マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
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(Fabulae のラテン語テキストには異本が複数ある。これは Heidegger が Sein und Zeit. S.197.
で用いているもの。Fabulae の邦訳は、ヒュギーヌス、松田治・青山照男訳『ギリシャ神話集』、
講談社学術文庫、2005 がある)
注:サトゥルヌスはクロノス、時間の神。ユピテルはジュピター、収穫の意。クーラは気遣い、
関心の意、Cura (Greek Kore)、ペルセポネーのこと
ローマ神 ギリシャ名 機能
テルス ガイア 大地女神
サトゥルヌス クロノス 農耕の神
ユピテル ゼウス ローマの最高神
プロセルピナ ペルセポネ 農業の女神、あるいはペルセポネの移入 ラッキョ入りカレーを富士山8合目で食べた、生き返った。
高山病になるからもう登らない、富士山山頂は強風だ。夏だったけどね。 僕は永遠の18歳。ホワイトケーキパウンダー。
ティラミスギザウマス 横田めぐみさん帰って着ておいで。助かるかもしれません。 正直、ハイテガーはまずい哲学だとおもうんだよな、僕。 ジゼル・ブンチェンはお風呂でオシッコするんだってな
. l,‐、i三三三' ,. -"二三,、: : : : : . -"二三-
.i lll三三三 ´;ィ彡'",ニ、`ヾ、、: : : ;彳"ニ、ヾミ、、:
!三三三 .::メ《″(::🌀:) ,l:ヾ、: : ,イ'ヘ,.(:🌀::) ゞヘ、:
三三 : : : ::``ーゞ='-‐'"ンソ、 ´``'-`''‐="‐'"´:: :
ヾ三ミ : ::`ー---‐'''"´: :ノ : : ヾ、
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l:;:;:l゙リ:;:;:;:;:;l : : : : : : ,,r'" ヽ }, l
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ヾヽニンl;;l : : : : : .;';';';';';';';';';';';';';';';';';.,. l. ,'
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. / `丶、:: : :\ ヽ 丶、_ ノ/ /
ドンドンドンドン! 苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇絽? >>402
政治的立場は別として、横田めぐみさんが何をした?
皮肉られるような事をしたとは思えないが? ハンナ・アーレントは、アドルノを破廉恥だと貶していたが
アーレントによるホロコースト総轄は妥当性をもつ一方で、ハイデガーの愛人をやってた
自身に対する言い訳にも聞こえなくもない 話題に乗っかりたいんだが、アーレントって、どこがいいとこなの? アリストテレス、
アーレント、
マルクス、
ハイデガーの生概念:
ポ イ エ ー シ ス | プラクシス
制 作 | 実 践 (アリストテレス)
|
労働 仕事 | 活動
Iabor work | action
| 思想・政治 (アーレント)
|
下部構造 | 上部構造 (マルクス)
|
非 本 来 的 | 本来的 (ハイデガー)
古代ギリシャでは、
オイコス ポリス
経済 政治
ハイデガーは詩作というポイエーシスにプラクシスの徹底を見た
アーレントはトクヴィルの後継者だがカントの解釈者でもある Hannah Arendt "Zur Person" Full Interview (with English subtitles)1964.
「何が残った? 母語が残った」――ギュンター・ガウスとの対話
https://www.youtube.com/watch?v=dsoImQfVsO4?t=37m12s
《Was ist geblieben? Geblieben ist die Sprache.》
《残ったものですか? 残ったものは、言葉です。》
(『アーレント政治思想集成1』18頁)
Hannah Arendt "Zur Person" Full Interview (with English subtitles)
https://youtu.be/dsoImQfVsO4
http://www.youtube.com/watch?v=dsoImQfVsO4#t=7m56s
《Ich selber wirken? Nein, ich will verstehen. 》
《Do I see myself as influential? No, I want to understand.》
《私が影響力を持ちたいかですって? いいえ、私は理解したいのです。》
(《Ich will verstehen 》p.48、邦訳『アーレント政治思想集成 1』5頁より)
参考:
Business Media 誠:ガンダムは作品ではなく“コンセプト”――富野由悠季氏、アニメを語る(後編) (4/4)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news035_4.html 参考:
Business Media 誠:ガンダムは作品ではなく“コンセプト”――富野由悠季氏、アニメを語る(後編) (4/4)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news035_4.html
もうちょっとだけやさしい話をすると、ハンナ・アーレントが言っている言葉で一番好きな言葉
は政治というのはどういう行為かということです。彼女は「人と人の間をつなぐのが政治である」
と説明しています。日本の政治家は恐らく政治というのは選挙をやることが政治だと思って
いるのではないでしょうか。 >389
西田幾多郎の「純粋経験(主客未分化)」は、ハイデガ−に於ける「無の哲学(成り出でてある)」の
様態であり、単に“意識の統一秩序”ではない。 ハイデガ−の有の論理(差異化)と無の論理(同一化)は
“一つのもの”の様態として現れている。 キャバクラ、スナックで意気投合するとGOD GOD ハイデガ−の現存在は、精神と物質の“融合体”として定義されている。これは心身二元論を
存在と存在者の連関から克服している。ハイデガ−は、主観という言葉を嫌うが、それはフッサ−ルが唱える超越論的主観の
概念が純粋な“精神”であるという論理に反発しているのである。 実は、「現存在」も主観である。それも心(精神)と体(物資)の
融合した存在者として定義されている。 https://www.amazon.co.jp/dp/B079C9YFB7/
現代思想 2018年2月臨時増刊号
総特集=ハイデガー
−−黒ノート・存在と時間・技術への問い Kindle版
M・ハイデガー,高田 珠樹,森 一郎,轟 孝夫,小泉 義之
2018/1/27
「エルンスト・ユンガーへ 」マルティン・ハイデガー /山本與志隆訳
(全集第90巻所収)
サンプルで試読可能 三元論目ってなんだろうね。ファッショ ンもいいけどそれより
きらびやかな方がいいなあ バサラじゃないけど。スパルクルみたいな造語。 ハイデガーとショーペンハウアーとの間に本質的な違いを見出すことができない
どちらもほとんど同じことを言っているように思える
ハイデガー自身はショーペンハウアーを酷評し、否定しているというのに 発 者 同 . 。_ ____ 争
生 同 .じ . /´ | (ゝ___) い
.し 士 .レ .__/'r-┴<ゝi,,ノ ro、 は、
.な で .ベ ∠ゝ (ゝ.//` ./`| }⌒j
.い し .ル } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
.! ! か の / ´..:.} >、、___, .r、 ソ、`\
/ ..:.:.} / |∨ ` ̄
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{ ..:Y .ゝ、 {.:.:.:.:. ヽ
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./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./ .\ ..:.:r_,ノ、.:.:}
./..:.:/|.:/ {.:./ X.:.:}.} X X
/..:.:/ .}.:| }:/ .Y丶ヽ Y.:Y
. __/.:/ { } 《.〈、 _,,__>.:》丶 Y.:\
/.:.:.:.:.::/ !.:.:ゝ ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ \.: ̄> とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
KLMQX グレアム・ハーマン
「大陸系実在論の未来――ハイデガーの四方界」
『現代思想 2018年2月臨時増刊号 特集=ハイデガー-黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
“四方界こそハイデガーの最高の発見”
クライン管にも例えられるハイデガーの存在論と、
ハーマンの四方界分析を組み合わせると、
立体マンダラのような話になる。 >>431
