ケチをつけるようで申し訳ないが、
「個」は自分の肉体の維持や快楽を得るためにそれを『善だ』と考える情動を、
それを追求しようとする「衝動」を持っている。その衝動を妨害されると激発する「憤怒」を持っている。
その「個」の情動と別の個の「情動」を、如何に調停するか、
それを目指したものが『一神教だ』と、フロイトも『幻想の未来』で書いている。
デカルトの後継者フッサールと、キリスト教の規範を“過度に”振り回す母親に自己を抑圧され、
『自己の肉体を解放したい』『女ともやりたい』『(畜群に落ちた、自分以外の)人間も殺したい』
『(例えだけど)ナチス・ドイツのヒトラーやスターリンのようになって、
(「俺様」基準で)気に喰わない奴らを気分よく皆殺しにしたい』と
憤怒にかられたニーチェを合体させて新しい哲学を創る、
と言っても、西欧人はとっくにそれを考えている。別に『欲望論』は新しい考え方ではない。