X



  スピノザ   [転載禁止]©2ch.net
0001考える名無しさん垢版2015/04/30(木) 11:59:38.300
浅田彰 ライプニッツはものすごい天才だと思いますが、哲学に関するかぎり、
スピノザはもっとすごい天才かもしれないですね。いまだにぼくはスピノザと
いうのがよくわからないんです。
0007考える名無しさん垢版2015/05/18(月) 02:14:47.660
Hirao, M. @HiraoM 2011年9月20日
@assazi 工藤先生の「近代哲学研究序説」という、いかにも入門風のタイトルの著作は、実は全編スピノザ主義の研究になってます。
0008考える名無しさん垢版2015/05/20(水) 18:35:59.940
工藤 喜作 スピノザ哲学研究
福居 純 スピノザ『エチカ』の研究―『エチカ』読解入門
柴田 寿子 スピノザの政治思想―デモクラシーのもうひとつの可能性
河井 徳治 スピノザ哲学論攷―自然の生命的統一について
竹内 良知 スピノザの方法について
桂 寿一 スピノザの哲学
0009考える名無しさん垢版2015/05/30(土) 09:37:38.170
>>7
これ実は碌に図書館にも収蔵されてないんだよな
ドイツのスピノザ論争を知るのにいいって聞いたから以前に読もうと思って調べたんだけど
何か理由でもあるのかな
0010考える名無しさん垢版2015/06/03(水) 04:42:46.450
「近代哲学研究序説」これ最近神保町で500円で見つけた。
もってるから買わなかったけど。
0012考える名無しさん垢版2015/06/15(月) 01:30:06.800
 
0013考える名無しさん垢版2015/06/22(月) 00:20:39.010
そだねー。アインシュタインもスピノザの神は信じていると言っているし。
0014考える名無しさん垢版2015/07/09(木) 20:33:44.450
外国人と交流する職業だと、にわかでもキリスト教徒であることは、全般に物事がうまくいく。

私は神道と仏教だ、とか言うと絶望的に話がややこしくなる。
そのてん、たまの日曜に教会に行ってあとは聖書を読んでれば、波風はたたない。
0015考える名無しさん垢版2015/07/11(土) 04:09:14.05O
じゃ哲学の中身について。
スピノザは経験から離れて公理主義的な無限の操作に転換した。
感覚や個々の行為と切り離された視点から見て、
内面的なカント的な観念論やライプニッツの目的は消滅する。

カントなぞ同じように無限のアンチノミーを問題にし、
神を殺したはずが裏口から神を導入して、
人間を神の操り人形の支配者にしただけ。
主体と言う名の操り人形。
スピノザはカント的な心が先にある主体を解体した。
だからデカルトも批判された。
心は体の可能性をより伸ばせるか否かの生を充実させられるか否かの、
道具にすぎない。
心自体には価値はない。
神のため、理想のため、資本主義のため、民主主義のため。
そういうライプニッツ、カント、ヘーゲル的な、
秩序への献身や、自己目的化は否定される。

スピノザのエチカはカント的な道徳の否定。
フーコーの言う人間の終焉はカントの人間イコール神の共犯関係の告発。

弱者の連帯による禁欲主義的な道徳のテロリズムは否定される。
スピノザは体の能動反動が問題でその役に立つなら他者とも、
連帯を求めることがあるにすぎない。

連帯ありき、ルサンチマンの押しつけありきの観念論の全体主義。
そういう弱者のルサンチマンがナチズムなどを生む。

スピノザの哲学はそういう思想の先回りした否定だが、
ニーチェがハイデガーに曲解されて利用されたように、
スピノザはヘーゲルはじめ正反対の全体主義者に盗まれ偽造された。
0016考える名無しさん垢版2015/07/11(土) 05:14:03.620
ヘーゲルがいつスピノザを盗んだのだ
ヘーゲルの基礎はアリストテレスで、むしろスピノザのことを
本物の哲学者だといって褒めてるんだが
0018考える名無しさん垢版2015/07/11(土) 05:32:14.040
ぶっちゃけ、ヘーゲル思想はキチガイじみていて
手も足も出ない
スピノザがシンプルで一番良い
0019考える名無しさん垢版2015/07/11(土) 09:40:59.86O
哲学者は全て一度はスピノチストにならなければならない。
とかいっといて、スピノザとは正反対の内面化、目的論の権化だろ。
ヘーゲルほど汚い奴はいない。
0020考える名無しさん垢版2015/07/11(土) 09:52:37.69O
スピノザにとって心は体の可能性を引き出すドライバーにすぎない。
ヘーゲル的な世界史を背負った目的論とかは無意味。
0021考える名無しさん垢版2015/07/12(日) 04:37:48.110
ベルクソン

この世には二種類の哲学しかない。
スビノザ哲学とMY哲学
0022考える名無しさん垢版2015/07/17(金) 18:30:49.84O
ライプニッツやカントやヘーゲルの下らない目的論を殺すために、
先回りして潰すためにスピノザの哲学があるんだが、
実際はスピノザが出た後に栄えた。
これは、浅田彰が日本の現代思想を殺すために、構造と力と逃走論で、
全てをチャート化して、これ以上語れないようにしたのに、
実際は火に油を注いでしまったように、よくあることだが。

哲学の歴史なんかそんなのばっかしだが。
0023考える名無しさん垢版2015/07/17(金) 20:23:12.680
失われた素朴さを取り繕うためにスピノザを読んでるような人を見ると、悲しくなるね
0024考える名無しさん垢版2015/07/17(金) 22:16:23.220
能天気な運命論は、懐疑論までが行き詰まった時代に流行るというだけ
0025考える名無しさん垢版2015/07/18(土) 04:52:27.62O
ライプニッツみたいに世界に秩序があると言っても、
そんなものは証明できないし、個々の人間や存在には関係ない。
なのにわざわざそれを証明装うのは欲望を満たすため。

神学や哲学の官僚に支配を許すだけ。

神や人間などによって正当化される必要のない生を、
スピノザは肯定しただけなのに。
0026考える名無しさん垢版2015/07/18(土) 10:28:48.920
権力から解放されたいサヨクにとっての最後の救いの糸がスピノザだったというわけね
0028考える名無しさん垢版2015/07/18(土) 13:23:48.59O
ライプニッツたちは実際は、同情や憐れみを排除した、
スピノザの悦びに満ちた知を嫌って、
大衆に支持されたというのがあるんだよな。
ライプニッツのまやかしの目的論やカントの欺瞞に満ちた自由と主体性が。
大衆を大衆のまま奴隷化し閉じ込めるものなのに。
スピノザには一切そういう誤魔化しはない。

ヘーゲルまで行くと彼らへの対抗からスピノザが擁護されるが、
スピノザの否定した、自由、主体性、目的、秩序持ち込みまくりの、
この世で一番スピノザから遠い思想だから。
0029考える名無しさん垢版2015/07/18(土) 13:29:51.07O
ライプニッツが歓迎されたのもスピノザの否定した、
目的や秩序があるからだし。
カントもスピノザのように主体や目的を否定しなかったから、
ヨーロッパ哲学の覇権を握れた。

スピノザにとっては目的や秩序や自由は、過ったイメージでしかなく、
生を小さく閉じ込めるもので反動的なものでしかない。
能動的に生を解放することを目指すスピノザの倫理において、
それらは悪いことはあっても良いものではない。
0030考える名無しさん垢版2015/07/18(土) 13:48:36.810
> 能動的に生を解放することを目指すスピノザの倫理において、

サヨクが現代思想をこじらすとこんな能天気なことを言うはめになる
0031考える名無しさん垢版2015/07/19(日) 08:59:23.12O
>>30
スピノザは観念論によるイメージによる受動を明確に批判しているんだが。
お前は何を言ってるんだ?
0032考える名無しさん垢版2015/07/19(日) 09:09:51.60O
スピノザは神なり人間なりに純粋な目的があるとかの思考を、
誤謬推理だと明確に批判してるわけで。
そういう過ちによる生の反動化を防いで能動的に生きることを模索してる。
身体の純粋な可能性を追求しようとしている。
何か馬鹿に目をつけられてスレが汚されているが。
0033考える名無しさん垢版2015/07/19(日) 10:03:31.790
またニーチェにかぶれた馬鹿が、スピノザを無理やりニーチェの理論化に仕立て上げて
崇め奉るという構図がw
0034考える名無しさん垢版2015/07/19(日) 10:25:03.80O
ニーチェとか抜きにスピノザが目的や自由とか否定して、
観念論を反動だと批判してるのは事実なのに何言ってるんだwww
スピノザが観念論的自由を否定したのを知らんのかw
能動、受動で理論組み立ててるのを知らんのかw
0035考える名無しさん垢版2015/07/20(月) 09:13:45.83O
スピノザの公理主義。

経験離れたアプリオリを論ずる、有限離れた無限を論ずるのは、
プラトンのイデア論以来の伝統だが、
無限を操作として、有限に対する独立した切断として論じたのは、
デカルトでもなくライプニッツでもなくスピノザ。
デカルトなんかは直観主義で古い。

無限の操作の中で正しく、日常の感覚や経験から超越している。
ライプニッツやカントの内面、主体を否定して、
ルサンチマンを排除した、スピノザの反観念論。
0036考える名無しさん垢版2015/07/20(月) 19:20:34.94O
ニーチェとスピノザは違うし。
ニーチェにはスピノザの公理主義はないし、
スピノザにはニーチェの系譜学はない。
でもどちらも観念論による生の反動化の批判では共通している。
0037考える名無しさん垢版2015/07/28(火) 02:09:31.610
スピノザがスピノザの公理を神と呼んじゃったことはつくづく悔やまれる
『神学・政治論』もスピノザ哲学においてはあまり重要ではないような・・・
0038考える名無しさん垢版2015/09/12(土) 00:51:50.54O
ドゥルーズに引き付けて読むつもりもないけど、
目的を求める思考や観念論の批判がスピノザのやってることだし、
ニーチェと同じにしたくはないが、
目的論や宗教的ニヒリズム批判して、能動、受動で考えてるのは、
否定しようがないんだよな。

ニーチェやドゥルーズが嫌いなら、
ニーチェとは違う、公理主義的思考と無限論を掘り下げればいい。
0039考える名無しさん垢版2015/09/12(土) 00:53:43.34O
むしろ、ニーチェとは違うように読みたいんだが、
結論部分の方法論では同じになってしまうので、
つまらんなというのが正直なところ。
0042考える名無しさん垢版2015/09/18(金) 12:05:54.05O
田島がそこで論じていることは
・意味は全体の中で決まるから、
デカルトみたいにいちいち全部疑わなくていいってこと。
・自己原因はアリストテレスみたいに原因を遡った結果要請される、
論理的な必要性ではなく、認識は認識からしか生じなくて、
全ては自己保存、自己拡大しようとするその物が自己原因て話で。

スピノザ理解としては正しいんだが、
結局、それがスピノザの限界になっちまた部分で、
デカルトやニーチェを越えられなかった部分なんだよな。

批判していても、であるが故に同じ土俵、同じレベルでの争いと言う。

一番スピノザのどうでもいい部分。
0043考える名無しさん垢版2015/09/19(土) 01:48:19.320
そうかな
スピノザの最も面白く、かつ哲学者らしい部分だと思うけどね
先を探求する余地を残しているところ
0044考える名無しさん垢版2015/09/19(土) 17:49:44.31O
意味が全体の中で決まると言ってもデカルトはその全体自体を疑ったわけでさ。
デカルトと同じ土俵で争った一番どうしょうもない部分なのは事実だけど。
全体か部分かで争ってしまうという。
0045考える名無しさん垢版2015/09/19(土) 22:40:10.820
スピノザ自身がデカルト自身と争った?
そんな馬鹿な・・・
結果以前に発生と過程が全く異なってるのだから争おうにも争い様がない
0047考える名無しさん垢版2015/09/20(日) 21:12:32.81O
abcdから全ての要素から考えないといけないとスピノザが、
デカルトの方法論的懐疑を否定しようとしても、
デカルトもまた、abcdの全てが正しくないとうまく行かないから、
疑おうとやってるだけだしな。
スピノザは何も付け加えていない。
スピノザの一番駄目なところなのは明らかで田島も馬鹿すぎる。
0049考える名無しさん垢版2015/09/22(火) 19:42:16.57O
スピノザの核心は公理主義による内面主義の排除にあるから。
その部分から考えればドゥルーズの共通概念によるスピノザ論とか、
論外。
鼻くそみたいなもの。

無限の操作性で考えればカント的な主観主義やドイツ観念論など、
全ての内面に依拒する思想が成り立たない。
0051考える名無しさん垢版2015/09/22(火) 19:57:08.07O
三角形が常に三角形である真理性が無限の操作による一致にしかなく、
感覚や経験から全く断絶して成立するように、
実体や身体や心の真理性が心理や感覚や内面と独立に断絶してある。

ライプニッツの目的の調和やカントの主観の定言命法による命令など、
成立する余地のない下からの自然による実体や身体を、
心はただ受け入れるしかない。
0052考える名無しさん垢版2015/09/24(木) 20:57:49.89O
スピノザの間違いは無限を使い、全てを数えあげることで、
もたれあいを排除するのは理論上正しいけど、
究極においては人間は全てを知り得ないから、
どっちにしても弱者の連帯とかも必要になることなんだよな。
能動、受動だけでは分けられない。全てを説明できない。
能動のような受動もあるし、受動と分かちがたい能動もある。

ニーチェもそうだが、そこらへんが限界。
0053考える名無しさん垢版2015/09/25(金) 04:29:34.590
千葉雅也 7時間7時間前
やっと自分なりにスピノザの必要性がわかったのだろうか。

千葉雅也 7時間7時間前
無意味なる、無解釈の、純然たる力。これはスピノザだな。
0054考える名無しさん垢版2015/10/15(木) 01:30:47.450
無意味無解釈ではなくアンタッチャブルなんだよ>スピノザ公理
けど人間は知的好奇心があるから、知りえない、たどり着けないとわかっていても
スピノザ公理への指向はなくならないし、そのことに何等問題はない
0056考える名無しさん垢版2015/10/28(水) 07:54:06.380
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/25160/2/04_%E8%BF%91%E8%97%A482.pdf
エピステモロジーの伏流としてのスピノザ、あるいはプラトン : Knox Peden, Spinoza contra Phenomenology. French Rationalism from Cavaillès to Deleuze を読む
近藤 和敬

ところで、スピノザをめぐる二〇世紀フランス哲学の迷走の一つの重要な原因は、この政治思想
の潮流の変化にある。すくなくともカヴァイエスとゲルーは、自らの政治的で宗教的な立場を、ス
ピノザの『エチカ』によって基礎づけようとは考えなかった。確かにカヴァイエスの政治的行動も
宗教的行動も、本人も述べているようにスピノザ主義者のものであるとみなされうるが、その一方
でそれらの行動が『エチカ』によって、つまり倫理によって正当化が為されうるとは認められてい
ない。その一方、ドゥサンティもアルチュセールも、ともに『エチカ』という形而上学的体系によっ
て、自らの立つ政治的な立場の正しさを基礎づけようとする(アルチュセールにおける科学として
の歴史的唯物論がその最たるものであり、ドゥサンティの場合、たとえば『哲学史入門』における
議論に見られる)。この思考様式は、アルチュセールの後にドゥルーズへと引き継がれ、さらにネ
グリの『構成的権力』およびハートとの共著である『帝国』の議論にまで至る。しかしこの正当化
という目的に従って、スピノザの『エチカ』それ自体が歪曲されてきたということは、しばしば指
摘されてきた1
。問題がさらに複雑化するのは、この時正当化された立場から批判される対象が常に
一つの同じ現象学であり、したがって現象学の対立項としてのスピノザというものの姿が捻じ曲げ
られている以上、この現象学にたいするスピノザに依拠した批判というものもまた同様にある種の
捻じれを含むことになるということである。
0057考える名無しさん垢版2015/12/31(木) 21:29:38.640
I have striven not to laugh at human actions, not to weep at them, nor to hate them, but to understand them.
~Spinoza
0058考える名無しさん垢版2015/12/31(木) 21:30:21.910
"All things excellent are as difficult as they are rare." Spinoza
0059考える名無しさん垢版2015/12/31(木) 21:31:01.680
He alone is free who lives with free consent under the entire guidance of reason.
- Baruch Spinoza
0061考える名無しさん垢版2016/05/07(土) 20:36:15.570
ジュンタロコロコロ
「思想2016.5」ヘルダー-近代の詩的思考-特集号が届く。イメージ論からして、詩人であり、カントよりゲーテに近い。
カントが「学的でなく詩的」と批判し、対してゲーテがヘルダーの影響でスピノザを理解し、
それがドイツでのスピノザ理解を促進したと興味深い記述あり。
2016年5月7日
0062考える名無しさん垢版2016/05/17(火) 10:56:49.340
メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学Cスピノザの神即自然とメリッソスの真なる実在
2016年5月13日
http://information-station.xyz/3009.html
0063考える名無しさん垢版2016/05/22(日) 11:10:53.100
あ、あとあれなんだよね、
サイエンス漬けではあるけど読んでなかったドゥルーズの「スピノザと表現の問題」を読んでるんだけど生きる気力が湧いてくる感じだよね。
ネグリの野生のアノマリーと相通じるところがあってある意味で相互補完的かもしれないよね。
まぁあと俺が今やってることってスピノザでいえばまさに知性改善だからね。
んでもやっぱオントロジーのコアの部分をpotensiaとするところがかっこいいよなっていうか元祖ニーチェだよね。
ニーチェがスピノザのことを友だ!とかって言ってたのもうなづけるよね。
ネグリのマルチチュードっつーのもイデオロギー臭い左翼思想というよりかは元のスピノザに寄せて考えれば
左翼云々関係なく存在自体があるということとそれが分化していくとか運動していくとかっていうダイナミズムとして考えられるよねっていうか
まぁようは別にネグリみたいにゴリゴリのマルクス主義者じゃなくてもオントロジーとして解釈可能っていうか
もともとがオントロジーでそこにマルクス主義とか左翼的flavorを入れるとネグリのイデオロギーってことになるんだけど
元のスピノザで言えばドゥルーズ的な千のプラトーとかさ、ガタリの闘争機械ということにしたってまぁ根源的にはオントロジーだもんね。
ニヒリズムに寄せ過ぎかもしれないけど
基本的にこういうニーチェ的というか力能的なものってのがドゥルーズとかガタリとかってベースになってるからね。
だからやっぱ思想としてのパワーがあるんだと思うけどね。ネグリの野生のアノマリーにしても
絶望しながら獄中で書かれたっつーのが逆説的に凄まじい力のあり方を論ずるスピノザ論ってのがまたロマンあるよね。
あとまぁヨブのやつとかもいいんだよね。凄く。まぁただ根本的に絶望してるか絶望を経験してないと体感できないよね。こういうのって。
そこがまぁやっぱ思想とのシンクロニシティっつーのかな。リア充に哲学が無理なのもそういう理由ですね(笑)
http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20160522
0064X垢版2016/05/22(日) 19:51:57.170
◆◆◆神がプログラムしていた人類歴史・預言・神の裁き◆◆◆

http://blogs.yahoo.co.jp/honest_and_hawk/55615652.html
↑ヨハネの黙示録 20世紀〜現代 解説
http://synchronicity7.seesaa.net/article/433130959.html
↑神による歴史のプログラム シンクロニシティ-共時性-【概説】
http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html
↑裁 マクロ精神分析
http://individualspirit.seesaa.net/
↑個体精神分析 精神の病を克服する
◆◆◆
0065考える名無しさん垢版2016/06/07(火) 12:08:00.600
夢中夢/mutyumu
◾エチカ/スピノザ
僕自身が理性の哲学者の中で特に惹かれる1人がスピノザだ。
スピノザはデカルトの心身二元論の問題を引き継ぎ第一原因は全てに先立つ超越的なるもの、すなわち神であり、
全ては実体である神の属性だと考え論証的に説明した。

が、概念が擬人化された教義の神の信徒からは神=世界全体であること(汎神論)が逆に無神論的と批判された。
またスピノザは全てが神ならば偶然などなく全ては理性による必然であると考えた。
この考えはライプニッツ(ライプニッツは何度もスピノザを訪ねている)などの理性主義者に継承されている。

また神の永遠の相において、その永遠と無限の前では時間的、空間的な区別は普遍化されると考えた。
またスピノザは人格神の非合理な教説に批判的で、真に超越的な神の概念を相手にしていたスピノザは共同体であるユダヤ教から破門された。

1950年代にスピノザの破門解消の動きがあったがその反対陣営には「イリヤ」でおなじみレヴィナスがいた。
レヴィナスは「スピノザはタルムードを知らなかったのか?」と不快感を示しているが、
むしろ定理に対する注解も重視するスピノザの姿勢は感覚的にはその逆に見える。

スピノザもレヴィナスも共に無限を相手にしているがその中身は決して相容れない。
スピノザの無限では永遠の相において私と他者という個体の区別は解消されるが、
レヴィナスにとっては無限は私の前に広がる外部であり他者だ。

スピノザの神の前では個体はある構造体に与えられたパラメータの差異であり、
あらゆる固体の運動は関数に与えられた引数の差異だけかもしれない。
ただこれは決して個体を無視するわけではなく、理性的に多様性や詩的な自然観も保証されていくはずだとと僕は楽観的に考えている。

ところで西洋社会では長らく無限より有限が重視されており、無限はネガティブなものだったらしい。
が、スピノザは有限より無限を積極的に優先した。
で、スピノザの時代から時は流れると無限に惹かれ、その不思議な特性を次々と証明した信仰心の強い数学者カントールが現れる。

もし集合論のアレフ数としてスピノザの神が記号化されるならば、永遠の相の下にラッセルのパラドックスが出現するかもしれない。
2016年6月4日
0066考える名無しさん垢版2016/08/15(月) 19:03:05.950
「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は
次の点にあります。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper
sartumtectum conservo )。従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさってい
る度合に相当するだけの権利しか市民に対して有しないものと考えています。自然状態
においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、
岩波文庫、237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注でもホッブズの
名を挙げて、ホッブズの説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上301−2頁)。
0068考える名無しさん垢版2016/11/12(土) 14:52:18.99O
アリストテレスは全ての系列を遡ってその始点、それを神とする
神は全ての系列のメタにあり世界の目的や秩序を
個の視点から説明できない世界の意味を与える
人間はそれに寄り添えばいい

