哲学的ゾンビとは擬似問題だから
クオリア論法とかクオリア自体が擬似問題だから
自分がクオリアを持っていると自分に証明できないから
一瞬前にクオリアを持っていたという錯覚をしている哲学的ゾンビが
自分なのかもしれない
そうじゃないとは証明できないから

私も内面もクオリアもその捏造、連続性の仮構の後に生ずるもので
存在しない
哲学的ゾンビはクオリアなるものが連続して私に帰属するという前提だが
そんな連続性も私もクオリアもどこにもないから

ある瞬間に内面に質を感覚をクオリアを感じた

それがこの私の体験だったとは言えない

私のクオリアを私を認めるなら他者も世界も認めないと意味をなさない