>>193
君の場合、いちいちレスすると膨大なレスになるだろね。かいつまんで。

>水と砂を比較するには、それ相応の視点が必要だ。
「私」の把握の仕方、という視点で。フッサールのように超越論的自我を
まず設定してしまうのか。それとも、ヴィトゲンのように、言語分析からはいりながら
世界の限界として私を理解していくのか。
どちらがより共感できる私の捉え方か、という視点で。

>ヴィトゲンシュタインは、言葉でとらえられないものは語ってはいけないと言っている。
初期ヴィトゲンな。
「語る」とはいっていない。「なにが語れないのか」、を語ると言う点で。

>ヴィトゲンシュタインになにを感じるのも自由だが、それを解説とするのはヴィトゲンシュタインからは最も遠い。

解説を目的とした文章ではなかったな。
いずれにせよ、現象学とヴィトゲンシュタインを私を視点として比較した例に過ぎない。

>君には、ひとつでも、自分が並べ立てているジャーゴンをきちんと定義、説明できるのかを自問しなければいけない。
俺には君の方が何一つ説明できていないと見える。

>ジャーゴンの明確化を言い回しで誤魔化しているような永井にもいえることだが。
別に永井信者でもないが、俺には、君よりか永井のほうが遥かに明確に定義できている
ようには見える。