英米哲学総合スレ [無断転載禁止]©2ch.net
現在、欧米で主流となっているのが分析哲学だが、アメリカに古くからあるプラグマティズム哲学との
違いについて、詳しい人がいれば、哲学初心者の私にも分かり易く説明して下さい。 >>2
言うほど違いはない。
初期を除けばメンツかぶってるし。
英米系哲学は2000年ぐらいいから変質した。
それはほとんど教科書化した。
存在論/認識論の基本線でも教科書化。
論理学/倫理学/美学の衛星圏でも教科書化。
とくにこの論理学は、数学的論理学とは別に哲学的論理学、および
論理学の哲学も追究されているが、日本はそれらをjほとんど翻訳してない。
倫理学も教科書化されているのは当然。美学はどうだろうか。 2008-12-14 ハラスメント、マトン、メスらは
■[studies]これから美学を学ぼうと思う人へ、そして自らのためにも―美学主要文献(第1回)
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20081214 Toshiro Mitsuoka
若い研究者はやっぱり日英バイリンガルの個人サイト持った方が良いと思うわ。
昨年はフランスから問い合わせがあって、まあそれはありうると思いましたが、今年はオマーンから問い合わせくるとか想像できないもの。
英語にしておくだけで、こうやって勝手に研究の可能性が広がるわけだから。
2016年5月3日 もともと僕も多くの日本人と同じように、哲学といえば「大陸哲学」を連想するような人間でした。
しかも英語が上級レベルに近づき、「洋書が読みたい」と思うようになった頃も、頭の中にあったのはフランス哲学でした。
しかし「英語学習目的」で哲学を読む以上、フランス原書の翻訳版より、英語原書のほうが絶対いいと思い、
紀伊国屋に並んでたスティーブン・ピンカーの「the language instinct」を著者に対する予備知識もないまま購入しました。
そして僕の人生が変わりました。
とにかく読みやすく・比較的平易で、しかも奥が深い!!
大陸哲学の難解さに慣れていた僕にとって、カルチャーショックといえるくらいの衝撃でした。
(簡単といっても、TIMEがすらすら読めるレベルだったら簡単だろう、という意味です。)
そしてピンカー(進化心理学)からジョージレイコフ、マイケル・トマセロ(認知言語学)、ダニエル・デネット、
スーザン・ブラックモア(脳科学/memetics)・・・・簡単で奥が深いうえに、面白い・・・
もう英米哲学の虜になりました(デネットはちょと難しかったですが)。
僕の場合、英米哲学の本で英語を勉強するようになって、英語のみならず、人間的にも一段ステップが上がったと、思ってます。
最近では哲学のみならず、ポール・クルーグマン(経済学)、ステファン・ジェイ・グールド(古生物学)、
アランダティ・ロイ(インドの左翼系作家)、サルマン・ラシュディ(インド/イギリス文学)、アイン・ランド(米文学)、
Philip Larkin(英詩人)など趣味も広がってきました。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n279187 現代思想 2015年7月号 特集=いまなぜプラグマティズムか
出版社: 青土社 (2015/6/27)
いま、書店の棚をにぎわす「プラグマティズム」。
その理論の核心と、政治学・教育学・社会学など他分野への展開を再検証するために、
パース・ジェイムズ・デューイらの「古典」に立ち帰りつつ、
クワイン・ローティ・デイヴィドソン以後の最新動向もフォロー。
プラグマティズムのポテンシャルに迫る特集号!
目次*
【核心】野家啓一/伊藤邦武/石田正人
【展開】齋藤直子/清水高志
【論理】三浦俊彦/秋葉剛史
【政治】山本 圭/箱田 徹/森 政稔
【社会】北田暁大/岸 政彦
【対話】大河内泰樹/吉田治代
【日本】松井隆志 リチャード・ローティ『反表象主義としてのプラグマティズム』(ジョン・マーフィー『プラグマティズム入門』序文)
“プラグマティズムの最も優れた、最も純粋な代表者―還元主義的発想に最も感染していない代表者―はデューイとデイヴィドソンである。
彼らは、伝統的二原論(プラトン、デカルト、カントの)を批判するとき、批判の出発点となるアルキメデスの点―すなわち、
仮象/実在の二分法の実在側に位置する点―を見つけ出そうとする誘惑からほとんど完全に自由なのである。
彼らはまた彼ら自身の哲学的視点が、物それ自体を表象しているのだと示唆したいという誘惑からも、ほとんど完全に自由なのである。” yusuke miyazaki
まったくその通りと思います。とくに英語圏の雑誌は電子版でも高価でアクセスしにくく酷いですね。
Hemmi Tatsuo
英語圏は高等教育や学術研究分野で「市場」寡占にあるということですね。他の言語圏ではこのような挙動は無理。
学術が過熱した投資対象に組み込まれ、コンテンツが一言語に寡占されて公正に分配されないがゆえに、価格が高騰したまま下がらない。
晩年のデリダやブルデューらの警鐘が現実となった。
2016年5月16日 人文科学系のうち哲学思想の分野では、従来紹介されることの少なかった現代英米哲学の古典を
『双書プロブレーマタ』、『フレーゲ著作集』全6巻などとして系統的に翻訳し、日本の哲学の枠組みを作り変える一助となったと自負しております。
http://www.keisoshobo.co.jp/company/cc197.html ちくま学芸文庫
英米哲学史講義
一ノ瀬 正樹(著/文 他)
発行:筑摩書房
文庫判 384頁
定価 1,200円+税
ISBN 978-4-480-09739-2 C0110
発売予定日 2016年7月6日
ロックやヒュームらの経験論は、いかにして功利主義、プラグマティズム、そして現代の正義論や分析哲学へと連なるのか。
その歴史的展開を一望する。 アメリカ合衆国におけるラーニング・
コミュニティの歴史的背景とその展開
伊 東 留 美
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/tandai/kiyou/No.38/08Ito.pdf
LC の歴史は,20 世紀初めの一人の哲学者,ジョン・デューイ(John
Dewey)の考えに遡る。彼は教育における改善を訴えた哲学者であった。
彼は,「学校と社会」(1957)の中で,学校は「課題を学ぶための隔離され
た場所ではなく,生きた社会生活の純粋な一形態たらしめるところの手段
として,考えねばならない」と捉えた。彼は,教育は学習者を引き込むこ
とであり,さらに学習の場は一つではない一方で,共通の文化を築くこと
―
の重要性を説いた。「学校は小型の社会,胎芽的な社会となる」(デューイ,
1957)という彼の言葉は,学校は一つの共同体であり,そこでの体験は社
会に繋がるものであることを示している。さらに,デューイは,民主主義
社会における多様性を重んじ,大学で市民性を養う必要性を唱えた(Smith
et al, 2004)。 アトレイデス
冷戦終結後にひろく読まれた『歴史の終わり』の著者フランシス・フクヤマが、
京都帝大の農政学、社会政策学の教授、ついで大阪商科大学(現大阪市民大学)の初代学長となった河田嗣郎の孫である、
と知人に教えられて、吃驚! ということはフクヤマ、中国哲学の河田悌一の従兄でもあるのか…。
2016年6月14日 >>13
テーマごとの参考文献も
コンパクトにまとめてあって悪くない Syun Tutiya
「哲学の多くは社会の贅沢な装飾」「分析形而上学は真剣な問題から意図的に隔絶」
「専門的訓練も経験的知識も必要としない小賢しい反論をでっち上げ」「家内工業」
「若い哲学者は論文発表を急かされ玩具のような話題へ」(D.デネット)かなり同感。
http://qz.com/768450/one-of-the-most-famous-living-philosophers-says-much-of-philosophy-today-is-self-indulgent/
2016年8月28日 『モノたちの宇宙: 思弁的実在論とは何か』(2016/6/28)
スティーヴン・シャヴィロ
上野俊哉 訳
これは読み応えがある。ホワイトヘッドと思弁的実在論ほか。 「数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて」マックス・テグマーク、 谷本 真幸訳
こっちの方が断然面白そう。
物理学なら、デジタル物理学とかね。
哲学畑の実在論って、評論に毛の生えたようなもの。