相手の非をあげつらうのは慈悲じゃないよね

結局、君もおじゃるもたいしたことないわけよ

慈悲にどれだけの責任を負わすことができるのか
そこそこの聖人でも、分かっているわけではない

世の中には
どうしようもないクズとか
救いようのない凶悪者とか
およそ話の通じないサイコパス
そんなやつらがうようよいて
慈悲もしくは慈悲の実践が、そいつらを僅かでも照らすことができるのか
誰にも確証があるわけではない

慈悲が慈悲がと唱えるだけなら楽なことだけど