あたかも存在しているような時間という概念について [転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
時間は実体の運動と切り離されて考えることはできない。
実体がなければ時間もない。
とすると、実体の運動と時間の関係は、実体の運動によって時間が経過するのか、時間が経過するから実体は運動するのかのどちらかである。
さて、同じく実体の運動と関係するものとして空間がある。
空間も時間も(少なくとも一定の)類比のあるものとみなされている。
そして、空間は実体に対して絶対的に受動的・受容的である。
であれば、空間と類比のある時間も実体に対して受動的・受容的であると考えることができる。
そうであるならば、実体の運動と時間の関係は、実体の運動によって時間が経過する(とみなされる)ということになる。 続き
もし、このように時間が極めて受動・受容的存在だと考えると、なぜ時間そのものを考えるときその存在性を危ぶむほど希薄なのかということも説明することができる。
およそ人間の知覚は受動的なものであり、能動的要素が多い存在ほどそれをよく把握することができ、反対に受動的要素の多い存在は把握することが難しい。
そうすると、受動・受容的存在の極みともいうべき時間については、それを把握することは困難であり、最も無に近いものとして感じられる。
従って、時間の対極である運動と併せて考えられるときは、時間の存在は明白となるが、時間そのものを考えるときはもはや無のような存在として把握されることになる。 中動態とかどうでもいいんだが、"loswerden"という感覚は重要だと思う。
所有することで自らが縛られる。手放すこと、失うことによって「自由になる」。
日本語で"loswerden"の"los"に相当する要素として用いられるのが「ゆ」だ。
「ゆるむ」、「ゆく」、「聞こゆ」、「ゆき(雪)」のように溶ける
http://www1.odn.ne.jp/xenom/gzentei.box/los-.html
4 loswerden:(s) 4 から逃れる、4 を厄介払いする;(ugs.) 4 を売り払う;
(ugs.) 4 を失う;4 (お金)を使う 「ゆくときををしむ」
「をしむ」の「を」は呼び声であり、
この場合、「をしむ」とは、
「Why not stay here a little more?」という呼び掛けである。 「おく(奥)ゆかしい」
Let me get to the bottom of it! 溶けて消えるゆき(雪)
https://en.wiktionary.org/wiki/l%C3%B6schen
Etymology 2
Borrowed from German Low German lössen, lossen, lessen, from
Middle Low German lössen, which is derived from the cognate of
German los (“rid; free”). しばりがとける/しばりをとく様態を表すように使われているのが
ドイツ語の"los"であり、日本語の「ゆ」も同様に使われている。
「自由」や「悠々自適」などの漢語表現においても、「由」や
「悠」は、単に漢字の意味ではなく、「ゆ」が表す様態を心/意
として伝えるように用いられていると考えるのが妥当だろう。 1日は太陽の運動量
時間は計る対象は違ってもある物理の運動量
ここからここまでということ
時間が実在するなら太陽は無限に実在しなければならない
つまり時間は運動量の抽象であり、自然に実在するはずもなし 一日は地球の自転運動で定義される。
太陽の運動って言うって事は、どうやら天動説を信じてるようだね。
