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After School★アフタースクール48☆AFTERSCHOOL
252 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/25(木) 11:06:10.54 ID:EpVlaCHg
レイナ、ユイ、カウンのオマンコは
大小陰唇ともちょっとプクっとしたフワフワ感のあるオマンコ
「ああ舐めたい」と感じるシズル感を持ったオマンコだ
決して悪くも無く、かと言って凄く良いわけでもないが
オマンコとしては平均点より上の方
もう少し詳しく言うと
レイナとカウンのオマンコは見た目、柔らかさ、香りが
似ている
ユイのオマンコはちょっとだけ筋肉質でレイナとカウンに
比べたらちょっとカチっとした感じで香りも日によっては
少しだけ獣臭い時もある
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ̄ ̄ ̄\ \
/ / / \ ヽ
f / /| ヽ |
| | / ヽ | | フフ〜 フフ〜
| |/ __\(\ | | フフ〜 フフ〜
(V / `ーーV) フフ〜 フフ〜
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(V / `ーーV)
| ヽ🌏) . (🌏ノ |
人 ( ノ
∧ (__人__) ∧
| ヽ☉) (☉ノ. |
| ヽ🌀) (🌀ノ |
| ヽ✺) (✺ノ .|
| ヽ⦿) (⦿ノ .|
∧ (__人__) ∧
| ヽ🔥) (🔥ノ .|
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人 ( ノ
∧ (__人__) ∧ ぷちゃほか〜
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∧ (__人__) ∧
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∧ (__人__) ∧ ぷゃほ〜
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比べたらちょっとカチっとした感じで香りも日によっては
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HAPPY COFFEE JELLY DAY !
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| i タンタタンジン・ドタタンジン・ドップょっタン
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ヽ...\ |! '‐=*ニ,>/.i <,ニ*=‐' {;;iゞ ,!
\.....〔: _ノ i |!゙.../ / 内野安打にンジン・ドタタンジン・ドップょっタン
\,| (,"、 ,゙",! l" /
! ,-‐ v ‐-、 ,i/ ドップょっとねとねンジン
!; ;<, <ニニニ> >; ; ;/
\, ,゙''ー!r!!ー'",_;/ ドップょっとセクシーさをねップょっと・ドップょっとね感じるべきだろップょっとね
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神が存在する証拠。
それは、私に神という観念があることだ。 神が存在する証拠
それは、この私に生まれつき、神という観念か
備わっているということだ 神は無限で完全だ
私は有限で不完全だ
有限なものから無限なものが生じることはないし、不完全なものから完全なものが生じる子とはない
よって、神は存在する クォークの質量 編集
カレントクォーク1個の質量は、例えばアップクォーク (u) は電子の10倍、ダウンクォーク (d) は20倍程度だが、これらが集まると質量は普通とは違った結果になる。例えば、
uudの組み合わせは陽子を構成するが、質量は10+10+20=40とはならず電子の1836倍程度
uddでは中性子だが、10+20+20=50とはならず1839倍程度
となる。これは強い相互作用の結合エネルギーによるものである。 「クォーク」とは素粒子の1つであり、これらが組み合わさると陽子や中性子と言った通常の物質を構成する原子を構成する複合粒子となる。
ところで、素粒子の大きさは現在の物理学における謎の1つである。
大きさがあるかないか、あるならばどの程度の大きさとなるかについては、素粒子の反応を調べる重要な指標の1つとなる。
標準理論においては素粒子の大きさはゼロであるが、超ひも理論ではプランク長さであるなど、いくつかの説がある。 ドイツのハンブルクにある加速器「HERA」を用いて実験を行っているZEUS Collaborationgは、クォークの半径を求めるために実験を行っていた。
HERAは世界唯一のレプトン・陽子衝突型加速器であり、電子と陽子をそれぞれ加速し衝突させテラ電子ボルト級のエネルギーを発生させる事が出来る。
ZEUS Collaborationgは、電子と陽子の衝突実験を繰り返す事で、自身が素粒子である電子と、陽子を構成するクォークとの衝突確率を算出した。
強力な加速器で実験を繰り返し行う事で、非常に衝突確率の低いこれらの粒子の非弾性断面積を1フェムトバーン (10-43m2) スケールで算出する事が出来る。
電子と陽子の散乱を算出するため、陽子と衝突させるのは電子と、その反粒子である陽電子で行った。 実験の結果、実験の値によく適合するクォークの半径の上限は 4.3×10-19m (直径にして860ゼプトメートル) であると求まった。
これは陽子の約2000分の1である。これはあくまで上限であるため、もっと小さいか、完全にゼロである可能性もある。
いずれにしても、理論上の値には一歩近づいた形となった。 小さい世界でも男性がかかわるとロリコン風。厳重に敬意を。 お気に入り知恵コレ
陽子に対してクォークはどれくらいの大きさなんですか?
クォークは点という風によく言われますが、全く理解不能です。点だとしたら、陽子に対して無限に小さいとなってしまい、訳が分かりません。 ベストアンサーに選ばれた回答
無限に小さいよ。残念ながら。 そのほかの回答
全1件
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sen********さん
陽子の質量は 1.67262158 ×10^-27(kg)
大きさ(半径は)約1.2 × 10^-15(m)
クォークの大きさは10^-17(m)より小さいというところまでしか分かっていません。
(現在の加速器実験の能力ではそこまでしか確認出来ません。)
クォークの質量は陽子の1%程度です。
原子核内を飛び交っている多くのグルーオンやエネルギーも含まれて、
そのためクォーク自体の質量が小さくても陽子の質量は大きくなります。
但し、
この陽子のサイズには疑問を投げかける結果も出ています。
長年、陽子の半径は0.8768フェムトメートルとされてきましたが、
「陽子の大きさは想定よりも4%小さい(かも知れない)というものです。
(レーザ技術を工夫して、今まで計れなかったミューオン原子のレベルをはかれるようにした結果、半径0.8418fmに・・・「2010年7月のニュースより」。)
標準理論ではクォークやレプトンは大きさがない点状粒子として扱います。
点状粒子はどこまでも近づくことができるため紫外発散の困難がつきまといます。
その後、広がった素粒子として、超対称性を備えた超ひもが登場しました。
ひもの長さは 10^-35(m)ほど。 小さいスターがあって小さい世界があるのかなあ。そこは空洞になっていて
小さい命の発芽があるのか。 かつては、「物質を分割すれば素粒子になる」と考えられていた 素粒子の内部は空洞になっている
これは人類の世界観を揺るがす重大な事実 それも、ピンポン玉みたいに、外に殻があって、中が空洞・・・というわけではない 3Dの立体映像みたいなものだ
本当に何もない
+と−の電荷があるだけ 手が机に触れる
手の表面の電子と、机の表面の電子は、マイナス同士で反発する
それを、脳が「手が固いものに触れた。これは通り抜けられない」という情報に変換して、自分の意識に伝える
そんな風にして、単なる立体映像を、現実に存在するかのように見せかけている 素粒子を追求する上で、中心的な役割を果たす「光子」「電子」「クオーク」。名前は全く異なりますが、追求していくと、共通点も多い。光子と電子、クオークの関係を整理しておきたいと思います。 □光子は粒子ではなく「素量子」
光子という言葉からイメージするのは「物質」ですが、どうやら光子は「物質」では無さそうです。アインシュタインは光子の事を「素量子」と呼んでいますが、素量子とはエネルギーの塊を意味しますので、光子とはエネルギーの塊である。という事です。
このエネルギーの塊がどのような運動をしているのかに関しては螺旋運動253405などが提起されていますが、もう少し追求する必要がありそうです。 電子、クオークは「素粒子」
電子やクオークは、「エネルギーの塊」ではなく、質量が観測出来る等、物質としての性質が強なり、「素粒子」と呼ばれる様になります。
電子、クオークの共通点としては、共に、「電荷」を持ちます。また「スピン運動(肉眼では未確認)」と呼ばれるなんらかの運動をしているという事です。 素粒子がスピンしているというのは、よく知られている。
しかし、実際には、スピンが具体的にどういう動きなのかは、わかっていない。
なんらかの動きをしているということだけが判明している。 光子と電子、クオークとの関係性
「エネルギーの塊」である光子と「素粒子」である電子、クオークとは切っても切り離せない関係にあります。 @光子と電子
まずは、光子と電子の関係ですが、
・電子と陽電子をぶつけると光子になる。
・電子は光を当てると軌道を変える(励起状態) 励起状態から元の軌道に戻る時に光を発する。(クォンタムジャンプ)
などの性質があります。電子が光子になったり、電子から光子が出たり入ったりするという事です。
この事から、【電子の構成要素は光子ではないか?】という事が考えられます。 A電子とクオーク
続いて、電子とクオークとを結びつける特長的な性質として、
・β崩壊により中性子が陽子に変わる時、電子を放出する。
という性質があります。陽子と中性子の構成要素はクオークですので、クオークから電子が放出されている。という事になります。
とすると、クオークと電子は本質的には同じものだという事が言えます。
電子の元が光子だとすると、クオークの元も光子ですので、【電子、クオーク共にその元は同じで、光子である。】という事が考えられます。 □光子⇒電子、クオークへの移行は相転移
エネルギーの塊がなぜ物質としての性質を帯びてくるのでしょうか。先程表記した様に、光子のエネルギーを表す式は「E=hf」で表記されます。
また、光が長波長の時=エネルギーが小さい時は、波としての性質を示しやすく、短波長の時=エネルギーが大きい時は粒子としての性質を示しやすいという性格も持っています。つまりエネルギーが大きくなると粒子としての性質を帯びてくる。という事です。
この事から推測すると、【量子があるエネルギー限界点を越えると、相転移(氷⇒水⇒蒸気の様に、エネルギー量に応じて、状態が変化する事)して、エネルギーの塊が素粒子に転換する。】という事が考えられます。 以上の事をまとめると、
・電子、クオークの元は光子である。
・光子の運動や集積度に応じて電子やクオークなどの性質の違いが現れる。
・エネルギーの塊(素量子)が相転移を起こして素粒子になる。
という事が推測出来ます。 要するに、光子は、粒子というよりエネルギーである。
その光子が、+と−に分かれて、クオークと電子になり、それが物質となる。
エネルギーが十分に増幅されると、そこに物質が出現する。
・・・というわけだ。 もし神がいるなら
不完全性定理について聞いてみたい 留守にすることができないなら、居ることもできないだろう
居るためには、場所が必要だ
しかし、特定の場所に居たり、居なかったりする神とは
どんな神なんだろう スティーブン・ホーキングいわく
「神は完全なギャンブラーであり、しょっちゅうサイコロを振っている」 エネルギーも、もともとゼロだったものが、+と−に分かれることにより無限に生み出される しかし、素粒子には実体がない
立体映像のような構造になっている 神は、すべてを決定したりはしない
何もかも、サイコロを振って決めている この宇宙は、原理を知れば知るほど、バーチャルリアリティーそのもの それはともかく、原子核の内部構造は、まだ解明されていない 原子よりもさらにスカスカな、単なる空洞でした・・・という結論になりそうな予感 原子核は原子と比べて非常に小さく、たとえば最も小さい水素の原子核(陽子)の大きさはおよそ半径 0.8751(61)×10−15 m(直径にして約 1.75×10−15 m = 1.75 fm)である[1]。 サイコロを投げる神が、その運動の背後にいるのではなく、その運動自体が神なのだ
だから、サイコロを投げない自由はない
だから、偶然は必然的である
宇宙の根源的な偶然性をきらい、それに対抗して永久に変わらない必然的なものを求めるのは、むしろ、人間の方である 人間は変化を嫌う
もし宇宙を作ったのが人間であれば、人間は変わらない宇宙を作ったはずだ
だが、宇宙は変わる
これは、人間とは異なる他者がいる証拠である
よって神は存在する 変化を嫌うなら、サイコロの目を全部同じにすればいい 神にサイコロを振らない自由は無いが、サイコロの目の出をコントロールする自由はあるのか?
