禊健太郎タソにとっての

仏教における
智慧と慈悲の実践とは

>特に日本人なら
>挨拶、配慮、勤勉、空気を読む、もまた慈悲の実践の一つ
>そこからすべて始まる
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おじゃるの場合は
仮設としての
無明している世界の中においては
地水火風空識の微粒子に依存して
色受想行識の仮和合が

(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である

遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)に依存しているので

おじゃるは無力である
(「如来の智慧と慈悲を具現化することは難しい」という意味でつ)

と答えてます