時間論も自由論と同じく、切り口みたいなものがないと抽象的でつかみどころのない話に迷い込んでしまいそうだな

さて >>918 より道元の「存在とは時間であり、時間とは存在である」とあるが、
「存在とは時間である」とのテーゼは端的に言えば"反時代的考察"から逆の時代主義だよねえ
帝国の時代には戦争に行き、70年代ならリーゼントの暴走族に、
最近ならAKB48のコンサートで熱狂して時代の波に乗るのが時代人としてなすべきことなんだろう
釈迦がバラモン教の修行を始めたのも当時の若者の間で流行っていたからだそうだ

逆に「時間とは存在である」とは個々の人々の意識や性質が時代を作るということで、
前者(存在とは〜)とは鶏から卵が生まれ、卵から鶏が生まれるの循環関係にあるのだが
これはいわゆる進化の法則としての循環運動、ヘーゲルやマルクスの時間の哲学(弁証法)だな

マルクス「人は歴史を作る。しかしそのことを知らない」