X



ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 20 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001考える名無しさん
2017/03/18(土) 13:25:17.840
ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 19
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1454335694/l50

単著
『ヒュームあるいは人間的自然 経験論と主体性』 木田元・財津理訳 朝日出版社:エピステーメー叢書、1980
『経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論』 河出書房新社、2000
『ニーチェと哲学』 足立和浩訳、国文社、1974 
『ニーチェと哲学』 江川隆男訳、河出文庫、2008 
『カントの批判哲学』 中島盛夫訳 法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1984 
『カントの批判哲学』 国分功一郎訳 ちくま学芸文庫、2008 
『プルーストとシーニュ』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974
『ニーチェ』湯浅博雄訳 朝日出版社、1985/ちくま学芸文庫、1998
『ベルクソンの哲学』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974 
『マゾッホとサド』蓮實重彦訳 晶文社、1973
原子と分身 ルクレティウス/トゥルニエ 原田佳彦・丹生谷貴志訳 哲学書房 1986
『差異について』 平井啓之訳 青土社 1989、改訂1992.2000
『スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991 
『意味の論理学』 岡田弘・宇波彰訳、法政大学出版局、1987 
『意味の論理学』 小泉義之訳、河出文庫上下、2007 
『対話』 河出書房新社
『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー 2002
0002考える名無しさん
2017/03/18(土) 13:29:04.420
『感覚の論理──画家フランシス・ベーコン論』山縣煕訳 法政大学出版局、2004 
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』 宇野邦一訳 河出書房新社、2016 
『シネマ1 運動イメージ』財津理、斎藤範訳 法政大学出版局、2008 
『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一ほか訳 法政大学出版局、2006 
『フーコー』 宇野邦一訳、河出書房新社、1987/河出文庫、2007  
『襞──ライプニッツとバロック』宇野邦一訳 河出書房新社、1998 
『記号と事件 1972-1990』 宮林寛訳、河出書房新社、1992/河出文庫、2007 
『批評と臨床』 守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社 2002/河出文庫、2010
『無人島 1953-1968』宇野邦一ほか訳、前田英樹監修 河出書房新社、2002
『無人島 1969-1974』稲村真実ほか訳、小泉義之監修 河出書房新社、2002
『狂人の二つの体制 1975-1982』宇野邦一ほか訳 河出書房新社、2004 
『狂人の二つの体制 1983-1995』宇野邦一ほか訳 同

ガタリとの共著
『アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症』 市倉宏祐訳、河出書房新社、1986
『アンチ・オイディプス』 宇野邦一訳、河出文庫上下、2006  
『カフカ──マイナー文学のために』 宇波彰・岩田行一訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1978 
『リゾーム…序』 豊崎光一訳、朝日出版社(『エピステーメー』臨時増刊附録、1977/単行本、1987) 
『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9−11 
『哲学とは何か』 財津理訳、河出書房新社、1997
『政治と精神分析』 杉村昌昭訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1994

他の共著
『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』第5巻、蓮実重彦訳、小沢書店〈叢書エパーヴ〉、1975年。
『ドゥルーズの思想』 田村毅訳、大修館書店、1980年
『情動の思考-ロレンス『アポカリプス』を読む』 鈴木雅大訳、朝日出版社〈ポストモダン叢書〉、1986年
『消尽したもの』 宇野邦一・高橋康也訳、白水社、1994年
『重合』 江口修訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、1996年
『ヒューム』 合田正人訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年
『対話』 江川隆男・増田靖彦訳、河出書房新社〈ちくま学芸文庫〉、2008年
0003考える名無しさん
2017/03/18(土) 14:08:32.780
代表的な研究者または論客には次のものがある
浅田彰『構造と力』『逃走論』日本におけるドゥルーズ紹介のセンセーショナルな先駆者
蓮実重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
吉本隆明「『アンチ・オイディプス』論」「『千のプラトー』」『アンチ・オイディプス』日本版刊行当時に根底的な批判。宇野邦一との討論もある
宇野邦一『ドゥルーズ――流動の哲学』『ドゥルーズ――群れと結晶』『ドゥルーズ横断』 編集 フランスでドゥルーズの研究室で学んだ代表的な論客
江川隆男『存在と差異――ドゥルーズの超越論的経験論』『アンチ・モラリア――〈器官なき身体〉の哲学』
小泉義之『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』『ドゥルーズと狂気』『ドゥルーズ/ガタリの現在』、鈴木泉・檜垣立哉共編
檜垣立哉『ドゥルーズ――解けない問いを生きる』 『ドゥルーズ入門』『ドゥルーズ/ガタリの現在』 小泉義之・鈴木泉共編
千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』2013年に同著刊行し話題になる。ドゥルーズ論の新世代といわれる
0004考える名無しさん
2017/03/18(土) 23:52:16.160
つーかさ、結局D=Gを実践した人ってだれよ?
理論武装はもういいからさ
0005考える名無しさん
2017/03/19(日) 07:03:13.370
おーぷん=糞!クソ!

おーぷん運営=糞!クソ!

おーぷん削除人=死ね!
0006考える名無しさん
2017/03/19(日) 13:52:57.920
>>4
理論武装の意味がわからない
>>3
の人たちが大なり小なりD&Gに影響を受けつつ今の地位を築いた
それが実践になるんじゃないの?
0007考える名無しさん
2017/03/19(日) 14:05:32.480
>>6
個人的に地位を築いても、それは実践とはいわないな。
株で設けた程度のことだから。
D=Gの成果はその程度、ということの証明にはなるけど。

哲学関連の職業を拡大はしたけど、それが逆に、政権による大学からの哲学の抹消政策につながっている。
0008考える名無しさん
2017/03/19(日) 14:26:03.490
>>7
「実践」とは、貴方においてはどういう行為を指すの?
そして
>哲学関連の職業を拡大はしたけど、それが逆に、政権による大学からの哲学の抹消政策につながっている。
これもわからない。拡大と抹消の関連性がさっぱりだ
0009考える名無しさん
2017/03/19(日) 15:26:37.620
大学教授という恵まれた地位を再生産しただけ
ドゥルーズの成果などその程度
大学という体制をヨイショするご用哲学
0010考える名無しさん
2017/03/19(日) 15:31:29.470
そして畳水練ばかりで、実際に水に飛び込まないドゥルーズ信者
もしくは論語読み論語知らず
0011考える名無しさん
2017/03/19(日) 15:55:13.160
にちゃんねらーはドゥルージアンである
同一の主体ではなく、匿名という衣を着て
日々生成変化する遊牧民だ
0012考える名無しさん
2017/03/19(日) 16:02:00.500
IDやホスト表示があるとそうもいかなくなるけどね。
0013考える名無しさん
2017/03/19(日) 16:49:43.640
泳げるようになるまでは、水の中に入ってはいけない。
0014考える名無しさん
2017/03/19(日) 20:32:06.730
>>8
哲学における実践というのは、社会の変革。
変革への具体的な発言も含む。

哲学関連の職業の拡大というのは、翻訳や解説などによる、主に大学関係者の収入源の拡大。
拡大した結果、わけのわからない自己満足な論文が増えたので、政権は、哲学系大学関係者には社会的な寄与がないとみなして、文系学部、学科の整理統合に乗りだした。
0015考える名無しさん
2017/03/20(月) 23:19:21.940
>>4
そりゃガタリ本人でしょ
0016考える名無しさん
2017/03/20(月) 23:38:31.200
心療内科に何年も世話になってる者としては、精神疾患を
インテリの知的遊戯の道具にしないで欲しい。
精神科医とつるんでまで…我々をおもちゃにしないで下さい
0017考える名無しさん
2017/03/21(火) 00:04:38.630
>>16
哲学をたんなる「知的遊戯」とみなすあなたのほうが失礼では
0018考える名無しさん
2017/03/21(火) 07:37:27.100
>>16
>>17
 D=Gが書いた本の中にある根本的な疑問の1つなんです。社会が変わる
ために難病まで総動員するという。しかし
そこには難病に日々苦しむ患者の苦痛や苦労やにたいする配慮も視線も
欠けている。こういうのが彼らのいう〈実践〉だというならそういう
哲学って一体何だ。根本的な欠陥ではないかということです。

 彼らの「意味の論理学」においては精神病というのは規範を外れる
最も良い方法だ、また精神病を治す必要などないのだ、精神病に
なったらそれは「革命的」なんだから良い事だ、家族の三角形で
この素晴らしい事態を決めつけることをしてはいけないのである、
だから精神分析は駄目なのだ、あんなものは嘘っぱちである。
〈n+1…個の性〉を自己内部に見定め拡大するべきである。それこそ
が革命的なのである。

 彼らの分裂者分析はあの吉本が痛烈に批判してるわけです。

《きみもわたしも無条件でこれに賛同できれば、独身主義者、
職業革命家、職業宗教家それからいかがわしい精神医学者になれる。》
《わたしは破産が誰の眼にも明らかなこんな陳腐なラジカリズムは
御免蒙りたい。ただ家族の崩壊という現状に直面したヨーロッパが、
じぶんにラジカルな根拠を与えてくれるチャンピオンを繰り出して
いるとしかおもえない。》『アンチ・オイディプス』論

 D=Gを読めばよほどの信者か「専門家」じゃないかぎり疑問を
感じる特徴が述べられています。この特徴があるから彼らの本には
胡散臭さが付きまとうことになってしまいます。また、擁護者は
こういう点について「あれはたとえだから。本当の患者じゃない
から」とか今度はD=Gの本気さに泥を塗るようなことを言って自分
では擁護してる気になってる。それも駄目なんですね。あれは本気
で分裂病を褒め称えているんですから。
0019考える名無しさん
2017/03/21(火) 10:58:25.780
>>17
哲学すべてが知的遊戯ではないが、ドゥルーズの「哲学」は、知的遊戯だよ。
自分が読んだ中で知的遊戯じゃない哲学というのは、カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、ヴィトゲンシュタインなどだ。
サルトルやメルロポンティも方向は違うが、現実を見据えた優れた考察を残している。

ドゥルーズは、フォイエルバッハやヴィトゲンシュタインが、せっかく知的遊戯から哲学を救い出したのに、ハイデガーと同じで言葉があれば実体があるという、知的迷妄に嵌まりこんだ。
だから、現実世界に触れたとき、驚くような無知と見当違いを曝け出した。
それが、ドゥルーズが権力者から嘲笑され軽視される根拠なのだ。

「ドゥルーズ? 好きにやらせとけよ。でも、金はもったいないから哲学科は廃止な。」
0020考える名無しさん
2017/03/21(火) 18:00:23.700
なんでこの粘着はドゥルーズだけひたすら下げまくってるの?
分析哲学については何も言えず吉本隆明にすがるクズ
0021考える名無しさん
2017/03/21(火) 18:19:09.980
>>20
ドゥルーズが批判されるのが、そんなに悔しいの?
哲学を標榜するなら、批判にはきちんと答えないと。

それもできない君は、ドゥルーズの研究者でも読者でもなく、まるで恋人だねw
想像してしまうと気持ち悪いけど、まあ、フーコーが恋敵だったりするのかな?w
0022考える名無しさん
2017/03/21(火) 18:25:56.930
アンチスレじゃないのだから、本来ならアンチスレを立てるべき
0023おとうさん
2017/03/21(火) 18:27:25.890
アンチオイディプスっさ
最初は勘違いして
反父権主義?反パターナリズム?
みたいなイメージだったんだけど
よく調べたら、反フロイト
アンチオイディプスコンプレックス
だったんだわな
0024考える名無しさん
2017/03/21(火) 18:32:44.390
>>22
お仲間の褒め合いスレにしたいのかよw
本気で思ってるのか?

そんな女の腐ったのみたいなこと考えてるんなら、哲学なんかやめちまえよ。
(女のみなさん、ごめんなさい m(_ _)m)
0025考える名無しさん
2017/03/21(火) 18:39:56.590
>>23
D=Gのフロイト理解が定型的で貧相な分だけ、D=Gのフロイト批判もまた、底が浅い。
0026おとうさん
2017/03/21(火) 18:59:22.320
>>25
でも、俺もフロイトの性解釈って
素朴におかしいと思うけどね
オイディプスコンプレックスとか
(;´Д`)?だけど。
0027考える名無しさん
2017/03/21(火) 19:13:53.110
>>26
表面的には気が付かないことだから、フロイトが偉大だともいえるんだよね。

現代では、自分の両親との関係の中で、男なら父親に、女なら母親に、両義的な愛憎をみることは難しくはない。
男であるか女であるかによって経路は違うが、この両義性は否定できそうもない。

ただ、それはあくまでも家族の関係の中でのことだから、それを無限定に社会にまで拡大したり、まして、拡大した部分を批判したりしても意味はない。
0028おとうさん
2017/03/21(火) 19:24:22.970
>>27
なんかよくわからんけど
心理学っていまいち興味持てんかったわ
俺は法学崩れでさ
法哲学とまではいかないが
実定法解釈とか、バカバカしくてさ

この板はあくまで文学部哲学科的な
話題に終始するのが2ちゃんねるのカテゴリーとしての筋なのかもな
0029考える名無しさん
2017/03/21(火) 19:32:18.660
>>28
その心理学を無理解のまま否定したのが、D=Gということだね。

