量子力学 [無断転載禁止]©2ch.net
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猫でもネズミやゴキブリでも君でもなんでもいいのよそこ・・・ さすがに観測者本人が箱に入っていたら、生きているか死んでいるか、箱を開ける前に気づくんじゃないか? これまで>>804に対する反論なし。
「シュレーディンガーの猫」ってそんなに底の浅い話だったのか? 観測者が箱の中にいたらそれはまた違う話であって、
箱の外にわれわれには、生きたバカと死んだバカの重ね合わせの状態(箱を開けるまでは)。 外に「いる」われわれには
「いる」が抜けた。なにかが召喚されてくる前兆だ。 箱の中にバカはいるのかいないのかの問題である。
箱を閉じたときわれわれの世界からみると「いない」のである。
箱を開けたときにわれわれの時間で箱を閉じてから箱を開けるまでのストーリーが組み立てられる。
箱を開けたときにわれわれの時間からみた「過去」がつくられる。
われわれの時間からみて「始まり」と「終わり」は観測できるが、その中間は「わからない/情報が得られない」ということだ。
「始まり」の時点で、「終わり」の結果がわかるような情報をすべて得られていればいればよいわけだ。
原理的に「それ」が得られない。得られない。得られない?得られない!
原理の中に踏み込めるのはいまのところ哲学だけだろう。 高校数学もできないバカが、量子力学とは、これいかに w サイコロだと面倒なので量子論的コインを考える。2つのコインをA系とB系とする。
A系=[表,裏] B系=[表,裏] 2つあるので情報としては2ビットだ。
これのテンソル積を求めると、[表表,表裏,裏表,裏裏] (それぞれの組み合わせはA系B系の順)
この表記であれば情報の逸失は無いのだが、実際にはA系由来B系由来の情報は失われる。
失われる情報があっても情報としては2ビットだ。
ここは不思議だ。情報は明らかに失わているのにどちらも2ビットだ。
本当はA系B系という情報もビット化すべきなのだろう。これが失われているのだ。
このように情報が失われることで「関係」が生じる。
さらに「もつれる」と因果関係が生じる。もつれると自由度が制限されるからだ。
わたしはそう考える。 自由度の制限といってもそこでまた情報が失われるわけではない。
CNOTゲートは情報を保存する。
量子もつれも情報を保存する。
問題は射影もしくは多世界もしくはその他の解釈。
また別のものと関係を持ったとき(観測したとき)情報がどこかへ行く。
保存則がある以上、この世界にあるはずだ。
これと同じようにテンソル積(組み合わせ)になったとき失われた情報もきっとどこかにある。
探さねば。すこしだけ目ぼしをつけているとことはあるのでそこにあればよいのだが。 >箱の外にわれわれには、生きたバカと死んだバカの重ね合わせの状態
だったら、実験中に箱の中の人にずっと歌でも歌い続けてもらったらどうですか?w
どうも、こういう思考実験って意味がよく分らないんだよね。 哲学で量子力学が議論の対象になる場合、問題として扱っているのは、数学でも
物理でもなく存在論でしょ。物理学者が量子力学を説明するのに、素朴存在論
ではうまく説明できないから、変な喩えを持ち出す。そこで何を言おうとして
いるのかをきちんと存在論的に明確にしようとして議論になっている。
いくら数学や物理を研究しても、存在論について語れるような言語能力が
身に付くわけではないからね。やはり分野を超えた対話が必要になるのですよ。 >>815
素朴存在論ではなく素朴実在論の間違いですよね?
それと持ち出される変な喩えとは具体的にはどんな? 猫の生死判定
素朴存在論でも素朴実在論でもたいして違いがないでしょう。 たいしして違いがないなら死ぬまで素朴に不思議がってればいい問題ですね ボゾンとフェルミオン。
同じ状態になろうとする/なれる/なるのがボゾン。
違う状態になろうとする/なれる/なるのがフェルミオン。
そう考えるとおもしろい。
「存在」といってもいろいろある。
とりあえず「存在」が「煩悩」のひとつの形態であるということは先送りして、
「存在」を仮想粒子として扱う。
ボゾン的存在粒子とフェルミオン的存在粒子。
「存在」そのものは排他的であるからフェルミオンなのか?
