日本思想 [転載禁止]©2ch.net
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56509?page=2
>私の担当科目「現代政治理論」で扱ったテーマのなかで、
>今年ダントツで評判が悪かったのが、藤田省三だった。
>丸山眞男のもとで学び、高度経済成長による日本社会の変容と批判的に対峙した思想家である。
>講義では「離脱の精神――戦後精神の一断章」(1978年、『精神史的考察』所収)
>を紹介したが、「抵抗」なきデモクラシーは「翼賛」になりかねない、と主張する藤田に、
>共鳴する学生はほとんどいなかった。
>最後に学生に書いてもらったオピニオン・シートには、
>藤田に対する違和感と嫌悪の言葉が並んでいた。「たんなる老害」というコメントすらあった。
>「公的なもの」の喪失を危惧するハンナ・アーレントの評判は決して悪くない。
>しかし、彼女とともに「全体主義」について考え、
>経済的な豊かさという「安楽」にすら「隷従状態」を見た思想家は、いまどき受け入れがたいらしい。
藤田省三よりかは橋川文三の方がええわ。 もっと言えば、本多延嘉とか鳴海清とかの方がすごいと思うわ。 >>397
なんだか知らないけど、藤田のほうが正しいのは、現在の安倍政権が証明してるんじゃないか?
学生が、特に日本の学生がバカになってるだけだろ? まあ、ネット依存で物質主義に毒されてる可能性はあるわな。
形式的には出席とかアクティブラーニングで大学への参加が求められてはいるが。 正直言って、今の大学生は、講義や演習で求められる読書を必死に行う以外に
エッセイとか文学に嵌りすぎない方がいいかもしれんね。硬い本ならともかく。
卒業後に硬い本を買って読む時間の取れる身分になれるかどうかが大事だと思う。 「古来の大思想家は無欲ではなく大欲を説いた」というのは夜話巻の5(二宮尊徳)にある。
大欲とは何か。「国家を経営して、社会の幸福を増進する」ことである。
小欲を捨て大欲につくー石橋湛山 聖人は無欲と思へども然らず、其の実は大欲にして、
其の大は正大なり・・・・二宮尊徳
https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/200905120001/ 蒼頡(そうけつ):中国伝説上の漢字の発明者
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/Cangjie2.jpg
“これは、中国で漢字を発明したと言われる蒼頡という神話上の人物です。
絵を見るとわかるように、蒼頡は四つ目の人物として描かれています。
中国の伝説では、蒼頡は非常に目がよくて、さまざまな動物の足跡などを見分けて
それをもとに漢字を発明したことになっています。”
― 『新記号論:脳とメディアが出会うとき』 石田英敬、東浩紀 (2019/3/3) https://kotobank.jp/word/不束-619363
不束(読み)フツツカ
ふつつか【不▽束】
1 気のきかないさま。行きとどかないさま。不調法。「不束な点はお許しください」
2 太くて丈夫なさま。
「いと大きやかに、―に肥え給ひつるが」〈宇津保・蔵開上〉
3 太くてぶかっこうであるさま。
「指の―になるを厭(いと)ひて」〈浮・禁短気・三〉
4 風情がなく、下品であるさま。無骨。
「山賤(やまがつ)の焚(た)き木を負へる如くなる、いかにも―なる我が身に」〈仮・竹斎・上〉 「ひそ(秘)か」が、「ひ(秘)せられた様子」なら、
「おろそ(疎)か」は、「おろ(下)された様子」ということかな? 私の主語が「天」になるような生き方をしてみてはどうだろうか。
批評家の若松英輔氏は、私の主語が「天」になるような生き方をしてみてはどうだろうかと、
内村鑑三が『代表的日本人』の中で言っているように思うと述べている(『100分de名著 内村
鑑三 代表的日本人』 P.25 NHK出版)。 パチンコ スロット うちこ募集
三万円日払い可 +報酬 『詩経』と『古今和歌集』
“天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きはなし”
― 『詩経』 大序
↓
“天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、
男女の仲をもやはらげ、たけき武士の心をなぐさむるは歌なり”
― 『古今和歌集』 仮名序
『詩経』 目加田誠 訳、講談社学術文庫 (1991)
『新版 古今和歌集 現代語訳付き』 高田裕彦 訳、角川ソフィア文庫 (2009) しかし、ここ数年、明治以降の日本の哲学者や仏僧がどんどん文庫化されている。
良い本が多いので、やはり、日本の出版社の知識はすごいのだろうと想像する。
出版に関わってる人が先に読んで理解しているはずなのだ。
田辺元、大西祝、波多野精一、井筒俊彦、山崎弁栄、鈴木大拙。
ぼくが気づいただけでもこれだけ。
本当に、どんどん良書が出ている。
岩波文庫になった哲学者たち。
2010年:田辺元選集
2013年:波多野精一
2014年:大西祝選集
2016年:鈴木大拙
2018年:山崎弁栄
2019年:井筒俊彦 柳田国男はタピオカを食べていた
「たとへば私の家の朝飯には、折としてタピオカを食ふことがある。」(柳田国男『民間傳承論』現代史學大系第七巻、共立社、1934、P76)
https://i.imgur.com/Gjbm8uM.jpg 「〜するな」という禁止の「な」は、「な〜そ」の「な」に由来する。
この「な」は、中国語の「哪(那)ピンインnǎ」に対応しているだろう。
中国語−英語辞典を引くと、「哪」の英訳として、"where"、"which"、
"any"、"how"などが記載されている。ゆえに「どこ」、「どっち」、
「どの」、「いずれの」、「どのように」などの表現に対応すると考えら
れるが、より単純には、「なに(何)」の「な」でもあると考えることが
できるのではないか。「な〜そ」の「そ」の方は、「す(る)」という
動詞の古い命令形であるとされる。現代の日本語にするなら、「そ」は、
「〜して」という命令形に相当するのではないか。
すると、「な〜そ」は、「〜」を省いてつなげると「なそ」⇒「なぞ」
ということになるが、これは、古語において、反語として「どうして
(〜するのか)?」という意味になる。「な」が、「どう/how」に相当
し、「そ」が「〜して」に相当すると考えるなら、「なぞ」が「どうして?」
になるのは当たり前のことであるとも言える。方言では、「なして(〜するか?)」
という言い方もある。したがって、禁止の「な〜そ」は、「どうして〜するのか?」
⇒「〜しないでくれ」を表現していると解釈することができ、「〜するな」と
いう禁止の「な」は、反語的な疑問に由来することになるだろう。 https://cjjc.weblio.jp/content/哪;
哪(那)
ピンインnǎ ⇒ [異読音] ・na,né;那Nā,nà
副詞 (反語文に用い,結果として否定を示し)どうして…であろうか,
…であるはずがない,…であるものか.
