記号論について教えて欲しいんだが [転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
小説とかの作品解釈にメディアがどのくらい影響を与えているのかを考えて色々調べてみてるんだが少し触れた記号論ってのがかなりヒントになりそうだったから教えて欲しい
何人か論者がいると思うがソシュール、バース、エーコの3人に絞って各人の論を教えて欲しい
本を読んだんだが上手く整理できないんだ、できる限り簡潔に頼みたい 週に9回はお風呂でおもらしオナニーをしないと落ち着かないんです。 >>909
どんな具合だったのか?具体的にkwsk >>909
あの、貴方は私の何人目の男性でしゅか?💦😲 >>912
なんでわかったのʕ⁎̯͡⁎ʔ༄ぷぴ、ぶりぶりぶりっ >>915
びまたんのこの絵文字ぼくもほしい(о´∀`о) 唐突だけど、「あした」って、夜が明ける頃のことで、「よひ」が夜に入ったばかりの頃ですよね。
「ひなた」とか「かなた」の「た」は、方向というか、向かう先を表しているのだろうから、
「よひ」が夜になることを表していて、夜の"proximal end"とすると、夜の終わりの「あした」
は、夜の「distal/far end of the night」ではないのかな。
そこでなんだけど、誰でも「あす」と「あした」は似通っていると思うのに、「あすか(明日香)」
と「あしかが(あしかが)」が似通っていると思う人がいないのはなぜだろう。どちらも
「遠くまで光を放つ」ことと関係している可能性があるんじゃないかな? >「天空のキッチン」登場
> 横浜ロイヤルパークホテルが70階スカイラウンジを一新。目の前で調理された
>厳選素材を堪能
この「天空の」に相当するニュアンスの古語が、山の枕詞とされる「あしひきの」
であると考えられる。要するに、「あしひきの」が強調しようとしているのは、地上
からの高さである。 言語表現の解釈が難しいのではなく、権力の歴史についてのイデオロギーが、
そのような解釈と矛盾するため、日本語の理解を歪めているのである。 ところで、現代の日本語でも予算オーバーすること、つまり、「予定していたよりも
(出費が)高くなる」ことを「あしがでる」と表現する。これは、いつから使われていた
表現なのだろうか?
https://kotobank.jp/word/%E8%B6%B3%E3%81%8C%E5%87%BA%E3%82%8B-424299 冗談のように聞こえるかもしれないが、「足(あし)」も「葦(あし)」も「先まで延びている」
から「あし」というのだろうと思う。その証拠に英語でも手足のことを「extremities」と呼ぶ。
「あした(明日)」は、「夜が延びた先」、フランス語を用いるなら「au bout de la nuit」を
表していたと考えられ、英語で手足を指す「extremities」を応用するなら、「at the
extremity (of the night)」ということになる。人に物事を頼まれて「あしたやります」と
応じると、英語であれ、別の言語であれ「先延ばしにする」というニュアンスが出るのは
同じである。ところが、ものは言いようで、「朝一で」、「first thing in the morning」と
答えれば、「あしたやる」ことに変わりがないにしても、「つとめて早くやる」意志を
伝えることになる。ところで、「つとめて」は、古語では、早朝のことであり、「努める」
の語源でもある。 現代の日本語で普通に使われている「あしかけ」という表現の説明を見ても、
「あしかけ」が、別に「『足』を掛ける」ことの隠喩ではなく、数えられる
対象の「extremities」まで数えることを意味していることが分かる。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/3769/meaning/m0u/
あし‐かけ【足掛(け)】の意味
2 年・月・日を数える場合、1年・1月・1日に満たない前後の端数をそれぞれ1として数える数え方。例えば、ある年の12月から翌々年の1月までなら「足掛け三年」と数える。 あし‐かけ【足掛(け)】
この場合の「かけ」が意味しているのは、言うまでもなく、英語で表現するなら「reaching」である。 他者の言語に慣れることなしに自らの母語の特徴を捉えることはできない。
それは、ちょうど、いくら毎日、自分の顔を鏡でつくづくと眺めていても、
他人の顔を観察することがなければ、自分の顔の特徴を認識することができない
のと同じことだ。 柿本人麻呂についての史実がどうであれ、その時期がいつであったとしても、
「あしひきの」について、意味解釈の転換があったことはほぼ間違いない
だろうと思う。
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68193
甲類仮名による表記は、記紀や万葉初期の歌には、用いられておらず、柿本人
麻呂歌集以降にしか表れていない。人麻呂は新たな枕詞を創作したり、従来の
枕詞に新たな表記を用い枕詞の再解釈を行った例もあるので、原義が既に不明
になった「あしひきの」の語も、新たな解釈が行われ、表意的な「足引」
「足疾」などの用字が選択されたのではないか。 ところで、古代に言論統制は存在したのだろうか?
文字を使う能力がエリートに限定されていた古代では、言論統制を実施しようとするなら、
文字の使用が教育を通じて一般化している近現代と比べて、はるかに容易だったはず
である。それとも古代の社会は調和に満ちていたので、言論統制など不要だったのか? https://twitter.com/M_Kundera_bot/status/668785686581874690
ミラン・クンデラ @M_Kundera_bot
思い出は忘却の否定ではなく、忘却の一形式なのである。《裏切られた遺言》 考える名無しさん
歴史とは生き残った人々による思い出づくりの一形式である。《哲学@2ch掲示板》 >飛ぶ鳥の明日香の里を置きていなば君があたりは 見えずかもあらむ(『万葉集』巻第一)
「飛ぶ鳥の」は、「あすか(明日香)」の枕詞とされ、そのために「あすか」は「飛鳥」とも
表記されるようになったと言われている。では、なぜ「飛ぶ鳥の」が「あすか」の枕詞
とされたのだろうか。 学研全訳古語辞典
とぶとり−の 【飛ぶ鳥の】
@地名の「あすか(明日香)」にかかる。「とぶとりの明日香の里」
A飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。
出典万葉集 九七一
「とぶとりの早く来まさね」
[訳] 早くお帰りください。
参考
天武(てんむ)天皇の時代、赤い鳥を献上した者があったので、明日香にあった宮殿の
「浄御原宮(きよみはらのみや)」に「とぶとりの」を冠して、「飛鳥浄御原宮(とぶとりの
きよみはらのみや)」と改めたことにより、地名「明日香」の枕詞(まくらことば)となり、
さらに「明日香」も「飛鳥」と書かれるようになった。 >>934
このAの事例では、「飛ぶ鳥の」は、「早く」にかかるとされ、現代語で考える
なら「飛ぶ鳥の」は、「飛ぶ鳥のように」の省略としてそのまま理解できる。
では、>>933で引用した歌の例では、なぜ同じように「飛ぶ鳥のように」
飛鳥の里を「置き去って行けば」と解釈してはいけないのだろうか。後の多くの
歌で「明日香」の枕詞として、(意味不明ながらも?)「飛ぶ鳥の」が前置されて
いるからだろうか。なぜ、そのように解釈が限定される必要があったのだろうか。
さらに、「見えずかもあらむ」は、「見えないのでしょうね」という解釈しかあり得ない
のだろうか。
>飛ぶ鳥の明日香の里を置きていなば君があたりは見えずかもあらむ 折角、明日香の里と「飛ぶ鳥の」を関連付ける>>934の「参考」に記載されているような
エピソードまで記録されているのに、歌の言葉が変に解釈されると思い出づくりに都合が
悪いということはなかったのかな。 フランス革命、米国独立、明治維新、ロシア革命なんかの歴史について語られる
のを聞くとき、どのような政変は誇らしく、どのような政変は誇らしくないのか
という疑問が心に浮かぶ。 学研全訳古語辞典
あに 【豈】
副詞
@〔下に打消の語を伴って〕決して。少しも。
出典日本書紀 仁徳
「あに良くもあらず」
[訳] 決して良くはない。
A〔下に反語表現を伴って〕どうして。なんで。
出典万葉集 三四五
「価(あたひ)なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒にあに益(ま)さめやも」
[訳] 値段がつけられないほどに貴重な宝だといっても、一杯の濁り酒にどうしてまさろうか、いや、まさりはしない。 図書館で、藤井貞和、日本文法体系 (ちくま新書 1221)という本を借りてきた。
単なる文法知識のまとめではなく、著者自身が自らの文法理解を体系的に
示そうとした本で、参考になりそうなので購入しようと考えている。
まだ軽く目を通して程度だが、なかなか興味深い視点で今後の議論を開く
ような方向性で書かれている。
ところで、すぐに目にとまったのが、「豈(あ)に」という表現の説明だが、
「しらに」(知れないので)という表現において「に」が否定を表すように
用いられいていることの類推から、「豈(あ)に」(どうして、けっして)も、
「しらに」の語源として著者が想定する「しらアニ」から、その「アニが
独立した副詞かもしれない」と述べている。さらに、朝鮮語においても
「アニ」が否定の語として使われていることを指摘する点は、「豈(あ)に」
の語源を朝鮮語に求める岩波古語辞典と同様である。 しかし、「あ」が、英語の「far」や「remote」に相当するような様態を表すように
用いられていたと見なす私の立場からすると、そのような解釈は、不自然に
見える。なぜ「豈(あ)に」の「に」が、「まさに」や「げに」と違うように解釈される
必要があるのか私にはよく分らない。「far/remote-に」と見るなら、「豈(あ)に」
は単に「(even) remotely」という英語の表現にそのまま対応するし、「far from
〜」などの表現もすぐに思い浮かぶ。英語で考えた場合には、二重否定に
なり、論理的ではないといっても、二重否定の表現は別に珍しいことではなし、
いずれにせよ、日本文法体系も岩波古語辞典も同じく「豈(あ)に」単独で
否定を表すと解釈している。 両方向で考えていたら、少し混乱してしまったようだ。
>>940
>英語で考えた場合には、二重否定になり、...
の部分は意味を成していないので撤回する。 >>939
拾い読みしてみたが、この本は、著者独自の日本語の文法体系の理解を提示している
が、言語論的には、オーソドックスな日本語学や言語学に沿ったもので、記号論的な
言語観とは対照的な文法主義を明確に主張している。文法書を書くという意図で
書かれた本なのだから、当然といえば、当然だが、その言語観を好ましいと感じるか
否かは、読み手の哲学的な指向によるだろう。 >>938
あに 【豈】
@〔下に打消の語を伴って〕決して。少しも。
出典日本書紀 仁徳
「あに良くもあらず」
[訳] 決して良くはない。
記号論的なアプローチによって得られる推論によれば、
あに 【豈】≒(nicht) im Entferntesten (独語)である。
したがって、「あに」という表現の場合にも、「あ」は、「離れた」様態を表すように
用いられていると考えられる。
参考: http://www.duden.de/suchen/dudenonline/nicht%20im%20Entferntesten
これに対して、藤井貞和、「日本文法体系 」において説明される文法主義的な
(記号論的なアプローチに対して否定的な)推論による「あに 【豈】」の説明は、
以下のとおりである。
>しらアニ sira-ani → sirani「しらに」というように、「に」だけになって否定を
>あらわす。アニは朝鮮語にも見だされる。漢文訓読語の「豈(あ)に」(どうして、
>けっして)はアニが独立した副詞かもしれない。
記号論/プラグマティズムの観点では、アプローチの有効性は、それによって
得られる結果の有効性によって判断される。ただし、文法主義的な立場からは、
そのような正当化の正当性自体が認められないものだろう。 ふと思ったのだが、日本語の「だらしない」、「きたない」、「せわしない」などの程度の
甚だしさを表現する場合の「ない」は、フランス語の「on ne peut plus」という表現に
対応するように、やはり、本来的には否定を表しているのだろうか。 ドイツ語の「schwimmen」という動詞の用法を見ていてふと思ったのだが、鵜飼の鵜は、
水に潜って「浮(う)かんでくる」から「う」と呼ばれるのではないだろうか。すると、
古語では「う(兎)」と呼ばれたウサギも野原で跳ねて草叢から「浮(う)かんで」姿を
見せるために「う」と呼ばれたのではないかという推測が生じる。その場合、「う-さぎ」
の「さぎ」は、「見さく」の場合と同じ用法の「さく」の名詞化と見るのが妥当だろう。
ただし、「見さく」という表現における、一般的な「さく」の解釈は誤っていると考えて、
「(時間的な)間隙における作用を表す様態」であると解釈することになる。 『豊後国風土記』
即ち、天皇の行幸しますと聞きて、親自ら迎へ奉りて奏言を聞きさく。 絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。天皇御悦の余り、埋益(うずまさる)と言う意味で秦酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。 「見さく」、「聞きさく」の「さく」は、「かいま見る」の「かいま」に
似たような用法ではないかと思う。 >>946
鵜飼のう(鵜)やウサギのう(兎)が「浮上する様態」を表すように用いられていたと
推測した場合、それに関連して、「うたた」と同根とされる歌(うた)は、語源的には、
古代の「hip-hop」であったのではないかという憶測が生じる。
岩波古語辞典
うたた【転・漸】Aいよいよ。ますます。
うただのし【転楽し】《ウタはウタタと同根》いよいよ楽しい。
https://www.etymonline.com/word/hip-hop
hip-hop
also hiphop, music style, 1982. Reduplication with vowel variation (as in tip-top, sing-song);
OED reports use of hip hop (adv.) with a sense of "successive hopping motion" dating back
to 1670s.The term in its modern sense comes from its use in the early rap lyrics of the genre,
notably Grandmaster Flash and the Furious Five and The Sugarhill Gang in "Rapper's Delight." >古語では「う(兎)」と呼ばれたウサギも野原で跳ねて草叢から「浮(う)かんで」姿を
>見せるために「う」と呼ばれたのではないかという推測が生じる。
すると、「うさぎ」は、語源的には、「ぴょんぴょんする奴」といった程度のことを表現
していることになり、当たり前の解釈となる。 「うたた」は、「転」と解釈され、勢いを増すことなのだから、もともとは、重力加速を伴って
跳ねながら転がっていく様子を表していたのだろう。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
GQK0X もうしょうがないよ。
事実は闇の中。
内田、井上は運が悪かったけど、
生きているだけでも、有難く思え。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。