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では、何をする方の役職名なのでしょう。
ひ・み・こ
男性が戦う仕事が有ったように、女性には神の声を聞く大切な仕事がありました。
その神様の声を聞く仕事をする女性が巫女です。
ひみこは、おそらく【陽巫女】だと思われます。
征夷大将軍が、将軍の中でも一番力があるのと同じように、
あまたいる巫女にも、通信できる神様が違っていても不思議はありません。 つまり【陽巫女】は特別な巫女ということになります。
おそらく、【太陽意識】の声を聞くことができた巫女さんなのでしょう。
その当時は、自然信仰が普通であり、その中でも最も太陽信仰が強かったでしょう。
現在のように銀河と言っても理解できない人たちに銀河意識の言葉を伝えても意味がありません。
それであれば、根源神や銀河意識なども、太陽神の言葉として伝えるのが良いということになります。 その時代に一人いるかいないかでしょう。
それだけ稀有な存在であるから、国の統治もまかされても自然なことです。
これが【ひみこ】が女王であることの理由でしょう。
つまり、【陽巫女】は、太陽意識以上の存在と意思疎通ができた、
優秀な巫女だということです 太陽神 天照大御神も
おそらく後世の人々が
陽巫女を神格化したものでしょう 日本人は一貫して争いを好まず、出来るだけ話し合いで物事を解決しようとしてきた民族である
然からば聖徳太子は何故一七条の憲法の冒頭に「和を以て尊しとなす」と書いたのであろうか。
私は日本古来の神と伝来の仏教との和解だったと思う。
欽明天皇時仏教が伝来し、仏教を信じる蘇我氏と、
在来の神道を信じる物部氏の対立が始まった。遂に587年蘇我氏は物部氏を攻め滅ぼした。
この物部攻めに太子は蘇我の一門として加わっている。
聖徳太子は仏教に深く帰依していた。
しかし五九九年の大地震、602年の征新羅軍将軍木目皇子の病死とそれに伴う新羅征討軍の派遣中止等、
何らかの理由により、神道との和解が必要となったのであろう。 聖徳太子は「日本の神々を幹として、仏教を枝として延ばし、日本を豊かな国にしていこう」と諭されたとのことである。
この結果日本の神仏は混淆し、神社と寺院が同居するようになった。
そしてあらゆる神に敬虔な「神の国」が出来たのである。
森元首相の「神の国」発言が非難されたが、神様も仏様も、キリストにもマホメットにもそれぞれの素晴らしさを認め、
それぞれの神に敬虔である。
森羅万象すべてに神が宿ると考える。まさに「神の国」だと思う。
無実の罪で筑紫に流された菅原道真は天神様と崇められ、国に反乱した平将門も将門神社や神田明神に祀られる。
戦争が終われば敵方の戦死者を含め、厚く葬る。死者に鞭打つより、死者の呪いを解放しようと言う意味もあるように思う。
世界の各地で宗教をめぐって戦争が起きているが、日本では考えられないことである 日本における「宗教に対する政治の優越」を確立したのは、織田信長である。
比叡山の焼き討ち、石山本願寺攻めで、宗教の呪縛を解き放った。
豊臣秀吉のバテレン追放、徳川幕府の鎖国も「神の絶対優位」を求めるキリスト教を危険宗教と認識したからであろう。
秀吉・家康は信長の武将として比叡山・本願寺と戦った。特に家康は今川から独立直後の青年時代、一向一揆に大変苦しんだ。
恐らく鎖国しなければ、キリスト教信者の大名が各地に出来、
ヨーロッパの宗教戦争の余波を受けた可能性が高い。
この信長から家康に至る決断こそ徳川300年の平和を作ったと考える 「まあ、日本は、西洋の民主主義を、それをそのまま、取り入れても、うまく機能せんわね。
それは、ヨーロッパや米国では、当てはまるかもしれんが、日本では、日本的な民主主義を作り上げんといかん。
そういう努力をこれから日本人は取り組み、つくり上げんとね。
でないと、国民に根付かんね 聖徳太子さんのな、あの『十七条の憲法』の第一条に“和をもって貴し”とあるね。
人間は、お互いに仲良くすることが大切であって、争いや戦争などしてはならない、
和の精神を貴び、平和を愛好しなくてはならないということだと思う。
そういうことをいろいろ考えてみると、日本人には、知らず知らずのうちに、和の心というか、精神が培われていると 日本人は、もともと、そうした和の精神を民族の伝統として持っているのであり、そのことを忘れてはならんな。
長い歴史を通じて受け継がれてきた”和を貴ぶ精神”、それをはっきり認識し、その上に立って、
平和というものを求めていくことが、きわめて大切ではないかと思うな。 >>240
そのわりに日本は、明治維新から内戦、侵略を繰り返して武力を重んじてきたね。
現代でも、平和の理念を高く掲げた憲法を否定する人たちが政権党には多い。 和の国であると同時に
不正を許さない武の国でもあったからね 児童虐待が殺人にまで至ったケースやいじめによる自殺など、
暗いニュースばかりです。しかし、なぜ人と人はこうしてまで争いをやめないのでしょうか?個人の虐待やいじめに始まり、
国同士でも争ってしまうことを考えると、人間とはそもそもが好戦的な存在なのかもしれません。
いじめにしても児童虐待にしても、自分の攻撃性を制御、コントロールできずに、
他人に向けてしまうといった構造は同じです いじめは大人の中でも存在し、パワハラやセクハラがその構造は同じものです。
いくら、仕事ができないからと、相手を攻撃したり、無視をしたりすることでは、その問題は解決しません。
むしろ、職場の雰囲気が悪くなり生産性が落ちるのが関の山です。
しかし、それでも人間は他人を攻撃することをやめないのです。 >>244
自分の不正を武によって糊塗する、ずるい国なんだよ。
ヤマトタケルがいい例だ。 しかし、その一方で震災以降の日本国内を見ると、いろいろな分野で皆が協力して復興に努力している姿などを見ると、
決してそれだけでもないようです。
戦前はともかく、現代のこうした日本人を見ていると本当に平和的で友好的な国民であると実感します 愛と平和を唱えることが今必要なのでしょう。
千年以上も前から「和をもって尊しとなす」を憲法の第一条においた聖徳太子の偉大さが、今になってようやく実感できます。
個人のレベルでも、国のレベルでも物理的な争いでは物事は解決せず両者ともに不利益を被ることは、
過去の歴史がすでに証明しています。話し合いや協力といった
平和的解決でなければ、真の解決は得られないと思います >>249
その「平和的で友好的な国民」が敵兵に対してだけではなく、敵国の一般市民どころか、自国兵士に対してまで、残虐な行為をしたんだけどね。 あくまで一部ですよ
正義の戦争
話し合いが通じない相手(白人)も
いるんです >>252
たとえば、日本の満州侵略にはなんの正義もない。
ひたすら利権を追究しただけ。
東南アジア侵略も、日本の侵略の結果として、列強の力が落ちてアジアの植民地支配からの解放が早まっただけ。
だから、中国、朝鮮だけではなく、フィリピンなどの東南アジアの戦後の反日感情もすごく強かった。 >>254
侵略だよw
統治するために、侵略するんだよ。 ソ連軍が行ったのが侵略でしょう
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html >>257
日本が満州を侵略した後の話だよ?
せめて、時系列ぐらいは把握しておこうね。 >>260
大前提として、個人のブログを見てネットで真実だと思い込むのは愚かだよ。
そんな人間には、日本も思想も語る資格はないから。
満州国というのは、関東軍が作り上げた傀儡王国。
清国と漢民族の民族問題だというなら、完全な異民族である日本が支配したことの説明がつくとでも思ってるのかな? 傀儡というのはいい方が悪いだけでは
ないでしょうか
治安が悪いところを統治していたのなら >>262
治安というのは、利害の対立をいってるだけのことも多い。
満州というのは、明治時代から日本が侵略支配していて、国民党が侵略者の追放に向けて立ち上がったとみるべき地域だ。 「我々は日本が満州で実行し、そして中国その他の地域においても継続しているような
不快な侵略路線を支持したり、
許容するものではない。しかし日本をそのような行動に
駆り立てた動機を良く理解するならば、その大部分は、
中国国民党政府がしかけた結果
であり、事実上中国が『自ら求めた』災いだと、
我々は解釈しなければならない。」
シナにいた当時のアメリカ公使は、満州事変の原因を作ったのはシナ自身だと明言して
ます。
実は、これ、他の国の公使たちも全く同じ意見だった訳です。
シナに駐在して、
ありのままを見てきた外交官なら誰でも分かることだったんです。
マクマリーはアメリカ政府と同じ「満州事変は侵略路線」という認識だったようですが、連盟が
そういう採決を行っていない以上、侵略と決めつけることはできない >>264
日本の満州侵略は日露戦争の前から始まっている。
日露戦争自体が、満州の利権を争った戦争だ。
ロシアの侵略が正しいか日本の侵略が正しいかという、悪の侵略戦争だったともいえる。
第二次大戦での、日本と列強の侵略戦争と同じ構図だ。 >>265
ロシアの侵略なんて悪そのものじゃないですか
支配しか考えてないのだから >>266
そう、日本と同じ。
侵略支配は、悪そのもの。 >>267
それも考え方の相違ですね
支配と統治はまた意味が違いますので >>268
どう意味が違うのか教えて欲しいものだw
他国の支配を統治と言いかえても、実態は他国の支配であることは変わらない。 支配とは一方的な搾取
統治とは一国として治める
日本はお金をかけてまで統治国の
文化水準 生活水準 教育水準を上げていった
http://ameblo.jp/eatingpeach/entry-10708472143.html >>270
満州では、日本がすべての利権を手に入れて、現地人は下働きと肉体労働。
どこが搾取じゃないんだ? >>272
個人の思い付きブログを真に受けるなってw
頭が悪いのか? >>274
>>272のようなことを書く人間が日本人なら、僕は日本人じゃない。
そう言い切りたいところだけど、僕は自由を愛する人間だから、多様な意見を認めるよ。
でも、「天皇は天の神の御子」なんていうのは、ものすごくバカげた意見だ。
君が、もう少しまともな人間になることに期待するよ。 「支那人ほど下劣で油断のならない民族はいない。
西洋人は道徳観は人類に共通するものと考えているが、それは間違いである。
西洋人は人様に親切にしてもらったら何かお礼しようと考え、少なくとも迷惑をかけないように気を使う。
これが支那では通用しない。恩義を感じないのである」
「支那に長く居る英米に、
支那人の性格で我々と最も違うものを挙げて欲しいかと訊くと、
ほぼ全員が躊躇なく”嘘つきである”と答える」 >>276
そのアメリカが、ハルノートを日本に突き付けて、日本を侵略者だと決めたんだよ。
歴史をしっかり見ることだ。 流石嘘つき国家アメリカ
正直者が馬鹿を見る時代だったんですね >>278
日本が正直だったわけではない。
溥儀を傀儡皇帝に仕立てたり、張作霖事件を起こしたりと、多くの謀略を行っている。 勿論私も日本に完全に非がなかった
とは言いません
戦時下という極限状態においては
いろいろ非はあったでしょう >>280
そうだよ?
極限状態ではなくても、積極的に他国を侵略した。 20世紀は電話、自動車、機関車、飛行機などの発明
また 20世紀後半はコンピューター、インターネットと 我々の生活そのものを変えてしまう ものが 一般化しました。
第二次世界大戦後生まれの人々にとって はあたり前の生活なのですが
実は このようなものが大量生産されることにより コストが落ち 一般大衆にもいき渡ったという
資本主義の意義のあるところです。 しかしながら、物質 つまり ものを追求するために その交換財である 紙幣(お金)を稼ぐことが目的となってしまい
、一部の金融機関関係者を中心とした人たちの横暴が 1929年の恐慌をまねき 、
また、今回の「金融危機」にいたっているわけです。
この金融危機は 欧米ではすでに「恐慌」にはいっているわけですが、発想の転換が必要です。
「物質文明」から「精神文明」への転換です。日本国は古代より精神文明の国であったのですが、
敗戦により アメリカ占領政策の基 「物質文明」社会への転換を余儀なくされました。 アメリカ型資本主義が終焉を迎えたのですから、「助け合う」「困った人がいたら助ける」「お互い迷惑はかけない」など 人と人とのつながりを大切にする社会へ脱皮する機会でもあるわけです。
日本人が忘れているアジア型社会の模範は ベトナムにあります。
彼らは 助け合い、周りの人々に思いやりをもち 生きているのです。
儒教を中心として小乗仏教の国という日本と同じ土壌をもっています。
「物質文明より精神文明へ」これがこれからのキーワードです。 多くの欧米人がいろいろ観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。
だからこそアメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。
欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、
この国では全くそうでないことに驚いたのである。
●イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で、日本についてこうまで言っている。
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。…その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
その神のようにやさしい性質はさらに美しく、
その魅力的な態度、その礼儀正しさは、
謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、
あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。
「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。
この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、
そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、
おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」 ヒュースケンは斬られる前にそれを書いたんだろうね。 戦時中の日本
《いわゆる米英流の生活のしみを洗い去り、皇国本来の国家観に立脚した生活の真義を打ち樹てねばならぬ。
金儲けのための生活、立身出世のための生活、
他人の困苦を顧みず己だけ快楽を得さえすればよいという独楽独善の生活、
精神を忘れ
物に捉われた生活、これらは何れも生活の真義を遠く離れたものである》 >>290
ブータンみたいだね。
未開アジアの特徴だともいえる。
戦時中の東南アジアでも、水木しげるは現地人との交流が一番幸せだったと書いている。
現地人と交流できたのは水木しげる一人かも知れないが、現地人の生活ぶりは良く伝わってくる。 共通してるのは文明人が未開の地に行って
原始的な生活してるのに
人びとが幸せそうな生活をしている点ですね 本来は地球上に数ある諸文明の一つに過ぎない欧州文明を格別のものとしてみなす考え。
欧米文明を西洋としこれ以外の文明を全て東洋とすることなどはその一例とされる。 第二次大戦以降これらの植民地の多くは独立したが、その後も欧州とアメリカ合衆国の技術的、政治的、
経済的優位は変わらず、ヨーロッパ中心主義は根強く残った。 哲学の始まりをギリシャからとし、それ以外の地域の哲学は傍系のものとする。
欧州文明を西洋として、それ以外の文明を東洋としてひとまとめにする。
欧州の技術、科学が全時代にわたって他文明のそれに対して優位にあったと見なす。
欧州文明は合理的であるとし、それ以外の文明は非合理的であるとする 文句言っても、西洋文明の方が圧倒的に優秀なんだからしょうがないだろ?
東洋には、処世術はあっても、物事の本質を追究しようとする哲学なんかない。
自然の把握である科学的な思考については、いうまでもない。 神道と仏教が既に
西洋哲学を超えているということを
理解しなければいけないでしょう >>304
処世術だろ?
善だの悪だのって、善も悪も根拠がないんだから。 「1」 メーソンというアメリカ人――1879-1914
彼は神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的、
哲学的、かつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれていると言いました。
「2」 イギリス貴族のポンソンビー1878−1937
皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。
「3」 元フランス大使のクルーデル
私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと。 「8」英国人ビッケン名古屋商科大学教授
「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だが
ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。
これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。
自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」
「9」 韓国人 金ワンソプ氏--親日派のための弁明より
「私の個人的な意見を言うなら、日本の神道は人類が作り出した、
もっとも理想的なたかちの宗教だ。」
「10」 フランスのエリート
「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。
他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」 「11」 アメリカ女性歴史学者 ヘレン・ミアーズ
「日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、
精神的満足を齎す自然美への感謝の儀式だ。」
「12」 日本に宣教師ザビエルが来たのは足利時代
ザビエルは記録に残している。
「日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています。
それは武士たちがいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、大変貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されています---。
武士以外の人々は武士を大変尊敬し---。そして、日本に来るなら、真の謙遜が必要」。
「13」小泉八雲
「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、
山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。
日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。
神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える」 「14」 ポルトガル人・モラエス 1854年--1929年
「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。
平和で優美な日本の環境のとりことなった。」
「15」 フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ
「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。
私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、滝の中にアマテラスを見た、と。
神聖とは何かを日本でつかんだと話された。神道の中に神聖を体感されたのである。」
「16」 米国オハイオ州 コーイチ・パリッシュ氏 ワシントン州 「神ながら神社宮司」
「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。
神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」と確信する。」 「17」アーノルド・トインビー
トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。
「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。
それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。
ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。
日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」。
物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。
「18」アーノルド・トインビー
昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、
「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。
「19」社会学者エマーソン
「日本の神社、鎮守の森の中に神聖がある・・・・・」 「20」ドイツ植物学者ヒューセン博士
「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、
日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。
ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。
日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。
「21」アルベルト・アインシュタイン博士
1933年来日した時の発言、「世界を驚かせた近代日本の発展は、一系の天皇を頂いていることにある」と分析し
「戦いに疲れた世界が求める未来の盟主は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古くて尊い家柄である天皇家を頂くアジアの高峰、日本である。
我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と絶賛した。
「22」サミュエル・ハンチントン教授ーー文明の衝突の著者
世界には西欧文明、イスラム文明、中華文明など沢山の文明があるが、
日本は独自の文明を形成しており、中華文明のなかには含まれない。と分析している。 「23」詩人のポール・クローデル
1943年、日本の敗戦が濃厚になってきた時である、パリーのある夜会で詩人のポール・クローデルー元フランスの駐日大使ーの言葉は有名である。
「私がどうしても滅びて欲しくない一つの民族がある。
それは日本人だ。あれほど古い文明をそのまま今に伝えている民族は他にない。
日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとってし不思議ではない。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急速に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。
どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はない。しかし、日本にはその資格がある。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのだ」
クローデルは、こう述べた後、ポツンと付け加えた。
「彼らは貧しい。しかし高貴である」
「24」H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、
白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」 「26」ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )
「27」バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・
ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所 「30」ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、
各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。
その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。
今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。
民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。
そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。
(中略) さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。
東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256〜7ページ) 「31」ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)
すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。
1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。
(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。
白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。
その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。
(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁) 「32」ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、
最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、
戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。 >>307-317
そんなことで喜んでるの?
日本人て、そんなにレベルが低いの? フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスなどのヨーロッパの宣教師は、
当時の日本社会の実情を記した手紙・報告書を故国に書き送った。
その中で彼らは「日本人はヨーロッパの最先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの、
高い文化とモラルを持っている」と絶賛している。
フランシスコ・ザビエルは日本人の民度の高さに驚き、「とても気品があって、驚くほど理性的、慎み深く、また才能があり、
知識が旺盛で、道理に従い、その他さまざまな優れた素質を持つ」。
また「大部分の人は読み書きができる」と、本国のスペイン人、あるいはインド人や中国人よりも民度が高いことに驚いている。 日本の各地でザビエルは宣教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、
洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、
ザビエルもそう答えました。 すると日本人が追求するわけです。 「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。 当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。
この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、
なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』
などと質問され答えに窮していたようです。 ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、
日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で
「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。
集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは個人課題ではなく
先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。 「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」 といった、
答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、
当時の日本人は本能的に気づき、
ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。 >>319-325
そんなことで喜んで、どこまでバカなんだろう?w
右翼にはバカがなる、とはよく言われるけど、こういうレスみてると実感するな。
宣教師が日本人と比べてるのは、西欧の白人じゃなくて、未開の地域の原住民だぜ? 日本は、前代未聞の原発災害によって未曾有の放射能国家になってしまった。
この状態が何と3年以上も続いてきたために、数千万人以上の日本人が放射性物質を吸って食べて深刻な内部被曝状態になっている。
しかし、国家政府も大衆個人も無策のまま!
とどのつまり、私たちは、いま、政府にも、官僚にも、
国会議員にも、知識人にも、医者にも…、誰にも助けてもらえない状況に置かれているのだ。
(この現実をキチンと認識できるかどうかが、生死の分かれ目になる