ハイデガ−の“四方界”を詳しく教えてください。 >>432
『ハイデッガー全集 第79巻 ブレーメン講演とフライブルク講演』 《ハイデガ ーの 〈大地 、天空 、神的なものども 、死すべきものども 〉が 、
〈実在的オブジェクト 、実在的性質 、感覚的オブジェクト 、感覚的性質 〉から成る 「四方界 」と類似している》
オブジェクトへの道 グレアム・ハーマン /飯盛元章訳 現代思想2018/1
大地 天空
神的 死
実在的オブジェクト 実在的性質
感覚的オブジェクト 感覚的性質
Quadruple Object, The || Zero Books || Book Info
http://www.zero-books.net/books/quadruple-object-the
https://lh3.googleusercontent.com/-2DC0sDT9cso/WdmgUc6HzhI/AAAAAAABVH0/921Auk-hqNYkwbIdLtqrjMvnlxWpxOBsgCHMYCw/s640/blogger-image-2030216359.jpg [瓶から]注がれたものを捧げることの全体に、四者の単一性は宿りつづけている。
注がれたものを捧げることの全体が、そもそも捧げることの全体であるのは 、それが 、
大地と天空、神的なものどもと死すべきものどもを宿りつづけさせるかぎりにおいてである。
もっとも、宿りつづけさせるとは 、ここではもはや、眼前的なものがただ居すわっている、
といった意味ではない。宿りつづけさせるはたらきは、 出来事として本有化する(エルアイ
グネン) 。つまりこのはたらきは 、四者をそれらに固有な本性の光のうちへもたらすのである。
この固有な本性の単一性にもとづいて 、四者はたがいに契りを結んでいる 。
〔 『ブレーメン講演とフライブルク講演』一七頁 〕
大陸実在論の未来ハイデガ ーの四方界 グレアム・ハ ーマン 高野浩之 +飯盛元章訳
現代思想臨時増刊号2018/2より孫引き “元有の真理を、われわれは、世界が世界するはたらきにおいて思索し、
天空と大地、死すべきものどもと神的なものどもからなる四方界の反照-遊戯、ととらえた。”
― 『ハイデッガー全集 第79巻 ブレーメン講演とフライブルク講演』 p93 <Geviert> 四方界(四方域)の解説
・『現代思想 2018年2月臨時増刊号 特集=ハイデガー-黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
(1)グレアム・ハーマン「大陸系実在論の未来――ハイデガーの四方界」
(2)村井則夫「自性態と四方域――後期ハイデガーにおける概念的思考と像論」
・辻村公一『ハイデッガーの思索』8(1991)
・神尾和寿「ハイデッガーにおける「四方界(Geviert)」の思想の可能性と限界を巡って」(2001)
・試論:四方域[Geviert]の範疇論的解釈に至るための準備
http://trounoir.ohitashi.com/geviert.html
・鈴木哲「四方域の思惟への道 ハイデッガーの新たなる世界思惟」(1995)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1995/45/1995_45_252/_article/-char/ja/
・秋富克哉「技術時代に死すべき者たちとしてこの大地の上に住む : ハイデッガーの技術論再考」(2013)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/87/2/87_KJ00008912632/_article/-char/ja/ >>438
・辻村公一『ハイデッガーの思索』8(1991)p345-364
「八 或る一つの東アジア的見地から見たハイデッガーの世界の問 ―集-立と四方界―」 ブレーメン講演冒頭「物」(四方界関連)は講談社ハイデガー人類の知的遺産に邦訳あり 西村清和 著
『感情の哲学 分析哲学と現象学』
さらには第一章で論じるように、七〇年代以降の感情の分析哲学を牽引し、
その後の感情論に影響をあたえたロバート・ソロモンの感情論の根底には、
意外なことにハイデッガーの現象学がある。
本書は、客観的な合理性を追求する分析哲学が
個人的で現象学的な感情経験をあつかうときにどのような問題が生じるのか、
またそれはいかにして解決されうるのかをあきらかにすることで、
分析哲学と現象学が切り結ぶ地点に立って、あらためて感情の原理論の構築をめざすものである。
本書の副題が「分析哲学と現象学」となっているのも、このためである。 >>442
所詮、理系は言葉(記号)にとらわれた思考でしかないからな。 >>447
問題は、信じるとはどういうことか、だろ? 高田珠樹訳『存在と時間』の綺麗な古書が4000円で売ってたからつい買ってしまった
これからガンガン読むぜ 存在者は歴史を持ち生成死滅する
したがって存在者の存在も歴史を持ち生成死滅する
って当たり前やんけ 総統閣下は本当は何を言っているのか
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/ppri/fuehrer.html
Sie ist ohne Ehre!
栄誉などあるものか!
ズィー イスト オーネ エーレ!
「ちきしょーめ!」ですね。「ズィストーネーレ!」→「ちきしょーめー!」に
なっています 。
Von allem Anfang an bin ich nur verraten und betrogen worden!
「最初の最初から、私は裏切られ、欺かれてきていたのだ」
フォン アレム アンファング アン ビン イヒ ヌア フェアラーテン
ウント ベトローゲン ヴォルデン!
ウント・ベがおっぱい、トローゲンがトローン、ヴォルデンがヴォルンになって、
ぷるーんぷるんになっています。 ハイデガーは下からの革命を支持したので、議会も選挙も拒否した。むろん官
僚制(=統治の代理人)も。
選挙、代理人の拒否は表象の拒否を意味するので、ハイデガーの思想と深く関わる。
端的に言えば、実在論的存在(表象されるもの)と唯名論的存在者(表象す
るもの)の差異は自らの決断による以外には埋まることがないという思想だ。
(「いいかえると、投票はするが、それは代表制(議会)における投票のごと
きものではない、というのです」柄谷『戦前の思想』)。
ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。
ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ
し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくて
むしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそ
うしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる
直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろう
としているのは他でもない、自分自身の未来なのである。
(「アドルフ・ヒットラーと国家社会主義体制を支持する演説」1933年)
興味深いことに、柄谷はハイデガーが突撃隊を支持したことを、西田幾多郎が
海軍に加担したことと比較している(定本5巻232頁)。
ハイデガー批判は盛んだが、西田への批判は十分ではない、、、ということは
日本人は未だに自分の姿が見えていないということでもある。 追加:
ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。 ドイツ民族はいま、党首に一票を
投じるように呼びかけられている。ただ し党首は民族から何かをもらおうとしているので
はない。そうではなくてむしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それ
ともそうしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる直接の機
会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろうとしているのは他でもない、
自分自身の未来なのである。 (「アドルフ・ヒットラーと国家社会主義体制を支持する演説」1933年)
これは、深遠な形而上学がどのような政治とつながるかを端的に示している。ハイデッガーに
とっては、指導者を「選ぶ」といった自由主義的原理そのものが否定されなければならないの
であり、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにある。そのときのみ、「民族の全体」
の「本来の在り様」としての真理があらわれる、というのである。表象representationとしての
真理観を否定することは、議会(=代表制representation)を否定することに導かれる。(柄谷行人『終焉をめぐって』p167)
http://kaie14.blogspot.jp/2014/12/blog-post_80.html 問題は大衆が現前する閾が無いことなのわかる?
喝采はテレビとかさすがに言わないと思うが
ま、要するに「祭儀」というか芸能の場が無いのよね
柄谷の貼るのはやめてねさげ なんにしても、国家だの民族だのと言いたがる連中というのは、自分の利益だけを追及してるか、頭がおかしいかのどちらかだよね。 出来事と自己変容―ハイデガー哲学の構造と生成における自己性の問題
景山 洋平 (著)
出版社: 創文社 (2015/10)
1982年生まれ
景山 洋平
帰宅中。ハイデガーが「民族」という際、
「我々の一員だと感じられる集団」くらいの広がりで受け止めるのが第一であり、
ただちに「ドイツ民族」や「大和民族」等に概念が限定される訳ではない。
プロレタリアートやLGBTや被差別人種をそこで考えることだってできる。
重要なことは、そうした皮膚感覚のアイデンティティが、
ハイデガーが「存在」と呼ぶものとのアクセスから捉え直されるべきであり、
更に、このアクセスが、広義のアイデンティティを持続させる労働と防衛を支えることである。
また、大学という点で言えば、ハイデガーは当時の「学問の危機」の言説をある程度引き継いでおり、
技術化した近代科学の問題点は、そもそも「知」が一般的に成り立つ場面への遡行によって取り組まれるべきだと考える。
2016年4月28日 >>461
ハイデガーと政治は切っても切れない課題だろ? なんで知ってるの?
バイトちゃんの名前晒すよ?そいつにさせてるんだろ? >>469
違う…。
ハイデッガーで見るべきは、464かと。 四方界、やり始めたら奥が深かった。
>>437-439はただの入口。
四方界こそが、ハイデガーのハイライトといってもいい。
『存在と時間』も『寄与』も、これまでにやってきた全てが、四方界に集約される。
まさにジェットコースター。
もとい、目からウロコのウォータースライダー。 >>438-439
以外にも、一番参考になったのは、
『ハイデガー(FOR BEGINNERSシリーズ)』 J・コリンズ、H・シラィナ (1999) 四方界 <Geviert>
“元有の真理を、われわれは、世界が世界するはたらきにおいて思索し、
天空と大地、死すべきものどもと神的なものどもからなる四方界の反照-遊戯、ととらえた。”
― 『ハイデッガー全集 第79巻 ブレーメン講演とフライブルク講演』 p93
天空、大地、人間、神々 \ (1) /
\ /
(2) X (3)
/ \
/ (4) \
(1)空 SKY
(2)人間 MORTALS
(3)神々 DIVINITIES
(4)大地 EARTH
― 『ハイデガー(FOR BEGINNERSシリーズ)』 p147の図 人間
↑
大地 ← E → 世界
↓
神々
Eは
Ereignis(性起)または
Erklüftung(裂き開き)
― 『ハイデッガー全集 65 寄与』 p335の図 四方界関連
・『ハイデッガー全集 79 ブレーメン講演とフライブルク講演』〈1949、1957〉 >>473
・『ハイデッガー全集 65 哲学への寄与論稿-性起から(性起について)-』〈1936-38〉 >>475
・『ハイデッガー全集 4 ヘルダーリンの詩作の解明』〈1936-68〉
・『ハイデッガー全集 39 ヘルダーリンの讃歌』〈1934-35〉
・『ハイデッガー全集 52 ヘルダーリンの讃歌『回想』』〈1941-42〉
・『ハイデッガー全集 53 ヘルダーリンの讃歌『イスター』』〈1942〉
・『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』〈1942-43〉
<補足>真理「アレーテイア ἀλήθεια」関連
・『ハイデッガー全集 55 ヘラクレイトス』〈1943-44〉
・『ハイデッガー全集 54 パルメニデス』〈1942-43〉 >>475
>Ereignis(性起)または
>Erklüftung(裂き開き)
前にも書いたけど、"Ereignis"を仏教用語の「性起」と訳すのは感心しない。
"Erklüftung"を訳すのに「裂き」という表現を用いたことは評価する。
というか、日本語の古語の「〜さく」をそのように解釈すると、
日本の古典の研究者にはとても都合が悪いらしいw コモンセンスで理解できることを不必要に権威による承認に頼るべきではないと思う。 >>477
確かにそれは思っていた。
一般的には、「生起」だけど、「性起」という華厳の用語が使われている。
それが、
『ハイデガー(FOR BEGINNERSシリーズ)』のp153に
「ハイデガーの<四角形>には東洋の手本があった。
たとえば、ミハエル・ツィンマーマンは、仏教華厳宗の説話にハイデガーの断片を見る。」
とある。
具体的な箇所は示されていないけど、
何となくそれらしい箇所があった。 “すべては内奥にある(ヘルダーリン『形態と精神』草稿)
この句が述べようとしているのは、一つのものが他のもののなかへ独自化されている、
ということであるが、その結果、一つのものは、そこで、自分独自のもののなかに留まり、
それで初めて、独自のもの、すなわち、神々と人間、大地と天、に到達する。
この内奥性は区別を融合したり、消滅したりすることではない。
内奥性が指摘するのは、異なるものの相互関連であり、不審の念を統べることであり、
物怖じの要求である。”
― 『ハイデッガー全集 4 ヘルダーリンの詩作の解明』 p271 >>480
ハイデガーは仏教や華厳には言及していないが、
ここは、一入一切、一切入一、相即相入、相互浸透、インドラの網などの雰囲気がしなくもない。 性起(しょうき)
仏教用語。華厳教学で用いられる。
悟った仏の立場からみれば,あらゆる現象はその真実の本性に従って現れるという意味。
[ブリタニカ国際大百科事典]
華厳の四法界
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%84%E8%A6%B3
四法界とは現象世界に対する四つのものの見方である。
1.事法界(じほっかい)
我々凡人の普通の物の見方である。
2.理法界(りほっかい)
すべての物に実体はなく、空であるという見方。
3.理事無礙法界(りじむげほっかい)
実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存しているという見方。
4.事事無礙法界(じじむげほっかい)
一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存するという見方。 ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言
“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉
有るものは、有用性を生ぜしめる。
有らざるものが、有を許し与えるのだ。”
― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48 >>473
四方界のきっかけはヘルダーリン。
『ハイデッガー全集 4』には、
「ヘルダーリンの大地と天」という章がある。
「死すべきもの」とは、永遠の神に対して有限な人間という慣用表現。
「神々」とは、遁れ去りし古き神々。 (自然)と(時間)を足すとイメージしやすいかもしれない ハイデガーはヘルダーリンを手引きに、ドイツ・ギリシャ文明の起源を振り返る。
その過程、東洋(オリエント)、インダス、エジプト、老子、華厳(?)といった
アジア的なものと対決をしながら、ソクラテス以前の自然哲学へと遡る。 ハイデガーによるナチス批判〈1934-35年〉
“今ではなにもかも民族性と血と土にみちあふれているといった有様である。”
― 『ハイデッガー全集 39 ヘルダーリンの讃歌』 p282、解説p332 ヘルダーリン/ハイデガー的生起
“稲妻(Blitz)は、まなざし(Blick)と同一の言葉である。
まなざしのなかに現有がある。
雷雨は、それゆえ、「神の現有」である。
大地と天と神聖なもののなかに隠された神々、
こういったすべては詩人の静かに-喜ばしい(still-freudig)気分にとって
根源的に立ち現れる自然の全体のなかに現前する。”
― 「ヘルダーリンの大地と天」『ハイデッガー全集 4』 p218 後はこういう話
「形而-上学」=「超-自然学」(『哲学への寄与論考』二五八 哲学) “「真理」という語は、ギリシア人のもとでは或る否定を伴っている、
すなわちア-レーテイア<ἀ-λήθεια>――
非-覆蔵性、覆蔵されて-いないこと、である。”
― 『ハイデッガー全集 55 ヘラクレイトス』 p110
真理=隠されていないこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています