>>85
尤もかと。
ですが哲学で人間の行為ついて考えるとき、
その人間がどのような倫理や道徳をもち、その影響でどのような行為に至ったのかは考慮しても、
その行為の是非は倫理学であり、その倫理的な是非が哲学の論理的明晰化に影響するものではないかと思います。
「哲学的に肯定できる」というのはつまり、それは確かに存在する、と言ってるようなものかと。