこの点にある。したがって、この時期は、年をとる
につれて、失われた楽園のように思えてくる。われわれは子供のころはあまり多くのかかり合いをもた
ず、要求も少ないために、意志がゆさぶられることもあまりない。われわれの本質の大部分は、した
がって認識に取り組むことになる。――すでに七年目に完全にじゅうぶんな大きさになる頭脳のよう
に、知性は、成熟とはいかないまでも、若いときに発達をとげる。そして子供は、すべてが新奇な魅力を
そなえている世界、おのれが生を受けたばかりの世界のなかで、たえず栄養をとろうとつとめる。そう
したことによって、われわれの子供時代が不断の詩になるという事情ができてくる。すなわち、すべて
の芸術と同様、詩の本質はプラトン的なイデア、すなわち本質的なもの、あらゆる個物のなかにあって
すべてのものに共通するものの把握のなかにある。われわれは、子供のころめぐりあったもろもろの場
面では、つねにただ一度だけの個々の対象あるいは事件とだけかかり合っていた。しかも、そうした個
物の対象なり事件なりが、われわれのそのときどきの欲望に興味をそそったからだというように思われ
るけれども、根本的にはけっしてそんなことはない。すなわち子供のころは、生は、そのすべての意義
をこめて、なおまだ新しく鮮やかなままの姿をみせており、何度も繰り返されることによって生の印象
を鈍化させてしまうというようなこともない。したがって、われわれは子供のころは幼稚そのものの営
みを行なっていようとも、ひそかに、それにはっきりとした意図はなくとも、個々の場面や動きについ
て、生そのものの本質、生のくりひろげるもろもろの形象や表現の基本的な型を把握すべくつとめてい
ることになる。スピノザが述べたように、われわれはすべての事物、人物を「永遠の相のもとに」見る
のでる。われわれが若ければ若いほど、それだけますます個物はその全種類を代表するようになる。
0579幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 13:44:42.720
こうしたあり方は年とともにつねに薄らいでいく。しかもこの点に、事物がわれわれの若いときと年
とったときに与える印象のちがいがある。したがって幼少年期に得た経験や知識は、その後のすべての
認識ならびに経験の固定した典型および法則となる。こうした典型や法則は、たしかにつねにはっきり
と意識されるわけではないけれども、われわれが後年獲得するものすべてを包摂するいわば範疇(カテゴリー)とな
る。したがって、はやくも子供のころにわれわれの世界観の固い基礎がつくられる。われわれの世界観
のこうした基礎には、深いものも浅いものもあろうが、とにかくわれわれが年をとるにつれて、それは
しだいにみがきをかけられて完成していく。そうはいっても、本質的にはまったく変化するものではな
い。このように、幼少期にとっては本質的な純粋客観的な、しかもそのために詩的な見解のおかげで、
さらにそのころには意志がまだじゅうぶんな精力を貯えて姿を現わすまでにはいたっていないという事
情から、われわれは子供のころは、欲求するよりもはるかに多く認識するという態度をとる。したがっ
て多くの子供のまなざしは、まじめな観照的なものであり、かのラファエッロもこれを彼の描く天使の
なかに、とりわけシスティーナの聖母像(マドンナ)の天使のなかにうまく化身させた。こうした事情からしても、
子供のころはきわめて神聖なものであり、幼少期の回想はつねに憧憬につきまとわれることになる。
――子供のころわれわれはまことに熱心に事物の直感的理解にもっぱら取り組んでいるが、一方では教
育がわれわれに概念を植えつけようとけんめいになる。しかし概念などはもともと本質的なものを与え
ることはない。むしろこうした本質的なものは、つまりわれわれのすべての認識の基盤ならびにその真
の内容は、直観的な世界の把握のなかに存在する。だがこれはただわれわれ自身によって得られるので
あって、なんらかの方法でわれわれにもたらされるのではない。したがってわれわれの道徳的な価値
も、はたまた知的な価値も、外からわれわれのなかに来るのではなく、われわれ自身の本質の深奥から
0580幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 14:16:53.180
湧出するものである。そのため、たといペスタロッチ流の教育方法を用いようとも、生まれながらの愚者
を思考する人間に仕立てあげることはできない。けっしてできない! こうした人間は愚者として生ま
れ、そして愚者として死ななくてはならぬ。――本章のまえの部分で記したような、最初に接した眼に
見える外界についての意味深長な把握ということから、われわれの子供のころの環境や経験がなぜ記憶
のなかにはっきりと植えつけられているかということが説明できる。すなわちそのころのわれわれは、
外界の把握になんら心を乱されることなく集中しており、そのさい気を散らすことなど少しもない。そ
こでわれわれは眼のまえにある事物を、まるでそれだけがそれらの種であるように、そればかりか一般
にまったく単独に存在するかのように見なしている。その後、年がたつにつれて、われわれはもろもろ
のわかりきった対象の一群によって勇気と忍耐を奪われることになる。――ここでわたしの主著のなか
の問題のくだり(三七二頁以下、第三版四二三頁以下)で述べたこと、すなわち、すべての事物の客観
的存在、つまり単なる表象のなかの存在はまったく楽しいものであるのに反して、欲望のなかに存在す
る主観的存在は苦痛と憂いによって強く汚染されているという教説を思いおこす人ならば、この間の事
情の簡潔な表現として、すべての事物は見ればすばらしいが、それがあることは恐ろしい、という定理
がうちだされても異存ないであろう。こうしたことに関連して言えることは、子供のころは、われわ
れにとって重要なのは意志の側面つまり存在の側面よりは、表象つまり客観性の側面、いうなれば見る
側面であるということだ。この側面は事物の愉しい面であるために、われわれには主観的で恐ろしい面
がまだ知られていない。したがって幼少のときの知性は、現実や芸術が眼前にくりひろげる形象のすべ
てを、やはりほんとうにとても幸せなものと受けとる。そしてこうした子供は、もろもろのこうした形
象は見た目にも美しいものだから、もしこうしたものが実際にあるとしたら、もっとずっと美しいだろう
0581幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 14:37:14.890
と考える。したがって、その子の眼のまえの世界はエデンの園のようなものである。これこそ、われわ
れすべてが生まれあわせたアルカディアである。そのために、少し年がたつと、われわれをこの世の喧
騒のなかに駆りたてていく現実の生への渇望、行為と苦悩への衝動が生ずる。そしてこの世のうちで、
われわれはやがて事物のほかの側面、すなわち、一歩を踏みだすごとに立ちはだかってくる欲望の側面
を学ぶようになる。こうしてしだいに幻滅はつねにますます大きくなり、ますますひどいものとなる。こう
した事情によって、子供のころは、われわれにとって生は遠くから劇場の装飾を見るようなものだが、
老年には同じものをごく近くから見るようなものだと言うこともできる。
※おお幼年時代よ! そのころにはまだ時間はきわめて緩慢に進み、事物は未来永劫をつうじて
 いまのままとどまるために、ほとんど停止しているように思われる。
 子供のころが幸せなのは、最後につぎのような事情もある。春さきにはすべての木の葉が同じ色でしか
もほとんど同じ形をしているように、われわれも小さい子供のころは全員がおたがいによく類似し調和
し、したがっていずれもすばらしい。ところが思春期になると、分散が起こり、それが中心から遠のく
円の二つの半径間の距離のようにどんどん大きくなるということだ。
 生涯の後半よりははるかにすぐれた点のある生涯の前半の残りの部分、つまり青年期を暗くするも
の、そればかりか不幸にするものは、生のなかでいつかはめぐり会えるにちがいないという前提に立っ
て幸福を追求することである。このことから、つねに希望がかなえられないことが生じ、さらにこれか
ら不満足が生ずる。青年期のわれわれの眼前には、夢で見たはっきりしない幸福の像が、勝手気ままに
選ばれた姿を取り、揺れながらただようため、われわれはいたずらにそのもとの姿をとらえようとつとめる。
0582幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/16(日) 15:04:21.310
 したがってわれわれは青年時代には、それがどんなものであろうと、われわれの置かれた状況や
環境にはほとんどの場合不満である。それはわれわれがまったくほかのことを期待していたために、い
まになってお近づきになった人間生活にはつきもののむなしさ、まずしさをわれわれの置かれた状況や
環境のせいにしてしまうからである。――もし人がタイミングよく人に教えられ、若いときに、この世
では多くのものを獲得できるという迷妄を根絶やしにすることができれば、得るところには大きいであろ
う。だがほとんどの場合、われわれは生を現実よりも早くフィクションによって知るようになるという
事情から、逆のことが起こってくる。もろもろの文芸作品によって描きだされた場面は、なんといって
もわれわれが若くていわばあけぼのの時代にあるために、眼のまえですばらしい姿をくりひろげる。そ
こで、われわれはそれを現実のものとしたい、虹をつかみたいという憧憬に駆られる。若者はおのれの
生涯も面白い小説のかたちをとるよう期待する。そこでわたしがすでに前述の主著の続編(三七四頁、
第三版四二五頁)で述べた迷いが生ずる。なぜなら小説中のもろもろの形象に魅力が与えられているの
は、じつはこれらの形象がたんに絵空事であって現実のものではなく、したがってわれわれとしても、
それを鑑賞するにあたって純粋認識の平穏さと満足感に安住するからである。現実のものとなるという
ことは、欲望によって満たされることを意味する。そしてこの欲望が不可避の苦痛をもたらすのだ。こ
の問題に関心のある読者はわたしの主著のこのことを扱ったくだり(四七二頁、第三版四八六頁)を参
照されたい。
 こうして人の全半生の性格が幸福への満たされない憧憬であるとすれば、後半生を特徴づけるもの
は、不幸への配慮である。なぜなら、人生も後半にはいると、すべての幸福はたわごとであり、これに
反し苦しみは現実のものであるという認識が多少なりともはっきりと身につくからである。したがって
0583学術垢版2020/02/16(日) 16:27:38.780
タロットの愚者引いたよ。カードゲームもなんかいいぜ?
0584考える名無しさん垢版2020/02/16(日) 18:00:47.360
研究書読むと弟子がいたそうだけど、弟子達の翻訳がない
読んでみたかったな
0585考える名無しさん垢版2020/02/16(日) 20:05:35.710
>>584
よく見たらシュ夕(ゆう)イナーだけじゃなく
ルドノル(のる)フ・シュ夕(ゆう)イナ一(いち)になってるじゃん
「シュタイナー 5ch 27」でググったら普通に出てくるけどw
0586考える名無しさん垢版2020/02/16(日) 22:53:04.930
>>584

よく見たらシュ夕(ゆう)イナーだけじゃなく
ルドノル(のる)フ・シュ夕(ゆう)イナ一(いち)になってるじゃん
「シュタイナー 5ch 27」でググったら普通に出てくるけどwww
0587幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/17(月) 18:29:45.960
Arthur Schopenhauer
https://cs.wikipedia.org/wiki/Arthur_Schopenhauer

Ve Frankfurtu proslul svou samotářskou povahou i mnohým podivínstvím
(na dlouhých procházkách vedl rozhovory se svým pudlem Atmou, léta chodil plavat do Mohanu).


ショーペンハウエルはフランクフルトに引っ越してから、数年間はマイン川で泳いでいたそうだ。

この情報はどこにもないぞ?(*^^*)
0589幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/17(月) 21:23:25.440
この年配になると、少なくとも理性的性格の持ち主は楽しみよりもたんに苦痛のないこと、わずらわされ
ないことを目ざして努力するようになる。――わたしも青年時代には、ドアで呼鈴が鳴るといい気持ちに
なった。それはわたしが、やっとそれ(楽しみ)が来たと思ったからだ。ところが後年になると、同じ
ことが起こっても、わたしは恐れに似たなにものかを感ずるようになった。「ついにあれ(不幸)が来
たか」と考えるわけだ。――人間生活に対して、すぐれた、しかも素質に恵まれた人びとは二つのまった
たく対立した感覚をもっている。なんとしても彼らは完全に根っから人間社会に属しているわけではな
く、したがって、彼らの卓越性の程度に応じ、多少なりとも孤独の境地に立たされるという事情があ
る。ともかく彼らは若いときにはしばしば、人間社会から捨てられたと感じるが、年をとると逆に、人
間社会から脱却したと感じる。この二つの感覚をもつわけだ。はじめの感情は人間社会となじみになっ
ていない不愉快なものであり、あとの感情は、人間社会のことを知りつくしたあとの快いものである。
――この結果、人生の後半は音楽の楽段の後半のように、野心は前半のように多くはない反面、落ち着
きをそなえている。一般に、どうしてそのようになるかというと、それは人は若いときには、この世は
幸せや楽しみにめぐり会えるすばらしいところだが、ただ実際にはそうしためぐり会いはむずかしいの
だと考える反面、年をとると、この世で幸せや楽しみを得ることはできるわけはないと、このことにつ
いては完全に心を鎮めており、どうにか我慢できるという現在に満足し、そのうえささやかなことにも
喜びを見いだすようになるからだ。――
 壮年に達した人がそれまでの生涯の経験をつうじて獲得したもの、そしてこの人に、青少年期とはち
がったふうにこの世を見るようにさせたものは、ものにこだわらないという態度である。この人はまず
なにはともあれ、事物を単純にながめ、そのあるがままの姿で受け入れる。ところが青少年のころは、
0590幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/17(月) 21:44:38.620
自分でつくりあげた気まぐれ昔から伝わってきた偏見、それに奇妙な空想の合作による虚像が、真の
世界を覆いかくし歪曲しているのだ。なぜなら経験が取り組んでまず見いだしたものは、若いころにつ
くりあげられた妄想や誤った概念からわれわれを解放することだからである。こうした誤ったものから
若者たちを保護するのが最良の教育であることはいうまでもない。このことはたしかに消極的なことで
はあるけれども、きわめてむずかしい。このためには、子供の視野をはじめはできるだけ狭め、しかし
そのなかでは、子供に純粋ではっきりとした正しい概念を与えるようにしなくてはならない。そして子
供が狭い視野のなかにおかれたものすべてを正しく認識するようになったあとは、つねにぼんやりした
ものや生半可な、あるいはまちがって理解したものがそのまま残存することのないよう注意しながら、
子供の視野をしだいに拡大していくことだ。このようにしていけば、事物や人間関係についての子供の
正しいものとなる。したがって、それらの概念は拡大させることは必要だとしても、矯正する世話はい
らない。こうして青年期まで進めていくことだ。この教育法はとりわけ子供に小説類を読ませることを
許さず、これをたとえば、『フランクリン自伝』やモーリツの『アントーン・ライザー』(1)のような適当
な伝記類によって代替させることを求めている。――
 (1)ドイツの作家カール・フィーリプ・モーリツ(一七五六―九三)の自伝的作品。
 若いときにはわれわれは、自分たちの人生行路のなかで、重要なしかも影響するところの大きい出来
事や人物は太鼓やラッパの鳴りもの入りで登場すると思っている。ところが年をとって回想してみる
と、重要人物や大事な事件はすべて、まったく静かに、裏口から、ほとんどだれの注意もひかず忍びこ
んできたことがわかる。
0591幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/02/17(月) 22:05:54.960
 これまで考察してきた点について、さらに生は刺繍した布地に比較することもできる。だれでも人生
の前半にあってはその表の側を見、後半にあってはその裏側を見ることになる。裏側は美しくはないけ