しかし、ボゾン的存在粒子と語れてしまうのだからこれも「存在」である。
やはり(少なくとも)二種類の「存在」があるのだろうか。 折り紙は一枚の紙で多様なモノをつくれる。多様なモノを宇宙だとすれば、折り紙宇宙と呼べるだろう。
折り紙宇宙の中でも奇妙なのは球面状の折り紙だろう。
想像すると疲れてしまうので、ひも宇宙を考えて、輪状のひも宇宙を考えながら寝ることにする。
なぜ「輪」なのかといえば「端」を考えたくないからw 基本的な問題を技術的な専門知識であるかのように偽装してはいけません 単純に考えられるものは、単純に考える
複雑に考える必要がある場合は、なぜそのように考える必要があるのか、
明確にその筋道を示す >>823
単純に考えられるものしか、単純に示せない
複雑で考えられない場合は、なぜそのように複雑なのか明確にその筋道を示せない
先に自認と認識の論理矛盾を解消したほうが良さそう 単純であることがもっとも複雑であるのかもしれない。
単純化して(しまって)いるのかもしれない。
「存在」とは常に「ペア」なのかもしれない。
単純だと思っていても、そこに見過ごされたものがあったとしたら...
情報量を簡単に、情報がない=0、情報がある=1、として、そこからいろいろなものを与えることで複雑化・複雑な体系を構築できる。
なにも与えなければ0,1だけであり、単純なようにみえる。
外側から何か与えれば爆発的に複雑化する。
逆に、内側からなにか湧き出すこともあるだろうが、認識論的には「内側からなにか湧き出そうこともあるだろう」ということも外側から与えている。
内側から湧き出すとすれば「現象」だろう。
「存在」するという「現象」は内側から湧き出しているとも考えられるが、
「現象」として外側から引き出したものかもしれない。
「観測者」あるいは「思考者」は「存在」に対して「ペア」として「存在」してしまう。 「存在」とは「してしまう」ものなのだと割り切れるものだろうか。
「やらかした」ものならば「やらかしたやつ」がいるかもしれないw
哲学(科学も含む)の最大の敗因wは「観測者あるいは思考者」の「存在」である。
認識論をはなれた「存在論」に回帰するのは「再魔術化」であろう。
それはたしかに「魅惑的」である。
「単純」という「魅惑」。 存在論とは、行為/作用/様態について考えることであって、存在論
を疎かにして、存在を自明の前提としてしまうことが神秘主義的な
魔術化につながるのですよ? ところで、ここ数十年の間に気象予報というのは予測精度が上がっているのですか?
リアルタイムの観測によって観測精度が上がったことを予測精度の評価に含めず、
同じ観測データを用いた場合、50年前の観測データでも、50年前の気象予報より
高い確率で的中する気象予報が出せるようになっているのでしょうか? 行為/作用/様態とは現象として直接的間接的に外部から引き出されたものであり、
認識論的存在論なのかもしれない。
認識論をはなれた存在論であれば再魔術化だろう。
いまのところ(広義の)認識論にかわる、脱魔術化のよい手法が得られたという話も聞かない。
おれが知らないだけかもしれないのでいろいろ探ってはいるのだが。
結局どれもこれも広義の認識論に捕らえられてしまうw 今、よいものを拾ってきました。
0を掛けるということが「失せる」という意味で用いられている言葉の事例です。
「失せる」けれどもそれ自体は保存される。
つまり、観測者の視界から「消える」だけだと考えられます。
断ち切られる。
自然界におけるシュレーディンガーの箱ですね。
「猫」ではなく「箱」のほうに大きな意味をみいだせそうですね。
「シュレーディンガーの箱」探しはM理論あたりか?
すでに「パンドラの壺」として探索開始していたものに近い。
日常言語にもそのような「神隠し」への入り口となる「0」の用法が
みうけられるのは心強い。
「パンドラの壺」より弱いがデコヒーレンスを阻害する構造。
「パンドラの壺」は開けると世界が消失してしまうが、「シュレーディンガーの箱」は「異界」なので再接続可能。 数学が出来ない人はゼロというと、無や無いことをイメージしてしまうの
だけど、ゼロって有なんだよね。
たとえば、n次元線形空間Vに、n個のベクトルからなる基底{v_1,…,v_n}が
あって、v_1,…,v_nは線形独立であるとしよう。
その中の2つのベクトルv_iとv_j (i≠j)が直交している時、その内積(v_i・v_j)は
0と表されるけど、それは2つのベクトルがともに0(ベクトル)である、という意味では全然ないからね。直交している2つのベクトルの力の作用や値がキャンセルし
合ってゼロになっているだけ。
この時、2つのベクトルv_iとv_jは正規直交基底と呼ばれる。 世界が二乗でできているとしたら、辺の片方が0であれば面積はなく、二乗の世界からみれば0である。
サイコロの残りの目は存在するが確率0によってみえなくなっているだけだと考えれば。。。
多世界とはそのような世界なのか?
多世界の他の世界は時間発展できない?
死んだ猫が別の世界では生きていて子猫を産むということはなのだろうかといえばそうでもない。こちらの世界の「中」にある確率0の世界の中では時間発展「させられる」。
ただの想像世界といえばそこで終わりだが、こちらの世界と再接続可能であれば時間発展した他世界との再接続も可能だろう。
しかし、再接続はいろいろな要因で難しい。
シュレーディンガーの箱が分裂できればよいのだが。 音に関しても事情は同じで、あるノイズXに、それと逆の周期にあるノイズYを
ぶつけると、それぞれの音波の周期がキャンセルし合って作用するので、
ノイズXが消えたように感じられるだけで、実際には、ノイズXは厳として
存在している。ノイズキャンセリングのヘッドフォンは、この仕組みを
利用しているのは有名だよね。
盲点も同じで、そこに像がないから見えないのでなく、ある位置にその像が
あると、それは神経線維が束になって集まっている部分(盲点)でその像を
捉える位置関係になってしまうので、実際には、そこに像があるのにもかかわらず、
それが見えなくなる。
こんな感じで、ゼロや無は、そこに何もないことを表しているとは限らない。 物理のエネルギー保存則など典型的だけど、ある対象Xや現象Yが視界から
消えたからと言って、それが端的に消えたというよりは、それが別の対象や
現象Zに変化・転移しただけ、といった感じで、トータルでの物理・エネルギー量
は一定で変わらないという考え方があるけど、これは案外、重要なんじゃないかな。
空き缶やペットボトル、家電がリサイクルして、やがて再生するように、
死者も物理のエネルギー保存則で言えば、別の存在に生まれ変わったり
(たとえば犬に)、あるいは、別の可能世界Zに転送されたりして、
とにかく、完全なゼロや無を想定する方が、逆に不自然で難しいかもね。 現実的に存在する0という入り口はブラックホールであるとも考えられる。
ブラックホールは異界への入り口なのか。
シュレーディンガーの箱の一種としてのブラックホール。シュレーディンガーの箱にもいろいろあるということか。 哲学的な思考は、実は量子重ね合わせの実験と相性がいいんだよね。
ただ物理的な実験や医学的な治験とは違って、哲学的な思考には、実験道具や
実験器具、危険率αやp値などが必要になるような統計的な妥当性が求められる
こともない。
そこに必要になるのは、その哲学的な思考やその射程に臨場感や説得力があるがどうか。
カントの哲学は難解とされつつも、それが哲学的な思考だとされるのは、
そこにそうした思考空間上における臨場感があるからだろう。 前にどこかに「決死圏SOS宇宙船仮説」を書いたのだがw
やはり量子状態はなんらかの形で保存していると考えたい。
a|0>+b|1>を縦ベクトルであらわすと[a,b](カンマによる横表記だが縦ベクトル)になる。
[1,0]になっても[0,1]になっても、われわれの世界に接続する部分が点であっても、見えないところに[,]が保存されていると考える。
接続可能点が2点あるということだ。接続するとこちらの次元からはずれた[,]の次元はみえなくなる。余次元にあるのだろう。
A系[a,b]とB系[c,d]のテンソル積は[ac,ad,bc,bd]になり接続可能点は4点ある。これもどれかの点に接続すると[,,,]は余次元に行く。
CNOTでもつれをつくると[ac,ad,bd,bc]となり、接続可能点は(ある条件下で)2点になる。なぜなのかは図示すればわかりやすいのだが、ここにはうまく書けなかったw
もつれは余次元側にあるのだろう。
てな考えで量子コンピュータ(エミュレータ)を構築中。はたして実現できるか?
