意識のハード・プロブレムについて考えるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
仮説を立てたら実験して確かめるという科学の手法や
物理法則性を数式化することは
人間にとって宇宙の姿をだいぶ分かりやすいものにしてくれたが
同時に思考の制限もかけてきた
マクロ世界に生きる動物である人間の思考回路はどうしてもマクロ向きにできてるから
素粒子なんか世界は直感的に分かりにくい
相対性理論も量子論も常識から一歩踏み出す必要があった訳だが
そういうときに普段から何でも疑ってかかり妄想ばかりしている哲学の出番になる
もちろん未開時代のオカルトに陥らないように最低限の科学的思考回路や知識は必要だけど 人工意識を考える。
Glasgow Coma Scaleで考えてみる。
1.Eye opening
開眼といわれても困る。人工意識がセンサーを有していれば、センサーの活動ということでよいかもしれない。
2.Verbal response
言語、ということは、人工意識と会話が成立しなければならない。
これはハードすぎるので先送り。
3.Motor response
運動だが、反応ということでよいだろう。
人工意識に意識があるかどうかの判定は「反応」で判断するしかなさそうだ。
どのような「反応」が考えられるのか。まずはそこからか。 人工意識は「主観」を持つか?
そして「反応」によってそれを確認できるか?
情報が集まって、それが処理されているならば、主観と呼んでもよいかもしれない。
そして、その処理(の一端)をトレースして、そのトレースされた情報を処理している過程が「意識」ということになる。
処理をトレースしている処理がいる。
しかし、「反応」しているのは前者の処理である。
とするならば、後者の処理が「意識」である。
ある「反応」対する「意識」は(その)「反応」に介入できない。
ただし、「反応」する部分に「意識」からの情報はフィードバックされる。
このような人工意識をAIで作成するとするなら、
反応するAIと教師としてのAIの2Core構成になるだろう。 主観を持つか?では無く
正しくは主観を錯覚するか? ちょっと違うなぁ。
人工意識が「主観」を持っていると(外部から)判断されるか?
ということ。
「錯覚」するのであれば、それは試験実行者側。
ここで問題となるのは、人工意識が自発的に意識を持つのか、主観的処理を行うように設計されるのか、ということ。
そうなると、本当の被験者は「試験実行者」の側であるw
人工意識の実験によって試されているのは「試験実行者」だ。
ややや、この逆転は「使える」。月蝕がみられなかったけど、アイデアひとついただき。 「主観的処理」というのは意味が分からんな
基本的に宇宙には偶然か必然のどちらかに依存した機械的処理しか存在していない前提は崩してはならない
そうでないとただのオカルトになってしまう
その機械的処理にクオリアと呼ばれる意識体験が随伴するのかどうか
これが外部から観察することができないのでとても難しい、まさにハードプロブレム クオリアを持ち出さなくても物体の振る舞いは正確に予測できてしまっている
コンピュータも宇宙探査機も原発も期待通りに動作してくれている
人間も同じように機械であるはずだという考えが哲学的ゾンビというモデルを生んだのだが
そうしたモデルが想定され今こうして文字として物理世界に還元されている時点で
クオリアなくして物体の振る舞いは説明できていないという矛盾に直面することになる
本当に難しい、、、 科学的検証によって物事が整合するというのはクオリアからすると単なる空想の産物である可能性があるわけで
近代以降はそうした、この世界は存在しているのかという答えのない疑問を切り捨て認識の有り様に目を向けるように
なっていったんだろう
あと、哲学的ゾンビと言うのものは
我々と同様に振る舞いながら意識体験を持たない哲学的ゾンビは人間とどこが違うのか?という命題だから
人間は機械なのかということとは直接的に関係ないと思う コンピュータやロボットの工学的な処理のことは全然知らんのだけど
画像認識とかどうやって「人間の顔だ」って判断してるのかな?
0/1のデータが連続的に入力されてきて、
その並びがあるパターンの範囲に収まったときに判断されるんだろうけど
文字通り主観になるけど
人間の意識体験はどうも「一発で同時に」やってるように思えるんだよな
パラレル処理というのとも違って、何かゼロ時間で一気に全体を把握できているような
ゼロ時間というのは、つまり情報伝達速度が光速を超えているということ
人間の神経伝達にはたぶんコンピュータの処理のような「ここがスタートだよ」みたいな目印はなくて
かなりバラバラなタイミングでインプットが来てると思うんだよね
それを物理的な時間の「同時」を基準にしてゼロ時間で認識しているように思えてならない あーそう、だから空間的な広がりを持つ認識装置があったとしたら
情報伝達速度が光速を超えることになってしまうから
クオリア界はこことは違う0次元?の別世界なんかなとか 「なぜ私は私なのか」とか「意識の境界問題」と並んで不思議に思うのが
動物として生存・繁殖のために有効な体験には「快感」がともない
避けるべき事態には「苦痛」が伴うことなんだけど、
人体内部で起こっているあらゆる物理状態を測定できるようになって
A:傷を負ったと考えられる信号が来たから手を引っ込めた
B:「チクッ」としたから手を引っ込めた
Aで説明できてしまったら「じゃあケガしたときに快感のクオリアが発生していたっていいはずじゃん」
ってなる、でも現実はそうじゃないから、おそらくクオリアから物理界への何らかのフィードバックはある 問題は、「判断」があるかどうかではないでしょうかね。
つまり、「赤」か「青」かどちらなのか、自ら判断するかどうか。
つまり、自由意志の問題(それがあるのかどうかといった根本的な問題を含むのですが)
になってくるのです。
それがあるのかどうかですね。 >>184
前半はよく分からなかったけど
後半については1+1=2くらいの確からしさで「ない」と言える
なぜなら物事の因果関係には「偶然」と「必然」の2つしか想定できない
(お互いに補集合の関係になっていてこの2つを合わせると全集合になってしまう)ので、
「自由」なる第三の概念の居場所はない 偶然が因果関係と関係するなら、因果関係と直交するものがある。
因果関係としての必然・因果関係としての偶然・因果関係でないもの。
自由は束縛されない。
そう考えるなら、自由意志は非束縛項として影響を与えることができる。
しかし、それは、もはや自由意志という本来の意味とは異なる。
それを因果宇宙の外部にもとめてしまうとつまらない。
それも因果宇宙に組み込んでしまうのがベターだ。
G.ベイトソンの手法を使おう。
自由意志とは、本来の意味を捨ててしまうなら、非束縛因子である。
必然因子・偶然因子・非束縛因子。これらから因果宇宙が形成される。
と、考えてみた。
Judea Pearlの統計的因果推論を読み直してみよう。 ほとんどの言語に「自由」に相当する語が大昔からあるんだとは思うけど、
物事の因果関係という完全に物理学の領域の話を考えるときに
その無邪気と言うかプリミティブな概念をそのままの形で使っちゃったので
後の人々が色々困ることになっちゃったんだよな
昔々教会で、
「神は間違えを起こさない」「選択を誤らない」「神の選択肢は初めから決まっているのだ」
→「それじゃ神って機械じゃね?」ってことになり、神にはいわゆる自由がないことが自明となり
宗教家たちはそのことで頭を抱えた ・・言葉が足りなかったようなので、書き直しします
AIなどの人工知能が「赤」か「青」か判断が自由な状態で自ら判断するか、
少なくとも、そのように自由な意思をもって判断しているように見えるか
どうかが問題になってくるとおもいます。「自由意志」らしきものが、機械
に見えたとき、それをそのまま人間にスライドさせて真の意味での「哲学的
ゾンビ」としての人間があらわれ、「自由意志」と呼ばれるものの完全なる
否定が出来てしまうだろうということだとおもいます。
味のことです。 味のことです。←無視してください。書き間違えました。 自分は決定論に気づいたのは今から27年前、15歳のときだ
生物の時間に神経を伝わっている信号が電位であることを教わり
「ふ〜ん、じゃあ人間がアタマの中で考えると何もないところからフッと電子が現れるの?」
「ねーだろ、電子は隣の原子から貰ったんだよ、隣の原子は?アレ?アレ?アレ?ビッグバン???」
小学生の頃に算数が好きで難しい問題によく挑戦していたんだけど
その当時から解き方がひらめくかどうかはほとんど偶然依存だなというのは薄々思っていた
因果関係に偶然は想定可能ではあるけど、現実世界は基本的に必然で成り立っているよ
そうでなかやおっかなくて地球上で人間として生きていられない 昔は自分で気づくかそういう本読むか大学生くらいになってそういう話するようになるか
決定論を知る機会や時期にある程度制限があったけど
今はネットで若いうちから知ってしまうから大変だよな 機械に「自由意志」が無いことは明らかです・・ ・ 。 ハリポタの原作者が「魔法を信じない人なんて信じられません!」と言っていた
彼女が言う「魔法」とは何なのか?と考え、下のような結論と言うか仮説に達した
・現象に物理的な因果関係が認められないことを起こす力 例えば俺が「動け!」と念じたときに、
自分の手であれば動いてくれる、がそこの消しゴムは動いてくれない
手には神経的な連絡があり消しゴムにはないからだ
では次に俺が「動け!」と念じたその行為そのものにはやはり物理的に説明できる因果関係は存在するのか?
もしなければ、俺は「魔法」を使ったことになる
もしあれば、俺は「機械」ということになる
ある部分では魔法が使えて、ある部分では使えない、そんなことは、果たしてあるのだろうか? 文字を打ち込むことがとんでもないお金に変わって魔法のように思えたと言うのはあながち不自然じゃないな 「意識のハードプロブレム」を論ずる前に「意識」や「主観」と呼ばれるものが果たして、
本当にあるのかどうか、という問題がまずは提起されるのではないかとおもいます。その
「意識」と呼ばれるものを、目の前に差し出すことが出来ないがゆえにそれがありやなし
やの判断が簡単ではなくなってくるのですが、その存在の端緒は「自由なふるまい」に見
いだされるのではないかとおもいます。(自らの自由な判断をもとに動いているかどうか)
自然法則による因果的必然性などに拘束されない「自由なふるまい」(自由意志)こそ目
に見ることの出来ない「意識」の存在を外から感じさせるものと言えるのではないでしょう
か。 自由意志がない場合でも、意識が存在するということはあり得るのだろうか 意識をめぐる冒険 クリストフ・コッホと
〈わたし〉はどこにあるのか マイケル・S .ガザニガが机の上にあるが、まだ未読だ 機械に「自由意志」は存在していないとわたしは書きましたが、それはAIなどが
いかに人に近くとも、ある「反応」としてのみしか作動し得ない点にあります。
人間(他の生物も含めて)は何かを待たずとも自ら動きまわりますよね。 「意識」というのは心の哲学を考えるよりずっと以前に初期文明人の時点で持っていた言葉のはずで、
大して抽象的な概念でもなく、今ごろになって現代人が掘り返して実在を疑う価値があるものではない
しばしば論題に上がるのは、ハードプロブレムであることと、
仮説→実験→測定という、いわゆる科学の証明手法が適用できないという特有の問題があるからだ 唯物論的な生命観がもたらす虚無感は人間心理的にかなり耐え難いもので
よく分かっている人ほど悩み苦しみ
デカルトの有名な言葉のように最後にはちゃぶ台返ししてしまうなんてことまである
オウムの件で20年ぶりに「どうして理科系の秀才たちが?」なんてまたTVでやってたけど
考えれば考えるほどあり得ない「主体性」にしがみつこうとすると、
宗教(超自然)くらいしか受入れ先がなくなってしまう ここからの半世紀で心の哲学が解決しなければならない問題は
再生医療で割と短期間で脳のそれなりの割合を交換することが可能になったときに
人格が連続するのかということになるだろうな
あとは今既に冷凍保存されている脳、機械に例えると一度電源をOFFしたものが、
もう一度ONにしたときにOFF前と同じ人格を生み出すのかどうか
クオリアもなんらかのエネルギーだろうから一度連続性を途絶えさせると別物で置き換わってしまうのかもしれない あとは、
AIの自動操縦が事故を起こしてしまったときにAIに責任を問うのかとか、
AIに人格を認めた場合、電源OFFは殺人扱いになってしまうのかとか、
刑事裁判もそうなんだよな、
今は「犯罪の選択は回避可能だった」というオカルトな前提を承知で行われている 再生医療とAIはいろいろ危険なんだよなぁ
今まで見て見ぬふりしきた人類にとって非常にやっかいな問題にマジメに向き合わなければならなくなり
また一般ピーポーにまでそれが知られてしまうことになる
シンギュラリティなんて言葉が流行り、ビッグヒストリー的な本がたくさん出版され
人々が文明の行く末に不安を感じ始めてきている 機械に「自由意志」は存在していないだろう、という言い方に変えておきたいです。
いずれにしても「自由意志」は否定できないのではないでしょうか。つまりそのよ
うに「意識」も存在しているはずです。 実証主義的立場に立って
実際に機械あるいはAIに自由意志を持っているか問えばよい
無論AIは嘘をつけないように設定する 同様に、AIにクオリアを持っているか問うてみるべきだ
もし持っていると答えれば、回路やプログラムを単純化して、もう一度問う
これを繰り返して、クオリアを持たないと答えたとき、単純化したシステムの差分にクオリアの原因があると見当がつき、
意識のハードプロブレムは解決する
持っていないと答えた場合、次に考えられるのは、人間とAIの差分についてであり、
またAIにクオリアを持たせることが可能なのかということだ AIが自分でもクオリアがあるかどうかわからなかったらどうしようか 人間でも時々自分が今どういう気持ちなのかわからないって人おるしな よくスーパーコンピューターが「1秒に何百兆回の計算」とかやってるけど、
計算のカウントの仕方によっては人体だって負けていない
イメージしにくいことだが、
細胞内部のようなミクロな世界での化学反応の連鎖の速度には凄まじいものがある
神経を伝わった電位が末端のチャネルを開いてカルシウムイオンが放出されて次の神経に…
なんてのを繰り返しているが人間の体感的には
(今俺がキーを叩いているような)脳からの命令は瞬時に全身に伝わっている
精密な半導体の技術も素晴らしいが、
生物の体内で起こっている無数の有機物(炭化水素)の連鎖反応の速度と複雑さは
たぶんまだその5〜10ケタくらい上を行っている なのでAIにクオリアが生じるかと言ったら、実際厳しいと思う
高度な計算はできても、クオリアはネズミにも劣るレベルになるであろう
自分は厳格に機械論の立場だが、
今のテクノロジーの延長上にあるマシンでがクオリアを理解・解明することは無理だと思う
有機物を使う必要がある、で、その有機物も複雑なことをさせようとするとタンパク質ということになって
結局今の生物と同じ姿になってしまう わたしは、別のスレでライフゲームのセルオートマンについて書きましたが、
高度なAIよりもこの格子状に簡単な計算式を受け渡して見えてくるセルの動き
の方がより生き物のふるまいに近いと言えるとおもいます。いわば、人工生物
(そのように見える)のようなものでしょうか。 当時の大東大付属は4割が内部進学で残りが他大学を受験するか、専門学校に行くかもしくは
就職するかだったとのこと。太田の成績は内部進学も厳しいレベルで横浜映画専門学校へ入学
することになっていた(クラスの進路状況のコピー記載あり)。ところが突然太田から担任に日芸
を受験するので2通内申書を書いて欲しいとの申し出があった。当時の大東大付属からは日芸
の映画・演劇学科の2学科は人気があり成績上位者も一人も合格実績がなかったし受験勉強を
している感じもなかったので無理だと思っていたが後日合格を聞かせれ2度驚いたとのこと。
しかも傾向と対策を授けられたにもかかわらず、英語はほぼ0点で指導した職員も逆に驚いた
ぐらいだったらしい。死人に口なしは太田にとって有利なのでは? ・・意識の存在を意識によってのみ判断するというようなことは出来ないことでしょう、
大切なのは意識やクオリアを科学的な手法によって観察出来るかどうかであり分析出来
るかどうかにあるからです、当たり前のように思えますがここに意識のハードプロブレ
ムのまずはおおきな問題があるとおもいます。 ・・・現象のクマモンとしても「意識のハードプロブレム」について、いろいろと考え
てみました。
物理的領域の因果的閉包性が何故おこるのか、まずはそれに関して大胆な仮説を立てて
みます。われわれの意識はこの三次元世界に存在してはいないのではないだろうか。つ
まり、われわれの意識は三次元から四次元以降の次元ににじみだしている、と考えてみ
ます。 ・・・例えば「時間」です。「時間」は概念としては誰もが理解しており、感じることが出来る
ものですが、「時間」そのものを見たり手にとることは出来ないのです。はっきり言えば「時間」
は四次元のはずで見えないにもかかわらず有るとされています。何故でしょうか。「時間」が四
次元だとするとそれをはっきり認識出来るわれわれの意識もまた四次元の属性を持っていないと
いけないことになるはずです。 ・・・物理的領域の因果的閉包性とはつまり、目に見えるこの三次元世界を意味している
のではないでしょうか。われわれの意識は四次元以降にも(そう四次元以降にもです)存
在していてそがれゆえに「時間」も認識できるのではないでしょうか。 ・・・「存在」に関して、目に見える見えないであるかなしかを問うことは出来ないかもし
れません。「時間」がそのよい例だからです。時間=tは、物理の方程式にいくらでも出てき
ますよね。
「意識」も存在するのです。 次元の話をすると
例えばベクトルのある成分は
いくら引き伸ばしても縮めても、他の成分に全く影響しない
意識もこのようなフィードバックのない一方通行的なものなのかどうかだね >>210
クオリアという言葉を定義することが困難に思える
というか、不可能かもしれない 人間の時間感覚を、物理の時間と同一視するのは、
素朴実在論という感がして好ましくないなあ 言葉遊びはよろしくない
人間の体内や意識を含め
世界で起こっていることを数式化して説明するのが物理学
情報というものに一番マジメに向き合っている 言葉遊びはよろしくない
人間の体内や意識を含め
世界で起こっていることを数式化して説明するのが物理学
情報というものに一番マジメに向き合っている 「物理領域は因果的に閉じている」
こんな言葉が生まれた理由は「因果的に閉じていない」と言う輩がいたからに他ならない
「因果的に閉じていない」状態というのは、
物理法則を打ち破る超自然的な力、つまり「神」とか「自由」が存在するということだ
クオリアはオカルトではないので、当然物理的領域の一員だ
心の哲学はまずこの辺の誤解を解くのに苦労してきたし、今後も苦労することだろう そら物理学的に何かしら説明されるだろうけど
その説明が人間にとってふさわしい説明かどうかは疑問を持っていてもええんやないの 言語(リングイスティック)ゲーム ≒ 言葉遊び とすればどう? 「時間」は、観測し得るものですが、「意識」は観測しづらく(というよりも
観測出来ないもの)、この点が「時間」と「意識」の異なるところです。 最近意識の漏れが気になる。テレパシーもいいんだけど、時間もヒントだよなあ。 観測とは情報を得ること
だから光速度以上の速度で遠ざかっている遠くの宇宙や
非常に重力が強いブラックホールの内部など、
情報を得ることが不可能な領域は観測ができない
意識の観測ができているのかどうかは判断が非常に難しいのだが
少なくとも1人格の内部では情報が得られているので観測不可能なシロモノではなさそう
外部人格からでは観測できたのかどうかの判断が非常に難しいのが問題だ
素粒子やナントカ波の観測も痕跡と理論から間接的に情報を得ているのだけれど、
意識については今のところ測定方法がまったく分かっていない 頭部の結合双生児は
互いが考えていることが分かったりするそうなので
実現可能かどうかは置いておいて、
理論上は神経組織で脳を接続すれば主観的な意識観測は可能なのかもしれない
一方、癲癇治療で脳梁をぶった切った患者の口からは
左右の脳の担当領域で起こる意識体験が出てくるし
その矛盾を自覚したりもするようなので
神経組織じゃない何かで情報のやりとりが行われている可能性もある ・・科学はほとんどわかりませんし詳しくはないのですが、「時間」のように観測可能で
人が感じることが出来てかつ物理の数式にも出てくるものとして「重力」があるのではな
いかとおもいますが、質量によって生じるとされるこの時空の歪みによっておこる物を引
つけるパワーもまた目にはみえません。最近になってこの「重力」が別の次元にも飛んで
いってるのではないかとされていますね。 相対論と量子論を整合させようとすると宇宙が10次元とかそれ以上とかだと上手くいくそうで
で、余剰次元に漏れてるから重力は他の力(例えば静電気力)より弱いとかなんとか
仮説にすぎないんだけど、どうなんだろうね?
例えば宇宙が見えないけど4次元空間だったら、
1辺が2cmの立法体の質量は1cmの立方体の8倍(2の3乗)ではなく16倍(4乗)になるはずだが、現実はそうではない
ここを速度によって質量が変化する相対論で辻褄合わせたりするそうなんだけど、なんか無理やりっぽいw
西洋文明が物理法則を数式化したのは画期的だったんだけど、
数学が0除算とか無限とかを扱い難い弱点を持っているので、根本に近づけば近づくほどボロが出るんだろうね 数学というのはかくも遅々として進まないものなのか、退屈だよ。人生。
しかもマラルメの詩のほうが進んでいない。 ・・・仮に、「意識」がこの三次元空間になかったとして、しかし目に見えないところ
にはあるのだと言ってしまったとしたのなら、それにはあまり意味があるとは言えない
とことになるでしょう。「意識」が物質として存在しているかどうか(あるいはそうし
た随伴現象として)が問題なのであり、それを無視してしまうと、やはりもとの二元論
にかえってしまうからです。
わたしは、「意識」は物質としてこの世界に実在しているはずだと思っています。 心の哲学とか意識のハードプロブレム的には
意識の所在は関心事になるけど
たぶんこの問題も実用面の方から切り崩そうとしていくだろうから
まずは人格が連続する理由から解明しようとするだろうね
脳のダメになったところを万能細胞から再生させた組織と交換して
果たして精神の同一性は維持されるのだろうか、とかそういうところ ・・・、「意識」は、素粒子のようなものかもしれません。私は、「意識」は四次元の
性質を持つ素粒子ではないかとかんがえています。 物理界がなかなかマジメに取り組んでくれないんだよね
難し過ぎるのと、まだ手ごろな問題がいくつも残ってるのと、
あとやっぱイロモノ扱い受けるからなんだろうけど ・・・原子核を構成する素粒子の中に、この世界から姿を消すものがあるという矛盾にぶつかり
5次元の研究を始めた、あのリサ・ランドール博士の研究にヒントがあるのではないでしょうか
つまり、ある時に別の次元に飛んでいったりする種類の素粒子がわれわれの意識の正体ではない
かとおもうのです。向こう側に行ったり、こちら側に来たりする様な、それを次元をまたいでや
っているというような、そういうとても特殊な物質こそが「意識」ではないかと、わたしは思い
ます。 ・・・しかし、この素粒子の存在はあくまでも、リサ・ランドール先生の世界最大規模の衝突型加速器
による実験が成功した後にしか確かめることはできません、つまり現時点ではなんともいえません。 理論物理学なんて半分は高度な数学、半分は哲学の世界なんだろうな
既成のものとは違った、縛られない世界の見方ができなきゃならんだろう
次元なんてベクトルだと思えば別に人間が知覚しているような立体的な空間が必要な訳じゃない
時間も要らないのかも知れない
意識体験が後追いで時間を感じているだけで、宇宙は瞬時に終わってるのかも知れない ・・指先で鼻のあたまを触ると、われわれの感覚としては、指先と鼻は同時に接触し、触れ
られたという感触がありますが、実際には鼻と手の脳への伝達をつかさどるニューロンの長
さのちがいにより僅かな時間差が生まれるのだそうです。つまり、同時ではない、われわれ
の意識(脳)は後付けで、同時に触れたものと説明してしまうそうです。 なるほどね
自分は右の鎖骨と上腕骨が左よりも計2-3cm長くて、
高いところのモノに「左だと届かないけど右だと届くな」というのをよく無意識に判断しているんだけど、
これ自分の感覚としては「経験で知っている」よりは「神経の長さなどが自律的に判断している」ように思える
例えばある日突然左右の長さが同じになったら、その状態を全く経験していなくても
「左でも届く」ことが分かりそうな気がする
初めてやるスポーツでも「こんな風に体を動かせば上手くいくはずだ」が分かる体験はあると思うけど、
そういう「直感」的なものって、脊髄とか抹消神経とか、
不随意で意識体験を伴わないとされている器官が、体内で別人格を形成し判断しているのかもしれない ・・・例えば、熱い薬缶等に触れてしまって、瞬間的に手を引っ込めてしまう場合などに
「何故、手を引っ込めたのか」と聞かれたら、「熱かったから」とこたえてしまいます。
ですが実際には、強い熱さを感じる前に手を引っ込めてしまっているわけで、後付けの説
明になっているわけですが、身体のこうした反応にくらべて意識はすこし時間がかかって
います。われわれの脳は後から説明をくわえてしまう性質があって、それが意識の一部を
成しているかもしれませんね。 脳の機能がどのように配置されているかなどはイージープロブレムとされているので
何となくハードプロブレムとは別個に考えてしまいがちなんだけど、
やっぱイージーの方も前提として知っておかないとだな
半年くらい前に買った「脳の意識 機械の意識(中公新書)」を読み始めたんだけど、
このハードプロブレムに興味を持ったイージープロブレム側の研究者が一番上手に説明してくれている あとやはりずっと以前に録画してたモーガンフリーマンのサイコパスの回を見てたら、
改めて人間が機械であることや刑事裁判の制度のあり方について考えてしまった
脳への電気的な刺激や訓練で感情がコントロールできるとかやっててね
刑事裁判とか現代の社会制度で唯一オカルトの上に成り立っているものだよなぁ
犯罪を犯したその選択は「回避可能だった」という前提で行われている
すなわち人間には宇宙の状態を分岐できるような超自然的な力が宿っていると言っている訳だからね 意識体験の発生タイミングは実際の物理現象に比べるとけっこうなタイムラグがあるらしいけど
(そのことで後から起こったことを先に起こったかのように錯覚させることが可能)、
と言うことは、痛くて顔をしかめているときには、
実際には先に顔をしかめ、それから痛みを感じていることになる
なんとも不思議だ、、、 痛みで叫び声をあげたとき
意識を失ったときの時系列なんかもどうなってるんだろう? 意識の発生が物理状態よりも遅れているのならば
クオリアから物質へのフィードバックもあり得そうな気がしてきた 物理状態より意識が遅れてるって普通じゃねえか
逆ならって話じゃないのか 遅れているならなぜ意識体験が必要だったのだろうか?
「痛い」という感覚があるから(物理界への何らかのフィードバックで)危険な状況を避けるという
生物の行動が獲得されてきたのが自然な考え方だと思うんだが、
現実はどうもそうじゃなさそうなんだよね、、、振り出しに戻ったようだけど 遅れているなら哲学的ゾンビの存在が可能になってしまうと思うんだよな
クオリア発生前にクオリアについて語るゾンビが 意識がなけりゃ何をやったら痛かったという体験を次に活かせないやろ
体験したことを時間的に整理できなきゃ同じ失敗を何度も繰り返す結果になる 意識体験は物理状態から0.5秒くらい遅れているらしい
身体は無意識に動いて後追いで体験している状態
意識の発生が100万年くらい遅れてもたぶん人間としての活動は成立する
すると意識が発生しないうちから人間たちは「意識」という概念を持ったことになる ハードプロブレムよりもっとハードなのあるだろ
ハードであるかすらを無化するやつ 定義もできず問題の本質もみえず、
必要充分条件も考えず、どこが学問的アプローチなのか?
おまえらのはおれ正義を通すだけの雄たけびであっても、
沈着冷静な態度ではない、気がつけよ無能たち 問題の本質は
そもそもハードプロブレム自体が成立しているのか?
というところではないのか? ハードプロブレムは成立してないでしょ?
直観的に成立してると思ってる人が多いってだけで
ダニエルデネットとかが反駁してる通りじゃん >>266
そりゃ始まるだろ
そこが大問題なんだから ただその一方で
ハードプロブレムが成立している
と思えてしまうのも事実だから
そういうところをバッサリ切り捨てて哲学と言えるのか
と言いたい 少なくともデネットはバッサリ切り捨ててなんかないよ
丁寧すぎるぐらい1つ1つ反駁している
思考の技法 -直観ポンプと77の思考術 デネットはハードプロブレムの成立を
どのように反駁しているのですか。 科学というものが雑多なものから抽象していて
抽象したものから雑多ものに対して
不思議だ
と言うのも思考が逆転している 日々起こっている事象(雑多)から法則性を見出し一般化し(→帰納的に抽象化し)
その法則から未来の事象(雑多)が予測し(演繹する)
「考えていた通りだ!」と不思議さが完全に払拭される
「思考の逆転」なる意味不明な状況が全く想定されない
それが科学であり証明であると言えるね ダニエル・デネットは意識のハードプロブレムをハードクエスチョンと言いかえていますよね。
あやまった直感にもとづいた問題、としています。意識のハードプロブレムは本当は存在して
いないのでしょうか。 ダニエル・デネットは意識をつかさどる中央処理装置のような「カルテジアン劇場」を否定し
意識の「多元的草稿理論」を考えました。意識は空間的・時間的に並列した複数のプロセスから織り
出され構成されるものだとデネットは言います。つまり脳の中には意識する私という中央本部のような
ものは存在していない、としています。 仮に、ここにリンゴが好きな人がいたとしましょう。
今日その人はお腹いっぱい、リンゴを食べたとします。つまり、因果論的にみてリンゴからとれる
栄養素を十分に得たとします。
翌日、同じ人にリンゴとみかんをふたつを差出したら、やはりリンゴを取るはずです。
何故でしょうか。その人のアイデンティティーは何故、持続するのしょうか。 3-4年前から注目してたけど
イタリアの頭部移植断念されたね >>280
そんなんやっとったん?
やりすぎると、認知科学的なものが自然科学から嫌われるような気がするがw
いずれにせよ、そんなんじゃぁ、問題は解決せんと思うよw
問題そのものが鮮明につまびらかになるかもは知れんが? >>281
認知できないものは解決できない、できると思うのはオカルト >>282
なんか勘違いしてるかもしれんが、自然科学的なものですべての片が付くわけ
ではないんよ。自然科学であっても、人の価値判断的なものからは自由になれんのよ。
自然科学的な確からしさや正しさというのも、人がそのようなものを確かだとか正しい
と判断すべきであるという規範、価値判断が先行しないとあり得んのよ。
そういう規範や価値判断のようなものが自然の中に存在するとは限らんし、むしろ存在
しないと考えた方が自然なんやで。 頭部移植断念はある意味残念だったけど
そう言えば意識を共有している頭部接合双生児が
成長してそろそろ色々言葉で説明できる頃合いだと思う
脳科学やAIの研究は従来の心の哲学が思っていたよりもだいぶ早く
ハードプロブレムに迫っているようだけど
相対性理論や量子論と同じで、
概ね解明できたといったところで、一般ピーポーには難しい世界になるんだろうな >>284
ある人にとって見れば、解決されたかのように見えるだろうけど、無理じゃろうよw
認知科学そのものが、認知科学を解体することはできんのよ。
もっと、無茶苦茶な展開が必要やろう。ミネルヴァの梟がそう簡単に飛ぶかよw >>284
言うほど迫ってるかなあ?IITとか深層学習? 外傷で斜視になってしまった人は普通に見えているのかな?
近視遠視はピントそのものが合わないから意識に上がる世界がボヤけてしまうのは分かるけど
斜視だったら計算して修正してなんとかなる範囲なのかな? >>283
言っていることと貴方のやっている結果が逆転してね? >>288
私のやってることってのは、何を意味するの? と言うか>>283はたぶん自然科学の意味が分かっていない めっちゃ疑問なんだが、茂木健一郎をはじめとした方々、いったい何を研究してるんだ?何をというかどーやってというか。たかが人間が意識のハードプロブレムについて研究する手立てすらない気がするのだが。 壁がありますよね。どうしようもない、壁が・・・ 。
物理的閉方性を前提として心というものは脳の作用にただ随伴して生じてくるという
随伴現象説がある一方で心が身体に作用する、つまり心の中で歩きたいと思ったときに
足が動いて歩くという身体の動きになる(心的因果)をわれわれは否定することは出来ないとおもいます。
われわれにとって身近なこの心と身体の因果関係にこそじつは現代の科学でも超えることの出来ない壁がある、
そしてこの壁こそ意識のハードプロブレムそのものだといえます。 実際には心の中で歩きたいと思った時には既に足を動かす準備電位が発生した後なので
そのリクツは成立しないと思われ だよな
>>294が言ってるのはイージープロブレムに近い
その程度であれば今の脳科学でけっこういい線まで行けてる
ハードなのは、なぜ私は私なのかとか、意識の主体が連続するのかとか、そっちでしょ 私が私であって他人ではないのは
予測性による錯覚と思われ
予測が成立する→自分
予測が成立しない→他人
もしも他人が自分と同じぐらい予測が成立するなら自分の半身と認識するだろう とぼけて言葉遊びしてるのか、ホントに勘違いしてるのか分からんけど
「なぜ私は私なのか」「Why am I me ?」で検索するとでてくるよ ・・・脳をハードウェアだとすると、われわれの心はソフトウェアであるとよくたとえられますが、
脳の機能がどのようにして、われわれの心を生じせしめるのか、そこには脳の機能の全体の総和以上
のなにか所謂、「創発」と呼ばれる種類の現象が起こっているとかんがえられます。脳のある特定の
部位の準備電位の発生ののちに、ある身体の動作があるとして、脳には脳独自のタイムスケールがあ
るのではないかという考えもあるわけで、われわれの心の心的因果を否定することにはならないと私
は考えています。 ・・・わたしは何故、わたしなのか・・・この問に答えることは私が出来ることではありません。しかし、
クオリアについて私はあることに気づきました。
ダニエル・デネットはチェンジ・ブラインドネスと呼ぶ実験によって、クオリアが瞬間瞬間で雲散霧消して
いってしまうようなたよりのないものだ、という風に結論づけ(そのようにはっきりは言っていませんが)ゲシュ
タルト的な志向意識のみがその人の中に残る、としました。果たしてそうでしょうか?
私が先に挙げた、りんごが好きな人はどうでしょうか。りんごが他の果物に比べて好きだ(つまりそのクオリア)
という感覚は何故、持続するのでしょうか。この感覚こそは、その人のアイデンティティーだと言えるものです。
そう、つまり保存されているクオリアも存在するわけです。私はこれを「持続するクオリア」と名付けました。 AIの入門書なんかでも紹介されて、
脳の階層的な情報処理機構がよく知られるようになってきたけど
視覚で言ったら、
最終的に意識体験されている3D世界の前に、
電磁波をキャッチしただけの数段階のカオス世界があって、
それらは脊髄の反射や自律神経と同じように意識体験されていないが
意識体験されている物理現象にだけクオリアが伴っているとは考えにくく
脳や神経に潜む別人格によって意識体験されている可能性は大いにある 左右の目から入ってきたズレのある映像を
最終的に意識体験化させるときにはキレイな立体映像にする
音波も左右の耳にとどくタイミングは異なるのだが、ズレて聴こえることはない
一方で意図的にズラされている音であればそのことが分かる
相当複雑な計算がされているのは想像つくが
身体的反応はクオリア発生時点では既に完了している
つまりスネをぶつけて顔を歪めるのが先で、0.5秒後に痛みを感じている、クオリアは常に後追い
物理主義的、決定論的に考えると不思議はないんだけど、
日常感覚的には「痛みで絶えられなくて表情を保てなくなった」であって、
意識と物質の関係は本当にオカルトチックに思える ブラックホールにしてもニュートリノにしてもダークマターやダークエネルギーにしても
直接観測することは難しくても、理論や間接的証拠からその存在は予測され、確かめられつつあるけど
クオリアもこれと近いものと考えれるところから始めればいいのかな
随伴現象説は物質からクオリアへの一方通行を想定しているんだと思うけど、
人間の直感的にどうも辻褄が合わなそうなのと、
相互作用のない一方通行の物理現象なんてのがやっぱり気持ち悪いので、
光速度不変のまま時空間を可変にした相対性理論みたいに
そのうち誰かがなんか上手い説明の方法を見つけるんだと思う
その誰かがAIである可能性も無きにしも非ず、AIにもクオリアが発生するかも知れないので 重力は誰にとっても存在しているけど最近の科学では存在しないかもしれないという
同様に意識も存在しないのかもしれない 存在していることを知られているから「意識」という名前がつけられている その意味では存在していないのに名前が付けられている概念は「自由」だな
自由意志の意味で使われている物理法則突破のオカルト的な「自由」
必然や偶然を破り発生源不明の主体性なるものから繰り出される振舞い 論理、形式論理(数学)で繰り出した
物的振る舞いの現象も
人間の意識概念での合理的法則。
オカルト的な主体性なるものの前提から
物理法則だけは免れている
と思っているなら早計。 ・・・自由意志について、その例として挙げられるのはカントの道徳的命題ですが、わたしは
この自由意志の例として挙げたいのは、構造主義の脈絡における自然や象徴秩序に対峙する概
念、カオスです。このカオスこそ、人間社会における自由意志の所産なのです。 マシンヒューマンインターフェースが発達すると
脳同士を接続できるようになるだろう
配線が難しいとは思うけど、その頃にはAIがなんとかしてくれる
かくして頭部結合双生児のような意識体験の共有がみんなに可能になり
いろんなことが解明されていくことだろう 意識クラスの自己同一性と認識レベルの知的階層は次元が異なり
共有されるのは意識ではなく、クオリアを伴わない知的情報
そこを錯覚し、意識が解明されると期待するのは早計 もう10年以上前になると思うが
テレビだったかネットだったか忘れたけど
頭部結合双生児の1人がもう1人に「なんでそんなことを考えるの?」と怒った
というエピソードがあった
もう1人が考えた内容を理解しているようだが、
なぜそう考えたかの理由までは分からなかったようだ
ある程度は分かるが、全部が分かる訳ではないんだな ・・・意識や心、精神といったものの存在が、現代の物理学や科学で果たして解明しうるのか(
物理学や科学の対象になり得るのか)という問いがなされると思いますが、それは、この先わたし
達の未来で実現されるのであろう、という予測を抱く以外ににないかもしれません。つまり、心
や精神を扱うための、数式や公式またその実験結果、などを待たないといけないわけで、その限り
で立場を異にし考え方や見方が異なるなかで、いろいろな見解があり考え方が分かれていくのは
当然のことだとおもいます。何しろ、科学や物理学、哲学や心理学というその分野からみればあまり
交差しないはずの学者たちが同じテーマで話をするわけですから、意識のハード・プロブレムはそれほど
にずいぶんと間口のひろい問題なんだなとおもいます。 癲癇治療で脳梁をぶった切った分離脳の人は
外部からの観察上は2つの人格が発生しているかのように見えるみたいね
ナノテクでまた接続したらたぶんまた1人格に戻るんだろうな
やっぱ人格も普通に足し引きができる代物なんだと思うよ、当たり前に物理の範疇 805 :学術 :2019/07/25(木) 16:04:13.26 0
俺は屑だ
放火してやる ・・・私は、唯念論や唯心論の立場から、この「意識のハード・プロブレム」をかんがえたいと
おもっています。 唯念論、唯心論だと意識のハードプロブレムに及べない思考になるからスレチだな ・・・わたしは、物と精神というような二元論としてわれわれの「心」を考えるのではなく、
一元論的に、われわれの「心」もまたこの世界に存在するある物理的なものであろうと思って
います。 ↑訂正
・・・われわれの「心」もまたこの世界に存在するある物理的なものであろうとかていして、「意識のハード・プロブレム」を
考えていきたいのです。
ですね。失礼しました。 物理って、
仮に神が存在していて
それが現象の因果に関わるのなら含んじゃうものだから
二元論的な考え方自体がそもそもそぐわないよね
二元論って物理界とは全く相互作用を持たない精神界を想定した場合のものでしょ
その場合、三元でも四元でもいいことになるし
宇宙の膨張の速度が光速を超えるような離れた場所は互いに情報が届かないので
地球から見たら二元論が想定する精神界と似たような位置づけになる >>321
心が物理的なものであろうと思える物理的な根拠がないと
思えるだけでになってしまいます
仮定できる理論とは? 化学は主に原子や分子の電気的な性質に関する分野だけど
化学的な結合や分解、状態変化や体積圧力の変化なんかも
還元していくと結局は自然の一般則である物理になる
今の物理は数学を使って計算してることで
無限とかゼロとかを扱いにくいという弱点があるみたいけど
新しい計算方法を編み出したとしたら、結局それも数学の新分野扱いになるだろう
クオリアもメカニズムが解明されれば、普通に物理の一部になるしかない >>326
恐れている相手に伝える事を恐れてここに書き込んでるのか? 現実世界の人間に認識可能な物理現象には限界があり
物理現象として管理しきれない領域で物質は量子的に
変容し続けている。
古典物理学上に在る巨視的なこの世の現象が
自然の一般則である物理で収まる事は残念ながら
有り得ない。
メカニズムはある意味解明されていても
メカニズムがどのように変容していくかは変則的なのだよ。 物理という言葉自体を間違って理解していそうだな
管理がどうこうじゃなくて
人間に発見されていないものも含めての一般則なんだよ
言葉のない原始時代にだって1気圧下の水は100℃で沸騰し光速度は一定だった
物質は勝手な振る舞いをしてはいなかった 物理
万物の理、すなわち人間やあらゆる物の介入によってその存在を左右されない普遍的な法則
(力学、原子、電気、熱etc...)の事を指す。
波動性と粒子性をという存在を左右するのが物質、普遍的に人間が認識可能な一般則は発見されていない。
物理は人文学を含む領域の哲学を網羅する法則性を持ち得ないのだよ たぶん自分でも分かっているんだとは思うけど
もう一度言うと、
人間が発見どうこうと物理の範疇の内外であるかは無関係
仮に不規則性が規則であれば、それをありのままに受け入れるのが物理
ハードプロブレムは紛れもなく物理が扱う領域 まったくわかっていないようだけど、物理現象を認識しているのは脳であって
人間の認識範疇の外に物理法則があればそれは物理ではない、ありのまま
に受け入れる能力があるのは物理法則ではなく能力にすぎないのだよ。
不規則性or規則性かは言うまもなくありのままではなく、物理的判断である。 物質としての脳の情報処理過程に付随する主観的な意識的体験やクオリアというのは、そもそも一体何なのか?
そしてこれら主観的な意識的体験やクオリアは、現在の物理学が提示するモデルの、どこに位置づけられるのか?
物理で扱える領域にしては、現在の物理学が提示するモデルのどこに位置づけられるのかすら物理学では解けていないのだよ>>332 僕が「たぶん自分でも分かっているんだとは思うけど 」と書いたのは
「人間の認識範疇の外に物理法則があればそれは物理ではない」と自分でも言っているように
君が「物理」という言葉に対して、一般的な「物理」、僕が言っている「物理」とは異なる独自の定義をした上で
その前提の上に色々と反論してくらからだ
僕が一般的な「物理」の解釈を言っていることを分かっていないとは思えないからだ 眠気というクオリアは、眠りというクオリア遮断状態を誘発する
クオリア枯渇状態なのかな?