れども、教えるところは表より大きい。それは裏側が糸の結ばれぐあいをわからせてくれるからであ
る。――
 精神的な卓越性は、最大のものですら、いざ会話になると、四十歳をこえてはじめてその決定的なす
ばらしさが現われるようになる。それというのも年齢の円熟、経験の豊かさは、たしかに精神的な卓越
性によっていろいろの面で凌駕されることはあるけれども、これによって取って代わられることはけっ
してないからである。そればかりか、年をとり経験豊富なことは、きわめて平凡な人にも、相手が若い
かぎりでは、相手のきわめて偉大な精神力にあるていど対抗できる重みを与えてくれる。わたしはこ
こではたんに人格について言っているだけで、作品のことを問題にしているのではない。――
 どこかにすぐれたところのある人、つまり自然があまりにもわずかしか恵んでくれなかった六分の五
の人々に属さない人は、四十歳をこすと、ある種の人間嫌いにまったく染まらないでいることはむず
かしい。なぜなら、きわめて当然のことだが、この人は自分のことから他人のことを推しはかり、しだ
いに幻滅し、やがてはほかの人びとは頭の面で、それとも心の面で、しかしほとんどの場合は両面で自
分より遅れており、自分とはどうしてもうまが合わないことを悟るからである。そのためこの人は、彼
らと交際することを喜んで避けるようになる。それは、一般にだれでも、おのれにそなわる内面的価値
の程度に応じて、孤独を、すなわちおのれひとりを相手どることを愛したり、あるいは憎んだりすると
いう事情があるからである。この種の人間嫌いのことを、カントも『判断力批判』のなかの第一巻・第
二九節「一般的注意」の終わりのところでとりあげている。
0592幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/03/24(火) 00:53:43.500
 若者が人びとのやることなすことに、いちはやく適応するようになるばかりか、すぐにそこに安住
し、まるであらかじめ用意していたように、こうしたただなかに埋もれていくことは、知的ならびに道
徳的に見て好ましくないしるしである。この若者は凡人となることがすぐわかる。これに反し、他人の
やることなすことに対して、どうしてもなじめないといった態度、とまどった、ぎこちない、おかしな
態度をとることは、その若者がずっと高級な種類の本質をそなえていることをほのめかしている。
 われわれが若いとき、朗らかで活力に満ちているのは、ひとつには、そのころのわれわれは登山の途
中であって、死を見ないからである。死は山の向こう側にあるからだ。ところが山頂を越えると、われ
われはそれまではただ伝聞をつうじてだけ知っていた死を、実際に見ることになる。それというのも、
その年配になると生命力は退潮しはじめ、活力も減退するからだ。したがって、こうした時点では、陰
うつな真面目さが若々しい尊大さを駆逐し、それが顔つきにも現われてくる。われわれは若くありさえ
すれば、だれがなんと言おうと気にかけず、生を無限のものと考え、その気持ちのまま時をすごしてしま
う。われわれは年をとればとるほど、時間をますます惜しむようになる。なぜなら年をとるとわれわれ
は、やりすごした一日についてもつ気持が、一歩ごとに処刑台に導かれていく犯罪者がもつ感情と似た
ようになるからだ。
 若者の立場から見れば、生は無限に長い未来であり、老人の立場から見れば、生はきわめて短い過去
である。したがって人生の終わりになると、接岸レンズをとおして見たときのようなありさまを示す。
生がいかにも短いものであるかを認識するには、老人とならなければ、つまり長生きしなければならな
い。――時ですら、われわれの若いときには、はるかにゆっくりとした足どりを見せた。したがって、
0593幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/03/24(火) 01:09:02.640
われわれの生涯のはじめの四分の一は、最も幸せであるばかりでなく最も長いので、きわめて多くの記
憶を残してくれる。そしてだれでも、生涯のこの時期が話題にのぼれば、この時期についてそれ以降つ
ぐく二つの時期よりも、ずっと多くのことを騙ることができるであろう。さらに、一年のうちの春のよ
うに、生涯のこの時期には、いやになるほど日が長い。人生および季節の秋には日は短くなるけれど
も、それはいっそう朗らかで落ち着いたもんとなる。
 生も終わりに近づくと、人は生がいずこにとどまっているのかを知らない。だがなぜ年をとると、こ
れまで過ごしてきた生涯があんなに短く見えるだろう? それは、生涯の記憶が少ないために、自分
の生涯そのものも短かったと考えるからだ。すなわち、自分の記憶のなかから、すべてのささやかなも
の、多くの不愉快なものが取り去られるため、記憶全体としてもいくらも残らないことになる。学んだこ