マクロな装置で実現できればなおよいのだが。 北海道大学大学院情報科学研究科光エレクトロニクス研究室量子情報のページ
http://www.eng.hokudai.ac.jp/labo/hikari/qit/intro_qbit.html
測定に関してもう一つ重要なことは,重ね合わせ状態を測定したときの値は
確率的にしか決まらないことあるいは状態が1個しかないときに測定で状態を
完全に知ることができないことです.状態は長さ1の2次元複素ベクトルですから,
実数の係数を2つ決めなくてはいけないわけです.繰り返し測定しても状態が
収縮しているため前と同じ結果しか得られないので意味がありません.
このことから,任意の重ね合わせ状態のコピーも作れないことがわかります.
もし,コピーが作れるとすると,状態が1つあれば無限個のコピーが作れます.
同じ状態が無限個あれば,それらを全て測定することで状態が完全にわかります.
つまり,状態が1つあれば状態を完全に知ることができることになって,
状態が決まらないということと矛盾します.
このことは量子暗号の安全性に関係する重要な性質です.
量子情報処理における位相の重要性と測定による状態の収縮は
反面量子計算の実現を難しくしています.環境と量子系の相互作用は
量子系からすると結果を見ない測定にあたり,状態を確定してしまうので
量子系の位相をランダムにする働きがあり,状態の可干渉性が失われます.
これをデコヒーレンスといい,量子ビットの数が多くなったり,
環境の温度が高い場合には顕著になります. 2次元複素ベクトルではなくブロッホ球の表面のように|a|^2+|b|^2=1(a,bは複素数)のような制限をうけます。
実数2つではなく複素数2つですね。
こちゃこちゃっとめんどくさい式をB(θ,α) 0<=θ<2π,0<=α<2π のようにあらわせば、2つの角度とめんどくさい関数であらわせます。
まあ、球面上の点です。
観測しても量子状態は壊れず、単にこちらの世界と1点で接続しているだけと考えたとき、可逆になるためには情報がどこかに確保されていなければなりません。
観測後も量子状態が時間発展しているとしたら、ということを考えています。
世界は2乗でできている、ということが同じゲートを2回通ることだと気づきました。
√NOTゲートではなく√Iゲートを一度通ると....量子状態になり、もう一度通るともとにもどる。アダマールゲートですね。
√系ゲートと「観測」の関係。このへんがキモなのかも。 0<=θ<2π,0<=α<2π は間違いであった。
まず、一般的な極座標ではθとφを使うべきだった。
そして 0<=θ<=π,0<=φ<2π とすべきだったのである。
なにゆえに球の表面なのか。哲学的にはどのように考えるべきなのか。 量子力学は哲学問題のかたまりである。
量子力学を量子情報論なのだと考えれば、哲学も哲学情報論なのかもしれない。
アクセス可能なものは情報だけなのだとすれば、それは思考と存在の相関物なのか?
その相関物が(造語だが)マルコポーロ構造体だとすれば、それが(それ自体が?)情報なのか?
マルコポーロ構造体を無定義用語として考えたとき、それが変化(振動)するものである。
変化するものと変化そのものが必要なのか? チェシャ猫のように「変化」だけがあるのか?