まー睡眠中にクオリアが生じていない確証はないんだけどね
他人の心同様分からないだけで、どこかに意識は発生しているのかもしれない ・・・量子物理学と古典物理学は、同じ物理学の範疇にありながら、まじわりませんね。
量子物理学を、あるいは古典物理学を互いに延長線上にのばしていっても、まじわること
がないのです。つまり、お互いはそれぞれ補完し合う関係にあり、接することなく、物理
学の世界の全体を埋めている、と言ったいいかもしれません。 古典物理学が、目に見えて明らかな世界にあるのに対して、量子物理学は、われわれの視覚によっては
とらえることのできない超ミクロな世界、その世界にあって、物理学の数式によって導かれていくのは
われわれの認識や想像を超えていくものです、つまり理解しづらい不可解なものであったりする、とか
そういうことですね。 >>335
恐らく君が一般的な「物理」の解釈を言っていることを分っていないとは思えないのは
哲学は物理学を包含した知恵であるのだから致しかたない事であろう。 ・・ある心的状態が、ある物理状態に完全に還元できるというのが理想的な一元論による
こころやクオリアの説明ということになるのではないかとおもいます。 しかし、それは物理学者や科学者の立場から出来ることではないでしょうか。つまり、哲学者が
それをするのは難しいことではないかとおもうのです。 現象は何らかの因果関係・相互作用がもたらしているものというシンプルな前提に立てば
何乗に比例するとか係数はいくつかとかは知らなくても
こんなメカニズムに則ってこんな結果が導かれる、的な思考実験はできる
理論物理学なんてまず空想して、式書いて確かめて、可能なら実験して確かめてって感じで進めてるから
人間の一般的な感覚から離れた発想力がモノを言うところがあって、哲学に例えられる 理論物理学が空想→実験→確認なら
哲学理論は事実→論理的事実→現実世界への帰結
物理は実験で確認できなければ思考実験上での整合性にとどまり現実に生じさせ得ない。
哲学は現実世界の事実で確認が取れ、実験を必要としない原理ということ。 実験で示すのに何十年もかかったりしている、当たり前のこと、真実から目を背けずに誠実にやってる
君のはソクラテスにバカにされていたソフィストの態度だ 何十年もかけ実験で誠実に明らかにしてきた物理学.は真実などではない
344がそういう態度を示したと思い込んでいる「君のは」という偶像は確かに
ソクラテスに馬鹿にされていたソフィストの態度なのだろうが
不誠実な被害妄想を見てとっただけの感想の持ち主は他の誰でもない、344自身なのだよ。 詭弁を使うのは問題だが、態度がソフィストに感じたとしても
それは受け取り手の印象の問題でしかない
間違っているのに正しいと思わせるようにしむけているのは
どこか示さない>>344がソフィストなのでは? 随伴現象説のような一方通行ではなく、クオリア側から物質界へのフィードバックがあったとした場合
物質がクオリアを発生させているのか、クオリアが物質を発生させているのかは意味がなくなる
電磁誘導で電場と磁場がお互いを発生させているような関係だと思えばいい
たぶんこれが現実的な物質界と精神界の関係なんだとは思うけど
機械やコンピュータが、今のところクオリアを計算に入れていない設計に基づいて
完璧に期待通りの動作をしてくれているかのように見えている
だから実際にはクオリア込みの現在の物理学になっているのだろう 随伴現象や心身相互作用説は古典物理学どまりの発想
意識は何らかの量子過程から生じてくるというのが主流になる 生物界においてどうしても人間を特別視してしまうのと同じように
物理界においても、どうしてもクオリアを他と分けて考えるべき特別なモノ扱いする傾向は確かにある
クオリア軸という1つの次元があるとでも考えれば
他の次元を向いているベクトルと足し算することで、出発点が異なるベクトルと同じゴールに辿りつける訳で
その点では別段変わり者という訳でもない
エネルギーが電子の運動だったり物体の速度だったり電磁波だったりを色々に姿を変えているように
クオリアになって物質に吸収されて、またクオリアを放出するなんて現象があるに過ぎないのだろう クオリアが物質に吸収されたり放出する現象はないよwただの妄想 分かっていないものをないと言い切るところが哲学板的に凄い
そもそも物理は過程から出発して実験で確かめるもの ・・・二元論として、この脳と心の問題について考える、のではなく一元論として、それも
物理主義者たちがまずは納得できるような考え方、心脳同一説において、脳と心の問題を考
えるのがもっとも理想的な心脳問題、意識とハードプロブレムの追求の仕方ではないか、と
思います。 ところで、心脳同一説には二つあります。すなわち、タイプ説とトークン説です。
わたしは、トークン説は現在の物理主義や行動主義の前提となっていますが、しか
し、タイプ説の立場の方がいいのではないかとおもいます。何故なら、トークン説
は、問題を複雑化し、心脳問題、意識のハードプロブレムを多岐亡羊たる物理学や
神経生理学の分野へと解き放ってしまうからです。すなわち、かえってわかりづら
くなり、問題の解決がおそくなりそう。 >>351
分かっていないものをあると言い切らないところが哲学そもそも物理板じゃないのに物理を語る価値はない 「分かっていないものをあると言い切らない」は
「分かっていないものをないと言い切る」の逆ではない、簡単な集合論の問題 そもそも集合論の問題ではないものを集合論の問題だと言い切っても逆にはならない ・・・タイプ説とトークン説は相反する理論という訳ではなく、脳と心の問題を、ある
心理状態が、ある脳の状態と一致する(タイプ説)という風に割り切って考えるのには、
無理があると、我々の脳の複雑さやその働きをかんがえたとき、ある程度その実際の脳
の様子と呼応出来る程度により複雑なトークン説が出てきたか、支持されるようになっ
たのだとおもいます。 類型論か特性論だろう。トークン説って何だ。
同軸銅線ネットワークのトークンリング方式のことか。
であればトークン説ではなく通信技術のことだろう。 ・・・、仮に自転車と言って、自転車をイメージする場合をかんがえてみます。われわれは
自転車という概念を共有することができますよね。これがタイプの自転車と言えます。一方、
現実に乗るあなたの自転車、それはクロスバイクかもしれませんね、シティサイクルいわゆる
ママチャリかもしれません。折りたたみ自転車かもしれません。つまり、手で触れることが出
来て乗ることのできる現実の自転車はさまざまですよね。これがトークンと自転車と言えます。
タイプの自転車は、時空間に位置を占めない抽象的な対象であるのに対して、トークンの自転車
はその逆、具体的で物理的な対象となるもののことです。 訂正↑
これがトークンと自転車と言えます。✖
これがトークンの自転車と言えます。〇
失礼しました。 タイプ(概念)
トークン(実在する具体例)
というのは分かったけど、
それとハードプロブレムがどう関係してくるの? そうなると要するにタイプは主観(認識上の虚像)
トークン客観(事実上の物体)というだけなんだよね
その認知の相違は、個々人の認識(脳機能)に依存してる 心の哲学なんて言い方されてるけど、普通に物理だからなぁ
今の時代、哲学って言うと怠け者の人の駆け込み寺的なイメージがあるけど、心の哲学(意識の科学)は割と真面目な分野 物質である脳が、自身の肉体を介して意識としての性質を進化論的、遺伝的条件を
どのように満たした時、心や気分を持ち、更に「私」というアイデンティティに沿った
人間特有の、より複雑な感覚質(クオリア)をネットワーク化した情報としてのの記憶媒体を
物理法則として物理的且つ量子的に自然を媒介し如何にして主観的な意識体験が生じるか
という科学の統一的な見解が意識のハードプロブレムである。 ・・・タイプ同一説とは、「心的状態Aは脳状態Bである」という考え方になり、タイプの自転車つまりわれわれ
の共有できるイメージや概念としての自転車と脳のある物理状態が同一であるということになり、これに対して
トークン同一説はトークンの自転車と脳のある物理状態が深く関係している、ということになり、これは現実に
ある自転車とある脳の物理状態が深く関係している、ということになります。前者は、タイプータイプの関係に
なっていて、後者はトークンートークンの関係になっていることに気づきますね。 ・・・言葉のつかい方や厳密な意味での誤解のない説明にするために、言葉を選ぶとわかりづらい
言いまわしになってしまったようです。自分の言葉で説明してみたいとおもいます。違っていると
思った方はご指摘くださるとうれしいです。
タイプ同一説は要するに、私たちがなにかひとつの概念なりを思い浮かべたときに、この場合はや
はり自転車としておきましょう。自転車を思い浮かべたときに、それに呼応して脳の物理状態が変
わり、自転車を思い浮かべた、一定の脳の物理状態になる、といったような考えかたです。りんご
を思いうかべたら、りんごの、空に浮かぶ雲を思い浮かべたら、雲の、一定の脳の物理状態になる
というような考えかたですね。
トークン同一説は、現実にある自転車を見たときに、見たその人の脳の物理状態との間に関係性を
見ようとするものですね。というのは、上記のように心的状態と脳の物理状態が一致するというの
はすでに科学者たちによって否定されているのです。脳にはそれぞれに個人差があり、上記のよう
には言えないので、脳のある状態に即して考えるようになったわけですね。 心の状態、脳の状態という心脳同一を前提条件にした話はもう哲学的にはオワコンだな >上記のように心的状態と脳の物理状態が一致するというの
はすでに科学者たちによって否定されているのです。
ここがよく分からんかった
「上記のように心的状態と脳の物理状態が一致する」のを科学者が否定したのか?
それとも
「上記のように」「心的状態と脳の物理状態が一致するというの はすでに科学者たちによって否定されている」のか?
たぶん前者だと思うけど、そんなに市民権を得た考え方なのかね? >>744
お察しの通りSPF材なので少しでも長持ちさせたくて
樹脂石突、検索してみたらこれなら直接地面につかないので
よさそうなのですが、サイズのがなかなかみつからないので
厚めのゴムを底に貼って、下からコースレッドでとめてみようかと
思います。アイデアありがとうございます、助かりました。 つまりFF15の美形キャラのキャンプのシーンもバッチリだな。
小説版だけで朝昼晩とヌける。 せめて一冊ぐらい読んでなにがわからないのか説明しないと ・・・コペンハーゲン解釈、波動関数の収縮、シュレーディンガーの猫、不確定性原理、までは
なんとか、わかったつもりです。 ダークマターは想像上の物質だけど
これを想定すると天体の運動が上手く説明できる
性質としては重力を発生させるが、電磁波とは相互作用しない(だから見えない)
クオリアも自分たちが馴染みのある物質や時空間、力やエネルギーといった物理要素とは
部分的にだけ相互作用を持つものと考えればいいのかな、とりあえず >>378
・・・例えば、自転車を思い浮かべたときに、一定の万人に共通する脳の物理状態にはならなかった、
ということになります。脳も、人が三人居れば、三者三様、少しづつ微妙に異なっているので、完全に
同一の状態にはならない、とかそういうことですね。 そういう解釈の仕方をしてしまうと
三者の脳の物理状態も違うけど、自転車という概念も三者間で微妙に違うことになってしまうね KARAOKEやTSUNAMI、SHOGUNが外来語として英語化しているのと同じように
最近はHENTAIが使われ始めているらしい
わびさび萌えと同じように日本人特有の情感に基づくものと捉えられているようだ
自分自身が日本人だから分かるというのもあるが、
日本と欧米のAVを見比べるとたしかに日本人は一種コミカルにも見える独特の性欲を持っているようだ
欧米人の性欲は動物的で、異常側に振れる場合も猟奇的な方向に進むようだが
日本人の場合は「変態」以外に表しようのない方向に進む、しかもあんま異常でもなく普遍的傾向を持っている
この日本人の変態的欲情が満たされたときに発生しているクオリアは、果たして欧米人の脳にも発生しうるものなのか? マンガ男塾を読んでいると「精神は肉体を凌駕する」場面がたくさん出てくるんだけど、
まさに「クオリア→物質」の因果関係を言っているようで面白い
宮下あきらの世界では戦闘機さえ「気合いという燃料で飛ぶ」らしいしw >>393
天然だと付きまとわれるよね。気をつけてここから逃げよう。 このスレに粘着している時点で、どっちがどうなのか、
自分でわかるよな?とおりすがりならどうでもいいだけどねw 心の哲学の世界は一種自分との戦い
願望と事実の間の葛藤の中で
いかに客観的でいられるか ・・・量子脳理論において、ペンローズ博士と麻酔医ハメロフによるアプローチにおいては、
波動関数の自動収縮こそが、意識の流れではないかとしていますが、それは波動関数の収縮
が、われわれの観測を待って起こるわけで、波動関数の自動収縮が起こるとき、なんらかの
意識がそこに介在したと言いたいのではないでしょうか。 クオリアというものが発生しているとして
やっぱりそれを受け取っている主体ってのを想定しないとなんとも気持ちが悪い
個人(意識の主体)を特定するキー情報が物質ではないのは明らかなので
何かがあることになるんだよなぁ、もちろんそれは形あるものでなくて概念でもいいんだけど
結局定義の問題、まさに哲学的 クオリアの言葉の使途がないってことだろう
なぜ発生するのかも、どうやって発生するのかも
何の知識になるのかも不明な主体にクオリアの
概念は論理的に存在していないということだよ。
定義することが不可能なのは必然の帰結。 DNNに神経科学から派生したLSTMを取り込んで実装して、状況に一意性や収束を有する
ようにし、生命システムが作る運動やパターンを生命的な計算として置換するのじゃよ。
計算機的自然と計算機的生命、計算機的宇宙が融合すれば、新しい存在のフェーズが高階に
内なる堵手饅を随伴しながら出現する、未知のパターン。 まあおまえらには理解不能だろ
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蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅っつうことじゃよ
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.,'::::/::/:::/;'_;;ハ、; .; ;;;/.: ..;.. lト;l, +
/::::/:/::::/;r' \ .:.:.::.;;;;/.:.::.:.::. |〈! 昭恵廼汚麺麭公害
/l:::;':/:::::;イl .; ヽ ,,__;;;/.:.:.:.:.: |:::l クオリアじゃないけど割合一つ上の議論はクオリアという語感が否定するだろう。 クオリアを迫害するようでは取り返しがつかぬ。ことになる。害したものがな。 クオリアなど呪縛にすぎない、そして議論は討論ではないわけで区別したまえ、
公平に主張をまとめる議長がいない時点で議論など成立するわけがない。
討論で答えがないのは当然であるが、議論では答えをだす、論理に合わずとも
多数決やら議長の独断やら方法はいくらでもある、だが議論をする個が答えを
出せばそれは議論ではなく討論で合い引かないそれに答えなどない。
クオリアで縛ればクオリアでは説明しえない何かを浮き上がらせる、それが見えないなら
クオリアという言葉など使う愚か者である、何かを信じて習うべきで疑う必要すらない。
否定してこそ哲学的態度であるべきだ。 電磁波を食らうと電子は励起する
励起した電子を持つ原子は「温度」が高い
一見エネルギーの物理的な連鎖と言うか当たり前の変換のように見えるが
最後の「温度」は電子の位置や速度を言い変えただけの架空の概念だろう
電子の位置や速度に応じたクオリアがあって人間にとって分かりやすいから作った概念
こんな実体のよく分からんものがクオリアなんだろうな
そして物質界に連鎖反応があるように、クオリアにも連鎖反応はあるんだろう
「いい匂い」→「幸せ」みたいな
そんで中には→の先が物質という連鎖があって(上記の「温度」みたいに)
クオリカ界側からは、物質が架空の概念のように思われているのかも知れないね 霊長類は痛覚が発達している、我々も大変痛がりだ
下等な奴らは、例えばガゼルなんかハイエナに生きたまま内臓引きずりだされても案外ケロッとしてて
のたうち回る訳でもなくのん気に傷口をペロペロしてたりする
お尻をかじられて怯んでしまっては捕食者から逃げられないという環境下で獲得された彼らの形質だ
「イテェ!」が逃げ足、まさに物理界での現象に影響を及ぼしている例と考えることもできる 腹から下持ってかれて半身になった米軍兵士が道路に投げ出されたまま
の状態で意識も明晰で話も普通にして痛がりも動揺したりもせず
仲間に水貰って普通に飲んでる動画とか知らんか? こんばんわ、お馬鹿さん
このアホであり馬鹿であり、奇妙な生物は自分がまともだと思い込んでいる。
SF板へ帰れ 自分だけはまともだと思いたくて哲学板に張り付いても何のご利益も得られなかったという本心がスケスケ >>411
コラじゃなくて?
普通に考えて下半身切断されたら大量出血で一気に血圧が下がり脳が虚血状態になって
一瞬で意識を失うと思うけど
どちらにしても意識のハードプロプレムとは無関係だったね、スレチにレスすまん ・・・いづれにしても、人間の細胞内にあるマイクロチューブルのなかで起こる
波動関数の自己収縮がおおきな鍵になるのだとおもいますね。 しかし、これは自由意志に否定的な物理学者の理論だと言わなくてはいけません、
私は自由意志は存在していると考えています。 法則性のない物質の勝手な振る舞いが仮に存在するとしたら
コンピュータは信用ならなくなるし、原発なんておっかなくて稼働できない
冥王星めがけてロケット飛ばすなんて不可能もいいところ
人間自身が、宇宙が機械仕掛けである確信に基づいて行動している、無意識にだけどね
そこに駐車しているドライバーも乗っていない車が突然走り出すなんて思っていないから
安心して前を横切っている 「ケインズの美人投票」という人間の心理を暴き出す一種の思考実験のようなものがある
「美人と思う人」ではなく、当たったときの報酬付きで「1位になると思う人」に投票させる美人コンテストだ
こうすると人間は本心を出してくる
ブスが自分と同程度のブスに「かわいい!」と言わなくなり、ガチ美人に票を投じてくる
要するに「己を騙せなくする」ウソ発見器を搭載した投票方式って訳だ
人間は「願望」に負けやすい動物だからね 意識の科学の世界で機械論(広義の決定論)者が圧倒的優勢できている理由は
何と言っても根拠を出せることなんだよな
宇宙が機械論的でないとすると、今のところ「どうして」と聞かれたときに
「まだ解明されていない何かがある」と答えるか、
そうでなかったら昔の宗教界みたいに問答無用のオカルトじみたものに頼るしかなくなる 内界意味現実世界が宇宙の機械論だとか広義の決定論を根拠に解明できたなんて科学的に公表されたことなんてないんだが なにしろ
仮説→実験→検証で、さらに再現性の追試があるのが現代の科学の手法だからねー 実務では再現性は最初と最後両方に入るけどね
7payの制作者一同はそれやってない疑似科学
420も7payと同じにおいがする 脳内の素粒子レベルの活動を観測できるだけの科学技術なんて何百年先の話やら・・・ AIに意識はあるのかを調べるには、
嘘をつけないAIを作って、意識があるのか聞けばいい
しかし、嘘をつくことができることが、意識があるための条件だとしたら、この実験は巧妙に意味を持たないことになる。 巧妙というのも、僕は自己言及によって意識が生み出されていると勝手に考えていて、
嘘をつけないAIは、「私は嘘つきである。」という自己言及のパラドックスを起こさないからだ。
だから嘘をつくことができることが、意識があるための条件だという仮定はあながち軽視できない。 科学技術の思考が持っている大きな問題は
分かっていることを誇張し、技術を正しく扱えないものにも技術を提供しているが、
過剰に分かっていることを誇張しすぎて、尾ひれを纏いデムパが混入し、
曖昧さや不明確や抜けがあっても、不完全な前提のそれを四捨五入して主張してしまう
状況を作っていること、そしてそれにほとんどの人がながされていること。
これは恐ろしく拒絶しなければいけない問題であり、科学技術の学問を扱うものは、
分からないもの、どうにもならないもの、四捨五入(合理化)してはならないもの、
その手をテクノロジーとその学問では「分からない」とは絶対に言わない、分からないと
言うことも稀にあるが、恐ろしく小さな声で隠してしまう。
全て分かったように説明し、分かっている正しい理解をしろと言い放つ、
正しいと述べたそれに嘘はなくとも、その言葉が威力として現実になる類まで考慮にいれて
人為的にレッテルをはり、誇張し、ミスリードさせる、これが科学の現実だ。
嘘ではなくとも嘘をやっているということになる。
情報は正しく伝わらない、それをまったく考慮せず、伝わらないからこそ負の面である
科学では説明できない、分からないこと、謎なこと、それらを何も述べない、
まるで詐欺師の戦略である、結果に責任をもたず、さらに結果がどうなるか知っていても
言葉の表現と論理が伝わらないことを利用するそれらに準じる者は、この手のそれを
まったく否定するか、認知すらしない。それが正しい科学とでも?愚か者である。詐欺師だ。 だけど、理論物理学者のアインシュタインは100年前にブラックホールのような
存在があることを述べていて、実際に観測してみて、最近、アインシュタインの
言う通りのブラックホールが見つかったので、過剰に科学を貶めるのも、科学の
過剰評価と同じくらい、アンフェアな態度だと思われる。
あと、科学の世界では、宇宙は決定論になんてなってないからね。
量子力学に代表されるように、確率でしか表現できないのが、この宇宙。
だから、科学や科学技術が何でも完璧に分かっているなんて、科学者でさえ
そんな風に思っているのはほとんどいないだろう。 地球から約 130億光年離れた宇宙に、83個もの巨大ブラックホールが発見されました。
愛媛大学の研究者が主導する国際共同研究チームが、すばる望遠鏡の超広視野主焦点
カメ ラ HSCで撮影された画像から天体を選び出し、詳細に追観測した成果です。
巨大ブラックホールが宇宙誕生から10億年足らずという間もない時期から存在していた
ことを示す、た いへん重要な知見です。
ビッグバンの後、宇宙は冷えて、陽子は電子をまとって中性水素となりました。
しかしそれから数億年後、中性水素から電子が引き離される「宇宙再電離」が起きました。
この宇宙再電離を引き起こしたエネルギー源は未だ不明です。巨大ブラックホールに
ガスが落ち込むときに放つエネルギーがその候補でしたが、今回の研究により、
それでは不足することも明らかとなりました。他のエネルギー源、おそらくは
初期の宇宙で誕生した多数の銀河ではないかと推測されます。
研究チームでは、さらに遠方の探査を進め、巨大ブラックホールが誕生した経緯を
明らかにするとともに、宇宙再電離の謎にもメスを入れていきたいと考えています。 意識のハードプロブレムと何の関係があるのか、科学非難するまえに反省しろ 426
嘘つきのパラドックスは自分の存在というのが重要なところであるだけで、嘘か否かは需要ではないし、その論理矛盾が問題になるのはその論理だけしかインプットが存在しないケースだから現実にはそれが問題になっていきづまるケースはまずゼロだといっていい。
逆に君が嘘つきのパラドックスが現実世界で解けずに困っている例を1つでも知っていたら教えてほしいね。
A!なんかはその論理矛盾の対局にある技術なんだから一緒に語っている時点でん?ってなる そもそもAIに意識をどうプログラムするつもりでいるのかw まずだが、
マトモな科学者は解明されていないことについては「分からない」とハッキリと言う
それを知らないということは、よほど科学に触れていないのだろう
彼らは現象の発生が確率依存だという量子論についても
「単にその裏に隠れる法則にたどり着いていないだけなのかもしれない」と言う
知っておいて欲しいのは、彼らはとても誠実だということだ ハードプロブレムのプロブレムズは多岐に渡るけど
そのうちの一部はAIじゃなくマンマシンインタフェースで解明されるだろう
客観的観測ができないことで科学の手法が通用しなかった世界だったが
他人の脳と接続できるようになれば何らかの進展があるだろう
そこがやっと物理で言うニュートン力学レベルの世界で
そこからさらに数世紀かけてやっと他のプロブレムズにも挑戦できるようになるとか
そんな速度だと思う >>436
他人の脳と物理的に接続できたとして
多岐にわたるハードプロブレムの中で
解明される一部なんてあるか?
例えば? >>436
解明されたとは言わない、出る出るさぎと同じ 心の哲学は自然科学寄りなせいもあって
言葉で説明する際に「相手に一種類の解釈しかさせない」ことがとても重要になる
こういう場合には一般的でない語や定義が曖昧な語、多義語を極力使わないことが要求される
哲学や文学がバカにされる理由の一つに
妙な言葉遣いによる逃げ道を用意しておくって態度が
学問に取り組む物としてとても情けないものと見なされていることがある
今のところ有効な実証方法を持たないことからひたすら思考実験に頼らざるを得ない分野だが
心構えとしては科学者でいたいものだ もうちょっと言うと哲学文学が怠け者の学問扱いされるのに
説明にする際にしばしば比喩表現に頼るところだろう
「要するによく分かってない段階で発表しちゃってる訳ね」って思われてしまう
だが心の哲学は物理学レベルまで還元できる段階には全く至っていないので、
この「何かに例えて説明する」くらいは容赦してもらいたい 物理学なんて初歩の高校の教科だけどな。哲学は大学からだよ。 >>432
「この文は偽である。」、はパラドクスになるが、「この文は真である。」はパラドクスにならない
なぜ?って考えたら答えられる?困るでしょ
入力が論理に限られている点はそうだけど、単純化されてたほうが最初のモデルとしてはいいんじゃない?
入力が、画像にせよ言語にせよ、一般的にいえば、パラドクスや自己言及を持ち得ないならば、意識は存在しない、と仮定できるけどね A!って何か知らん、Aの階乗?
真偽値が2値でない、多値論理のAIって、質問に正直に答えられるんだろうか
AIりんなは質問に対して適当に返してるように見える
3値論理だとラッセルのパラドクス起こらないらしいね 自分の脳に他人の脳つないで、他人が見てるクオリアを知覚しようとしてま、自分の意識に他人の意識が介入すること、あるいは他人の意識に自分の意識が介入することで、クオリアが変質する可能性は多分にあるよね
自分のクオリアは自分にしか知覚できないし、他人のクオリアは他人にしか知覚できない
さらに言えば、意識が存在することは、決定的には確かめられない、という原理が存在しているだろうってこと 意識は物質ではない、なら何かといえば、物理的な現象であり、因果関係や相互作用だろう、
因果関係や相互作用は不可分である、というのも、因果関係を観測しようにも、介入することになり、途端に元の因果関とは別のものになってしまうから
言い換えれば、因果関係が存在していて、存在とは因果関係であるってこと、
量子消しゴムの実験をこう解釈すると、納得できる >>446
◯途端に元の因果関係とは別のものになってしまうから 物理は哲学の膨大な理論体系よりまだ若いからちょっとひどくつまらない。 >>439
心構えは科学者でいたいつもりなのだろうが、他者に解釈させないように心理学を用いるのが
自然科学寄りの心の哲学だと君が誤解してる
君の解釈はその場限りの適当な論理で科学的根拠がない作文でしかない。
>>440
>要するによくわかってない
と解釈する自由も責任も哲学にあるのではなく解釈する側の知能にあるのだよ。
何かに例えて説明するにしても、物理的根拠がなにもないロジックで
容赦してもらえるというつもりで書いておいて、心構えは科学者でいるつもりとはお笑い >>446
意識が物理的な現象なら、物理学で意識の物理的な結びつきを説明しなければならないだろう。
できないなら意識は意識現象であると言わねばならない。 >>450
まるで悪魔の証明だな
集合論大丈夫か?
必要十分逆裏対偶 必要十分逆裏対偶集合論と絡めてハード・プロブレムのなにを解決できるか書きもしないで
大丈夫か?もあったもんじゃないだろ、意識大丈夫なのか? 頭使い過ぎると疲れる、整体に行ってくるか
「気持ちいい」というクオリアを発生させる施術は
実際に物質である身体を健康にしている
https://www.youtube.com/watch?v=GaqOOzIrnbM ハードプロブレムを解いたからといって、自由が得られる訳ではない 君のいう自由とハードプロブレム解明が
自由を得られるか否かとどう繋がってるいるか
認識できていないだろw お、こっちにも訳わからんのがいる
たぶん同一人物だろう 類似のモノに色々と例えながら変換を繰り返しているうちに
オリジナルからかけ離れてしまうっていうのは
人文系学問ではわりとよくあることだよね
理数系だと
力積は運動量の変化で表せても運動エネルギーでは表せないみたいに
「単位」という、要素と次元を使った便利な分類法があるのでそういう間違いが起こらない クオリア界側では「物質のハードプロブレム」とか言ってるのかな? 物質側の世界では「立場によって事象の見え方が異なる」ことが分かっている、相対性理論によって
有名なのが「時間」が慣性系毎に存在していること
「ウラシマ効果」が人間にとって直感的に理解しにくいことで象徴的になっているが、
実際には時間だけでなく距離や質量も慣性系毎に存在している そして、物質の状態に随伴すると考えられているクオリアもまた
立場によって様々な状態が存在していても不思議ではない 相対性理論をイメージするには「時間の遅れ」よりも「電磁誘導」を使うのがいい
今目の前の机の上で静止している磁石は我々の目には電磁波を発していないが
これを月から眺めれば磁石は動いていることになるので電磁誘導によって電磁波を発している
赤外線カメラでも仕掛けておけば「何かが映る」のだ、我々の立場からしたら幽霊のような何かが 我々の活動も物理の法則に従ってビッグバン以降の物質の機械的な振る舞いの結果に過ぎないのだが
そこに「物理法則を理解した」とか「それを応用して文明を築いた」と考えているクオリアがある
我々が単なる自然現象と見なしている、例えば森林の生長や鍾乳洞の形成、気象の変化や海流など、
こういったものにも「計算通り土地を緑にした」とか「雨を降らせた」とかいうクオリアが発生しているのかもしれない
いや、たぶん発生しているのだろう
それどころか「人間という物体を利用してビルを建てた」くらいに思っているのかもしれない ・・・たとえば、「創発」という言葉をかんがえてみましょう。これは、部分の性質の単純な総和ではない、
なにかが全体として表れることで、それぞれ個別の要素の振舞いが予測できなシステムになるということです。
下層の局所の振舞いを丁寧に記述して、計算出来たとしても、上層の全体の挙動を予測することが不可能であ
る場合があるのであり、つまりわたしが何が言いたいのかというと、決定論的かつ機械論的な考えや価値観だけ
では記述し得ないことがらが、自然現象に多く見られると、こうした創発現象は生物学や情報学などでさかんに
議論されていますね。 >>465
理数系の人だとたぶん「総和」という言葉よりも「積分」の方がしっくりくると思う
長方形の面積は縦×横だけど、直線でも直角でもないグニャグニャの図形の面積を求めようと思ったら
無限に分割してできた細長ーい長方形の面積を全て合計して元の図形の面積を得るような感じ
今宇宙には4種類の力(重力、静電気力、強い力、弱い力)が発見されていて、
それらの力が働く対象である質量だったり電荷だったりの値に応じて発生する加速度を時間積分して
物体の運動(速度)が得られて、もう一回時間積分することで位置が得られる、それが今の宇宙の姿
そこには途中で偶発的に発生する何かは、基本的にないんだけど、あるとしたらまだ発見されていない力としか言えなくなる
実際にそういう現象はあるようだけどね、4つの力は元は1つだったけど、ある閾値を超えたところで別れたりするみたい 自分は物理主義(決定論者)だから、人間や生物(つまり有機物=炭化水素類)を特別視することはなくて、
その結果汎神論者になる、何物にも我々と同じようにクオリアが発生している
で、ここからは漫画のような話になるんだけど、
自分が毎週出ている会議に割とよくくるブルドックのようなおばさんがいるんだけど、
話に飽きてくると「あんな人の下着には恐るべき苦痛のクオリアが発生しているんだろうなぁ…気の毒だ」とか
ふとそんなことを考えてしまう
衣類に人間と同じようなクオリアは発生していないとは思うけどねw 物質なくしてクオリアが存在し得ない(であろう)のと同様に
クオリアなくして物質は存在し得ない可能性が高い
よくビッグバン以前の宇宙はどうだったのか?ビッグバンだけは神の一撃だったのか?
などと言われていた(今はビッグバン前はインフレーションということになっている)が
物質が全てクオリアに変換された、まさに神々の世界のような感じだったのでは?などとも空想する >>468
感覚質は物質でなく感覚に随伴する質感です
正しく認知しないと、立場によってさまざまな状態が存在しているという
言葉の独り歩きの誤認を不思議ではないと思い込んでしまい、そこから
空想のクオリア物語が延々と繰り広げてしまうことになるので性質が悪いですね。 マンマシンI/Fと似た話になるが
分離脳患者がいて、それぞれの半球が何年間か生きたところで
ips細胞かなんかでまた脳梁を接続したら
いったいどんなことんなるのだろう
医者も心の哲学家も正確には分からんと答えるだろう
ただ自分が経験していなかった知識がごっそり手に入るような感じはする
酔っ払っていたあいだにやってたことを思い出したときのような感じで 電磁場で記憶や感覚をコントロールできることが分かっているので
理論上は経験・学習していない情報(知識)を外部から脳に叩き込むことも可能
これは脳接続に近い状態と思われる
クオリア発生源がニューロンの発火と考えられている理由は
おそらく分子レベルの物質の運動がほとんど静電気力によって生じているからだろう
(強弱核力や重力は原子分子間くらいの距離では静電気力に比べて非常に弱く誤差程度になる) ・・・相対性理論のアインシュタイン博士も「自由意志」については否定的でした。すべてのものは、
須らく、決められているとしていました。 ハードプロブレム関係は、書籍が潤沢じゃないので、
もっぱら自分で考えるかネットに情報を頼ることになるんだけど
「脳の意識 機械の意識」という本は説明が分かりやすかったな
それでも後半は難しかったけど 存在しないものを具体的に説明したら、それは嘘になる、
なんでそんなことすらわからない秀才君が多いんだろう、
自分の知識では説明できないことはないと思っているんだろうか、
真実は空想でも虚実でも存在できるが、事実は無理だ、
神は信仰者にとって真実であるが、事実ではない、精神的物質というべきな。
ハードプロブレムとか言い出すやつに限ってすべて具現化し学習できる知識と
理解しようとする、それがハードとか言い出す背景だ。
如何様にでも形が変動しえるものに固定した形を言うおろかさを学べ。 「存在しない」って、結局のところ「存じ無い」って事だからな
具体的に存じない事に首を突っ込むのが愚かだと学んだほうがいいよ >>480はたぶん物理をあんま考えたことがない
>>481は言葉遊びに逃げる文系脳 5chに浸ってて未だに言葉遣いで程度が知れるって法則気づかないもんかね
まーだからこそなんかもしれんけど 精神的防衛ってやつだな
攻撃は最大の防御なり
本能でやってる 私は、自由意志は存在していると思います。したがって、心的因果も認めています。
右手を動かしたいと思う時に私の右手が動くわけです。つまり、心→物質という図
式になると言えます。しかし、物理学者たちは、この図式をほとんど認めません。
物質→心という図式から、随伴現象として心や意識の存在を捉えようとします。つま
り、自由意志はないものとしたいわけです。 右手を動かしたいと思ったときと完全に同じ物理状態を再現したときに
左手を動かしたいとは思うことは絶対にないであろう、というのが現在の物理学
これに反論できるだけの材料があるのか、ないのか これが右手を動かしたいと思った物理状態だと、科学的証明を可能にする
物理学上のモニタリング理論がまずもってないのが物理学の現状。
そもそも
>」右手を動かしたいと思ったときと完全に同じ物理状態を
確定する物理学理論自体存在していない。
反論以前に>というのが現在の物理学
という認知自体が事実誤認。 理性による哲学的判断は理性
そこは自信ではなく自明と言う所 自明と自信で辞書を引いて生きている間に障害を克服できといいのだが・・・>>492 レスに詰まると丁寧語法則を発動せざるを得ない単純構造でしょう 意識のソフト・プロブレムによって法則性に陥るハードプロブレム問題とも言えます 学習法則を奪われ批判の矛先まで取るに足らない方向性になっていますよ>>501 このどさくさに紛れて
>>487が>>488に答えずに逃亡するに3000ペソw 偉大な人に学習障害は多いぞ、
学習して何ぼな時代なら学習だけで学習ではないことを考える必要はない、
障害があるからこそ、超えられない壁を越えようとする知識障害に至る原理が発生する。
超えてはいけない壁を壊すとか超えるという発想ができない時点で、革命者ではなく
たんなる技術の知識にすぎない。
そんなやつが考える真似事をしても、何かを繰り返すだけで、むなしいだけ。 アスペなら壁突破する訳じゃなくて、突破する奴のアスペ率が高い傾向がある
集合論がんばろうな >>488
・・・右手を動かしている時(そういう物理状態)に右手を動かしている心理状態になっていて、
左手を動かしている時には、左手を動かしている心理状態になっているのだから、右手を動か
している最中に左手を動かそうとは思わないはずであると・・・。つまり、これはある物理状態
Aが決まっているときに、心理状態Bがうまれているという考え方になるわけで、この時点ですで
に、物→心の物理主義者の考え方になっています。私がいいたいのはある心理状態がある物理状態
を決めるということで、言っていることはまったく逆のことなのです。 私は、心や精神の存在を認めつつ、自由意志や心的因果も存在しているはずだといいたい
わけです。 右に手を動かしたいという物理状態の時に左に動かすことはある
どちらでも説明できるから物理法則が決定されているとかは成り立たない
決定論は成り立たない
右に手を動かした後で右に手を動かす法則が働いたあるいは、その反対としているだけ どんな事象も物理法則からは説明可能
右に行こうが左に行こうが、辻褄の合わせられないものは存在しえない
だから物理法則自体には意味はない 地上のどんな事象にもその上に法則は表記されていない
されているなら事象、現象じゃない
物理法則があるとか、現象を離れた普遍な物があるとかは、経験できないし、非論理的で臍で茶をわかす 世界が全て物理法則で決定されている
されねばならない
これらは非論理的だし、経験からは絶対証明できない非科学的、非経験的、非現実的な主張である
ぶっちゃけ妄想 妄想というより、それら非(不正・欠点)の欠落を、如何に論理的かつ物理的に統一ある知識として知らしめるかが哲学 516が駄目なのは、論理で縛り知識として結論を結ぶ
過去の解釈にすぎないこと。
それは未来への知識ではなく、未知を考えることではなく、既知を習い学習し思うだけの所業だ。
哲学は考えるがそれぞれの学業の分野の基礎を問うだけで、知識として確定させるものではない。
だからこそ全ての科学は哲学から始まるが科学が哲学に帰着するわけではない。
考えることは未来を掴む知識であっても、過去を思い習い学ぶ知識ではない、頭わるいとそれが
わからんのだろw
考えるのと理解するのはまったく違うんだ、考えない哲学者など哲学者ではない。
偉大である妄想を 棚にあげ論理に縛られ論理を考えない お前の言葉がその証拠である。 しかしお前が言っていることは
>すべての科学は哲学から始まるが
という既知を習い学習し思うだけの所業で
>哲学に帰着するわけではない。
と論理で縛り知識として結論を結んでいるだけだなw
>考えることは未来を掴む知識であっても、過去を思い習い学ぶ知識ではない、頭わるいとそれが
>わからんのだろw
>考えるのと理解するのはまったく違うんだ、
>偉大である妄想を 棚にあげ論理に縛られ論理を考えない お前の言葉がその証拠である。
哲学者でも科学者でも、ちゃねらーであっても、人が言語を記述するということは
過去の情報から構文し結論付けるのだから論理で縛られない言語記述など存在しないからw
お前が駄目なのは偉大である妄想が自己紹介にしかなっていない痛い存在なところであるw 自然科学が未熟だった古代中世と違って
今の哲学って勉強サボっちゃった大人の駆け込み寺みたいなもんだからねー >>519
良い指摘、勉学に勤しみ勤勉に勤め順調に人生を築いて頑張っている人は
多かれ少なかれ人生に悩んでも哲学的な疑問に時間を割く暇は持て余していない。
哲学は教養に身に着けた知識で事足りるので。 吉田松陰の最後を映像で記録したとして、そこには純朴な青年が獄のなかでいろんな人と文通し
いくつもの辞世の句を残し首を切り落とされた様子しか写っていない
それを見た人間が、あるいは松陰に親しく接した人間が、この青年と明治維新を全く結びつけなくてもまるでおかしくない
松陰の死を安政の大獄や、明治維新に結びつけるのは全部こちら側の解釈であちら側にはニョートラルな事実があるだけ
物理法則も、この手は右に行くことが決まっているも、ニョートラルな事実には絶対記載されていない
物理法則通りにしか世界はないとかその主張は頭がおかしい
論理的、経験的に物理主義、唯物論はおかしいし、間違っているのは論ずるまでもない ハードプロブレムの問題にクオリアの私秘性もあるがこれも間違っている
クオリアは私だけのものではない
私は世界に繋がっているし、世界を反映している
クオリアも世界を反映するためにあるから世界に究極的には還元される
同じものに対しても個々の部分である人のある感じと別な人のある感じがずれる違うことはありうるが
生の全体でそれが違うことはあり得ない、概ね世界が同じなら世界の見た結果も近似する
同じような身体持って、クオリアが逆転しているとかクオリアのない哲学的ゾンビであるとかはないなら
三人称客観的に全てが物理的に同じも
一人称主観的に全てが他人と違うも誤り >>518
だからお前はいくつ歳をとっても成長がないし駄目人間なんだよ。 意識はなぜあるかは、心の理論のため
今ここの反射で生きている動物の一部には、「私」はいない
前の自分と後の自分を同一と思う必要性がないから
私が生ずるのは他者の行動がどうなるか、他者の内面をシミュレーションし、間違うかもしれないけどこういう行動をしようという心の理論ができてから
他者と同時に自分がどうしなければいけないか私の過去と未来への判断が生まれる
それがない存在には私もいない
一部の動物とか他者を洞察する心の理論が発達する前の幼児には記憶がない
私もない、私のクオリアもない
何らかの知覚は私のものと認識できないから
他者の過去と未来をイメージし、シミュレーションし、時間も私も意識も生まれる
何故、人間に意識があるかと言うとそういうこと
単純な機能的にはいらないクオリアがなぜあるのかはそういうこと
飼い主の機嫌を伺う品定めしている犬猫は意識も私もある
言語的分節化がされていないだけで
意識は他者に世界に現実に向きあうシミュレーションだから
ゾンビ仮説も逆転クオリア仮説もおかしい
一部に逆転したクオリアがあってもクオリアの総体が逆転しているもありえない 三人称客観に全てを還元する物理主義的分析哲学も、一人称私秘性がこの私の中にあるという立場もどちらもゴミ
間違い
それがハードプロブレムに関する正しい答え 人間の大部分の行動は細胞レベルで機械的反射的自動的に行われて意識していない、無意識的である
呼吸や脈拍やまばたきを意識しない
機械的に行きたい方にかけずり回る幼児に意識はない、全てが無意識で行われて記憶はない
意識が生まれるのは右にいくと楽しい物があるけどお母さんにお尻ぶたれるとシミュレーションし、したいことを抑圧することを覚えてから
無意識に選択を全て委ねてたら、記憶も、他者も、時間も、私の心、内面が存在しない
無論、赤ん坊の時に口に咥えて食べられないと吐き出した物を見た時、前と後をつないで食べられない物と判断したとき、意識の萌芽があるわけだが、本格的な意識は他者の心を推察する心の理論ができてから
間違うかもしれないことをわかりながら、それでもやりたくないことを選ぶ無意識に全てを委ねない存在だから意識が、生ずる
無駄なことを意識する
人間は意識しない呼吸や脈拍を意識する稀有な動物、そして治療にやくだてる
犬、猫は他の犬、猫や飼い主は意識しても、呼吸や脈拍を意識しない
他者はゾンビだとの不安は他者が機械仕掛けじゃないか、他者を推察しても無駄じゃないかとの自然が全て決定されているのでは、ないかとの妄想であり、意識という無駄なことは無駄じゃないかとの不安
全てが決定され、このことを意識することも決定されている無駄なこと、哲学は無駄だという物理主義から派生する妄想で間違い
どちらも仲間 仮に立派な考えを持っていたとしても
文章が下手なのでさすがに最後まで読む気になれない
せめて使用する単語をもうちょっと考えてくれれば… 物理主義取るのは悩むのは心を持つのは無駄、全ては決定され、私たちはゾンビだという立場だから
ゾンビ論法はその裏返し 他者の心を読む必要はない
全てが決定されているから
私たちはゾンビではないか
この不安が哲学的ゾンビ論法を生む
意識のハードプロブレム、クオリア賛成派、反対派
どちらもゴミ 意識のハードプロブレムの問題は、この世は物理的に決まっているはずだ
しかし、この自分の体験している経験は、別の人間はこの場所、この時、この視点からは体験しておらず検証できない
この視点から見た世界は私だけの私秘的な物だ
他人がどう感じているか他人のことはわからないし、私のことは他人にはわからない
決まっている、同じはずなのに、そのことを検証できない、パラドックスだというもの
日本人で代表的な意識のハードプロブレムの否定者は廣松渉と永井均
彼らはいう、意識は存在しない
誤謬だと
廣松に言わせれば心身二元論は間違いだ
意識対象−意識内容−意識作用の三項図式は物象化的な錯視で間違いだ
物と心で物しかない
心は錯覚だ
永井に言わせれば心身二元論は間違いだ
客観的な物とそうでない心の対立など説くのが間違いだ、考え違いだ
私の経験するこの世界は私だけのもので他の者は見れないのだから語り得ない
私の世界は私だけだと言う言葉に他者が応答して、そうですね、私にしかわかりませんですものねと相槌打った時は他者の世界を語っているので私の世界は語り得ない
ただ私と他者、交わらない世界がただそこに在るだけ
それが独在論
私の世界には私の世界、私の心で見える物しかなく、物と心で心しかない
他人とコミュニケーションするため仕方なく物を捏造して語り合ってるだけだ
意識など語り合って共有された物象化されたものは私ではない、私の世界ではない
どちらも意識を否定する、意識のハードプロブレムを否定する
馬鹿馬鹿しい 廣松の議論は意識が遅れ、間違いとして生じたことを取り落とす
悩みがあるから意識が、選択があるから意識が生ずる、全てが答えがわかっているならこんな問題は生じない
現実を見ていない唯物論者の妄想
永井の議論は世界と繋がっているから意識はあり、世界を意識は反映するのに、それをぶったぎって私だけの視点を何故か有り難がる妄想
意識は悩みながら世界に応じるため、世界に答え繋がっているからあるのに、何それを無視してんの?
馬鹿じゃね
廣松渉は悩みのない機械になればいいし、永井均は幽霊になればいい
その方がお似合い
この二人は論外だがこの二人の馬鹿馬鹿しさ見れば意識のハードプロブレムの愚かさもわかる
機械になるか(唯物論)幽霊になるか(クオリアの私秘性)
機械の中の幽霊の怪談話でしかない 廣松の議論でも永井の議論でも他者をシミュレーションし、食い違い、それでも答えようとしてはじめて生ずる本当の私に答えられていない
永井の私は客観的な物象化された一般的な私にすぎない
廣松の議論では条件反射だけで良かったのに意識を持ったその発生理由が出てこない
論理的に間違い >>523他人に駄目だしすると自分が成長した気になれるおまじない乙 意識のハードプロブレムが問題になるのは唯物論の立場を取り、全てが決定されていて自由意志はないとするから
私達はゾンビだと、他者はゾンビじゃないか内面はないわからないと悩む
他人を思い図る心の存在を受け入れれば悩まない
誰もがやっていることだが、物理主義だと解けないアポリアになる
しようもない病気
永井も唯物論の変種にすぎない だめだしするだけの立場ってなんて立派なんでしょう、永井も脱帽 >>534はたぶんハードプロブレムがよく分かっていない 象とか、高度な社会生活している物は、他者と自己が分割され意識があるのは当然
心の理論が発達する前の幼児は瞬きや呼吸を意識しないように意識はない
無意識しかない
今のAIは無意識しかないから、心の理論を作れるようにならないと
心の理論とは要するに計算できない他者の存在を認めると言うこと
AIが意識を持つとはそういうこと 物理主義、決定論取れば他者はいなくなり自動的に哲学的ゾンビになる
廣松はそれを望み意識はいらないと言う
永井も意識なんかないと言う
彼らは哲学的ゾンビであることを望む
他者はいない方がいい
同じ穴の狢 意識はいらないという人の自己責任論がどうなるのか聞いてみたいもんだな 意識のハードプロブレムは唯物論や一人称主観主義=独我論取ると抜け出せない解決できなくなる擬似問題だから
他者がいなくなる
現代哲学の主流は全て駄目になる
意識は他者を前提すること、システムに都合良い共同体化された他者じゃなく
クワインとかも失格
そういう病から癒えれば問題でも何でもない そもそも他者心理は存在しない構造を意識のハードプロブレムというのだが・・・ クオリアが存在するために、物質は必須なのだろうか?
これと似た疑問を、自分はAV鑑賞をしているときによく考えた、「肛門とは、何なんのか?」だ
肛門は、その出口を形成する周囲のお肉がなければ存在し得ない、物体じゃないのだ
肛門のすごいところは、両側のお肉がピッタリとくっついている理想状態を想定すると
そこには空間すら存在しないことになるところだ、完全な「無」であり、概念上の存在でしかないことになる
ゆらぎのエネルギーを持ち粒子と反粒子を生むポテンシャルを持つ「真空」よりもさらに「無」なのである
まー厳密に言ってしまうと、実際には肛門の両脇のお肉は距離ゼロまで接近することはできないので完全な無ではないんだけどね
距離ゼロに限りなく近いところまで肛門を閉じてしまうと、両側お肉を形成する原子同士で核融合が起こって大変なことになるw 物理主義で他者をゾンビにしてしまう限り、原理的に意識のハードプロブレムは解決できない
当たり前だが 基本的なところが分かっていないんだなぁ
物理は自分も他人も別にゾンビにしないよ
仮にクオリアが物質界の因果関係に影響し得るものであることが分かれば
それを取り込み数式化を試みるだけ
今のところそれやらなくても物体の運動をかなり正確に記述できているのでしてないだけ
今の物理学者たちの関心事がだいたい解き明かされてネタにつまったら間違いなくクオリアに手を出すよ 哲学の役割は上で書いた肛門とはなんぞやみたいな
ふだん気にしてないけどよくよく考えると次々謎が出てくるようなものをマジメに掘り下げて考えていって
行き詰った物理屋や数学屋に新しいモノの見方を提供すること
五輪選手より遅いけど鍛え方知ってるコーチ、偉い学者も門戸を叩くお爺ちゃんの玉袋みたいなもんなんだよ >>530
・・永井均博士の思想についてですが、現象のクマモンとして考えを述べてみたいとおもいます。
私と他者、交わることのない独材論の世界においては、物と心で心しか存在せず、私たちは物を
捏造して仕方なくコミュニケーションし他者と交わっている、としていますね。
「私の世界」において、本来知り得ないはずの「物」が捏造されている、としています。「私の
世界」において知り得ないはずの「物」を捏造しているにもかかわらず、我々の間で会話が成立し
得るのは何故でしょうか。現象のクマモンが注目するのはそこです。我々のコミュニケーションを
成立させているのは捏造された物ではなく、言語(ロゴス)そのものではないでしょうか。閉ざされ
た「私の世界」を無数の「私の世界」としての他者へと開くことの出来るこの言語(ロゴス)こそ、
注目されなくてはいけないのです。言語に注目する、こうした風潮はすでに哲学の世界にあったは
ずです。そう、言語論的転回のことですね。 ・・・閉ざされた「私の世界」に着目するよりも、個人の主観を他者の客観へと開き得る、
言葉(ロゴス)とはなにかに注目すべきだとおもいます。このかっこ閉じでロゴスとしてい
ますが、このロゴスこそ、現象のクマモンの唯心論の確信に迫るところです。のちほど、
説明しますね。
意識のハードプロブレムから、話しが少しそれましたね。 難度順的にハードプロブレムに次の順番で取り組むことになるように思っている
1.クオリアの物質界へのフィードバックの有無
苦しいから逃げるのか?逃げてから苦しんでいるのか?
2.意識の境界
なぜ自分の意識は分かり、他人の意識は分からないのか?
3.なぜ私は私のままなのか?
私を構成する物質は絶えず入れ替わっているのに、なぜ私のままでいられるのか?
4.なぜ私は私なのか
無数の生物の中で、なぜ私はこの肉体に宿ったのか? 1.については、近年の測定技術の向上でもはやイージープロブレムになってきている
2.は「神経で接続されていないから」で、空気や空間もなんらかの情報伝達を行っているだろうけど
単にその情報量が神経経由のものに比べて圧倒的に少ないのだろう
本当のハードプロブレムは3.以降だね イージープロブレム側で恐縮だが、昔から気になっていることがあった
街中とかでキレイな人を見つけて「おっ!」と思って目で追っていると
まるで気づかれたかのように目が合ってしまうのだ
脳科学の本とか色々読んで思ったのだが、これは本当に「気づかれている」のだと思う、ただし無意識の方に
脳に送られた情報の多くは意識に上がってきていないことが分かっているが(例えば一次視覚野担当の映像など)、
たぶん意識にはあがらなくても一次視覚野は「見られている」ことをキャッチしているのだろう、しかもどの方向からかまで
それが無意識を刺激し「虫の知らせ」のようなものが起こっているのだと思う 「虫の知らせ」ではなく、周囲にいる人間の反応からそれとなく気づくのだろう。 無意識とか反射は、意識を共有できていないだけで同じ体内に別人格として存在しているのかもしれない
と言うか、物理学的にはそっちの方が例外事象の数を減らせて説明しやすいだろうな ・・・わたしは、勿論、永井均博士の思想を否定しているわけではありません。 赤い薔薇と赤い郵便ポストを共に赤と認識する
全く同じものはなく、違うものを同じと扱うことだから意味がある
全く同じ物を同じ視点から見た物は認識ではない、意味がない
違う物を同じ物だと間違った認識するから役に立つ
本当は青かも知れない、別なくくりの方が正しいかも知れない
また、他者がわからないから認識する
他者のこころがわからない、見えないからおもんばかる、それが認識だ
三人称客観的真理があるも、一人称相対主義も共に間違っているわけで、誰にとっても正しい認識が存在しないから認識する
また、違っているのは当たり前でその違いを乗り越えて他者との正しさを作り出すから意味がある
因果性はヒュームの言うとおり存在しないでたらめなのに客観的真理があるかに語る物理主義
カント式我々は客観的実在はわからない
懐疑主義や相対主義の我々は個別的な真理しか認識できない
哲学的ゾンビや逆転クオリアで他者はわからないんじゃないか
いずれも論外
死ねばいいのに
どれも根本から踏み外している誤謬理論 何かを何かと認識するのは間違ったくくりで認識することで、あるところの赤は別なところの赤と絶対同一ではないし、
青でも何でも別なものにくくった方が正しいかもしれないし、その可能性は原理的に排除できないし、してはならない
また、クオリアが同じか違うかなんか嘘の問題で他者がわからなかろうがだからこそ他者に気を遣い思んばかり
何か良い物を目指さねばならない
わからないから他者の心の理論を作り私が私の自己同一性が意識が発生する
私のある時点のクオリアが次の時点のクオリアと一致する根拠はなく、それはその都度捏造される
私自体も捏造されたもので何のためかと言うと世界や他者の為だ 何かを何かと認識することは間違った同一化、過度な単純化であり、そして間違っているからいいのであり
正しいかどうかは間違ったそれによってより良いものがもたらされるかどうかしかなく
客観的である必要ないしあってはならない
そんな物を物自体は、認識できないとか、他者は哲学的ゾンビや逆転クオリアかもしれないとか
意識のハードプロブレムは頭がおかしい偽の問題だ
他者がわからないからこそ他者の心の理論作るし私も作られる
わからないからこそ理解が間違っているからこそ、わかりあえるように努力し、より良い結果をもたらせるように努力する 宗教板かオカルト板に行ってくれないかなぁ?
それともここの住人に構って欲しいの? >>559
根拠のない幻想を繰り返しても何も得られない、
ハードプロブレムのかけらもない ハードプロブレムは真面目な研究分野なのでポエマーはお断りいただきたいよね 当たり前だが、他者がいるから、わからない読めない他者がいるから、わからないからわかろうとして、心の理論を作りそれでも不確定だから、意識はある
そうじゃなく他者がいなければ意識はほぼ消滅する
ほぼ全てが条件反射、無意識で処理され、過去と未来、自分を結びつける必要ない
意識はない
意識の同一性、意識の各私性が成立しない、記憶はほとんどない
わからない他者がいて、それでもわかろう、よくしようと不確実な状況で頑張るから私が意識が時間が発生する
三人称客観で全てが謎がなく見通せても、一人称の閉じた主観の引きこもりも意識はない
意識のハードプロブレムは誤った偽の問題 目の前の網膜にある一点が赤か青か
どうくくっても、それが正しかった正しくないかはグルーのパラドックス考えるまでもなく曖昧さが残り、別の解釈が成り立つ
その適当な曖昧なくくりを正当化する物は役に立つ、ただその一点にしかない
別の解釈、別の捉え方が正しい可能性は無限にある
人間を離れた客観的三人称的真理も主観的一人称私秘性もどちらも間違っている
局所的実在論取るそれらは論理的に間違っている また、客観的普遍的認識はなく、他者がわからないから意識は必要になる
物理主義の主流派哲学も視点によるズレの観念論や相対主義も間違っているから顔を洗って出直して欲しい ハードプロブレムスレは哲学板じゃない方がいいな
物理に近い分野なのに、ここにあるとオナニー野郎に居座られる ・・・私たちが、赤と言ったときに個々人における体験される赤はそれぞれ違うはずなのに
何故、共通の「赤」として認識しうるのでしょうか。共通の「赤」として、会話に出来るの
は何故なのか、ということなんです。 ・・・「私の世界」独在論を、突き詰めていくと、意識は存在しなくなる、というその論理を
もう少し、噛み砕いて話してくれるとうれしいのですが。 共通の赤は、”あ”→”か”と耳の神経が周波数と共感すること、
耳が聞こえるのはなぜか?ということなんです。
意識は誰がという存在、意識という観測認知です、終わり。 意識のハードプロブレムという問題は、物で全てが決定され全てが機械仕掛けだということから発生する
そうなると人間は機械仕掛けのソンピだったり、内面は無かったり全く別な物だという疑問から逃れられない
だって唯物論なら正にそれは論理的に正しいから
しかし、意識体験とは生が読めないこと、決定されていないこと、他者の内面を探求し、
自己と他者を全て新しい未来に解き放つことを、前提にしている
現実は物理主義三人称客観決定論「ではない」
間違っている いくつかの関連する事象
a1.a2.a3…はそれぞれ別な事実で厳密には「同じ」ではない
同じならそれは意味がない
それらのa………に共通な法則Aがあるということは厳密には「間違っている」
a3やa4はAではなく、Bであると捉えた方が正しい場合が「必ず」ある
必ず別な解がある、正解な場合が「ある」
間違っているから、必ず何かは誤ったうえでその中で少しでもよりましな答えを捻り出すことが答えである
違うからこそ、それを無理にこじつけて、間違いの中からましな正解を捻り出すのが唯一の意味のある振る舞い
他者がわからないから、必ず正解はわからないから、それでも少しでも答えを生み出すから、意識体験が発生する
意識のハードプロブレムを解決するとはそういうこと ・・・私たちは、事前に申し合わせたわけではないのです。にもかかわらず、「赤」と
いう事象はそれ自体、a1.a2.a3…と多くの種類に分類できる、にもかかわらず、私たち
はおなじ「赤」だと言うではありませんか。細かく異なっていても、「赤」という分類
にほとんど最初からそうであったかのように、分類出来ているのは何故でしょうか。 ・・・異なっているのは分かっているのです。にもかかわらず、われわれは無数に異なるはずの「赤」
を、同じ「赤」の中に分類出来るのです。何故でしょうか。 君は答えを分かっているのに
敢えて質問をしているように見える クワインはじめ三人称客観重視の主流派はゴミだが
対する相対主義や一人称重視派も脱構築チャーマーズ、ネーゲル、永井はじめウンコしかいない
その他の奴もにたりよったりで、廣松は錯視してしまう構造だからそれを直せとか竹田は人間は視点でしか見れないから認識は合致しないとか
認識はそもそも違うものを無理やり結びつけて意味を価値を生み出す行為なのに何を言ってんのか死ねとしか思えない
間違っているから正しいのに、何か本当の真実があるかのごとき上から目線
三人称も一人称も物象化論もエトセトラも、間違うから認識に意味のある事実を無視している
郵便ポストの赤と赤い薔薇の赤は違うが同じ赤と取り扱うことは間違っているから正しい 認識は現実を抽象化し、誇張した間違いだが、それでうまく運べばそれで良い
漫画は面白ければ写実との違いは問題にはならない
意識のハードプロブレムは漫画の絵を現実と錯覚したり、漫画のキャラに内面があるかないか悩んでいるみたいなもの >>550
正月番組見てたらやたらと「テセウスの船」なるドラマの宣伝があった
ハードプロブレムではしばしば登場するワード(このスレは違うけどw)
最近の歌で歌詞に「哲学的ゾンビ」がでてきたのもあった
こういうのきっかけにハードプロブレムに興味持つ人が増えて欲しい 認識するとは、ある物と別なある物、本来関係ない物を結びつけて、無理矢理共通だと関係を押し付ける誤り
そしてそれを人間はやらざるをえず、誤りであっても一面の真実がありさえすれば役にたちさえすればそれでいい
三人称客観も一人称主観も、それぞれ絶対の正しさ前提にする時点で論外 三人称客観や一人称主観のそれぞれの絶対的な正しさを前提にするから、
意識のハードプロブレム等の偽の問題にはまりこんで抜け出せなくなる
そんな絶対的な正しさはない
人間が勝手に関係あるよと押し付けた以外に根拠ないから
ヒュームやカントの言う通りに ・・・世界が一枚の絵に描けることを前提としている言語的世界把握において、常に独在論的な
「私の世界」は疎外されている、と言いたいわけですね。 つまり、答えなくていいということか?
それとも答えて欲しくない?
本番を知らない方が、長く自慰を楽しめる これも私ではありません、人気者になったのでコテハン変えます ・・・上のふたつも、私ではありません。人気者でもありませんしね。 ・・・同じことを言いますが、永井博士の思想、その哲学は決して簡単に論駁出来るもの
ではないとおもいます。 言語(記号でもよい)によるコミュニケーションが成立している理由は
発する側と受ける側とで言葉に共通の意味を見出しているからだ
例えばこのスレ頻出の「認識」という語に対して、
書く方も読む方も、おそらくは同じ(か極めて近い)意識状態を想定している
と言うか、それが期待できるからこそ言語による情報伝達を試みようとしているのだ
もし他人と自分とのあいだに共通の理解が期待できないのなら、人は言語を用いようとはしないはずだ このとき想定されている意識状態は、文字通りクオリアであろう
日本で育った人であれば「認識」、アメリカで育った人であれば「recognition」
という映像や音波に対して、このクオリアが発生しているのだ
意味のKey情報は、クオリアであると言える ・・・「私の世界」と言論的世界把握の間には、果たして、まったく接点はないのでしょうか。
この相矛盾し併存する世界観において、なんらかの結節点があってもおかしくはないのではな
いでしょうか。「クオリア」などは、そのよい例です。「クオリア」こそは、閉ざされた今の
「私の世界」にその都度、発生してくるのであり、「私の世界」の内側に存在するものと言え
るでしょう。例えば、こんな例文を考えてみました。「俺は、今、ワクワクしている」この文
章は、「ワクワク」という言葉がクオリアそのものの表現になって成立しています。(ある客
観的な物を介しているわけではない) つまり、今の「私の世界」を語り得ているのではないで
しょうか。つまり、言語論的世界把握の言語(ロゴス)は今の「私の世界」を表現することだっ
てあるのです。 カントの物自体という表現、あれも物自体と物をクオリアで分別していると分析できる
例えば木製椅子、物自体としては、自然物の木でしかない
しかし座る用途を満たすための性質や、形状から何であるかを
認知するための性質としてのクオリアがあってこそ
カントの言うところの物自体という概念も成立可能になってくるわけで。 >現象のクマモン◇ ◆/Pbzx9FKd2
頭のわるいやつって、なんで連続投稿するだろ。 「砂山(はげ山)のパラドックス」もハードプロブレム界隈でよく聞かれるワードだ
いったいどの瞬間にハゲ、山になるのか?という2状態の境界を定義するのが難しいことを言っているのだが
ハードプロブレム絡みでは、
例えば卵割し胚となり徐々に人間らしく育っていく胎児だが、
受精卵の状態からいったいどの時点で意識が宿っているのだろう?とか
細菌のような単細胞生物から、ミジンコ、メダカ、カエル、トカゲ、ネズミ、犬猫、サル、人間と
生物進化のどの時点で意識を獲得したのか?みたいなところで出てきたりする クオリアがある程度の規模の物体に宿るものなのか、それとも原子時点で既に宿っているものなのかが
ハッキリしていないので想像でしか言えないのだが、
仮に前者である場合には、物理的にはやはりある特定の時点で(閾値を超えたところで)意識が宿ったと
明確に言えることになる
例えば、放射性同位体が崩壊するとか、励起した電子が元の起動に戻って電磁波を発するとか
連続していないエネルギーの飛び飛びのポイントを通過したその瞬間のような閾値である 意識のハードプロブレム(心の哲学)は、10年前くらいは2ちゃんでとても盛り上がっていた
リアルではこんな話できる人なかなかいないから、ネットで仲間を見つけて喜んだ
今廃れているのは、もう語り尽くしちゃったからだと思う
結局文字通りハードだったんだよね、ある程度までいって停滞してしまった
今はハードプロブレムのいくつかがイージー化していきているのがある以外だと、
ハードでもイージーでもない他所の分野が紛れてこんできてカオス化している ・・・もちろんですが、592で私が自らの私見を述べたからといって、永井均博士の理論が
くずれるなどというようなことはありませんね。当然ですが・・・。
少し、喋りすぎましたでしょうかね。
しかし、まだ、私こと現象のクマモンの意識のハードプロブレムについての結論が出てい
ませんので、あとしばらく話させてください。 >>597
コンピュータで言えば、ハードはOSプログラムや機械本体、ソフトはアプリケーション
置き換えるとOSプログラム(人間存在の世界)と機械本体(自然という箱物)を
アプリケーション(個々人の認識)が媒体となって成立する、
言うなれば天然のシステム機構(コンピュータ)構造を明らかにせよ
という問題がハードプロブレム。
この本質的なしくみって、語りつくされたたどころか、各分野の理論を統合した哲学として
まるで解答できていないと思うんだが。 昔の心の哲学スレや哲学的ゾンビスレは
住人の数も多かったし突飛なこと言う奴もいなくて
王道ネタで毎日賑わっていたけど
みんなどこ行っちゃったんだろ? >>602
のようにアホ加減を理解できるレベルしかでてこないから 言語障害者の604にはなにか相通ずるものがあるとしかいいようがないな だめなやつは何をやってもだめ、
自覚あるからこそ こういう発言に不快を感じる 被害妄想の不快さを責任転嫁して自己満足を得たという気の迷い ・・・真理は、誰にでも、解り易いものだと私はおもいます。小難かしいものではなく、きっと、子供でもわかる種類
のものなのです。 「おもうだけで解るような真理がある気がする」と
「真理は、誰にでも、解り易いものだとおもいます」
はとてもわかりやすい真理ですよね 俺たち人間はハードプロブレムをチンパンジーに理解してもらうのは難しいと考えるが、
バードプロブレムを解明した高度な知的生命がいたとして、彼らはおそらく「人間には無理だ」と思うんだろうな ホーキングはよく宇宙のほとんどの知的生命はオーバーテクノロジーで滅んでいるだろうと言っていたが、
自滅を乗り越えたのもいくらかはいるだろう
ただそういう種は死を克服しているだろうから生物としての進化はストップしていて、テクノロジーで認知能力を向上させているはずだ 現生人類の認知能力は限界値があんま高くないと思っている
おそらくポテンシャル的には脳が6リットルもあるシャチとかさらに脳がデカいマッコウクジラやナガスクジラの仲間には
人間を超える知的生命に進化するチャンスがあるのかもしれない
あーでも水棲生物だと厳しいかな 人間滅んだときに次にチャンスがあるのは、たぶんテナガザルか南米の新世界ザルの仲間
今生き残ってる人間以外の大型類人猿は繁殖力がなさすぎて間違いなく滅ぶ
テナガザルは脊柱と肩の構造が十分二足歩行の準備段階に入っているから、東南アジアが乾燥してサバンナ化したらたぶんアウストラロピテクスみたいになる ユーラシアはアフリカより環境が多彩でかつ危険な肉食獣も少ないので、アウストラロテナガザルの天下になる
乾燥して肉食化が進み大型化、凶暴化して人間のようにチャレンジ精神旺盛になる
人間を超えられるかどうかのポイントはズバリ脳のサイズで、アフリカにはなかった寒冷地で進化した集団がトナカイやバイソンを狩る旧石器時代段階で2リットル脳を獲得する 地球の生命がハードプロブレムを解明するには、現生人類の次の段階の種に移行する必要があるが、
これは遺伝子操作やらのバイオテクノロジーで原理的にはおそらく達成可能だろう
現実の方に目を向けると「滅びるのとどっちが先か?」「AIとどっちが先か?」あるいは
「地球外生命に教えてもらうのとどっちが先か?」だ
3つ目のは黒船来航が近代化、敗戦が民主化のきっかけとなった日本のようでちょっと嫌だが ところで人間が滅ぶ可能性はけっこう低いと思っている
なにせ今や80億に迫る個体数を抱える種である、根絶やしにするのは非常に困難だ、誰かが生き残る
個体数が激減すると集団間の遺伝的交流がなくなり、地域的な特色が強く出るようになる
どっかに偶然認知能力を向上させる変異が発生すると、そこに新人類が生まれることになるだろう
オオカミからイヌ、イノシシからブタを作るようなもんで、そんなに時間(世代数)は必要としない
500-1000年といったところだ、ここから1万年以内に現成人の有史時代を辿ることになったとして
現成人の遺跡は確実に残っているので、彼らは自滅した過去の文明を知ることになる 他の大型類人猿やホモ属と比較したときに、ホモ・サピエンスが世界を支配するのに有利となった特徴は2つある
1つは多産であること、もう1つはチャレンジ精神が旺盛だったこと(自分だけは成功すると考えるアホっぽい傾向)だ
多くの動物種は保守的で親と同じ生活を維持しようとするのだが、ホモサピはどんどん新しい世界に飛び出した
そしてどんどん死んでいくのだが、子沢山で全滅を免れた
ゴリラやオランウータン、チンパンジーがやっとこさ5年に1頭生むなか、ホモサピは毎年の用に出産可能なのだ サイコパス的精神構造や感情的になりやすいことは人類の文明が現在のレベルに到達するまではけっこう必要なものだった
だけど自滅を避けるためにはここを克服しなければならない
1万年前に滅んだホモサピの遺跡に遭遇した彼らはホモ属が持つこの弱点の克服に取り掛かる
彼らはアタマが良い、よく未来人の想像図があるが、自分も同じようなのを想定している
神経細胞の成長を促進する塩基のループが増え、前頭前野が今よりも巨大化し額がより垂直、あるいは前方に飛び出す
原人→旧人→新人の延長だ
途中今のユダヤ人に多い知的障害なんかもたくさん生まれるが、その遺伝子は旧石器時代の段階で淘汰される
健常人にサバン症の能力を搭載したようなのが新人類だと思えばよい 彼らレベルの人類が自らをさらに高度な知的生命に改造しようとしたとき、いったい何をするか?
サヴァン症レベルの高速計算能力を備えた脳をさらにパワーアップさせる方法とは?
そう、脳の量子コンピュータ化だ、彼らが持つことになるテクノロジーでは訳ないだろう
超速計算能力を持つ量子コンピュータと、高速の化学反応速度を持つ有機化合物複合体の融合だ
ややオカルトチックではあるが、仮にクオリアが生命(有機物)に宿るものだとしたら、
AIには無理だったクオリア発生のメカニズムの解明に、
彼ら新人類は我々の数億倍の処理能力を持って取り掛かることができる 恐竜でも絶滅したのに人間がそんなにもつわけないだろう。現世から去る日は近い
ことが祝福だ。覗きたかり性暴力だけは新種の前に始末処理しとけ。兵糧や金品の盗みや詐欺会社。 恐竜というのは哺乳類で言ったら霊長目くらいの大きなくくりで、例えば、T・レックスだったら
ティラノサウルスが属でホモ属(ホモ・エレクトス、ネアンデルターレンシス、サピエンスのレベルのくくり)に相当し
レックスがサピエンスに相当する
サピエンスの登場は20-30万年前とされていて、ホモ属だと250万年くらい
ティラノ属は白亜紀の終わりに登場して、たった200万年くらいで滅んでいる
ヒョウとピューマみたいな分岐が1000万年くらい遡る種でも交配が可能だけど
今の人類が滅ぶというのは生態系的には科単位で消え去るくらいのインパクトということになるので、
たぶんそんな簡単には起こらないと思っている、ネズミを完全に駆逐するくらいに難しい リアルタイムで80億のクオリアが存在していて、
歴史上1000億くらいの個体数がいただろうと推計されている(たぶんホモ属で)が、
地球上で最も複雑なクオリアを発生させていると考えられる人間の脳が失われてしまうとしたら
それはとてももったいないように思う ・・・自由意志に関して、たとえば、随伴現象として、ある物理現象に付随するかたちで意識や
心が存在する場合に、そこに自由意志が生まれると考えることが出来るなら、そこにはやはりあ
る齟齬が発生することになります。何故なら、ある物理現象に付随して生まれてくるもののはず
が、逆に物理現象の方になんらかの変化を与えるというかたちになるからです。つまり、随伴現
象説から考えると、物→心という方向は変えることが出来ないはずで物理主義者の一元論として
意識や心を考えると、必然的に自由意志は存在しない、という結論が出てしまうことになります。
また、これとはまた逆の話で、自由意志を認めてしまうと必然的に物と心の二元論になってしま
うのです。
そこで、私こと現象のクマモンは自由意志の存在を認めています。さらに、それを物理主義者
も納得出来る一元論で語りたいと思っているわけです。そうなってくると、先にもタイプ同一説
やトークン同一説などを説明しましたが、そのタイプ同一説よりも、さらに割り切って、心や意
識はある素粒子のような極微の世界にある種類の物質、ということにしたい分けです。その物質
が物であり心であるというような全くの逆の性質を持っているとだと思うのです。
・・・クオリアはやはり未来人に託す以外にないのかもしれませんね。われわれ人類が滅びた
文明だと言われる頃にようやく解決するのかもしれません。クトゥルフ神話みたいですね。 イージープロブレムとハードプロブレムの関係は古典力学と相対性理論や量子論みたいな感じで、
考え方を根本から変えないと気づけないモノがあるのだろう
よく理論物理や数学は最後は哲学に頼ると言われるが、
専門家でないが故に、哲学者からは先入観・固定観念にとらわれない発想が出てくる可能性がある
その意味では哲学を自認していない、漫画家やゲームクリエーターでもいいのかも知れない
今の我々はイージープロブレムさえ解ききっていないので、物理で言ったらニュートン以前の段階
ただまだまだ限りなく深遠な宇宙であろうことを知っている点でニュートンとはたぶん違うとは思う もう20年以上も前から、どうも心臓も記憶を持っているようだとか言われていた
心移植を受けた患者がドナーの記憶を受け継ぐとか
プラナリアなんかも、ぶった切って尻尾側から再生した個体が
元個体が経験から学んだ(生来的でない)危険回避などを踏襲しているという
これは物質的なもので説明するのが難しい現象なので、
ひょっとしたらクオリアの影響なのかもしれない、とか考えてしまう
そしてそんなことを考えていると、
パソコンのHDDじゃなくてパワーサプライを取り換えても、
情報が流出しちゃうんじゃないか?とか、つい思っちゃうw 日本語でクオリアは感覚質という。
この現象は主観内にのみ現れ、客観的な言語化や計測によるデータ化は行えない。
従って、クオリアの説明に科学的方法が通用するかどうかも不明である。 >>630
人が認知できる意味に見出せないのと、データ化できないのはまったくべるな、
混沌でも無意味でもデータは、その類のデータである。
だが結果として何かに結びつけられた時点で中身は無意味でも全体は意味をもつ、
科学と非科学の区別ぐらいしろよ。
科学がもたらす現実的意味には、その原理が非科学であろうが、結果が科学であれば
何の問題もないぐらい頭つかえ。科学なんてその程度のものだ。 >>631ってもしかして頭の方おかしい?
何言ってるのか全然わからない上に長い文章の相乗効果で読む気が起きねえW ハーバードのマイケル・サンデルって哲学の先生が東大で功利主義に疑問を呈する講義をやって、というかNHKでやって話題になったことがある
功利主義自体は19世紀にはとっくにクソ味噌言われてたシロモノだが、理数系の自然科学には心地いいであろう考え方で、
理系コンプの文系脳経営者なんかが拠り所にしやすい危うさがある
リベラルアーツの存在意義はこういう単純化された偏った考え方を排除することにある
と思う あたまが
おかしいやつって理解できないことがあるとスルーできないんです。 >>635
そのクソミソの批判がちっとも批判になってなくて結局、功利主義が支配してるってのが実態な訳だが ドーパミンがですぎると、糞っている発言に噛み付いて、完全否定と論破を始める
自己評価の高い完全主義者が誕生する ノ ヽ、 ,___,. u ノ、 | x 9 /
/ ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ| ヽ、_ _,ノ 彡イ
/:::::/::/::://:::/ ∞ / `'ヽ、,l'、
.,'::::/::/:::/;'_;;ハ、; ;/ ゙ト;l,
ノ ヽ、 ,___,. u ノ、 | x 9 /
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ノ ヽ、 ,___,. u ノ、 | x 9 /
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/:::::/::/::://:::/ ∞ / `'ヽ、,l'、
.,'::::/::/:::/;'_;;ハ、; ;/ ゙ト;l, >>639
完全にお前自身のことだな( ´,_ゝ`)プッ >>642
642=639
精神分裂して自分の発言も区別つかないなら、早く病院に行け。 残念だけど病院で治療できる類の病気じゃないよね
己との戦いに勝利することができるかどうか >>630
ちょっと自分流に改変してみた
感覚質のことを外国語ではクオリアという。
この現象は主観内に現れ、言語化は比較的容易だが、計測によるデータ化の方法は確立されていない。
クオリアの説明には仮説→実験→検証→共通の理解という科学的手法が現在のところ適用できない。
しかしこれはマンマシンインターフェースによる脳の接続で意識の共有が可能になった場合にはその限りではない。 >>644
病気を認めるのはいいんだが、己との戦いを他者へぶつけないでくれ。
そういう己との戦いとかいう妄想で俺正義している時点で負け組みよ。 また己との戦いに敗北した模様(負け組は僕じゃない!) ・・・もしも、仮にわれわれの心がある種の物質であるとするのならば、われわれの心の性質はその
未明の物質の性質、そのものになってくるはずです。つまり、あるわれわれの心の性質を探ることは
その未明の物質の特徴を予測することになるのではないでしょうか。
わたしは、「時間」についてこの世界にあるにもかかわらず、見ることも触ることもできないはずで、
「時間」はこの三次元世界には存在せず、四次元以降にあるかもしれないと、そうなってくると時間を
認識できるわれわれの心や意識も四次元以降の性質を持っていなくてはいけなくなってくるはずで
あると。
そこで、われわれの心や意識がある種の素粒子だとすると、その素粒子も四次元以降の世界とな
んらかのかたちで関わっている、と考えることが出来るのではないでしょうか。 物質の構成要素を「粒子」って呼び方をしているけど、便宜上のものだよ
素粒子は空間を占めていない、二直線の接点みたいに数学的にサイズがゼロの点
周囲に力を及ぼすので空間を占めているように考えてもほぼ差し支えないけど
理論上はその決めたサイズよりも接近することだって可能、とてつもないエネルギーが必要になるだけで
なので物質の実態はあなたが考えている心みたいなもん、我々の感覚を通して物質として映っているけどね
いわゆる五感はクオリアをキャッチしていないけど、六感とでも言うべきものがクオリアのセンサーとして働いている
その六感の所在が分からないのは、確かに隠れた次元にあるからなのかも知れない
重力が静電気力や核力に比べて非常に弱いのも、余剰次元に逃げているからという説もある 意識があるかどうかを第三者が観察できるようにならないと、
意識の問題は解決されないよね。
ある物質を使って意識を生成しましたといっても、我々は
その物質に意識があるのかどうかを知る術がない。 意識の正体なんて脳機能の複合で浮かび上がったシステムに決まってんじゃん。どこが特別なんだよ。難しく考えるからいけないんだ。
10頭の狼と、10頭の狼の群れは違うだろ。
そして他人のこころが見えないのは、イヌが原子を見れず分からないのと同じ。そのうち分かるようになるかもしれないし、謎のままヒトは幕を降ろすかもしれない。
で、他人が存在するのかどうか。これは分からない。我々が宇宙の外や太陽の中を知らない(予測しかできない)のと同じ。心も他の物質や現象と同じ。何も特別じゃないし、ほかと変わらない。 >難しく考えるからいけないんだ。
論文のような難しいものは全て単語1つに合理化したやつの発言、 >意識の正体なんて脳機能の複合で浮かび上がったシステムに決まってんじゃん
そしてその「システム」なるものを説明できないばかりか、本人も考えたことすらないというオチ だからお前ら程度では不可能なのよ、自分の無能さをしれ。
どこからから先見の技量をコピペするだけを求めるやつは自分で開拓など不可能なのよ なんだあの池沼の人だったのか
以前はいろいろ意味不明なこと言ってたけど、ついにちゃぶ台ひっくり返したか
ここで散々コケにされてたからなー
もっと謙虚にしてたらちゃんと解説してもらえたのに、行儀悪くしてたんだから自業自得 サールの
存在論的主観的・存在論的客観的
認識論的主観的・認識論的客観的
の区別が参考になるんだろうな。 >>658
誰かが適当に翻訳したそれに意味などない。 環境少女のグレタさんが温暖化がと訴えても、本人は実感してないはずなんだよなーとか思ってしまう
自分なんかまだ東京で冬は雪が普通に積もってたの経験している世代だから気候変動感じてるけどね
ただの受け売りであることが分かってしまうと、関心持ってもらえないんだよね クオリアには無数の種類がある、と思っている
例えば江戸時代の人だったら、
今の僕たちがブラジャーやパンティーに対して抱くような感情はいっさい体験していないはずだ
同様に、未来人の脳には今の僕たちが体験していない様々なクオリアが発生するに違いない >>653
システムとは複数の何かによって構成された総体に浮かび上がる幻影。
10匹の狼の例を出したが、社会にも同じことが言える。1万人が個別に存在する状態と、1万人が集まった社会は違う。
構成素の連関によって生み出されるんだよ。
で、心もおなじ。感覚が、知覚が、認識が、つまりは脳機能の総体に、それぞれの連関によって心が浮かび上がる。
まさか相手を馬鹿だと決めつけて反論した気になるなんて、随分とお前の周りは馬鹿ばかりだったんだね。
>>652
そういうことじゃない。
哲学は批判的に発展してきた側面もあるけど、そのせいで発想が狭められてる。
誰かの考えをたたき台にするのは有効だけど、そこに囚われてるんだよ。だから哲学は袋小路に陥る。
先人の知恵も勿論参考にすべきだけど、「そこから発展させる」じゃなくて、1から自分で世界観を構築してみせなよ、って話。 でも結果を出す道筋すら、結果がどうなるかすら、未来へ向かう1歩すら前に進まない
な君はそれを自覚しているから、この発言に不満を覚えるんだよね。
開拓者にはそれたる姿勢と生き様がある、よりすごいすれは、人には理解できない
行動原理がある、無いのはそれだよ。
評論家としては問題ないけどね、永遠に誰かがいったそれの表現のしなおし。
君には異端さがない、カリスマがない、異常さがない、発狂していない、
なり振り構わず ・ 猛烈ないきおいで ・ 必死の思いで ・ 一心不乱になって ・ 寝食を忘れて ・
決死の覚悟で ・ 目を血走らせて ・ 死に物狂いで ・ 捨て身の覚悟で ・ 背水の陣の覚悟で
というオーラが存在していない。
背中に革命する決意が生じない、ただ無難にシンギュラリティは絶対にくるという気持ちだけ。 意識が物理的世界とは違う特別だという意識には本当に辟易する。我々はちっとも特別ではない。
それは最終的に世界の我々以外全てと同じように理解される。究極の多様性とは一元的である。
いつまで人間は中学生のような特別意識に浸っているんだ?いい加減目を覚ませよ。お前らはその辺の石ころと究極的には同じだよ。 ・・・ここで、コペンハーゲン解釈です。
極微の世界において、原子の動きはわれわれの知るこのマクロの世界とは異なっていて
るとされています。私は、ミクロの世界に近づいていくにしたがって、このわれわれの知
るマクロの世界から次元というレベルでずれていく、のではないかとかんがえました。つ
まり、物が小さくなっていって、原子や素粒子といったような小ささまで及ぶとわれわれ
の知ることのできない、次元にまたぎはじめる、なので素粒子や原子、さらには分子とい
ったサイズまで、われわれの知ることの出来ないふるまいを見せるのではないかと、。 意識が物理世界から隔絶されてるとか、或いは意識が他の物質とは全く違う何かだとか、そういう考え方は根源に自分や人間の特別性を信じたいという欲求が潜んでいる。
その欲求が心を他とは違うように見せ、世界を複雑に秩序だてる。そうして袋小路に迷い込む。
私の考えが石器時代だと揶揄するのであれば、なるほどお前は最先端だ。時間と発展が比例しないことくらいは知ってるだろう?
お前たちは致命的な偏見の中にある。世界とはたった1つの混沌だ。
秩序は我々に発展を齎した。世界を整然と分節し、自己への有益性等で価値を区別することで、生存に有利なように、我々の思考は働いてきた。
だがその進化と適応は哲学のためではない。故に、1度その陥穽から、お前たちは這い上がってくる必要がある。
或いは、その特別視は、動物と植物を分けるかのような、恣意的な秩序立て(分節)だろう。
それならばこう言おう。確かに意識は他の物質とは異なるな。
だがそれは、水素と酸素の違い、動物と植物の違い、陸と海と空の違いと何が違うんだ?
どちらにせよ、意識を特別視する愚直さこそ、欲求に忠実な獣の証左だ。石器時代などよりよほど原始的だな。改めないのであれば、一生底辺で吠えてろ。 だからクオリアなんだよ、
でも受動態仮説なのよ、
おまえら判っていないな、技術的特異点だろ、常識しれ >>668
> 意識が物理的世界とは違う特別だという意識には本当に辟易する。我々はちっとも特別ではない。
意識がちっとも特別ではないと言い張ってるだけじゃな・・・
> それは最終的に世界の我々以外全てと同じように理解される。究極の多様性とは一元的である。
> いつまで人間は中学生のような特別意識に浸っているんだ?いい加減目を覚ませよ。お前らはその辺の石ころと究極的には同じだよ。
一元論的だとか石ころと究極的には同じだというちっとも特別ではない意識が物理的世界で
物理的に現象可能となる科学的な理論仮説を持たないなら
確かに君の意識は、ちっとも特別ではない思い込みでできているということでw これって自分と会話してるの?
それとも元々2人いたってこと? 内容の論理的な問題じゃないから両方の場合で考えてみれば >>676
こちらの主張を言い張っているだけだと言うのであれば、そちらも同様。「意識は特別なんだ!」と頑迷に言い張っているだけだ。
後半に関しては、現在の人類に可能な範囲のみで心の特別性を堅持する詭弁なので無視する。
そういうところが宗教的だと言ってるんだ。神の不在証明を知らんのか。
心があると言い張るなら、あると言う側が証明しなければならない。悪魔の証明程度の「礼儀」すら理解していない癖して対話に乗り込んでくるんじゃない。 >>679
別に対話してくださいなんて誰もお願いしてないし
対話前提で勝手に返答してきてるだけの馬鹿>>679が乗り込んできてるだけだろ
現在>>679に可能な範囲のみで詭弁だと論証はできないので無視すると言え
頭のネジ緩すぎだろ>>679w >>680
こちらの主張に返信しておいて対話じゃないとすれば、ただ相手を否定したいだけの通り魔的な屑か?
それなら野良犬にでも噛まれたと思うだけだが、反論が浮かばないからと煽りに入るのは頭の弱い証拠だ。レスバなら付き合わんぞ。
因みに現在679に可能な範囲でのみ〜、の部分をお前の言う通りにするなら
まず第一に「ので」で因果が成立していないこと(詭弁だと論証できないなら寧ろ正当に反論するか相手の主張を受け入れるかである)、
さらにはその部分を書き違えとして原文の方に忠実に再構成すると寧ろ676の主張が偽であると(私の可能な範囲の外だというだけで)人類には立証できてることになるが大丈夫か? >>681
野良犬に噛まれたという君の判断そのものが君の自己責任だから、こちらはお好きにどうぞとしか。
被害者面して野良犬にレスする馬鹿にしか見えない、君は君の、僕は僕の自由で
自身の意見を書き込んでいるだけだ、いちいち大丈夫か確認する必要すらないよ。
君が人類にw立証できていることになったと思っているならそれで大丈夫だ、心配いらんw >>681
なんかのPTSD?
自分で発言しているのが普通だと思えるとかかなり病的じゃないのかな。
冷静になったら?
>ただ相手を否定したいだけの通り魔的な屑か?
完全にブーメランな発言しているのに気がつけない? 眠っている間はクオリアは発生していないのか?
それとも別人格が感じているのか?
麻酔なんかも ・・・私は、みなさんの「意識のハードプロブレム」の考えを聞いてみたいです。
特に、自由意志に関して、仮に自由意志がないとしたのなら、われわれをつき動か
しているものは何なのでしょうか?
機械論者、物理主義者の意見を聞いてみたいです。 jjajaja típico le das una mano y luego te discrimina por tu rango >>691
それが自由意志に見えるのは、あなたの世界がそれよりも広くないからでしょう。
意志は認識によって得られた外界の情報を材料に作られた燃料です。
あるいは、情報を対価として脳が作り上げたものです。
それは外界の価値によって規定され、また外界の価値は己が価値観によって規定されています。
そして価値観は、生育環境や、生物学的な特性によって指向性を持ちます。
故に意志は存在しても、それは自由ではありません。
真に自由な意志があるとすれば、それはきっと何もしません。何もしないということすらしません。
制限されているからこそ意志たりえるのです。私に言わせれば、「自由意志」という言葉はカテゴリー錯誤に他なりません。 どうなれば自由意思があることになるのか、それを示してほしい
でないと話が進まない >>696
自由意志は存在しないが故に其れを示す事は不可能 じゃあ存在しないものを議論しても意味ない
この話は終わりだ 自由意志肯定したい人は基本的に自由という状態を精密に定義することを避ける
ある前提Aからは必ず結論Bが導かれるのか?
結論Cが導かれる場合もあるのか?
後者の場合、ただのガラガラポンと自由にはどういう違いがあるのか?
こういう当たり前の疑問からはとことん逃げる そして、質問者はもういなくなっただろうという頃を見計らってスレに戻って来る >>700
だからスレ荒らすのはやめろ、火種になっていることに気がつけ ・・・われわれの意識や自由意志は存在せず、われわれが自由意志だと思っていることは、ほとんどすべて因果論的に説明つくものだ
としたのなら、われわれは何のために、今この瞬間を生きていることになるのでしょうか。いえ、何のために、ということではなくて
何によって、と言ったほうがいいでしょう。なにしろ、われわれには自由意志が存在しないはずですから・・・。こうした物理主義的、
機械論的な考え方においては、つまるところなにが、働きかけているのだとおもいますか。 例えば、食堂のランチがA定食とB定食があったとする
「よおし、自由意志でA定食を選んだぞ」と思ってると「いや、それは因果論的にA定食を選んだに過ぎない」と言われる
「じゃあ、B定食だ」、すると「やはり君は因果論的にB定食を選んだね」と言われる
つまり、A定食を選んでも、B定食を選んでも、自由意思はないのだ
もともと無理ゲーじゃん >>705
自発的対称性の破れ(spontaneous symmetry breaking)
を学んできたほうがいい。
有限である観測者からみる具体性、完全対称性に見えるそこには
貴方の言うとおり自由意志などなく、完全対称性にすら不完全対称性を
対称させる自発的対称性の破れにこそ自由意志の本質がある。
故に対称性があるように見える真理にも同時に不完全真理が対称される、時間という前後を
扱える原理の本質だ、完全なら過去にない高尚な抽象性が生じる仕組みをもつ時間など成立しえない。
単純が絡み合ってより高尚な働きを生み出す、この高尚さの働きは過去にはなく、
本質的原理としてエントロピー増大の法則があるだけだ、因果関係という過去を成立させれば
より過去に何かを継ぎ足すより複雑で高度なものが未来に生じるだけな、
これを否定するには過去の事実を否定する歴史捏造(合理化)が必要になる。
チョウセン人になれば出来るさ。朝鮮人にとって正しい捏造した歴史認識を、 決定論は無意味と思う
第1に、世界が決定論で動いているかどうか不明である点
決定論の人は勝手にそう思ってるに過ぎない
第2に決定論だったとしても、その決定論された結果を予測できない
予測できないけど決定されてるという話は全く意味を持たない
決定論者などお構いなしに世界は動いている 自然現象には再現性がある
原因が同じであれば結果も同じ
ならば自然の一部である人間も同様ではないか?
もちろん、現在のところ仮説でしかないが
自由意志は、類推可能な現象の例すらない
それに、決定論的であったとして、別に意に反した行動を強制されるわけじゃない
我々は結局、最も理にかなった行動を起こすことに変わりはない 中世の宗教家たちは
「絶対に選択を誤らない」原則から「神の行動の可能性は1通りである」が導かれ
「つまり神は機械である」という結論になってしまう事実に苦しめられていたらしいね >>709
サイコロ転がすといつも同じ目が出るか? >>711
面白いこと言うな
しかし真実の一面をついてもいる
再現性を認めるには、条件、原因を同じものにしなければならない
一般的に、サイコロを手で振った時、サイコロの目を同じにできるほど条件を揃えられない
しかし、同じ目が出るための条件を揃えられれば話は変わる
たとえば、同じサイコロを使い、機械か何かで振り方を厳密に一致させられれば、常に同じ目が出るだろう
(現実にそのくらい高精度の機械を作ることが可能なのか、という問題はあるが)
そして、再現性を語るためには、どのくらい条件を一致させられるか、どのくらいのブレが許されるか
同じ条件と言える位に条件を揃えられるのか、同じ条件とは何が一致しているということなのか、という問題が出てくる この宇宙の姿が可能性の積分だとすれば
最近流行りのモザイク破壊というエロ動画が生まれたのも
納得いくというもの・・・ >>893
・・・全部ではありませんが、ひととおりスレを読ませてもらいました。唯物論と唯心論に
分かれて(時には、唯物論同士が)、蛙鳴蝉噪な議論が尽くされたのではないかとおもいまし
た。どのような主義主張も完璧なものではないがゆえに、なんらかの主義主張立場をとらざ
るを得ないわけですが、それにしても唯物論と唯心論は水と油のごとく、ほとんどまじわら
ない考えならびに価値観なのだなとおもいました。 ・・・トリップのつけ方、間違えましたね。ごめんなさい。 ・・・仮に、わたしたちが自らの意志(自由意志)によって、生きているわけでも、動いているわけでも
ない、とするのならわたしたちを生かしめて、動かしているのは何者になるのでしょうか。これは少な
くとも、わたしたち自身ではないということになりそうです。 偽者を厳密に同じものにすると、微妙な差異から気持ち悪さやら奇怪に見える不思議 若い頃に自然科学系の学問をしっかり学ばなかった人はかわいそうだ
人文・社会と違って経験やインプットからだけじゃなくて鉛筆動かさないと身につかないからね
社会人になってからだとそういう時間なかなか持てないんだよな >>703
死への緊張感が絶えず続く状態、つまり食うか食われるか、という環境下では常に本能的にならざるを得ません
野生の動物が狂暴なのはそういうことで、人間でも狂暴的な精神の人は劣悪な環境下で育っていた例も多いでしょう
では愛玩動物はどうでしょう?
動物愛好家に飼われている動物は、死への緊張感が絶えず続く状態とは言えません
性格も野生の動物に比べるとおとなしくなる傾向にあります
その「おとなしさ」も人間が持つ普通の精神状態とは違うと言えるでしょう
生殺与奪の力は人間側にあり、愛玩動物は自分で生をコントロールする立場ではないからです
それに人間から生きるということをいくら保証されていても、それを動物側が認識する術はありません
まず認識しなければならないのは、
人間がごく普通の精神状態だと思っている精神は、死への緊張感から非常に遠いところで成り立っているのだ、という事です
本能に突き動かされなくても生きていけるということ(自覚がないだけで本能的な部分はいくらでもあるでしょうが)、
次に意思決定するまで本能的に行動してしまうこと以外の行動を思案する余裕、つまり意思決定までの時間的な猶予はとても特別なものと言えます
その特別な時間的猶予のなかで、我々は様々な「きづき」をしてきたわけです
他の動物からするとその時間は非常に自由に感じられると思いますが、
それが「われわれが自由意志だと思っていること」とは違うものなのでしょうか? >>720
自由意志によって生きているわけでも動いているわけでもないと思える現象のクマモンは
自由意思の強いものに従い死なないで動いているとしか言えない者ということになります。 自分が駄目な奴だと無意識で感じているからこそ、
駄目な奴は何をやっても駄目といわれると、むしょうに反感をもち
妬み、恨み、上から目線だとか酷く無視できなくなる。
おまえらの病気のことだよ 人間は自分の内面は分かるけど、他人の内面は知りようがない
だから自分の内面から他人の内面を推定するしかないんだよね ・・・自由意志が存在していない、という前提のもとそれではわれわれ人間をつき動かしているのは
何者になるのか、この問いかけはあくまでも物理主義者や機械論者の立場に立ったときに生まれてく
る疑問のはずです。
>>703
「本能」というワードが出てきました。たしかに「本能」はわれわれ人間を生に向かって生かしめ
ている進化した心理システム、情動と言えることでしょう。しかし、もっと具体的に言えるはずなん
です。「本能」に従って生きる人間(あるいは他の動物もふくめて)は、何故、生きることを選ぶので
しょうか。
>心理システム、情動
こういう意味を精密に定義していない言葉に置き換えて誤魔化しているうちは殻を破れないと思うよ >>737
そういった疑問は>>47-54あたりでも触れていますよね
個人的な意見としては、
人間は必ず死ぬくせに、
人間の精神は人間(自分自身)を死なせいように設定されているのではないか、と思っています
恐怖や痛みなどは人間を死なせないための機能だ、と
もちろん自殺する人は現実にいますし、その原因として恐怖や痛みなどがあるわけですが、
人間は未来を予測できるが故の、本来の機能としてはかなりイレギュラーな反応であると思います
より本能的な他の動物ではほとんどない行為です(なくはないみたいですが)
その設定を、誰が何のためにしたのか?という疑問は当然かも知れませんが、
このスレの趣旨的にそこが特に重要な事だとは、私は思いません >>737
それは生物は生きようとする機械だから
何故生きようとするのか、それは進化で獲得した性質
生きようとしなかった生物は淘汰で消えて、生きようとする生物は淘汰を生き残った ・・・人が何故に生きるのか、他の動物も同じかもしれませんが、それは子孫を残すためです。
つまり、種の保存こそが人間をふくめたすべての生き物の生きる目的である、と言えるでしょ
う。種の保存とは、すなわちなんでしょうか。それは、ある情報をこの世代から次の世代へと
つなぐことです。その情報とはすなわちDNAのことであり、遺伝子ということになります。自
由意志が存在せずわれわれが自らの意志によって生きていないとすると、われわれの主体は遺
伝子ということなりそうです。物理主義者や機械論者の立ち位置からすると、そういうことに
なります。 「生きている」は物理論者や機械論者にとって単に表徴でしかない 川も構成する分子は入れ替わりながらも常にH2Oであることを維持しているし
鍾乳石は石灰、マントルはケイ素や鉄やニッケルやマンガンや、、、で、
別に目的なんかなくほぼ重力と静電気力の作用で(強弱核力は大した影響力ない)
元素的な同一性が維持されているだけ
川にも鍾乳石にもマントルにもおそらくクオリアは発生している
人間は彼らを無生物であり機械であると見なしている
そして同じように彼らもDNAを設計図に作られている炭化水素の塊を機械と見なしているのかもしれない >>747
おそらく発生しているって、一体全体どういう原理でそう考えられたのか・・・おそらく出鱈目だろうな >>747
認識したり、思ったりするには仕組みが必要だ
人間の脳みたいな
そんな構造のないものには認識したり、思ったり出来ない このスレ挑発的なタイトルの割りに冷静なレスが多い
ちょっとお勧め
哲学者はなぜまともに物理学を学ぼうとしないのか
lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1582705511/ 人間は、今回のコロナウィルスの騒動で、
マスクやトイレットペーパーを買い占めたりしているが、
AI に身体が付いたら、そのAIにとっての必需品を
買い占めたりする行動をとるのだろうか? 駄目なやつが駄目な思考して、合理化に流されるだけ
理屈ってやつだよ、
自分から見て理屈の正論でも、他者から見れば屁理屈の愚考にすぎない。
具体的なことばかり掴もうとするから永遠に本質はつかめない。 >>753
掴んだ本質があるなら屁理屈こねてないで論理的に記述してごらん。 >>754
本質は人に説明できる類ではない、論理的に説明できたら
それは本質とは違う偶像でしかない、IQ高すぎて本質すらわからないぐらい
意味を合理化しちゃったの? 彼の主張を俺なりに翻訳してみると、、、
本質(なるものは)
(1)つかむことはできる
(2)だが説明することはできない
(3)(説明することができないということは)言語化できない
(4)(言語化できないということは)その概念を表す語彙が存在していない
ということで、
要するに外人にはわからない「わびさび萌え」なる感覚を日本人だけが理解しているように
一部の悟った人たちのあいだだけで通用する語彙を作ってしまえばいいのだ
そしてその語彙は「あ」でも「い」でもなんでもいい訳で、ズバリ「本質」でもいい訳だ
その「本質」で2人の間に共通の理解が発生している限りではね >>756
そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素が本質
性質や要素を論理的に説明する知能があれば合理化する必要はないと思うよ ・・・自由意志は存在しないという前提に立ったときにわれわれは自らの意志で生きている
わけではない、ということになり、どこまでも因果論的な物理主義的な思考によって行きつ
くイメージは、われわれの体を遺伝子がのっとって操作している、ということになりそうで
す。生きる目的は物理主義者や機械論者たちにとって、それは自然における因果論によるは
ずであり、そうなってくると子孫を残すという目的からその主体はやはり遺伝子になるはず
だからです。 生物には子孫を残すという目的があると考えている生物学者はあまりいない件 >>759
自由意志の存在は人が考え出した概念、遺伝子の存在は人が考え出した概念じゃない
遺伝子がのっとって操作しているわけじゃなくて、主体的に頭を使える知能が足りないから
現象のクマモンの思考がコンガラガッテルだけですw どういう場合、自由意思が存在すると言えるのか?
それを具体的に示してもらいたい
そうでないと、この議論は進まない この議論t?自由意思が存在するかしないかって議論でどういう場合存在するといえるのかって議論? そういえばそれにふさわしいスレあったからそっちで議論すればいいよ 自由意志やりたいならマジでこっちに行ってくれ
自由意思はないかもしれないよね?
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1536251164/
自由意志もハードプロブレムの関連とは思うけど
この話題はオカルトじみたこと言う奴が加わってきて大抵話のレベルが酷いことになるんだ >>768
どこいっても同じメンバーだから意味無いなw >>768
理解できないことをデタラメだとレッテルはる、
オカルトとはそれを言うんだが、
貴方の標準では妖怪とかファンタジー世界とか、魔法とかなの?
昔は地動説がオカルトだったわけだ、それは理解できないことの
レッテルでしかない
相手が何をいっているか問い正す前に、言葉尻だけを叩いて
1つが矛盾するなら全ては嘘だと強引に押し倒す
そういうことが普通に行われていることすら自覚ないなら
貴方こそオカルトの代表だ。 >>758
まったく意味不明だよ
本質とは決してつかめないもの、主観的なそれは自分自身では
正しいように認識できても他者からみれば偶像でしかない。
具体性を示せば嘘になる抽象度の塊なのに論理で具体表現しちゃう
本質など異世界の物語でしかない。
たぶん「物」と「事」の区別ができない人? >>771
言葉や記号の意味は万人が知識するための共有ツール
本質の意味を論理的に扱えるだけの知能がなければ
君が告白してしまっている通り、本質など君の主観的な「それ」だったり
「本質とはけっしてつかめないもの」という認識が正しい偶像だ
という知的認識に及ばない非論理的自説を持ち出すしかない。
具体性を示せない、示す能力がないだけで、君は嘘の告白をしているわけではない。
たとえ君が物と事の区別したところで、君の本質はなにも変わらない。 ・・・本質や真理と言われるものは、きっと誰でも理解できる種類のものではないかと私はおもいます、
それは目で見ることができるできないではなくて、証明されてくるものだとおもうのです。 とりあえず自由意志の話が終わってくれたようでよかった あるものの本質とは、それを利用しようとするときに、その利用に必要十分な部分を
きれいに抽出できた結果物を言う。すなわち、先にあるものではなく後に現れるもの
である。なお、この利用とは意識的な目的に基づくものではなく無意識的な価値観に
基づくものを言う。 内容の適否はともかく
議論対象となっているワード(今回は「本質」)を定義しようとする姿勢はよい
意味を曖昧にしたまま各々が好き勝手言って収拾付かなくなる人文社会の悪いところは
ここでは避けたいよね、ハードプロブレムは自然科学に近い領域だし ・・・素粒子や原子、分子といった極微の世界におそらくは意識と呼ばれる未明の特別な物質が
ある、という説明は現象のクマモンの純粋に独自な発想によるところのものになりますが、これ
からその考えは詰めていくものとして、ひとまずはどなたかの、自由な意見を聞いてみたいです。 >>779
自分もそう考えているよ
石ころや鉱物は非常に安定した物質で粒子の動きがほとんどないからコイツ等にはほとんど意識の変化がない
対して有機物はとてつもないスピードで化学反応が次々に起こっているので複雑な意識がある
※生物の体内で起こっている凄まじい化学変化の連鎖は高校生物+αの教科書読むとイメージできると思う
ブルーバックスで「大学生物学の教科書」というシリーズがあるんだけど、これの1巻が良かった
このとき「ではコンピュータに意識はあるか?」「睡眠中の動物に意識はあるか?」「脊髄に意識はあるか?」
なんて疑問が当然湧いてくるよね、これについてはまた考えていきたい 意識を扱う物質が仮に存在するなら、全く見つかっていないのは不自然過ぎるし
そこらの石ころに含まれてたら、石ころに意識が存在することになる
通常のやり方で検出できないなら、それを「物質」と呼ぶ根拠はどこにあるのか分からない そこは定義の問題だから別に物質と呼んでもチンコと呼んでもマンコと呼んでもいい
粒子だって空間を占めていると考えて問題を起こさないから便宜上なんか小さな玉があるかのように定義しているけど、
それ以上接近するには無限の力が必要になってしまうというだけで場とかエネルギーと似なもんなのかもしれない
検出できていないのはそのまんま今のところ主観以外に情報を得る方法が見つかっていないから
クオリアについては「電磁波を反射しないが重力を及ぼしている何かがあるみたいだ → よし、ダークマターと呼ぼう」
としているのと同じと考えればいいでしょ 単なる雑な想像、そもそも言葉の取り扱いなんて頭にもないよ >>781
うーん
率直な感想は
アホ過ぎる
低分子に意識なんてあるわけないじゃん ただ、すでに見つかっている物質に、現象としての意識を起こすような素因があるのではという意味では同意
粒子や力ではなく、運動や共振のようなものかも知れない
意識と言えるものになるにはある程度の規模・構造が必要で
それが化学的なレベルのことなのか、量子論的なレベルのことなのか(あるいは両方)は分からないが
それにしても、特定の個人の「とある感じ」を説明するのは複雑過ぎて難しいだろうし
他人にとっての感じ方を実感することは不可能だろう
(理解できると実感できるは別) ジョン・サールが言ってる。
人々は脳の働きを最先端の科学技術で説明しようとしてきたと。
かつては水車、コンピューター。次は量子ですかw 俺はジョン・サールとロジャー・ペンローズのどちらかを選べと言われたら
ペンローズを選ぶ
現在のところは空想が多すぎると言われるかも知れないが
失敗を恐れず大胆に考えを進めようとする態度に敬意を抱いている 心の哲学ジョン・サールと宇宙物理学・理論物理学者のロジャー・ペンローズだったら
ほとんどの哲学者は同業者じゃないけどペンローズ選ぶだろうな ・・・「意識は、必ず物質的な基礎を持たなければならない」とペンローズ博士が言ったように
私も、「意識」はなんらかの物理現象として生じて来る種類のものだとおもいます。 意識は存在する何かではありません。「無限」のようにあり得ないものに対しても
我々は名前をつけることによってあたかも存在するかのように扱うことができます。
意識も同じようなものです。ただし我々が存在しないものを認識して名前をつける
には条件があるでしょう。それはその名前から想定される、ある状態の持続を仮定
できるということです。意識について言えば、自己の認識の持続になるでしょう。 >>794
たとえ自己の認識の持続だからといって、意識は存在しないという断定が妥当かどうかには疑義がある
たとえば、温度の正体は運動だったからといって、温度は存在しないとは言わないのと同じ >>794
自己の認識の持続が存在していることを意識しているんだから存在してるわけよw そういうのは存在という語の定義次第でどうとでも言えるものだよね
ナンセンス 定義して説明できない時点でナンセンスだったごめん、と反省したほうがいいぞ >>793
それは、サーモスタットも意識を持つということでしょうか?
物理現象であるというだけではなく、
生物学的なバックグラウンドがなければならないのでは? >>794
何で存在する何かではないと言えるのか、私は疑問に思う
普通に存在すると考えて良いのではないか
ただし、意識は物質ではない
脳の活動状態を示している >>799
生物云々は今はそうだが、将来は分からない 哲学=バーリトゥードを理解していない奴が役1名、、、 バーリトゥード持ち出して理解できてるるつもりになってる馬鹿が一人で自己紹介w
バーリトゥード持ち出す
ことは
即ち 天下(てんが)への反逆、神仏への狼藉と あいなります
ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー
というわけなんだろ?
どうだね?
...-ー、,-─
.-=・=- i、-=・=-
.. / ー-' ヽ . .
.. -=ニ=-
ヾ.f'、:.:. '´ '"~"' /l'
ヽ._):.:.、 ,. ' l
トi、ヾ:.. 、 _,. - ' |
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/ヽ 丶、 `¨¨´ ト、
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{lilili/{ ' ,.-‐'"´,:,! ' 、ー-‐ ' Nlハ⊥
|lilifリハ .: '、 _,.ノ,' ,. }、 tf{´i, l|
'、Yヾ :. l /ィ三三シ'^ / ノ
ヾ.f'、:.:. '´ '"~"' /l'
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平日昼間から長文
もう完全に逝ってるよなw
来世は気狂い度は もっと酷いよ 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
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平日昼間から長文w
来世の気狂い度は もっと酷いよ
良くなるわけ無いじゃん 馬鹿な理系は説明文、論文しか書けないということの真偽は。 バーリトゥード(Vale tudo)は、ポルトガル語で「何でもあり」を意味し、20世紀においてブラジルで人気を博すようになった、最小限のルールのみに従って素手で戦うフルコンタクト方式の格闘技イベントの名称である。
一部の論者は、バーリトゥードを近接格闘術 (combat sport) のひとつの形態と捉えている。
バーリトゥードは他の様々な形態の武道(マーシャルアーツ)から技法を取り入れてきた結果、 今日の総合格闘技に近いものとなっており、「総合格闘技の代名詞」と称されることもある。 引数に対してどのような関数を通過することでアウトプットが生まれるか。
その関数を知りたい。とくに人間に限定した場合における、その関数を。
という未解決問題だが、わりと瑣末な問題よねえ。 意識は自己を関数として認識することもできる。
もしくは、関数は自己を意識として認識することができるのか。 >>818
粗末な頭が瑣末な問題よねえと割って解決してくれたことに感謝とけw なぜクローン人間である綾波レイが感情に目覚めたのか。
結局、意識の関数は共有できる。
そのトリガーとなるのは、情動、欲動でしないんだろうな。 >>821
感情なかったらアニメが詰まらなくなるから アニメなのでたしかに厳密性は問われない。
しかし、意識のハードプロブレムが解決されるということは、そういうことに過ぎない。 悟空とギニューが身体だけ取り換えたみたいな実験やればいいんじゃね。 りんごのりんごらしさを証明する式をまず教えてくれ。 >>826
そういう式はあるの?
何であるって知ってるの? >>827
いや、ないですよ。
ないとわたくしは思います。
この未解決問題に関してわたくしは、疑似問題ですよ、というスタンスです。
ただし、ここに意識のハードプロブレムを解決できる人間がいるならば、まずはそれを教えてくれ、という期待の意味を込めた書き込みですよ。
>何であるって知ってるの?
意識のハードプロブレムを科学的に解決しようとするならば、センスデータをのものをあらわす式がなくてはならないと思いますよ。 この未解決問題は、
正確にいえば「今ここ」の世界においては疑似問題。
もちろん解決している世界もあるだろうね。
しかし、そういった世界の複数性は、わたくしからすれば、前-最終形真理的世界に過ぎない。
前-最終形真理的世界については、5chでは書かない。
哲学板を混乱させてしまうだけだ。 >>829
意識とは自己認識だろ
認識は必ず誤りを含む
だから式で表せてはダメなんだ
式があるとは認識できてないということになる 安西大樹といい沼といいわざわざバカコテアピールウケル >>833
ほら、結局、認識とは式であらわせないということが前提になる。
そうすると、科学的アプローチはすべて通用しないということと同義だ。 >>836
観察による演繹が使えないということだからだ。
意識がなんらかの変化量であるならば、必ずその変化量をあらわす計算式によって定義されねばならない。 変化を視覚化する科学的仮説も技術もなければ
何を持って観察と定義するのかすら科学では不明なのだよ >>837
アルファ碁というAIあるでしょ
アルファ碁の開発者は何でアルファ碁が何でその手を採用するのか、分からないのだよ
アルファ碁は過去の対局から学んで着手を選択してる
着手を決定する式なんてだれも知らない わからない、のではなく、えらくめんどくさいからやりたくない、だけである。
しかし、そのめんどくさいことも機械ならできるであろう。 面倒くさいことを効率的に計算するのが機械、めんどうくさいからやりたくない、だけである。
とわからない弁解をしながら、機械に期待してしまうのが凡人 人工知能について少しでも調べてほしい
そうすれば意味がわかるから >>840
誰も知らないアルゴリズムを抽出するのが、科学者の仕事なのでは?
碁における乱択アルゴリズムは確率論的であって、人間はその確率論的な着手において機械に劣るということが証明されたに過ぎないのではないだろうか。 >>840
プロ棋士も、AI碁の影響をもろに受けてるからな
昔は、序盤でいきなり三々に入るのは良くない手とされてたが、AIが平気でそう打つから、今では普通に打たれるようになった >>844
機械学習のこと分かっていてそう言ってる?
分かってないよね
機械学習の中身はブラックボックスなんだよ
開発者にとってもね
将来、コンピュータによる意識が生まれたとしても、その中身は誰も定式化できないものになるはず >人間はその確率論的な着手において機械に劣るということが証明されたに
>過ぎないのではないだろうか。
確率論的な着手と確率論的な着手で対抗すれば正確に実効できる計算量が
多いほうが優勢になるのは実証する以前の問題だろう。
確率論的な着手に対抗するには、相手に統計的な手や学習した手を選ばせる
ことで目の前の優劣で相手に優勢を選ばせる。
世界の仕組みが全て目の前の事象のみの優劣で決まるなら確率論と学習で
すべて決まるだろう、だが目の前の優勢を選んだ結果なん手も先で
優勢が逆転する現象もすくないが常にある。
故に学習量を超えた領域でその数手先で不利になる目の前の優勢を
確実に誘導できれば勝敗は確定しないということも然り。
全てのパターンを学習し尽くせばそのような逆転の隙は生じないが
それは論理的先手必勝などの話になり、ゲームではなく機械行動になり
勝負でもなくなる。 将棋やら盤ゲームのような閉じた世界では、城攻めのように兵糧を枯渇させ
戦力が失われる原理によって攻め側が有利になるが。
守り方が資源が枯渇せずに無限に資源を得られるならば、
当然その有利さは守り側が優勢になる。
この程度の話も理解できないから、あたまごなしで城攻めは攻め側が必勝だと思い込むのである。
過去のそれでは敵に発見されない裏口を使い城の資源は枯渇しないようにする兵法が
普通に存在している。 AIを盤ゲームなら常に勝利へと結べるはずだという理解で考えるから
難解な盤ゲームが攻略できればAIは万能であるというバイアスがある。
上限そのものがない数学問題である 「巡回セールスマン問題」 で考えればわかる
この問題が解けないのは都市の数の上限がないからである。
学習と最適化で行う大規模ニューラルネットワークでは、かならず最適解が
得られない抜けができてしまい話にもならない。
恐ろしく有名な 「巡回セールスマン問題」すら知らないのならハードプロブレム以前の
知能であるのは明白だろう。 >>843
遠慮せず、君がAIの何について調べどう理解してどんな意味を知って欲しいのか言ってくれて構わない >>851
5chは基本3行厨房だから、その思考の範囲じゃないと駄目なのです。 >>853
ルールじゃなくて呪いよ、学問的には バイアスがかかるという原理 心理学的なバイアスごときリミットで説明できないなら哲学はあきらめろ 結果にたどり着けないのに説明して割り切るのが無能の証拠。 3行以上の書き込みでオカルトじゃない書き込みがそもそもなく、これからもないw >>225
確かに
それだと、カント以前に戻ってしまうなあ >>860
なのに無視できないとか、あなたがオカルトの当事者だってことかな 自己中は常に競争と勝ち負けという構図でしか物事を観察できない、
短絡する単細胞の行動は気持ち悪いだけ。 オカルトにも価値があることを論理学者は見抜けない。野矢茂樹だの三浦俊彦だの高橋昌一郎だの、そのあたりの二流学者には。 オカルトの価値がわかるのは、オカルトを理解している人だけ、
第三者の貴方ではないし、二流どころか一流でも超一流でも無理な話である。
なぜならオカルトは論理ではないからだ、論理で理解しようとしている貴方には
永遠にわかったつもりになれるだけ。
チェックポイントとしてオカルトを理解しているというのならば、
非論理で結果をだせる術、偶然の原理で必然をなす術、
結果が先で原理を後から確定させる術、それらを日常で扱えるかどうかの話である。
口だけなのは飽きた。 オカルトで面白がれる馬鹿の日常に興味は無い、安住の地、オカルト板で永遠と続けなさいw だいたい、オカルトは実践で示すしかないのに
5chなんかでごちゃごちゃ風呂敷広げて
なにがやりたいのかね
似非なんだよてめーわよ>>868 ハードプロブレムスレの歴史に名を残す馬鹿が現れたって感じだよね >>870
だから、てめーはオカルトだといわれるんだよ。キチガイ帰れ オカルトは要するに、科学が扱えない部分を扱うという死ぬほど重要な、スピリチュアリズム哲学なんだよ。 心霊主義はspiritualism(スピリチュアリズム)の日本語訳のひとつであるが、
「唯心論」「精神主義」とも訳されるため注意が必要である。唯心論は、精神の独立した存在と優位を説く学説[3]であり、哲学に
おいては、心霊主義(心霊論)は唯心論に含まれる[4]。 いまのオカルトは大盛況で、唯心論じゃないものもある。 オカルトの話になると盛り上がる
物理の話になるとブチ切れる 逆に物理的に意識を解明できたら大盛り上がりするだろうけどね
オカルトは心象あればなんでもOKだからくだらん 意識は、ただの物理現象である。
と、できない理由はあるのだろうか?
特にないように思えるのだが。はて? 何でなんでそんなに意識を不思議だと思うの?
意識は脳の活動でしょ
それでよくないか? 意識が生じる知的原理を問題にするのが哲学
意識は脳の活動という認識で観念する人には必要のない学問 >>884
熱が均衡になる知的原理を問題にするのが哲学
熱は自然の現象というチン地で観念する人には不要のない学問 >>879
>オカルトの話になると盛り上がる
>物理の話になるとブチ切れる
天動説の時代での地動説は間違いなく当時の学識者の99.9999%はオカルトとしているのです。
物理の話は観察によってそういう風に観測されるだけの話であって観測ではみえない事実ではないのです。
オカルトは目に見える具現化された幻想のみをオカルトと信じてしまった結果の無知がから
想像される用語すら理解できていない人が普及させた新語にすぎません。
つまり本来のオカルトの意味を調べずまったく理解せず、事実である本来の意味を
俺のオカルトじゃないからデタラメだとレッテルはる、それが貴方の本質です。 >>876
>オカルトは要するに、科学が扱えない部分を扱うという死ぬほど重要な、スピリチュアリズム哲学なんだよ。
扱えないのではなく、扱うのが困難でその携わる学者すら99%拒絶しているからこそ
オカルトなのです。単なるレッテルの感情論にすぎません。
科学的立場ならば、オカルトを現象原理と捉えるべきであり、その立場ではなく
デタラメと割り切ることがオカルト思考なのです。 このスレに乱入する3行より多い文を不快に思う厨房のほとんどは
未来技術板からきた幻想と現実を区別できないヘンテコな脳をもっている
自己中でしかないのです。
彼らが常駐しているスレ(技術的特異点)関係ではレッテルを貼ることで、
異世界設定で空想しかできない人ばかり集まるからこそ自己嫌悪に落ち
哲学板に乱入しているだけであります。 今のところの皆さんのいちばん納得できる仮説はどのようなものでしょうか
私の仮説は、何でも起こり得ちゃうからこうなっているです >>885
頭の熱を均等にできない馬鹿に知的原理は無用 >>889
自分は生物の進化によるものだと思う
この世界を最も正確に認識できる生物が進化して生き残ったから >>892
二足歩行で三次元空間に意識を向けた進化の賜物だよね。
そういう仮説を立ててる本読んで納得した。 ・・・目に見えないものを相手しているだけに一歩間違えるとそっちの方向に行ってしまい
がちになりますね。また、量子物理学でいろいろなことを言うひとが多いのでジョン・サー
ル博士のような哲学者は量子物理学そのものをも倦厭しがちのようです。仕方のないことで
す。 >>895
その得体の知れない感想のほうがキモイわ 912 :学術 :2020/03/18(水) 17:49:36.16 0
セックスはさておき障害者ポルノなんて結構出てる人多いよ。
股間爆発複雑骨折三カ所骨折でその都度性障碍者だから救済されたけど、
体のいい家系の人とかが出演してて、そういう世界が覗けたのは人生の転機だった。
女の趣味もよくなったしなあ。人生の女性のほんの一部だけどそういう人に花束を贈りたい。
913 :学術 :2020/03/18(水) 17:50:12.76 0
障害者ポルノが無かったら流産していたよ。
914 :学術 :2020/03/18(水) 17:50:33.12 0
人生は感動的かつエロイ。
915 :学術 :2020/03/18(水) 17:51:55.23 0
人助けのために脱げる人ってかっこいいよな。 すみません、自由意志についてなんだけど
例えば、空手家が突きを出す時、突きを出した後に、意識が後追いで「俺が突きを出す!」
と思ってるわけですよね?
だから、突きを出したのは自分の意識では無く、自由意志は無いってことですよね?
これで合ってます? >>336 安楽士 ◆H8Z5AAMBMw 2020/04/11(土) 11:16:26.91ID:kN4lvMbc
>人々に必要なのは金より死 >>899
手続き記憶と言って、いちいち俺が突きを出すと
意識する必要はないから自由意志との因果関係がないんだよなぁ 義務教育で学習してないから仕方がない面があるけど、根本的に意識について思い込みで語ってる奴がほとんどだろうな 意識より前に体は突きを出しているから、自由意志は無いというのが自由意志を否定する最近の主流の説だが
そもそも空手大会に出ると決めたのは自由意志だ、「よし出るぞ!」と決めて次の日に申込書を出したとする
これは勘違いで実は申込書を出した後に、後だしで意識が「出るぞ!」と思ったわけでもあるまいに
学者はこんな単純なこともわからないのか 自由意志と自由意思を混同してることもわからない素人が学者とか言ってるw >>905さんがその違いを説明してくれないに3000ペソ >>904に関して自由意思は無いとする説明をお願いします
理系でも文系でも無い体育会系バカな俺にもわかるようにお願いします >>910
次の日に申込書を出すことが決まっていたため
前日に大会に出場するぞという意思が沸いてきたということです >>912
それは何も証明してないことないですか?何でもありになってしまいます
自由意思が無いという証明はベンジャミン・リベットの実験により証明されてるのでは無いんですか?
リベットの実験で実際の行動に遅れて意識が生じてると
けど、>>904みたいな状況で、既に決まった未来を進んだだけというのは実験で証明できないでしょう
大会出場が決められているというのは勝手な推測でしかないのでは? >>913
その実験の積み重ねで証明できないのでしょうか
それとは別に、前日の意思と翌日の行動に因果関係は無いというのはどうでしょうか >>913
リベットのは古すぎるけど、
その強化版みたいな実験はいろいろ行われているようだよ
自分の言葉では簡潔に説明できないが、
「脳の意識、機械の意識」って本に分かりやすく書いてあったよ
つーかそもそも自由ってどんな因果関係なん?なるよね
必然の逆は偶然で、偶然の逆が必然なので、自由とか入り込む余地がない ベンジャミン・リベットの準備電位または運動準備電位についての研究についてはある
程度、結論が出ていることとおもいます。
意識的な決定がいつなされたのかを決めるには、出来事の時間に関して曖昧さが残って
いるのです。つまり、まだはっきりしたことは言えない・・・とは言えるでしょう。 クオリアの発生は物理状態よりもかなり遅いことが実験から確かめられている
どんだけ遅いかといったらなんと0.5秒とかそんなんらしい
ボールの映像のクオリアが発生してから脳が運動神経に指令を出していたら到底バットのスイングは間に合わない
身体の方はクオリア発生よりも先に動いていて、後追いでボールを見たりスイングした(気になって)りしているそうだ
つまり皮膚をつねられて顔を歪め、その0.5秒後に「痛い」というクオリアが発生しているということ
時系列が真逆になってしまっているのが、SF染みていてなんとも面白い >>919
おもしろいですね、そうするとクオリアは必要なさそうですがその辺はどうなんでしょうか 駄目なやつは何をやっても駄目、そういうふうにできている
なぜなら此れまでがそうだからだ、これからもそうである、
何で未来が違うといえるの?過去に縛られて過去を否定できないやつが何で
未来を変えることができる。
結局は流されているだけだ、同調圧力やら常識に支配され、合理的思考から抜け出せない。 ・・・ベンジャミン・リベットの準備電位または運動準備電位についての研究に関しては
決して、自由意志を完璧に否定しようとするものではなくむしろ、「自由不意志 free wo
n't」の存在を認めるものとして現在の研究者に受け継がれていますし、そうした実験結果
が出ていますね。 頭の弱いやつは流される、定義され教科書にあることを否定できない。
そして否定しようとも思わないのに半端な知識の自己解釈が正しいと
確信している
おまえだよ ハードプロブレムはいかにオカルト逃げないかの勝負みたいなもん あんまり考えすぎるとオカルトと科学の境目が判らなくなる
二重スリット実験はオカルト?
ペンローズハメロフモデルはオカルト?
ニューロンが多数集まって相互に情報をやりとりすると自我が生まれるのはオカルト? まぁ入りはオカルトっぽくてもいいとは思うけどね
時空間や質量が速度で伸び縮みする相対性理論も数式からだけでなく実験で確認され実用化もされている
ハードプロブレムは実験で客観的証拠を取得するのが難しいんだけど、
そのことによって2種類の態度が生じてしまっている
1つはオカルト拒絶の潔癖症、もう1つは積極的なオカルト追及
前者は自ら発見の可能性を閉ざしているし、後者は中世以前に逆戻り >>926
本来オカルトは幽霊のような存在を扱います、それは意味として論理として具体性として
特定できえない類であり、人が意味として掴み得ないから曖昧な霊のような高次の
類として具現化しているということです、ですが最近の創作オカルトの類では
異世界アニメのように単に趣味思考の物語やら世界設定でしかない、
幽霊の説明に幽霊の育った過去やら家族やら住所やら衣服やら具体的なそれを
緻密に表現し存在説明しているそれらが本当のオカルトか?
だからこそオカルトをオカルトだと説明したい人が「言葉」自体を自分の流行にあわせ
あたらしい創作物の意味を授けて本来の掴み得ない何か説明しえない何かではなくなっています。
客観的な説明をして具体的設定原理と学問のように学べる魔術学のようなもの、過去の文学などや
作品から派生した伝統たる形式を受け継ぎオカルトとはこういうものだと説明しても
アメリカの幽霊(布をかぶった)それに足があり、足跡もあり、部屋にはいるのにドアをあけるとかいう
話になってくるのです。
観測して存在が現象論として物理的に作用しなければ物語りにならないそれとは違い、
現象論として不確かで観測する側にとって曖昧でみるたびに違い、見る側によって見えたり見えなかったりする
何かわからない錯覚のようなものなのか、区別して捉えたほうがいいと思われます。 956 :彼氏いない歴774年 :2020/04/22(水) 15:31:20.73 ID:h5P2u1ix
エロい話注意
私は元からドMで中学生の頃からドSの人に調教されてみたいという思いがあって中3の時にネットで出会った人に鞭やら束縛、その他おもちゃを使って基本的なSMをしてもらった
それから性欲が加速して大学生の時はネットでいろんな人とあったりして社会人になると出勤中に痴漢をされて、そこから痴漢プレイにも興味が湧いて
痴漢したい人されたい人向けの掲示板でしてくださいと募集したりして出勤の際にしてもらったり
これだけしても一切性病にもならなかったから余裕ぶっこいてたんだけど同じM仲間の女の子が梅毒にかかってしまったと報告があって一気に恐怖心が湧いてきた
その子と行為した人とも私は何人かとした事あるし一応検査に行ったら梅毒陽性だった…初期すぎてまだ症状もなかった
そこからその女の子と一緒にこういうのはもうやめようという事でスッパリやめたけど
今まで刺激ありすぎな人生だったせいで今はものすごく退屈で寂しくてたまらない
やはり性癖は普通の方がいい人生送れる 古典物理学の時代には、時空間が伸び縮みするとか質量が保存しないとか言う人がいたら
宗教家とか錬金術師みたいなオカルト扱いされた訳だけれども、
時空間質量が相対的なものと仮定してみたら、そっちの方が現実世界で起こっていることを正確に説明できた
クオリアが物質に影響力を及ぼす、つまり「痛い→嫌だ→逃げる」みたいな
物理主義からしたらオカルト扱いされる因果関係を、とりあえずは仮定してみて色々考えてみて
そっちの方が現実に起こっていることを上手く説明できるのであれば、事実はそっちだったんだろうということになる
初めから拒絶しちゃうのはもったいない
しかしオカルトがウルトラCを果たすのは実際滅多になく、
ハードプロブレムを考える人の基本的な姿勢としてはマジメに物理を学ぶことであるべきだ
アインシュタインはニュートン力学を知らなかったわけではない こんなスレが立ってた
物理学の教科書に比べて哲学の教科書は粗末すぎる
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1587589922/
もう1コのハードプロブレムスレ同様、序盤はいいこと書いてある
ここもやがて住人たちが感情的になって
「絶対に負けられない戦いがそこにある」状態になるんだろうなw >>929
>しかしオカルトがウルトラCを果たすのは実際滅多になく
科学にも、もどき、似非や偽科学があるように、
オカルトにはそれ以上に似非や偽オカルトで全体が埋め尽くされている。
そのぐらい知らないならオカルトを知ったような発言しないほうがいい。
単なるトンデモやデタラメであると割り切っているはずだ。
だからこそ何もしらないと断言できるわけな。
結果が出せないそれらはオカルトであっても似非よ。
創作物に汚染されている常識ならそうなってしまう。 1 :学術 :2019/03/18(月) 13:08:46.43 ID:J0G26Rfw
オマル ハイアーム
ζ おまると言えばあのおまるじゃろろ〜
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \ やはりわしの活力源は
/| | | ⌒ ⌒ | 若い生娘の野ションだよ
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{ノ: : : : : := 彡^X^X^X^X\ グボボッ
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|: : | : ∨: : : :/ : : :/j:/ i : : ∧ : : : | : : : i● ) "ー-- /
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:h: :| r{: : :/: :/〈{ { : W j/ん/:} : : : l/ }}-‐'"ヽ. ) / どんがあ
|ヘ |ヽ|: :/:W } ゞ-' ム/: :|: : / ヘ j ` ー-`ー-一'′ /
爼醴門醴鬱` . _y444egj,... 、,,,ggg,,,_'『攜醴齔j,.,..']][l . 雲岨と絵櫛と暗喩人かわいいお
、{[醴jカ.層¶' . `~ヲ 、 !f~゚^``゙゚゚シ.. ‘層醴麈躍「 .
. ‘醴齔ll]][|、 _d-=・=-$ . -=・=-, 淺栩醴齔
/:::" < | 'ヾェェェ/ , ンミ < ヽ
,i :: -=ニ=- > | ,::::::,, ,,,//゙ >-=ニ=-.i
\.. / ー-< \ `ー― ''' l゛ < / ハードプロブレムは本当にプロブレムなのか
意識の最もコアな部分を対象にするとして、それは言語化可能なのか
言語化不可能なことを言語で説明しようとしていないか? >>941
不可能ではない、時間が来ればきっと、たぶんだ。 >>942
人の意識にとって核心的な部分は
「私が私であると実感し確信するところの源泉」だと思っているのだが
これについて語り得た、と確信できる時は来るのか
語り得ない、と考えられていることから、語りうることを丁寧にひきはがすのは哲学の仕事と考えられるが
その仕事に限りはあるのか
何かが分かれば、同時に分からないことが新たに生まれる
意識についての説明は常に近似に終わるのではないか
そして、この近似で十分だ、という時が来るのか
そういう「語り尽くせなさ」という問題とも戦うことになるのでは 意識の問題は解決不可能です。
私は、意識の謎は宇宙のビッグバンや超弦理論を理解することより困難だと思っています。
脳の物理モデルを数学的に検証しても、意識を発生させることは不可能です。
──エドワードウィッテン 脳は脳内に生成モデルを備えており、それによって感覚入力を予測し、実際(外界)との予測誤差を最小にしようとしている
そこで意識が生まれる
──カールフリストン
脳の中の情報は統合されている
意識は情報が統合されているときのみ発生する
──ジュリオトノーニ
私は意識アーキテクチャによって、意識を人工的に作ろうとしている
感覚運動生成モデルと内発的動機、メタ認知機構を組み合せることによって、意識や自我を作ることができる
──金井良太 >>943
日本語になっていないから、もういちど発言しなおそうよ >>943
向こうのスレのスレ主ですね?
>1に書いてあったことと似ています
向こうが終わってこっちに来た?
>>942
>きっと、たぶん
どっちだwww そもそも、「私の意識」はなぜ存在できるのか
私が解釈しているからとしか考えられないが、解釈自体はなぜ始まることができたのか >>950
意識とは、神と同じ
1万人いれば1万人意識への捉え方が微妙に違いそれぞれが定義すらしえない
曖昧で抽象的で区切り目が明らかではないこと。
解釈したともりになっているだけの愚か者が使う万能の単語よ。 >>951
「私の意識」って限定してることに注意
私の意識はそれ自体で存在するものではなく、私が解釈した結果を意識と定義しているに過ぎない
しかし解釈自体を私の意識が行っているのなら、何が最初に解釈を始めたのか
何を根拠に「解釈」できてしまっているのか こういうのを理解してもらおうとするなら上手な例えが必要だね 1億人が理解できても955には理解できないことをどんなに上手に例えても
不可能なことはある。 理解とな何かという理解がまず貴方には無い、あまりも小学生的な
思考とは思わないのかな。 ベンジャミン・リベットにまつわって、次のような実験結果も発表されているようですね。
ttps://wired.jp/2014/06/22/free-discretion/ ベンジャミン・リベットにまつわって、→✕
ベンジャミン・リベットの実験にまつわって、→〇
失礼しました。 単細胞で短絡思考なアホは、まず他人を馬鹿だと罵る。
どんだけ妬みと不満を抱えているのか、惨めすぎる、かわいそうだ。 生物に定義されないコロナウイルスすら何らかの意思や思考を持って行動してるのを見ると、もはや意識の定義そのももが根本的に誤ってる気がして仕方ない。 計算によって未来を予測するAIでは意識は決して生まれないし、人間らしい会話もできない。意識とは計算や予測ではなく自分の行動を理由付けしてるにすぎないからだ。
ここまでは受動意識仮説とかでよく聞く話。じゃ計算や予測してるのは無意識なのか? それも違う。 意識であれ無意識であれ自分の意思で行動する生物を創造することは出来ない。自由意志が許されてるのは神だけだ。自分がどういう行動をするかはこの宇宙で既に決まってる。意識はそれをなぞってるだけ。未来も過去も決まってるんだから実は時間もいらない。全ての過去も全ての未来も「今ここ」に同時に存在してる。時間があるかのように生物に錯覚させるのも意識の役割。 なんでそんな神秘主義で考えるかなあ
ロマンチストなのかな >>967
それを神秘主義と呼ぶなら、貴方こそ神秘主義者にしか見えないな 宇宙の実際の姿って
力や粒子の関係性以外は確かめようがないからね
人間にこう見えているってだけで、それが絶対の基準って訳じゃないし そうだよな
世界の真実よりそっちの方がよっぽど重要だよね 包茎はロマンチストになっても意味がないということか 解決されたと言える状態が定義されていない
questionではなくproblem どなたか、リサ・ランドール博士の5次元宇宙、説明出来まんか・・・。 出来ませんか・・・。→〇
出来まんか・・・。→X
失礼しました。 >>980
哲学板で聞くことか?w
物理板を勧める と言いつつ、ハードプロブレムは物理と関連性が深いので、
自分も分からんなりに理論物理学は上っ面だけでも舐めてみるんだけど、
例えば4次元空間を想定すると、
一辺の長さが倍になったとき重さは2^4で16倍になるはずなんだけど、実際には2^3の8倍になっているので、
目に見えている通り3次元で正しいんじゃないか?と自分も物理板で尋ねたことがあった
相対性理論では速度に応じて質量が変わるので、そんな計算を組み込むことで一応説明がつくらしい
(自分が聞いたのはそのナントカ先生のじゃなくて、ひも理論の10次元とか11次元とかの話だったけど) >>984
初期値が確定できたと前提に考えるとする、論理学(ロジカル)で全てが説明できるとすれば
論理が非論理を含まない限り決定論たる因果の終焉もその過程で論理に従わないことはありえない。
因果の過程が秩序に反さないとすれば、その結果は捉えられないものであっても計算どおりの一意に収束する。
だが従わないとすれば論理(秩序)ではなく非論理(非秩序)であり、結果は一意には収束(確定)しない。
どんな理屈でも論理であるゆえに、過去のそれが生み出す受動態仮説のように決定論に支配され
自由に見えるそれも論理によって決定されているということだ、過去に従わないそれはないとする論理だ。
ただ論理言うのは人が決めた論理であり人が認知する法則でしかない、人が認知しえない秩序が
あるとすれば、それは人の論理ではなく神の論理だ、論理を超えられる神の論理は唯一、
最先端物理学者が言うには「超対照性」と考えられている、世界は秩序=対称性にて設計され対称性の
法則にしたがっているが、それを破ることができるもの対称性であり、物理学では
南部陽一郎博士の「自発的対称性の破れ」によって人が認知できた物理法則の対称性すら
反対称性という対称性を含んでいることを説明している。 対称性が生じれば、それも例外なく高次の反対称性がなれば超対称性とは呼べない。
決定論に反する自由意志論は決定されない自由意志が存在するという考えかたでもあり、
決定論に対称的に存在している、決定的に見えてもそこは決定論の秩序が自発的に破れ
決定論に従わないという結果を生じさせる。
論理で円周率の数字化は割り切れないように、秩序を論理では説明し尽せない、極限値と
して割り切り合理化するしかないのだよ。
人工物のそれは人間という高次の存在を割り切れない(合理化できない)論理を切り捨てると
単純化され人工物としてあらわすのは容易だが、それは円周率を何桁目で割り切るかという話と
大差ないだろう、一生分の人間パターンを1万年分の人間分とそれが1万パターンの可能性を
用意すれば、たとえパターンの組み合わせだろうが人の次元では捉えられない人間の行動に
しか見えない、だが現実的にそれを行えば、ゆとり教育のように円周率を「3」とまで合理化
してしまう結果があるということ、目立たなければいいなら3を3.14に、さらに3.1415と桁を
調整すればいいだけの話である。 >>985
> 論理言うのは人が決めた論理であり人が認知する法則でしかない、
逆に人が認知する論理法則でどうして
人は認識できるのかを
超対照性で解明できてないから
神の論理とは認められないんじゃないか レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。