まあ一つ持ってきて説教してやるか。特別だぞ。

>証明可能性にこだわるってことは
実は言葉の無意味さにこだわるってことなんだ

主張ね。これを了解して次の文へ

>言葉には意味があって、その相関は豊潤なんだけど
前提と結論の間に意味が増えてないことを示すことを持って
僕らはそれを「証明」と呼ぶんだ

前提と結論の間に意味が増えてないことを示すこと、これが「証明」なわけね。
まず前提とは「仮説」とか「主張」のことか?そうでないとしたら何?そもそも前提という言葉のはっきりとした意味がわからんが、このように解釈するよ。
主張から結論の間に意味が増えてないこと?とは何か?まあ数学的な見地から言っているのだろうけど、
意味は取れる。

言語も極度に抽象化して、数字的な抽象化がなされて初めて「証明」がなされる、ということね

はい、ダウト。
意味が増えてない←これが「証明」になるということは言語の意味の分化が極端に抽象化されてこそ、つまり数学的なものこそ証明になるということだけど、
「証明」とは
1 ある物事や判断の真偽を、証拠を挙げて明らかにすること。「身の潔白を証明する」「本人であることを証明する書類」「身分証明」「印鑑証明」

2 数学および論理学で、真であると認められているいくつかの命題(公理)から、ある命題が正しいことを論理的に導くこと。論証。

このことから清見のいう意味での証明が主観的な意味においての「証明」であることがわかる。

証明にこだわった言葉って実はスカスカなんだよ