用例
天下哪有这样的事?=世の中に(どうしてこんな事があろうか?→)
こんな事あり得るはずがない. 明示的に輸入された漢語の場合以外に日本語と中国語の対応関係に気づきにくい
とすれば、それは、漢字に頼り過ぎているからであり、さらに、単語の対応という
考え方に囚われて、言葉が表現であることを忘れているからだ。
また、日本語が。どれほど広く、深く中国語の表現を利用していたにしても、
日本語は、中国語が変化して形成されたものではない。そのような仕方で
日本語が形成されたなら、いくら中国語が地域的に多様であり、時代的に
変化しているとはいえ、中国語を学んだ人には誰にでも、日本語は中国語
のヴァリエーションに見えることになるだろう。中国語⇒日本語のような
「系統関係」で考えたのでは、あまりにも違いが大きすぎるので、日本語
の祖語は古代の中国語であるというような説が有力になることはなかった
のだろう。
その一方で、古代に日本列島で全体で共通する何らか原日本語が話されて
いて、その原日本語に古代の中国語の単語が大量に入ってきて広く用いられる
ようになったのだと仮定するような考え方も説得力をもたない。無論、
日本列島で生活する人々は、いつの時代でも何らかの言葉を話していたはず
であるが、それがどのような言葉であったのかは、日本列島で使われていた
ことが現在、分っている言語から遡って類推する他なく、そのような言語
として知られているのは、現代の日本語につながる歴史的な日本語と、
アイヌ語として括られる言語しかないのである。しかし、歴史的な日本語は、
原日本語としてアイヌ語に近い言語を想定して、その発展形態として説明
できるようなものではない。 日本列島に住む人々が共通で原日本語を用いていたはずであるとするような
考え方は、その具体的な根拠を示すことができないかぎり、幻想に過ぎない。
しかし、歴史的な日本語は、日本列島という広い地理的範囲にわたって高い
共通性を見せている。その共通性は何によるのか。
「共通性を遡るなら、共通の祖先に辿りつくはずである。」そう考えるのが
系統論の発想である。方言の比較研究をしなくても、共通性の認められる表現
を比較検討するなら、「語源」と認識され得るような表現としての共通性を
類推することが可能となる。そのような類推によって「語源」と見なすこと
ができるような表現の発音とイメージを抽出してみると、日本語の日常的な
表現の根幹を成すと感じられるような部分まで、中国語の表現との対応関係
を見出すことができる。にもかかわらず、既に指摘したとおり、日本語は、
中国語が変化して形成されたものであるようにはまったく見えない。
したがって、明白に現れていくる表現の対応関係にもかかわらず、中国語
の表現を、日本語の表現の「祖語」と呼ぶことはできないだろう。
日本語は、中国語をその言語的な祖先としているのではなく、中国語の
表現を利用しているのである。しかしながら、中国語の表現を利用する際、
利用する側の主体としての「日本語」は、「原日本語」と呼べるような身元
を有さないのである。だからこそ、中国語の表現を「日本語」に対する
外来の要素と見なして、それを取り除いていっても、「原日本語」が
正体を現すことはなく、その根幹であるように見える部分まで消え去って
しまうのである。「原日本語」と呼べるようなものが存在するとすれば、
それはまさしく、中国語の表現を利用することの共通性によって形成され
ているであり、その用法の様態こそが日本語の身元として認識されるのだ。
ウィトゲンシュタインを引くまでもなく、言葉の意味とは、その用法
であり、用法の共通性により、言語の共通性が「身元」として現れるのである。 仮に、古代の日本語と呼べる言葉の用法がほとんど全面的に中国語の
表現を利用したピジン語として形成されているとした場合、そのように
形成された「日本語」は、中国語に依存して自律性を欠いた二次的な
言語であることになるのだろうか。
そのように考えることは、中国語の表現をピジン語として流用していた
人々が、実は、中国語を話そうとしていた、つまり、自らの話し方が
中国語の規範を逸脱していることに気づいたなら、その都度、規範に
合せるように自らの言葉遣いを修正しようとしていた、と想定するなら、
確かに正しいだろう。しかし、そのような想定をしなければならない
根拠はどこにもない。
言葉の用法が、すべて他者の表現の流用に由来するという理由で、その
用法に自律性がないと見なすとしたなら、言葉の自律性、さらには
自律性そのものについての理解が間違っている。言葉は、それが
表現として通じてしまうなら、通じるように使われること自体によって、
否認しようもなく自律性を生じてしまうのである。 そのように否認しようもなく生じてしまう自律性の認知を抑圧し、隠蔽する
ために用いられる常套手段が、そのような自律性の認知を、あらゆる規範の
受け入れの拒絶と等価であると見なして、暗黙にすり替えを行ったうえで
批判する、いわゆる「相対主義批判」であり、この常套手段は、一見、
