「全(全て)」を超えるものは存在するのか? [転載禁止]©2ch.net
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「全」ってのは、その名の通り、「全て」だから、
どんな状態をも指す。
これを超えるものは存在するのでしょうか? 「全」と「一」は常に対立関係にあるので
「全」は「一」を超えられないし「一」も「全」を超えることはできません 「一」って何ですか?
全体的にもう少し詳しく教えてくれませんか?
お願いします。 「一」というのは他によって限定されず
それ自身として存在し得る、と考えられるような概念のことです
詳しくはスピノザの「エチカ」を読んでみてください >「全」と「一」は常に対立関係にあるので
>「全」は「一」を超えられないし「一」も「全」を超えることはできません
これをもう少し詳しく教えてくれませんか?
お願いします。 面倒なので嫌です
ヘーゲルでも読んでおいてください
これと同じ主旨のスレを自分は200個以上は読んでいます
正直哲学の初歩の初歩であり、ウンザリのテーマです 西田幾多郎、フォイエルバッハそして空海に於いて「一」と「多(=全)」の連関が
思想の中心的論理として提起されている。空海そして西田幾多郎に於いては「一」と「全」の
関係は「両義性(二重性)」として捉えられている。フォイエルバッハの場合も類概念(両義性)
として捉えられている。
ヘ−ゲルの場合は、存在の根源にあるものを、即自存在(正)と対自存在(反)の対立関係として
捉える。
上記のように存在の根源を、主観領野(一)と客観領野(全)の連関に於いて、「両義性」として捉えるか
或いは、「対立関係」そして、「調和関係」として捉えるかは、自身がその時々の状況の中で、どれほどの
哲学的思索の深度にあるかよって捉える存在概念が異なってくる訳です。 分かりません
お願いです、分かりやすく教えて下さい >>9
今、ここに「身体」をもって持って“存在している自分”というものを我々は認識している。
「身体」とは、心(=精神)と肉体(=物質)の“合一”したものであり、この「身体」が
自分(主観的存在)として認識されるのと同時に、他者(客観)を我々は強く認識している。
従って、この世のすべての事象は、「身体」を基とした主観的存在と、その対極にある客観的存在
によって構成されていることが分かる。
そして、“身体を基底”として、存在の本質を問いなおすと、「主観的存在」が「一」として、そして、
「客観的存在=他者」が「全=多」として捉えられる。 >>12
興味深い。
もう少し詳しく教えてくれませんか?
お願いします。 >>10
体の話は分かるのですが、最後が意味不明でよく分かりません その全ては誰にとっての全てなのだろう?
全てにとっての全てなのか?
次元が果てしなく続くので、全ての次元の全てを考えたとき、プラスとマイナスで全てが相殺され1となる >>16-18
もう少し詳しく教えてください。お願いします。 「全てを超えるもの」という矛盾は、「全て」と言っている私がその「全て」に含まれていないことによる。
「『全て』と言っている私を含む全て」と定義しても、それを言っている私はやはり全てには含まれない。 「世界平和」を、人類の「良識と愛」を信じたい。
人種、言語、国家制度、宗教、自然などが、いかに多様でも。 >>21
バカにわかるように説明したら、意味がまったく違うものになってしまう
たとえば意味をガンダムで例えて教えてくださいというのと同じだ。 全てといってもそれを口にした人の想像力、あるいは知識の限界がある
全てという概念がもともと定まっていないためにこの問いには明確な答えが存在しない
無限という概念はあっても無限を具体的には想像できないのと一緒
数字を例にしても一生かけても言える数字には限界がある
ある人にとっては想像や知識を超えたものが全を越えたものと捉えることができる
あるいは虚数のような実際には存在しないもの ガンダムならメタル刹那がガンダムを越えたものだろうか >>24
想像できない領域なども含めて「全て」と言ってるわけだから、
別に想像できなくても良いんじゃないでしょうか? 想像できていないのに何故含めることができるのか?