誰もみていなければそれは「存在」しない。マルコポーロ構造体は「見ているもの」でもある。
まとまらないので寝ながら考えよう。 確率0とは、どういうことか。
コインの裏表を考えたとき、表がでれば表がでたほうの確率が1となり、裏の確率が0となる。
しかし、この時点で確率といってもいいのかという問題がある。それは「結果」だからだ。
ま、そういうことはさておいて、この場合、裏の確率は0であるが、裏面が無くなったわけではない。
再試行すれば裏面にも確率があらわれる。
しかし、それは前回の試行とは別ものだ。
前回の試行そのものは再試行できない。一回性のものである。
可逆ではないとすれば情報が保存されていないのかといえば、エネルギー保存則は情報保存則であって、情報も保存されているはずだ。
保存はされていても「自然に」元に戻ることが無いということだろう。エントロピーは増大する。
それでも極限というか、飽和状態であれば微視的にはエントロピーが減少するはずだ。あくまでも巨視的・統計的に増大するのである。
いや、増大するわけではなく、平衡か増大である。
コインやサイコロの平衡状態。うーむ。量子状態の秘密は平衡状態にあり? デンプスターシェイファー理論におけるファジィエントロピーについて
*森 伸之1), 本田 あおい1), 岡崎 悦明1)
1) 九州工業大学
公開日 2010/11/05
キーワード: ファジィ測度, エントロピー, デンプスターシェイファー理論 生体は今まで量子計算を用いることはなかったのか?全くなかったのか?本当に? 言葉(思考)は量子論的ではないかと思っているわけです。
言葉は意味を持つとしてもひとつの意味ではなく、量子論的に再発展して別の意味を持つ。
少なくとも、ひとつの言葉(単語)は正逆の2つの意味を同時に持つ。
なので、再発展しないと困るwのでそういう事例が物理現象にもないかなと思って探しています。
ま、時間的に逆方向をみれば再発展でもあるわけです。その点、思考は時間的にも自由ですね。
そして言葉(思考)は多世界的でもあるわけです。
これらが量子論でないわけがないw
そうすると、「哲学」そのものも「量子論的」であり、物理の量子論は「哲学」が物理世界にあらわれているだけではないかと。 量子計算をいじりながらいろいろ考えていたら、多世界がみえてきた。
多世界が余剰次元にくっついている。
エネルギー論的にうまくつりあえばよいのだが。 多世界なんかあるわけないだろw
量子計算とかファンタジーだからw (量子論的)コインを考える。観測されるのは表か裏である。
1枚のコインでは、観測前には、2つの観測されるであろう世界がある。
観測後には、観測された世界と、その観測された世界で観測されなかった世界の2つの世界がある。
最初から多世界なのである。
観測されていない2つの世界、そして、観測された世界と、その観測された世界で観測されなかった世界。
観測前と観測後でも2つの世界がある。
世界は分岐しない。
観測されるであろう2つの世界は、コインができたとき既に存在している。
観測によって分岐するのは観測されたか観測されなかったのかということだけであり、観測というものが一回性のものである限り、
観測者とそれぞれの世界への接続形態が異なるというだけだろう。
未観測->(観測+非観測)
分岐しているわけではないのだから、
(未観測+未観測)->(観測+非観測)
観測される側の世界は増減していない。 「分岐」ではなく「分裂」のほうが的確か?
「分裂」だとエネルギー論的な問題が発生してしまう。
だから「無い」のだ。 足し算の世界では、たとえばa+b+c+dなどのようなとき、
b*0となればbが消滅する。
掛け算の世界では、たとえばa*b*c*dなどのようなとき、
b^0となれば、これは1となり、bは消滅する。
*0や^0とはどういうことなのかと哲学的に考えるのもおもしろい。
エネルギー論的には*や^の左側の数値の情報はどこかに保存されるべきだと考えられる。
どこにどのような形で保存されるのか。
そもそも0とは哲学的にはどのような存在なのか。
無であり無限であり、ブラックホールとホワイトホール両方の性質を持つのか? 量子論語る奴と日本のラップって似てるよな
どこか本場でない感じの優越感 0は普遍的に存在する。
集合論における∅(空集合)と同じなのであろう。
ただし∅は集合の元ではない。部分集合をとらねばでてこない。
このような哲学的概念。モナドを否定し置き換えるべき存在なのか?
それともモナドそのものなのか? A=[a,b],B=[c,d]とする。[1,0]が表で[0,1]を裏とする。
AとBは独立であってそれぞれがバラバラに表裏がでる。
CNOT=[1 0 0 0,0 1 0 0, 0 0 0 1, 0 0 1 0]ゲートを通すと、
A'=[ac+ad,bc+bd]=[a(c+d),b(c+d)]=[a,b] (c+d=1なので)
B'=[ac+bd,ad+bc]
になる。
これが量子もつれ(のひとつの例)である。
A'=[1,0]のとき、B'=[1,0]となるなら、[c,d]=[1,0]であり、
A'=[0,1]のとき、B'=[0,1]にならねばならず、
A'=[1,0]のとき、B'=[0,1]となるなら、[c,d]=[0,1]であり、
A'=[0,1]のとき、B'=[1,0]にならねばならない。
数式で計算すればわかりやすいのだが、日常言語派哲学では、
この現象をどのようにあらわすことができるのやら。
量子ゲートを抜けたあとのいまここに内在する過去が、いまここの関係によって固定されてしまい、
いまここの未来を決定してしまう。 現在の関係によって過去が固定される。
ぐだぐだと書いていたがつまらないので考え直して週末に書こう。 A'=[a,b]
B'=[ac+bd,ad+bc]
この2つの量子状態を引き離してもa,bは同じでなければならない。
引き離す前には決定していない。
プログラム的に考えれば、これらのa,b,c,dはリンクであり実体はそれぞれ一つということだ。
そう考えたとき、われわれの世界は実体へのリンクからできているということだろう。
実在論の「実在」とは、ここでいう実体であり、われわれは「実在」へのリンクをみている。
実在(実体)を直接扱っているのではなく、間接的にしか(実在へは)アクセスできない。
そもそも実在とはアクセス不能であってもかまわない。ただし、間接的にも影響を受けない実在は実在していないとすべきだろう。
(リンクをたどって実体にアクセス可能かどうかは先送りする)
すべての実体はわれわれのこの世界における(直接的な)存在ではない。
つまり、言葉を吟味せずに暴力的に結論をだせば「実体は無い」ということだ。 なんというか、この世界はプログラムであるというところから始めてしまったほうがはやいのではないかとさえ思う。
(プログラムの設計者・製作者がいるという意味ではない)
リンクがエネルギー論的にエネルギー0であれば、多世界のエネルギー保存問題も解消できる。
多世界とは同じものを異なった角度(角度とはもちろん本当の角度の意味ではない)からみたウインドウがたくさん開いているということなのかもしれない。
ウインドウとは量子ゲートと同じものなのだろう。 哲学を広義の計算としてとらえるなら、哲学(哲学計算)とは量子計算である。 まあ、哲学と量子力学は(ある意味で)等価だといっているにすぎない。
(「哲学」とは「哲学という学問」のことを指してはいない) 確かにそうだ
迷宮に迷い込むという点では同じ計算かもしれない 重ね合わせの状態とは、観測者によっては異なる値が観測されるということだ。
重ね合わせでない状態とは、観測可能な観測者にはすべて同じ値が観測されるというだろう。
観測できない観測者は、いるかもしれないw
ただし、値という問題や観測者そのものの問題は先送りする。
おなじような現象といえば、相対性理論などでよくでてくる同時性の問題だろうか。
因果関係がなければ観測者の位置によっては2つの事象の順序が異なる。
量子力学では因果性があっても観測者の立場によって事象の順序が異なるとも考えられる。
それは観測者の世界の中での因果性ではない。
最初から可逆な関係であり、観測者の世界と接続(射影)していなければどっち方向でもありなのだ。
そもそも方向などないのだ、と考えた方がよいのかもしれない。
アナロジー的には液体とか気体あるいはプラズマのようなフレキシビリティ?がある。
そもそものシュレーディンガー描像やハイゼンベルグ描像は、観測側の時空間にある。
量子状態そのものに内在した時空間ではない。 すこし訂正すれば、因果関係があっても事象の順序は入れ替わる。
原因が結果より遅延してつたわれば入れ替わるw
観測者しかいないのだとすれば、この宇宙は観測者宇宙であり、構成物?も観測者である。
観測者といっているが人間のことではない。モナドすらも観測者だw
観測者しかいないとわりきったほうがよいのかもしれない。
もちろん観測者は無定義用語だ。それだけでは足りない。
足りないのは何か? >>868
その可逆的であったり、因果関係の順序が逆になれると、いうのが大事な視点だね。
事象Aが生起すると、事象Bが生起することが必ず観察される場合、AとBには因果関係、
もしくは相関関係があることが推論されるのだけどA→B、別に量子の世界でなくても、
事象Bが生起したので「それが原因となって」、Aが生起し得たA←Bという、因果が逆向き
となる日常の直観には反する現象も、日常の中にはあるのかもしれない。
再生医療とか、そういう雰囲気があるよね。死んでしまったはずの組織が[過去]、
可逆的に巻き戻されて(初期化されて)、再生するのだから、それは、
死者が生者として甦るイメージなので、時間の向きが逆に流れているような感触も
そこには感じられる。 もなとなんて低レベルな概念なんじゃないかな。人を許す。 、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
}仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
/  ̄`Y  ̄ ヽ lミ{ ニ == 二 lミ|
/ / ヽ {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ
,i / // / i i l ヽ {t! ィ・= r・=, !3l いつまでこのキャラ続けるんだ?
| // / l | | | | ト、 | `!、 , イ_ _ヘ l‐'
| || i/ ノ ヽ、 | | Y {.┬=、__` j ハ ̄"''─-、
(S|| | (●) (●) | ,. -‐ へ、`ニ´ .イ / / ,, -‐‐ヽ
| || | .ノ )| /、 |l`ー‐´ / / -‐ {
| || |ヽ、_ 〜'_/| | / l l |/__|// /  ̄ /
____ / | / l l l/ |/ / /
(_ ) ・ ・ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 電子は通常は波だけど観測機で観測すると粒になるというのは観測機から出ている電磁波などにより波が消され粒になるだけ
つまり人間が観測すればそのようなことにはならない あなた方が洞察しているものが運命を見抜かれた、悲運な命、モノだ。 量子力学は全くの素人ですが、偉い人誰か教えて
エヴェレットの多世界解釈って、量子コンピュータと矛盾してないの?
多世界解釈的には粒子は観測されてなくても確率波とかではなくちゃんと粒子で存在してるんだよね?
量子コンピュータは粒子が観測してない状態では1と0の重ね合わせとして存在する性質を利用して高速計算してるって聞いたんだが、これって多世界解釈と相容れなくない? 解釈の違いであって、とくに問題ありません。検証できませんから。
量子コンピュータは重ね合わせて計算しても答えはひとつです。
量子状態はコピーできませんから同じ量子状態から何度も計算することはできません。
同じ条件でつくった量子状態なら何度も測定して統計をとれます。
多世界の観測者同士が連絡をとれればいいんですけどねw
いろいろなやりかたがありますけれど、超並列コンピュータとしていちどにたくさんの計算結果を得るのではなく、
たくさんの同じ計算を異なるパラメタで同時に行って、結果として求めたい答えだけが得られるように量子もつれなどで細工します。
まあ、他にもいろいろな手法があるのでしょうがね。
わたしは趣味でやっているだけで偉い人ではないので間違っているかもしれません。
AIへの応用で、たくさんの可能性の中から確率0でないよさそうそうなものをピコーンとはじきだせればよいだけですからわたしは。 実際に量子計算のロジックはできたのですが、
どうやってやりたい計算をやらせればよいかと、いろいろ実験しながら調べています。
そして、その得られた現象を哲学的に考察しようとしたら、たまたま哲学に量子力学とタイトルのついた板があったので。。。。とおりがかりにときどき書き込んでいたりw この世を作った神様の立場に立って考えてみたが、
なぜ、神様はここまで複雑な世界にしなければならなかったのか?
果たしなく超巨大な宇宙を作り、ミクロの世界はわけが分からずこれまた果てしない。 足し算の世界では0になった項は消滅する。
掛け算の世界では1になった項が消滅し、0になる項があればすべてが消滅する。
量子演算をしていると、A=[a,b]のaとbが揃えば確率1となって消滅する。
消滅するといっても実世界?へ値が放出される。
対消滅? そんな感じだ。
そうすると量子状態になるというのは対生成か?
