>>760

 前の投稿のお仕舞いで、「(Entwrulf)」は、「企投」のあとに付けてください。

 ちなみに、この企投とほとんど同じ意味で使われるのが、<超越>。こっちのほうは、<事実性>と対になっている。


 企投−Entwrulf−超越

 被投性−Geworfenheit−事実性

 まずこの対へ向かって、『『存在と時間』は進む。その際、人間の心性の対が重ね合わされている。

 つまり、企投には<了解>が、被投性には<気分>が。

 だが、基礎存在論が人間を超えると自負していても、このように人間の存在様態を絶対視しているのだから、ハイデガーが言うほど「基礎的」でも、また<脱認識論的>でもなかった。