と、体験したこと、この二つがいずれも忘却の淵に沈まないようにするためには、それぞれ練習したり
熟考したりしなくてはならない。だがわれわれは、ほとんどの場合、些細なもの、そして不愉快だった
ものをあらためてよく考えていこうとはしないものだ。だがほんとうは記憶のなかに保存するために、
こうしたことについて熟考することは欠かせないことだ。しかしささいなことは増加するいっぽうであ
る。それというのも、なんども、そしてしまいには無限に繰り返されることによって、われわれにとっ
てそれことはじめには重要に思われた多くのことが、しだいにつまらないものに思われてくるからだ。
したがってわれわれは、若いときのことを年をとったときのことよりもずっとよく覚えている。われわ
れが長生きすればするほど、記憶のなかに固定させるには不可欠の反芻を行なうほどに事物の動きが重
要かつ意義深いものとは思われなくなる。したがってさまざまな出来事も、過ぎ去ったとたんに忘れられる。
0594考える名無しさん垢版2020/03/25(水) 00:23:59.740
仏教は、究極の後ろ向き思想
0595考える名無しさん垢版2020/03/25(水) 00:25:05.420
ドイツの観念論と、インドの唯識論を統合した
0597考える名無しさん垢版2020/03/26(木) 13:55:52.010
でもほんとに知性があったらいろいろ克服して人生を楽しめる生活ができるものだと
「幸福について」もそうだけど、やっぱり不幸回避的なことになるかなとは思う
0598幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/03/27(金) 23:27:38.010
豪猪(ヤマアラシ)の一群が、或る寒い日に、寄り合い、銘々の体温で暖め合って凍えるのを防
ごうと、ぴったりとくっつき合った。しかし、間もなく、彼らは、銘々の棘の痛さを感じて、
やがて、離れ離れになってしまった。だが、再び凍えそうになると、暖まりたくなって、またも、
くっつき合ってはみたものの、前に起こった災いが、同じように繰り返され、こうして、
これら二つの苦痛の間を、行きつ戻りつ、やっているうちに、とうとう、互いに或る
適当な間隔を保てば、その状態で最も具合がよくじっとしていられるということを見つけ出した。
―― 人間でも、ちょうど、それと同じように、自己の、内心の空虚さと単調さとから生じた
「社交の欲求」が、互いに寄せ集めるけれども、人間がそれぞれに持つ多くの厭うべき
特質と堪えがたき欠陥とは、再び、彼らを互いに突き放す。彼らが最後に発見した − そこで、
どうやら一緒になって生きてゆくことが出来そうな ― 中庸の距離間隔が、則ち、礼譲といい、
上品な風習というものなのである。この大切な距離間隔を保てぬ人がいると、イギリス人は
″KEEP YOUR DISTANCE!″(あなたがたの距離を守りなさい!」)と言ってたしなめる。――
なるほど、このような距離間隔があるために、銘々の温まろうとする欲求は、とても完全に満たさ
れるわけにはいかないが、その代わりに、棘で刺される苦痛を感じないですむ。――しかしなが
ら、自己のうちに多くの暖かさを持っている人は、寧ろ、社交から遠ざかってしまう。そう
すれば、他人に迷惑をかけないし、自分も迷惑をこうむらずにいられるから。
0599考える名無しさん垢版2020/03/28(土) 01:17:07.540
丸1日誰とも話さない孤独な生活はやはり異常に思える
ゆえに社交性は大切
0600考える名無しさん垢版2020/03/28(土) 01:28:33.620
なんか知性ってやっぱり地球を少し遠いところから眺める様な感覚なのかなとは思う
そういう風に悟ったら自分のことすらちょっと他人に思えてくるだろうし実は存在すら無いようなものだと

家族や友人とか社会や労働から離れるとこんなことを考えてしまうね
0603幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/03/29(日) 17:28:09.820
 さてわれわれがこうした実地の応用はひとにまかせ、われわれの本来の見地、すなわち、倫理的・形
而上学的な見地に帰るならば、第四一章の内容と本章の内容とを結びつけることによって次のような結
論が生じよう。この結論は、あくまで経験を超越したものであるが、しかし直接の経験によって保証せ
られている。――先祖から現在の嫡男にいたるまで一族のすべての子孫のなかに生きているものは、同一
の性格、すなわち、個別的に規定された同一の意志である。しかしこれらの子孫のなかのどの子孫の
場合も彼には別の知性が、すなわち、程度においても種類においても異なる別の認識が授けられている。