スピノザはその全ての系列が予め与えられたものとして
その全体を目の前において神=無限だとする
神さえもその中にいて超越できない
目的なんかは外にはない
中での少しでも能動的になろうとする活動としてしかない
目的も秩序も鰯の頭の信心でしかない
全ては渦中の中の生存競争でしかない
アリストテレス、アクィナス、ライプニッツやそれを人間学化した
秩序や目的は否定される
0069考える名無しさん垢版2016/11/12(土) 15:03:54.22O
アリストテレスは全ての系列を遡ってその始点、
個の機会主義やリゴリズムを越えた全体の視点に立て超越できる場所
それを神とする
神は全ての系列のメタにあり世界の目的や秩序を
個の視点から説明できない世界の意味を与える
人間はそれに寄り添えばいい

スピノザはその全ての系列が予め与えられたものとして
その全体を目の前において神=無限だとする
神さえもその中にいて超越できない
目的なんかは外にはない
中での少しでも能動的になろうとする活動としてしかない
目的も秩序も鰯の頭の信心でしかない
全ては渦中の中の生存競争でしかない
アリストテレス、アクィナス、ライプニッツや、
それを人間学化したカント的な秩序や目的は否定される
0070考える名無しさん垢版2016/11/12(土) 16:04:38.70O
アリストテレスの神、系列の外、メタに立ち、
外から世界に目的を秩序を意味を与える神、
時にキリスト教的な人格神さえ与えられるアクィナスやライプニッツ、
人間学化して主体性の内面化するカント的な近代哲学
それを批判するのが全ての系列の外には出られない神=無限
スピノザ的な内在神

神さえ無限の外には出られない、目的も秩序もない世界で
能動の限界に挑戦するのがスピノザの倫理=エチカ
頼れるのは己の体=内在性のみ
0072考える名無しさん垢版2016/12/07(水) 22:16:05.230
宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
   ――スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」(全文)

「序言
 経済政策に就て記述した大抵の人々は、恰も彼等が商品経済の法則に従う商品経済的の
物を取り扱うのでなくて、商品経済の外に在る物を取り扱うような方法を取っている。
云々

 定義
 一、二 略
 三、経済政策とは商品経済の運動を増加し、或いは滅少し、促進し或いは防止する商品
経済の発動、及びそれと同時に、これらの発動の観念であると解する。
 それ故に若し社会がこれらの発動の妥当なる原因であり得るならば、社会は政策を働'と
解し、然らざる場合には受'働'と解する。

 仮定
 一、商品経済の社会はその活動を増加或いは減少する多くの仕方において刺戟され、又
同様にその活動力を増加或いは減少しない他の仕方においても刺戟されることが出来る。
 二、商品経済の社会は多くの変化をうけ、且つその際に対象の印象或いは痕跡に従って
物の同じ表象像を維持することが出来る。

 定理
 一、政治は或働を為し、又或る働を受ける。即ち政治は妥当なる観念を有する限りに於
いて必然に或る働を為し、又非妥当なる観念を有する限りに於いて必然に或る働を受ける。
 証明。略
 系。これから、政治は非妥当なる観念を一層多く有するに従って益々多くの働を受け、
又反対に、妥当なる観念を一層多く有するに従って、益々多くの働を為すことが起こる。」

(2008年お茶の水書房、宇野弘蔵『『資本論』と私』271-272頁より。同書解説ではスピ
ノザのパロディと解釈される。初出は1935年、東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号。)
0073考える名無しさん垢版2016/12/07(水) 22:17:26.010
参考:
宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版局1973]:475-476頁
大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007
http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
(これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999『批評空間』第II期
第20号,太田出版 他を纏めたもの)
0074考える名無しさん垢版2016/12/08(木) 19:38:21.58O
系列の外に出る神、超越神の系譜の中で、そういうメタを一切否定するのがスピノザ
0075考える名無しさん垢版2016/12/08(木) 19:41:06.71O
神が外にいると、世界の外から目的や秩序を与え従属させる
スピノザは神さえ世界に従属し出られないから目的はない
その中で落とし前つけないといけない
0076考える名無しさん垢版2016/12/08(木) 20:48:40.830
スピノザの読み過ぎで「超越が大事」と言われても全くピンとこなくなった
日本的多神教の話もなんかウザい
でもそいつらの心情は一応大事なんだろうなと『神学・政治論』マインドから考えている
0077考える名無しさん垢版2016/12/08(木) 23:05:13.170
トンデモと思うかもしれないがとりあえず見て欲しい

へブル語と日本語の類似 秦氏 (新説!? みのもんたの日本ミステリー,関根勤他ゲスト)
http://youtu.be/PvtI1akmzTE 29:47

相撲の「ハッケヨイ、ノコッタ」もヘブライ語の説明(「投げろ、征服しろ」)の方がすっきりする。

「失われた十支族」が日本に来たかどうかはわからないが、ペルシャの宝物があるくらい
だから、ユダヤの影響がない方がおかしいだろう。

参考:
http://www.fitweb.or.jp/~entity/seisho/isuraeru.html リンク切れ
紀元1世紀の歴史家フラヴィウス・ヨセフス(スピノザも『神学政治論』で引用している)の
著書『ユダヤ古代誌』第11巻(11:5)には、10支族は滅亡しておらず、ユーフラテス川の
彼方で膨大な民衆と化しているとある(「残りの一〇部族は現在までユウフラテス川向こう
の地におり、その数は無数で確定できない。」『ユダヤ古代誌』第11巻5章2節、ちくま学芸
文庫 秦剛平訳、第3巻p345。
ちなみに聖書には次のように書かれている。「アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル
人を捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザン川のほとり、メディアの町々に住ま
わせた」列王記下17章6節。「イスラエルは自分の土地からアッシリアへ引いて行かれた。
今日もそのままである」同23節 )。
http://bible.50webs.org/sj/2kings.html リンク先移転
http://bible.50webs.org/sj/

またある研究者は「大化の改新」の詔勅にも旧約聖書の影響があるという。
0078考える名無しさん垢版2016/12/10(土) 20:13:15.310
江川せんせの講座取ってるけど、江川せんせのスピノザ解釈ってほぼドゥルーズじゃね?
0082考える名無しさん垢版2016/12/15(木) 23:31:42.820
神学・政治論を語ってるところはいいんじゃない
エチカ一辺倒じゃないことでスピノザの企図がはっきりするから
0083考える名無しさん垢版2016/12/16(金) 10:30:34.36O
知性改善論やエチカの哲学
神学・政治論の宗教論
国家論の政治論とかの関係をどう思う?
エチカの自由意志否定
合理主義による宗教否定じゃなく不合理で
大衆レベルで語ったからこそ宗教は正しいとな
社会契約しても自由はあるとか一見互いに矛盾して一筋縄ではないけど

矛盾してはないけど説明も大変だ
0085考える名無しさん垢版2016/12/21(水) 02:59:20.950
ドゥルーズはスピノザのエチカには三つの文体があるという、
柄谷行人はその起成原因に着目する
どちらも内在的だ
上野修の場合、スピノザ自身のホッブズとの比較が決定的なものとしてある
外在的なのだ
むしろホッブズ研究の関連でスピノザがあると見た方がしっくりくる
イギリス経験論の歴史は重要なのだからそれでいい

ちなみに柄谷行人には下の図式があって、これでスピノザの著作は分類できる。
エチカの扱う対象はこの枠外にフラクタルに拡大するべきだが
 ___________________
|         |         |
|   国家論   | 神学政治論   | 
|   国家    | ネーション   |
|   B     | A       | 
|         |         |平
|_________|_________|
|         |         |等  
|   エチカ   | 知性改善論   |       
|   資本    | アソシエーション|          
|   C     | D   X   |          
|         |         |
|_________|_________|
         自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。
スピノザ著作名を加筆した。文字ズレ失礼。
0086考える名無しさん垢版2017/01/29(日) 01:15:54.820
デカルトの場合は、

      思惟、精神
        |
      延長、身体

と、精神が上位に来る。

スピノザの場合は、

   思惟、精神−延長、身体

と、両者は並行関係にある。
0087考える名無しさん垢版2017/02/03(金) 21:13:15.690
エチカの第一部読んでると本当によくできていると思う一方で想像を絶する神だわ。

ハイデガーにおける考えられない最後の神とはスピノザの神なのではとすら思える想像しづらい神
0088考える名無しさん垢版2017/02/11(土) 00:57:57.890
主体の論理・概念の倫理 二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義 単行本 – 2017/2/27
上野 修 (編集), 米虫 正巳 (編集), 近藤 和敬 (編集)

単行本 ¥ 3,456

内容紹介
近年、哲学研究のなかで参照されることはあっても本格的に言及されることがなかった17世紀の哲学者スピノザ。本書はフランスでの〈スピノザ集団〉、『分析手帖』、「概念の哲学」の系図を迫った日本での本格的なスピノザの研究書。

単行本: 488ページ
出版社: 以文社 (2017/2/27)
言語: 日本語
ISBN-10: 4753103382
ISBN-13: 978-4753103386
発売日: 2017/2/27

目次
スピノザ人物相関図
第一部〈概念〉
第二部〈主体〉
第三部〈生〉
第四部〈現在〉
鼎談 総括と展望
【コラム】
0091考える名無しさん垢版2017/02/15(水) 03:17:48.470
>>6
『スピノザ哲学探究』工藤は興味あるけど上野修のうすい新書版手こずってる自分
じゃ値段も内容も立ち向かっていけそうにないな。
これっきりで入手できないんだったら買っておく手もあるが
0092美魔女垢版2017/02/15(水) 04:10:19.850
皆さん!

スピノザの「慎重に」
をしないと危険ですよ♪
0093学術 ディジタル アーカイヴ@院教授垢版2017/02/15(水) 07:10:06.510
懐かしい。
0094考える名無しさん垢版2017/02/19(日) 06:31:47.010
目次

主体の論理・概念の倫理 二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義

主体の論理・概念の倫理 二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義

上野 修(編)/ 米虫 正巳(編)/ 近藤 和敬(編)
スピノザ人物相関図

第一部〈概念〉
 導入  カヴァイエス、エピステモロジー、スピノザ
 第一章 一つの哲学的生成―ブランシュヴィックからカヴァイエスへ
 第二章 ジャン・カヴァイエス―概念の哲学 その下部構造の諸要素
 第三章 カヴァイエスとスピノザ『エチカ』のあいだに見出しうる一つの関係
     ―カヴァイエスはなぜ『公理的方法と形式主義』の口頭試問でスピノザの加護を求めたのか
 第四章 ヴュイユマン『代数学の哲学』とスピノザ『エチカ』の幾何学的秩序
第二部〈主体〉
 導入  エピステモロジーと精神分析―ラカン、ドゥサンティ、スピノザ
 第一章 構造と主体の問い―『分析手帖』という「出来事」
 第二章 ラカンの「エピステモロジー」における真理の探究について
 第三章 ラカンにおけるスピノザのプレゼンス
 第四章 ラカンと数理論理学
     ―フランス現代思想におけるスピノザ受容の一側面として
 第五章 概念の哲学・精神分析・生命の哲学の知られざる結節点
     ―ドゥサンティとそのスピノザ主義について
0095考える名無しさん垢版2017/02/19(日) 06:32:17.320
第三部〈生〉
 導入  生命のエピステモロジーとスピノザ主義
 第一章 概念の哲学から生命の哲学へ―カンギレムによるスピノザ主義の展開
 第二章 カンギレムとヘーゲル―概念の哲学としての生命の哲学
 第三章 ドゥルーズにとってのスピノザ―『エチカ』の意味論的解釈をめぐって
 第四章 構成主義としての哲学と内在としての生
     ―ドゥルーズ/スピノザとゲルー/フィヒテ
第四部〈現在〉
 第一章 現代英語圏におけるスピノザ読解
     ―分析形而上学を背景にした、スピノザの必然性概念をめぐる側面的考察
 鼎談  総括と展望
【コラム】
人物紹介
欧語文献
邦語文献
人名索引
0096学術 垢版2017/02/19(日) 08:22:27.400
良書。
0097美魔女垢版2017/02/24(金) 10:12:11.330
スピノザは17世紀唯一の代表格ですねー😃
0098考える名無しさん垢版2017/02/26(日) 08:03:13.310
スピノザの汎神論の元ネタは、古代ローマのストア派なんだってね?
0099学術 ディジタル アーカイヴ@院垢版2017/02/26(日) 09:07:33.270
スピノザいいよな。
0100学術 ディジタル アーカイヴ@院垢版2017/02/26(日) 09:08:07.490
ショッピングか。
0101考える名無しさん垢版2017/02/26(日) 17:48:00.620
柄谷行人『哲学の起源』でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに関しては、
http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html
http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html 等を参照。


「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
 あるいは手によって絵をかき/
 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」(断片15)

参考:
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると
言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。
そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、
その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」
書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より  👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63)
0102美魔女垢版2017/02/26(日) 18:22:33.980
>>101
それは誤解です。


牛さんも馬さんもそんな絵を書いたなら


根拠のなぜ?根拠と問いを出し
世界と自分達のニヒリズムに気がつき

動物から人間へと人間から神へと哲学するでしょう

三角形と円は動物ではないし

その可能性はないかもしれないけど。
0103美魔女垢版2017/02/26(日) 20:18:23.930
>>101
だからスピノザが言ってるでしょ

「慎重に」ってね
0104考える名無しさん垢版2017/02/26(日) 22:48:57.260
あらゆる規定は否定である
Every determination is a negation
Omnis determinatio est negatio
http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/nenpo_47_nisikado.pdf
0105美魔女垢版2017/02/26(日) 23:07:20.760
>>104
あらゆる規定は相対化です。
0106考える名無しさん垢版2017/02/26(日) 23:12:03.410
スピノザは17世紀の人間。
そう考えると哲学的な問題というのは現代ではほとんど出てきてはいないんだな。
昔に問題自体はほぼ出尽くした感がある。
0107美魔女垢版2017/02/27(月) 05:04:16.940
>>1
まず一つ

スピノザは歴史概念とデカルトの概念をもって信仰態度を表現しました。
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況