それとはまったく無関係に見えながら、同じ抑圧と隠蔽を目的としてる
チョムスキーの生成文法の思想の推進と手に手を携えて相補的に用いられ
ているのである。 人は、組織が何かを推進しているのを見るとき、それがまったく無駄なこと
に見える場合でさえ、単純に何かが目的に向かって推進されていると信じて
しまう。そこに大きな錯誤と盲点がある。組織にとって、何かを推進している
という名目で人々をそれに動員するとき、しばしば、最大の目的は、人々の
活動の抑圧と排除であり、明示的に掲げられる目標は、そのための空虚な
名目に過ぎない。 人々がいつでも、空虚な名目を容易に信じてしまうのは、組織が推進する
目標に向かって貢献しているように見えるように協力することが、組織の
下で生きる限り、自らの生活条件を優位に保つのにプラスに働くからである。
このことは、それまで属していた組織が転覆してしまい、人々が新たな組織
の管理下で生活することになって、それまでとは逆の名目が掲げられる
ことになったとしても変わらない。 誰かが、その時に勇気を出して本当のことを発言していたなら、こんなこと
にはならなかったのに、というのは常に幻想だ。多くの人は名目が、名目
に過ぎないことに既に気づいていたのであり、流れが変わっていたとした
なら、それにすぐにでも鞍替えをする用意があったことは確かだろう。
だが、それが常態なのである。名目の空虚さに気づかされて、恥じ入って
黙り込むのは、せいぜい、掲げられる名目を本当に心から信じて、その
実現に自分が大いに貢献していると自負している「役に立つ馬鹿」だけだ。 「こんなことにはならなかったのに」と人々が反省を口にするとき、人々は
既に鞍替えを済ませている。そして、新たに掲げられる名目に自ら進んで
協力しているのだ。 少し前に以下のような書き込みをした。
>ところで、日本語の「う」という発音は、「表面」や「表面化」を
>想起させるように用いられており、この「う」の用法は、
>中国語の、「虚 ピンインxū」という発音とイメージをそのまま
>利用したものであると推測することができる。
>訂正します。発音としては、こちらの方ですね。
>https://ja.wiktionary.org/wiki/虚
>閩南語 POJ: hu
確かに、日本語の「う」は、イメージとしては表面化を想起させる
ように用いられているが、中国語の発音との対応関係については、
この書込みは少し先走り過ぎて、歩みを誤っている。特に、
「ピンインxū」に対応すると思ってしまったのは、私がピンイン
の表記法を理解していなかったからだ。このため、日本語の「う」
と中国語の対応関係については、一筋縄ではいかない感じが強く、
さらに探ることをつづける必要性を感じていた。 特に難しいと感じたのは、万葉仮名で「う」に当てはめられている漢字が、
「兎/鵜」などの、中国語では「う」という発音と無関係の漢字の場合
を除いて、日本語の「う」の発音が多くの場合に想起させるイメージと
まるで対応していないことがその理由としてあげられる。私には、中国語
の発音の歴史的な変化についての知識がないので、どのような経緯に
よるものかは知らないが、万葉仮名で「う」に当てられている「宇」や
「羽」は、現代の中国語ではいずれも「ピンインyǔ」と発音される
ようである。 「虚 ピンインxū」と「う」の対応に無理が感じられる一方で、
訂正として書き込んだ、閩南語の「虚」の発音である「hu 」と「う」の
対応関係には、それほど無理は感じられない。しかしながら、このように
恣意的に都合のよい対応だけを選び出してくることは、手続きとして
仮説のネットワークの形成を妨げる。そこで、閩南語の「虚/hu」を
手がかりに、「う」に、より無理が少ないように対応する中国語の
表現が見当たらないかどうかを探ってみたところ、日本語の「皮膚」
という表現における「膚(ふ)」に対応するように中国で用いられてている
漢字である「肤(膚)ピンインfū」に行き当たった。
こちらの方は、想起させるイメージにおいても、その発音においても、
日本語の「う」に対応し得ると考えて、それほど無理がないように
私には感じられる。
https://cjjc.weblio.jp/content/肤;
https://zh.hatsuon.info/word/肤;
https://www.wordreference.com/zhen/肤;
肤(膚)
fū 名 skin
肤(膚)浅(淺) fūqiǎn 形 superficial こういう回り道をすることで、日本語の「浮(う)く」という表現の「う」も
中国語の「浮 ピンインfú」にそのまま対応していて、本来的に「表面化する
様態」、つまり、英語にするなら"surfacing"を表していることがはっきりと
理解でき、さらにそれが、「空虚である」ことを換喩として表現している
ことが分る。
https://cjjc.weblio.jp/content/浮
表面の,表に浮いた.