知識や智慧の限界を超えた全く新しい概念が無いといえるのか
ありきたりで申し訳ないが0ですら数学においては画期的な発見だったという
分からないもの、知らないものを全て含めるといっても
分からないのだから含めようが無い
未開の人間が両手の指で数えられないものをいっぱいと表現するのと一緒で稚拙なだけともとれる
幼稚な子供に向けて想像力は無限だと教えるのはいいが
実際の想像力や記憶力有限だ なぜ想像できていないと含めることができないと思うのでしょうか? なぜ想像できていないのに含めることができると思うのでしょうか? 想像できてないのになんで含まれているなんていえるの?
言及できていないんだよ?
それ以外全てとは何ですかってな感じ 具体的に説明できないのなら曖昧に答えることになる
つまり全てといいながらそれは分からないという事になる わからないという事は含まれているかもしれないし含まれていないかもしれない 全てと発言したものの、全てが何を指すのかはわからない
つまり何を言ったのか分からない 無限大から物理的に意味のある有限な量を抜き出す処方をくりこみまたは再規格化という A、最大の自然数が存在する
B、最大の自然数は自然数であるから、最大の自然数に1を足すことが出来る
C、BはAより大きいため、Aの定義は矛盾している
D、よって最大の自然数は存在しない
同じように、
A、「全て」が存在する
B、「全て」を超えるものが想定できる
C、BはAに含まれていないため、Aの定義は矛盾している
こっちは結論が2つ
D1、よって「全て」は存在しない
D2、よって「全て」を超えるものは想定出来ない
「全て」を例えば「宇宙に存在する全ての原子」とすれば、D2になる。
「全て」に概念を含むとすれば、「全て」は最大の自然数のように定まらないものだから、D1になる。 >>39
高校1年で習った 発散 を使えばいいんじゃないかな? 無限を超えた無限を超えた無限を超えた無限を超えた無限・・・・ >>41
使うと 果てしなく大きな数 を理論の中で扱える 数字を扱うには、まず中学で習う 算数 の知識が必要であると私は思う。 >>44
それ数学でしょ。
哲学的にはどうかなるの? その話をするなら、まずはDNAについて理解してからだ モータルである人間には全や無限は正確に捕らえる事は不可能ということ 全を越えるものは無いというより人類の限界的表現
全+1はあり
でも+1が何かはいえない
全が正確に定義できないから >>47
同じじゃないでしょ
哲学には果てしなく大きな数は出てこないよ
比喩ならあり得るけど、その場合は何の比喩なのか説明しないと 全+1だろうが全+2だろうが全+3だろうが・・・
全に何を足そうがそれらも含めて「全」なんだから。 暗黒物質の定義が当て字の結果
光子とセットになってるからじゃないの 基本的な事で申し訳ないけど、数である「1」と数でない「全」は足せるの? 足せない場合は、こう考えると良い。
「全」を超えるもの
「全」を超えるものを超えるもの
「全」を超えるものを超えるものを超えるもの
「全」を超えるものを超えるものを超えるものを超えるもの
・
・
・
でも、仮に「全」を超えるものがあったとしても、
ぞれらも「全」の中に入るわけだよなぁ・・・。
やっぱり「全」を超えるものは存在しないのかな。
「全」が最強なのかな? そだね最強だね
何と比較して最強なのか分からないけどw 「全」以外の全てのものと比較してだよって言おうと思ったけど、
その「全」以外の全てのものってのも、「全」の中に入るんだよな。 ふと思ったけど、
「全」を超えようとしている時は「全」を超えてるけど、すぐに「全」に含まれちゃうなら、
物理の様に考えると、「超える」速度>「入る、含まれる」速度なら超えてられると。
一瞬の間に存在する素粒子の様に「全」を超える状態が一瞬だけ存在したりしてw 「全」を超えようとしている時ってのも「全」に含まれるし、
「超える」速度ってのも「全」に含まれる。 その話は君たちにはまだ早い。空間と時間について理解してからだ。 全て=観測出来るものの総数
でしょ?