16世紀辺りの人かな? >>842
基準は仮設
だからここからここまでとかひ ここからここまでと仮に設定する。
これは認識が必要とすること。
てわ 天動説は地球が静止していると認識することが間違い
認識が地球が静止せ つまり地球が静止していることが運動理解に必要ではあるが地球自身も運動している。
べつに地球が不動としても、それが仮であることを理解していれば良いだけ。 >>850
そうか、ここがわかっていないんだ
認識というのは本質として仮ということがわかっていないんだ
ここから始めようか
規制があり、中断するかも知れんが
現代科学者も方程式の性格を誤解してるからな。 認識が仮であり、そのままじゃないことを見抜いたのがはひ ヘーゲルであり、精神の現象学序文でそのことを語る
彼の否定もスピノザの否定もそういうこと
否定の否定は科学革命の本質 今日も明日も忙しいが、まあじっくりやるか
認識は認識主体と客体が前提となる
科学革命は主体の実在の否定 いや、そうか、ここが詳細に論じられるべき箇所だな
認識は自然の直線の反映ではない
あくまでも媒介がつきまとう 時間もまた媒介だが
自然認識が直接の反映だと誤解してるのが現代科学
地動説も太陽が不動という仮の認識 さて一休み
しかし説明すべき要が発見できたな
これを序論で述べる必要があるな
いやいや収穫があった
ある意味アリスに感謝だ 太陽、自転、いずれも運動量
運動量で認識してる
運動量自体は実在しない
それが仮ということ
仮というが意識されていない じゃ次回に
・・・ここは徹底的に論じなきゃいけないな
一回りという運動量が認識であり、量は実在せず
時間が実在しないことにも繋がる 序論、書き直します
これが要なんだなあ
ここを理解しないとわからない
新段階に昇れそうだ 仮の運動量を時間としてある物理に仮の運動量の大いさを計る >>863
訂正
ある物理の
分かりにくいな
またにする それは、要するに不確定性原理だ。
科学者は、とっくの昔に気付いてるよ。 不確定性原理は理解されていない
それは仮で認識されるから 運動を静止で理解する
有を無で
近似値でしか認識できない
座標原点が仮であると理解してたのなら
ビッグバン学説なんてない 量子力学の保存則の破れも近似値理解が本質
認識=自然だと理解している >>870
認識は仮が前提だと理解してないから
現代科学の混乱はないし、アインシュタインーボーア論争もない
両者は認識がそのまま自然を反映、いや
ほとんどの科学者がそう理解している
例外はあるが 座標で理解してるが座標なんか自然にはない
時間もまた いずれにしても認識の根源の説明は徹底的に展開しないと
ここが焦点なんだな 自然という対象をその否定で
つまり実在と非実在
上手く説明できるかなあ 話は単純そのもの
運動を静止で理解するから
ある大学者は真理は単純なんだなと慨嘆している
わたしも実感できたのがとても良かった 上手く説明できないのは、間違いだから。実に単純だね。
無とか無限とか、比喩して抽象化した挙げ句に、時間は実在しないと間違った結論を何回繰り返えす。
時間の無駄でしかないよ。 >>832
なにも無い空間に時間は流れているかどうかを考える。
これは断定できない。
だから、全く運動が無い空間に時間が流れている可能性は否定できない。
詰めが甘いね。 >>878
違う。
単純なモデルを選びたがるだけ。 2chに哲学を書き込んだり議論するということは夜の空に星をちりばめていくようなものだよ。 時間に大きさが無い→存在しない
・・・わからない、謎だ 笑 ちがうよ。
2ちゃんてのは少なくとも物語の作者が取り上げるべきある程度のコンセンサスとして扱われてる。
そういう扱われ方したコンテンツの1つや2つ見たことあるだろ?
人間っていつもこう都合に任せて物事を決め切るよな。 等間隔で有る事を問わない順序さえ次巻に含もうとするバカがあとをたたないから話しが無駄に引き伸ばされる。
時計は役立つがその働きの範囲には、お前らの見えない次元は含まれない。 ほら、時間を次巻って変換したよ。
だから嫌なんだ。
ががえたころでは、チャップーズーしか
のションに過ぎなかったということだよ。 えたころャップー
, -─- 、
/::::::::::::::::::::::::\
/:::::;;;::::::::::::::::::;;;::::::',
l::: ◞≼◉≽◟ - ◞≼◉≽◟::l
r .、 l:::::::::::::( ー' )::::::::::::l
l:::::l 〉:::::::::::::`~´:::::::::::::〈 : のショがえたチャップーズーか
|:::::l /::/` ─----─ ´ ヘ:', のションに過ぎなかったということだよ。 えたころャップー
|::::::', /::/ _____ ';:',
|::::::::ヽ. /::/ 「r─ュ-|. ';:ヽ のションだよ
l:::::::::::::`::::;' |.| l | l::::ヽ
';:::::::::::::::l. | !.-'´ | l:::::::::',
ヽ::::::::::l | ( ̄:`:::-、l:::::::::',
`7:::::! └─ヽ::::::::::::::::::::::::l
l:::::| `丶、 _:::::::ノ
|:::::| |:l 過程の出発点は論理は静止だという規定だな。
ここが否定されない限りくせ 過程の出発点は論理は静止だという規定だな。
ここが否定されない限り崩れないな。
アリス程度では歯が立たない。
俺は自分しっち
、 さて働くかな
アリスの批判は空回りしているだけ
い 時間とは、反復する現象の観察から推定されて、
単位として用いられる曲率円の円周長である。 時間が直線規模なことはなく、曲がってるかシュールレアリストのような、
異次元の時間をつむいでいることが現実的で、シューレー リアリズムとでもいおうか、哲学的な、言語的背景や遺伝もない弁証法では、時間は割り出せないか、
間違った時間点をついてしまう。 論理が静止と一般的にいうと、確かに理としてはそのことに気付くが、
論理自体現実を写すためのずれたフィクションだから、ズレてると思うと静止していない。 スレるとタコができる
https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Jaded
Jaded
A state of disillusionment and sadness. You see through everything and
have no illusions about what is true. So many negative things have
happened that it becomes difficult to stay positive about what once
gave you hope and joy. Sometimes you might think there's hope, but
then more negative things happen in the aspect you are jaded in, and
you become more jaded. This can be felt in many different aspects:
Love, friendship, politics, trust, music, objects, etc. マクタガート
A系列とB系列
B系列は物理現象としての時間
三人称としての時間
a1a2a3のそれぞれの時点で時間の経過と共に世界は変化しているがそれは主観にとっては変化しているとは言えない
a1a2a3のそれぞれの時点の物理的事実を取り出して並べてもそれでは時間的変化を説明できない
a1のあるコンクリートがa2のあるビルに変わる関係はある主観的視点を通してしか関係つけられないから
a1とa2とa3のある物が同じ物が変わっているという変化があったと言うためにはそれらは元々は同じ物だが変化したと証言する者がいる
視点がいる
それがないと変化は説明できない
変化したと言うためにはその前に同じだったという証人がいる
B系列は変化を証言する証人がいないから時間を扱えない、三人称だけでは時間ではない変化ではない
ここまではいいね
A系列一人称の時間
ある時間から見てこの物はこう変化したと証言する一人称がいる
コンクリートは確かにビルに変わったのを今、目撃した
今、目撃して証言した
世界はこうであったと把握しその世界がこう変わったと言う証人になる私
しかし、私が今、ここで世界を目撃し証言しているのは今だからだ
変化とは今、起きるものだ
過去とは何かかつては今だったかも知れないが間違いなく今は今ではない物が過去だ
未来とは何か今だ来たらざるもので間違いなく今でない今だ
過去がかつての今だから未来が到来する今だからと並べていいのか
それは今ではない
それはB系列を密輸入しているだけだ
主観的な確かな今の関係ではない
今ではない過去や未来が今でしかない主観や関係を表してはいけない
表すなら今ではない物が今だという矛盾でしかない
時間は実在しない 通常は時間は三人称的で客観的だから実在すると言う
一人称にしてある視点から見てこの世界のあるものは次の時間でこう変わったと言う関係変化を導入したとしても
それは本当の一人称今ここの視点ではない
何故なら変化は今という視点からしか言えない
一人称の視点から見て過去現在未来がひとつながりで続いているとは嘘だ
それは三人称をB系列を密輸入した偽りの一人称でしかない
過去はかつては今だったかもしれないが今は今ではない
未来はいつか今になるかもしれないいや必ずなるかもしれないが間違いなく今は今ではない
今ではない変化も関係も表せない物を無理矢理並べてもそれは時間ではない
それは時間ではない、時間とは今とは無関係だ
時間を視点や変化を語る証言を必要とするなら B系列は主観がなくある物がある物に変化したとの視点や解釈、証言が存在しない
変化がない、時間ではない
A系列の主観的な時間の中から今感じている関係、変化、「今」を特権化してA系列自体を否定する
この二つの戦略がマクタガートの時間の非実在論 「アキレスと亀」の時間バージョンみたいな感じというところか。
たとえば、「今、あそこのカフェに堀北真紀に似た女がいたぞ!」と
誰かが言ったとして、そこで言及されている主観的な一人称が言った
「今」は、言及した瞬間にはもう、その言葉が指すものも、言及者自身も
その対象者(堀北真紀やあそこのカフェ)も「過去」となるので、真理的に
これを厳密に表現したいなら、
「かつて、あそこのカフェに堀北真紀に似た女がいたぞ!」
という風にでもなるのかな。仏教だと生成変化を細かくみるので、時間だけで
なく、存在も自我も空であり、もともと無いものだと描写されるけど 時間 モノ 同じものを見て感じているのだろうか。ものには本当の姿があって
時間も仮計測しているような、仮の姿をまとっているだけかもしれない。
物事の本質や、奥の方、になにかがあって、それにたどり着くことが出来ないことがむしろ哲学的だよな。本質的にモノや時間は現れないかもしれないが、自ら己を変化することで
物の本質、時間の多様性に届くようになればいいのだけど。 マクダガードやラカンはさておいて、君たち自身はどう考えるんだい? アナタはどう死ぬの?
never live ever die. コンビニ テン ポイントか ノース フライト マイルか。 B系列とA系列の対立、更にはA系列を破壊するみたいな思想上の問題には客観主義と主観主義の対立がある
B系列は客観主義者A系列は主観主義者A系列さえ破壊するのは超主観絶対主義者
まあ、近代は自然科学を元にして客観主義が基本主張にある
B系列が中心だが突発的にA系列がでて来る
それは本来B系列の経験論を突き詰めたヒュームが因果性も経験からは出てこない
経験論を突き詰めると客観的な認識は存在しないとやったから
そこでカントはこう考える
確かに物を経験から集めてもそれがどういう配置であるべきか何々であるからは何々すべきは出てこない客観の側にはB系列からは
しかしそれは主観が与えるんだ
これがカントのコペルニクス的転回でA系列の思想
認識に世界は従属する
個別の知覚経験という客観からは太陽が明日も東から上がるは出てこない
それはあくまでA系列から出る物で時間や空間は物自体ではなく現象界のA系列だ ベルクソンやハイデガーも時間に関する哲学者
三人称客観への物への還元に反対する
ベルクソンは時間は物ではない空間にある客観物ではなくそこからそこに収まらない差異がある
B系列では説明できない差異化、関係性がある、ここらへんの持続の議論はマクタガートと同じでA系列論者
ハイデガーは時間はやはり単なる物ではない無限な神の計画ではなく死すべき有限な人間の物だ
民主主義や資本主義は世界を計量可能な単なる客観B系列にしてしまう
先駆的決意性でプラトニズム反対ナチス万歳
A系列が根源的でプラトニズムやキリスト教は世界を堕落させドイツの民族的使命をギリシャゲルマン万歳 時間に対する哲学者はこのように一人称で三人称に対抗することに取り憑かれる
B系列や物理現象に還元する思想に立ち向かう
時間の哲学者ではないがフッサールも一人称の側から世界を把握しようとすると認めていい
しかし、それらは一旦、A系列の優位を認めても再びそっからB系列にでばるこっちの方がより根源的で客観的だとやり込めるためでしかない
カントもベルクソンもハイデガーもフッサールも政治的立場主張は正反対で違っても、政治的に天下を取るため支配するための仮の手段としてのA系列
マウントを取るためにB系列を否定してA系列に走る、一方のB系列にも物理主義論理実証主義みたいなバリバリの三人称客観主義者もいればクワインだ廣松みたいに還元主義を否定して関係性だホーリズムだやるのもいる
それらの先達には仏教やヘーゲルアリストテレスがいる、B系列のマウントの取り方も様々
そこでマクタガート
そうじゃないんだ、そういう偽りのA系列論者、主観主義者は偽物だ
その一人称は偽物だ真の一人称は客観主義を目指さないマウント取ろうとしないんだ
超主観主義から客観主義者や主観主義者、B系列論者やA系列論者を否定する
A系列の関係性視点からの変化だってそれがあるのは今ここでしかなく過去や未来は今じゃないから過去や未来を導入するのは矛盾だ過ちだ時間は実在しない
B系列やA系列のマウントの取り方を批判してマウントを取るための超主観主義
マクタガートの時間論を精力的に紹介し分析していたのは入不二基義、マクタガートの論文を翻訳したのは永井均
永井は独在論で有名な隠れもなき超主観主義者の極北、入不二は必ずしも超主観主義者でないんだが懐疑論や超主観主義が実在論に一致するとの論陣で有名
客観主義や主観主義と超主観主義のこういった争いマウントの取り合いと時間に関する哲学は直結する「さだめ」にある
その一人称は生ぬるい
真の一人称とは何かとの問いと時間論は切り離せない
ここまで整理して始めてマクタガートの時間の非実在論も理解できる
じゃないと何でここで戦うか理解できないし実際にマクタガートが何を言っているか
マクタガートや永井均の議論は八割締めるB系列論者には事実理解されていない 通常はマクタガートの議論が真の一人称に核心があるとは理解されていないが永井や入不二の議論でかえってわかりやすくなった
客観的時間B系列を否定して主観的時間A系列も批判して主観主義でも客観主義でもないかに装っているが
真の一人称からの批判だと今ここしか認めない立場から三人称や偽りの一人称を批判していると理解すれば
何故B系列とA系列が互いに絡み合い廃棄させられるのかの議論が理解可能になる
皆がここで戸惑っていた単なるA系列でいいのではないかと
マクタガートの理論を理解できなかったが
真の一人称の視点から見れば少なくとも立場は理解できる
そして大半の無理解と一部の突発的熱狂的支持は真の一人称にシンパシーを抱く独今論者や独在論者が哲学史にポツポツ単発的にいて
それをはっきり声に上げた永井や入不二で理解可能になったということ マクタガートの議論はB系列に還元できない主観や関係への視点が時間には不可欠、
そういう議論だけなら賛成にしろ反対にしろここまでは理解できる
しかし、こっからA系列も過去現在未来が辞書的順位でB系列が必要だから矛盾するで大部分は脱落する
理解不能になる
しかし、それはA系列も真の今ここではない真の一人称じゃないから
真の今、現在の変化から見れば主観に立っているかに見えるA系列も
真の今ではないと批判していると考えれば何も難しいことがない
思想的に真の一人称や真の今にこだわった入不二や永井がマクタガートの紹介者になるのもその意味では当然かつ必然 >>924
ただの人間心理の問題。
心理学で言い古された課題だよ。 A系列が現在?
太陽は8分前、月は1.3秒前、星々は数年前やら数千年前やら、点でバラバラだ。
詰まり、A系列は真の現在などではなく、単なる可視光の寄せ集めに過ぎないね。 >>930
時計もカレンダーも、時間じゃないだろ? >>931
時計やカレンダーは時間計るものな
時間が存在しないなら計れない >>932
だから、時間ではない、と言ってるんだけど?
時間てなんだと思う? 時間存在しないけど時計使いたいとか自分勝手もいいとこだよなw
自分で矛盾してることすら気づかないのかな? >>935
あるかないかを聞いてるんじゃなくて、時間とはなにか、を聞いてるんだよ。
論破する前に、短文の読解力を身に着けようね。 >>934
時間が存在する、というのは、どうやって証明したの? >>936
おまえこそスレタイ読めw
時間とは何かなんか他の奴に聞けよw
>>937
おまえさんは自分が今使ってるスマホの存在にもわざわざ証明を求めるのかw >>938
時間という概念について、なんだから、時間とはなにか、もスレの主題だろ?
今使ってるスマホは、見えるし触れるし音も出る。
時間は見えないし触れないし音もしない。
そうだろ? >>939
時間は存在するから、時計を見てカレンダーをみる
そうだろ? 時間は存在しないとかいうアホは時計もカレンダーも時間に関する概念も使用しないことによって時間の非存在を証明してくれw マクタガート「時間は存在しない!」
俺「マクタガードさん、今何時ですか?」
マクタガード「12時21分だ」
wwwwwwwww >>940
でも、それは時間ではなく、空間での物の移動を時間と称してるだけだろ?
時間を見てるんじゃなくて、空間の移動、つまり社会活動の進み方を見てるだけじゃないのか? >>941
社会や自分の活動の目安、つまり社会や自分がどう動いているかを知ろうとしてるだけじゃないのかい? 動くってどういう事?
時間の概念を抜きにして説明してみて? 動くってスライドさせる事
延長や時間の概念を抜きにするには
連れ出しという感覚を持たなければならない >>946
物の移動に、時間という概念は不要だ。
異動の状況を、時間という概念で説明してるともいえる。 >>943
違うね
空間での物の移動から生じるのは距離であり、時間はその運動を測るもの
全く別物
>>947
物が移動するということは、質量*加速度
加速度は時間なしでは成り立たない
>>948
>物の移動に、時間という概念は不要だ。
物の移動に時間は必須なのによく正反対を言えるw
時間が関係しない移動とやらを一つでも挙げてもらいたいものだw
テレポーテーションでもするつもりか?
>異動の状況を、時間という概念で説明してるともいえる
ほれ、自分だって時間を使ってるではないかw
時間の概念は時間から生じる
時間以外から時間の概念が生じることはない >>949
時間というのは、物の移動を表現した言葉の定義に過ぎない、ということだね。
標準時も、地球と太陽の相対的な移動を基準としている。
物の移動を○○メートルと表示するか、○○時間と表示するかの違いだ。
僕が時間という言葉を使っても、言葉があるから実態がある、ということにはならないからね。 >>950
詭弁w
更には無知晒して恥ずかしいw
標準時が太陽時とかいつの時代だよw
>物の移動を○○メートルと表示するか、○○時間と表示するかの違いだ。
a:ものの移動
b:メートル表示
c:時間表示
a=b
a=c
b=c
以上、時間で表示されたものは物の移動で表示可能ということになる
「今日何時間寝た?」
「10km寝た」
あたまおかcwwwww ×時間で表示されたものは物の移動で表示可能ということになる
○時間で表示されたものはメートルで表示可能ということになる >>952
寝るという行為は、主に脳の働きによる、つまり脳の動きだ。
厳密に脳内物質や神経物質の動きとしてとらえることができる。
極めて精密な測定法が開発されれば、距離として表記することも可能になるだろう。
いまはそれができないから、便宜的に時間という単位を使っている。 >>954
常識に反した奇説に固執した末路って感じだわw
>極めて精密な測定法が開発されれば、距離として表記することも可能になるだろう。
A−−−−−−→B
脳内物質が、AからBに移動すれば、空間的にAは後であり、Bが中心(脳内物質の所在)となる
時間的に言えばAは前であり、Bが今である
この時点では、時間的表現も空間的表現も同じ結果を言い顕しているように思える
A−−−C←−−B
ついで脳内物質は、BからAに向かって移動しつつCにあるとする
とすると空間的にはCが中心であり、Aが前となり、Bが後となる。
時間的には、Cが今であり、Bが前であり、Aがより前となる。
ここにおいて空間の移動と時間の経過の表現は一致しない
空間的表現においては時間は完全に切り離されていることが分かる
Cの時点で空間的距離はA−Cの間のしかないのに対して、時間の経過ではA→B→Cの距離を持っている
つまり空間的距離それ自体は、時間とは無関係であることを示している
>距離として表記することも可能になるだろう。
とするならば、それが可能なのは空間的距離ではなく、時間の経過によって生じた距離の総数によって可能ということになる
つまり時間こそが主体となる
完全論破してしまった……ごめんねw >>956
>BからAに向かって移動しつつCにあるとする
それは、Aは測定対象になっていない、ということだよw
無いものを計ってどうする気? >>958
ニューロンって相互に化学物質送りあってるんだけど
最初に化学物質が出た所がAで受容された所がB
後はわかるな? >>960
うは、理解してないw
その総和が空間的距離からは導き出せず、時間によってしか出せないっていう論証なのにw >>961
>時間によってしか出せないっていう論証
その時間とはなにか、というのが、君のレスからはどこにも出てこないんだけど? 時間は延長できるという先入観がある
時間の概念がなければ運動できない
そんなに厳密なものではなく、
少しぐらいなら時間が過ぎても運動は続けることができる >>964
物の移動も、自由に伸び縮みできるよ?
時間という概念が便利ではあっても、時間とはなにか、という説明にはならないよ。 時間の概念・意味やその使用に誤りがあるからといって「時間」が存在しないことにはならない 運動は時間にそんなに精密ではなく
延長しなくても運動を続けることができる >>964
>>967
じゃあその時間を超えた運動の実例頼むわ
なにいってる全然解らんから >>962
>>963
レスの流れもわからんのかw
>>956では時間が何かとは論じてないんだから当たり前w
おまえさんが言った「距離として表記することも可能。いまはそれができないから、便宜的に時間という単位を使っている」という珍説をありえないと証明しただけのことw
反論あるなら、どうやって物の運動の距離から時間が導きだれるか証明してみたいいだろw(それができないと証明してしまったわけだけどw) >>950
>時間というのは、物の移動を表現した言葉の定義
もっと簡単にこれがありえないことでも証明するか
物の移動は距離・速度・時間の三要素からなっている
>距離として表記することも可能になるだろう。
もし、珍説君の言う通り時間が距離として表記することも可能となるならば、
速さ・距離・時間を求める公式
距離=速さ*時間
時間=距離/速さ
距離=速さ*時間
は
距離=速さ×距離
距離=距離/速さ
速さ=距離/距離
となるらしいw
こんなのがありえると考えている珍説君の世界観はどうなっているのか知りたいものだw >>969
自己レスだが
>どうやって物の運動の距離から時間が導きだれるか証明してみたいいだろw(それができないと証明してしまったわけだけどw)
は正確な表現ではなかったので取り消し >>969
時間とはなにかがわからなければ、存在の有無を論じることは無意味だよ。 >>970
>物の移動は距離・速度・時間の三要素からなっている
>速さ・距離・時間を求める公式
時間という概念を設定するから、その公式になってるだけ。
いわば同義反復だよ。 易を立てると、指向した未来や過去の風景が出てくるという現象を確認したんだが、こりゃどうなってんだ。なんか根底から間違ってる気がする。 >>972
はい詭弁w
>>973
同義反復の証明しなければ詭弁 >>975
説明もできないのに、ただ、あるんだあるんだといってもねえ・・・w
なんでもあることにできちゃうよ。
時間とは移動のことだ、という説明に対して、移動とは距離と時間のことだ、といっても同義反復だよ。
理解できるかな? >>976
詭弁w
説明のできるできないは存在の有無とは関係ない
宇宙の果ての状況が説明できなかったら存在しないことになるのかw
>時間とは移動のことだ、
>移動とは距離と時間のことだ、といっても同義反復だよ。
中学生以下の理解力だなw
速さ、時間、距離の公式は現実に合う計算式であり、それぞれの関係性を表しているものだw
同義反復ではないw 時間の説明説明いうが、おまえも説明してないじゃんw
時間はない〜、距離が〜、移動が〜繰り言言ってるだけで、それが本当にそうなのか何一つ証明してないw
結局自分では説明してる気になってるだけのw >>977
>宇宙の果ての状況が説明できなかったら存在しないことに
存在するかしないかわからないだろ?w
>それぞれの関係性を表しているもの
時間をあると仮定しての関係を表しているだけだから、移動を時間で説明するのは同義反復だよ。 >>978
時間とは、物の移動のことだ、とちゃんと説明してるんだけど?w
少なくとも、世界中で日常使われている時間というのは、地球と太陽の位置関係、つまり物の移動をもとに設定されてるんだよ? 速さ・距離・時間を求める公式というときの時間と時間は存在するかというときの時間は同じ意味の「時間」なのか
速さという概念自体に既に時間の概念が含まれているからある種のトートロジーであることは間違いない >>979
おまえには分からないのかw
俺には分かるけどw
>時間をあると仮定しての関係を表しているだけだから、
仮定ではない
何故なら現実に合致するから
>移動を時間で説明するのは同義反復だよ。
はい論理の飛躍
仮に時間が仮定だったとしても移動と同義であることにはならない >>983
時間とは概念の問題。
物の移動を時間という言葉で表している。
これを否定できてないよ。 >>981
>時間とは、物の移動のことだ、とちゃんと説明してるんだけど?w
証明されなきゃ説明じゃないんだよw
そう書いてあるだろ読めないのか?
好き放題言えば何でも説明になるにかよw
>少なくとも、世界中で日常使われている時間というのは、地球と太陽の位置関係、つまり物の移動をもとに設定されてるんだよ?
違うって上の方でレスしただろw
なんで標準時が平均太陽時なんだよ
無知過ぎるw >>985
なにメチャクチャ言ってるんだよw
世界で使われている時間というのは、地球の自転と公転をもとにしてることも知らないのか? >>982
>速さという概念自体に既に時間の概念が含まれているからある種のトートロジーであることは間違いない
あるものがあるものに関係性があるなら概念を含むのは当然だろうが
それはトートロジーでもなんでもない >>985
>時間とは概念の問題。
物の移動を時間という言葉で表している。
これを否定できてないよ。
物の移動と質量×加速度
加速度は時間なしには成り立たない >>987
関係性以前に定義の問題として速さという概念には既に時間の概念が含まれている >>989
そりゃ恒常的な関係性があるんだから当たり前 >>989
あと速さと時間の関係は概念だけじゃないのは既に示されている
それを無視して概念概念いってもしょーもないw >>991
だから関係性じゃないんだって
速さ・距離・時間を求める公式というときの時間と時間は存在するかというときの時間は同じ意味の「時間」ではない
君のいう関係性における時間は前者の時間
速さという概念には既に時間の概念が含まれているというときの時間は後者の時間
だから時間は存在するかという問いに対して速さの概念を持ち出すのはある種のトートロジー 哲学的な思考をするためには語る対象に対して
抽象度を一つ上げた概念を使って説明する必要がある
しかし時間より抽象度が高い概念を設定することが困難なため
皆「時間とは何か」という問いにうまく答えられないでいる >>993
>だから関係性じゃないんだって
>速さ・距離・時間を求める公式というときの時間と時間は存在するかというときの時間は同じ意味の「時間」ではない
同じだよw
違うっていうにはこれとは別におまえさんが自分で作り上げた概念に時間と名付けて別物っていってるだけw
>君のいう関係性における時間は前者の時間
これはそうだw
>速さという概念には既に時間の概念が含まれているというときの時間は後者の時間
ここが君が勝手に作り上げた設定だな
>だから時間は存在するかという問いに対して速さの概念を持ち出すのはある種のトートロジー
おまえさんがトートロジーとなるように作り上げた概念だからなw >>994
時間とは何かとは誰にも答えられないと思うわ
時間の性質と物や空間との関係性からある程度このようなものであろうということが考えられるのが限度だと思うわ >>995
違うよ
例えば1603年に徳川家康が征夷大将軍になってから1867年の徳川慶喜の大政奉還までの時間の流れを距離と速さでどうやって表現する? >>997
時間を距離で表現できるってトンデモ主張したおまえだろw
早く表現してそれを証明してくれw でもいいたいことはわかったわ
もうスレ終わりそうだからじゃあなw
なかなか楽しかったからありがとな このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 1252日 8時間 46分 7秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。