空虚な,中身のない.
https://www.wordreference.com/zhen/浮
(=表面上) superficial
浮面(麵)
(=空虚) empty
浮夸 fúkuā >>435
私自身、以前に以下のように指摘しているので、なぜ、日本語の「う」に
対する中国語として「浮 ピンインfú」を真っ先に思い浮かべなかったのか
不思議だが、これを書き込んだ当時は、中国語のことなど念頭になかった
ので、連想のネットワークにおいてつながっていなかったのだ。
>同じ「さ」という要素が「さ(≒removing)る/さ(≒revealing)る」という
>関係で、同じ「う」という要素が「う(≒filling)め/う(≒surfacing)く」と
>いう関係で、それぞれ互いのインデックスとなるように用いられることを
>もたらしている。 単語の対応で重要なのは、身体関係の言葉といわれている。
その他は他の地域の文化からの影響の可能性があって、時代を遡ることが難しい。
面白いレスが続いているが、万葉集は朝鮮語(中国語)だった、というような安易な結論を導き出すことがないように気を付けてほしい。 中国の漢字として「う」の発音とは何の関係もない「兔/兎」や「鵜」が
日本語において「う」と読まれるのは、以前から指摘しているとおり、
これらの名称が、以前から指摘しているとおり、「表面化すること」≒
"surfacing"を表しているからである。
「鵜」が潜水艇のように水から「『浮かび上がってくる』動物」である
ことをイメージするのは容易だろう。「兔/兎」が同じように「『浮か
び上がってくる』動物」であることが直ちに感じられないとすれば、
それは、ペットとして飼われているような環境で飼育されている
ウサギをイメージしてしまうからであり、言うまでもなく、古代の
「兔/兎(う)」は、草叢に身を隠して、時折、飛び跳ねて姿を見せる
野生のウサギを指しているのである。そのように姿を「垣間」見せる
ことが、「ウ・サギ」の「サギ」によって表されているのであり、
この「サギ」は、古典で誤って解釈される、あるいは解釈が意図的に
捻じ曲げられて隠蔽されている「見さく」の「さく」と同じもの
である。 >>437
そのような誤った理解に対しては、既に>>424-426で十分に答えている。 >>439
利用という概念では、ただの外来語の受容に過ぎないが? >>438
ところで、「うさぎ」という名称が「う(≒表面化/surfacing)」+
「さき(≒裂き/間隙/interstice)」のようなイメージを想起させるもの
であることを理解すると、『古事記』に出てくる「稻羽之素菟」
(稲羽の素兎)の説話が、「うさぎ」という呼称を利用した
言葉遊びに基づいていることが分る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/因幡の白兎
兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、
横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、
海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて >利用という概念では、ただの外来語の受容に過ぎないが?
既に明確に答えているが、利用が日本語を形成している。
それ以外の外来語を除いた原日本語の存在は確認できない。 >>441
口承筆記である古事記に言葉遊びが入る余裕はないと思うが? >>442
原日本語の存在を確認できないというのは、外来語の受容を日本語と外国語との類似と混同しているから、根拠が薄い。
特に日本語は、中国語と比べて著しく音数が少なく、一つの音で多数の意味を持ってしまっているので、偶然の類似多くなる。
万葉集は朝鮮語だったという議論を作った根拠が日本語の音数の少なさ。 >>445
日本語を論じるときの注意点を指摘してあげてる。 >古事記に言葉遊びが入る余裕はないと思うが?
言葉遊びだらけだが? 既に明確な具体例を詳しく例示しているし、それが理解できないようなら、
あなたに判定してもらう必要性がない。 >>449
古事記のウサギが言葉遊びだという根拠は皆無。
思い込みの決めつけが理解されないと怒るのでは、ただの子供だ。
だから、君の記述に注意を促した。 批判は、盲点を突くようなものであるなら役に立つが、結婚しても
いない人間に対して、"Stop beating your wife!"と警告するような
ものは、相手にする価値がない。相手にされなくて気分を害するなら、
別にそれはそれでいい。私の知ったことではない。 >>451
僕は気分を害したりしてないw
自分の論点の欠陥を指摘されて怒っているのは君のようだ。
冷静に自分の記述を考え直せばいいことだ。 言葉遊びの構図を見て取ることができないと文句を言っているのは
あなたであり、何を考え直す必要があるのかまったく不明である
うえに、自分がそれを認識できないからといって、不特定多数の
他の人々を代表してあなたが判断する必要性もない。そんな
ことは、便所の落書きを目にする各自に任せればいいだけのこと
なのだから。 >>453
>言葉遊びの構図
それが思い付きの決めつけ、つまり妄想だと言ってる。
便所の落書きとはいわないが、万葉集は朝鮮語でできているという思い付きと同じレベル。
だから、冷静に、自分の記述を考え直せと注意した。 別にあなたが私の書き込みを妄想だと感じるのは別に構わないですよ。
あなたに、不特定多数の人々の判断を代表してもらう必要がないという
だけのことです。さらに、あなたがいくら私の書き込みを妄想である
と強く感じたところで、それに同感するように私を導くことができる
根拠をあなたが示せないのであれば、考え直すべき理由は私にはない。 >>455