それなら普通に存在するよね >>59
全以外のものは観測出来ないし
定義が出来ないものは存在しないも同義だよ >>61
それは全の定義が変わってるからまた違うでしょ >>53
存在しないものを全てに入れることは出来ない
つまり人の観測出来ていない存在が全の外側 集合論とか統計とか数学といっても怪しさ満点の概念
幾らでも操作できる論理の皮被ったトンデモ論だからなw >>69
観測出来ないものは存在しないよ
人には認知出来ない
そんなものを有に含めることは不可能 >>64
観測できるものもできないものも全てひっくるめて「全て」。
>>65
観測できるかどうかは関係ない。
できようができまいがそれらも全てひっくるめて「全て」なんだから。
>>67
観測できるかどうかは関係ない。
>>71
観測できるかどうかは関係ない。
人間が観測できるものの「全て」を言ってるわけではなく、
観測できようができまいがそれらも全てひっくるめての「全て」を言ってるわけだから。 つまり、ここで言ってる「全て」ってのは、
何かに限定された中での「全て」ではなく、
どんな状態をも含む「全て」なのである。 >>75
ひっくるめようにも概念としても理解できていないし存在も認識していないのに含められないだろう
駄々をこねているとママに叱られるぞw 全に含まれない「何か」は何に含まれるんかのう?
「何か」を含んで全とする、ってのは「全に含まれない」という前提を破ってるのでアウトだぞなもし。 @「全に含まれない」という定義が全の「全てを含む」という定義に違反しているので不可能
A「全に含まれない何か」は定義上全というネットワークの全体から弾き出されることになるので、全という概念が成立しているそのネットワークからは語ることができない
つまり、「全に含まれない何か」が成立するにしてもそのことは全からは語れない(ゲーデル?)
B>>57のようなメタ的構造化が永遠に進む >>78
概念として理解できてなかったり存在を認識していなかったりしても、
概念として理解できていなかったり存在を認識していない「何か」として含むことは可能だろう。 >>75
存在しないものを全に含めるのなら全は破綻する
存在しないものは0
全は1の延長線 >>81
観測出来ない何かを存在に定義する事はできない
誰にも認知する事が出来ないのなら、それは存在しないと同義
メタな事を言ってしまえば「全」などという言葉は人間にとって便利なツールでしかない
観測する存在がいなければ存在という概念すら存在しない
「全」などという言葉は所詮虚構
無を全に含むのならこの議論は全く虚しいもの >>83
観測は全て間接的なものである
つまり観測と理論(概念)に明確な境界はない >>80
今まで全てだと思っていた事が、実は全てであはかったという事
つまり正確には
昨日の全て=全て−1 >>84
観測とは間接的、その通りだ
だが概念という存在も観測によって間接的に生まれたもの
見て、聞いて、触って、嗅いで、味わい出来たもの
所詮人間の尺度に過ぎない
「全」、これも同じ
人が作り上げた尺度であり観測した「存在」の「集合体」の総称
よって境界はあるよ
人間の限界が「全」 人の観測出来ない「存在」も全てに含む?
この言葉の中で、これを主張する人は必ず、存在しない何かを「何か」という言葉に当てはめ、妄想し、それを主張している
具体化出来ない時点でそれは根拠の無い妄想であり、人間の尺度で表すことは出来ない
これを主張する人は1+1を3や4と答えるひねくれ者と同じ
人間の作った概念である以上人間の目線でなくては語れない >>87
観測しなくとも挙動が分かる
そのような知恵がないとは言わないよな ふと思ったが、たとえば、4次元を考える時、
3次元の人間には過去や未来の存在を認識できないが、
「全」を考える時、これら過去や未来の存在は含まれるのか? >>88
その挙動はどうやって認識している?
目?耳?或いは鼻?せれら総てが観測だよ
そもそも「全て」という言葉は正しくない
もっと正確な尺度がある「数値」だ
全ては数値の集合体
では君の言う全ては一体幾つだい? 誰が何を書いているのかちょっと読めないところがあるけど
認識論的な全と存在論的な全が錯綜しているような
>>85
時間性の上での無際限性ってことか?
それはフィヒテの無限論だけどヘーゲルによって発展的に解消されてなかったか 本質的に無限を扱うと数学は其処で止まる
解を得るのではなく限界
人類にはまだ無限は早すぎる 維新後の帝国日本における「自由民権」思想。
書き入れ禁止ですか ? ありがとう存じます。
安倍内閣が「際限なく右傾化」と、野党は主張しますが、余りにも
「低次元」です。維新がの帝国では「自由民権思想(板垣退助や大熊
重信など)も、ギリギリの危険思想だったのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています