日本の批評・哲学総合スレ [無断転載禁止]©2ch.net
【北朝鮮】金正恩氏、ローマ法王を平壌へ招待…韓国の文大統領が欧州訪問の際に招待状を手渡す予定
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1539089273/
政治と哲学について、これほど大きな話題があるだろうか? 『現代思想 2018年8月号 特集=朝鮮半島のリアル』
デリダをやっていた鵜飼哲は、中東と東アジアの情勢変化を同時にみることが、
政治的思考の試金石だという。 『情況 2018年10月号 特集:ポスト68の思想的課題』 (2018/10/20) 『現代思想2018年9月号 特集=考古学の思想』
中沢新一+山極寿一「生きられた世界を復元できるか」
溝口孝司+國分功一郎+佐藤啓介「考古学と哲学」
ほか 『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019 ポスト・ヒューマニティーズ』
「ポスト・ヒューマニティーズ」の誕生を宣言
思弁的実在論・新しい唯物論・オブジェクト指向存在論…といった思想の新潮流にAI・人新世・フェミニズム・加速主義…といった社会の諸問題が絡み合う。
私たちはここに「ポスト・ヒューマニティーズ」の誕生を宣言し、主要な論者たちとともにそのひらかれつつある未来を展望する。
≫≫Post / Non-Human(ities)
【討議】
小泉義之 千葉雅也 仲山ひふみ / 思弁的実在論「以後」とトランプ時代の諸問題
【思弁的唯物論/新しい実在論】
Q・メイヤスー 立花 史訳 / 反復・重復・再演 意味を欠いた記号の思弁的分析
P・ボゴシアン 島村修平訳 / 規範的なものについての相対主義
近藤和敬 / メイヤスーとバディウ 真理の一義性について
≫≫Nature / Materiality
【自然/人新世】
I・H・グラント 浅沼光樹訳 / 自然はあるがままにとどまるのか――力動性と先行性基準
篠原雅武 / 人新世的状況における「人間の条件」の解体についての試論 ポスト・ヒューマン公共空間へ
【身体】
入不二基義 / レスリング行為/レスリングする身体 ≫≫Social Theories
【加速主義/新反動主義】
N・ランド 小倉拓也訳 / 死と遣る――タナトスと欲望する生産についての所見
水嶋一憲 / コミュニケーション資本主義と加速主義を超えて――横断個体性の政治のために
【フェミニズム】
R・ブライドッティ 門林岳史 増田展大 訳 / 批判的ポストヒューマニティーズのための理論的枠組み
【討議】
岸 政彦 信田さよ子 / マジョリティとはだれか
≫≫Art / Aesthetics
【オブジェクト】
G・ハーマン 飯盛元章 小嶋恭道訳 唯物論では解決にならない 物質、形式、ミーメーシスについて
≫≫Chart
【図解】
ポスト・ヒューマニティーズの思想地図と小事典 / 飯盛元章
他に >>241
『現代思想』として考古学の特集が組まれるのは約30年ぶり “今の構造になんとか罅を入れてみたいという人は、
左翼的な発想法を取ればなんとかなるかと思っている
人たちも多いみたいですが、それもダメなんです。”
“〈おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた 兜太〉
とか、もう古代そのものの感覚ですね。”
― 中沢新一、小澤實 『俳句の海に潜る』 (2016)
和歌…自然を記号にしていく実践
↓
連歌…「切断による連続」が新しい意味を発生させる
↓
俳句…記号化したものの定型を破る おおかみに蛍が一つ付いていた (金子兜太 『句集 東国抄』 2001) “ひとりの思想家について論じるということは、その作品について論じることである。”
― 柄谷行人 『マルクスその可能性の中心』 (1979)
東スレや千葉スレに屯するワンにゃん左翼諸君は、
日本哲学史を代表する書き出しをご存じだろうか? 東浩紀@hazuma
梅原先生への弔意を示すためにふたたび鍵を開けました。またひとつ時代が終わったとの思いがあります。
8:25 - 2019年1月13日 東浩紀×梅原猛 「草木の生起する国――京都」 『日本2.0 思想地図β vol.3』 (2012) 清水高志@omnivalence
梅原猛−吉本隆明−中沢新一という、縄文アニミズムと仏教と現代思想を全部背負って思索しないといけないという系譜は、偉大だと思っているのでこれは悲しい。。
9:10 - 2019年1月13日 梅原の西田論
“結局デカルト批判が彼の哲学の中心だと思いますけどね。
デカルトだと二元論になる。
自我と物質が対立するという二元的な構造にならざるを得ない。(略)
それを、世界というものは自我と物質が対立するものではない、主客合一であると言った。”
― 『日本人は思想したか』 吉本隆明、中沢新一、梅原猛 (1995) デカルト直系で身体性と実在を分けるメイヤスーなどが注目されるのと同時に、
西田や京都学派が読み返されているのはこういうところだろう。 『「太陽の哲学」を求めて:エジプト文明から人類の未来を考える』 (2008)
梅原猛、吉村作治
この本では、
日本哲学→西洋哲学→ギリシャ哲学→古代エジプト、
また、一神教→太陽信仰へと遡る。
プラトンの「イデア」は古代エジプトの「カー(精霊)」の翻訳であるとするのは吉村の説。
古代エジプトでは、人間を「カー(精霊)」と「バー(魂)」と「アク(肉体)」に分けた。
人が死ぬと「バー」は「アク」から離れるが、「カー」は「アク」の傍にいて「アク」を守る。
「カー」は思考・判定し行動を支配する。
「バー」を思考によってのみ得られる存在、「アク」を現実の存在、「カー」をイデアと考えたのではないかという。(第4章) 『意味がない無意味』 千葉雅也 (2018)
“いま私は、新たな研究段階に入ったという感覚を持っている。” 『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』 千葉雅也、二村ヒトシ、柴田英里 (2018/12/21)
これはポスト・ポスト構造主義時代の革命の教科書 『欲望論 第1巻「意味」の原理論』 竹田青嗣 (2017)
『欲望論 第2巻「価値」の原理論』 竹田青嗣、吉増剛造 (2017)
> 世界を分節するのは欲望だ。欲望が、価値と意味を世界の中に織り出してくる
> 一切の哲学原理の総転換!!21世紀、新しい哲学がはじまる!2500年の哲学の歴史を総攬 日本という意味では日本人町とか行軍中の日本軍とか、そういうモノに目星を付けないと。 日本の哲学者の思想のメモ
世阿弥:物狂いの女には花を一輪さすとかわいい。
大西祝:良心の快不快。哀しみの快。
中江兆民:古代中世の征服者の原理と、近代啓蒙思想の原理のどちらにも配慮しなければならない。
鈴木大拙:愛を肯定する明治仏教。
西田幾多郎:善悪の判断は時間がたつとどんどん変わる。過去と未来の両者は現在で絶対矛盾的自己同一している。
田辺元:非合理的行動と社会正義的行動を統一する概念は神に至る。
梅原猛:多神教は思考が多様で一神教より優れている。
浅田彰:創造主は万民の支配者であるとともに、創造主は万民の奴隷である。
中島義道:嫌な同僚が理不尽に出世してしまうが、社会とはもともと理不尽なものなので仕方ない。
