仏教哲学総合スレ3 [無断転載禁止]©2ch.net
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仏教思想解説
・塚本善隆編、角川文庫ソフィア
『仏教の思想 1 知恵と慈悲 <ブッダ>』 梅原猛、増谷文雄
『仏教の思想 2 存在の分析 <アビダルマ>』 上山春平、桜部健
『仏教の思想 3 空の論理 <中観>』 梶山雄一、上山春平
『仏教の思想 4 認識と超越 <唯識>』 上山春平、服部正明
『仏教の思想 5 絶対の真理 <天台>』 田村芳朗、 梅原猛
『仏教の思想 6 無限の世界観 <華厳>』 鎌田茂雄、上山春平
『仏教の思想 7 無の探求 <中国禅>』 柳田聖山、 梅原猛
『仏教の思想 8 不安と欣求 <中国浄土>』 塚本善隆
『仏教の思想 9 生命の海 <空海>』 宮坂宥勝、梅原猛
『仏教の思想 10 絶望と歓喜 <親鸞>』 増谷文雄、梅原猛
『仏教の思想 11 古仏のまねび <道元>』高崎直道、梅原猛
『仏教の思想 12 永遠のいのち <日蓮>』 塚本 善隆
・集英社
『仏教を読む 一切は空 <般若心経・金剛般若経>』 平田精耕
『仏教を読む 宇宙観を開く <華厳経>』 松原哲明
『仏教を読む こころの開眼 <仏語仏戒>』 松原泰道
『仏教を読む 自在に生きる <涅槃経>』 平川彰
『仏教を読む 捨ててこそ得る <浄土三部経>』 花山勝友
『仏教を読む 生とはなにか <阿含経>』 金岡秀友
『仏教を読む 沈黙の教え <維摩経>』 鎌田茂雄
『仏教を読む ほんとうの道 <法華経>』 中村瑞隆
『仏教を読む 迷いを超える <法句経>』 松原泰道
大乗仏典を中心とした解説と抄訳。 原始仏典
・中村元訳、岩波文庫
『ブッダのことば(スッタニパータ)』
『ブッダの真理のことば・感興のことば(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)』
『仏弟子の告白(テーラガーター)』
『尼僧の告白(テーリーガーター)』
『ブッダ神々との対話(サンユッタ・ニカーヤ 1)』
『ブッダ悪魔との対話(サンユッタ・ニカーヤ 2)』
『ブッダ最後の旅(大パリニッバーナ経)』
・増谷文雄訳、ちくま学芸文庫
『阿含経典 1』
『阿含経典 2』
『阿含経典 3』
ブッダが説いた、最も平易かつ主要な教え。 仏教以前
『ウパニシャッド 翻訳および解説』 湯田豊 (2000)(13ウパニシャッドの全訳)
『ウパニシャド』 日野紹運、奥村文子 (2009)(主要12ウパニシャッドの抄訳)
『ウパニシャッド』 佐保田鶴治 (1979)(主要12ウパニシャッドの抄訳)
『原典訳 ウパニシャッド』 岩本裕 (2013)(主要5ウパニシャッドの抄訳)
『ウパニシャッド』 服部正明 (1979)(主要4ウパニシャッドの抄訳)
『バガヴァッド・ギーター』 上村勝彦 (1992)(章題なし)
『バガヴァッド・ギーター』 鎧淳 (2008)(章題なし)
『神の詩 バガヴァッド・ギーター』 田中嫺玉 (1988)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター詳解』 藤田晃 (2015)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター』 辻直四郎著 (1980)(章題なし、〜なり調)
『実践「ヨーガ・スートラ」入門』 番場裕之 (2008)(全訳)
『現代人のためのヨーガ・スートラ』 グレゴール・メーレ (2009)(全訳)
『解説ヨーガ・スートラ』 佐保田鶴治 (1980)(全訳)
『図説ヨーガ・スートラ』 伊藤武 (2016)(全訳、図解つき)
『リグ・ヴェーダ讃歌』 辻直四郎 (1978) 『中村元選集』(春秋社)
第1巻 インド人の思惟方法 東洋人の思惟方法 I
第2巻 シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法 II
第3巻 日本人の思惟方法 東洋人の思惟方法 III
第4巻 チベット人・韓国人の思惟方法 東洋人の思惟方法 IV
第5巻 インド史 I、第6巻 インド史 II
第7巻 インド史 III
第8巻 ヴェーダの思想
第9巻 ウパニシャッドの思想
第10巻 思想の自由とジャイナ教
第11巻 ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I
第12巻 ゴータマ・ブッダ II 原始仏教 II
第13巻 仏弟子の生涯 原始仏教 III
第14巻 原始仏教の成立 原始仏教 IV
第15巻 原始仏教の思想 I 原始仏教 V
第16巻 原始仏教の思想 II 原始仏教 VI
第17巻 原始仏教の生活倫理 原始仏教 VII
第18巻 原始仏教の社会思想 原始仏教 VIII
第19巻 インドと西洋の思想交流
第20巻 原始仏教から大乗仏教へ 大乗仏教 I
第21巻 大乗仏教の思想 大乗仏教 II
第22巻 空の論理 大乗仏教 III
第23巻 仏教美術に生きる理想 大乗仏教 IV
第24巻 ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学 I
第25巻 ニヤーヤとヴァイシェーシカの思想 インド六派哲学 II
第26巻 ミーマーンサーと文法学の思想 インド六派哲学 III
第27巻 ヴェーダーンタ思想の展開 インド六派哲学 IV
第28巻 インドの哲学体系 I 全哲学綱要訳註 I
第29巻 インドの哲学体系 II 全哲学綱要訳註 II
第30巻 ヒンドゥー教と叙事詩
第31巻 近代インドの思想
第32巻 現代インドの思想 仏教伝播ルート
http://daishinji.net/essay/images/01.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/Buddhist_sects.png
【北伝仏教】大乗仏教
・[サンスクリット語圏] インド、ネパール
・[漢訳圏] 中国、半島、台湾、日本、ベトナム、シンガポール
【南伝仏教】上座部仏教(小乗仏教)、テーラワーダ仏教
・[パーリ語圏] スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス
【密教】大乗仏教
・[チベット語圏] チベット、モンゴル、ブータン、南シベリア、カスピ海北岸 「慈の所縁は一切の衆生なり。父母妻子親族を縁ずるがごとし、この義を以ての故に名付けて衆生を縁とする[慈]という。
法を縁とする[慈]とは、父母妻子親族を見ず、一切法は皆縁より生ずると見る、これを法を縁とする[慈]と名づく。
無縁の[慈]とは法相および衆生相に住せず、これを無縁と名づく。」
大般涅槃経 「菩薩は、衆生の中に処して三十二種の悲(あわれみ)を(観音菩薩のごとく)行い、漸々増広して転じて大悲を成ず。
大悲はこれ一切の諸仏・菩薩の功徳の根本なり。
これは般若波羅密の母なり。諸仏の祖母なり。
菩薩は大悲心を以ての故に、般若波羅密を得。般若波羅密を得るが故に、仏となることを得。」
(大智度論) 空は慈悲に始まり慈悲に終わる。
自己の開放は単なるスピリチュアリズム。 >>12
×自己の解放 ← これはゆとり
○自己の解体 ← これは仏教 仏教を始めるには、興味を持った身近な話題から始めればいいよ。
日本の仏教、仏教美術、神社仏閣、ヨガやスピリチュアリズムでもOK。 手塚治虫の『ブッタ』に出てくる
「タッタ」って、手塚治虫の完全な創作なの? 空とは縁起である。
空とは慈悲に始まり慈悲に終わる。
日本人に取ってもっとも大切な経典ですな。 「理想の生き方は、世俗社会で生きながらもそれに執着しないこと」
「すべては関係性によって成立しており、実体はない」
「だからこそ自らの修行の完成ばかりを目指さず、社会性や他者性を重視せよ」。
維摩の主張には、既存仏教の枠組みさえ解体しかねない破壊力があります。 維摩経
空とは縁起である。
空とは慈悲に始まり慈悲に終わる。
日本人に取ってもっとも大切な経典ですな。
「理想の生き方は、世俗社会で生きながらもそれに執着しないこと」
「すべては関係性によって成立しており、実体はない」
「だからこそ自らの修行の完成ばかりを目指さず、社会性や他者性を重視せよ」。
維摩の主張には、既存仏教の枠組みさえ解体しかねない破壊力があります。 苦しみは我にこだわるところに生まれる。
だから無我を目指す。それを空という。
では、いかに空に達するか。
慈悲によってである。
より知らない人へより多くを与える、
そして与えることに感謝する。
これが、我から離れる実践である。
より、というのは相対的なものでいままでよりだから誰にでもできる。
慈悲とは弱者救済とは全く違う。
弱点こそ慈悲するべきである。
与えるのは貨幣価値あるものだけではない。
えがおであり、あいさつであり、思いやりである。
与えたからと威張ったり、
返礼を求めるのは、我への固執である。
与えることに感謝する。 >>22
伝統の破壊
>>23
与えていることに感謝
だんだんイスラム国の様になってきたね。 『無門関』 第三則:倶胝竪指
倶胝(ぐてい)という和尚は人から何を質問されても、いつもただ指を一本立てて見せるだけであった。
その寺の小僧は、来客に「和尚はどんな法を説くのか?」と聞かれると、同じように指を立てた。
和尚はこのことを知ると、刃物で小僧の指を切り落としてしまった。
泣きながら退出しようとする小僧の名を和尚が呼んだ。
小僧が振りかえると、和尚は指を一本立てて見せた。
その時、小僧ははたと悟った。 ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてーはらそーぎゃーてー >>23
しつこい慈悲は関係ないつってるだろバカ
一人で籠るのに誰に慈悲かけるんだよバカ
手塚治のブッタ読んでみろ。一番分かりやすいわ
ブッタが誰に慈悲かけたんだよアホ
脳足りん如何様野郎のくせしてなにいってんだ
嘘を広めんな 慈しみあわれみこれが慈悲の意味空に入るのは
人に絶望してはいる。波平お前みたいなやつのせいで
俺は空に入ったんだ。嘘を撒き散らし糞みたいな理論ぶっこんで
やってることはダブルスタンダード。
自分を慈しむやつは空にははいらない。自分をあわれむ奴は
人を慈しむことはない。自分で精一杯なのにバカか!
とことん地獄みた人間が空に入るんだ。それは怒り憎しみ負の情念に
押し潰されそうになりあるものは復讐に走り、あるものは空に入る
2択なんだよ。人を助けたいなら行動しろNGOに入ればいい
仏教は自己と向き合い自分を高めるものである。決して他人を救う物ではない
それを利用したのがオウム真理教じゃねぇーか
相手を慈しむ心で相手を殺す事が良いことと教えた
いい加減浅はかな知識で仏教語るな! “私たちに欠如しているのは、真に一般的に言えば、《東洋》の微粒子であり、《禅》の穀粒である。”
― ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ 『ディアローグ』 (2011) 修行などを通じて会得される一種の神秘的な体験をギリギリのところまで粘って論理化するのが、
仏教哲学なんだろうな。 >>37
昭和9年(1934年)というと、
『大正蔵』(1923-1934年)と
『南伝大蔵経』(1935-1941年)が刊行された頃だ。 “彼はゆっくりと歩きながらよく考えてみた。
その気持に深く彼は思いをひそめた。
深い水の中を下りて行くように、彼はこの気持の底まで、
原因のひそむところまで下りて行った。
なぜなら、原因を認識すること、それがまさに思考することであり、
そしてそれを通してのみ気持は認識となり、失われてしまうことなく、
実体をもつものとなり、その中にあるものを現しはじめるのだと思われたからである。”
― ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」(『ヘルマン・ヘッセ全集 12』)(1922/2007) ヘルマン・オルデンベルク 『仏陀:その生涯、教理、教団』 (1881/2011)
オルデンベルクはパーリ語仏典研究において、
リス・デイヴィッズと並んで先駆者的な役割を果たした。
ブッダの歴史的存在を文献的に立証した著作として名声を博し、
ニーチェにも影響を与えた。 リス・デイヴィッズ…『南伝大蔵経』の底本となったテキストを編纂したパーリ聖典協会(Pali Text Society)を設立。
リス・デヴィッヅ 『仏教時代のインド』 (1903/1984)
ライス・ダビッド 『初代仏教』 (1908/1912) >>39
全くその通り。不思議な体験なんて楽勝でできる
例えば脊髄に電流流れることを実感するとか
動物達との不思議な体験とか俺達は
性的快楽を一人で体現するとか
四方の空間に何かの存在を感じるとか
多分テレパスは存在する。それを使いこなすのか忍だと思う
相手に位置を察知させないとかね。これも一種のテレパス遮断ではないかと
思ってる。遮断できると言うことはコントロールできるのよね
人はそのテレパスを極限まで捨てたんだと思う
動物にあって人にないもの一つしかない毛だ
私は毛がテレパスの受信機ではないかと思ってる (一)ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。ー車をひく牛の足跡に車輪が付いていくように。
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
岩波文庫 中村元訳 (二)ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。影がその体からはなれないように。 テレパスといってもジェダイみたいなもんではなく
存在認識レベルかな。視覚だけだと存在感じれないから
特に動物は直立じゃないから視野が人より狭い
見ようとすると首だけではなく体全体動かさないとダメ
キリンや馬は大丈夫だけど犬とかライオンとか顔が
平行近くにある動物は察知能力がすごく高い
平行にない動物は驚くと興奮するのよね。中々おさまらない
カバは特殊で目の位置と水辺の生活でテレパスはいらないんだろな ヴィパサナー瞑想の一番簡単な呼吸に集中する時点でわけわからん
息を現に見えている机のように物的な対象として観察するのか
息に付随する心的な感覚(冷たい・乾いている等)を観察するのか
呼吸をエポケーして純粋経験みたいなのを感じるのか
そもそも物心二元論をとるのに全ては私の現象(仏教でも少なくとも超越論的統合の機能を果たす我の存在は認めているでしょ?それを我とは言わないだけで)という立場をどのように退けるのか
またありのままというが、自分が再構成したものを後から認識しているだけではないかとか
無我と言っているものは勝手な、超越的な価値から無意味と言っているだけで、そのようにバイパスのかかった価値が本当にありのままといえるのはなぜかとか
疑問が延々とわいてくる
曖昧過ぎて付き合う気が失せる
こんなんでよく西洋哲学馬鹿にできるな かんそう【観想】
(1)[仏] 特定の対象に深く心を集中すること。観念。
(2)[哲] 〔ギリシャ theoria; ラテン contemplatio〕
(ア)感官的知覚や行為の実践を離れて、対象を直観すること。テオーリア。 → 思弁
(イ)宗教的修行や神秘主義で、超感覚的・神的本体を心に映ぜしめる霊的直観。冥想。黙想。静観。
(3)美の直観。観照。
(大辞林 第三版の解説) ヴィパッサナー(巴: vipassanā)は「観察する」を意味する。
ヴィパッサナー瞑想は、
ナーマ(こころのはたらき、名〔みょう〕)とルーパ(物質、 色〔しき〕)を観察することによって、
仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想。 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村元訳
岩波文庫 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村元訳
岩波文庫 (四)「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村元訳
岩波文庫 西洋哲学は基本的に糞だよ。歴史と照らし会わせれば
糞は糞でしかない。その点仏教は争わんからね (五)実にこの世においては、怨みに報いる怨みをもってしたならば、ついに怨みの止むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村元訳
岩波文庫 (六)「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村元訳
岩波文庫 争いはなくなれど
人間社会そのものがなくなるのでは? 仏教はつきつけると人間社会には危険思想だと思います
もちろんこの事実に関して善も悪もありませんが みんながみんな上座部仏教で出家しちゃったら確かに社会は崩壊する。 関係ないけど、
むかし共産主義って純キリスト教的思想だと思ってた。 内容的にはそうだろうよ
そこに宗教的紐帯を認めるか否かという点で時代に流された側面がある 仏教=平和思いやり慈悲とか考えてしまう奴は
好い人に見せたいんだよ。本質的に私は人を救いたい
なら金をもてよ権力手に入れろ。それが合理的な回答だ
仏教は根本的には哲学なんだよ。生き方じゃない
真理は絶対変わらないこの世の理を理解する。つまり社会システムの
合理性の追及なんだよ。民主主義や共産主義とは一体なんなのか
自分は何処に根っこがあるのか。仏教徒なら民主主義に根っこが無いと
ダメなのよ。合理性の無い人間が真理を肯定的にとらえることはない
断言する。合理性の無い人間は自分が社会システムに組み込まれてることを
理解しないから祭りの音がうるさい子供の声がうるさいなどなど
クレーム入れるわけ。親が何とかしろってね。これを合理的に解釈すれば
子供は理解してないむしろ合理性から離れた存在こそ子供なのに
だって何が危ないか何をしてはいけないか全く理解できてないんだよ
体験して学ぶのにそれを閉ざす大人がいるんだから。バカでしょ
合理的にとらえればこれで一つ勉強したないずれ君は役にたつ人間になっていくんだと
肯定的にとらえられるんだよ。 さてさて君たちは民主主義に根っこがあるのか思考してみなさい 波平さん、僕たちはボロボロです。
この状況で普通を取り繕うことは僕にはできません。
幼稚だと罵ってくれても構わないです。 >>77
そうなの
仏教ってもっと虚無的というか実存系というか
なんかそういうイメージだった >>80
ご恩と奉公
何も手がつかず、なんのための寝不足だかね >>83
発狂さんか、懐かしい(笑)
いまはみんなから底辺ちゃんと呼ばれてますよ。 (この世のものを清らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めないものは、悪魔にうちひしがれる。ー弱い樹木が風に倒されるように。
『ブッダの真理の言葉 感興のことば』 中村元訳
岩波文庫 「とらわれないことにとらわれない」
(☆∀☆)✨👰 >>91
おはよう😆✋✨☀
今、デザート頂いてます。⭐ 般若心経 。音楽よりいいよ。哲学より。自由 自在 でさあ。 >>32
立てる指は中指と人差し指では意味が違う事 “構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦「言語哲学としての真言」(1984年、高野山での講演) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています