ハイデ(ッ)ガー読書5 [無断転載禁止]©2ch.net
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『存在と時間』
『形而上学の根本諸概念』
『哲学への寄与』
他
うんうんo(^o^)o⤴ひさびさお笑い無かったね。
お笑いが欲しかったら
鼎先生と時間のスレの皆さん集めてたらいいものね😘 >>716
前から私の大好きな人💗
カッコイイ秀才様 マルクスじゃ奇形障害児の外科とかに限界あるよ。
やはりマフィア的なハイデカーの方が
。 ハイデガーがマルクスと同じなわけない。
ハイデガーはただの観念論だ。ポモなみの低レベル観念論。 >>721-722
自己完結している、というのはちょっと読めてないというしかないですね。
というよりかそもそも〈自己〉という概念について、あれは根本的な
問いを発してる。たえず〈向こう側〉からやってくるのも〈自己〉であって、
いつの間にか抱え込まれ、包括され、塗りかえられていたりするのも〈自己〉
。
そもそも何かが気になって行く、何かが許せなくなったり、或いは
素晴らしく思えたり惹かれていたり忘れられなくなっていたり。
そういうことってのは別に主体的に求めることもないまま何時の間にやら
なっている。
すなわち人間には自分が意図的に求める訳ではないのにそうなる、という
側面がしばしばある。恋愛でもそう。「何故あんなのがいい?」と訊かれても
答えられない。しかし明らかに自分は惹かれている。
人間には〈自己〉内部に〈他者〉を抱えているとしか思えない瞬間が
しばしばある。で、〈自己〉の本来性を自分に教えてくれるのも実はそういう
〈内部-他者〉だったりするわけです。 730つづき
ハイデガーが本来性と云う場合、〈良心の呼び声〉といったりする。〈良心
の呼び声〉によって本当の自己に気づかされたり、または顔をそむける自分
を責めたりもするわけです。〈自分が本当に求めているのは…〉と気付かさ
れる。
あれが実存思想でもありそれもリアルな実存思想でもあるのはそういう
内実を言い当てているからでもある。
ハイデガーが政治的加担が有名だからあれが実存思想であることには
消去されたりするが、実は実存の在りか、それが本来的には何だということ
についてはよく言い当てている。
その言い方を辿ってみると、「自己完結の孤立化での安らぎと希望 」
「自己閉鎖と庇護性と孤立化自己完結人生観」
というよりは、絶えず自己に於いて震動し、〈向こう側からやってくる〉
何か-それも自己だが-に対峙することが視線に入れられていることが分かる。
そのように自己を問われている。まったく「自己完結」などしないわけです。
ハイデガーが表す実存ていうのはそういうものです。 731つづき
あと彼の性起論では特にそうだけど。
自分の存在が何なのかも分からなくなり、たとえば学生なら学校や学校的
日常に適応する中で、たえずストレスを抱えながら硬直し、陰湿に加虐的に
なるか、反対に自虐的になるかしか発散の方法はない。
労働者ならノルマやルーティンに慣らされて調教され、しかも
企業の利潤のために搾取され、要らなくなれば捨てられていくしかない。
たえず効率と能率で選別されていくしかない。
ちょうど酒鬼薔薇聖斗が「透明な存在」と自己を表現したことに
それは見合っている。
存在-窮乏といいますが、そういう状況での人格変貌についてもよく
論じている。硬直した主体から退行することでしか生きられなくなった
実存が、拒絶する存在の場所と化して、いわゆる脱-社会的存在と化す。
酒鬼薔薇聖斗が「透明な存在」と自己を表したのにこれは対応している。
また、上に書いた本来性の現在的動態としても読むことができる。日本の
1980年代以降の実存のダークサイドについて、ここまで論じられている
論考は存在しないと思いますね。 将棋の糸谷哲郎(いとだに・てつろう)八段(28)が大阪大学大学院文学研究科博士前期課程を修了した。
22日の卒業式で修士(文学)の学位を授与される。北陸先端科学技術大学院大学の教授を務めている
飯田弘之六段(引退)が東京農工大で工学博士を取得した例はあるが、タイトル獲得歴のあるトップ棋士が
修士以上の学位を授与されるのは初めて。
糸谷八段は高校3年でプロになり、プロ入り後、大阪大学文学部に合格。卒業後の2011年、大学院に進み