たとえば、前回のサイコロの投擲の結果は、次回のサイコロの投擲に影響するだろうか?
そうやってサイコロの投擲同士が干渉し合い、何回も同じ目が出ること、それが習慣か?
神は宇宙に根付いた習慣を、違うサイコロの目を出すことで、破る自由はあるのか? 昔から決まってる面と、振ると変わる面があると思う。決まていそうでちょっと変わる。 キミは、坂部恵の『「ふれる」ことの哲学』を読みなさい ふれるとは、ふるでも、ふられるでもない能動とも受動とも言えない無作為的な作為の境地であり、
だからこそ、人はそれに陥っていても気づかない 狂気は、世界の急激な変化により人間が自己を揺さぶられたときの一つの態度だな
世界=他者と歩調を合わせることができない自我が、すでに失った自己のさらなる継続を望めば、世界という土台を失った宙に浮いた心の状態だけが残る
それを「気がふれる」というのだろう そうしたフワフワした境位においては、その空白を埋めようとして、悪魔のささやきがやってくる
人種差別思想や、過剰な性的放埓や、奢侈、いじめは、そうした自己の空白からやってくる 狂気?正気を保とうとする、あるいは
正気でいるからズレるんじゃないか。気質的には当たり前のことだよ。
次の段階に入っている。意識のね。でも前段階かもしれないよ。 キモイオタクが
アイドルを偉そうに語ったところで
一番の目的はオナニーだよ
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄"\
/ ノ^ヽノノノノ^ヽ、 ヽ ):::::::ノ
| / へ へ ヽ | ,):::::::ノ
(| ┫◯┣┫◯┣ |ノ (:::::::ノ
| ノ(、_, )、 | ノ::ノ
| ,r=ニ=、ヽ ━━Ц
|∴∴ `ー'∵∴ | ギャグ係だけど、こんばんは
ヽ、∴∴∴∴ /
/ ̄  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 。 | /
| ヽ、__炎_,ノ |
| (U) |
| / ヽ | 社会的な狂気は、神を信じると止む
狂気は、絶望を自覚しているが、自己自身でありつづけようとする絶望のうちに宿る
それは、キルケゴールが規定する絶望の二段階目に対応している 神を信じること、それはこの世界を作った背後的な意志的存在者を信じることではない、それは、オカルトだ
むしろ、キルケゴールが言ったように、「全てが可能である」ということを信じることなのだ
神とは「全てが可能である」の言い換えでしかない 俺がいう世界=他者は、知覚の構造、共通感覚としての他者ね
それに休らってるあいだは自我は安定するんだよ(一段階目)
ただ、この構造が壊れるときがある
ドゥルーズが『原子と分身』でトゥルニエのロビンソン・クルーソーを分析したときに言ってるように、無人島の生活ではその他者性が次第に消失する
その反動で、他者を再度絶望的に復元しようとして、狂気や妄想がおそいかかる(二段階目)
神への信仰は、この妄想との闘争の次にやってくるのだ
「全てが可能である」の無の世界では、もはや知覚の構造としての他者は必要がない! 必要がないというか、そこまでいくと自分で他者=知覚の構造を作ることができる
知覚の構造とは、世界を眺める仕方であり、それを自力で生み出すということは、世界の眺め方を自在にコントロールできるということだ 知覚の構造はひとつではなく、無数にあるからこういうことができる
そこでは犬の知覚の構造に自分を寄せていくこともできる >>254
寛容的に「気が『触れる』」と書くわけだし、どうせ坂部恵のことだから、
「気がふれる」の「ふれる」を「触れる」と解釈して、能動でも受動でも
ないとか論を進めているんだろうということは、容易に想像がつくけど、
「気がふれる」の「ふれる」は、予測不能に気の振幅が増幅することを
表現しているんだと思うよ。
https://www.duden.de/rechtschreibung/erschuettern
https://ja.glosbe.com/de/ja/ersch%C3%BCttern
https://de.wiktionary.org/wiki/ersch%C3%BCttern 物質には実体がない
それは、一種の電気信号にすぎない 素粒子の構造を調べていくと、なかは空洞だった
最後は、大きさの無い、+と−の電気信号みたいなものしか残らない この話を物理学者から聞いても、世間の一般人は、「へえ、そうなんだ」で済ませる
その事実がもたらす衝撃を、マトモに受け止めることがない もちろん、ここで、このように言うことは可能だ
「だから、どうだっていうんだ。俺にとって、物質は存在する。お前にとっても、存在するんだろ?
だったら、それでいいじゃないか」
こういうのを、「共通了解」という 少なくとも、物質が、日常的に考えられているレベルで「存在」しないことは、もはや明白だ
あとは、その事実をどう受け止めるか、どう解釈するかの問題でしかない 問題は、実体の無い物質を、「本当に存在している」と人間に思わせるシステムが、あまりにも巧妙かつ精緻であることだ
普通の人は、まず、死ぬまでそれに気づくことがない
そこに、どうしても、何者かの作為というか、意図を感じずにいられない
もしも、宇宙が偶然の積み重ねで自然発生したものならば、こうはならないだろう 物質には、実体がない
それは、まったくの空虚であることが明らかになった
これに対する最も賢明な対応は、上に書いたような「共通了解」だ
「ボクにとって、物質は存在する。君にとっても、存在するんだろ?
だったら、それでいいじゃないか。物質は、存在する。そういうことにしとこうよ」
これこそ、賢い大人の対応だ
それに比べて、「物質には実体がない」ということの意味を、徹底的に問い詰めてみようとするのは、愚かな子供の反応だろう
ヴァカだ、アフォだと言われても仕方ない
気にしなければいいだけだ(笑) やはり、この宇宙は、何物かが意図して創った世界
人間に見せるために創られた、張り子の虎みたいな宇宙だ
・・・それ以外に、無理のない自然な答は見当たらない しかも、その宇宙を創造した何者かというのが、数学に極めて強いのは間違いない
それ以外のことは何も分からないが、少なくとも、数学に極端に強いのだけは明白だ
でなければ、こんな宇宙は創れない こういう話をすると、怒り出す人が必ずいる
「人生という現実から逃げている」とかなんとか言い出す
しかし、それは的外れな反応だ
「物質が存在しない」ということと、「人生に意味がない」ということとの間に、直接のつながりはない
というより、ハッキリ言って、この2つはまったく無関係な別問題だ 問題は、「素粒子のレベルでは、物質は空洞であ
り、そこには何もない。強いていえば、大きさのない
+と−の電極みたいなものがあるだけ」という事実
そして、そんな空虚な「物質」を、本当に存在していると
人間に思い込ませるための巧妙な仕掛けが、驚くほど精緻に
張り巡らされているということだ
そこに、なんらかの「意図」というか、「演出」を認めないのは、あまりにも不自然
ニワカに信じがたいことではあるのだが、それしかないだろう その「大きさの無い、+と−の電極みたいなもの」が、じつに巧妙なシステムによって、立体映像のような電子雲を生じさせている
それこそが、われわれにとっての「物質」の正体だ
ついでに、質量、つまり、重さも生み出される
まさしく、電気信号によるバーチャルリアリティー もしも、この宇宙が、偶然の積み重ねで自然発生したものならば、こんなに「物質」らしくする必然性がないのではなかろうか?
物質がなくて、エネルギーが飛び交っているだけの宇宙を想定するほうが、遥かに自然だ
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| | / ヽ | | フフ〜 フフ〜
| |/ __\(\ | | フフ〜 フフ〜
(V / `ーーV) フフ〜 フフ〜
| ヽ●) (●ノ | 汚陳陳荒輪内小室酸杜合体肢体!
人 ( ノ
∧ (__人__) ∧
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// 人 ゚・。。。。・゚ ノ \
( | \___/ |
| | Y | | 「この宇宙は、偶然できたにしては、あまりにもうまくできすぎている。やはり、創造主が存在するとしか考えられない」
・・・というのは、「目的論的な存在証明」と呼ばれ、カントによって退けられた、古くからある論法のひとつでしかない。
しかし、現代の宇宙論において、昔の人々の予想を遥かに超える宇宙の仕組を前にして、この論法は息を引き返している。 しかし、人類にとって本当に重大な衝撃は、「神が存在するかどうか」というよりも、「物質は素粒子でできている。でもって、素粒子の内部を調べてみたら、何もない空洞でした」という事実、それ自体ではなかろうか。
この、日常生活を送る上では堅固な実体としか思えない、物質。
これは、じつはイリュージョンであった。
ニワカに信じがたいことではあるのだが、実はそうだった。
とてもじゃないが、「へえ、そうなんだ」で済ませられるような問題ではない。
もっと深刻な衝撃を受けていい(笑) 素粒子の内部に何もないといっても、正確には、+と−の電荷を持つ、大きさのない点のようなものならある。
+−の電極が、必ずセットでそろっている。
+同士、−同士は反発するが、+と−は引き合う。
この性質をうまく利用して、物質をバラバラにしたり、整然と配列したりすることができる。 そんな電極を並べて、光を反射させれば、摩訶不思議にも、そこに物質があるように見える・・・という仕掛けだ。
このように、物質は、まったくのイリュージョン。
電光掲示板を立体映像にしたようなものでしかない。 「電極による立体感覚」といったって、モノには重さもあるし、固さもあるじゃないか・・・と言うかもしれない。
しかし、それも仕掛けがある。 手が金属に触れたとしよう。
金属の原子は、規則正しく配列されている。
電子のもつマイナスの電荷の斥力によって、適度な距離を保ちつつ並んでいるのだ。
それでいて、ガッチリとスクラムを組み、手が通り抜けるのを拒んでいる。
手の表面の電子と、金属の表面の電子は、同じマイナスだから反発する。
それを、脳が、「手が硬いモノに触れた。これは通り抜けられない」という情報に変換して、自分の意識に伝える。
このようにして、「そこに物質がある」と確信するようになっている。 結局のところ、そこに物質など存在しない。
プラスとマイナスのエネルギーが、あるいは規則正しく、あるいはバラバラに、並んでいるだけだ。
それが光を反射すると、アラ不思議。
人間には、そこに物質があるように見えてくる。 エネルギーが十分に強くなると、そこに物質が出現する。 好むと好まざるとにかかわらず、物質とは、そういうものであった。
マクロの目で見ると、そこに物質が存在するように見える。
でも、ミクロの目で拡大して、素粒子レベルになると、だんだんボヤけてくる。
もっと拡大すると、何もなくなる。
後には、空洞な残る。 もしも、この宇宙が偶然にできたのならば、こんなに精巧な仕掛けをしてまで、人間に「物質がある」と思わせる必要が、どこにあるだろうか?
+と−のエネルギーが対になって発生したところまではいい。
でも、そのままでいいはずだ。
エネルギーが飛び交っている宇宙で、何の不都合があるのか?
これをわざわざ「物質」に見せるという必然性がない。 われわれが幼少の頃から慣れ親しんできた「物質」は、フェイクであった。
好むと好まざるとにかかわらず、それが事実だ。
世間の一般人も、その意味するところが理解できたなら、さぞかし深甚な衝撃を受けることだろう。
幸か不幸か、この事実は十分に知れ渡っていないのだが(笑) 古来から、インドの瞑想哲人たちは、「この世はフェイクだ。イリュージョンだ」と言い続けてきた。
しかし、それは多分に観念的な理解というか、要するに彼らの信念であった。
その点、現代人は、「素粒子の内部は空洞になっている」という事実を知っている。
物質は、マクロの目で見れば、堅固な実体に見える。
でも、ミクロの目で素粒子レベルに拡大すれば、だんだんボヤけてくる。
さらに拡大すれば、何もなくなる。
物質とは、そういうものでああった。 しかし、だからといって、人生観を変える必要があるかといったら、それはまた別問題だ。
物質がフェイクであり、イリュージョンであるというのは、あくまでも、突き詰めて考えればそういう結論になるという問題であり、それが日常の実感にまでなるとは限らない。
今まで通りの日常生活を送ることに、なんら問題はない。 物質はフェイクだ。
それが、なぜ、これほどリアルな実体に見えるのか。
われわれ自身の脳が、それをフルにサポートしている。
本当は、物質には色もないし、音もないし、匂いも手触りも何もない。
しょせんフェイクであるだけに、実は情報量が意外に乏しい。
それをせっせと補っているのは、われわれ自身の脳だ。 赤いリンゴがある。
リンゴそのものは、本当は赤くない。
リンゴが反射した、波長の長い可視光線を、「赤」という色彩情報に変換しているのは、われわれ自身の脳だ。
救急車のサイレンがピーポーピーポーと鳴るのも同じ。
サイレンは、空気を振動させているにすぎない。
それを、「ピーポーピーポー」という音声情報に変換しているのは、われわれ自身の脳。 ハッキリ言えば、われわれ人間が住む物質世界の大半は、脳が創り出した情報でできている。
物質は、単なる舞台装置を提供しているという程度。
脳が、それを色鮮やかで騒がしい世界にしている。 その物質にしたところで、堅固な実体にはホド遠い。
素粒子は、もともと、極めて小さな情報量しか持っていない。
その乏しい情報量を大幅に水増しする巧妙な仕掛けが、物質世界には張り巡らしてある。 物質は、張り子の虎みたいなものだ。
表面的には、いかにもそこに物質が存在するように見える。
しかし、内実は空虚だ。
内部が空洞になっている、精巧な剥製みたいなものだ。 中身が空洞なのは、おそらく必然なのだろう。
中身まで詰まっていたのでは、重すぎる。
重すぎるというのは、つまり、情報量が多すぎる。
物質世界というのは、こんな風にしか作りようがないのだ。
本当に、うまくできている。 物質世界は、必要最小限の情報量でできている。
われわれ人間が、その情報量を脳内で大幅に水増しして、リアルな仮想現実を楽しめるようになっている。
物質そのものは、素粒子レベルでは内部が空洞になっている。
内部が空洞の、精巧な剥製みたいなものだ。 物質は、その重厚な外観の割には、意外にも軽い情報量で構築されている。
極めて効率的なシステムだ。 目に見えないほど小さな電極を並べて、リアルな立体映像をアップしている。
それが物質だ。 立体映像といっても、じつは無声の白黒だ。
われわれ自身の脳が、乏しい情報量を大幅に補っている。
それをフルカラーのサラウンド音声にしている。 この世は、人間が見るから、このように見えるのである。
もしも、これを、神の目で見たらどうなるか。
小さな小さな、+−の電極が無数に並んでいる。
神には、そんな風に見えることだろう。
それが、人間には、こんな風に見えている。 しかし、その+−というのも、結局は、無から生み出されているのである。
「足したらゼロになる」というのが、その本質だ。
もともと無から発生したのどから、合体すれば無に還る。 おそらく、この世の物質世界は、神の目で見たら、「無」に見えることだろう。 この世は、一種の仮想現実だ。
好むと好まざるとにかかわらず。 質問: 神がいるという決定的な証拠はあるのでしょうか?
答え: この問いに対する答えは「決定的な」証拠というものが何を意味しているかによって大きく左右されます。
私たちは、私たちが人に触れたり人を目で見たりするのと同じように、手を伸ばして神に触れたり目で見たりすることができるでしょうか。
それはできません。しかし、神が現実の存在であり、神がその御言葉通りの方であると私たちが確実に知ることのできる方法は無数にあります。
ここでは科学と聖書の両方を用いて神の存在を証明する手段を三つ、簡単に考察することにします。 1.因果の法則 この科学的法則は、すべての原因には結果が伴い、すべての結果には原因があると述べます。
この法則はすべての科学の基盤となっています。
従って、この法則は天と地の起源にも関係してきます。
実際に、科学者たちは宇宙が永遠に存在してきたのではなく、ある時点における起源があったと同意しています。 相対性理論は、科学者たちの間でほぼ普遍的に受け入れられていますが、この因果の法則と密接に関係しています。
一つには、時間、空間、物質、物理的エネルギーによって定義される宇宙には始まりがあり、それは永遠なるものではないということです。
そして科学者たちが宇宙の発達をその真の起源、つまりそれが実際に生じた時点である「特異点」と呼ばれるものにまで遡って突きとめることができるのは、
アインシュタインの方程式によるのです。科学は、宇宙には実際に始まりがあったということを証明しています。
ということは、宇宙に歴史上の起点があったのならば、明らかに宇宙は存在し始めたことになり、その存在を起こした要因がなければならなかったということになります。 そのため、宇宙が発生するために何らかの要因が必要なのであれば、その要因は宇宙、すなわち時間、空間、物質、物理的エネルギーを超えたものでなければなりません。
その要因とは、クリスチャンが「神」と呼ぶものに類似した何かであるはずです。
今の時代においておそらく最も有名な無神論擁護者であるリチャード・ドーキンスでさえも、
雑誌『タイム』の記事の中で「何か信じられないくらい壮大で理解しがたく、現在の私たちの理解を超えるものがあるかもしれない」と認めました。
そうなのです。そしてそれが神なのです! この宇宙論的証拠は以下の命題によって最も適切に要約することができます。
(1) 何であれ存在し始めるものには、その存在を起こす要因がある。
(2) 宇宙は存在し始めた。
(3) よって、宇宙にはその存在を起こした要因がなければならない。
(4) 宇宙の要因の特質(時間を超越している、空間の外側に存在する、など)は神の特質である。
(5) それゆえ、宇宙の要因は神であるに違いない(創世記 1:1)。 2.目的論の法則 目的論は自然現象における意図や狙いを研究するものです。
この科学法則が本質的に意味しているのは、ある物体に目的、目標、あるいは意図が織り込まれているとき、それには設計者がいたにちがいないということです。
簡単に言うと、物体は自らを設計しないということです。
これは宇宙にある物体にも当てはまり、宇宙には設計者がいなければならなかったことを証明しています。 例えば、地球は太陽を周回するにあたって、18マイルにつき、わずか9分の1インチ(約0.28cm)ずつの割合で直線からずれていきます。
これは人間的に言えば非常に真っ直ぐな線です。もしもその軌道が18マイルごとに10分の1インチ(約0.25cm)ずつ変化したとしたら、
地球の軌道はずっと大きなものになり、私たちは皆凍死してしまいます。また、もしも8分の1インチ(約0.32cm)ずつ変化したとすると、
私たちは焼死してしまいます。太陽の内部はおよそ2000万℃で燃えています。もしも地球が太陽から10%遠ざかったら、私たちはじきに凍死することになります。
逆に10%近づいたら、私たちは焼けて灰になってしまうでしょう。私達はそのような精密さが「偶然に起こった」と信じるべきでしょうか。
ちょっと考えてみてください。太陽は地球から9300万マイル離れていますが、それは絶好の距離となっています。
これは偶然に起こったのでしょうか、それともそのように設計されたのでしょうか。神は壮大な設計者であると詩篇作者が示唆したのも不思議なことではありません。
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。
その熱を、免れるものは何もない。」(詩篇 19:1, 6) 3.確率の法則と預言の成就 聖書には、イエスと教会に言及する預言が1093件あります。
そしてそれらの預言の一つ一つが成就しているのです!
旧約聖書にはイエスの十字架刑に関連する預言が48件含まれています。
いくつかの出来事が同時に、あるいはほぼ同時におこる可能性を計算するために確率の法則を適用する場合、
すべての確率を掛け合わされなければなりません。
例えば、ある一つの事象が無作為に起こる確率が5度につき1度であり、別の事象が起こる確率が10度につき1度であるとすれば、
両方の事象が共に、あるいは次々と順に起こる確率は1/5に1/10を乗じ、1/50となります。 一千年に及ぶ期間に亘って、別々の離れた地域社会に生きていた幾人かの異なる預言者たちによって、
キリスト誕生の500年前にキリストについての予測がなされたという事実を考えるとき、これらの預言が実現する確率は私達の理解を超えたものでしかありません。
例えば、一人の人間(イエス)が彼に関する預言のうちの8件だけでも実現する確率は1017に1(つまり0.000000000000000001)です。 聖書はその預言の成就をもって神の存在を証明しています。
確率の法則と、預言実現の数学的な確率とによって、私たちは確かに神なる設計者であり聖書の著者であるお方がいたことを知ることができます。
宇宙を生じさせたのと同じお方が。「あなたが心の中で、『私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか』
と言うような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。
その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。」(申命記 18:21-22) デカルトは、中世以来の伝統ある「神の存在証明」を、近代的な表現でまとめた。 パスカルは、「イエス・キリストの誕生により、旧約聖書の預言が成就したこと」、
「イエス・キリストが数々の奇蹟を起こしたこと」を、最大の証拠としていた。
パスカルという人物。
どう見ても、哲学者ではない。
「キリスト教系新興宗教の熱心な信者」としか思えなかった。 こんな世界が自然に発生したという考えには、あまりにも無理がある
そりゃ無理だろ、いくらなんでも、さすがに 新興宗教の信者には、このように主張する人がよくいる
「私は、教祖の本を読み始めてすぐ、これは真実だと分かりました。
私はそれを、この世に生まれる前から知っていました。
それを思い出したのです」 実のところ、近代哲学の祖電荷デカルトによる「神の存在証明」も、言ってることはこれと似たようなものだ デカルトによると、われわれ人間には、生まれつき、神という観念が備わっている。
われわれは、それを知るのではなく、思い出すのである。
そして、それこそが、神が存在するという、決定的証拠だというのだ 大人になってから宗教の道に入った人ならともかく、幼少のころからの精神世界マニアなら、そういう実感があっても不思議はない 常人ってなによ。標準偏差でど真ん中、偏差値で50辺りのことか? 家電製品の取り扱い説明書を隅々まで読むということはまずないです。
たいていの場合は、面倒な作業は販売店に丸投げしますので。 「有限で不完全な私には、無限で完全な神の観念が生まれつき備わっている。有限で不完全なものから、無限で完全なものが生じることはない。よって、この観念は、神によって与えられたものである」
・・・これを、デカルト本人は「明晰判明で確実な論証」と考えていた。
でも、知人への書簡には、「これを確実な論証だと、他人もそう思うかどうかは分からない」と書いていた。 これは、神の存在や、魂の不滅といったプラトン的な考え方を、「私は、この世に生まれる前から知っていた。後から知ったのではなく、思い出したのだ」・・・と考えるタイプの人にしか、受け入れられそうにない論証だ。 それにしても、新興宗教の信者さんたちには、そういう人が多い。
「私は、教祖の本を読み始めてすぐ、これが真実なのだと気づきました。私は、生まれる前から、それを知ってたのです」・・・という人たちだ。
「いや、そんな、最初の直感ってのは、外れるもんなんだよ。たいてい、そんなもんだろ?」と言っても、効果はない。言うだけ野暮というもの。 そういう人たちというのは、たいてい、その手の本を読んだことがない。
それどころか、「国語の勉強以外で、本を読んだのは初めてです」というような人が少なくない。
「それで、どうやって真実かどうかを判断できるのか?」と言ったところで、言うだけ野暮というものだ。 しかし、神の観念を、「私は昔から知ってた。忘れてただけなのだ」と思う人が多いというのは、注目に値する。 ジョン・ロックは、「白紙」理論によって、プラトンやデカルトの生得観念説を否定した この、「生まれつき持っている生得観念」というのが重要なのだ
後から勉強して身につけた知識じゃ、意味がない
「神の存在証明」は、土台から崩れる 「生まれつきというけど、赤ちゃんに神の観念はあるのか?」と言うかもしれない。
それに対する答はある。
プラトンいわく、「知らなかったのではない。忘れていたのだ。それを思い出すのである」
こういうのを、想起説という。 結局のところ、そういうことだ。
生得観念論者にとっては、「理性によって、思い出す」
白紙論者にとっては、「経験によって、新たに知る」
これが、大陸合理論と英国経験論の、じつは最大の争点 神は完全無欠である
もしも、神が存在しなかったとしよう
それは、神には「存在」が欠如していることを意味する
それは、神が完全無欠であることと矛盾する
よって、神は存在する
(証明おわり) 全能の逆説(ぜんのうのぎゃくせつ、英: omnipotence paradox、全能のパラドックス)は、全能である存在(以下「全能者」)に論理を適用する際にうまれる哲学上の逆説の一つである。この逆説は、全能者の論理的矛盾を示している[1]。
例えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理的不可能であり、全能者は矛盾している[2]。
全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理的に正しくない[3]。
神を全能者とする場合、伝統に反した答えが導かれる[4]。例えば神が全能者として存在しているとすると、神は一切何も必要とせず存在可能なため、神にとって世界や被造物は必要でなく、何かを愛する必要もない[4]。 第一原因
だいいちげんいん
prōtē aitia; causa prima; first cause
アリストテレスの規定によると,「存在であるかぎりの存在」の運動と変化の究極原因としての「不被動の第一の動者」,第一形相として自己自身を思惟の対象とする思惟である神をさす。スコラ哲学,特にトマス・アクィナスに受継がれて重要な概念の一つとなった。 世界には、運動変化がある。
運動変化するものは、すべて他のものによって動かされている。
そして、その運動の原因となるものも、何か他のものによって動かされている。
このように運動変化の原因をさかのぼっていけば、最終的には、他のものによって動かされたのではない、最初に動かしたものがなければならない。
それは、人びとが神だと理解しているものである。 アリストテレスの天動説的な世界観・宇宙観においては、地球が宇宙の中心にあり、それを取り巻く、アイテールで満たされた宇宙は第一の運動である円運動によって規則正しく動いている。
そしてその最外層には、その諸々の運動の原因となっている、何者にも動かされずに自足しつつ他のものを動かす「第一の不動の動者」が控えている。
アリストテレスは『形而上学』の中で、これを「神」(希: θεός)であるとも述べている[1]。この「神」概念が、中世のスコラ学、特にトマス・アクィナスに受け継がれてキリスト教神学に大きな影響を与えた[2]。
この「神」は、何者にも動かされない、自足した現実態であり、観照(テオーリア)の状態で最高善を体現している。 アリストテレスは、『ニコマコス倫理学』においても、この「神」概念を引き継ぎつつ、こうした自足的な観照(テオーリア)の状態こそが、究極の最高善であり、最高の幸福(エウダイモニア)に他ならないが、
それは人間の水準を超えた「神的な生活」であり、我々人間はそれに次ぐ第二義的な「人間にとっての(合成的・複合的な)最高善」と、それを集団的・社会的に体現する国家(ポリス)の「政治」(ヘー・ポリティケー)的活動で満足する他ないと述べる[3]。 (神の存在証明で)最も単純で一般に理解しやすいのは、第一原因による証明法である。この世のすべてには原因があり、その原因の連鎖をどんどん遡ると、「第一原因」にたどりつくと考える。
この考え方は、哲学者や科学者が厳しく検討した結果、今日では重要視されなくなり、昔のような活力を失った。
私も少年時代、久しくこの証明法を真理と思っていた。しかし、十八歳のある日、J.S.ミルの自叙伝の中のミル親子の対話(松下注:人間やこの宇宙は神が創った(と仮定)。それならば神はだれが創ったんだ?!)から、この考え方の誤謬に気付いた。
もしあらゆるものが原因をもたねばならないなら、神にも原因がなければならない。もし原因なしに、何かが存在できるならば、その何かは、神でも世界でも(松下注:悪魔でも)よいことになる。・・・。
物事には必ず初めが必要だという考え方は、実際には、人間の想像力の貧困によるものである。
(バートランド・ラッセル) 神の存在証明のなかでも、「第一原因」というアリストテレス的な考え方は、長らく主流だった。
聖トマス・アクィナスによって、これがスコラ神学の正統派となった。 第一原因説の最大の弱点については、バートランド・ラッセルも指摘している。
それは、「神がすべての原因なら、いったい、誰が神を創ったのか?」という疑問だ。 地球の環境を見て、宇宙全体がこうなのだと思ってはいけない。
ここだけが、特殊な環境なのかもしれないではないか。 物質は、それ自体では物質として存在していない
それを認識する者がいて、初めて物質となる 3D映画を見るのに、3Dメガネが必要なのと同じだ
地球の物質世界を見るためには、地球人の目と脳が必要 ホラー映画などで、よく幽霊が登場するが、あれは現実にあり得ない
死んだ人に、もしも残存意識があったとしても、物質世界を認識するのは不可能 物質は、認識する者がいないときは物質ではない
地球以外の天体は、単なるエネルギーの貯蔵庫 人間が木星に到達したら、木星は物質化する
ただし、その人間がいる間だけ 人間が認識していないときの木星は、単なる陽子と電子の貯蔵庫 陽子と電子っていうか、その元になる+と−のエネルギー貯蔵庫 物質化するといっても、それは人間の周囲だけ
プレイヤーから見えるところだけがアクティブになり、他はスリープのまま 一見、巨大に見える宇宙だが、じつは情報量が意外と少なく、最小限の負荷になっている
ほとんどの情報は、各個人の脳と意識が補って、色彩感に富んだ世界を構築している もしこれを読んでいるあなたがこの宇宙にいる自覚があって意識を持っている自信があるのであればシミュレーション内から見た現実は存在するという事になる。
そもそも存在しなければシミュレーションを実行している宇宙をシミュレーションしている宇宙の…という無限後退によって全ての宇宙には意識が存在しない(神の視点しか存在しない)となるのでその可能性はそもそも除外することは出来ない。 だがシミュレーション内から見た現実にもいくつか考えられるパターンがある。
1.シミュレーションの外にいる存在がオンラインゲームの要領でシミュレーション内のキャラ(人物)に入り込んでこの世界を観察している
2.純粋にシミュレーション内の存在として生まれ、人生を経験している
3.シミュレーションの外の存在がシミュレーション内のある人物の人生を経験する為にシミュレーション実行側にいた時の記憶を完全に忘れる形でその人物に入り込んで現在シミュレーション内で生きている 1番目の可能性はいわゆる宇宙人が人間に化けて地球でこっそり暮らしている説とほぼ同じ。
ただ宇宙人ではなく宇宙外の存在なのでつまりこれはシミュレーションの外から見たシミュレーション内の世界と意味は変わらない。
というわけでこのアバター説は考慮する必要がないので無視。 では2番目の可能性はどうか。
意識があってここにこうやっているのだからシミュレーション仮説が正しい場合普通にあり得ると思うだろう。
だが3番目の可能性を考慮すると、そう言い切ることはできない。
例えばシミュレーション内で生まれたある人物の経験をシミュレーション外の存在が知るにはその人そのものになる必要がある。 (それは基本的に映画のトゥルーマンショーである)
だからといって現在の記憶を持ったままその人になると1番目の可能性と何も変わらない。
つまりある人物の経験を完全な形で知るには、その人物でいる間はシミュレーション実行側にいた時の記憶を思い出せないようにする必要がある。
そんなことが可能なのかどうか答えることは出来ないが、宇宙をコンピュータ上で完璧に再現するよりは簡単だと思える。 実際のところ、その可能性はある
つまり、すべては決まっている
人は世界の中の1人の人間になりきって、その人生を追体験しているという可能性 おはようございます!
マインドームコーチソウルです。
本日は、ビックリするニュースをご紹介❗
「人間によって観測」されるまでは「現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認。 オーストラリア国立大学の物理学工学研究所のアンドリュー・トラスコット( Andrew Truscott )准教授は、
「観測がすべてであることを証明している。量子レベルでは、あなたがそれを見ていないのなら、現実は存在しない。」と述べる。 いったい、何のことを言わんとしてるのでしょうか。
私たちが学校教育で学んできたのは、
「物質、宇宙は存在しているのが当たり前。そこに人間が見てる、見てないは関係ないし、わたしが死んでも地球は回り続けるし、宇宙は加速膨張する。」
という唯物論的な宇宙観、人間観。 この当たり前すぎてしまう宇宙観、人間観を見事に引っくり返すメッセージを発信することは、よほどの勇気と確信がなければ、言いきれないことです。
ですので、この量子力学研究チームが実験による証明で、現代社会に投げ掛けるメッセージは素晴らしい事だと敬意を感じます。 しかし、
「有」の状態の物質は観測・認識されるまでは存在しない、という「無」の状態ならば、
「無」から「有」はどんな仕組みで成り立っているのでしょうか?
では、そもそも宇宙って存在しないのなら、真実に実在しているのは何か?
宇宙は人間の認識がなければ、存在できないというのならば、認識によって一瞬で宇宙を創造し、破壊もできる人間とは何物か?
体の境界線が人間であり、自分であるというアイデンティティはどうなってしまうのか? この世はリアルかフェイクか。いまの常識が永遠の常識だとすれば、愚問である。
人類が生活するこの世界がすべてシミュレーションによるつくりものだとしたら、天と地がひっくり返るどころではない。
「いやいや愚問なんかじゃないよ」と言わんばかりに、シミュレーション仮説なるものが世界中の科学者たちによって熱心に研究されている。 物質世界は、人間の周囲だけが明確な形を取っており、それ以外は霧のようにボヤけて存在している。 好むと好まざるとにかかわらず、それが世界の真実の姿 >>390
プレイヤーの周囲はアクティブになっている 物質世界は、明確な形をとっているどころか、物質とはどのようなものであるかも
よく分っていないし、実際のところ、現に目の前にあるデスクの素材の物質的な
性質さえよく知らない。 まずデスクを構成する物質の性質があってデスクがあるのではない。 >>393
木材の組み合わせに、デスクという意味を付与しているのは人間
そもそも、木材という意味づけも人間の記憶によるもの この世は、人間が無数の意味づけを行うことによって成り立っている
でなければ、とても見れたものではない >木材の組み合わせに、デスクという意味を付与しているのは人間
木目調であることは分っても、木材でできているかどうかすら不明なわけですよ。
切ってみたら、木材ではなくて、プラスチックだったということも十分にあり得る。 >>398
本当は、表面だけを木目調に加工したプラスチックかもしれない。
でも、それを木材と認識しているのなら、本人の世界内ではそれは木材 ハサミやノリも、必要がないときは、邪魔な物体でしかない
使い方を知らないのなら、存在しないも同然 ネコにとってさえ、トイレはトイレだ
ネコの世界内で、それは特別な意味を持っている
トイレ以外のところで排便することはない 証拠というか神と暮らしていれば証拠などいらないだろうさ。 神の存在証明を見て、「こんなの証明になっていない」となるのは、存在証明した人たち、アンセルムスや聖トマス、デカルトといった人たちがみんな、神とともに暮らしてるような人たちだったからだな トイレというのは化粧室のことで、ネコにとって排便が化粧と関連付けられていると考える証拠はない 近代までの哲学では、モノ=存在は客観的なあり方をしており、人間はそのあり方をいかに正しく認識できるかということが問題とされた。
しかし、『存在と時間』においてハイデガーは、存在のあり方は決して客観的ではなく、人間によって規定されていて、人間はその存在のあり方を規定する存在なのだと述べた。
こうした人間のあり方を、ハイデガーは「現存在」と呼んだ。 現存在は、朝起きてから夜寝るまでの日常生活のなかで、歯ブラシや箸(はし)、衣服、靴、車、机、パソコン……など、数多くの道具を使う。
そうした道具は、衣服や靴を身につけ、きちんとした身なりをし、車に乗って会社へ行くため、机の上でパソコンを使うのは仕事の資料をつくるため……というように目的と手段のネットワーク=「道具連関」を形成している。
つまり、道具は、たんに客観的に≠サこに存在するというものではなく、現存在にとって意味のある連関なのである。
そして、現存在は、誰でも必ず、この道具連関のなかで生きている。
こうした現存在のあり方を、ハイデガーは「世界−内−存在」と呼んだ。 ところが、こうした現存在のあり方は、日常のなかに埋もれ、自分を何かの目的を達するための道具としてしまっている。
そんな自己は、道具であるがために、かけがえのない存在などでは決してなく、他の誰かと交換可能な存在にしかすぎない。
こうした道具化された交換可能な現存在のことを、ハイデガーは「ひと」(ダス・マン)と呼んだ。 >人間によって規定されていて、人間はその存在のあり方を規定する
>存在なのだと述べた。こうした人間のあり方を、ハイデガーは
>「現存在」と呼んだ。
こういう順序で考えるから筋道が分りにくくなって、「人間中心主義」
という誤解がつきまとふことになる。そのことにハイデガー自身にも
責任があるとしてもね。 木田なんとかいう人とか、日本でハイデガーを中心的に紹介してきた人々の
説明だと、それが輪をかけて酷くなる。 「人間」という表現は、目の前にある(手前/vorhandenでもいいが)客観的な
対象としての生物種を指すものと理解されるように一般に用いられている
のだから、それを現存在(Dasein)と呼んだというのでは、説明の論理的な
順序として奇妙であることにすぐに気づかなければならない。 ハイデガーのやった仕事を、木田はおおよそ次のように整理している。
デカルト以来哲学は存在を忘却してきた。だが哲学というのは、ギリシャで産声を上げたときには、
存在についての驚きの感情かライン出発したのであるし、その後も存在とは何か、を中心に展開してきたように、
そもそも存在についての問いなのだ。
ところが、デカルト以来哲学はこの根本的な問いを忘れてしまった。だから自分(ハイデガー)は、
再び存在への問いという哲学の原点にかえり、哲学を存在の学として再構成するのだ。
だがその場合、この存在という概念は、プラトンやアリストテレスによって深められた存在論にそのまま立脚することはできない。
彼らの存在論は、存在についての一面的な見方に立っている。
それ故、存在についての見方を改めて、真の存在論を展開する必要がある、と言うのである。 ギリシャ以来、「存在論」だった哲学が、デカルトやカントその他のおかげで、すっかり「認識論」になってしまった。
それを再び、存在論に戻そうとした。