哲学には、心理学と切り離せない部分もある。
心理的な要素を無視しては、哲学は成り立たない。
フォイエルバッハとかメルロポンティとかは、だから心理的に哲学の課題を追及している。
0030おとうさん
2017/03/21(火) 20:16:24.860
>>29
気分悪くさせるかもしれんが
哲学という定義も人それぞれに違うとは
思うが
俺は文学としての哲学にはあまり興味なくて
思想として、現代、現実に、働きかけるもの
としてドゥルーズ・ガタリの主張は非常に興味深いんだわ
真理の探究という意味ではこれは
理数系の世界でほとんど答えが出るものとは
思う。
しょせん人間も物だからね。
観念で幾何学や規則性を持って物に働きかけ具象化させる。動物との違いはそこだ。
肉体の物理、化学反応反応で人間関係を再構築する分裂、地下茎的なノマド的な変化
これは興味ある。国家というのはパラノ・ツリー型だからね。世界が一つになる
前提に国家が平和的に分解される必要がある。
0031美魔女
2017/03/21(火) 20:20:19.320
>>29
ですね
0032考える名無しさん
2017/03/21(火) 20:40:00.630
>>30
世界が一つになる必要がありますか?
0033おとうさん
2017/03/21(火) 20:46:56.180
>>32
必要じゃなくて
俺がしたいんだわ
社会を解体したりするのって
面白そうだ
親会社だの子会社だのあるけど
資本主義の硬直したツリー型構造を
解体したいのさ
0034考える名無しさん
2017/03/21(火) 20:52:04.990
>>34
革命を起こして人を傷つけたり殺めたりするの?
0035おとうさん
2017/03/21(火) 20:57:53.630
仕事がきつくて不眠気味なんでさ
強めの睡眠薬は医者の処方が必要なんで
心療内科にいくわけよ
薬が安く欲しいだけだけなのに
精神科医という詐欺師が「バウムテストとか
やってください」とかな医療費上乗せして
くるわけだ。
「木を描いてください」
めんどくせえなあw
そんなもん詐欺師とやってること変わりねえわw
はよ、薬よこせよみたいな
という俺だから物理学的な考えかもな
0036おとうさん
2017/03/21(火) 21:09:51.490
>>34
いや
出会い系サイトを開いて
リアルの人間関係を匿名リゾームネットで再構築して社会をスキゾさせて、しがらみから解放されたノマド民が高原を闊歩するかのように
自由に主体的に生きていく世の中を
妄想中
0037美魔女
2017/03/21(火) 21:13:05.030
うん✨おとうさん可愛いね✨
0038おとうさん
2017/03/21(火) 21:16:09.110
金儲け精神科医のバウムテストとかいうやつには木じゃなくて蓮根でも描いてやりゃ良かった

どういう心理学的診断するか知らねえけどなw
診療費をさらに上乗せか?
0039考える名無しさん
2017/03/21(火) 21:16:38.000
自分が自由に生きてるか、主体的に生きてるかどうかなんて
客観的に証明できるのかな?「実感」なんていい加減な物に頼るわけ?
0041おとうさん
2017/03/21(火) 21:21:45.640
>>39
君も俺が考案した出会い系サイトで
実感してみてよ
0042おとうさん
2017/03/21(火) 21:27:14.640
2ちゃんねるなんて
解体しよう
0043考える名無しさん
2017/03/21(火) 22:20:32.570
 2015年10月に出た本で『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』と
いうのがあって。巻頭に千葉雅也と小泉義之の対談があるんだけど。
どうせ決まりきったことしか言わないんだろうと思ったら意外に
赤裸々に喋ってるのが面白かった。

 ただそこで二人がD=Gの分裂病分析について云うのを読むと、結局
いまだにどう読めばいいのかよく分からないというのがよく出ていた。
「変な人を肯定したいが変な人と云うのは同席するとイライラさせら
れる」いやD=Gのは「変な人」どころか病気の人ですよ。妄想に
駆られたり幻聴を聴いてたり、自分で自分がもう分からない人。
ちょっと甘いと思いましたね。「症状を出している人を視ると
肯定したくない場合が多い」そりゃそうでしょ。そういう度はずれな
人物をD=Gは提出して変革の土台だとしたがっているんじゃないの。
そこがまた本気かと吉本辺りに突っ込まれていた訳で。

 どうも、あの哲学にある概念人物について、安易なところでコミ
ュニケーション可能にしたがっているように見える。そんなもん
じゃないでしょうアレはと言いたくなった。『記号と事件』でも
ネグリとの対談で「今必要なのは腐りきったコミュニケーションで
貨幣に換算されるだけのコミュニケーションじゃなく、非-
コミュニケーションであり断続器である」とまで言ってる。

 そういう意図について、捉え損ねてるのじゃないかと思えたね。
「困った人」「迷惑な人」を肯定していいのか、とか。だって
本家が書いてたのはそういう人だから。やっぱり
本家はそこだけは「研究家」よりは本気だったと認識しましたね。
0044考える名無しさん
2017/03/22(水) 16:32:02.490
>>30
気分は悪くならないが、こちらのレスの主旨の把握がまるでできていない。
僕は、「ドゥルーズ・ガタリの主張」が「現代、現実に、働きかけるもの」では、まったくないと指摘している。

ちなみに、「理数系の世界でほとんど答えが出る」「真理」というのは、答えのあるもの。
文系の「真理」には答えがなく、価値観があるのみ。
だから、階級という概念も階級闘争という概念も成立する。

「地下茎的なノマド的な変化」などというのは、シールズや日本会議といった草の根運動と変わらない。
さらに指摘しておけば、それはナチスに象徴される、ファシズムの方法と結果と同じであり、TPPに象徴される、資本による経済権力の一元化と同じことだ。

その程度の現実把握もできずに書き連ねられたのが、「ドゥルーズ・ガタリの主張」だ。
0045考える名無しさん
2017/03/27(月) 15:38:30.810
「困った人」「迷惑な人」を否定しても仕方ないわけで
肯定するしかないんじゃないか、それも根底から
0046美魔女
2017/03/27(月) 15:56:41.770
>>30
哲学は定義できないよぉ

人間を物にしてるから不正解にしか行かないよぉ😃
0047美魔女
2017/03/27(月) 16:01:33.890
>>44
うわっ
カッコイイ 秀才様ですか😍
0048美魔女
2017/03/27(月) 16:23:40.420
>>46
続き

ですから
現実把握もできないんですよ♪
0049考える名無しさん
2017/03/28(火) 09:01:38.090
ダブルバインドを否定的に捉えたのがA.O、肯定的に捉えたのがM.Pである。

deleuze A.O#2:4
《ベイトソンは、たがいに矛盾する二つの秩序のメッセージを同時に発信することをダブル・
バインド〔二重拘束〕と呼んでいる(例えば、父が息子に、さあ、私を批判してみろ、と
いう。ところが父は、あらゆるほんとうの批判、少なくともある種の批判は歓迎されない
ことを強力にほのめかす)。ベイトソンは、ここに、とりわけ分裂症をひき起す状況を認
めて、ラッセルの階梯理論の見地から、この状況をひとつの「ナンセンス」として解釈し
ている。私たちにはむしろ、このダブル・バインドつまり、二重の袋小路はありふ
れたものであって、とりわけオイディプス化的な日常状況であるように思われる。》

#2:4
《…ダブル・バインドを深く洞察した最初の分析の実例は、マルクスの『ユダヤ人問題に
ついて』の中に見いだされるかもしれない。それは家族と〈国家〉の間の──家族的権威の
オイディプスと社会的権威のオイディプスとの間のダブル・バインドである。》

M.P#1
《グレゴリー・ベイトソンは「プラトー」という語を、きわめて特殊なものを指すの
に用いている。すなわち、さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち
震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向づけを回避し
つつ展開される地帯である。ベイトソンが実例として引いているのはバリ島文化
であり、そこでは母子間の性的な戯れ、あるいは男同士の喧嘩はあの奇妙な強度
の膠着状態を経由する。「一種の連続した強度のプラトーがオルガスムにとって代
わっている」、戦争にあるいは頂点にとって代わっているのだ。》

(「バリ―定常型社会の価値体系」及び「精神分裂症の理論化に向けて」参照。
共に『精神の生態学 』新思索社所収)

参考:Learning to Dance
https://i.imgur.com/g8XsVOc.gif
0051考える名無しさん
2017/03/28(火) 21:37:32.220
香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ 単行本 – 2017/3/24
中島 義道 (著), 永井 均 (著), 入不二 基義 (著), 香山 リカ (著)

永井が昨今の右傾化に絡めて吉本隆明を熱く語っている。
対する香山はドゥルーズデリダsage。
0052考える名無しさん
2017/03/29(水) 11:08:55.970
>>51
税抜き2000円か。
高いんだね。
この種の雑談本だと、1000円がいいところじゃないのかな?
0053考える名無しさん
2017/04/05(水) 13:20:03.950
日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。

急な出費などで、今月の生活費が足りない方。

総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。

多重債務でお困りの方。

誰にもバレずに借りたい方。

お金に関するお困り事や法的トラブル等HPに記載以外の事でも、お気軽にご相談下さい。

東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。

詳しくはHPをご覧下さい。
NPO法人 エスティーエー
0054吾輩は名無しである
2017/05/03(水) 19:47:05.350
【選者:篠原雅武(1975-:哲学・建築思想)】
現代思想の転換2017 知のエッジをめぐる五つの対話
篠原 雅武(編),中村 隆之(ほか述)

ディアローグ ドゥルーズの思想
ジル・ドゥルーズ(著),クレール・パルネ(著),江川 隆男(訳),増田 靖彦(訳)

ドミトリーともきんす
高野文子

あなたを選んでくれるもの
ミランダ・ジュライ(著),岸本 佐知子(著)

対面的 〈見つめ合い〉の人間学
大浦 康介(著)
https://honto.jp/booktree/detail_00003661.html
【選者:渡辺洋平(1985-:大学等非常勤講師)】
ドゥルーズと多様体の哲学 二〇世紀のエピステモロジーにむけて
渡辺 洋平(著)

ギリシア人の神話と思想 歴史心理学研究
ジャン=ピエール・ヴェルナン(著),上村 くにこ(訳),ディディエ・シッシュ(訳),饗庭 千代子(訳)

カントの自我論
中島 義道(著)

臨床医学の誕生
ミシェル・フーコー(著),神谷 美恵子(訳)

文明の生態史観ほか
梅棹 忠夫(著)
https://honto.jp/booktree/detail_00003662.html
0055どっちも良いよ
2017/05/05(金) 23:21:14.240
>>19

ウィトゲンシュタインこそ、知的遊戯の王様だよ。

ちなみにハイデガーもそうなのだ。いくぶんバカにしているかもしれない。

読んでて面白いが、よく分からない。

 ドゥルーズは、非常に苦労し、意に反して読むところが多々あり、ある段階がくると、「理解」が来る。
本物の哲学は、ドゥルーズの方にあるし、ある種の「分かった=喜び」が来る事が
こちらにある。

しかし、ウィトも、特にハイデガーに関しては、まだまだ、研究するべき
だ。というか、ハイデガーを我々は、ほぼ読んでいないのではないと思う。

ウィトゲンシュタインに関しても、。バカにしすぎた感はある。
それに、ウィトを一番理解しているのが、ドゥルーズという、妙な事態があるし。
0056考える名無しさん
2017/05/05(金) 23:34:54.560
>>55
>ウィトを一番理解しているのが、ドゥルーズ

時代が逆なら、自分が全否定されてるはずの相手を、一番理解している?
0057考える名無しさん
2017/05/06(土) 00:17:23.880
「意味の論理学」、「襞」で、ウィトを語っていたのは、ドゥルーズではなかったかな。

ウィトと宗教、ウィトの生涯、ウィトとの対話、ウィトと禅とかそんな本ばっかりで、ウィトの哲学の「本気の解説」が

無かったような気がするので、そういったんだけどね。
0058考える名無しさん
2017/05/06(土) 00:22:26.340
 ウィト一派を、学閥(排他的集団)として、哲学の暗殺と、アベセデールで語っていたことも
含めて、ドゥルーズは、敵に関してはするどい。ラカンもそのようなことを言っていたよ。
0059科学ーとー哲学
2017/05/06(土) 18:10:02.570
>>30

「真理の探究という意味ではこれは理数系の世界でほとんど答えが出るものとは
思う。」

そうかも知れない。でも、表層の領域があり、「車と言えば、車が口から飛び出る」byクリュシッポス。

「君が杖を持っていないなら、杖をあげよう、持っていないなら取り上げる」by、禅宗。

また、肉が切られるとき、切られるという属性が発生する、など、表層の出来事、に関して、

つまり、「言葉そのものに関して」の考察は、科学のあまりの無知に関しては、そこを自覚して

いただきたい。科学もまあ、唯物論的だ。こういう風にしかいえない。権利上成り立っていると。(つまり、想定した道理の基準を
満たす、実験結果によって・・か、ある種の仮定の上で、後で事実がそれを証明したか)。

誰も科学を否定しないけれど、ことに「人間」「言語」「脳」の領域になると、とたんに「トーンダウン」する。
ニューロンやシナプス、シナプス間の「空(から)」のこと、病気のこと、科学は、あんまり真面目に取り組む気が
無いのかとさえ思う。つまり、科学はいったい「何の役に立つのか?」という問い。

「何々星を発見」、「ロケットを飛ばした」、「メタンハイドレートの採掘法」など。部分的には科学はすごく役に立ってきた。

 科学もサイエンス「フィクション」だよ。言葉が崩れれば全部崩れるし、「真理とは何?」とう、ポンテウス・ピラトゥスの
言葉も今も、有効で、キリスト以外答えられていない。 

「真理の探究という意味では・・」これは、冗談としても笑えないよ。量子力学とかいう空想の科学もあるからね。
そっちの方「量子力学」は、そちらで葬ってもらいたい。
0060宇宙にいっているやつに言いたい
2017/05/06(土) 18:30:37.130
宇宙で遊んでいるやつに言いたい。

科学はフィクションは言いすぎだった。・・科学は役に立っている、

ただ、科学は、地球、宇宙、惑星とか、そんなことばっかりやって、

人間、病気、がん細胞とかの領域に踏み込まないんだ?素人的と
言われるかもしれないけど、「宇宙に生命体がいるか」はどうでもいいし、

衛星を飛ばしあって、戦争ごっこをするのは仕方ないとしても、

そんなことに税金を払いたくない。止めて貰いたい。ということ。Jaxaとかはいらない。
宇宙飛行士はいったい何の役に立っているのか?金持ちの道楽にしては、「それ風な顔」を

してないので、批判しづらい。が・・これが哲学の仕事なのだ。
0061考える名無しさん
2017/05/07(日) 00:10:25.080
>>57-58
ヴィトゲンシュタインを理解していれば、ドゥルーズもだいぶ違ってたんじゃないかな?

たしかに、哲学の暗殺者だけど、ヴィトゲンシュタインは、それを自認してたというか、それを使命だと思ってたわけだから。
0062ドゥルーズのレガシー、1
2017/05/07(日) 02:23:43.840
 まとめる気はないし、そんな能力も無いけれど

どの哲学者も、特に偉大な人、プラトン〜ハイデガなど。現在はジジェク?なのか、良く

分からないけれど、万能の人はいないし、万能である必要もない、

・・ランボーがくたばる、くたばったところから、誰かやり続けろ・・と、

同じく、ライプニッツ、ニーチェは矢を投げる、拾うものを期待しつつ、
ドゥルーズが拾った、しかも、巨大な威力で拾い、「矢」の必要なきところはそぎ落とし、

本質的な「矢」を放った。巨大な「矢」だけれど、簡潔になった「矢」でもある。

適当に言ったけど、本質は、「反時代的」「奴隷からの解放」「知的作業の継続」

これらのことが言いたかったのである・・と思う。

 
0063ドゥルーズのレガシー・2
2017/05/07(日) 02:24:36.910
例えば、アンチ・オイディプスで、「工場は監獄である」、比喩ではない。と言った、ドゥルーズ。

いや、言われなくとも分かると、「真に」言えた人がいるか?ということ。
もうあきらめて、そんなもんだよ・・と。そこから思考は、再起動し、鋼鉄の資本主義に

向う。ドゥルーズの教えは、「水漏れ」は必ずある、「反時代的エネルギー」は
必ずあるが、それを、「やつら」が逆に利用するという可能性もある・・。そういうことである。

あるコードがある。働け、責任、約束・・これは、埋め込まれて、体の底まで貫いている。

故に、反コードは「引きこもり」とか、名づけられている。人間は働くべきという
非常に強力なコードを利用している。結婚せよ。同じである。責任とかいうのもそうである。

なぜ、人間は「自ずから奴隷を目指す?」、スピノザ、ニーチェ、ライヒは問うた。
権利に責任が伴うとか、自由にも公共性の範囲内で、・・・これらを「最大限利用する」

やつらがいる。そういうことである。
0064考える名無しさん
2017/05/07(日) 13:11:06.540
このスレ適当なAAで埋めてもう次スレ作らないでほしい
0066考える名無しさん
2017/05/09(火) 17:15:27.480
以下、ドゥルーズ哲学とは何か#1「ひとつの概念とは何か」より

 もちろん、どの概念もひとつの歴史をもっている。わたしたちは、いま述べ
た他者概念によって、ライプニッツ、ライプニッツにおける可能的世界、そし
て世界の表現としてのモナド、この三つにまで遡ることができる。しかし、問
題は同じではない。なぜなら、ライプニッツにおける可能的世界はリアルな世
界のなかに存在するわけではないからである。その他者概念はまた、命題を扱
う様相論理学をも指し示している。しかし命題は、その真理条件に対応するリ
アリティーを、可能的世界に与えることはない(ウィトゲンシュタインは、他
者を、ひとつの他の主体とひとつの特別な対象のあいだで揺れ動くままにして
おくので、恐怖や苦痛についての命題を考察するときでさえ、そうした命題に
、或る〈他者の位置〉」のなかで表現可能な諸様相〔可能性、現実性、必然性
〕を見ることはできないのである)。可能世界〔という概念〕は長い歴史をも
っている(1)。…

(1)この歴史は、ライプニッツとともに始まるわけではないが、ウィトゲン
シュタインにおける恒常的なテーマとしての他者に関する命題(「彼は歯が痛
い‥…」)からミシェル・トゥルニエにおける可能的世界論としての他者の位
置(『フライデーあるいは太平洋の冥界』)にわたるほどの様々なエピソード
を経ている。
0067考える名無しさん
2017/05/09(火) 17:29:20.450
>>66
>ウィトゲンシュタインにおける恒常的なテーマとしての他者に関する命題

ヴィトゲンシュタインに、そんなテーマがあるのか?
0068考える名無しさん
2017/05/12(金) 22:44:12.850
>>14
ニーチェ然りマルクス然り
思想が実践に踏み込むと大体ろくなことにならないからどうなんだろう
ただイデオロギー闘争の時代が終わったのはドゥルーズの仕掛けだったりするのかしら
0069考える名無しさん
2017/05/13(土) 18:52:19.940
>>68
「思想が実践に踏み込む」とか意味不明じゃない?
現実に対する見かたや考え方が思想なんだから。
君が想定してる思想って、たとえばどういうもの?
0070考える名無しさん
2017/05/13(土) 23:05:48.690
>>69
理論と思想を取り違えてないか?
実践を伴う思想は珍しくもないぞ、ギリシャ哲学や諸子百家の中にもいくらもある
日帝だって根っこは朱子学だからな

実践が必要くらいならまだいいんだが考えるだけじゃだめだって思想家が時々現れる
考えるだけじゃだめだって哲学はほっとくと進歩主義になる
進歩主義は進歩も生むが成果や目標を求めてイデオロギーを生む
イデオロギーが成功した例はあまりない、思想から作物は取れないからな
0071考える名無しさん
2017/05/13(土) 23:52:01.210
>>70
また意味不明なレスがついたね・・・

現実に働きかけるのが実践。
現実を見たり考えたりするのが思想。
人がその思想を元に現実に働きかける場合はある。

思想がそれ自体で現実に働きかけるというのは言葉の錯誤。
せいぜい、声に出したときに近くの人間につばがかかる程度w

見たり考えたりすることがダメだという考え方も一つの思想。
それを実行するかどうかは、実行できる環境を作るかどうかは、人の行動。
実践の内容は、現実の関係の中でしか決められないので、思想そのものは、直接には、関係することができない。

イデオロギーというのはすべての人が持っている。
食品添加物を避けるというのも、食品添加物は気にしないというのもどちらもイデオロギー。
共産党も自民党も、イデオロギーによって政策を決めている。

現代の日本は、自民党という資本主義イデオロギーを標榜する組織が日本を支配している。
資本家階級という階級にとっては、成功しているイデオロギーだといえる。
0072考える名無しさん
2017/05/14(日) 00:09:06.900
二元論になってるぞ、お前行動する時考えてないのか
0073考える名無しさん
2017/05/14(日) 00:10:52.840
>>71
なんで明らかにどうでもいいことに噛みついてんの?
0074考える名無しさん
2017/05/14(日) 00:19:40.770
>>72
思考と行動は2元、あるいはそれ以上に決まってるじゃないかw

>>73
人は現実を無自覚に肯定している、と指摘しているんだが、理解できないのか?
これがどうでもいいなら、すべての学問がどうでもいいw
0075他者
2017/06/02(金) 23:22:32.860
他者については、ドゥルーズに従えば、?

 例えば、「恐怖」の顔の「他人」を見る。それは「恐怖」を表現している・・と
受け取る「何か」がいる、ただ「恐怖の表現」、と「その強度(とでもいおうか」」

は「お互いに巻き込まれあっている」、「表現するもの」と「表現される」ものは、

違うのである。というのも、「恐怖の表情」を「恐怖の表情」として受け取るわけではなく、

ある「何か」として、受け取る、そういう「風景」の関係が「自我」をつくるのである。
だが、「恐怖=顔」を受け取ったとき、受け取る点は、「それを」表現できるかどうか分からない。可能性としての表現。

ところが「それが」、自我の「別名」なのである。というか、自我の始まり、の中心になるのである。
それで、その「風景」らが、「他者」であると言えるが、既に、「巻き込み」をされている他者なので、
それが、「客観的」「主観的」を決めるのである。それを示しているのが「言語」なのである。
0076考える名無しさん
2017/06/02(金) 23:37:41.990
ドゥルーズは「内在:ひとつの生」でもサルトルの『自我の超越』に言及。
『意味の論理学』(邦訳下258頁)のトゥルニエ論の注でもサルトルの他者論を参照している。

《...ここでのサルトルは構造主義の先駆者である。というのは、サルトルが初めて、他者を、
固有の構造として、あるいは、対象と主観に還元できないと特殊性として考察したからである。
しかし、サルトルは、この構造を「まなざし」によって定義したために、対象と主観のカテゴリー
に再び陥って...》
0077考える名無しさん
2017/06/02(金) 23:47:27.570
>>75
>「恐怖」を表現している・・と受け取る「何か」

バカじゃない?
ただの経験に決まってるだろw

そんなものを積み重ねて客観だの主観だのというなら、たしかに哲学など抹殺されるべきだ。
0078考える名無しさん
2017/06/03(土) 00:54:55.870
>>77

「何か」は、まだ「経験」を言えない。まあ経験だが、それは「経験」を言う
前提だよ。 「経験」と言えるのは、自我が出来たあとだよ。
言い忘れたが、この前提は、いわゆる無人島ね。
0079じいさん ◆6rgGIYz09M
2017/06/03(土) 02:06:09.150
>>78考える名無しさん2017/06/03(土) 00:54:55.870
>「何か」は、まだ「経験」を言えない。まあ経験だが、それは「経験」を言う
前提だよ。 「経験」と言えるのは、自我が出来たあとだよ。

人が「何か」を認識する為には自我が立ち上がって無くてはならない。
例えばコップを見てそれをコップと認識する為には自我が立ち上がって無くてはならない。
大事な事はコップと認識する前の段階の「何か」というものは存在しないという事だ。
誰か「純粋経験」等といった人がいるが、そんなものは存在しない。
外界のコップの認識にはその人にとってのコップの心像というものが脳内で対応して始めて認識となる。
其れまでは単なる光の信号に過ぎない。
尤も貴方の言う「何か」が「光の信号」と言うことなら、勿論同意します。
0080考える名無しさん
2017/06/03(土) 12:43:06.170
>>78>>79
「自我」という言葉を無限定に使ってしまうような哲学なら、消滅した方がいい。
フロイトに遠く及ばない。

僕が「経験」と書いたのは、個人にとってのすべての関係という意味だ。
「自我」もまた「経験」により形成される。
もちろん、人類としての生物的な要素を含む。

ドゥルーズ(ハイデガー)のように、抽象的な「差異(存在)」のようなものを設定すること自体が、言葉の遊びだ。
何かがあるからそれを存在といい、その存在に違いがあるからそれを差異という。
逆ではない。
0081考える名無しさん
2017/06/04(日) 00:04:14.070
>ドゥルーズ(ハイデガー)のように、抽象的な「差異(存在)」のようなものを設定すること自体が、言葉の遊びだ。
何かがあるからそれを存在といい、その存在に違いがあるからそれを差異という。
逆ではない。

だから、哲学は「サイエンスフィクション」なんだ。権利上「そういうこと」が言えるということだよ。

ライプニッツの「モナド」も同じだよ。

例えば、「ビッグバン」の説と同じだよ。「そう説明したら、まあ納得できるかな」ということ。

それと、あんまり対立や、非難ばかりじゃなく、どうもそれが「原則」になっているのがおかしい。
馴れ合えとは言わないけど、お互い、ヘーゲルじゃないけど、「修正し合って」、止揚していけばいいのに。

この辺りは、日本人の欠点でもあるよ。「相手を怒らせて、理性を失わす」そして、議論する・・これは
イギリス人が得意なことだ。白人の知識層とか。関係ない話をしたようだけど、いったい、
田布施システムで製造された南朝推しの首相よりは、冷静でいよう・・と俺は思う。
0082考える名無しさん
2017/06/04(日) 00:32:42.590
>>81
別に権利などあるわけではない。
言葉というものがいかに恣意的に使われやすいかということを示しているだけだ。

自然科学系は、実験や観察の進化で事実が確認できる。
哲学なら、事実が確認できなくてもいいということではない。
その言葉が事実に即していなければ、修正も止揚もしようがない。

ドゥルーズ(ハイデガー)は、ただ(文法通りに)言葉を並べて意味(に見えるもの)を成立させているだけで、意味を持った論理にはなっていない。
現実と人間としての理想を追求したヘーゲルとは、まったくの逆方向だ。
0083考える名無しさん
2017/06/04(日) 02:15:01.630
>ドゥルーズ(ハイデガー)は、ただ(文法通りに)言葉を並べて意味(に見えるもの)を成立させているだけで、意味を持った論理にはなっていない。

権利の概念が分かってない。権利とは「〜できうる」と言うことである。そういう論理を構成した場合、それに反論する

論理より意味を持った論理の組み合わせが出来ているという「力」であるのである。、俳句が上手くいった場合、ある力が発生する。
文学も「大きな俳句」である、哲学は、力の質は違うが、巨大な力の組み合わせ(関係)である。地域 中国 ●▲3.11

ttps://www.youtube.com/watch?v=hCxcOM9wFXI&feature=youtu.be

俺は去るぜよ。・・。
0084考える名無しさん
2017/06/04(日) 09:12:52.500
>>83
>権利とは「〜できうる」と言うことである

そういう言葉の使い方を、恣意的といい、言葉の遊びだといっている。
言葉の定義を曖昧に、あるいは無視をして、文法通りに言葉を並べれば哲学になると勘違いしている。

ドゥルーズ(ハイデガー)と同じ、哲学の仮面をかぶったアリスの世界だ。
0085考える名無しさん
2017/06/04(日) 11:30:25.340
PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン/PIKOTARO
(ピコ太郎)
https://youtu.be/0E00Zuayv9Q

ドゥルーズ『意味の論理学』より
11.ナンセンスについて(カバン語)


 11.ナンセンスについて

…カバン語それ自体が二者択一の原理であり、この原理によってカバン語は二つの関係項を
作る(frumieux=fumant〔湯気が立つ〕+furieux〔怒った〕、 もしくは furieux+fumant)。こうした
語のそれぞれの潜在的な部分は、他の部分の意味を指示するか、逆にその部分を指示する
他 の部分を表現する。この形式のもとでも、語の全体はそれ自体の意味を語り、この新しい
資格でナンセンスである。実際、意味を与えられた名の、第二の通常の法則は、それらの名
の意味は、それらの名が入って行く二者択一を決定できないということである。したがって、ナ
ンセンスには二つのかたちがある。ひとつは退行的な綜合に対応するかたちであり、もうひ
とつは分離的綜合に対応するかたちである。
 こうしたことのすべては、何を語ろうとするものでもないという反対論がある。定義によって、
ナンセンスには意味がないのであるから、ナンセンスがそれ自体の意味を語るとするのは
駄洒落だというのである。こうした反対論には根拠がない。ナンセンスには意味がないという
意味があると語るのは、ことばのたわむれである。しかし、われわれの仮説はそんなことでは
ない。ナンセンスがそれ自体の意味を語るというとき、われわれはむしろ意味とナンセンスは、
真偽の関係を写すものではありえない特別な関係、つまり、単なる排他関係とは考えられえ
ない関係を持っていると言いたいのである。これが、意味の論理学の最も一般的な問題であ
る。真実の領域から意味の領域へと上昇したとしても、もしもそれが意味とナンセンスとのあい
だに、真と偽とのあいだにあるものと似た関係を見出すためであるならば、何の役にも立たな
いだろう。われわれはすでに、可能性の単なる形式として、条件付けられたものと類推して条
件を考えるために、条件付けられたものから条件へと上昇することがむだであることを指摘し
ておいた。条件とその否定との関係は、条件付けられたものとその否定との関係と、同じタイ
プのものではありえない。
0086考える名無しさん
2017/06/04(日) 11:31:04.910
鏡の国のアリス#6ハンプティ・ダンプティ

…「なるほど、よくわかります」とアリス。「では『ぬなやかな』は?」 「うむ、『ぬなやかな』は、
『しなやか』──『しなやか』は『活発に動いている』という意味だが──かつ『ぬるぬるしてい
る』ということだ。つまり、旅行カバンみたいなもんでね、二つの意味がひとつの言葉におさまっ
ているわけだ。」…河合訳

Lewis Carroll
THROUGH THE LOOKING-GLASS
And what Alice found there 1872
_____


かばん語 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%82%93%E8%AA%9E
かばん語(かばんご)あるいは混成語(こんせいご、英: portmanteau)とは、複数の語のそれ
ぞれの一部を組み合わせて作られた語である。語の一部ではなく全部を組み合わせたものは
合成語である。その語源からポートマントーとも。

ジェイムズ・ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』において、広く混成語を使用した。
0087考える名無しさん
2017/06/04(日) 11:34:19.880
http://tenhare.hatenablog.com/entry/2015/06/30/154812
事実問題と権利問題というのがあって、カント哲学では区別して考える。
事実問題は事実の確定に関わる問題で、権利問題は法律がその一例で、所謂べき論である。
僕は哲学も法律も専門ではないが、「働いていない」は事実問題で、「働いていないからダメだ」は権利問題になる。
働いていないかどうかは調べればわかるが、働いていないからダメかどうかは議論の余地がある。
両者を混同すると、話しがかみ合わない。
(だから事実と意見は区別しなければならない。)
0088考える名無しさん
2017/06/04(日) 11:41:08.540
真実は事実問題、
意味は権利問題、ということになる

ドゥルーズは後者を重視した

これはドゥルーズのヴィトゲンシュタイン(分析哲学)嫌いを上手く説明する
『哲学とは何か?』ではもう少し踏み込んで可能世界の問題として論じている

潜在性は事実としてある、というのがドゥルーズの主張だ
0089考える名無しさん
2017/06/04(日) 12:13:35.720
>>85
>意味とナンセンスは、真偽の関係を写すものではありえない特別な関係、つまり、単なる排他関係とは考えられえない関係を持っていると言いたいのである

自分が読んだ訳とはだいぶ違う言い回しだけど、内容に変わりはない。
ここでも、「ナンセンス(無ー意味)」の定義をすり替えている。
「ナンセンス(無ー意味)」の定義とは、「石は豆腐と呼ばれている」というような偽であることなのだ。

そこに意味を見出そうとしても、言葉の遊びにしかならない。
言葉の遊びが面白いと感じる人もいるだろうし、幼児のように言葉の遊びで関心を買おうとする人もいるだろう。

しかしそれは、哲学(人間や社会の分析)にはならないし、幼児の砂遊び以上の「意味」を持つものでもない。
「ナンセンス(無ー意味)」にこだわろうとした時期のドゥルーズの幼児性を表しているだけのことだ。

その後のフロイトやマルクスへの言及が、著しく定型的なのも、その幼児性に源流があるのかも知れない。
0090考える名無しさん
2017/06/04(日) 12:19:33.680
>>87-88
「働いていないからダメだ」は、法の倫理の側面としての義務の問題ではあっても、権利の問題ではない。
権利と義務という言葉の混同だ。
真実が事実でもないし、意味が権利でもない。
0091考える名無しさん
2017/06/05(月) 22:20:16.240
>>84

そうなれば、定義とは何か?となる、そしてそれが決められたとしても、

誰が決めた?となる。 そういうわけで、表象は、表象以外になる他無い。それに頼るしかない。
定義は、その定義を表現する表象の組み合わせに
よる「強度」に、「力」になるわけである。表象の意味も、それ以外のものによって決定されている。無意味な表象、意味ある表象

いずれにしても、表象それ自身に決定権はない。「権利」は、法律と必然的な関係はない。

未開の部族の村に行って「襲われても」、弁護士をよぶ権利がある!というのは、ばかげたことだろう、そういえるのは
ある種の国家の中でだけ、通用するのである。国家の「力」を「足して」通用するのである。通用しなければ「権利」とはいえない。

これまた「権利」概念の論争になるが。

やはり、権利とは「〜できうる」、「為すことが出来うる状態にある」と言うことが出来うる状態が確実である・・というのが
一番近いだろう。と思うのだが。要するに、「曖昧」にしておくことは、実は「曖昧」ではないからである。
0092考える名無しさん
2017/06/06(火) 09:43:25.180
>>91
まず、定義の話ね。

君のような循環論法を、言葉の遊びというんだよ。

つぎに、権利の話ね。

君の言ってる権利というのは、「女にも男を選ぶ権利がある」ということだよ?
それでもいいけど、そんな言葉の使い方をしても、実態が伴わなければなんの意味もないだろ?
哲学や思想で「権利」という言葉を使いたいなら、ミルのように社会的な問題と個人的な問題を分けなきゃいけないんだよ。

君たちが蛇蝎のごとく嫌っている吉本隆明も、社会の実態になんの力も及ぼさなかったことでは君たちと同じだ。
でも、個人と社会の問題を混同することはなかった。
そこだけは見習った方がいいと思う。
0093考える名無しさん
2017/06/08(木) 00:37:42.450
>92

>A[やはり、権利とは「〜できうる」、「為すことが出来うる状態にある」と言うことが出来うる状態が確実である・・というのが
一番近いだろう]

に対して

>B「君の言ってる権利というのは、「女にも男を選ぶ権利がある」ということだよ?」

は違うね。?がついてるのは見逃すよ。よく読んでくれ。「女には男を選ぶ権利」というのは、単なる可能性だ。

Aの言いたいことは、「男を実際に獲得できる状態にある」・・そういうふうに言って「その可能性」の方に傾き、傾向が
あるということだよ。「そのように言っても問題ないどころか、説得力がある」ということだよ。傾きが、可能性より「より離れて」
「実現性」の度合いが高いと「思わす」効果があるということ。

これを「力」と言うんだ。何かを思わせる「傾き」をさせること・・それを力という。物理学的な意味ではないが。
0094考える名無しさん
2017/06/08(木) 01:09:27.600
>>93
「〜できうる」、「為すことが出来うる状態にある」と言うことが出来うる状態が確実である・・というのが、「可能性」でなければ、なんだというんだ?
「力」だの「傾き」だのという曖昧な言葉で誤魔化しても、なんの意味もない。
それを言葉の遊びと指摘してるんだよ。

その証拠wに、ドゥルーズは現実においてなんの力も実現できてないだろ?

おまけで指摘しておくと、「?」を「見逃す」のは、言葉の感受性が弱いんだよ。
「、」も「〇」も「?」も、そして、もちろん空白も、言葉として大きな意味を持つんだよ。
言葉に対する感性が鈍すぎるから、言葉で遊んで満足していられるんじゃないかい?
0095考える名無しさん
2017/06/08(木) 01:31:36.680
>>94

 現実とは、労働、社会のことかい?それこそ騙されているよ。

現実は「これだ」って決められているわけではない。

どんなものも現実だよ。「お前は社会を知らない」とか、

そういう言葉にひっかかる人は、「労働力」にされるよ。
「厳しい」から現実、楽なのは「非現実」とかいうのも、おかしいね。

働かない・・っていう選択肢はないようになっている・・それが「社会」だ。
お金を得るぞ!と「脅迫」されている人、それは資本家やユダヤ人、

今や、人間自身が資本になっている。ユダヤ人が「お金を持っていないなら」、
彼は、ユダヤ人ではない。そういうふうに「金持ちユダヤ人」は言うだろう。

つまり、人間も「資本」になってしまったのだ。
0096考える名無しさん
2017/06/08(木) 01:49:46.510
>>95
どこまでいっても、言葉の遊びだね。
社会も経済もわからない君に、いちいち言葉の遊びを指摘することはしない。

君は言葉だけだから、どんなことにでもどんないい回しでもする。
石とは豆腐のことだ、と言ってる相手に言葉を返すのは無駄だ。
繰り返しておくが、せめて、言葉の定義ぐらいは自分で自覚しておけ。

ドゥルーズと同じように、マルクスを読んだことはない、と威張りたいんだろうが、それも愚かなことだ。
現代の資本主義社会を理解するためには、マルクスは依然としてもっともすぐれた経済学者だ。
現実を見ることができなかった幼稚なドゥルーズがそれに気が付いた時には、気の毒なことにもう時間が残されていなかったようだ。

君にはまだ時間があるのだろうから、少しは現実を見る訓練をしたらいいと思う。
どうせ、君の言葉の感性は鈍いのだから、せめてもの、哲学に近づく方法だろう。
0097考える名無しさん
2017/06/08(木) 01:53:34.820
現実を言うなら、例えば
鬼塚英昭氏のdvd,youtube を見てくれ。

これの真偽はともかく。日本がタルムード法典の「ゴイム化」
の過程に入っていることを。

俺は陰謀論信者でではない。
0098考える名無しさん
2017/06/08(木) 02:25:19.620
>>96

資本家が尊敬されるのは彼もまた資本である・・マルクス。
0099考える名無しさん
2017/06/08(木) 11:54:36.760
>>98
マルクスがどこで書いてるのかは知らないけど、言葉として変だよ?

訳者のせいなのか、転記ミスなのか。
0100考える名無しさん
2017/06/08(木) 11:56:04.580
>>97
世界の歴史は陰謀だらけだよ。
ただそれが一般に知られることがごく少ないだけ。
日本の陰謀の元祖は、ヤマトタケルかな・・・w
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況