ドイツの哲学者ハイデッガーを研究した。修士論文「現存在と存在者の関わり」は、ハイデッガー研究者の米国人哲学者、
ヒューバート・ドレイファスの存在論をテーマにした。
糸谷八段は日本将棋連盟関西本部所属で、若手強豪の一人。14年には初挑戦で「竜王」のタイトルを獲得した。
糸谷八段は「修士を取得するまで6年もかかったので、達成感というより、ほっとした気分が強い。将棋に役立ったかと言えば、
リフレッシュ効果はあった。今後は将棋に専念するが、将来チャンスがあれば学びを深めたい」と話している。
なお、卒業式は対局があるため欠席するという。
毎日新聞 2017年3月17日 08時30分(最終更新 3月17日 09時57分)
http://mainichi.jp/articles/20170317/k00/00m/040/148000c 将棋なんて被害文明限界文明の遅攻遅考。
国内引きこもりで。休み多し。怠惰すぎる。座るのも寿命短し。 阪大なんてレベルじゃ文学なんてイケてないじゃん。東大も怪しいし。
やはりソルボンヌのような専科大学じゃないと。
パリ第三 第四。 さか さけ か。懐かしいね。少年からも大人になれる
。 >>730
🙌✨ヤッター返事来てたのですねー。
嬉しいなぁ。
今から読むからちょっと待ってね✨
仲直りする気持ちで読むね✨ >>730
貴方の誤解です
あの時のハイデガー信者が貴方かどうか知りませんが、自己の閉鎖はハイデガー思想についてではなくあの人がマニアックに頑固者になっているからあの人が孤立、自己閉鎖的、あの人の思想でのあの人に対する自己完結を感じたって
話しました✨(^^)
それくらいわかりませんでしたか
ハイデガー思想についてとは言わずあの人についてといいましたよね。😉国語勉強して下さいね✨ >>731
ハイデガー思想について私は一言も説明は
してませんよ♪(^^)
以前文句は言いましたけどね✨ あの人に感じたことって私が言ったつもりになってましたが
貴方の言う通り私の文が下手ですね
誤解されますよね✨今迄もたくさん誤解されたんだろうなぁ 私のを今、読み返しました
ごめんなさい✨(^^)誤解されますよね✨
国語勉強を私がしないとね✨頑固者で暴言吐く性格の荒んでるあの人に対して批判してただけでハイデガー思想のことではありませんでした✨みんなもワケわかんなかったね✨学術さんもごめんなさい。 >>738
「あの時のハイデガー信者」は多分私でしょうね。ここでハイデガーについ
て書いてて貴方がやたら反感を向けてくるのは私ですから。
仮に私だとしたら、まさに私がハイデガーを読みながら獲得した
自己論こそ>>730-732であり、したがって「たえず震動」し「本来性」
を問いかけられているのも私である。貴方の云うような固定・凝結などする
はずもない。>>730-732でのハイデガー論を読み納得すれば分かる筈ですが。 >>743
そうですよね✨
一般的に勉強し過ぎの頑固者に対すると同じような批判しました✨
貴方が思想を培ってそこはとっくにクリアできてるって今、言われてるので私は批判しません。 ましてや
ハイデガー程の人がそこはとっくにクリアして無いわけが有りませんし 743つづき
まだ疑問を書こうと思いましたが>>740-742に「文章が下手で誤解を
生んでいる」というのがありますね。もっと巧く書く気持ちがおありの
ようなので、なのでここらで一回辞めておくのが良いのかもしれません。
私のことについては勿論ですがハイデガーについてもどうも先入観が
おありのようだし、次はもうちょっと具体的に‘この本のこの用語は間違
っている’‘この態度は間違っている’というふうにやってくれたら
もっと良い問答にもなると思うのでお願いしたいですね。 >>746
そうですね✨
了解しました✨(^^)
今、天気がとてもいいです。
貴方の見て今の天気と同じ清々しさを感じています。またね🙋 これほどのカス(ハイデガー)を崇めるとは…
どんな低俗的知能すればそこ行けるんだ? ニーチェなんてただのあれだぞ
理屈の空しさ天国で今頃味わってるだろ
昨年の暮れに、中山元にメールしたが、彼は昔のアドレスをもう見てないようだ。
最後の翻訳になるだろう中山訳でもまだ「sich vorweg」を「自己に先立って」と
訳すと、誤読を誘発することは修正されそうにない。 おーぷん=糞!クソ!
おーぷん運営=糞!クソ!
おーぷん削除人=死ね! ハイデガーなんてただのあれだぞ
言葉遊びの人生論エセーで文学を味わってるだけだろ >>750
>中山訳でもまだ「sich vorweg」を「自己に先立って」と訳すと、
>誤読を誘発することは修正されそうにない。
誤読なんかしません。その訳で正しいのだから。存在は「自己に先だって」世界を
開示し、人やモノに出遇わせるのです。だから自己にとって大きく、また或る思想家
にとっては「ハイデガーのいう存在とは自由の否定であり、むしろ自己こそが
何者にたいしても先行し、全体化するのである」という批判に的にもなった。
しかし先の訳にかんしてはあれでいいのです。 中山元からしたらあれだろ
またixtlanとかいう頭のおかしい奴からキチガイメールが来た
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npo法人 sta >>756
「自己に先立って」という訳だと、「先立たれた自己」という意味が前提される。
それは、企投と被投性のどちらかと言ったら、被投性の方に解される。これを「誤読」と言っているのだ。
事実、前に私と対話した人はそう解していた。だが、テキストではそうはなっていない。
この部分はゾルゲの1番目、すなわち企投 Entwurf を説明した箇所だからである。
sich vorweg の正しい訳は、「自己に先立って」ではなくて、「自己の前方に」である。
<未来>は<自己の前方にある>。そこに向かって意味を投げること(Entwurf)、これを企投とみなしたのがハイデガー。 >>760
前の投稿のお仕舞いで、「(Entwrulf)」は、「企投」のあとに付けてください。
ちなみに、この企投とほとんど同じ意味で使われるのが、<超越>。こっちのほうは、<事実性>と対になっている。
企投−Entwrulf−超越
被投性−Geworfenheit−事実性
まずこの対へ向かって、『『存在と時間』は進む。その際、人間の心性の対が重ね合わされている。
つまり、企投には<了解>が、被投性には<気分>が。
だが、基礎存在論が人間を超えると自負していても、このように人間の存在様態を絶対視しているのだから、ハイデガーが言うほど「基礎的」でも、また<脱認識論的>でもなかった。
>>756
ハイデガーは決意を強調させすぎて一本化🐗
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植村玄輝・八重樫 徹・吉川 孝 編著
ワードマップ 現代現象学
―― 経験から始める哲学入門
こうした状況に一石を投じるべく書かれたのが本書である。現象学は哲学として生まれ、哲学の問いに取り組んできた。本書はそのような哲学としての現象学を現代に蘇らせようする試みであり、現象学を通じて哲学に入門するための手引きである。
したがって、フッサールをはじめとした古典的な現象学者の注釈・解釈を目的にはしていない。また、心理学、社会学、教育学、考古学などの人間を対象とする個別科学に方法論として組み込まれているかぎりでの現象学も、さしあたり本書の主題ではない。
本書のタイトル「現代現象学」は、現代哲学のなかに現象学を再び位置づけようとする意図をあらわしている。もちろん、これとは別の方針のさまざまな「現代現象学」の可能性が成立しており、本書の立場からもそれらは歓迎されるかもしれない。
しかし、執筆者たちは、現代の現象学はさしあたり本書のようなスタイルが望ましいと考え、その姿をなるべくはっきりと描き出してみた。
本書は、通常の現象学の入門書の冒頭で紹介される「現象学的還元」「形相的還元」などの方法にはほとんど言及しない。というのも、方法論から話を始めると議論が抽象的になりがちであるし、手段と目的の関係が転倒してしまうことにもなりかねないからである。
泳ぎを覚えるには、座学から始めるのではなく、まず水に入って体を動かしてみるのがよい。本書の目的は、あくまでも哲学の問いを考察することであり、問うべき主題から切り離した現象学の方法をそれ単独で明らかにすることではない。
現象学のアプローチの特徴――長所だけでなく短所も含めて――は、さまざまな哲学の問題の考察を通じて示されることになるであろう。 ハイデッガーは近代西洋哲学者の中では特にギリシャ哲学の伝統に忠実だな
読んでて違和感ないというか安心して読める そのつど私、とか、各私性とか何言ってるさっぱりわからん
現存在は必ず人称代名詞を付けて語られなけばならない、ってそれってドイツ語の都合だろう
人称代名詞が世界の言語の中でも希薄な日本語使ってる身からすれば説得性なんてないな
時性とか現存在の歴史性とかもこれまたドイツ語(あるいは同じような時制をもつ言語)の都合でしかないし
印欧語のような時制の観念を持たない日本語や中国語、アラビア語の視点からすればこれまた説得力ない 毎月のお支払い、生活費、携帯代でお困りの時はご相談下さい。お金の悩み、相談はエス ティー エーで
詳しくはHPをご覧下さい。 >756
存在は「自己に先立つて」世界を開示し、人やモノに出遇わせる。
これは、被投性であり、「存在の生起」として捉えられている。
他方に於いて、「未来に向かって意味を投げる」ことは、企投であり、現存在の能動的な
存在了解として捉えられている。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
6KRI8 茶の本のバックボーンは道教
仏教にはない発生論がそこにはある
参考:
"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子#15の引用)
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
山小屋にて1947年8月9日
親愛なるシャオ様
私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。
孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
道徳経(天の道)より
親愛なる情を持って
あなたのマルティン・ハイデガーより ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています