時間はアリまぁ〜ス 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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●前提
※このスレは粘着荒し『時間の国のアリス』君を、隔離、指導、躾する意図を含んでいます
※『時間の国のアリス』君、通称アリス君は、他人に成りすましてアリス君自信を擁護する場合があります
※アリス君擁護の別キャラが忙しいときはアリス君キャラは出てきませんが設定です
●アリス君の主張
過去とは前の状態の現在であり、未来とは今後の状態の現在である。
現在、過去、未来は状態が違うだけで実は同じものである。
よって時間とは現在の持続であり、状態の変化は時刻である。
常に在る一定の変化を数える事は、時刻を数える事と同じ意味を持っ。
※この主張はあまり考えたものではありませんが、アリス君自信作です
●その他
※『時は存在なり』というアリス君の別キャラが居ますが、アリス君が忙しい
※または別キャラに扮して発狂しているときは出てきません
※それ以外は毎日欠かさず出てきますので、生暖かく見守りましょう
※アリス君は長文コンプレックスです
※アリス君は時折発狂します
前スレ
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1461072404/ 「無限論の教室」すらまともに読めていないということは悲しいことだ。 >>247
結局これが逆説の本質だな。
決定不能。 光速度一定は学問が成立する根拠
自然が無矛盾→論理は静止→ゼノン、二律背反、運動規定
規定は否定、クレタ人、次元否定、不完全性定理、微積分の根拠、観測問題
不確定性原理、量子力学の保存則の破れ、力一般の否定など
これらの理解のアリアドネの糸 生物の鵺的存在→差違を否定で理解する根拠
きわめて単純、きわめて豊穣な原理が光速度。
否定で理解するから決定不能、矛盾と成るだけ
否定の否定は科学革命が根拠
これらを理解できる導きの糸 ラッセルも否定関係が根本だけど
どう概論を書くかな。
思案の真っ最中。 【サティ】
729 :神も仏も名無しさん :2018/07/24(火) 22:17:34.86 ID:Q8eSm54r
さくらさん、これやって結果教えて!
面白いよw
自己顕示欲の強さを診断! 自分をアピールしすぎて嫌われてない? テストしてみよう
https://gakumado.mynavi.jp/gmd/diagnoses/47465
ちなみに俺の結果はこれ↓
https://gakumado.mynavi.jp/gmd/diagnoses/47465/result?total_point=0
【自己顕示欲:かなり弱い】逆に、絶対に目立ちたくないタイプ
逆に、絶対に目立ちたくないタイプ
あなたは自己顕示欲がかなり低いタイプのようです。「目立ちたい」「注目されたい」という気持ちはまったくなく、逆に「まわりに自分のことをあまり知られたくない」「放っておいてほしい」という気持ちを持っています。
そのため、本当はすごい実力を秘めているのに影に隠れてしまい、まわりから認識される機会を失っていることもありそうです。せっかくなので、得意なことだけでも自分からアピールしていくようにするようにしてみては?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523599761/729 課題が決まった
ラッセルの理解と鳥もちの仕上げだな ラッセルは同一に否定関係持ち込むから
やはりその線だな 過程の展開している某掲示板の認識の仮構問題は面白い
鳥もちの話だな 方程式は認識の在り方
直接自然を反映していない
ある意味天動説 決定不能と決定する
理解不能と理解する
自然には理解は実在しない
理解は人間の側にのみ在る
地動説、光速度一定の原理は
対象→否定→否定の否定ということ 自然は運動するエネルギーの濃淡の海で、現存する対象は認識主体を含めてその生成過程に在る。
理解するから数も次元も必要になる。 数学上ではそうかなあ
ただ1も0も大きさは無い
1は無限の否定としてあり・・・
その否定としての0は・・・
1も0も数学上であり
いや今考えていることなんだが、物理との関係が錯綜して
糸がほぐせない
ラッセルは数学内の話のような 無限論の教室で、可能無限、実無限の話がある。
実無限は何でも数にする数学の王道かな。
可能無限は数なら定まっているのだから不定数は数じゃない、みたいな正当さはあるが。
双方ピタゴラスの末裔。 389 :ひろか :2018/10/28(日) 14:19:38.50 ID:xKRtw2Ho
お肉ばかり食べたらあかん 言われたから😭
モテないから😣
運命の人が現れないから😭 ありがとうは魔法の言葉は言いえて妙
無愛想な店員さん、司書さんの態度が変わってくるのがわかる
若い就職したてみたいな若い子は嬉しそうに、ありがとうございましたと大きな声で言ったりする
若い美人の司書さんが、転勤の際名残惜しそうにしてくれた
寂しいければ嬉しかった
試してください
たとえ効果が無くても繰り返せば少しずつ関係が変わってきます
お勧め 人間なんて単純だから言葉一つで上手くいくことがある
難しいことばかり考えるのも良いけど、実生活は単純なことが功を奏する気がします ふむ、面白い
ディープラーニングは端的に言えば「同じ物(似た物)を探してくる装置」であって、それ自体が何か新しい物を生み出したりする訳じゃない
チェスとか将棋の類では過去に対局された棋譜を検索して次の手を探してくるだけだし、株価予測も顔認証も過去のデータや登録された顔データと比較してるだけ
プログラムを書き換えるのは全く出来ないわけではない、端的に言っただけなので訂正しておく
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" } print "Done!" print "Say again. Done!!!"
これが、
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" print "Done!" print "Say again. Done!!!"
になっただけで「閉じてねーよゴルァ」って怒られる(動作しない)そして、AIにはこれのどこに「}」を入れたらいいかを判断できない(正確にはエラーを起こさないようには出来るけどそれが正しいかを判断できない)
さて、これをどうやって「人類の脅威になるような」プログラムに書き換えるんだい?って話、そもそもこのコードをAIがどっからひねり出すんだい?っていう
過去の人間が作ったソースコードからコピペする事は出来るが、ある目標を持ってAIがコードを作るのではなく、あくまで人間が意味を見いだすってだけ
2045年がどうとか言われてるけど、空振りだと思うよ
音声認識、顔認証なんかは生活に溶け込んでるとは思うし、昼過ぎて食ってない昼食をスマホが催促してきたりはするかもしれないけど、創造的な作業は機械には出来ないのは変わらない 雛型か、そういや雛形とかいうタレントいたな
目が苦手だったな 教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない
だったかな/ 疲れるだけですよ、憎んでみたところで
だからお早うございますの帽子屋さん 333
歌いだせ世界、わたしの周りで
天井桟敷の人々 面白い、お勧め
誰にも言わないで
逢いにきて、夜のブランコで待ってる 「朝の扉をひらく時」
朝の街角 つぶやいた白いサンダル
ひとりの夢が はじまる時
朝の街角 ショーウィンドウにうつる私の顔
星くずの中から 生まれた 今
歌いだせ世界 私のまわりで
かけめぐれ風 朝の窓 朝のこずえを
ひろがれ 海の彼方へ ひろがれ雲の彼方へ
ひろがれ 世界の果てへ 世界の世界の果てへ
朝の街角 しのび笑いの青い帽子
まほうつかいが 影ふみ帰る
朝の街角 口笛ひとつ生まれて
遠い空へと 消えて行く 今
歌いだせ世界 私のまわりで
かけめぐれ風 朝の窓 朝のこずえを
ひろがれ 海の彼方へ ひろがれ雲の彼方へ
ひろがれ 世界の果てへ 世界の世界の果てへ 148 メカ名無しさん 2018/11/13(火) 23:16:57.40 ID:XN+lekZO
「AIが自身のプログラムを書き換える」
これ
「どのように」が抜けてて、それがあたかもAIがプログラムを「良いように」書き換えて人類あぼん
みたいな妄想が良くあるパターン
プログラムは自身のプログラムを書き換えることは出来ません。
ディープラーニングは動作を書き換えるだけでプログラム(アルゴリズム)は書き換えない
「ロボット三原則」とか文系の発想で妄想だけが先走る良くあるパターン
人類に危害を与えないとか、こんな事プログラムすることは出来ないからね さてと。
ジ・エンドかな。
観念には終始がある。
もう良いかな、なんて。 この辺がベストのような。
母を見送って疲れました。
姉を、とは思っていましたが
無理みたいな気がします。
いや、精一杯とは思ってはいますが。
行く所まで行くべきかなとも。
さてどちらが良いのでしょう。
思案のしどころです。
姉は姉妹に任せたほうが良いかな。 甜菜 AI論争あったが、これはなかなか強力な否定論
148 メカ名無しさん 2018/11/13(火) 23:16:57.40 ID:XN+lekZO
「AIが自身のプログラムを書き換える」
これ
「どのように」が抜けてて、それがあたかもAIがプログラムを「良いように」書き換えて人類あぼん
みたいな妄想が良くあるパターン
プログラムは自身のプログラムを書き換えることは出来ません。
ディープラーニングは動作を書き換えるだけでプログラム(アルゴリズム)は書き換えない
「ロボット三原則」とか文系の発想で妄想だけが先走る良くあるパターン
人類に危害を与えないとか、こんな事プログラムすることは出来ないからね ディープラーニングは端的に言えば「同じ物(似た物)を探してくる装置」であって、それ自体が何か新しい物を生み出したりする訳じゃない
チェスとか将棋の類では過去に対局された棋譜を検索して次の手を探してくるだけだし、株価予測も顔認証も過去のデータや登録された顔データと比較してるだけ
プログラムを書き換えるのは全く出来ないわけではない、端的に言っただけなので訂正しておく
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" } print "Done!" print "Say again. Done!!!"
これが、
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" print "Done!" print "Say again. Done!!!"
になっただけで「閉じてねーよゴルァ」って怒られる(動作しない)そして、AIにはこれのどこに「}」を入れたらいいかを判断できない(正確にはエラーを起こさないようには出来るけどそれが正しいかを判断できない)
さて、これをどうやって「人類の脅威になるような」プログラムに書き換えるんだい?って話、そもそもこのコードをAIがどっからひねり出すんだい?っていう
過去の人間が作ったソースコードからコピペする事は出来るが、ある目標を持ってAIがコードを作るのではなく、あくまで人間が意味を見いだすってだけ
2045年がどうとか言われてるけど、空振りだと思うよ
音声認識、顔認証なんかは生活に溶け込んでるとは思うし、昼過ぎて食ってない昼食をスマホが催促してきたりはするかもしれないけど、創造的な作業は機械には出来ないのは変わらない ディープラーニングは端的に言えば「同じ物(似た物)を探してくる装置」であって、それ自体が何か新しい物を生み出したりする訳じゃない
チェスとか将棋の類では過去に対局された棋譜を検索して次の手を探してくるだけだし、株価予測も顔認証も過去のデータや登録された顔データと比較してるだけ
プログラムを書き換えるのは全く出来ないわけではない、端的に言っただけなので訂正しておく
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" } print "Done!" print "Say again. Done!!!"
これが、
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" print "Done!" print "Say again. Done!!!"
になっただけで「閉じてねーよゴルァ」って怒られる(動作しない)そして、AIにはこれのどこに「}」を入れたらいいかを判断できない(正確にはエラーを起こさないようには出来るけどそれが正しいかを判断できない)
さて、これをどうやって「人類の脅威になるような」プログラムに書き換えるんだい?って話、そもそもこのコードをAIがどっからひねり出すんだい?っていう
過去の人間が作ったソースコードからコピペする事は出来るが、ある目標を持ってAIがコードを作るのではなく、あくまで人間が意味を見いだすってだけ
2045年がどうとか言われてるけど、空振りだと思うよ
音声認識、顔認証なんかは生活に溶け込んでるとは思うし、昼過ぎて食ってない昼食をスマホが催促してきたりはするかもしれないけど、創造的な作業は機械には出来ないのは変わらない 物理学的に言えば、ハミルトニアンに対する推進演算子による
正準変換を考えるとき、そのテイラー展開表示に出てくる係数を
時間と解釈できる 正準変換と正準変換との合成は再び正準変換
になるということで、時々刻々と時は流れていくというわけだ その前に、数とは、数学とは、方程式とは、物理学とは、科学とはを考えたほうが良い わたしの理解では、自然は運動しながら、言い換えれば加速の中で諸物が生成される過程です。
神の方程式、いわゆる最終方程式は生成に必要なエネルギー量と加速に必要なエネルギー量と本質として異なる方程式の統一ですから、それは可能か?ということになります。
物理は自身として差異として存在しますが、生成は自然の濃淡の関係と自身の差異の関係です。
濃淡は加速と差異ですが、一体として展開されます。
もう少し緻密に言えば生成は自身という同一で理解された加速の産み出す差異と多の他という自然の差異との関係で成されます。
わたし自身は、最終方程式は自然は無矛盾であり、その理解の本質を示す光速度一定の原理を示した方程式だと主張します。
ただそれは出発点でしかない。
そして理解は静止であり、光速度一定の原理はその自己言及という性格を持つ。
これ以外の方程式は、出発点、原点と無限は捨象されて理解されなければならない。
つまり有効範囲があるということで、いわゆる神の方程式はそのことを否定、つまりひり速度一定の原理の否定であり、自然の無矛盾ということを否定したそれではないかと。 論理が天動説だと気がついたのは進展だった。
静止という理解から出られなかった。
頑固者の理解には鍛えられ、進展のきっかけになることが多いんだな
いやまた良いきっかけをもらえた
時間不在説はまた一つ進展した >>351
また改訂書いているが、いまいちなんで小休止中
先日自身の関係もまた差異なんだなってわかった
・・ヘーゲルの論理がまた少し理解できた気がする
三浦さんも理解していない所があるんだなあ >>353
今朝の目覚めは良かった
朝の扉をひらく時の歌が爽やかだった
また道が拓けた思いが
旧弊な理解は止揚するために存在する
なんと言ってもヘーゲル! 自然は運動するエネルギーの濃淡の海でその過程に私たちが在る。
そのようなエネルギーの在り方を理解するために実在しない次元は観念として在る。
時間も重力も電磁力もそのような観点から理解し直す、つまり止揚する必要がある。 真夜中の太陽
1
泣きながら胸をはれ 静かに朝を待て
木枯らしの丘にひとり立つ 孤独な樹のように 何も生まれない、無くならない
偉大な物理学者は貧弱な哲学者に成りがちだ 分類も座標原点も科学の進展で消失した。
差異を否定で、運動を静止で理解する。
多は一と成る。 分類しがたい対象は分類することそのものに求められる。
理解できないこともまた理解そのものに。
証明できないことが証明される。
対象自体は無矛盾だがそれを理解するのは矛盾する。
つまり論理そのものがそれらを産み出すということか。 相対性理論も理解された自然
同時性もまた観測された自然 運動を静止、つまり有を無で理解する
だから量で理解するしかない
ヘーゲルの科学認識理解
次元は理解するのに必要であり、無であり実在しない
モデル自体は実在するわけでない
あくまでも認識に対象化された自然
一光年は自然に実在するのか?
おかしいでしょう
過去も未来も実在しない
一億年も一秒も実在するはずが無い
今の正体は運動
運動は生まれない、無くならない
今、一瞬は永遠、永久
自然はただただ運動しているだけ 重力の正体は加速
差異が加速を産み、加速が差異を産み、つまり生成していく
重力と他の諸力は本質として違うと考えていましたがどうも間違いで、一体ですね
多で理解する必要が有るのですが、それも一元としての自然を「理解」するからこその多 自然は過程として在り、わたしの自然理解もまた過程として展開され、完成することは無い 第二の科学革命に寄与できたら、というのがわたしの望みです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています