ミニマムな空間として1bit時空間を考える。
考えられる状態は2つ。
2つの状態が「同時」に「ある」ということはない。
最初から「時空間」といっているので、「同時」などということは不要だ。
とすれば、2つの状態とは「可能性」であって、(実際の)「状態」は1つしかないはずだ。

「可能性」は「実現」できるのか?
といえば、「実現」できないのであれば「可能性」はない。

1bit時空間といった時点で、(実現の)「可能性」が「ある」のは間違いがない。
問題は、「可能性」というものがどこから来る/来たものなのかということだろう。

このスレでいう、論理学や集合論は、まず、「可能性」がなくては成立しない。
すなわち、「可能性」が「ある」という前提で理系学問が存在可能であり、
哲学は、その、「可能性」について議論するものでなければならない。
かくして、「認識論的可能性」は廃棄されるべきものであり、「存在論的可能性」のみが残る。

「可能性の存在証明」
これがブートストラップになる。
その証明のために、どのようなロードマップをつくるべきか。