南直哉:他者が存在すると信じることが善の根拠。
山内志郎:自然法則には目的はないが、道徳法則にも目的はない。 東浩紀「安倍政権への野党やリベラル市民の反対運動は、国民の多くにはもはやクレーマーにしか見えていないんだよ」 [535898635]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1550283869/
1 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ff05-6Dll)[] 投稿日:2019/02/16(土) 11:24:29.38 ID:LBk3vbY50 ?2BP(1000)
東浩紀 Verified Account
@hazuma
いまのRTには同意見。野党やリベラル市民の反対運動は、
国民の多くには(政権の支持率はまだまだ高い)もはやクレーマーにしか
見えていないんだよ。その状況に対して「わからないおまえらクソだ!」とか
叫ぶのではなく、真剣に取り組まないとリベラルの未来はないと思うね。
アベガー!アベガーの結果wwww
↓
政党支持率は、立憲民主党は0.8ポイント減の3.4%
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019021500848
https://www.jiji.com/news2/kiji_photos/20190215ax06S_p.jpg ゲンロンカフェ @genroncafe
3/9(土)
千葉雅也( @masayachiba )×三浦瑠麗( @lullymiura )×東浩紀( @hazuma )による鼎談イベントを開催。 『新記号論 脳とメディアが出会うとき』 石田英敬、東浩紀 (2019/3/3)
ゲンロンカフェ発 伝説の白熱講義を完全収録!
クロマニョン人とリュミエール兄弟、スピノザとニューロサイエンス、フロイトとiPadが軽やかに結びつく、超時代・超領域の連続講義。
やがて聴衆は、人文学と認知科学が団結し、ファシズムに立ち向かう瞬間を目の当たりにするだろう。
われわれの認知を、コミュニケーションを、政治行動を、テクノロジーはどのように規定しているのか。インターフェイスに囲まれて生きる現代人の必携の書。
脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!
第1講義 記号論と脳科学
メディア論の問い/なぜ記号論は廃れたのか/現代記号論の限界/技術的無意識の時代/
フッサールは速記で考えた/チャンギージーの発見/ヒトはみな同じ文字を書いている/
ドゥアンヌの読書脳/ニューロンリサイクル仮説/一般文字学はなにをすべきか
第2講義 フロイトへの回帰
不思議メモ帳の問題/語表象と対象表象/『夢解釈』読解における新発見/意識はどこにあるのか/
夢のシネマ装置/超自我は聴覚帽の内在化である/人文学の危機/ライプニッツに帰れ/
アンドロイドは電気羊の夢を見る/ドリームデコーディング/夢の危機と夢見る権利
第3講義 書き込みの体制(アウフシュライベジステーム)2000
1 情動と身体――スベテが「伝わる」とき
フロイトとスピノザ/ダマシオ『スピノザを探して』/『神経学的判断力批判』の可能性
2 記号と論理――スベテが「データ」になるとき
記号のピラミッドと逆ピラミッド/パースとデリダ/人工知能の原理/記号接地問題/ふたつの現象学
3 模倣と感染――スベテが「ネットワーク」になるとき
スピノザと模倣/光学モデルの限界/資本主義の四つの柱/なぜ記号論か/六八年革命の評価/
タルドとドゥルーズ=ガタリ/書き込みの体制2000にどう向き合うか
補論 石田英敬
4つの追伸 ハイパーコントロール社会について
文字学 資本主義、権力、そして自由 石田『現代思想の教科書』(>>231)は、
ソシュール記号学とパース記号論の違いを念入りに解説している。 テーマ
「平成にとって批評とはなにか」
講師:安藤礼二 講師:東浩紀
課題提出締切| 2019年2月20日(水)
講評・ワークショップ| 2019年2月27日(水) 文芸この1年 佐々木敦さん×安藤礼二さん 対談
(上) http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/jihyou/CK2018121902000277.html
(下) http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/jihyou/CK2018122002000277.html
安藤 右と左に分かれがちな論壇誌を見ると、どちら側も異質の意見を入れる余地が全くなく、うんざりします。
佐々木 今は自分と価値観を同じくする人にだけ語りかけていればOKという構造があらゆるところで見られます。
他者を批判したり嫌悪したりするというよりも、他者がそもそも見えていない状態。
安藤 ある陣営の歴史観ともう一方の歴史観が同じ国のものとは思えない。現実がフィクション化しています。
佐々木 小さな世界の中でだけ通用する約束事でまわっている、いわばファンタジーの世界になってきました。 “『大乗仏教概論』は大拙思想のアルファであり、オメガである。
しかしながら、この書物は原著刊行から一〇〇年近くの間、封印されていた。”
― 安藤礼二 『大拙』 (2018/10/25) 鈴木大拙 『大乗仏教概論』 佐々木閑 訳 (2016) 反金正恩体制の臨時政府を名乗り発表「自由朝鮮のための宣言文」(全文)
https://dailynk.jp/archives/121726
自由朝鮮のための宣言文 2019年3月1日
百年前の今日、先祖たちは無慈悲な迫害と耐え難き恥辱の構造を覆すべく、独立と自由を叫んだ。命を脅かされつつも、啓蒙時代の前兆を知らせた。
女性と男性が誰にも渡せない権利を有する時代であり、公正かつ正しい国家が、隣人と調和を成し、皆に安全と幸福を保証する時代だった。
しかし、挙事は成し遂げられなかった。こんにちに至るまで数千万の同志たちは、堕落した体制の力なき奴隷となっている。
彼らの苦役は、少数の者の腹を満たし、その者らは腐敗で君臨し、想像だにできぬ破壊力だけを育てた。そのように根を下ろした全体主義にひれ伏すかのごとく、心にもないお世辞と貢物を捧げ、事実に背を向ける者には笑顔で手を差し伸べた。
ここに朝鮮人民は、不道徳で違法な体制を次のように告発する。
食べさせる能力がありながら、数百万人を飢餓で苦しませた罪
政府主導の殺人と拷問、監禁の罪
息の根を締め上げる監視と思想統制の罪
階級による強姦と奴隷化、強制堕胎の罪
全世界で犯した政治的暗殺とテロ行為の罪
わが子供たちの強制労働と可能性抑圧の罪
殺傷破壊の目的による巨大な破壊力の現代兵器開発と流通、残虐行為に使用しようとする者たちと取引した罪
その他、混在した不法行為を犯した罪
半世紀が過ぎても、家族を人質として囚われている間、われわれはただ救いのみを渇望した。力があり裕福な国がわれわれの願いを無視したまま、むしろ苦しめる者どもの私利を満たし、彼らをより大胆にするのを目撃した。
南朝鮮の繁栄と発展の顕著な業績を見て、彼らが富国強盛の歴史を興す間、その裏に取り残された兄弟姉妹を忘れずにいることを願った。