木田元によると、そういうことらしい。 ギリシャの存在論については、それ自体が膨大な問題領域を抱えており、議論し出すとキリが無いので、木田は一応それを、「存在=現前性=被制作性」という概念セットで整理したうえで、それにハイデガーは「存在=生成」という概念セットを対立させた、とする。
この「存在=生成」というアイデアは、ニーチェの思想に深く影響されたものである。 「存在=生成」ってのは、ニーチェというより、アリストテレスの考え方なんじゃないかな? ハイデガーは、「存在論の哲学」として、哲学の歴史を再構成しようとした。
書かれることなく終わった「存在と時間」第2部は、こうなるはずだった
第2部 存在論の歴史の現象学的解体
第1編 カントの時間論について
第2編 デカルトの「我あり」と「思う」について
第3編 アリストテレスの時間論について 第2部が本論だったのだが、序論でまず現存在を分析したところ、あまりにも長くなってしまったため、本論を始める前に終わった 本書巻頭言はプラトンの対話篇『ソフィステス』の引用から始まる。
「われわれが『ある』という言葉でもって一体なにを思い描いているのか、という問いの答を、今日われわれは持っているだろうか?われわれは、いままでその答えを持っていると思い込んでいたのに、今では全く心許なくなっている。」
ハイデッガーは、引き続き序論第1章第1節において、「存在の問い」(Die Frage nach dem Sein)の必然性を明らかにする。本書で彼が取り上げるのは、存在の意味についての問い―ある(Sein)とはどういうことなのか?―である。 木田氏はジョージ・スタイナーのようなゲテモノまで妙に持上げることを
しているから、商売人としての立場を最優先している印象が強い Dasein (ダーザイン) (ドイツ語発音: [ˈdaːzaɪn])とは、ドイツ語で文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味で、哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが自分のコンセプトを説明する語として用いており、とくに著書「存在と時間」においてよく使われる言葉として知られている。
ダーザインは実存哲学の用語であり、自己を現にそこ(da)にある(sein)ものとして自覚する存在、つまり人間的な実存とのこと。 >>422
まあ、哲学マニアならともかく、世間の一般人なら「ハイデガー」という名前を知ってるだけでも、かなりの物知りだ
そんなマイナーな分野で本を売るのは、それなりに大変なのだろう >つまり人間的な実存とのこと
そう言い換えると、Daseinがその時点でDas Manに変換されるわけでしょう。
常に既に「頽落した」世界内存在者としての。 存在の神秘に触れること。存在やあるから一歩も進まないというと嘘があるだろうがね。 いずれにしても、「大陸哲学」というカテゴリーを作り上げて、ヘーゲルであれ、
フッサールであれ、ハイデガーであれ、あんなものはまともな哲学ではないと
「哲学」の制度的な枠組みから排除して、「大陸哲学」について比較文学科
などの「文芸」という枠組みにおいてしか制度的に論じることを許さないという
仕組み作りを強力に推進してきたのが英米を中心とする自称「分析哲学」の
連中だ。その事実を意図的に誤認して、あたかも「大陸哲学」を論じる人間が
その分類自体の基準が不明な「分析哲学」を排除してきたかのように思わせる
ように誘導しようとしている人間が、「大陸哲学」を専門として商売している
研究者にも少なからずいる、というより、そうすることで、自らの哲学研究者
としての立場というより、私的な自己利益の保全を図っている。 大陸?海を忘れては地球では哲学して暮らしていけない。 私は、研究者でも学者でもない世間の一般人だが、複数の研究機関でその実態を
長い間、直接に身近に見てきた。 >>425
たしかに、これだと、「ダーザイン」と「ダスマン」の違いが分かりにくい 「人はいつか死ぬ。だが当分の間、自分の番ではない」という信念のもと、日常生活に埋没して生きている
それが、ダス・マンの生き方 「こうしてアレコレ考えている以上、ボクが存在するのは疑う余地がない。
そのボクにとって存在するのだから、これらの存在者たちは存在することが保証された」
というような、存在了解をする世界で唯一の存在
それが、ダーザイン 目の前の机や椅子も、本当に存在するのかどうかは疑わしい。
夢かもしれないし、幻覚かもしれないし、何者かが自分に見せている立体映像なのかもしれない。
でも、間違いないことが1つある。
それは、そんなことを考え、疑っている自分が存在することだ。
それだけは疑う余地がない。
そんな、間違いなく存在することが確信できる自分にとって、これらの机や椅子は明晰判明に存在している。
となれば、これらが存在するということを、認めてもよいのではないか。
これ以上は、疑ってみても意味がない。
これらが存在することは、確実な真理ではない。
だが、それらが存在するという了解のもとに生きていくことはできる。
・・・・・というのは、フッサール的な考え方 そんな存在了解をすることができる、世界で唯一の存在
それが、現存在、つまり自分自身 つまり、現存在こそが、すべての存在者が存在するという根拠
高尚な文系の最高峰である哲学研究者は
苧疾呼玖差亥苧饅湖にしゃぶりつきながら
生と死を哲学するのだよ
凡人は働け!
______
_ <_______,`ゝ /
__ `ソ/-=・=- -=・=-\/ ̄/
\/゚ ,ハ \/ rへ,ノ
__>-へ| i ,‘,,-,,', |ノ :.\_ いいかな?
.:/从へ,'"-===-';.ノ从rーヘ_
_::ノ :ノ`⌒Y⌒´:: \ ハイデガーは、第2節において、「存在了解」ということばを提出する。
人間は、植物や動物などと異なり、明快に概念化できないにせよ、おぼろげながら自分が何やら存在していることを知って生きている。
ハイデガーは、そんな存在の仕方を「存在了解」というのだ。
その「存在了解」の仕方を、ハイデガーはあえて「曖昧な」「存在了解」とする。 ここで問題になっている「存在」ということについても、我々は何らかの了解を持っているのである。それをハイデガーは「存在了解」と名づける。
これは「いいかげんな、あいまいな存在了解」というべきものだが、一つの事実として我々が持っているものであって、我々はそれを手がかりにして、存在というものについての高度な認識に向かって進むように出来ているものなのである。 物質は、世間の人々が通常、考えるような意味では「存在」していない。
物質は、よくできた立体映像であり、仮想現実だ。
非常に緻密で精細にできているから、本物としか思えないだけで、それでもやはり立体映像であることに変わりはない。
そんな仮想現実を、とりあえず本物の存在者と見なして生きていくしかない。
それが、人間の限界だ。 「たとえ仮想現実であるにしても、だからどうたというのか。
自分にとって、この世界は本物の存在なのだから、それでよいではないか」
という意見もあるだろう。
もちろん、それでいい。
生きていく上で、なんの不都合もない。
だが、それによって、「この世はよくできた仮想現実である」という、厳然たる事実が変わるわけではない。 物質は、マクロのレベルでは、確かに存在しているように見える。
しかし、ミクロのレベルまで拡大すると、すべては粒子でできている。
コンピュータの中の存在が、ドットでできているのと同じだ。
さらに、その粒子を拡大していくと、だんだん存在がボヤけていく。
もっと拡大すると、何もなくなる。
後には、無が残る。
それが、物質というものの真の姿だ。 ニーチェの「神は死んだ」を拡大解釈する教授もいるけど、決して宗教を否定しているわけではないよwww ひと昔前の日本語は、ハイデガーの用語法と似たようなもので、
自己紹介をするときの「手前(ども)は〜」とか、相手を下に見て
「手前(てめぇ)は〜」と呼ぶときの「手前」は、まさしく
「手前にあるもの」を表していて、"Vorhandensein"であるわけだ。
だから、ハイデガーの用いる「vorhanden」という表現に対して、
日本語の訳語においても「手」に関連した表現にしたいという
のは自然なことだが、「vorhanden」を「手近」としてしまう
のは問題があるだろう。なぜなら、「手近」というのは、
英語にするなら、ほぼ「within reach」の意味で用いられており、
ハイデガーの表現における「vorhanden」には対応していないから
である。だからといって、「手前」という表現も、「〜する手前で」
のように時間的に直前であることを表すように用いられるように
なっているので、現代の日本語の訳語としては意味が通りにくい。
「手」が「目」に変わってしまうのは望ましいことではない
とはいえ、「手前」の代わりに「目(の)前」を用いることは、
それなりに適切な妥協案だろうと思う。 目の前の机や椅子も、本当に存在する存在者なのです。 「Angst」を「不安」と訳しても、「安らひ」の否定となるだけで、
差し迫った感じというか、切迫感が十分に感じられない。 鼻息が荒すぎるやつは交感神経の高ぶりを自分で沈められない Bernardo Soares、「Livro Do Desassossego」(不安の書/不穏の書)というのが
あるから、何が書かれているのかと思ったら、レビューに引用があった。
「一流の詩人は自分が実際に感じることを言い、二流の詩人は自分が感じようと
思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思い込んでいること
を言う。」
「芸術において重要なことは表現すること。表現されたもの自体はつまらぬものだ。」
「深淵が私の囲いだ。『わたし』という存在は測ることができない。」
「わたしとは、私と私自身とのあいだのこの間である。」
「私はもはや自分のものではない。私は、打ち捨てられた
博物館に保存された私の断片なのだ。」
「神の不在。それもまた、ひとつの神である。」
「あらゆるものがわれわれとは違っている。だから、すべては存在する。」
「ただ考えない者だけが結論に達する。考えるとはためらうことだ。
行動の人はけっして考えない。」 スレタイに対する解答としては、これがいいのかな?
>「神の不在。それもまた、ひとつの神である。」 >>445
大川隆法によると、ニーチェは死後に地獄に落ちた。
「神は死んだ」という言葉が、あの世で嘲笑のマトになったんだそうな(笑) 宗教板でやれよ
無職が終日語ってるよ
お友達がいるよ それにしても、「神は死んだ」というのは、現代の精神状況をそう表現したのであって、別にニーチェが神を殺したわけではない(笑) 「神は死んだ」(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用される言葉である。
ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。
神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである[2]。
地上的・身体的な人間は「超人」である。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘とされる[2]。
ニーチェは「神々の死」とも述べている。 かつては、神を冒涜するのが罪だった
今は、この世を冒涜するのが罪 「この世は巨大コンピュータ内の仮想現実」などといって、この世を冒涜する輩があとをたたない
おんどりゃああああああああ
眞ん子さまのお通りじゃあああああああ
ものども頭が高いわ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ̄ ̄ ̄\ \
/ / / \ ヽ
f / /| ヽ |
| | / ヽ | |
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(V / `ーーV)
| ヽ●) (●ノ |
人 ( ノ
∧ (__人__) ∧
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_,. ‐''"´ `丶、
, ‐''´ _,. -―- 、 ;ー−- 、ヽ
厶ノ ̄ /`ヽ、o_, 、_oイ └′
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j l`丶、
/ \ / ヽ
! ヽ、 ’ / 〉
'. /`(;;U;)'^ー一'7 ′
! / / ′
ヽ ヽ、 | / __
ヽ 〈 ノ '´ 〉 ドタドタドタッ!!
`′ 〈_, -‐'′
ハイデガーの著作の日本語の訳者や読者は、「自分が感じねばならぬと
思い込んでいる」日本語の表現によってハイデガーの表現を理解しようと
していないか、絶えず自問する必要があるだろう。 学者や研究者というのは、こういう発言をして「他人の畑を荒らす」のは
マナー違反だという考えが身に沁み込んだ人が多いんだけど、哲学というのは
絶えず問い直すことをその本質とする営みなのだから、それを自らに禁ずる
なら哲学すること自体を諦めなければならないことになる。まあ、そうやって
一生、哲学をすることなく、哲学(者)研究者としての道を歩もうとするのは
勝手だが。 >>447
陽子や電子が集まってできたカタマリに、「これは机だ」、「これは椅子だ」という意味を、脳が付与している トイレで、便器に向かってオシッコするのは正しい
洗面所で、洗面台に向かってオシッコするのはおかしい
それが、人間の脳による意味づけ
両方とも、陽子や電子が集まってできたカタマリにすぎず、オシッコも単なる液体にすぎない ネコでさえ、そこらじゅうで排便したのでは、自らの生存環境が悪化すると知っている
「この箱はトイレだ」という意味づけをしている
ネコも、ネコなりに道具連関の中で存在する 海辺の鳥は、海で魚を食べて、陸で糞を落とす
海洋から栄養分を吸い上げ、それを肥料として、陸地で空中から散布しているのだ
江戸時代の日本人は、海の魚を捕って食べ、糞便を肥料にして田んぼに撒いていた
これも海洋から陸地への栄養素の移転であり、非常に有意義な行為だった
現代では、糞便を地上に散布するわけにいかない
「肥料」という意味は失われ、代わりに「汚物」という意味が付与された >Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische. >Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.
"aletheia"や"Unverborgenheit"や"Entdeckt-sein(Entdecktheit)"を
"Erschlossenheit"と渾然一体に理解しているのでは、この言明が導かれ
ている理路をたどることができないわけです。 「存在と時間」の日本語訳は、この論述の理路をたどることを可能にしているのか、
それが問われなければならない。
Durch die frühere Analyse der Weltlichkeit der Welt und des innerweltlichen
Seienden wurde aber gezeigt: die Entdecktheit der innerweltlichen Seienden
gründet in der Erschlossenheit der Welt. Erschlossenheit aber ist die Grundart
des Daseins, gemäβ der es sein Da ist. Erschlossenheit wird durch Befindlichkeit,
Verstehen und Rede konstituiert und betrifft gleichursprünglich die Welt,
das In-Sein und das Selbst. Die Struktur der Sorge als Sichvorweg-schon
sein in einer Welt-als Sein bei innerweltlichem Seienden birgt in sich
Erschlossenheit des Daseins. Mit und durch sie ist Entdecktheit, daher wird
erst mit der Erschlossenheit des Daseins das ursprüngliche Phänomen
der Wahrheit erreicht.Was früher hinsichtlich der existenzialen Konstitution
des Da und bezüglich des alltäglichen Seins des Da aufgezeigt wurde,
betraf nichts anderes als das ursprüngliche Phänomen der Wahrheit.
Sofern das Dasein wesenhaft seine Erschlossenheit ist, als erchlossenes
erschliesst und entdeckt, ist es wesenhaft “wahr”. Dasein ist “in
der Wahrheit”. Diese Aussage hat ontologischen Sinn. Sie meint nicht,
dass das Dasein ontisch immer oder auch nur je “in alle Wahrheit”
eingeführt sei, sondern dass zu seiner existenzialen Verfassung
Erschlossenheit seines eigensten Seins gehört. "zu jdm/etw gehören"を「〜は〜を含む/〜は〜に含まれる」と訳すべき
必然性も、必要性も私には理解できないし、そのように理解しようとした
時点で、私には、ハイデガーの論述の理路を追うことが不可能になる。 The earlier analysis of the worldliness of the world and the inner world But being demonstrated:
the Entdecktheit of the inner-worldly existence establishes in the openness of the world.
But openness is the basic type of existence, according it its there is.
Openness is by State, Understanding and speech concerns the world, immediately originally constituted the in - being and the self.
The structure of concern as Sichvorweg already be in a world as at inner-worldly existence is in itself Openness of existence.
With and through them is Entdecktheit, therefore is only with the openness of the existence the original phenomenon the truth reached.
What earlier in terms of the existential Constitution the da and the everyday existence of as was pointed out,
was nothing more than the original phenomenon of truth.
If existence intrinsically is its openness, as erchlossenes opens up and discovered, it is intrinsically "true".
Existence is "in the truth". This statement has ontological sense. She's not saying that being ontisch always or only ever "into all truth" was introduced,
but that to his existential condition Openness of its same being heard. いまどき、ドイツ語を読む必要はほとんど無い
日本語はともかく、英語とドイツ語の自動翻訳は、もはや完成の域に達している 「ハイデガーの哲学」に向けられる批判は、ハイデガーの哲学的な言説の
どのような理解に基づいているのか、それが問題にされなければならない。
Dass es“ewige Wahrheiten”gibt, wird erst dann zureichend bewiesen sein,
wenn der Nachweis gelungen ist, dass in alle Ewigkeit Dasein war und sein
wird. Solange dieser Beweis aussteht, bleibt der Satz eine phantastiche
Behauptung, die dadurch nicht an Rechtmäβigkeit gewinnt, dass sie von
den Philosophen gemeinhin“geglaubt”wird. >英語とドイツ語の自動翻訳は、もはや完成の域に達している
>>476が何を言っているのかさっぱり分らないんだが?
なんとなくそれなりにうまく翻訳されているかのような偽の印象を受けるのは、
ハイデガーの表現が全体として基本的な語彙で構成されているからだろう。 私は、ハイデガーの研究者ではないし、ハイデガーの信奉者でもないので、
ハイデガー個人がどれほど酷く批判されたところで、痛くも痒くもないのだが、
長年繰り返されてきた、「ハイデガーは、悪であるナチスに協力したのだから
悪だ」という批判以外に、ハイデガーの論じた哲学に対する「批判」が何を
哲学的に批判しているのか未だによく理解できない。ハイデガーが言葉遊び
のような無駄話をすることがよくある、というのであれば、それはそうかも
しれない。しかし、(それが害悪をもたらすものであれ)無駄話から哲学的な
論考を批判するというのでは、哲学の批判的な検討にはなり得ないだろう。 私自身は、ハイデガーが唐突に「死」を論述に導入する時点で歩みを誤っていると思う。 第二編において明らかに急に論述のレベルが変わっているのに、論述に
用いられる表現を第一編と同じレベルに無理に保とうとしているから、
哲学と思想の区別が不明になる。 「不在」を哲学的に適切に捉えることができていないから、
「無」に過剰な意味を負わせてしまう。 >>482
まあ、第一次世界大戦のおかげで極限状況だったからねえ >>484
その欠点に思想業者(ハイデガー自身を含む)が便乗して悪乗りするという構図かな 日本語に変換するなら、「我(minor being)」の「ひと(人/等)とな(成)り」
としての「成熟(maturing)」について語っているわけでしょう? 無論、この場合、「日本語に変換するなら」という条件が付くわけで、
日本語の表現における「ひととなり」の「ひと」は、"Das Man"
ではなく、「ひと(人/等)しさ」を意味しているわけですが。 "In-der-Welt-sein"の側から"Dasein"について語ろうとするなら、当然のこと
ながら"In-der-Welt-sein"によって用いられる表現によって分析を進めなければ
ならない。ハイデガーの言説はそのことに明らかに失敗している。 >Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.
"Erschlossenheit"が"faktische"であるなら、Daseinの本来的な存在の様態
を明らかにするための"In-der-Welt-sein"としての"Dasein"の分析は、
"faktische"な記述から始めなければならないはずである。ハイデガーが
"Dasein"を分析しようとする論述は十分に"faktische"であると言えるのか、
それが問われなければならないだろう。 「『不在』が「存在する」」ことを認められないような奇妙な形而上学に
囚われているから、論述が錯綜して、俗流の過剰な解釈を導入しなければ
収拾がつかなくなる。 呼び声を聞くということに関して言えば、ドイツ語の「Ruf」に相当するのが
日本語の「を」だろう。「をかし」とは、「『をき(≒呼び寄せ)』を生じる」こと、
つまり、「呼び寄せられる(≒ひ(引/惹/魅)かれる)」ことであると解釈する
ことができる。その場合、「を」という「呼び声」を聞くのは、"Dasein"
であり、呼び声を聞くことによって生じる「心地」が"Befindlichkeit"であるが、
ハイデガーであれば、そのような"Dasein"は、「頽落」した世界−内−存在
としての"Das Man"であると言うだろう。しかし、ハイデガー自らが記述する、
死に向かい、良心の呼び声を聞く、本来的な負債によって規定される自己の
在り方も、現存在の本来的な存在の態様というより、なにか極めてドイツ的な
思想の表現であるという印象を生じてしまうことは、やはり、ハイデガー自身の
"Das Man"としての「頽落」の様態を特徴的に反映していると言わざるを
得ないのではないか。 日本語の古語において「を」は、「こちらへを」と呼びかけ、「を」と応じる
ように用いられた。この場合、「を」は、「Why not 〜 ?」という呼び掛け
と、それに応じる「Why not?」という返事であると解釈することができるだろう。 「我(われ)」が「引け目」のある存在であることは、日常言語としての
日本語においてあまりにも当たり前のことであるので、ハイデガーが
その「引け目」に相当する"Dasein"の本来的な"Schuld"を何か特別に
解明されるべき存在の様態として論述することは、日本語話者の耳には、
むしろ、宗教的な思想の説教のように聞こえることになる。 ハイデガーの表現には独特の色がついている。普通の現象学的な表現であれば、
「不確かさ」と言うところを"Angst"と言うから、宗教色に染まったような
言説になり、哲学的な考察を述べているというより、思想を伝えようとして
いるように感じられることになる。だからこそ、独特の人気を得ることに
なったのだろうけれど。
>Das Faktum der Gewissensangst ist eine phänomenale Bewährung
>dafür, daß das Dasein im Rufverstehen vor die Unheimlichkeit seiner
>selbst gebracht ist. Das Gewissenhabenwollen wird Bereitschaft zur Angst. ハイデガーの場合には、エポケーとしての不確かさが強迫性を帯びるのである。 ハイデガーの"Angst"についての論述は世界−内−存在の態様を適切に記述する
ことに失敗していると私は思う。人々は、世界−内−存在としての「頽落」において、存在の本来的な"Unheimlichkeit"から逃避して"Angst"を忘れているわけでは
ない。人々は絶えず"Angst"を自らのものとして感じているのであり、だからこそ、
常に何かを「頼みに」しようとするのである。「信仰」において「trust in God」
とは、「神を頼む」こと、つまり、「神を頼みにする」ことであるが、社会の
制度的な枠組みとしての宗教が政治的に後退した、社会制度が世俗化したと
いっても、人々は「〜を頼む」ことをやめたわけではない。「〜を頼む」
ことが、以前は、社会制度によって「神を頼む」または「祖先の霊を頼む」
ことに導かれていたのに対して、別の形態で導かれるように変容しただけである。
だからこそ、ハイデガーがいくら「良心の呼び声」を強調したところで、
"Angst"の自覚を促す言説は、むしろ、「〜を頼む」ことの必要性を強く
意識させることになり、いかがわしい宗教的な思想を伝えようとしている
という印象をもたらすことになる。 「決意性」または「覚悟」などと訳されることの多い"Entschlossenhei"に
ついて、ハイデガーは次のように明確に述べている。
„Die im Gewissen-haben-wollen liegende Erschlossenheit des Daseins
wird demnach konstituiert durch die Befindlichkeit der Angst, durch
das Verstehen als Sichentwerfen auf das eigenste Schuldigsein und
durch die Rede als Verschwiegenheit. Diese ausgezeichnete, im Dasein
selbst durch sein Gewissen bezeugte eigentliche Erschlossenheit
- das verschwiegene, angstbereite Sichentwerfen auf das eigenste
Schuldigsein - nennen wir Entschlossenheit. "
つまり、「決意性」または「覚悟」などと表現されても、現象学における
普通の表現に戻すなら、ハイデガーの言う"Entschlossenheit"とは、
「不確かさに留まる『決意/覚悟』」に他ならないわけで、現象学に
おいて通常は「エポケー」と表現される態度のことである。 >>499
誤:"Entschlossenhei"について
正:"Entschlossenheit"について „Die Entschlossenheit ist ihrem ontologischen Wesen nach je die eines jeweiligen faktischen Daseins. [...] Aber die existenzielle, jeweils
erst im Entschluß sich bestimmende Unbestimmtheit der Entschlossenheit hat gleichwohl ihre existenziale Bestimmtheit."
ここから必然的に導かれる結論は、"Dasein"の本来的な存在の呼びかけに
応える「決意/覚悟」とは、「絶えざる試行錯誤への『決意/覚悟』」である
ことになるはずであり、ハイデガーの独特な宗教思想を思わせる表現の色付け
を脱色すると、ハイデガーは、意外とごく当たり前のことを主張している。 現存在の「死」について語るハイデガーの哲学/思想的言説の最大の欠点(
商業的な長所)は、それが現存在を生物学的な個体としての人と混同する
俗流の解釈を自ら招き入れることによって成立し、そうしなければ成立
しないような言説となっていることだ。
そのことによってハイデガーの言説にもたらされる矛盾は、こう問うこと
で明らかになるだろう。世界−内−存在としての現存在が死ぬと、
そのとき、世界はどうなるのか?現存在を生物学的な個体としての人と
混同する俗流の解釈に従うなら、現存在が死んだところで、"Das Man"
としての他の人々を含む世界の事象は、当然のことながら、以前として
「vorhanden(目の前/手前)」にある存在者として存続しつづけるだろう。
しかし、その「vorhanden(目の前/手前)」にある存在者は、誰の
「vorhanden」にあるのか?現存在が失われたにもかかわらず、
"Das Man"である人々を含む世界の事象が「vorhanden」に存在し
つづけるのであれば、現存在が世界−内−存在としての「頽落」を
全うして、"Das Man"として本来的な存在を完全に忘却した時点
こそが、「現存在の死」ということになるはずではないか。 ハイデガーの「先駆的決意/覚悟」などと訳される"Vorlaufende Entschlossenheit"
についての言説は、そこにハイデガー自らが招き入れる、死についての通俗的な
解釈を取り除くなら、「自らにあた(値/能)ふこととして、できることをする
ことに向き合う」という、通常のプラグマティズムに極めて近いことを述べている。
„Das Entworfene des ursprünglichen existenzialen Entwurfs der Existenz
enthüllt sich als vorlaufende Entschlossenheit. [...] Das Vorlaufen macht
das Dasein eigentlich zukünftig, so zwar, dass das Vorlaufen selbst nur
möglich ist, sofern das Dasein als seiendes überhaupt schon immer auf
sich zukommt, das heißt in seinem Sein überhaupt zukünftig ist." ところが、その表現において「自ら」が「ドイツ人」に結び付けられ、
死についての通俗的な解釈が導入されることを許すなら、言うまでもなく、
ハイデガーの言説はとたんにいかがわしい色彩を帯びることになる。 ハイデガーの世俗的な成功と哲学的な失敗は表裏一体なのである
でュップ゚シュッ゚プチュップ゚チュッのだあ
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リ ヽ.v|} .| 指原はアナルの奥にまで長い舌を伸ばして
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/ ノ / | 黒メンほぼ全員は山口暴行計画を何日も前から知っててその日を楽しみに待ってたってことか
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レイプしてハメ撮りして芸能界から葬りたかったんだろ?
人間じゃないし、アイドルの資質なんかじゃない
鬼畜すぎる
グレーだけど実質レイプ教唆犯だよな 私が神じゃよ?
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アッ
っていうのは、
いッたんです。 梨汁ドップょっとね。
プこって
プいてるがね
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ヒ'-'ゝ. 、 ,,.-‐'',.-''"´ l'、,. 。 ,...ノ ゙'、,,_ ノソ_,/ `゙'‐,
ゝミ_,,ノ" ,'´ iヽ,`゙゙゙´ ゙゙"./~i ....::',
ト;:::.. ', i'、 ,/ノ.,ノ ..:: ゙゙ ',
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l ,.ノ <, </"'マーソヽマっ ゙>' .> ゙'、. l
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妖怪薬膳亀ゼリー桑江万万〜参拝 r'彡'___{_{ ̄´ ノ \.辷二二二ニ|____,> 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
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いッたんです。というと
にンジン・ドップょっとね。
プこって
プいている。
それがノイでね
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妖怪プリンアラモード万万〜参拝 r'彡'___{_{ ̄´ ノ \.辷二二二ニ|____,> >>523 ○ 。 。゜ ゜ 。 / 。 / ○゚ O \ 。 ゜
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妖怪苺桑江万万〜参拝 r'彡'___{_{ ̄´ ノ \.辷二二二ニ|____,> >>524 ○ 。 。゜ ゜ 。 / 。 / ○゚ O \ 。 ゜
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妖怪苺と亀ゼリー桑江万饅〜参拝 r'彡'___{_{ ̄´ ノ \.辷二二二ニ|____,> 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
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層鬮.゚'';,}',. . ゙゚゚゚ . . ‘゚゚゚゙` .. ゙゙^ . .l}]ぽ
.']]醴$ .'l|_ i「゙゙I゜
、 ゙濁髟. |i ′$ 結局出てくる結論は相変わらず
ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー
というわけなんだろ?
どうだね?
...-ー、,-─
.-=・=- i、-=・=-
.. / ー-' ヽ . .
.. -=ニ=-
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∨ 〈-=、.__ } それは、神に「存在」という要素が欠けていることを意味する それは、神に「存在」という要素が欠けていることを意味する それは、神に「存在」という要素が欠けていることを意味する つまり、卵かニワトリのどちらかを、最初に創った存在がいるはずだ つまり、卵かニワトリのどちらかを、最初に創った存在がいるはずだ つまり、卵かニワトリのどちらかを、最初に創った存在がいるはずだ .
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| ノ(、_, )、 | ノ::ノ
| ,r=ニ=、ヽ ━━Ц
|∴∴ `ー'∵∴ | 禊健太郎だけど、こんにちは
ヽ、∴∴∴∴ / 哲学神と崇められているが
/ ̄  ̄ヽ マラがふやけてるよ
/ ,ィ -っ、 ヽ 毎日いるよ。
| / 、__う人 ・,.y i
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ヽ、__ノ | |
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| ヽ、__炎_,ノ |
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