>ヴィトゲンシュタインは、それまでの哲学の全否定ともいえる、言葉の構造を考えた。
>それが言語ゲームだ。

今は言語ゲームは問題にしていない。

>人間の認識の範囲の問題ではなく、そういいたければ、認識と言語の乖離の問題だ。
「探究」の一解釈として成り立つがそれを今問題にしているわけではない。

>君が少しでも哲学の不毛性に気が付くことを期待してる。
そんなの期待してどうなるw 哲学は俺の考えでは単に生き方の問題だ。
西洋哲学の終焉なんてハイデガーも言っている。

>ヴィトゲンシュタインの「私」は、哲学に表れる言葉としての「私」だ。
>フッサールの「私」は、肉体を持った実在としての「私」だ。
>これが無関係ということでもあり

「フッサールの「私」は、肉体を持った実在としての「私」だ。」

ここ完全に間違いな。フッサールは、純粋自我は死なない、と述べている。
肉体と同時に死ぬようなものではない。

かつこれでは、
>>「世界に属さず世界の限界としての主体=私」とは無関係、というよりむしろ真逆だということがわかるから
の説明にはなっていない。

真逆というからには、ヴィトゲンは主体は世界に属している、と述べていたと証明
しなければならない。