しかし、解放はやって来なかった。 先祖と子孫の両方の要求を掲げよう。われわれの魂は、もはや待ってはならないと断言する。われわれも喜びと人間の尊厳、教育と健康そして安全を享受して当然ではないか?自由を要求する。ここに、われわれが耐え忍ぶべき運命と義務を自らに課す。
吾等ハ玆ニ奮起セリ 良心ハ我ト同存シ 眞理ハ我ト併進ス 男女老少陰鬱ナル古巢ヨリ活潑ニ起來シテ萬彙群衆ト共ニ欣快ナル復活ヲ成遂セントス 千百世祖ハ吾等ヲ陰佑シ全世界ノ氣運ハ吾等ヲ外護ス著手ハ卽チ成功ナリ 只前頭ノ光明ニ向ツテ併進スルノミト云爾
自由朝鮮の建立を宣言する。この臨時政府は、人権と人道主義を尊重する国家を建設するための根幹を立て、すべての女性と男性、児童の尊貴で明確な尊厳を尊重する。
この政府が北朝鮮の人民を代表する唯一の正当な組織であることを宣言する。
過去数十年間、人道主義に反する莫大な罪を犯した北朝鮮の権力に抗うべく立ち上がる。人類の精神の巨大な汚点である非道な権力を撤廃すべく身を捧げる。
反対する。そして抗う。光復という明るい光が平壌に至る日まで、人民を抑圧した者に抗い戦う。
肉体的にも精神的に縛られた同胞たちがいるために、われわれは進む。われわれは、すべてのくびきを圧し折るだろう。
体制の中で、この宣言を聞く者よ、抑圧者に抵抗せよ。公然と挑んだり、静かに抵抗したりせよ。多くの者が加害者であり、被害者でもある。
共に身を投じて、われわれを蝕み、われわれの子どもたちまでをも脅かす野蛮な体制を崩壊させなければならない。この体制内での共謀は、おそらく抗い得ないものであっただろう。
今だけが、国と(自分の)名前を取り戻す唯一の機会である。今まで行使した腐敗した権力に対する、愚かな首領神格化集団に対する、
独創性と人間性を縛る広範かつ異常な束縛に対する、このすべての忠誠について、免罪されるだろう。われわれはもはや、被害者ではなく勝利者だ。 志を同じくするディアスポラ同志よ、革命に参加せよ。数千年の歴史、先祖の犠牲と数千万同胞の共有された遺産は、元いたところを取り戻せと泣き叫ぶ。
偶然によらなければ、自由に生まれた同胞たちも奴隷となっていただろう。業績と勇気が、生まれつきのものだったり犠牲と引き換えに得たりした才能が、この時のためのものではなかったと誰が知ろう。
この体制を正当化し、維持しようとする者どもよ、歴史は、選択が与えられたときにあなたがどの側に立っていたか記憶するだろう。
過去の独裁と抑圧の傷を持った国々よ、われわれと連帯することを要請する。われわれとあなたの自由のために。
理想を共にする全世界の仲間たちよ、過去にわれわれの痛みを知らなかったとしても、今日にでも知れば良いのだ。いかに助けるかを知らずに来たとしても、今日そのすべを知れば良いのだ。
共に戦うことを求められたことがなかったのならば、今、人類のためにともに戦うことを求める。
愛する子どもたちが、さらに一世代も暗黒の中で生まれることを許さないだろう。朝鮮は自由でなければならず、自由になるだろう。立ち上がれ!立ち上がれ、奴隷になることを望まぬ人々よ!
恨(ハン)に満ちた歴史の輪を断ち切り、そこから新しい時代を宣言し、新らたな朝鮮のための道を準備する。だからこそ、わが民族の真の情で交わる、より公正で平等な社会を建設する目的と革命の誕生を宣言する。
自由朝鮮のために!
http://www.cheollimacivildefense.org/
2017年2月にマレーシアで殺害された北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏の息子・ハンソル氏ら家族3人をマカオから安全な場所に移したとする団体「千里馬民防衛(チョンリマミンバンウィ)」は1日、
同国の金正恩体制を転覆させるため、「臨時政府」の発足をウェブサイトで表明し、北朝鮮を脱出した人々や世界各国に共闘を呼び掛けた。同時に、団体名を「自由朝鮮(チャユチョソン)」に変更した。 >>268-270
暴力とヘイトの彼岸に立って、他者に寛容である点が今風 【生放送】千葉雅也×三浦瑠麗×東浩紀「『21世紀の戦争と平和』&『欲望会議』刊行記念イベント」
https://live.nicovideo.jp/gate/lv318550505
2019/03/09(土) 開演:19:00
『Voice』2019年1月号に掲載された、千葉氏と三浦氏の対談が話題になっています。
現在の政治や思想と繋げながら、性愛と愛について語るLGBT論はまさに必見の内容。
本イベントは、東浩紀を交えてさらに話題を広げ議論される予定です。
3名での鼎談ははじめてであり、また、三浦氏は2017年10月以来1年4ヶ月ぶりのご登壇となります。
東とも久しぶりの再会を果たし、この期間の政治状況も振り返りながら、たっぷりお話いただきます。 核開発と神話
“核兵器には、宗教的な暗示も常にまとわりついてきた。
その先鞭をつけたのは原爆開発を指揮したロバート・オッペンハイマーで、
一九四五年に行われた世界初の核実験を見て、ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節
「いまやわれは死となり、世界の破壊者となった(*11章32節)」を引用した。”
― 『暴力の人類史(上)』 スティーブン・ピンカー、青土社 (2015)
“神よ…全世界の主よ。(15-16)
一切の方角に輝きわたる光輝の塊であるあなたを見る。(17)
無限の力を持ち、無限の腕を持ち、月と太陽を眼とし、燃火を口とし、自らの光輝によりこの全世界を熱しているあなたを私は見る。(19)
あなたのこの稀有で恐ろしい姿を見て、三界は戦慄(おのの)いている。(20)
蛾が大急ぎで燃火に入って身を滅ぼすように、諸世界は大急ぎであなたの口に入って滅亡する。(29)
あなたは全世界を遍く呑み込みつつ、燃え上る口で舐めつくす。(30)”
― 『バガヴァッド・ギーター』 上村勝彦訳、岩波文庫 (1992) 11章
./極 ニャ\ n∩n
|/-O-O-ヽ| |_||_||_∩ < 東しゃんは歴史を作った人にゃ…
.6| . : )'e'( : . |9.∩ ー|
`‐-=-‐ ' ヽ ) ノ ↓
浩紀、ゲンロン辞めるってよ >
くるっ
./極 ニャ\ .n∩n 彡 ↓
|/-O-O-ヽ| ∩ || || |
.6| . : )'e'( : . |9.|^ ^ ^ ^|^i < 死に急ぐ鯨たちにゃ…
`‐-=-‐ ' ヽ ノ
ワンにゃん極左
偏差値28
自称元弁護士(現在の仕事は外出)
得意科目:受験英語
『共同幻想論』は10ページで挫折
地頭底辺
オウムシンパ
はあちゅうで白目自虐アナニー
【厳粛な】東浩紀460【綱渡り】
【燃えあガる】東浩紀456【緑の木】
【革命的な】東浩紀454【あまりに革命的な】
【砦の上に】東浩紀452【われらの世界を】
【侵略宇宙人】東浩紀450【キル星人】
【戦車怪獣】東浩紀449【恐竜戦車】
【悪くない】千葉雅也37【この感じ】
【無名校からの】千葉雅也31【私の東大合格作戦】 哲学、政治、宗教板界隈で、自堕落な成りすまし工作に走る人たちがいるが、
これは「マルクス主義」ではなく、サバタイ派の「フランク主義(ヤコブ・フランク)」の特徴。 『サバタイ・ツヴィ伝:神秘のメシア(上下)』 ゲルショム・ショーレム、叢書ウニベルシタス (2009)
“汝、禁ぜられしことを許し給う”
1666年前夜のサバタイ・ツヴィ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f7/Shabbatai1.jpg
ターバンを巻いたメシア。
碩学ショーレムは、サバタイ・ツヴィの棄教と改宗をユダヤ史における重要事件とするが、
ヤコブ・フランクについては繰り返し黒歴史だと言っている。 大江健三郎の小説『宙返り』は、オウム真理教事件と、ショーレム『サバタイ・ツヴィ伝』に触発されて書かれた。
・「『宙返り』をめぐる七つの即興」 大江健三郎、『本 (通号276)』 (1999.07)
・「僕が『宙返り』に込めた"新しい日本人"へのメッセージ」 大江健三郎、『週刊現代 (通号2045)』 (1999.08.28) オウム事件からイスラム国まで、同じことが繰り返されている。 蒼頡(そうけつ):中国伝説上の漢字の発明者
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/Cangjie2.jpg
“これは、中国で漢字を発明したと言われる蒼頡という神話上の人物です。
絵を見るとわかるように、蒼頡は四つ目の人物として描かれています。
中国の伝説では、蒼頡は非常に目がよくて、さまざまな動物の足跡などを見分けて
それをもとに漢字を発明したことになっています。”
― 『新記号論:脳とメディアが出会うとき』 石田英敬、東浩紀 (2019/3/3) 「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf
“親愛なる井筒教授。
私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)
なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)
けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”
※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった “井筒が生涯をかけて探求したのは、万物を超越する一神教ではなく、万物に内在する一神教である。
ユダヤ教、キリスト教の伝統に連なるとともにその伝統を刷新し、純粋化していったイスラームのさらなる東方的な展開である。(略)
アラビア半島に生まれた森羅万象すべてに超越する神、スンナ派の神ではなく、
イラン高原で生まれた森羅万象すべてに内在する神、シーア派の神であった。
イラン高原では、神は「存在」と言い換えられていた。
「存在」の根源にして、根源の「存在」である「神」、そこから森羅万象あらゆるものが産出される「神」。
その「神」は一なる神――一神教すべての根幹となる唯一無二の神――を可能にする「無」の神、
より正確には、「無」にして無限の神であった。”
― 安藤礼二 「「東方哲学」素描:鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦の仏教」 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 仏教を考える』 647 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2019/04/06(土) 20:41:39.70 0
若松英輔に井筒俊彦が山崎弁栄に会っていたら井筒俊彦はイスラムに行かなかっただろうと言わせた浄土宗の高僧山崎弁栄は「超在一神教的汎在神教」をとなえた。
超越的一神に相当する彼の法身の阿弥陀如来と本覚思想の一切衆生悉有仏性の統合と現代的表現だろうけど。
650 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2019/04/10(水) 00:08:44.05 0
山崎弁栄いいね。
「超越即内在」。“内なる仏であり、なおかつ外なる仏である”。
一神教と汎神教との相克を超えた「超在一神的汎神教」という立場は、
宇宙を直感するシュライエルマッハーの宗教学を背景としている。
フッサールと同じ1859年生まれで、
インド各地の仏蹟各地を巡拝した最初の日本人。 『現代思想 2019年5月臨時増刊号 総特集=現代思想43のキーワード』 (2019/4/12)
Discussion part 1
〈実在〉の時代の思想と病理/千葉雅也+松本卓也
Philosophy & Ethics
思弁的実在論/オブジェクト指向存在論/岡嶋隆佑
新しい唯物論/門林岳史
新しい実在論/浅沼光樹
加速主義/仲山ひふみ
反出生主義/戸谷洋志
分析形而上学/鈴木生郎
宇宙倫理/呉羽真
Technology & Science
ゲノム編集/八代嘉美
AI/杉本舞
ドローン/渡名喜庸哲
ビッグデータ/柴田邦臣
仮想通貨/電子マネー/大黒岳彦
Politics & Economy
ギャンブル経済/古川美穂
一帯一路/羽根次郎
ポピュリズム/山本圭
ポスト・トゥルース/百木漠
レイシズム/明戸隆浩
天皇制/茂木謙之介 Anthropology & History
人類学の存在論的転回/里見龍樹
人新世/篠原雅武
アナキズムと人類学/中川理
グローバル・ヒストリー/北村厚
多死社会/田中大介
平成/鈴木洋仁
Discussion part 2
カルチャーがつむぐフェミニズム/渡辺ペコ+トミヤマユキコ+清田隆之(桃山商事)
Gender & Sexuality
第三波以降のフェミニズム/田中東子
アナーカ・フェミニズム/村上潔
ゼノフェミニズム/飯田麻結
新しいホモノーマティヴィティ/森山至貴
トランス/山田秀頌
Living & Working
セックスワーク/SWASH
ブラック化/今野晴貴
自己啓発 /牧野智和
当事者研究/熊谷晋一郎
オープンダイアローグ/斎藤環
暮らし/阿部純
Culture & Aesthetics
スピリチュアル/橋迫瑞穂
エモい/山田航
ディストピア/ポストアポカリプス/樋口恭介
Vaporwave/銭清弘
擬人化/松下哲也 『いつもそばには本があった。』 國分功一郎、互盛央、講談社選書メチエ (2019/3/13)
人文書を中心に100冊以上を紹介 神の人格は一つ。ワンオンワン。取り囲んだり兵隊が少なくあっちゃいけない。 震災や天災の時のためにその時点で意外に哲学する意味が日本にはないだろう。 柳田国男はタピオカを食べていた
「たとへば私の家の朝飯には、折としてタピオカを食ふことがある。」(柳田国男『民間傳承論』現代史學大系第七巻、共立社、1934、P76)
https://i.imgur.com/Gjbm8uM.jpg > 南米やアフリカでは、タピオカは主食としても食べられてきた。
> 1万年に及ぶというタピオカと人類の長い歴史を… 中沢新一 『レンマ学』 講談社 (2019/8/8)
“レンマ的知性は、ロゴス的知性の真に外部にある実在に触れている”
“荒海や 佐渡に横たふ 天の川(芭蕉)”
大乗仏教、哲学、量子論、言語学、精神分析、数学、生命科学、脳科学……を超えて、
東洋知の結晶した華厳経の潜在力を大展開する未来のサピエンス学へ!
『チベットのモーツァルト』に始まった心と脳をめぐる探究の頂。文芸誌『群像』の連載「レンマ学」がついに単行本化!
「レンマ」とは何か? 哲学者山内得立が著書『ロゴスとレンマ』で提出した概念によっています。
「ロゴス」は「自分の前に集められた事物を並べて整理する」ことを意味しています。
その本質は時間軸にしたがう線形性にあります。
それに対し、「レンマ」は「直観によって事物をまるごと把握する」という意味です。 第4回 京都大学 - 稲盛財団合同京都賞シンポジウム [映画・演劇分野]
中沢新一 「芸術のロゴスとレンマ」 2017年7月1日
https://www.youtube.com/watch?v=R-805Nr-LTQ
人間が「科学」を発達させた能力と、「宗教・芸術」を発達させた能力はそれぞれ異なる。
科学…ロゴス
宗教・芸術…レンマ >>298の31:47〜
中沢はレンマモデルを複素数で説明していて、
・世界は、実数(顕在的なもの)と虚数(潜在的なもの)の組み合わせ「x+iy」で出来ている
・その実数と虚数は時に入れ替わる
といっている。
実数(自己)と虚数(他者)が時に入れ替わるというのは、『君の名は。』の構造だ。 『マトリックス4』製作発表 キアヌ・リーヴスが再びネオ役
> 米映画大手ワーナー・ブラザース(Warner Bros)は20日、
> SF映画「マトリックス(The Matrix)」シリーズ第4作目の製作を発表した。
> 主役ネオ(Neo)はこれまで同様、キアヌ・リーヴス(Keanu Reeves)が演じる。
>
> ラナ・ウォシャウスキー(Lana Wachowski)が脚本・監督・製作総指揮を担当する。
> ラナは妹のリリー(Lilly Wachowski)と共にシリーズ3部作の監督を務めていた。
> 姉妹は以前、ウォシャウスキー兄弟として知られていたが、その後、両者ともに性別移行した。 789 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 00:01:52.98 ID:l6VpLVvI
イージスアショアやミサイル迎撃レーザーの技術的進歩は明らかに北朝鮮を泳がしている。
まるで機動戦士ガンダムのデラーズフリートみたいだな。北朝鮮は。
コロニー落としをソーラシステムで破壊するみたいなもんよ。
新たな世界政府がワンワールドオーダーでガンダムの言う所のティターンズ。
790 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 00:04:12.47 ID:l6VpLVvI
敵のシーマ・ガラハウに相当する輩はだれだ?w
791 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 00:06:45.62 ID:l6VpLVvI
もしかしたら金家がシーマ艦隊に相当するのかねえ〜w
794 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 00:11:00.69 ID:l6VpLVvI
このままだと日本はジオンになるのか・・・
早急にザクの量産化を急がなければならんw
800 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 00:22:07.12 ID:l6VpLVvI
グリーン・ワイアット大将に相当する輩がいまの韓国の大統領文在寅。
801 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 00:28:45.36 ID:l6VpLVvI
北朝鮮軍元帥がエギーユ・デラーズに相当。
802 :熾天使Metatron ◆HAJ/PJ43Rk :2019/08/23(金) 01:53:00.86 ID:l6VpLVvI
みんな寝ちゃったの?
もっとお話しよーよーw ニューアカについて
(1)『ニッポンの思想』 佐々木敦 (2009) >>232
(2)『現代思想の名著30』 仲正昌樹 (2017) >>231
1. ニューアカ登場の時代背景に詳しい。「ニューアカデミズム」という言葉が初めて使われたのは、1984年1月23日付けの朝日新聞の読書欄に掲載された「出版界に異変 ニューアカデミズム」
2. 浅田『構造と力』、柄谷『マルクス その可能性の中心』などを哲学的側面から解説 「出版界に異変 ニューアカデミズム」(朝日新聞1984年1月23日)
“本が売れない出版界。とりわけ社会学書や思想書などの硬派出版物の不振は深刻といわれるが、そうした状況の中で、ごく一部の「硬い本」だけがブーム的に売れる現象が、昨年後半から目立っている。
いずれも、これまでの学問体系や秩序に挑戦する若い研究者の本や、旧来のアカデミズムの外側にいる幅広い知識人の討論などを集めた本で、「新しい知」を求める若い世代の関心を集めているのが特徴。「ニューアカデミズム」という言葉が今年の出版会の一つの目にはなりそうだ。
まず難解なフランス現代思想の紹介書としては「記録的」といっていいほどのブームを呼んでいるのが浅田彰著の『構造と力』(勁草書房)。
ソシュール、ラカンからデリダ、ドゥルーズ=ガタリまで最先端の思想を論じながら、構造主義からポスト構造主義への流れを整理した内容で、著者自身が「教科書のつもりで書いた」という硬い本。
まさかそう売れるとは思わず、出版元も「最初はおっかなびっくり」増刷していたのが、昨年九月から三ヵ月で一万部。その後は、雑誌などが一斉に取りあげたことで話題になり、一月までに十一刷り、二万部を記録した。
「年間七十点前後の本を出しているが、普通、最初は二千部から二千五百部。この種の硬い本としては以上な売れ方」と勁草書房。著者がまだ二十六歳の京大人文科学研究所助手であることを考えれば、まさに出版界の常識をくつがえす現象と言えそうだ。
出版社は違うが、同じく若手の研究者の本では中沢新一著『チベットのモーツァルト』(せりか書房)も話題になっている。
ネパールのチベット人の密教僧のもとで修業を受けた宗教人類学者の著者が、自己の体験を現代思想の最先端にあるクリステヴァやデリダの理論と交錯させながら、西欧的な知からすりぬけていく人間の意識の問題をとらえる方法論を目指した本。
これも難解な現代思想を軽快に論じる従来のアカデミズムとは異なるスタイルが若い世代に支持されたためか、十一月末に出版されて初版の三千部をほぼ売り切り、増刷にかかっている。 >>304
「硬い本が売れないといわれるが、最近出版したものではクリステヴァの『記号の解体学―セメイオチケⅠ』もよく売れており、うちに関しては硬い本も売れるという傾向ははっきりしている」とせりか書房。
こうした中で、より広い読者層の獲得をねらって「新しいアカデミズム」をうたうシリーズの出版活動も活発になっている。この分野では青土社などの出版活動が知られているが、東京に編集部を移した関西系の出版社、駸々堂出版も新たに参入。「ニューアカデミックス」と銘打ったシリーズの刊行を昨年暮れから始めた。
第一弾は中村雄二郎と山口昌男、岸田秀と栗本慎一郎らを組み合わせた対談やインタビューを集めた『知のスクランブル』(浦達也編)と、山口昌男、前田愛ほか著の『挑発する子どもたち』の二冊。
「今までの価値観が大きく変わってきた中で、これまでのアカデミックな学問体系ではとらえ切れない問題が多くなっている。今後は日本の現実の問題にも焦点をあてていきたい」(出版元の話)としており、続いて「病と現代社会」などをテーマにした出版も準備している。
ともに東京の一部の書店ではベストセラーにも顔を出すほどの出足で、『知のスクランブル』は初版一万部を増刷中。
このほかニューアカデミズム路線とは多少色あいは違うが、昨年暮れから刊行が始まった『叢書 社会と社会学』(栗原彬、今防人、杉山光信、山本哲士編。新評論。第一巻は「世界社会学をめざして」)も、「既存の社会学の枠組みを根底から捉(とら)え直す」ことを目指したシリーズ。
昨年は雑誌ブームなど出版界も軽薄一色だったが、今年はその揺り戻しの年という予測もあり、新しいスタイルの「硬派の本」が出版界の活性化につながることも期待されている。” 『現代思想 1987年12月臨時増刊 特集=日本のポストモダン』
テツオ・ナジタ「ポストモダンの日本における文化とテクノロジーに関する私見」(櫻井進訳)
浅田彰「子供の資本主義と日本のポストモダニズム ひとつのフェアリー・テイル」
ハリー・D・ハルートゥニアン(Harry D. Harootunian)「可視の言説/不可視のイデオロギー」(栂正行訳)
ジョナサン・アラック(Jonathan Arac)「ポストモダニズム、政治学、表象」(黒木美智訳)
マサオ・ミヨシ「「大いなる分割線」再考 ノヴェルの問題」(富山英俊訳)
マリリン・アイヴィ(Marilyn Ivy)「「批判的テクスト、大衆加工品」 「ポストモダン」の日本における知の消費」(根村亮訳)
ブレット・ドゥバリー(Brett de Bary)「『不合理ゆえに吾信ず』「転向」と言語の牢獄」(吉川純子訳)
ウイリアム・ヘイヴァー(William Haver)「ポストモダンにおける歴史性」(根村亮訳)
J・ヴィクター・コシュマン(J. Victor Koschmann)「ポストモダンと戦後思想 丸山真男と未完の近代のプロジェクト」(三好みゆき訳)
柄谷行人「一つの精神、二つの十九世紀」
酒井直樹「近代の批判:中絶した投企 ポストモダンの諸問題」
マイケル・ライアン(Michael Ryan)「ポストモダンの政治学」(竹村和子訳)
アラン・ウォルフ(Alan Wolfe)「自殺と日本のポストモダン」(島弘之訳)
ノーマ・フィールド(Norma Field)「『なんとなくクリスタル』とポストモダニズムの徴候」(上野直子訳)
スティーヴン・メルヴィル(Stephen Melville)「心に描く日本」(吉川純子訳)
「シンポジウム 外部の日本/日本の外部」
M・アイヴィ+J・アラック+A・ウォルフ+柄谷行人+J・V・コシュマン+酒井直樹+B・ドゥバリー+H・D・ハルートゥニアン+N・フィールド+M・ミヨシ+S・メルヴィル
人名索引 『現代思想 2001年11月号 特集=ポストモダンとは何だったのか -80年代論-』
■特別掲載
苦悩の遠近法 いま、ゴッホを語る / 徐京植+矢野静明
「聖戦」 と 「新しい戦争」 テロと旧い戦争の終焉をめぐって / 津覇実明
暴力と制度 主権の構成とその現在 / 萱野三平
【討議】
八〇年代とは何だったのか / 大内裕和+酒井隆史+三宅芳夫+山根伸洋+柿原泰+藤本一勇
【インタヴュー】
危機の二〇数年 / 姜尚中
【思想】
教育をめぐる対話 一九八〇年代から二〇〇一年 / 大内裕和
ポストモダンの宿命論 / 渋谷望
消費論ブーム マーケティングにおける 「ポストモダン」 / 松井剛
【制度】
社会的信憑の基盤 物的なものと人的なもの / 山根伸洋
同時代性のために / 酒井隆史
租税による再分配政策思想の再生 / 諸富徹
【同時代】
八〇年代を語り直す アメリカ社会の保守化と大学のラディカル化 / 太田好信
ポストモダニズムの光と影 / 藤本一勇
【資料】
年表 (1975〜2000)
■研究手帖
「について」 が溶けてしまう前に / 園田浩之 ポストモダンについて
『ポストモダニズムとは何か』 スチュアート・シム、松柏社 (2002)
『ポストモダンの50人:思想家からアーティスト、建築家まで』 スチュアート・シム、青土社 (2015) 360 :名無しさんの主張 :2019/09/30(月) 16:29:57.70 ID:???
日本の美しい心(笑)、抑圧移譲
自分を抑圧する原因となる者に対しては全く言及せず、
全く無関係の者を攻撃するヲタ趣味
そのため問題は何も解決しなどころか、
更に社会の悪化を招く 私は自分の道徳観に照らして間違ったことは全くしておりません。こうはっきりと堂々と言えるか。 とりあえず、多神教の神と、一神教の神は、使う漢字を変えた方が良くないか?
なんでどっちも神なんだよ
せめて多神教の神は旧字体使おうぜ
書けないけど
まず日本はそこからスタートだな 神仏と書けば多神教の神だとすぐわかるけど、
神とだけ書かれると、多神教なのか、一神教なのか、どっちの神なのかわからない
日本語に論理的な整合性がないから基点も軸もクソもない ポスト構造主義(ex.東)世代 → ポスト・ポスト構造主義(ex.千葉)世代
の構造的課題の変化については、千葉が何度か説明をしてきている。
・千葉雅也 「とても強い相関主義と「否定神学」批判」 (『現代思想』2012年10月号)
・千葉雅也×小泉義之 「思弁的転回とポスト思考の哲学」 (『現代思想』2013年1月号)
・千葉雅也 『動きすぎてはいけない−ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』 (2013)
・千葉雅也×清水高志 「ポスト・ポスト構造主義のエステティクス」 (『現代思想』2014年1月号)
・千葉雅也×松本卓也 「〈実在〉の時代の思想と病理」 (『現代思想』2019年5月臨時増刊号) ◇構造主義
・静的な構造
↓
◇ポスト構造主義
・動的な構造
↓
◇ポスト・ポスト構造主義
マラブーを引用する千葉の説明によると、
・変化という概念自体が変化しなければならない。つまり、変化という概念自体をどう捉え直すかということになる
・ポスト構造主義で志向された外部の扱いが再検討される >>317の説明は、回を重ねるごとに詳しくなってきているので、
こういうのを一つ一つ読んでいくしかない。 中沢は、『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』(1987)で、ドゥルーズでも足らない、という話をしていたが、
その話の続きを、清水の『セール、創造のモナド:ライプニッツから西田まで』(2004)に書いた序文の中でしている。
こういうのを一つ一つ読んでいくしかない。 戦争と台風――堂本印象美術館で川端龍子を見る
http://realkyoto.jp/review/kawabata-ryushi_asada/
http://realkyoto.jp/wp-content/uploads/2019/10/kawabata-ryushi_1959.jpg
浅田彰(2019年10月24日公開)
日本人がここ数十年間経験することのなかった大型台風とはどんなものか。地球温暖化で大型台風が増えるとすればどんなことになるのか。
関西人にとって、2018年台風21号(Jebi)――室戸岬に上陸しなかっただけで室戸台風(1934年)や第二室戸台風(1961年)と似たコースを通ったため第三室戸台風と呼びたいところだ――がそのウェイクアップ・コールだったとすれば、
関東人にとって同じ意味をもつのが2019年台風19号(Hagibis)だろう(風は前年の21号ほどではなかったものの激しい雨が広範囲で水害をもたらしたので、2018年7月西日本豪雨と合わせたインパクトをもつと言うべきかもしれないし、
今年については前年の21号が関西空港を孤立させたように成田空港を「陸の孤島」にした15号[Faxai]も合わせて考えるべきだろう)。
気象庁は台風の接近前から1200人を超える犠牲者を出した狩野川台風(1958年台風22号)に匹敵する被害を警告していたが、昔の台風を例に挙げても一般人には危機感が伝わりにくいので表現方法を再検討しているようだ。 >>321
この台風19号が日本を直撃した10月12日に開幕した堂本印象美術館での川端龍子展に、まさしく狩野川台風の被害を描いた28mにも及ぶ「逆説・生々流転」絵巻(1959年)が出ている。
和歌山出身で、ボストン美術館で日本美術を見て洋画から日本画に転向(その意味でアーネスト・フェノロサ&岡倉天心の間接的な弟子と言ってもよい)、
こぢんまりした「床の間芸術」ではなく雄大な「会場芸術」を目指して次々に大作を描いていった龍子(1885年〜1966年)は、「大東亜共栄圏の画家」と言うにふさわしいヴィジョンの持ち主で、
1934年にサイパン島やヤップ島まで取材に行き(今回もそのスケッチが数点出ている)、中国では、戦闘機で廬山の上を飛んだ経験をもとに、
半透明の機体から風景が透けて見える「香炉峰」(1939年)――洋画なら向井潤吉の「影(蘇州上空にて)」(1938年)に匹敵する大胆な表現――を描いている。
ヤップ島周辺で発生し日本まで到達した狩野川台風がその記憶を呼び覚ましたのか、面白いことに龍子はこの絵巻を舟型住居が並ぶヤップ島の風景から描き起こし、
だんだん勢力を増した台風が日本で引き起こした水害をダイナミックな筆致(円山応挙の『七難七福図巻』をマンガ的に誇張したとでもいうかのような)で描いたあと、
嵐が静まって重機による復興が始まり、測量技師が望遠鏡で虹の彼方に近代的な鉄橋を遠望するところで絵巻を終える。
戦後復興が進み「もはや戦後ではない」(1956年度経済白書序文)と言われた時代らしいオプティミスティックな結末である。
言うまでもなく、『逆説・生々流転』というタイトルは、年長の友人である横山大観(1868年?1958年)の『生々流転』(1923年)に対する龍子のレスポンスだが、
大観が「平和の水の行状」(龍子)を描いた(ただし大観も戦時には「海山十題」[1940年]の売り上げで軍用機4機を寄付した戦争協力者だったことを忘れるわけにはいかない)のに対し、
暴れる水の(また戦争の)破壊を超えて近代文明が人間の生活を発展させるというのが戦後の龍子のヴィジョンだったのだろう。(略) 『柄谷行人浅田彰全対話』 講談社文芸文庫 (2019/10/10)
柄谷行人、浅田彰
目次
オリエンタリズムとアジア
昭和の終焉に
冷戦の終焉に
「ホンネ」の共同体を超えて
歴史の終焉の終焉
再びマルクスの可能性の中心を問う
あとがき 浅田彰と私(柄谷行人) 確かにカッシーラーはとてつもない博識であり、それに基づく考察は、
鋭い洞察力も発揮しているが、それと同時に、博識が必ずしも哲学的な
批判能力を磨くものではなく、むしろ専ら、既に手に入れたものと確信
している理解を補強する役割をすることになるという弱点も露わにして
いる。このことは、「名は体を表す」というコモンセンスに逆行する、
「体は名から派生する」とする、言語論におけるカッシーラーの確信
に典型的に表れている。それは、事物/事象がどのようであるかについて
の抽象的な捉え方は、より具体的に認識される個別の実体の名称に由来
するという考え方である。カッシーラーは、この考え方を、世界各地
の言語に見られる事例を参照しながら論証している。 その論証の最大の欠点は、言語の使用が本来的に極めて身体的である
という具体性を、名詞によって名指される身体各部の具体性、つまり、
身体の名詞的な捉え方と混同してしまっていることにある。
言語の使用が身体的であることには疑いの余地がないので、その
ような混同を容認して、そこから派生する言語の用法をすべて、
身体的な具体性との対比で抽象的であると特徴付けるなら、
抽象的な用法は、すべて身体を指す具体的な名詞に由来するという
結論が導かれる。しかし、そこには、動詞的な捉え方の方が、
名詞的な捉え方より抽象的で、自然に近い言語から文明の
言語に発展する過程で、具体的な思考から抽象的な思考が発展
していったはずなので、名詞からその他の品詞が生じたはずだ
という、具体性と抽象性についての偏見が潜んでいる。 言語の用法が身体的であるとは、例えば、「前方」、「後方」のような
「抽象的」な捉え方も、表現をよく見るなら、例えば、日本語において
前方を表す「まへ」は、「ま(目)+へ(方)」と分解することができる
ことである。さらに、前方と対比される後方も、「うしろ」という
言葉によって置き換えられる以前は、「しり(尻)へ」と表現されたこと
が知られており、英語でも、後方を表す「back」は、身体的な「背中」を
指している。 では、このことから、日本語の「まへ(前)」は、「目(ま)」という具体的な
身体部位を指す名詞から派生していると結論づけることができるだろうか。
だが、「まへ」が「ま(目)+へ(方)」であることが間違いないにしても、
また、そのような分解において、「ま(目)」を名詞と規定することができる
としても、「ま(目)」という表現自体を「身体部位を指す名詞である」と
規定することが適切であるかどうかは、別の問題である。なぜなら、
「ま(目)」の「ま」は、「まり(鞠)」、「まは(回)る」、「ま(撒)く」
などにおける「ま」とも明らかに共通しているからだ。これらの後者の
表現は、すべて「ま(目)」という具体的な身体部位を指す名詞を
「抽象的」に応用したものなのか。しかし、仮に後者の表現がすべて
「ま(目)」から派生していると想定した場合さえ、そのように応用
されている時点で「ま(目)」を名詞と規定することはできない。
なぜなら、後者の表現において、「ま」は、明らかに身体部位と
しての目ではなく、「『ま』るい」様態を表すように用いられている
からだ。むしろ、逆に「まへ(前)」のような表現から、「目(ま)」
を、身体部位を指すものとして分析する見方が、「目(ま)」を
名詞として規定することなっているのではないか。 そもそも、名詞の方が具体的で、それ以外の動詞、副詞、前置詞などと
分類される表現の方が抽象的であるとすること自体が奇妙だろう。
日本語を母語として、フランス語の「かしこまった」文章を少し
読んだことのある人なら誰でも、表現のあまりの「名詞化」の多さに
戸惑いを覚えた経験があるはずであり、逆に、英語の文書を多く
読んだ経験があれば、それなりに整った形式の要求される文書に
おいてさえ、単独では意味のとりにくい短い動詞と前置詞の組み
合わせの常套句が、しばしば、好んで用いられることを知っている
はずである。フランス語の堅い文書が名詞化を多用するのは、動詞
のままでは、表現が具体的で知的でない印象を与えるので、
「抽象化」として名詞化するのであり、逆に、英語では、音節
の多い長い名詞は、ギリシャ語やラテン語由来の表現である場合
が多く、抽象的で具体性の欠けた印象を与えるので、より「具体的」
な表現として名詞ではなく、動詞と前置詞の組み合わせと用いる
のである。 カッシーラー下げハイデガー上げはむしろ凡庸
カッシーラーの企図を凡庸と「喝破」する感性が二十世紀的なもの 具体性とはどのようなことだろうか。例えば、「目(め)」と「目玉(めだま)」
では、どちらが具体的な印象を与える表現だろうか。どちらも同じ身体
部位を指しているが、「目(め)」が「視力」や「認識」などの抽象的な概念
を表すようにも用いられる一方で、「目玉(めだま)」の方は、物体的に
捉えられた眼球を指している。「目玉(めだま)」という表現に具体性を
もたらしているのは、目を球体として捉える、つまり、その「様態」を
明確にする捉え方であり、そう表現する必要が生じたのは、「目(ま)」
という表現においては、丸いことは自明であったのに対して、「目(め)」
では、その様態が感じられなくなってしまったからだろう。事物が
身体的に捉えられているという場合、「名詞としての身体部位の名称
が応用されている」と考えるのは誤りで、そもそも、世界が身体と
共通する様態において把握されていて、常に「引き合いに出される」
身近な実例が、身体部位に適用される表現であると考えるべきではない
のか。 >>324-330
でも、同じ著作の後続の章を読んでみると、後から、より柔軟で穏当な考え方に
立場を変更しているw「同一の著作物」としてまとめられて出版されているが、
同一期間にまとめて書かれているわけではないな。こういう場合、批判する
言説を「著者に向けられるべきもの」と理解するなら、後できちんと立場を
修正しているのだから、「不当な批判」をしていることになるだろう。しかし、
哲学的な検討は、言説に向けられるべきものであって、「統一して持続的に
存在するものと想定される著者の人格およびその人格に帰せられる思想」に
向けられるものではない。 >>324-331
語源の話は語源スレを立ててまとめてやるか、語源板でやってこい 第41回野間文芸新人賞受賞、第162回芥川賞候補
千葉雅也 『デッドライン』 新潮社 (2019/11/27)
もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに。いい男に。
珊瑚礁のまわりで群れをなす魚のように、導きあう男たちが夜の底をクルーズする――。
ゲイであること、思考すること、生きること。
修士論文のデッドラインが迫るなか、動物になることと女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。
気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説。 『デッドライン』は誰にも読める青春小説だが、
「アウト・イン・ザ・ワイルズ」や『動きすぎてはいけない』などで語られてきた
様々な概念が出てきて、千葉の哲学全体へのインデックスにもなっている。
スピノザの汎神論、ドゥルーズの自然哲学からの生成変化、別の仕方で、偶然性、存在論、
マジョリティ/マイノリティ、セクシャリティの問題、ポスト構造主義とポスト・ポスト構造主義。