X



【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001考える名無しさん
2017/05/24(水) 21:31:52.490
井筒俊彦(1914-1993)スレ
0222考える名無しさん
2017/10/09(月) 15:11:43.370
ヒュームも因果律否定
0223学術
2017/10/09(月) 15:17:05.490
因果律というものは、ある事件があってあることがその結果となっているという
レベルじゃない。
0224考える名無しさん
2017/10/09(月) 15:42:51.930
ガザーリーのいう因果はなくすべては神の慣習だと言い換えても、結局世界のあり方は変わらないのだから同じことだよな
神の慣習=因果として働いてるんだから
0225学術
2017/10/09(月) 15:46:17.460
神が少数派だったらどうするね。
0226考える名無しさん
2017/10/09(月) 15:56:28.920
はたしてどうかな?
0227考える名無しさん
2017/10/09(月) 16:07:58.600
ヒュームのように経験主義を徹底さすと人間が経験する事の出来ない因果律による普遍的法則などは人間の妄想でしかない事になる
因果律を否定する徹底的経験主義は科学的法則も否定する
0228考える名無しさん
2017/10/09(月) 16:10:31.900
>>224
一億回同じ因果律があったとしても一億一回目に違いが出たらもう世界は変わり科学的法則も成り立たないことになる
0229考える名無しさん
2017/10/09(月) 18:26:14.820
量子運動のような、だいたい合ってる程度のもんでも確率的に予測可能な事態であれば科学として成立する
全ての可能性について調べる手段がない以上は、絶対的な確証などあるわきゃない
0230考える名無しさん
2017/10/09(月) 19:46:02.310
>>229
科学も厳密には蓋然的な統計問題になる。確度を上げていく事は出来るが
それ以上は今のところ哲学の問題だと思う
0231考える名無しさん
2017/10/12(木) 15:02:23.620
実在への殺到読み始めた。
自分は井筒俊彦の存在の0ポイントとジェイムの純粋経験が同じ認識領域を指すと思った
この作者はジェイムスの純粋経験とメイヤスーの(事実性)が同じ領域を指すと指摘している
0232考える名無しさん
2017/10/12(木) 19:20:47.910
井筒さんは「禅の心」を卓越した分析哲学者によって分析された「心」と結びつけていた
井筒俊彦の思い出
サイイド ホセイン ナスル
井筒俊彦全集第11巻月報第11号
0233考える名無しさん
2017/10/12(木) 20:21:29.090
分析ってなんですか?
0234考える名無しさん
2017/10/12(木) 21:10:13.320
>>233
一文があったので。恐らく心の哲学の類指してると思う。詳しくは掲載されてない
0235学術
2017/10/12(木) 22:08:21.650
あくまでしょ 神魔でしょ 堕天使でしょ。天使とランクが上がる。
0236考える名無しさん
2017/10/12(木) 23:04:38.230
>>231
> メイヤスーが《事実性》という名のもとに浮き彫りにするのは、
> 諸現象を整合し、総合するとされた主体の成立に先立つ「状態」であり、
> 主体も対象もそこではいまだ、整合や連接によって肥大していない、ある種の経験である。

p98のここかな?
真如に近いね。
0237考える名無しさん
2017/10/12(木) 23:05:34.220
【真如】しんにょ(tathatā)

・広説佛教語大辞典の解説
(1)かくあること。ありのままのすがた。あるがままなること。
(2)法がかくのごとく成立していること。法性と同義。
(3)「…真如」は、…なる法として成立していること。
(4)普遍的真理。心のあるがままの真実。あらゆる存在の真のすがた。万有の根源。

・デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉tathatāの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほっしょう)。実相。

・大辞林 第三版の解説
[仏] あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。実性。

・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもの (諸法) の根底にある唯一無二の絶対の実在界のあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。
諸法の人法二空の本性を真如ということもあり,また,衆生の心の本来の清らかな状態である自性清浄心を真如と呼ぶこともある。
0238考える名無しさん
2017/10/12(木) 23:09:55.600
西田、井筒、真如、ハイデガー、仏教

“西田が「真実在」を「純粋経験」に求めたのは、主客未分・主客合一の〈境涯〉を披歴するためではなく、
 そうした直接的経験の中に見て取られる「統一的或者」であり、
 つまり意識の統一的秩序をそこに読み取ったこと、このことである”

“大乗仏教で説かれる「本体的一元論」は、例えばイスラーム学の碵学井筒俊彦氏が最晩年に『起信論』を取り上げて、
 東洋的思惟の特徴として揚げる発出論的な形而上学とも異なっていることである”

“「真如」であれ、「仏性」であれ「法界」であれ、それらは「本体」であっても、
 決して形而上学的な実体的根拠を意味しない。
 むしろあらゆる実体性を打ち砕く「ハタラキ」なのであり、
 すべての存在者が実体性の軛(くびき)から自由になって、
 言い換えればいわゆる「根拠」から解き放たれて、いわば「無根拠」「没根拠」のままに、
 おのずから立ち現われてくる「場所」”

“ハイデガーの所謂「存在(有)」が、あらゆる存在者(有るもの)の根拠として「神」でないように、
 「本体」とは「実体」ではなく、場所的性格をもつもの”

“釈尊が掴んだリアリティはおそらくそうした場所的な性格をもつ般若智なのであって、
 いわゆる「縁起」という、まことしやかな「理屈」、論理の知的理解ではなかったはずである”

― 井上克人 『〈時〉と〈鏡〉 超越的覆蔵性の哲学―道元・西田・大拙・ハイデガーの思索をめぐって』 (2015)
0239考える名無しさん
2017/10/12(木) 23:11:42.640
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
 ―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上 克人
http://heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf
0240考える名無しさん
2017/10/13(金) 02:12:44.180
>>238
ジェームスと井筒俊彦はある程度分かるが西田は読まず嫌いもあってよくわからない。
井筒の存在の0ポイントは真空妙有と彼が言ってるように実体の破壊の場とあらゆる実体の根拠の場が一体になった領域だと思うが
0241考える名無しさん
2017/10/13(金) 22:18:40.350
真空妙有

“禅の説く「無」は、 意識的事実としてもまた存在的事実としても、絶対無分節と呼ばれるにふさわしい。
 だが、この絶対無分節者は無ではあっても、静的な無ではない。
 それは本然の内的傾向に従って不断に自己分節していく力動的、創造的な「無」である。
 真空は妙有に転成する、というより、転成せざるをえない。
 絶対無分節は自己分節するからこそ絶対無分節なのである。
 分節に向かってダイナミックに動いていかない無分節はただの無であり、一つの死物にすぎない。
 「死水、竜を蔵せず」(首山省念)。それは禅の問題にする「無」ではない。
 禅の考えている「無」は宇宙に漲(みなぎ)る 生命の原点であり、世界現出の太源である。
 この了解に基いて坐禅修行道としての禅は、「空」に到って「空」に堕するなとか、
 「空」に眠り込むなとかいって修行者を戒める。
 「一念未生以前、切に忌む者裏(その境地、すなわち空)に守住することを」(恕中無慍)”

― 井筒俊彦 『意識と本質』Z 
0242考える名無しさん
2017/10/13(金) 22:19:29.150
井筒は、東洋哲学の共時的構造化といっている。
一神教文明から、神のない仏教や老荘までをも統一した理論で説明しようとする。
一神教では窮極的絶対者である神があり、仏教や老荘では絶対無分節者といった形而上学的中心を立てる。
0243考える名無しさん
2017/10/13(金) 22:22:04.980
原始仏教は、空というぐらいだから非中心的だし、もっと素朴。
0244考える名無しさん
2017/10/13(金) 22:22:51.050
井上は、真如を悟る唯一の契機は、心の止滅であり、
「世界は空」に反して事物を実体視しようとする自意識の解体にあるという、
仏教の根本原理を織り込もうとしている。
0245考える名無しさん
2017/10/13(金) 22:24:32.460
妙なる(言いようもなくすぐれた)有(存在)も、縁起も慈悲も真如も、
空を覚知した後に結果としてついてくるものであって、
最初からそれを目的化するものではない。
0246考える名無しさん
2017/10/13(金) 22:27:23.300
トレンドからみると、

(1)井筒や西田は、形而上学的な大乗仏教の解説に優れていたが、
  原始仏教(ブッダの仏教)についてはあまり触れていない。

(2)最近目立つのは、大乗仏教から原始仏教への原点回帰。

(3)井上>>238は、大乗仏教に軸足を置きながら、そこに原始仏教の原理を読み込もうとしている。
0247考える名無しさん
2017/10/14(土) 00:35:49.980
西田はこちらでやろうと思ってる。

【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1494594731/334-

336 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:55:26.34 0
しかし、西田哲学を安易に禅哲学だと理解しているようでは
読んでいる内には入らない。

337 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:57:04.39 0
“併し君だからよいが普通無識の徒が私を禅などと云ふ場合 私は極力反対いたします
 そんな人は禅も知らず 私の哲学も分からず
 XとYとが同じいと云って居るにすぎぬ”

― 西田幾多郎 「昭和18年 2月19日 西谷啓治宛」 『西田幾多郎全集23』 (2002-2009)
0248考える名無しさん
2017/10/14(土) 02:20:58.470
イスラムとヒンズーを統合したシク教のムールマントラに
Ikk oan karr sat nam(神は一つ。その名を真理と言う)がある
Ikkは一者で永遠性の純然たる経験そのものとする
OanはAUMがなまったものでAは認識作用の範疇
Uは絶対的な範疇が崩壊していく意識下の状態
Mは完全な無の意識の状態を指す
SatはSAD(真理を意味するサンスクリット。妙法蓮華経の妙の事)がなまったもの
これをnam即ち名とする
0249考える名無しさん
2017/10/14(土) 21:13:10.620
デモクリトス、エピクロス、ヘラクレイトス、アシュアリー、デリダなどの
原子論を心理学的にうまく説明したものが思い浮かばないが、
唯識と比べるのが妥当か。
デリダの「散種」などは阿頼耶識に近いところのものだろう。
0250考える名無しさん
2017/10/14(土) 21:13:53.110
>>204のアシュアリーの説明も「創造不断」で読める。
イブヌ・ル・アラビーの例も出てくる。
0251考える名無しさん
2017/10/14(土) 21:14:57.220
“「世界は、ひと息ごとに変動する」(イブヌ・ル・アラビー)”

― 井筒俊彦 「創造不断―東洋的時間意識の元型 U」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
0252学術
2017/10/14(土) 21:20:19.580
ジョン・アヌルース 対 震える焔。
0253考える名無しさん
2017/10/15(日) 13:58:42.600
>>231
メイヤスーは、「必然的」に見える世界の在り方の奥に「偶然性」を見出だす。
仏教は、事物の「自性」(本質)の奥に「無自性」(本質のなさ)を見出だす。

やっていることは近い。
その際、

メイヤスーは、あらかじめ、心(言語や感覚)は取り外す。
仏教の場合、心はあるが、その内容物をゼロ(無・空)にする。

オブラート一枚分の差があるが、どちらもそうした先に「ありのままの世界」を見る。
0254考える名無しさん
2017/10/15(日) 13:59:15.700
九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)

“偶然は無に近い存在である”
 
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/oppo3.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki3.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/level.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki31.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki33.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/guu.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki2.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/circle.gif

“ヘラクレイトスの偶然論とパルメニデスの必然論の対立以来
 くりかえし問い続けられてきた「偶然と必然」の問題”(表紙解説)
0255考える名無しさん
2017/10/15(日) 13:59:37.440
“九鬼周蔵の『偶然性の問題』は、その思弁的な極まりにおいて、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』に類似する。
 すなわちそれは、「原始偶然」とも「絶対的形而上的必然」とも捉えられる、「形而上的絶対者」に関する議論である。”

― 千葉雅也「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(『現代思想』2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造)
0256考える名無しさん
2017/10/15(日) 14:00:03.730
「原始偶然 Urzufall」はシェリングの術語
0257考える名無しさん
2017/10/15(日) 14:01:50.390
井筒の前の世代にあたる宗教哲学や比較思想も併せてやっておくといい。

・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』
0258考える名無しさん
2017/10/20(金) 22:31:00.750
西田と大拙は同い年で、石川県専門学校の同窓生。
柳宗悦は学習院高等科で西田や大拙に学んだ。
0259考える名無しさん
2017/10/20(金) 22:42:58.960
・西周(1829-1897)
・福沢諭吉(1835-1901)
・中江兆民(1847-1901)
・井上哲次郎(1856-1944)
・井上円了(1858-1919)
・内村鑑三(1861-1930)
・岡倉天心(1862-1913)
・清沢満之(1863-1903)
・南方熊楠(1867-1941)
・鈴木大拙(1870-1966)
・柳田國男(1875-1962)
・折口信夫(1887-1953)
・柳宗悦(1889-1961)
・宮沢賢治(1896-1933)
・井筒俊彦(1914-1993)

京都学派
・西田幾多郎(1870-1945)
・波多野精一(1877-1950)
・田辺元(1885-1962)
・九鬼周造(1888-1941)
・和辻哲郎(1889-1960)
・久松真一(1889-1980)
・三木清(1897-1945)(京都学派左派)
・戸坂 潤(1900-1945)(京都学派左派)
・高坂正顕(1900-1969)(京都学派四天王、近代の超克)
・西谷啓治(1900-1990)(京都学派四天王、近代の超克)
・下村寅太郎(1902-1995)
・高山岩男(1905-1993)(京都学派四天王、近代の超克)
・鈴木成高(1907-1988)(京都学派四天王、近代の超克)
・梅原猛(1925-)
・上田閑照(1926-)
0260考える名無しさん
2017/10/20(金) 23:04:00.780
柳宗悦

学習院中等科時代、内村鑑三の影響でプロテスタンティズムに親しむ

高等科時代、「聖フランチェスコ伝」がきっかけでキリスト教神秘主義に関心を持つ

エックハルトに傾倒

エックハルトの「無」や「空」から老子や禅に関心を持つ

回教詩人ハラージや、「否定道(否定神学)」などにも言及。
宗悦は「即如」という造語をつくった。
これは「二元を超えた世界を示唆する言葉」だという。
0261考える名無しさん
2017/10/20(金) 23:08:35.130
井筒に近い。おおよそ出来上がってる。
0262考える名無しさん
2017/10/20(金) 23:20:29.140
デリダ>>189にも近い。
0263考える名無しさん
2017/10/20(金) 23:50:39.640
             ,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´        ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i !  諸行無常 諸法無我
          __.. -/       ,..            /        `ヽ、
      , -‐ ,.´-─./     /:. . .            / ..__ / !     `ヽ ヽ クゥクゥ クゥ 空
    /,.-‐´  _r‐'   _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_  `丶、ヽ、   、__,ス ,)
~~ ̄/(三,. -‐ ´ /  ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 . l. !     / / 自己肥大・自己拡張・存在確認のさまようかまってちゃんクレクレ君は荒らし確定 
 . ! |    (, ,,/
  ! ,j   2chの鉄則(おやくそく)とは 【荒らしはスルー(無視・放置)・あぼ〜ん・透明あぼ〜ん】 しましょう。
  ゝ、ノ
      ● 荒らしは放置されるのが一番の苦手苦痛です。
        → ウザイと思ったらそのまま放置!
      ● 放置の荒らしは焦り、煽りや自作自演、PC串スマホで多人数を装い、あなたのレスを誘う。
        → 釣られてレスしたらその時点であなたの負け、あなたが荒らしです!!
      ● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり、ヨダレを垂らして最も喜ぶことです。
        → 荒らしにはエサを投げ与えないで下さい!
      ●荒らしは語尾に w をつけてあおります。
       → 問いに問いで返す無頭が故の無脳で、裏の小藪に捨てましょう。
      ●荒らし・粘着にはスルー・あぼ〜ん・透明あぼ〜ん・が推奨です。
        → 考えない学ばない荒らしは外道です。
      ●荒らしは自立できず、もたれかかり、ストーキングする
       → 真贋が見分けられないのが荒らしの属性です。
      ●無いものを有ると思い、有るものを無いと思う、これが顛倒(てんどう)、妄想(もうぞう)です
       → 公案の答えは無尽蔵、己だけの答えを出せ!
      ●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
        → ミイラ化です、放置、風化させ、土に戻しましょう。
0264考える名無しさん
2017/10/21(土) 23:24:57.120
>>260
『柳宗悦宗教選集 第1巻 宗教とその真理』(1990)より
0265考える名無しさん
2017/10/21(土) 23:26:04.290
西田や九鬼は数学をやるので、少しタイプが違ってくる
0266考える名無しさん
2017/10/21(土) 23:27:17.510
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
 現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。

 コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
 西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
 東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”

― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」
0267名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2017/10/22(日) 11:07:22.960
井筒は悪い意味で言っているのではないがね
0268名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2017/10/22(日) 12:01:08.850
真空妙用。
真空は妙用のために存在している。
0269考える名無しさん
2017/10/22(日) 13:13:29.930
アンチコスモスは、アンチ−コスモスなのだから、コスモスに相対するもの
としてしか姿を現しえないだろう。始源としてのアンチコスモスはあり得ないのだ。
0270名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2017/10/22(日) 14:28:41.210
>>269
井筒の用法だと始源のカオスはアンチコスモスのカテゴリーに入ると思うが
0271考える名無しさん
2017/10/22(日) 23:55:59.380
アンチコスモスがコスモスに相対するものとしてしか姿を現しえないことは、
コスモスの「解体」としてアンチコスモスについて語ろうとすることが、
「解体」という表現にもかかわらず、秩序としてのコスモスがどのように
現れているのかを解明しようとすることになることを意味する。
0273学術 ディジタル rare shinscake adanei
2017/10/24(火) 13:14:46.590
クルアーンは?
0274学術 ディジタル rare shinscake adanei
2017/10/24(火) 15:09:19.010
イスラム金融よりハイエクだよ。利子どころの騒ぎじゃねえぜ。
傷つき仆れた兵士は。対偶が。
0275考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:32:35.510
>>247
例えばこういうところ。
0276考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:32:55.750
“我々の有限なる意識の背後に横たわれる無意識はxに対するdxの如く考へることができないであらうか。”

“我々が或一曲線を意識するといふことは此の如き意味に於て限定せられた曲線である”

“意識するといふことは無限なる全体が己自身を限定することである。”

― 西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」17 『西田幾多郎全集3』 (2004)
0277考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:33:11.740
任意の直線を意識する時は、実在する無限な直線に対して限定をかけている。
無限な潜在性から有限な現実性が、「限定」=「自覚」として立ち現われる。
0278考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:33:33.980
>>276は以下に繋がる。
0279考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:33:57.210
“仏道をならふことは自己をならふなり。
 自己をならふといふは、自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは、自己の心身、
 および佗己の心身をして脱落せしむるなりと云ふ(道元)。
 
 それは限定するものなき限定、絶対無の自己限定と云ふことでなければならない。”

― 西田幾多郎 「哲学論文 第六」 『西田幾多郎全集10』 (2004)
0280考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:34:19.260


(仏道を習うということは、自己を習うことである。
 自己を習うということは、自己を忘れることである。
 自己を忘れるということは、一切万物を知ることである。
 一切万物を知るということは、主客を分け隔てるものをなくしてしまうことである。)

― 道元 『正法眼蔵』 「現成公案」
0281考える名無しさん
2017/10/27(金) 22:34:47.350
井筒 数学× ギリシャ語○
西田 数学○ ギリシャ語×
0282考える名無しさん
2017/11/06(月) 03:02:18.030
東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?

井筒に言及したことのある東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信
0283考える名無しさん
2017/11/06(月) 03:35:15.840
井筒俊彦は辻直四郎に頭を下げて資料を借りてそれを一か月で読んで返して
読むのが速いと感心されたんだよ。
0284考える名無しさん
2017/11/06(月) 08:51:19.040
結局クルアーンを読まないと井筒は分からないなと思って、クルアーンの注解を買ったわ。
0285考える名無しさん
2017/11/07(火) 17:29:55.260
イスラム教が哲学?
西欧で仏教は倫理学(道徳哲学)と言われ宗教ではないと言われているのはわかる。
キリスト教やイスラム教に神学(理論的考察)はあるだろうけど哲学じゃないでしょ。
井筒俊彦は神秘主義哲学者らしいけど言語矛盾じゃなかろうか
哲学は形而上学で世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問
神秘主義は神秘的合一と呼ばれる絶対者と自己との合一体験にある
神秘主義哲学者って油性水性ペンと同じくらい奇妙に聞こえるんだが
0286考える名無しさん
2017/11/07(火) 17:40:08.010
>東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?

阪大出の学者で井筒並の知の阪神って誰かいますか?
0287考える名無しさん
2017/11/08(水) 08:57:46.850
東大関係者か知らないが個人的には中沢新一かとおもうけれども、
中沢さん本人は
「井筒さんには一生かかってもかなわない」
と、謙虚に語っている
0288考える名無しさん
2017/11/08(水) 09:10:27.620
「知の巨人」という称号を得るには、知識の深さや幅広さだけではなく、
知識量とか語学力とかいわば基礎体力的な部分で他を圧倒している必要がある。
日本で言えば南方熊楠とかそういうタイプの人に対して向けられる言葉。
0289考える名無しさん
2017/11/08(水) 10:37:31.580
>>285
勉強不足。神秘主義哲学は新プラトン派のプロティノスの時代からある伝統的哲学
プロティノスは神秘的合一体験を基にその哲学を展開した
井筒俊彦も「神秘哲学」で取り扱ってる
0290考える名無しさん
2017/11/08(水) 11:46:19.910
プロティノスどころかソクラテスも ダイモーンに導かれたとか言ってるじゃん
0291考える名無しさん
2017/11/08(水) 12:05:16.970
そもそも一神教圏以外では哲学と宗教は一体で分離してない
哲学の殿堂アカデメイアをキリスト教ローマが異教として閉鎖したようにギリシャ哲学は宗教と哲学が一体で分離してなかった
一神教ではギリシャ哲学を宗教とすると一教の教義に抵触するので哲学というジャンルとすることで両立を謀った側面があるのではないか?
0293考える名無しさん
2017/11/09(木) 01:25:02.340
形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在の概念がある
存在論の他に、神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされているけど
精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は
複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか
神学が哲学の部門視されることはあるが理性によっては演繹不可能な信仰の保持および
神の存在を前提とすることで、一切の思想的前提を立てない理性の学としての
哲学とは異なるとする見方が一般的です。
0294考える名無しさん
2017/11/09(木) 15:18:08.650
例えば自然科学の学者、科学者ですね。
科学者が実験、観察、分析、総合、仮説と実証に神を語りだしたらどうでしょう。
神秘主義科学者などと言うのでしょうか。とたんに怪しい人ですよね。
ここにいるのだから皆さんは哲学に傾倒しているのでしょう。
神秘主義哲学者などと哲学に対する侮辱ではないでしょうか。
個人的には社会科学と言う表現も不愉快極まりない。科学に対する侮辱と言っていい。
0295考える名無しさん
2017/11/09(木) 18:19:07.370
>>294
神秘主義哲学は必ずしも神なんて事は言わない。井筒俊彦読んでみろ。神なんか出てこないから
ミスティシズムとオカルティズムを混同した的外れ言うな。
0296考える名無しさん
2017/11/09(木) 20:49:07.030
>>293-294
井筒の本はどれを読んだ?
0297考える名無しさん
2017/11/09(木) 21:24:34.150
>>293
カントの『純粋理性批判』は?
0298学術
2017/11/09(木) 21:43:59.520
推理力自己批判精神ぐらいでどうだ。次代のカントは。
0299考える名無しさん
2017/11/11(土) 09:23:31.690
井筒俊彦著作集別巻面白いな
正巻より面白いかもしれん
0300考える名無しさん
2017/11/11(土) 09:56:05.460
対談は読みやすいし、具体的な話題も出てくる
0301考える名無しさん
2017/11/12(日) 20:00:25.820
298 名前:あぼ〜ん[NGName:学術] 投稿日:あぼ〜ん
0302考える名無しさん
2017/11/19(日) 23:01:37.220
井筒豊子の「井筒俊彦の学問遍路ー同行二人半」読みはじめた
0303考える名無しさん
2017/11/20(月) 00:41:14.580
>>302
新しい本だ。(2017/9/15)
今年亡くなったのか。
0304考える名無しさん
2017/11/20(月) 00:45:46.650
井筒豊子 『白磁盒子』 (1993)

短編小説集。
井筒と放浪のタタール人学者ムーサーのやり取りが描かれているもの。
0305考える名無しさん
2017/11/20(月) 00:46:30.010
>>3の英文著作翻訳コレクション
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
も出てた。

ハイデガー/サルトルとイスラムの存在論の比較とか。
0306考える名無しさん
2017/11/20(月) 20:18:49.070
井筒俊彦の学問遍路には余り知られてなかった彼のマッギルからイラン時代やそれ以降まで詳しく書かれてる。内気で人間嫌いとも言われる井筒だが内外問わずそうそうたる面子と関わりあいその才能を認められてる
0307考える名無しさん
2017/11/23(木) 13:16:51.440
道元の「現成公案」>>279-280自体も華厳的。

自己(一)を忘れる

一切(多)を知る

一切によって自己を知る

自己否定が自己の外部に突き抜け、自己を規定する超越的視点になる。
これ自体が、既にクラインの管的な循環モデル。

クラインの管
http://polyhedra.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/07/21/kleinbottle.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg
0308考える名無しさん
2017/11/23(木) 13:17:07.850
一即多、一即一切の華厳的記号学モデル

A ([a]、b、c、d、e、、、)
B (a、[b]、c、d、e、、、)
C (a、b、[c]、d、e、、、)

[ ]は強調

シニフィアンA/シニフィエaという単純な一対構造ではなく、
シニフィアンがAやBやCである時にもシニフィエは常に(a、b、c、d、e、、、)であるモデル。
Aの時には、相互に浸透し照合されたa、b、c、d、e、、、の中のaが強調される。

参考:井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
0309考える名無しさん
2017/11/23(木) 13:18:13.030
デリダの「ロゴス中心主義の解体」による存在根拠解体のあと(後、跡)。

井筒俊彦氏「事事無礙・理理無礙ーー存在解体のあと」 要約
http://www.furugosho.com/nomadologie/izutsu1-resume.htm

“事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線
 ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますがーー
 を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
 それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
 「畛」的枠組みをはずして事物を見る。
 ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。
 ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。
 限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。
 この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ…”
0311考える名無しさん
2017/11/23(木) 23:05:20.120
モノたちの宇宙ー思弁的実在論とは何かーの解説に今後ハーマンと井筒俊彦の哲学、あらや識の理論や廣松渉の事的世界観の比較が重要になると書いてる
0312考える名無しさん
2017/12/12(火) 14:21:24.290
意識と本質の内容
@無本質論…禅、老子
A有本質論
1個別的本質論…本居宣長
2普遍的本質論
(1)存在の深層に本質が在る
…宋学
(2)元型的本質が在る
…シャーマニズム、密教、スーフィ、カバラなど
(3)表層意識で理知的な概念として本質を捉える
…孔子の正名論、プラトン、ニヤーヤヴァイシェーシカなど
意識の形態
1表層意識
2イマージュ世界
3言語アラヤ識
4c領域
5存在の0ポイント
0313考える名無しさん
2017/12/12(火) 19:48:42.470
存在の概念と実在性で神は存在であるというモッラーサドラーの解釈が出る
井筒俊彦の神観念でもあるだろう
こういう観念で思い出すのはシャンカラの不二一元論だ
0314考える名無しさん
2017/12/14(木) 09:11:22.080
「意識と本質」も、
後半のユダヤ教の説明は割とどうでも良く、鬱陶しい
0315考える名無しさん
2017/12/14(木) 12:18:36.510
仏教が哲学を語るのは理解できる。西欧でも倫理学とか道徳哲学言われてるから
しかし一神教ごときが哲学って・・・。
0316考える名無しさん
2018/01/07(日) 01:43:33.630
自分は井筒さん読み始めの初心者だが、禅仏教の哲学に向けてが凄過ぎて、夢中になって読みました
御本人のリアリティに裏打ちされたというか…
なかなかあそこまで書ける人はいないなあって

ただ難解なのといちいち自分の先入観が揺さぶられるから読み進むのにえらい時間がかかる(笑)
0317考える名無しさん
2018/01/12(金) 22:04:35.300
>>315
仏教が哲学的発展を遂げたのは実質的には初期段階だけだ、大乗仏教で説かれた膨大な教説は
一見して論理的に見えるのだろうが実態はそうではなく一神教と変わらぬ独断論の集積に過ぎない
0318考える名無しさん
2018/01/13(土) 02:44:05.240
>>317
何子供の戯言じみた事を(笑)
大乗中観や唯識は現代哲学や現代心理学と比肩される事もある代物
華厳の教学は現代数学の列の論理を含む
密教はホロン理論と比較されユングも注目した
禅はヴィトゲンシュタインとハイデガーという20世紀の二大哲学者と比較されそれより進んだものと言われたりする事もある
0319DJ学術 
2018/01/13(土) 10:03:01.270
フランス文学の方が本質的でいいと思う。後は文字列の韻とか、関連させたり、
死や文学の技術の関係を、同族的にしないことだろう。
0320考える名無しさん
2018/01/13(土) 15:16:26.700
科学と仏教を結びつけて考えようとする試みなど、どれも強引なこじつけばかりだろう
特に、大乗経典は釈迦や如来がSFチックな異能力者で超人だからやってることが一神教と大差ない
0321DJ学術 
2018/01/13(土) 15:33:39.530
宗教文学に向いてるな。小乗の体も荒らされたよ。
0322考える名無しさん
2018/01/13(土) 15:36:03.470
>>320
あなたが言ってるイメージにあるのは強引に現代物理学と東洋哲学を結合させた浅はかなニューエイジの類
井筒俊彦のもの読んでから大乗に文句言ってね。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況