古典的情報から量子状態が対生成して、量子状態が対消滅して古典的情報を放出する。
はたしてこのアナロジーのような考えから、なにか発見ができるのであろうか。 量子とはなんや。ファインマンの光と物質の不思議な量子電磁気学を見ると、回転ベクトルやという事になっておる。そのベクトルの合成で、ほんまに現象が計算できておる。 なんだっけ さんかしてるつもりな あわれでみじめでざんねんすぎる
しゅうだんすとーかーから うまれたときから
じつひがいうけまくりの
ひへいしただめにんげんのいてもいなくてもどうでもいいごみくずにんげん
ってそういうもんだよ
ぶらっくにしゅうしょくできればいいけどね
かねがつきて せいかつほごももらえっこないしな もらえてもせいかつできないし
ころんでしぬかもな つかれて つかれてたもんなー まえいもいまも うるさいくるまかなんか さっきもなんかあったかな
しらない まけぐみでしか いきられないから ひがいしゃもかがいしゃも
だいじょうぶじゃないのかな かちぐみさまはもう しらないけど かちぐみじゃないんでどーだか むつうで すっていしきなくなって しぼうなら ちょうよくない?
したいをどうつついて げすがいじろうがかんけないしね
しんでっからもうそのときは >>886
なるほど(о´∀`о)
助言せんきゅー。 人に嫌われるのは勿論のこと、好かれるのも場合によってはきついなんて。。。 対生成した状態が量子状態ではなく、
量子状態から対生成すると考えれば、2つの世界ができる。
量子コインの表がでた世界と、裏がでた世界。
量子コインを中心に、そこから世界が2つに引き裂かれていく。
はたして1量子ビットは最初から2つ分の世界をまかなえるだけのエネルギーを持っているのか?
2つの世界に分かれるのであれば、分かれる前は2つ分のエネルギーがあればよい。
そのような気配があればそれでよいのだが。
しかし、時間とかエネルギーとか先送りされているものが最初からあるかのように考えるのはどうなのだろうか。
哲学的にすべてを疑えばなにもはじまらない。
哲学はどこからスタートすべきなのか。
それは(思考する)「わたし」なのか。 >>893
>対生成した状態が量子状態ではなく
量子状態ではないって事は量子力学の考えを捨てるって意味じゃないのか?
意味が通じないというか意味不明なんだが。 益々日本語として意味不明なんだが
観測した結果なんで二つの世界出来るんだ?
それに対するプロセスが分らんのだが 大体量子力学って微小世界の観測法が確立できないから巨視的な確率論で推測するんだろ?
巨視的には明確故に成り立っているのに微小な誤差を拡大解釈したら前提が成り立たないんじゃないのか? https://ja.wikipedia.org/wiki/ハラルト・ボーア
1908年ロンドンオリンピックに出場し銀メダルを獲得した。リーマンのゼータ関数を研究し、概周期函数論を創始した。兄は原子物理学者のニールス・ボーア。 観測したことで世界が分岐するのは多世界解釈です。
ただし、「わたし」という観測者は多世界のどれかにしか「わたし」はいません。
もしかしたら「わたし」という解釈の(哲学的)問題なのかもしれませんよw
おれの見解としては、多世界は射影/投影であって、ひとつの世界の中に情報が残っている。
また、対生成/対消滅は2つへの分岐ではなく、生成点/消失点からの3つの分岐であると考えています。 場合の数の世界に分岐するが、
ボース・アインシュタイン統計に従うか、
フェルミ・ディラック統計に従うかで異なる。
物理の世界へ入らずに、哲学の世界で統計の違いを考えたい。
素粒子物理学を下敷きにしないで、哲学単独でそのような統計の違いを論じた哲学者はいたのであろうか?
いたはずだ。きっといたに違いない。 観測する事によって変わるというれど
それは観測行為自体に物理的影響力が伴っているからだろ。
現状それを排する方法が無いからそういった考えが出てくるだけじゃないのか。
知る事が出来ないことをいいことに。
いわば悪魔の証明みたいなもんだ。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。