君の思い込みは他人の意見を寄せ付けない。
根拠がないから、自分の思い付きをどこまでも進めることができるからだ。
根拠のない話には、根拠がないと注意するしかない。
統失患者の幻覚を注意しても無駄だということは知っているが、君が統失患者であるとは思いたくない。 >統失患者の幻覚を注意しても無駄だということは知っているが、
>君が統失患者であるとは思いたくない。
あなたのような人には、統失患者だと思ってもらっていっこうに構わないし、
それどころか、注意することが無駄だと自覚してもらえる方がありがたいw >>457
僕は、君を怒らせるために書いてるわけではない。
君が感情的にしか反応できなくなっているから、これ以上は書かない。
冷静になったときに、一度は読み返して自分の論の欠陥に思い至ってくれることを期待する。 言葉で表現するとは、事象がどのようであるか(という関連付け)と、
どのようでないか(という区別)が伝わるように徴候/合図を構造化して
使ふことである。 どのようであるか(という関連付け)と、どのようでないか(という区別)が
うまく伝わるように構造化を工夫するのであり、構造化された徴候/合図の
体系によって、どのようであるか、およびどのようでないかが決まるのではない。
構造化された徴候/合図の体系性をできる限り乱さないように表現を工夫する
のは、伝わる関連付けと区別において混乱が生じないようにするためであり、
体系性を規範として守ることによって、伝えようとする関連付けと区別が
うまく伝わらないなら、それを逸脱してでも伝わるように、既存の体系を
変形/拡張しようとする試みが行われる。 うさぎの「体中の皮がことごとく裂けてきて」というエピソードは、
「う(≒surfacing)・さぎ(≒splitting)」という言語表現がどのような
様態を表す言葉として構成されているのかを、文脈をずらすことに
よって伝えようとするメタ言語的なアレゴリーとなっている。 伝達の手法としてのこのような「言葉遊び」を、おやじギャグのように下らない
駄洒落のようなものと考えるべきではない。なぜなら、このような「言葉遊び」は、
単に「うさぎ」とうい呼称の由来を孤立したエピソードとして伝えるものでは
なく、言葉の表現の一般的な分析となっているからであり、しかも、私が、
ここで英語を明示的にメタ言語として利用することによって行っているような
分析を、そのような分析として機能していることに気づかれずに「語り継がれる
べき物語」として伝えているからである。 「うさぎ」の「う」が中国語の「浮(fú)」や「肤/膚(fū)」に対応するイメージ
を利用しているとするなら、「さぎ」、つまり、「さ(裂)く」という表現は、
どのような中国語の表現を利用していると考えられるか少し検討してみた。
万葉仮名では、「さ」に「狭」という漢字が当てられて用いられているが、
発音から見ても、それが想起させるイメージから見ても、「さ(裂)く」の
「さ」は、中国語の「狭(狹)ピンインxiá」に対応していると見てよさそう
である。
https://cjjc.weblio.jp/content/狭
狭(狹)
ピンインxiá
1(多く書き言葉に用い,単語・4字句を作り;幅・面積などが)狭い.
↔广,宽.⇒窄 zhǎi . 実際、そう想定して検索してみると、「宇佐神社」の「うさ」にも、
「菟狭」という漢字が当てられていたことが分る。
https://kotobank.jp/word/菟狭津彦-1057620
菟狭津彦 うさつひこ
古代伝承上の豪族。
宇佐国造(くにのみやつこ)の祖。神武天皇が東征し菟狭(大分県宇佐市)に
きたとき,菟狭津媛(ひめ)とともに駅館(やっかん)川の上流に一柱騰宮
(あしひとつあがりのみや)をつくり天皇をもてなしたという。高魂尊
(たかみむすびのみこと)(高皇産霊尊(たかみむすびのみこと))の孫とする
伝承もある。宇沙都比古,宇佐都彦命とも。 私は、このような事実関係を、あらかじめ学んで知っている知識に
基づいて検索して見出しているわけではない。推論の妥当性が仮説の
ネットワークの形成を助けるのである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/因幡の白兎
>『因幡国風土記』は現存せず、『出雲国風土記』に記載はない。
>「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)が淤岐島(おきのしま)から稻羽(いなば)
に渡ろうとして、和邇(ワニ)を並べてその背を渡ったが、和邇に毛皮を剥ぎ取ら
れて泣いていたところを大穴牟遲神(大国主神)に助けられる」 ところで、宇佐神宮のあった地の名前は「菟狭(うさ)」である。
https://www.weblio.jp/content/菟狭
菟狭
読み方:ウサ(usa)
宇佐神宮のあった地。
では、海を渡った対岸の地の名前は何だろうかと、地図で検索して
みると、山口県の宇部市、つまり、「宇部(うべ)」であることが分る。
そこで、「宇部(うべ)」という地名は、「宇佐/菟狭(うさ)」と何か
関係があるのだろうかと思って検索してみると、次のような記述が
見つかるが、地名が関係しているとは説明されていない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宇部市
>859年(貞観元年) - 行教が宇佐神宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請する
途中で宇部郷琴芝の浦に行宮が設け、その跡地に村人が八幡神の分霊を祀る
(琴崎八幡宮の起源)。 さて、「た(食)べる」という表現は、「たう(食)ぶ」という古語に由来する
と考えることができる。この場合、「たう(食)ぶ」の「〜ぶ」は再帰形を
表しているので、既に繰り返し指摘した私の想定では、中国語の「复(複)
ピンインfù」を流用している。したがって、「食べ」の「べ」も、活用形
として発音は「ふ/ぶ」から変化しているものの、やはり「复(複)ピンインfù」
に相当すると考えられる。万葉仮名を調べると、「へ」の発音に「返」および
「反」が当てられていることが分るが、これは、そのように「へ」の発音が
再帰形の活用形として用いられていることを反映しているのではないかと
思える。実際、「か(交)ふ」に対して、「かへ(返)る」、「かへ(返/反)す」
という表現が存在する。
すると、「宇部(うべ)」という地名が「う(生/産/初)ぶ」という再帰形の
表現に関係するのではないかと考えても、必ずしもこじ付けとは言えないだろう。 現代語で「うぶ」という表現を聞いたとき、どのようなイメージを思い浮かべる
だろうか。「うぶ」をGoogle検索すると、以下のように表示される。
うぶ
1. 【初・初心】 《名ノナ》まだ初々(ういうい)しくて、世間慣れが
していないこと。すれていないこと
皮膚が「す(擦)れる」と硬くなって「たこ」ができる。「うぶ」を
英語の"naive"に対応すると考えるなら、その逆の「すれた」状態
は、英語の"callous"に対応することになるので、日本語も英語も
類似した隠喩を用いていることが分り、ここで、「うぶ」という表現
が「すれていないやわらかい皮膚」をイメージさせると考えても
問題ないだろう。 さて、ここで、「うぶ」の「ぶ」は、再帰形を表すものとして、中国語の「复(複)
ピンインfù」に対応しているものと想定している。ここで、「うぶ」が
「すれていないやわらかい皮膚」をイメージさせることに留意し、さらに、
「菟狭(うさ)」の「う」が「肤/膚(fū)」に対応するイメージを利用していると
想定したことを思い起こすと、「うぶ」という表現に「肤复」という漢字を
当てはめてみることが思い浮かぶ。また、「ふ/ぶ」が活用形として「へ/べ」に
変化することを考えると、「宇部(うべ)」が「うぶ」から派生していると
想定した場合、「うべ」に「肤复」を当てはめても問題ないことになるだろう。 ところで、ここで発案した「肤复(うべ)」に対応するような中国語の表現は
存在するのだろうか。
「肤复」という漢字で表された表現は、中国語ではなく、日本語としても
存在しないので、当然、そのまま検索しても何もヒットしない。しかし、
ここで、「肤复」の表記を逆転して「复肤」にして検索すると、すぐに
化粧品に関連するらしい、「复肤堂化妆品 - 阿里巴巴」などの結果が
表示される。さらに、私は中国語を知らないので、「复肤」がどのような
意味で用いられているのかを知るために、「复肤 & 翻訳」で検索して
みると、中国語「复肤」⇒日本語「スキンリサーフェシング」という
結果が表示される。もちろん、「スキンリサーフェシング」などという
日本語は存在せず、これは、自動翻訳で中間言語として利用されている
英語の翻訳結果、"skin resurfacing"にカタカナを当てただけのものである。
それでも、「复肤」がどのようなイメージの表現なのかは、英語を
知っていれば、すぐに理解できることになる。 ここで、さらに、"skin resurfacing"をGoogle検索してみると、"Photorejuvenation"
について表示され、以下のように記載されている。
光線活性化は、レーザー、強力なパルス光、または光線力学療法を使用して皮膚の
状態を治療し、しわ、しみ、質感などの光老化の影響を取り除く皮膚治療です。
このプロセスは皮膚に制御された創傷を誘発し、新しい細胞を作り出すことに
よってそれ自身を治癒させる。 ウィキペディア(英語)
「肤复」という漢字によって解釈した、「宇佐/菟狭(うさ)」の対岸の
「宇部(うべ)」という地名は、「因幡の白兎」のエピソードを彷彿とさせ
ないだろうか。「うべ(宇部)」という地名は、「宇佐/菟狭(うさ)」という
地名と無関係なのか。古事記に記載される「素菟」の話と無関係なのだろうか。
大穴牟遲神が兎に「今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門の蒲(がま)
の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとの
ように戻り、必ず癒えるだろう」と教えたので、そうすると、その体は回復
した。これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。 日本語は、中国語の表現の構造化を変形することによってではなく、
中国語から借りてきた表現を、好都合に別の構造に組み替えること
によって形成されている。だから、日本語の表現が流用したで
あろう中国語の表現を見出すことは容易であるものの、日本語を
中国語の変形/ヴァリエーションとして解釈することはできないのだ。 日本刀を帯刀しない日本思想って
必然的にニヒリズムに行き着くと思うんだけど言い過ぎかな? 924 :世界@名無史さん :2019/11/21(木) 20:44:34.94 0
タイ語版の記事「戦艦大和」には
宇宙戦艦ヤマトと戦艦大和の比較図が付いている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/th/4/45/Yamato_comparison.jpg
こうして並べてみると、艦橋の位置とか結構ちがうね。
925 :世界@名無史さん :2019/11/21(木) 20:53:03.20 0
前方からの視点の構図において
艦橋と大砲をワンカットに入れる為に中央に寄せたんだろう 創世神話の外在と内在
[外在] 天地(=世界、宇宙)を創る神
[内在] 天地から成る神、天地に成る神
