どうか教えてほしい [無断転載禁止]©2ch.net
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私が昔からずっと考えていることなんだが、どうか教えてほしい
色についてなんだ
というのも、私が赤として見ている色が君が赤として見ている色と違うのではないかというもので
例えば二人の人間AとBの前に「赤色」の鉛筆と「青色」の筆箱が有ったとする
どちらとも鉛筆を「赤色」筆箱を「青色」と答える
けれどもAが「赤色」だと指した色はBが「青色」だと思っている色で見えている世界がそもそも違うからどちらとも「赤色」だと答える
何言ってんのか分かんねぇよjkって思われるかもしれない、けどどうかこの疑問について答えてほしい
私が赤と見る色は君にとって何色なのだろうか しょっぱいやからいやあまいの場合と同じだろ
自分がしょっぱいと感じるものを他の人に食べさせて、やっぱり
他の人もしょっぱいと言えば、その食べ物はしょっぱいんだし、
ぜんぜんしょっぱいと思わない人がいれば、しょっぱい基準が
違う。 >>2
返答ありがとうございます
それは紫色を赤っぽいと答えるか青っぽいと答えるかという話で
私が言っているのは君の世界で「青」だと思っている色が私の世界では「赤」として存在する色だということなんだ つまり、色の認識は
自分は鉛筆を赤色、筆箱を青色
相手は鉛筆を青色、筆箱を赤色
と認識
しかし、相手は青色で認識出来るものをそもそも"赤色"と呼んでいるのではないか?
また、赤色で認識出来るものを"青色"と呼んでいるのではないか?
っていうこと? >>1
>>私にとっての赤色は君にとって何色か
同じ赤色を見ても違う色を見ている
ただそれがアカという言葉や文字で表現される色だという共通認識は同じ
色盲の人のことを考えると分かりやすい 同じ味のもの(同じ物質)を口に入れて、感じる印象がおいしいかまずいかに分かれる
色の感じ方も違うかもね 整理してみた
・色の種類は皆同じ3種類
発散させると白黒の2種類
・それぞれから感じる印象は皆同じ
・黒は闇で見えない時の状態、白は光で見える時の状態、中間色は見える見えないが波長で相互に繰り返される状態
・目を閉じ見えない時の黒、これは人により見え方が異なるのだろうか >>9
何言っとんだ?
何で「見える見えないが波長で相互に繰り返される状態」なんだ?
波というのはどの瞬間も波打っているだろ
どのタイミングで見えなくなるんだ? >>11
何言っとんだ?
どの瞬間も波打ってるのとずっと見えるのとどういう関係にあるんだ? >>10
ない
たとえクローンを作ってまったく同じように育てても現実では絶対に差異が生じる
そうなったら必ずアカという色を見るときにも差異が生じる >>12
ずっと見えるなんて誰も言って無いぞ
何で見えたり見えなかったりすると考えたんだ?
普通そうは考えられないだろうと思うがったのだが
他の可能性は考えなかったのか? 1です、皆さんありがとうございます
私の考えは>>4の方の説明と一致します
要は皆さんが見ている世界が全て違う世界だということです
色とは少し離れますが、例えばですよ
日本の現在の百円玉を思い浮かべてください
……形は?
丸ですよね
それは百円玉として存在しているから誰にとっても丸なんです
けれども、しかし貴方が仮に他の人の体に入り込んだとします
他人の目で百円玉を見ると貴方にとっては四角と思っている形なんです
けれどその人にとっての丸は四角なんです
だからその人も貴方も百円玉を丸だと言うんです
……すみません、分かりにくいですか? >>16
じゃあなぜ面積は同じように求まるの?
四角は辺があるが、丸は辺が無い
どうして辺が無い丸を辺があるというの? >>17
どのことに対してでしょうか?
>>18
そもそも辺とは何ですか?
貴方にとっての辺は本当に他人にとっても辺でしょうか?
もし貴方のいう辺が誰かの世界では弧かもしれない
面積が一致するのはその数字が定められているから
底辺2高さ1の直角三角形と一辺1の正方形は面積が一緒ですよね >>20
以下に対してです
1です、皆さんありがとうございます
私の考えは>>4の方の説明と一致します
要は皆さんが見ている世界が全て違う世界だということです
色とは少し離れますが、例えばですよ
日本の現在の百円玉を思い浮かべてください
……形は?
丸ですよね
それは百円玉として存在しているから誰にとっても丸なんです
けれども、しかし貴方が仮に他の人の体に入り込んだとします
他人の目で百円玉を見ると貴方にとっては四角と思っている形なんです
けれどその人にとっての丸は四角なんです
だからその人も貴方も百円玉を丸だと言うんです >>22
>>23
あくまでも可能性です
誰も他人の中に入ったことは無いでしょうから、理由はありません
>>21
でも半径1の円と一辺√πの正方形は面積同じですよね >>24
つまり君の発言は間違いだったという事だね >>25
たしかにそうでない場合もあるでしょう
しかし「絶対に」そうでないと言い切れますか?
>>26
君は他人の目を借りて世界を見たことがあるのですか?
あるのならば君の意見は正しいでしょう、そして私が間違っているのです
けれども君が他人の目を借りて世界を見たことが無ければ、どうして私が100%間違っていると言い切れるのですか?
君は目に見えるモノだけを信じるのでしょうか? 個人個人が見る世界は、当然異なるでしょう。
では、なぜ異なるのか?と、次にその差異の根拠を問うことが重要なのでは?
認識の構造が個人個人によって異なる、というのは当然ある
しかしスレ主にとってはっきりしているのは、認識以前に実在論的に、
認識主体にとって外在する対象があるということ
この対象自体は、認識以前の問題として、一義的というか、それ自身が個人個人の
認識に差異をもたらすものではない、ということ。
つまりパースペクティズムを超越した、不可知の対象すなわち物自体であること。
自分なりに哲学の言葉で言い表してみたが
こういうことでおk?
それから、認識論以外に、言語的な問題も入ってくる
つまり丸いとか四角い、という言葉で個人個人が何を指示しているのか
でも、個人個人がある言葉で指示するものを変えてしまったら、公共性が成り立たない
しかし、23の例では、個々の人が見ている形が違くて、そしてその形を指示する
語が違うのに、そのうえで、百円玉は丸い、という共通認識が成り立っている。
見ている形と、それを指示する語が違うのにも関わらずだ。
すると、共通認識が成り立っているのは、つまり形の差異と、指示の差異がそれぞれ
独立に存在するにも拘わらず、会話が成立しているのは、この2つの差異が、
偶然としか言いようがない調和を成しているか、あるいは「丸い百円玉」という
認識を超越したイデア(上では物自体といったが)を媒介しているからかである。
いずれにしろ、見ている形の問題と、それを指示する語の問題、は切り離されるべき >>28
全くもってその通りです、本当にありがとうございます
私が問いたいのは何故この世界が調和しているかということなのです
偶然なのか、必然なのか
かのイデアも個人によって違うのではないか
しかし更にその先にそれを調和させるものがあるのではないか
それとは何なのか
全く分からないのです 人は社会人に自然に理解社会学者になる
あとはそれをどう考えるかだが、歴史と理論の間で独自の膨大な学問的研究を残したウェバー、社会的主観の理解を現象学的に考えたシュッツ、哲学的思考をしたであろうウィトゲンシュタイン等、人間としても一朝には語れない学問的にも深いテーマだな ウェバーの基礎理論的側面はシュッツに、政策的側面は経済学に行った印象だ
また社会学は総合社会科学であるか社会科学中の一個別科学であるかという問題、それへの立場による理論も面白い
そして基礎的社会学とフッサールやウィトゲンシュタインとの関係をどう考えるかも面白そうだ
そういう考究が考える人と社会という問いを提起するが、この疑問が提起されれば思考と責任を放棄しない限り、それに対する事を余儀なくされる 俺はこの一月紙にてを触れておらず思考もなく主体としての責任を放棄していた
相変わらずバカのまま ✖️人間としても
○学問的にも
是々非々でもダメだし特定の立場をバイブル化してもダメだし安易な総合も思考放棄だ
イデアを論じたのはプラトニストだろうが彼らは批判された
建築についての困難にたえつつプラトニストとしての小林秀雄を批判したのは柄谷だ >>1
いろ鬼で・・・
A「これは赤色じゃない」
B「これは赤色」
このレベルの話で大人が悩んでどうするんだよ
この国は大丈夫か? そうやって世人に揶揄されたのは哲学者のタレスだったか
「このレベル」は自明でもあるがそれをおざなりにするとドグマティックになるはずだ >>29
まずこの世界が本当に調和しているのか、と問うことが出来る
100円玉の例では、感性的となった対象(つまり現象)の差異と、語が指示するものの差異とが
あった。そのうえで、100円玉が共通して認識されている、ということが前提されていた。
世界がそもそも調和していないのであれば、じゃあ公共性が成り立たないのか、といえば、
そんなことはない。
各々が感性レベルで異なった対象をもち、またその対象についてこれまたそれぞれ異なった
概念を指示するとしても、第一にもしその当の超越的対象が実在するとしたら、
それを媒介して、それについて語ることは常に可能。
それは各々によって別様に規定されているが、>>23の例は極端であって、
各々が見る感性的なものとしての対象が、四角や丸といった、対立とは言わないまでも
カテゴリー的差異をもつものから、もっとパラメータに還元できるような差異の問題にまで
制限を緩やかにすれば、根本的な問題は解決されないにしても、それをパースペクティズムの問題として差し当たり保留できるほどになる。
つまり問題を、指示に関する言語的なものだけに絞ることができる。
これも、指示の不確定性(クワイン)とはまた違って、当の対象を指示する語が違う、ということだけれど、
パースペクティズムの問題が、対立から差異へと緩められたのと同じで、語の差異でなく、
同一概念の内容の差異(理解の差異)にまで制限を緩やかにできるんじゃないかな。
そうすると、会話は、常に完全には調和はしていないが、同じ対象について語ることが出来るし、
もし齟齬が顕在化した場合、それぞれの話者が自分の概念の規定を動的に修正することもできる。
それで会話が成り立つ。上では、認識論上の問題と言語上の問題は相対的だと言ったけど、
感性上の現象(=対象)の問題が差異のレベルまで緩やかになったので、その認識論上の差異を媒介変数として、
それに関しての同一概念の内容上の差異が生じる、ということになる。 またもし、超越的対象すらないとしたら、対象がそもそもないわけだから、完全に
コミュニケーションを要素とする公共的システムの問題となる。
公共性とはコミュニケーションを構成し、
またそれによってのみ逆に修正を受ける、という閉じたシステムになる。
コミュニケーションの間断なき重層的な文脈が、対象を構成する。
もしそれについてのコミュニケーションが、齟齬を持つとしても、絶えざるコミュニケーション自身が、
予測された対象についてのコミュニケーションの完全な成功と、現実に生じた齟齬との差異をフィードバックして、
システムをより一般化して、公共性を完全なものに近づけることは、出来ると思う。
これは最近システム論を学び始めたばかりなので、正確ではないし、オートポイエーシス論とか古典制御理論とかに忠実に
従っているわけではないけど、より現代的な議論であるとは思う。 >>27
必ずそうであるとは限らないと言っている
一致する範囲があると言っている >>35
タレスが誰か知りませんので何とも言えません
このレベルは幼稚園レベルまでは理解出来ますか?
幼稚園レベルをおざなりにしているのは『両親』まで結び付きませんか? >>37
うわぁぁぁ、なんだか少し晴れました!
ありがとうございます!
考え続けていると全てを疑いたくなるけど考えている自分はたしかにある
まさにコギト・エルゴ・スムでした!
>>39
タレスは万物の根源は水だとした自然哲学の方ですよ
大人、と言われてもまだ私はエリクソンの言うところのモラトリアムの期間なので大人ではないかと思われます あともう一つ、親切な皆さんに教えてほしいことがあるんです
世界は一つだけなんですか?
私の家系は「見える」人が多いみたいなんです
簡単に言うと私は「白い人」伯母は「黒い人」が見えます
お化けなんて嘘さ、とか思われる方もいらっしゃると思います
幻覚だろ精神科行けjk、と思われる方もいらっしゃると思います
私は見えている「彼ら」は影なのではないか、と思うんです
他の世界に存在する、誰かの影なのではと思うんです
第六感というのは他の世界を少し覗いてしまうということなのではないか
例えば透視能力を持つ人が居たとします
4つの封筒を並べられ、その中に一つだけ当たりの紙が入った封筒があるとします
その封筒を彼が当てられるのは封筒に入っていない紙が存在する世界が見えるから
……だとすれば、世界は一つではなく同時にいくつもの世界が存在することになりますよね?
私の疑問は愚問なのでしょうか
どうか、教えていただけませんか? >>41
そうです。世界は826個あります。
おっしゃる通りで、ポリゴンの隙間から影が漏れている可能性があります。
お互いの干渉は無いように努力しているのですが、敏感な方には見えてしまう事がございます。大変申し訳ございません。
皆様のプライベート空間をお守りすべく
調査の上できっちりと修復いたしますので、もうしばらく我慢して頂きたく存じます。
誠心誠意を尽くす所存でございますので、どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。 >>41
わりかしそういう幻想は抱いたことがあるけど
それを他の世界が存在する根拠にするのはどうかな
僕はよくデジャヴを起こすんだが、
デジャヴは過去ではなく、並行世界にいる自分のイメージが
それこそ量子の雲のように世界を跨いでいて、
意識に流れ込んでいるんじゃないか、と疑ったことはあったが、
その根拠は乏しいし、並行世界が存在することの証左には全くならない
だから君が影が見えるということは疑わないけど、
それが並行世界の影だと考えるのは早計だし、根拠に乏しいかな あと、超能力云々というのは
たいていインチキだと思うんだ
それはまあ、根拠はないけど、常識的に >>42
貴殿は如何なるお方か
>>43
有るかもしれないし無いかもしれない
無いとは言い切れないが有るとしては根拠が乏しすぎる
ってことですね?
ありがとうございます!
平行世界が有ったとするとなんだか素敵ですよね
夢が広がりそうです ウェバーとシュッツの理解社会学と言ったが、前にwikiの社会学の項目を読んだ程度
必要な時に何時も準備が足りず、見切り発車しては虚しくなる事を繰り返しているが拙速は避けたい 結局俺はいつも何もしてない 必要に迫られて何も無いのにやってしまう
ここから抜けたい
消えよう 社会学の行為の主観的理解を提唱したウェバー、それを継承したシュッツ、
彼らとは違う位相において理解について考えたであろうウィトゲンシュタインらに言及する事が必要だと思ったが、
両者について何も知らないまま言及してしまい虚しい ○社会学において行為の主観的理解の重要性を提唱したウェバー 「社会学の根本概念」を読み始めた
他は何も言いたくない 内容については何も言えないが、著書の内容は豊かでそれに反した自分の虚しさが嫌になった そういう虚しい自分になったのは、ネットで自分の必要に迫られて何もやってないのに対象にコミットして空回りするというのを続けたせいで、
何もやっていないのに何かをやってしまい何時までたっても結局は皮相的で何もやらず自分を空洞化させていくのはいい加減止めたい 豊かなものを貧しく語るというのはバカらしい
荒らしてすまん消えよう これも拙速だが、誰という事もないが現代批評家と丸山を批評家と読んで良いか分からないが彼らの世代の知識人とでは、
前者の方が純粋で優しい気がした
前者的な批評の優しさというのがあると思った コンテンツに愛を持っていると
丸山らの知識人はウェバーを参照し、また語っていると思うが、それを愛を持ってコンテンツとして見ているかどうか微妙な所がある 資格の市場価値が一目で分かる!
安定した仕事を得るには学歴よりも、価値ある資格を取ることが大切です。
また、日本経済が求めている人材も、これで明らか。
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提供: http://jobinjapan.jp 俺は今回は変われそうな気がする
ウェバーを読むかは分からないが何にコミットするにせよ人は深入りすれば素晴らしくなっていく それだけに今までの自分が嫌でもどかしいが、ともかくベストを尽くしたい コミットする何かというのは一つでなくても良い
それで武装する固陋な専門家にはなりたくない 固陋な専門家になるのも非常に難しいし、専門家は総じてすごい で何にコミットするの?
あんたに足りないのはプレッシャーだから何を思い決めても無理だと思うよ
コミットしてもそれを追い立てるものが具体的にあんの
ないからいつも口だけ
そんなんじゃ死ぬまで同じ事の繰り返しだよ もうプレッシャーに耐える精神が無いんだろ
無理せず寝ていろ >>57以降は取り消したい
何事もやってみないとわからん 何でも良いからやってみるつもりだ 今回のは反復じゃない 明らかな断絶を感じる
また以前の反復的な粘着は全く無意味なものだったと思ってる
そうして粘着してしまった事は申し訳ない 中身の無い自家撞着から抜けたい
それは反復強迫的という事で、そうである事から抜け自失的な反復でない自分として何かをやってみたい 手を洗うのと俺が2ちゃんへのレスは殆ど一緒で、反復強迫と診断される人が手を洗っても何も無いように俺にも何もなかった
これは反復というより結論が出てるが、
「そういう虚しい自分になったのは、ネットで自分の必要に迫られて何もやってないのに対象にコミットして空回りするというのを続けたせいで、
何もやっていないのに何かをやってしまい何時までたっても結局は皮相的で何もやらず自分を空洞化させていくのはいい加減止めたい」
病について語るのはしたくないが、ここから抜けたい ゼロ以下で自分を空洞化しかしてない
そして止めて変わりたい 自分の反復に意味があったとは思えないし思いたくもない ○俺の反復はゼロ以下で自分を空洞化しかしてない
それを止めて変わりたい 自分の反復に意味があったとは思えないし思いたくもない
これも嫌で止めよう 自分の反復に意味があったらそれを追及していけば良いしそうなってたと思うがそうはならなかった
俺はこれを意味にしたくも無い 高校は三年最下位だし図画の課題は殆ど出していないし大学も留年した
止めればよかった
当然これが世人だと思い、俺は世人にもなりきれていないものの別に特殊とも思わないが、
専門家でもない世人というのは始末に困る ともかく何かやるしかない
皆何かやれば良いとおもう 何もせず生きてきて愚痴の垂れ流ししか出来ない
悪くて醜悪な世人的狂人、良くて症例 どうせなら何かやりたい
どちらにせよ才能はないので消えたい 「そういう虚しい自分になったのは、ネットで自分の必要に迫られて何もやってないのに対象にコミットして空回りするというのを続けたせいで、
何もやっていないのに何かをやってしまい何時までたっても結局は皮相的で何もやらず自分を空洞化させていくのはいい加減止めたい」
これでいい
また居ついたが何も無いし虚しさを深めるばかりで止まらない
止めるが 症例にはなれるはずもないが、俺は症例になれるほどのものは何もない 対して気にしてもいないのについやって抜けれられない 悪い意味じゃなく
消耗してしまった 我に返っても虚しくなって2ちゃんにきて気にしていないことで自家撞着してという事になってしまう
それはいけない 自家撞着すらしてない
荒らしてすまない消えよう 本当にやめよう フォースの覚醒が凡作だった
オレが書くべきだったッ あのヘタレがスーパープレイを突然みせるみたいな
学生突撃隊シナリオをなんとかしたい!! そんなにおかしな事も言ってなくて
俺には何もないという事 それで終わりだがただの蛇足をダラダラ続けてしまうだけ 寝起きできてしまった
ダメだ俺はただのクズだが、クズじゃないような気もする 主にこの板で粘着したのは二人だけど、韜晦や啓蒙に関わりつつ、それについてはもう前に色々いった 蒸し返すつもりは全く無いが、○○フォビアとか近代疲れとか検討すべき事はあったと思う
自分には何も無く途方にくれて自失した粘着になってしまい申し訳ないし後悔してる
それを止めたいと思った 基本的に暴言は無かったが二度暴言を吐いた それは申し訳ない
後は暴言ではないが、暴力的な粘着になってしまったと思う 自失した批判的粘着は最悪
自失はやめたい 自失してしまったのは自分に何も無いから
何を皮肉られているのか分からないし学ぶ気にもならない
苛立ちの中で脱力してして自失した それが韜晦と啓蒙がいるという事になるのだと思う
申し訳ないと思う
自失はやめたいし今後批判的粘着をする事はないし、ここもやめたい 権威に批判されているけど何か違うんじゃないか、批判が韜晦的だし皮肉である
権威への問いを立てなければいけないが、その気力は脱力によって失われる
自失し粘着的にいついてしまった それを批評がないのではないかと思った
韜晦的な所もある批判についての批評は大学を留年した自分には無理だった 韜晦も皮肉も良いが、それには批評的内実がないといけないし、多くの場合批評性は伝わるが伝わらない事もある
そうすると俺の様な事になる 今もそうだが俺は自失して粘着してしまった
ただ願わくば一言言っていただける方が居たら悪気はさほどないだけに収まっていた
俺はそうして行きたいし、よそでは今思えばそうしたと思う 俺は批判のために学ぶという気になれず、しかし危惧と苛立ちにを抱えつつ気力が消え自失して垂れ流してしまった
自分も酬いはある程度受けていると思う、現在自分には何も無い
申し訳ない、そしてもうやめたい 俺は観てないんだがSWの新作の様なところがあったと思う
ルークが後進の育成に成功しなかった ルークは二人居るが、そして隠棲した
後進が少ないというのが色々な混乱を生んだと思う これもどうかと思うが、ハンソロとは違う独立勢力としてのルークはいい
ただルーク以外の者がいないとルークがダメになってしまう ルークは批評的に振舞うのだが、彼以外の独立勢力がいない事でその批評性が危惧の対象になってしまう
力はありながら隠棲しているし、独立性が却ってアンチ性になってしまう
俺は消えたい あえてが相対化されずに絶対化してしまうというか
絶対化したまま隠棲してしまう 絶対化したままの隠棲に危惧は出てくる
非批評家として、その絶対を相対化し批評性を理解するだけのまともさが自分に無かった事が残念 後進の方も優秀だと思うが独立勢力という感じは正直しない ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 クリばかり攻める。
Evaluation: Good! 文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
人間として生まれた意味がここにある! 共通認識に錯誤がないなら問題ない
感性には差がでるかもね
ちなみにオレには黄色に視える >>1
これは哲学史上で全く同じ議論がなされてる
例えばヴィトゲンシュタインを参照するといいよ
各人の依拠している「規則」は、それぞれ全く異なったもので、たまたま上手い具合に辻褄の合っているように「見える」だけかもしれない。
あなたの例だと、絶対的な「赤」と「青」があるとして
Aさんは絶対的な「赤」→「青」
絶対的な「青」→「青」
Bさんは絶対的な「赤」→「青」
絶対的な「青」→「赤」
と、認識(発言)する「規則」を持っている可能性排除できない。
しかし、仮にそうであるとしても、私達は日常的に「赤」や「青」といった言葉(概念)をお互いに使ってコミュニケーションをとっており、そこに意志疎通の不都合はない。
となると、どこかでなぜか「辻褄が合っている」ことになり、これがコミュニケーション上の謎になる。 文学はペン?スより下ネタであれウワネタであれ、いろんな開かれ方をしている。
と思うよ。質もよく、無作為でありモームなんか読んでいてもそう思う。
学問でも上位階級を取り敢えず狙えるレベルだ。俺はあんまり興味ないけど。
昔は人文科学やってたけどねえ。 哲学としては若干単純だけど、パレットタウンなんかに行くと色才画才
がのびるよ。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
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