スピノザ [転載禁止]©2ch.net
浅田彰 ライプニッツはものすごい天才だと思いますが、哲学に関するかぎり、
スピノザはもっとすごい天才かもしれないですね。いまだにぼくはスピノザと
いうのがよくわからないんです。 ハードカバーの方が所有しているという喜びを感じることができるんだよ。
余白にも書き込みやしやすいし。 ワイド版の岩波文庫を買って雑誌製本してもらうという手はある ゲプハルト版ラテン語原文との対訳仕様なら今出しても価値はありそうだな
競馬でも当たったら買っちゃうんじゃないかな ゲルーの注釈本とゲプハルト版の翻訳、今からでもやってくれい 新訳よりめぼしい解説書の翻訳のほうがありがたいかもね
公理7でもう躓いちゃったよ
たぶん向いてないし俺の頭も悪いんだろうけど
わかりたいんだよなあエチカ 第2部定理8の矩形の説明は佐藤訳の訳注が詳しかった気がする 神学なんとかってのが本棚にあるけど、ラテン語勉強していないから当分、読む予定はない。 神学政治論のラテン語の原書があるよって話か?いいな みすず書房で出している、佐藤訳の『エチカ抄』は、他の訳者との違いを際立てようとするあまり、
全体的に妙な当て字を使っているから読みづらいのだ。 いっそ可能な限り言語的曖昧性を排して
すべての連関を図解で示してもらいたい 神にも人間にも自由意志はなく、一切の事物は必然であるなんて、
スピノザ哲学のどこに魅力があるのかわからねえ。
スピノザ哲学の解説書をやっと見つけた暇な時間に
酒をやりながら開いたが、酒がまわっているとよくわからんな。 3:56備考
http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note3p56n
備考 きわめて多様であるべき感情の種類(前定理により)の中でも特に著しい
のは美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲である。これらは愛もしくは欲望の
感情の本性をその関係する対象によって説明する概念にほかならない。なぜなら、
我々は美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲を美食、飲酒、性交、富および
名誉への過度の愛もしくは欲望としか解しないからである。なおこれらの感情は、
単にその関係する対象のみによって相互に区別される限り、反対感情を有しない。
http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note3k48
…これらの感情に対置されうるものは、我々がのちに述べるであろう寛仁と勇気のみ
である。 定理は面白いけど、情報は伝わるものの、文、読書 行動
として成り立つにはまだ時間がかかるだろう。情報の受け手の対応策も大事なら
書き手の送り手への配慮も賭けてはならないと思う。天才的というより
独立している、書簡だと思う。 心に響く。頭で理解していなくても、理屈を捏ねて否定しようとしても、
既に伝わってしまっている。 心理学や病跡学でIQ180と推定されているゲーテが、
スピノザの「没我主義の輝き」にひきつけられたと言って
(『詩と真実』)、
スピノザを研究していた時期があるくらいだから、
スピノザってのは凄いんだろうな
ゲーテのスピノザ論
https://www.soka.ac.jp/files/ja/20170428_224130.pdf >>182
お前は真実性よりも魅力のあるなしで哲学に関心をもつのか スピノザを推す人たちが豪華すぎて無視できない
万が一わかったらそんな偉人たちと肩を並べた気になれるのだとしたら
そんな幻想抱いてもいいよねなんせスピノザの翻訳薄いし安いし >>1
浅田彰って修士だったんだな
博士は持っていない
まあ論文すらまともに書いていないんだから
彼の学者としての限界は意外と早くて
助手になってからすぐだったんだだろう
書けないんじゃどうにもならない スピノザ実践の哲学でドゥルーズがヘンリー・ミラーを引用してるけど
そのミラーの出典分かるって方いらっしゃいませんか? 大江柄谷全対話より
2018[1995]
大江 …
自然と、自然の中に含まれるすべてのもの、僕のようなもののサブスタンスも実在
も、全部神という大きい実在のうちにあるもので、自然イコール神であると同時に
神は実在全体に対する認識を持っていて、その認識の一部として僕の認識もあると考
えれば、むしろ歴史の対極にあるものだと思います。
ところが、そのような僕たちの実在、神の認識の中で動いて生きている僕たちの実
在が、じつは歴史を構成している。そうすると、あなたがおっしゃったマルキシズム
も、あるいはポスト構造主義も、スピノザの考え方の展開の中にある。その意味で、
僕は決して矛盾しないと思うんです。
それをはっきり具体的に示していた人はドゥルーズです。マルクス主義との関係、
あるいはポスト構造主義との関係においてスピノザを考えれば、ドゥルーズはこれか
らも非常に意味のある人だろうと思います。
118頁 柄谷
…スピノザは人格神を想像物と見なしています。
しかし、神 世界 自然=唯一実体という考えの中には、ヘブライ的なものが入って
いると思います。それが伝統的な形而上学、あるいはデカルトの実体論とは異質な点
です。スピノザが永遠と呼ぶのは、この歴史的世界を越えるものではなくて、この歴
史的世界そのものだと思うんです。
一見すると、それは矛盾するようですが、このような矛盾は、スピノザが自由意思
を否定したことについてもいえます。つまり、それなら、彼の行動は、自由な決断で
はなかったのか、というような。もちろん、彼の決断は自由になされています。しか
し、それは彼がこの世界を越えてあることではないし、さまざまな諸原因によってい
るわけです。すべてが自然的原因によって決定されているから自由はない。しかし、
自由はある。この問題を徹底的に考えたのはカントだと思うんです。いわゆる第三ア
ンチノミー(二律背反)というのがそうですが、彼は、これは第一 ・第二のアンチノ
ミーと違って、矛盾しないと考えました。彼は、この二つの次元が違うというふうに
考えたと思うんです。片一方から見れば、すべて自然に決定されているともいえる。
しかし、片一方から見れば自由であるともいえる。永遠と歴史にかんしても同じこと
がいえると思います。
120頁
1996 ----------------------------------------------------------------------------------------
神は一切である
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在しない。
神即自然 | スピノザ
https://hitopedia.net/%E7%A5%9E%E5%8D%B3%E8%87%AA%E7%84%B6/
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「一切の事物は必然である」って、『エチカ』のどこに書いてあるのか教えてください
とても気になる部分です 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 第1部
公理三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反して
なんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。 >>195
195番さんの書き込みは、
「一切の事物は必然である」、
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在し
ないという事とは、少し意味が違うと思うんですが・・・
「一切の事物は必然である」って、『エチカ』のどこに書いてあるんでしょうか? 「人間は自由の刑に処せられている」と言ったサルトルだったら、
「一切の事物は必然である」と断定したスピノザを、どのように否定するだろうか。
スピノザの、
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在し
ない。
事物の必然性の背後には神がいる。神の本性が自然のあり方を決定しているので、事物は
いまあるように存在するほかない。全ては必然的なものとして、神に決定されている。
といったスピノザの定説の根本的な誤りに、サルトルは明確に言及するかもしれない。 スピノザでは必然こそが自由なんだよ
いやまじでそういってるらしいんだよ 第2部
定理49備考
…三角形の本質からその三つの角の和が二直角に等しいことが生ずるのと同一の
必然性をもって、一切のことは神の永遠なる決定から生ずるからである。 ちなみにスピノザのいう神とはいわゆ神さまとは違うからなる そもそも定義で自由という言葉の使い方を普通とは変えている 『スピノザの世界』のキャッチコピーによると
「神は制作者ではない。神にも人間にも自由な意志は存在しない。」
神に決定されているんじゃなくて、神「も」決定されているって感じだ 現代の科学的決定論から見たら
当たり前のことを言っているだけのように見える いや本当にとりあえずエチカを翻訳で読みなさいよ
岩波でも中公でもいいからさ エチカくらい読んでからといったら誰もいなくなっちゃった 最初から1ページずつ読んでいくもんじゃないね。
まず定義と公理と定理だけを読んで用語と流れを掴んでから
証明やら系やら説明やらをクリアしていく。 といってもとりあえず第一部は受け入れないと始まらないっていうね 「神」=自然、宇宙
と我流で勝手に読み換えたら、結構納得できました。>エチカ ただそれだと啓示宗教との戦いが意味不明になるから、
神学・政治論も読むべき エチカの属性とその変様に関するお話を読めば
その読み替えで大丈夫なときと大丈夫ではない場合があることがわかるはず 排中律博士bot@dr_haichu_bot
2 時間2 時間前
コンタクトは適当に人と会う時に使う場合とそうでない場合があるぞい
排中律博士bot@dr_haichu_bot
23時間23時間前
でもやっぱり、ここで捕まるわけにはいく場合といかない場合があるぞい
中律博士bot@dr_haichu_bot
8月28日
人生は一箱のマッチに似る場合とそうでない場合があるぞい >>219
フフフ実は私が排中律博士だったのだ!
一応言っておくとさっきの書き込みで言いたかったのは
延長と思惟との違いに注意しようねってことね
まあさらに実体について考えるときはそれ以上に注意しようね マジなのか
排中律博士の中の人がスピノジアンだったと…? 「神」=自然、宇宙
と読み換えたらまあ納得できましたね、
私の場合は。 それは独自の読み方でもなんでもない、汎神論ってのはそのことを指してるのだから スピノザは文学じゃねえんだよ
文字通りに読まなきゃはじまらん >>4
天才がどうのというより、「浅田彰でもよくわからないほど、謎の哲学者」ってのがミソでしょうな 実際のところ、デカルトやロックはよく分かるんだが、スピノザはなんとなく謎めいている 一般教養レベルの王道哲学史ではけっして重要視されていないこの変態思想に
いまどきの現実社会で生活する日本人すなわちあなたたちが 興味を持つにいたる
その経緯のほうが興味深い 定理なんて面白いけど実現性は薄いかもね。ほとんどの人にとって。 ただの決定論だからこの上なく現代的な思想というべきだろう >>230
まあ、汎神論には、欧米人より日本人のほうがかえってナジミ深いとは、よく言われるけどな ただし、「八百万の神」という日本人のアミニズム信仰は、スピノザにしてみれば迷信・俗信そのものなんだが 「神より大いなるものは無い」。これが大前提。
もしも、世界のどこかに、神でないものがあるとする。
そうすると、「世界 (= 神+神でないもの) > 神」ということになり、この前提と矛盾する。
このため、必然的に唯神論とならざるを得ない。 >>213
神を「自然、宇宙」と読み替えたのでは、作者の意図が伝わらなくなる
作者は、自然や宇宙を神と言っているわけではない
あえて、「神の属性」、「神の様態」と言っている これを一種の自然崇拝みたいなものだと思ったら、かなりの誤読になる恐れがある 自然の背後に人格的な存在があってそれを崇拝していると考えたら
誤読になるけど、自然の背後には自然しかなくそれを崇拝していると
考えたら間違えではないのでは 崇拝もなにもおれもあんたも神の変状っていってるんだよ 中世イスラム哲学では、宗教の人格神を「アッラー」、哲学の抽象的な神を「ハック」と呼び、この2つを明確に区別していた。
近代ヨーロッパの哲学も、これを継承している。
デカルトにとっても、カントやヘーゲルにとっても、神とは、「ハック」の方を意味する。
スピノザは、これを誰よりも明確に表面化させたにすぎない。 スピノザは、哲学史の系譜から逸脱する孤高の異端児みたいに思われることが多いけど、実際にはそうでもない。
基本的には、デカルトの物理的な世界観を継承している。
それから、ホッブズ的な、リアリストの政治思想家という側面が、勝るとも劣らないほど重要だ。
思想史的には、「言論の自由」を初めて唱えた人物という面が、それ以上に重要だろう。 汎神論という面が、ちょっと有名になりすぎた。
これのせいで、なんだか、古代ローマの神秘思想家みたいに見えてきてしまった。
実際には、そうではない。
先行する英仏の物理的な世界観や、リアリスト的な政治思想を受け継ぎ、後のカントやヘーゲルへとつなげた人。 まあ、現代においては
自分の好き勝手に読めば良いと思いますよ
「誰も」それで迷惑を被ることは無いし
あと、読まないよりマシ、という別の観点から言っても 信仰 結婚 改宗 だって 難しいテーマだよ。精霊八百万は現実であり、スピノザの神も然り。 5ちゃんねるに書き込まれる解釈に従うなら、神などという表現を使う必要が微塵もない 実は神って言わなくていいからな
実体とかポチとかタマでもいい
第一部のように定義しさえすればいい
しかしそうするとポチやタマを犬や猫を指すときに使う場合には注意書きが必要になる
まあ神や実体という語によって当時考えられていたものがスピノザが定義したものに一番近かったんだろう スピノザは破門されたとかってことになってるけど、実はそんな大げさ
なことではなくて、当時の状況はもっと複雑だったって話をしてたけど、
なんだかよく覚えていないな。どっちにしろ、そんなドラマチックな
話ではなかったらしいということだけ憶えている。 スピノザにとって、人間は感情に支配される卑小な生物。
そんなつまらない存在である人間が集まった社会で、いかなる政治が行われるべきか。
そこから出発しているから、徹底したリアリストになる。 >>250
スピノザを破門したのは、キリスト教会ならともかく、ユダヤ教会だからな。 ユダヤの狂信者に刺されかけた(あるいは刺された?)っていうエピソードは伝説的に残ってる
穴の空いたマントを教訓として残してたとかなんとか
実際、書簡集でも自分の哲学を語る相手は選んでた印象を受ける
もっとも相手のほうがまったく理解出来なくてやりとりをやめちゃったり
科学の話だけするようになったり
カトリック教会の宗教体験にやられちゃったかつての友人からボロクソに書かれた手紙に悲しそうに返信してたり
かなり大変だった模様 人間も先輩に恵まれればチャンスはあるよな。ルイ サイファー バランス型がおススメ。 >>249
神以外のことを考えていたらああいうものを思いついたんじゃなくて
あくまで絶対的な神というものを考え抜いたらああいうものになって
しまったんだろう >>256
そのほうが正しいだろうね
>まあ神や実体という語によって当時考えられていたものがスピノザが定義したものに一番近かったんだろう
この一文は忘れてくれ スピノザより前のデカルトでさえ、「フランスでは無神論がはびこっています」という書簡を残しているくらいなんだから、スピノザの時代のオランダも、無神論者は珍しくなかっただろう。 デカルトは、無神論の流行に危機感を抱き、「神の存在を証明して無神論者に反論する」という目的で哲学を始めた。
その哲学の継承者であるスピノザはどうだったか? 彼の哲学の目的は『知性改善論』のはじめに書かれているね
「人間としての最高完全性へ到達すること」
「精神と全自然との合一性の認識」を為すこと、あるいはそれに向かうことが彼にとっての喜びだったらしい 神を信じないのではなく神が知覚できないのが無神論だよ。 左が身体、右が精神
スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン
スピノザ『エチカ』
1実体
/\
/無限\
/_無限定)\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\____\善 /
\受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/ /_\/_\ \認識/\
所産的自然/物体__欲望__観念\/ \
/ 延長\ 身体3感情/精神 /思惟 \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳./
\/
5自由
ダビデの星ではなくバラの花だと思ってほしいcaute!
http://nam21.sa kura.ne.jp/spinoza/caute.jpg >>261
あれほど、読むのに根気が要る本も珍しいな