そのためこれらの子孫のなかのどの子孫の場合も生が彼にたいし別の側面から別の光に照らされて現わ
れる。彼は生の新しい根本的見解、新しい啓示を獲得する。なるほど、知性は個人とともに滅び去るた
め、この意志は、一代で獲得した知見を他の代で獲得されるごとに、その結果として彼の意欲自
身が別の方向を与えられ、またその方向によって変化を受け、こうして、これが大事なことであるが、こ
の変化に応じてあらためて生を肯定するか、否定するかしなければならない。こうして、生殖のために
男女の両性が必要であるということから生ずる自然の配備、すなわち、意志と知性の組合せがつねに変
わるという自然の配備が、救済の秩序の基礎となる。というのは、この秩序のおかげで、生は意志(その
模像と反映が生である)にたいしたえず新しい面をさし向け、いわば、彼の見守るまえで休みなく回転
して見せるのであり、生を肯定するか否定するかはともに彼の自由であるが、この両者いずれかを生の
見方の変わるごとに彼を決断させるために、手を変え品を変え絶えず別の生の見方をもちだし、彼に
たいしてその効果を試みさせるのである。
0604幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/03/29(日) 17:35:33.400
 ただし、彼がいったん否定の方向の道を決断したとなれば、彼のまえに見られる
全現象は死とともに消滅する。そこで同一の意志にたいし救済の道を開いておくものが、
新しい世界観を授けるほかならぬ知性の不断の更新と完全な変化であり、しかも知性は母親から伝えら
れるのであるから、これが深い理由をなすものと思われるが、あらゆる民族(例外は非常に少なく、い
や、例外かどうか、それもあいまいなくらいである)は兄弟姉妹間の結婚を忌避し、これを禁止してい
る、いやそれどころか、実際に男女の愛は兄弟姉妹間に生じないのである。ただし、彼のうちの一方が
私生児か、でなければ衝動の不自然な倒錯にもとづく非常にまれな例外の場合は別であるが。というの
は、兄弟姉妹間の結婚が行われれば、両者ともに両親のなかにすでにある同一の意志と同一の知性が
結びつき、そのため、すでに存在している現象をあてもなくくり返すだけだからである。
0606考える名無しさん垢版2020/03/29(日) 23:39:57.480
5chは長すぎると改行しないとレスできないんだぞ
長文書いたことないのかな
0608幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 垢版2020/03/31(火) 12:49:13.710
>>593の続き

こうして時は、ますます足跡を残すことなく経過していく。――さらにわれわれは、不愉快なこと
を好んで考えてみようという気持にはならない。とくに、ほとんどの不快事がそうであるように、わ
れわれの虚栄心が傷つけられたことなどはとくに反省してみようという気にはなれない。なぜなら、わ
れわれ自身のせいではない苦しみなどは、ほとんどわれわれにふりかかってくることなどないからだ。こ
うして、多くの不愉快なこともやはり忘却される。些細なこと、不快なこと、この両者を忘れるために
われわれの記憶はますます少なくなる。しかも記憶の素材である人生が長ければ長いほど、比較的最近
のものしか記憶できなくなる。人が乗っている船から遠ざかっていく岸辺の対象がどんどん小さくな
り、ぼんやりとし、しまいには見分けるのがむずかしくなるように、われわれの過ぎ去った歳月、その
ころの振る舞い、体験なども、時間がたてばたつほどあいまいになる。それでもときには、記憶と空想力
がわれわれのはるか昔の生活の一場面を、まるで昨日のことのようにいきいきと再生し、まったくわれ
われの身近なものとして迫ってくることもある。なぜこのようなことが起きるのであろうか? それは
なんといっても、現在とあのころとのあいだの過ぎ去った年月を同等に想起することができないからで
ある。これらの年月は一つの像のなかにおさめて見るわけにはいかないし、その間に起こったことの大
部分は忘却されている。そして、このことについての単なる一般的認識が抽象的に、つまり直観ではな
くたんなる概念として残るだけである。こうした理由で、かなり昔に過ぎ去ったことが、個別的にはまる
で昨日のことのようにわれわれにきわめて身近に現われる。それでいて、そのころと現在とのあいだの
時間は消滅しているため、全生涯が不可解なほど短いものに思われてくる。そのうえ年をとると、とき
には、われわれがあとに残してきた長い過去と、さらにわれわれ自身の年配とが、一瞬間、まるでおと
ぎ話のようなものに思われてくるときがある。一般になぜこうしたことが起こるかというと、それは、
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