“1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。”
― 旧約 「創世記」 1:1-5、16
“天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、
天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、次にタカミムスヒノ神、次にカムムスヒノ神である。
この三柱の神は、皆単独の神として成り出でた神で、姿形を現されなかった。
次に国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、水母のように漂っているとき、
葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌えあがる力がやがて神と成ったのが、
ウマシアシカビヒコヂノ神であり、次にアメノトコタチノ神である。”
― 『古事記(上)』 「天地の初め」 次田真幸、講談社学術文庫 (1977) >>477
大川の解釈では、古事記は混沌から宇宙の生成へ、天地が自己展開していくものであり、
宇宙に内在する生命と力とが神として顕現するのだという。(cf.丸山眞男、本居宣長)
“この〔古事記本文冒頭の〕意味多き一節は、混沌Chaosが宇宙Cosmosに成り往く道筋を述べたものである。
古事記の世界観に就て注意すべき一事は、そが天地の創造を説かずして、天地の啓発、天地の開展を説く事である。
天御中主神は宇宙の根本生命、高皇産霊・神産霊〔高御産巣日・神産巣日〕の両神は宇宙の生成力の神格化である。
そは決して宇宙に超在する神にあらで、内在せる生命と力とが、神として顕現したのである。”
― 大川周明 『日本文明史』 p25 (臼杵陽『大川周明』青土社、2010、p220より孫引き) 日本創世神話の原型『淮南子(えなんじ)』
・『淮南子:知の百科(中国の古典)』 池田知久 、講談社 (1989) 原文、書き下し、訳文
・『淮南子の思想:老荘的世界』 金谷治 、講談社学術文庫 (1992) 解説と部分訳
“天地がまだ形づくられていなかったときは、
ただ何かがもやもやと漂い、ふわふわと浮かんでいるだけであった。
これを太始(大いなる始まり)という。
道がこの虚霩(漠然たる広がり)を作り出したのであるが、
やがて虚霩(カオス)から宇宙(空間と時間と)が生まれ、
宇宙(コスモス)から元気(万物の根源的な元素)が生まれた。
そして元気の中に二つのものへの分化が現れると、
清んで明るい気は、広くたなびいて天となり、重く濁った気は、凝固して地となった。”
― 『淮南子:知の百科(中国の古典)』 「11 天地創造」 池田知久 、講談社 (1989) 『古事記以前』 工藤隆、大修館書店 (2011)
日本神話の源流にあたるものとして、中国四川省イ族の創世神話「勒俄特依(ネウォテイ)」を全文紹介。
1. 前口上
大昔、上界の勒俄(ネウォ)は太陽と月を中心とする儀礼だった。
一方、下界の勒俄の中心は、雲、神と鬼、雲雀、虎、雄鶏、山と谷、水、蜜蜂、魚、ニシキドリ、竹鶏、猿、暴風だった…
2. 天と地の系譜
大昔、空にも大地にも穴が無く、空も大地もそれぞれが四方に繋がっていた。
空も星も無く、大地も草も無く、中間に霧も無く、周囲に空間も無く、あれも無くこれも無く混沌としていて、煙霧が立ち込めていた…
3. 天地開闢
天と地がまだ分かれていなかった時、上界には四十八体の神が、下界には二十四体の神が住んでいた。
大きな石の板の下には阿旨(アジュ)という蛙神が住んでいて、天と地をわけるために九年と九か月も鳴き騒いだ…
神話の類型整理にとどまらず、工藤は長江流域を中心とする「歌垣文化圏」をも想定している。
日本の記紀歌謡や万葉歌が七五調で歌われるのに対し、
同じく母音で終わるイ語の創世神話「ネウォテイ」は五音を中心に歌われている。
これらと似た定型・音数律を持つものとしては、
雲南省ペー族の七七七五+七七七五音であるとか、
江西省チワン族の五音、湖南省ミャオ族の七音、モソ人の七音が挙げられている他、
ブータンの四音や沖縄の六・八音も「休止」を含めて数えることで同類なのだという。 意味ないっす。そういう神話や物語なんていう女子供の読む読み物は。 天地の始まり、という神話はどこにでもある。
自己の立場の正統性を必要とする支配者が周辺環境を自分の正当性に結び付けるために作り上げる。 工藤は>>480の中で、神話の強度を8段階のレベルに分けて説明している。
共同体の祭式の中での生きた神話のあり方を最高レベルの第1段階とすると、
原型性が薄まった『古事記』は第7段階、
文字と国家意思によって権威づけられる『日本書紀』などは第8段階のものだという。 身内の不幸をはじめとした次々と自分に降りかかる災厄にへこたれず思索し続けた人
ってだけでも西田は凄い人だと感じられる。 西田はこちらで解説書から全集の通読までやってる
【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1494594731/ 有名な歌が多く、百人一首の元になっている『古今和歌集』と『新古今和歌集』はペアでやる。
それより古い形になるのが『万葉集』。
迷ったら、この三つは、角川ソフィア文庫にあるものが、手軽で註もしっかりしている。
その他は、講談社学術文庫、新潮日本古典集成など。 『百人一首の秘密:驚異の歌織物』 (1981)
『百人一首の世界 新装版』 (1986)
林直道、青木書店
百人一首をテーマ毎に10×10に並べると、一枚の大きな絵になるという話。
https://i.imgur.com/W9dU6hE.png
↓
https://i.imgur.com/qMTQvKq.png
↓
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e0/3ce3c037d9c29a6376d9eee7d6a82edb.png
哲学の世界では丸山圭三郎が取りあげた(『丸山圭三郎著作集3』「言葉と無意識」)。
ソシュールのアナグラム研究と比較をして。 井筒「私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえあるくらいですから」
― 井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」 『未来哲学:創刊号 特集・未来哲学とは何か』 未来哲学研究所 (2020/11/25)
末木文美士、山内志朗、中島隆博
思想の冬の時代に、あえて船出する思想誌です。希望を語ろうとするのではありません。
そのこと自体が主題となるほどに困難であるからこその挑戦──手がかりは、非西欧の思想圏への、あらためての着目です。
イスラーム、東アジア、ロシアその他の地域の見えなくされた可能性を掘り起こし、思想の風景を描き直すカギを探します。
希望とは何か、終末とは何か。一つの大きなサイクルが巡り終えたかのような、薄暮に閉ざされた時節を超えるために。
<特集・未来哲学とは何か>
前近代・ポストモダン・超近代、あらためて一つの時代区分ではない、思想の、生き方の「近代」を問う。
創刊の言葉 〈哲学〉は〈未来〉に船出できるか? 末木文美士
特集 未来哲学とは何か
1 通底する存在と情念──中世から未来を問うために 山内志朗
2 未来哲学としての東洋哲学 永井 晋
3 来者を思う──哲学の希望 中島隆博
対話 時間軸上の希望とフロンティア──世界哲学と未来哲学
中島隆博・納富信留
コラム 太古の化石林、未来の生態系 辻誠一郎
『バビロン天文日誌』と未来予知学 三津間康幸
二〇世紀の天動説──ロシア宇宙主義のヴィジョン 細川瑠璃
論考 仏教認識論の射程──未来原因説と逆向き因果 護山真也
存在と本質──中世的なるもの 小村優太
AI・仏性・倫理 師 茂樹
モノたちが互いに区別されて存在している世界 法貴 遊
──アシュアリー学派の行為論と偶因論──
革命・国家・悪──田辺元の実践哲学 田島樹里奈
書評と対話 思想史を書く枠組みをめぐって 葛兆光+末木文美士 185考える名無しさん2020/11/29(日) 11:21:34.350
「『ぢ/じっ』としていろ(≒"hold still")」や「『ぢ/じっ』と見つめる(≒stare at/gaze into)」などの表現における「ぢ/じっ」が流用したのは、中国語の「执(執)ピンインzhí」となった表現だろう。
https://en.wiktionary.org/wiki/執#Chinese
Middle Chinese: /t͡ɕiɪp̚/
Old Chinese (Baxter–Sagart): /*[t]ip/, (Zhengzhang): /*tjib/
Min Nan (Hokkien, POJ): chip, (Teochew, Peng'im): zib4
それに関連しているのが、日本語にも漢語として取り入れられている
「蟄居(ちっきょ)」の「蟄」という表現である。
https://en.wiktionary.org/wiki/蟄 >>492
沖縄には「勢理客」という地名がある。なんと読むのだろうか。
その答えは、「じっちゃく」である。
「じっちゃく」が表現として何を表していたにせよ、それを表記するのに
用いられている漢字「勢」を構成する「埶」が、「執」とよく似ている
うえ、「じっ」と読まれていることから見て、共通する表現であり、
なんらかの中国語の表現の流用である。実際、中国で用いられる漢字を
参照すると、「埶」と「執」はともに「执」として簡略化されて表記される
場合があることが分かる。
したがって、
https://ja.wikipedia.org/wiki/勢理客
>「じっちゃく」という読みは、「せりきゃく」の沖縄方言(母音の「e」→「i」、
子音の「k」→「ch」)読みである「しりちゃく」が、濁音化・音便化したものである。<
という一般に流通している説明は、誤りであるか、あるいは意図的な隠蔽であるものと
私は考える。 https://userweb.mmtr.or.jp/sumiyoshi-do/tetugaku(jinsei)17.htm
>縦欲之病可医、而執理之病難医
>縦欲の病は医すべし、而して執理の病は医し難し『菜根譚』 「執」の代わりに簡略された「执」で「执理」を検索すると、
多くのサイトがヒットする。
>「法执重而不去践行佛法,便是执理废事」 「勢理客(じっちゃく)」の「勢」は、本当は「執」と表記されるべきもの
であったのではないかと仮定して、「執理客」と書き換え、さらに
「執」を現代の中国で用いられる簡体の「执」に置き換えて「执理客」を
検索すると2件だけヒットするようだが、私は中国語を知らないので、
それがどのような用例なのか明確には分からなない。ただ、
「勢理客(じっちゃく)」が「执理客」に対応すると想定した場合、
「執/执」は、「執念」のように「執着」の意味合いや、
「『じっ』としている」のように「保持された様態」を表すように
用いられているのではなく、「執行」のように「執り行う」ことを
意味するように用いられているのだろうと思われる。すると、「客」
は、「ゲスト」というよりは、「刺客」や「論客」などのように
>ある能力で生計を立てる者<
https://ja.wiktionary.org/wiki/客
や、あるいは、「あるカテゴリーの人々」を表すように用いられている
のではないかと推測される。ただし、「勢理客(じっちゃく)」が
実際にそのような表現として地名となったのかどうかは、当然のことながら、
歴史的な検証が必要である。