生まれ変わりはあるかね? [無断転載禁止]©2ch.net
生まれ変わりはないよ。当たり前のことだけど、死んだら無になるだけだよ。
世界を認識したり、自己を認識したり、物を考えたりする作用は、脳の活動によるものだから、死んでその脳がなくなっちゃったら、単に無になるだけで、魂なんてものはないよ。
魂はないんだけど、再び「自分」が生まれてくる可能性は哲学的に考えてありうるだろう。
自分から見て他人は「他人」だけど、その他人から見ればその他人は「自分」であるわけだ。世の中には無数の「自分」がいる。
自分にとって「自分」は自分一人だけで、自分が生きている間は他人の「自分」を体験することはできないわけだが、死んで「無」になってしまえばその「自分」はなくなってしまうわけだから、いずれかの他人の「自分」を「自分」として認識することになるというわけだ。
つまりまあ、これが一般には輪廻転生と呼ばれているものに該当するというわけだ。ただ前の「自分」といまの「自分」との間には何の関連性もないわけだけどね・・・
生まれ変わりはない。だが「自分」はまた出てくるわけだから、安心して死んでいいよw ,: /> <\ :,
,::</ \>:, ヘッヘッヘッ
,:.-≼☉≽-i、-≼ⓞ≽-´,
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,:: / ー-' ヽ. :.', 波平くん純一くん
. /.: :.| ト‐=‐ァ' |.: ::.', いるんじゃろろ〜?
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┌、. / ヽ ー‐ <.
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∨ 〈-=、.__ } >>3
自分にとってつねに「自分」はこの自分だけである。
つまり自分が存在するために、自分は他人の「自分」を体験できない。
ならばこの自分が死んで無になってしまえばどうか?
他人の「自分」を認識できない唯一の障壁となっているのは、まさにこの自分の存在のためであるから、その障壁がなくなってしまえば、結果他人の「自分」を自分の「自分」として認識できるわけである。
その他人の「自分」を自分の「自分」として認識する自分と、以前の自分の間に何かのつながりはあるだろうか?
いや何もつながりはない。以前の自分もいま他人となった自分もただ「自分」であるだけだある。
もし生きていれば、いまの新たな他人である自分はまったくの他人であったはずだが、自分が死んで無になったことによって、その新たな他人が「自分」となったわけである。
ここで「無」は完全な無かという疑問がわくだろう。
宇宙はその誕生以前は無であった。しかし完全な無ではなかったようである。
完全な「無」というのは観念の中にのみ存在するもので、現実には存在しないものかもしれない・・・
ヒトは死んで無になるが、それは誕生以前の宇宙と同じ状態のもので、完全な無ではないのかもしれない・・・
完全な無というものは存在しないのだから。 |┃
|┃ 三
|┃ /''~⌒`´⌒~''ヽ
|┃ ガラッ / ∧ ヽ
|┃ 三 l ノー;;;;;' ll ゙;;;;;;-'ヽ l 待たせたようじゃな♪
|┃ 彡 ,,◞≼🍮≽◟◞≼🍨≽◟ ,,, ミ
|┃ 三 /.( )( 🐽 )( .)\
|┃ ~リ〈∵;∴) ll (∴;∵〉ソ~
|┃ ノヽ. / ∈🍈∋ ヽ ノヾ ぷりろっ ぷりろっっ!
|┃ 三 / ヽ:.__;;;;;;;;;;__.ノ ヽ
,⊆ニ´⌒ ̄ ̄" y .;ヽ
゙⊂二、,ノ──-‐'´: ・ 人 ・ ,.y i
|┠ ' |  ̄  ̄ .| .|
|┃三 | ノ. ノ
|┃ |. (x) 9 /
|┃ | 彡 イ >>5
遺伝。ここで混同が見られる。
子は自分にとって「他人」だ。それは赤の他人が自分にとって「他人」であるのと少しも変わらない。
子は「自分」ではなく「他人」だからだ。自分の特質や性向を継承していたとしてもだ。
DNAを引き継いでいるかいないかは関係ない。「自分」であるか「他人」であるかだけが、問題なのだ。
子は自分にとって「他人」である。
孫も大方の場合、自分にとって「他人」である。
だが子を産んで早死にした場合、孫が「自分」である可能性はあるだろう。
まったくの赤の他人が「自分」であるのと、同じくらいに可能性があるだろう。
「自分」の再出現と遺伝との間には何の関係もない。 自分の親が亡くなったら、自分の親が、自分の親を認識しているときの親を認識しているって意味わからんけど
[自分]っていう国語的な意味の出現が
1とか2とかいう数字のような数学的で抽象的な意味の出現と変わらんのか
円の外線は中心から同一距離だとか
消ゴムの[1]と鉛筆の[1]が相違ないということと、その構造そのものが異なるということは無関係だとか >>8
>>自分の親が亡くなったら、自分の親が、自分の親を認識しているときの親を認識しているって意味わからんけ
それは意味がわからん。自分の親が亡くなっても、自分の親が、自分の親を認識しているときの親は認識できん。それは当たり前である。
キミは自分の論理に従って、当方の言った意味を捻じ曲げて捉えている。
ここでは「自己」と「他者」のみを問題にしている。自分の親は自分ではなく他人であるので、「自己」と「他者」の観点から見た場合、まったくの赤の他人と同じである。
親であるか子であるか赤の他人であるかはどうでもいいことで、「自分」であるか「他人」であるかどうかだけが問題である。
自分がいる限り、他人を「自分」として認識することはできないが、自分が死んで無になることで、その他人を「自分」として認識することができない障壁がなくなるので、以前の自分から見て他人であったはずの者を「自分」として認識することが可能になるということだ。
それはつまり、生まれ変わりとはいえないが、結果として、生まれ変わりと少しも変わらないということだ。 ずいぶんと変わった論をお持ちのようで、
死んで無になると考えていながら
輪廻するという論は、めったに聞かないですね
肉体が死んで輪廻するなら、肉体以外の何かが
存在するごとになると思いますが… AIは死を超越している点を利用して
個の体験の記憶(オリジナルな思考フロー、映像)を
常にクラウドに記録しておいた場合
汎用AIにそのクラウドの個人データをロードすると
どうなる? >>12
同じ知能を複製して完全一致の1000体のロボットがそれぞれの行動を見ればいい >>10
輪廻はないです。しかし結果として輪廻と同じようなことになるという考えです。
死んだら何もなくなり無になります。
死ぬ前の自分と、次の自分は完全に別物です。
ただ「自分」という点だけが共通している。
例えば自分も「自分」を認識している。他人も「自分」を認識している。
その「自分」という点が共通しているのと、同じです。
しかし自分が生きている間は他人の「自分」は認識できません。
死んで無になることによって、他人の「自分」が他人のものではなくなるのです。
これが輪廻はないが、現象面で輪廻と同じようなものはあることの説明です。 >>13
脳をコピー&ペーストしても、100人の「自分」はできません。
哲学的に「自分」は必ず一人だけであり、他のコピーされた知性体はすべて「他人」です。
「自分」とそっくり同じな99人の「他人」ができるだけです。
自分と同じであるか、異なっているかは、「自分」の移動には何の関係もありません。 >>17
魂はないよ。当たり前のことだけど、死んだら無になるだけだからね。
だが「無」とはなんだろう…?
宇宙は無から始まった。しかしそれは完全な「無」ではなかったらしいのだ。
百歩譲ってその不完全な「無」のことを、魂といってはどうだろう?
不完全な「無」とはどういう状態なのか?それは誰にもわからない。
だがひとつだけ確実に言えることは、その不完全な「無」である魂には心はないということだ。
何故なら、自分を認識したり、下界や他者を認識したり、モノを考えたりする作用な、すべて脳の働きによるものだからね。
だからその脳がなくなってしまえば、当たり前のことだけど、心もなくなってしまうということだ。
百歩譲って不完全な「無」である魂の存在を認めるならば、それはどんな形の精神作用も有しない、どんな意味での心も持たないものだということだ。
つまり魂に「心」はないということ!! >>18私が思う、これが確からしいって論ではですね、覚者、聖者、悟者ってのは、貴方の言う通り、本質は無のようなものなんです、だから意識も無いし心も無いのはほぼ同意。でね、それが人間に内蔵された時、その肉体には精神も思考も心も装備されてるんです。そんな感じ 無のようなものから微量分離して、人間という複合体(肉体、精神、思考)に内蔵されるんです。でね、覚者じゃない普通の人は、内蔵された本質に気付かづに、人間という複合体を自分だと思い込んで生きてるんです。なんとこの複合体は自動で動くぬいぐるみなんですよw この複合体が、ぬいぐるみであると気付いて、ぬいぐるみを脱ぐ事が出来たらいいんですが、九分九厘の人は気付づかないまま死ぬんです、
すると、ぬいぐるみ複合体の内の肉体以外が、輪廻するんです、輪廻の時は肉体だけは新品になるんですね、そしてまた自動で動くんです いいですか、この時、前世のカルマを背負いますよ、気を付けてね。
自動ぬいぐるみ複合体(肉体、精神、思考)の事を自我といいます。
ぬいぐるみを脱ぐ=自我を捨てる
なんですね^^ んで、その自動で動く自我が、自動で思考して自動で怒ったり泣いたり気づついたりしてるんです、そして自分の本質はその自動で動いてる自我が自分だと思い込んでいるんですよ、自我から離れてみれば、何が起こっても平常心で居られるんです。哲学してるのは自動自我ですよ こういう事を知ってる人が
無知の知を理解してる人なんですね 認識する能力は脳によるものであって、脳が破壊されることによって他人の自分を自分として認識するできるようになるのは脳の機能に因るものなのか? >>27
詳しくは
>>25
を検索して読んでみて下さい
様々な事が分かると思いますよ 自分という人間が細胞分裂してふたりになった。
そのうちひとりは「自分」で、自分とまったく同じもうひとりは「他人」である。
しかし自分がいなかったら、もうひとりの他人が「自分」になったであろう。
では自分が死んだら、自分はその他人に乗り移るか?
そうはならない。自分は無になり、もうひとりは他人のままである。
死ぬ前に他人になったものが自分になることはない。
自分は死んだ後に、どこかの他人に現れる。 >>30
自分の不思議
「自分」が細胞分裂してふたりになった。
そのうちひとりは「自分」で、自分とまったく同じもうひとりは「他人」である。
ではひとりだけが「自分」をそのまま引き継いで、もうひとりは「自分」を引き継がず「他人」になったのか?
いや、もうひとりから見れば「自分」は「自分」をそのまま引き継いでいるのであり、こっちの「自分」のほうが「自分」を引き継がず「他人」になったように見えるのだ。
つまり両方の「自分」が「自分」をそのまま引き継いでいるわけだが、「自分」が同時に2カ所に存在することはあり得ない。
片方から見ればもうひとりの「自分」は「自分」ではなく、あくまで「他人」なのだ。
この部分は非常に理解が難しい部分だ。 >>31
当たり前だ。人間はアメーバやゾウリムシではない。人間は細胞分裂などしない。
「自分」と「他人」について説明するために喩えて使ったまでだ。
そのくらい分かるだろう?わかってることをわざと言うな!!! >>18
キムチさんのお考えに、ほぼ同意です。
特に「自分」が「自分」を認識することに於いての輪廻の考えなど、非常にわかりやすい。
しかし、魂が無く、死んだら無になる根拠は何でしょう?
私達が出来る、哲学的な思考と科学の知識を持ってして、
魂が無く死んだら無になるという結論は妥当で、私もそう考えています。
しかし、どんなに妥当でも、仮説の域を出ず根拠がありません。
なぜなら、死んだ後のことは、
死んでみないとわからないからです。
生きている時分さえ、「魂」というものが在るか無いか、
「無」というものが、どういうものかも言いきれないのに、
なぜ断言出来るのでしょう。
もし、根拠、理論などありましたらお聞かせ下さい。 >>19 〜 >>24
仏教思想に於ける、俗に言う
「輪廻転生」「自我」の考えですよね。
>>20 無のようなものから微量分離して
>>21 ぬいぐるみ複合体の内の肉体以外が、輪廻するんです
これって、単純に「魂」といってもよいですよね?
そうすると、キムチさんの輪廻の考えと違うのは
>>22 いいですか、この時、前世のカルマを背負いますよ、気を付けてね。
固有の「魂」が輪廻し「転生」、生まれ変わるという点です。
つまり、「自分」が「自分」を認識し、哲学している「自動自我」ではない別の
「魂」のようなものが死ぬと「ぬいぐるみ」を脱ぎ、また転生し、新しい「ぬいぐるみ」を着ると。
そして、前世のカルマを背負うということは、絶対無二で固有の「魂」が「輪廻」していることになります。
この考え、思想を否定するつもりじゃないんですが、
これが真理だとすると、絶対無二で固有の「魂」が在ることが前提となります。
絶対無二で固有の「魂」が在ると断言する、根拠は何でしょう?
また、その無のようなものから微量分離してぬいぐるみ複合体の内の肉体以外の「魂」のようなものが
「輪廻」し「転生」すると言える根拠は何でしょう?
よろしければお聞かせください。 連投すいません。
根拠、根拠ってうるさいかもしれませんが、
結構、マジで生まれ変わりについては考えてたもの。 字足らず、すいません
結構、マジで生まれ変わりについては考えてたものなので。。。
です。 人間は細胞分裂しないってところにつっこまないのかよ
アイドルはウンコしないだろうみたいな
中世の未開人のあぶない感じ >>35さんへ>>28の通り
>>25を検索して下さいませ
私も修行中でして明確な説明は出来かねます
>>19〜>>24は私なりのダイジェスト版です >>19 今更ながら訂正ですm(._.)m
>意識も無いし心も無い ←×
>意志も無いし心も無い ←○ >>39
ダイジェスト版と言うか"つかみ"ですね^^ >>35
当方、魂という言葉は好みません。
魂というとそこに意識を持っていそうな誤解を招きやすい言葉だからです。
当方魂ではなく、無という言葉を使用したいですね。
輪廻転生については、その主体がなければなりません。当方、輪廻転生に主体はなく、
「自分」が死ねば「無」になる。そして再び「自分」が出現する。と考えております。
だから当方の考える輪廻転生は厳密には輪廻転生ではなく、哲学的に「自分」は必ず存在するものだから、そうなるとでもいうべき考え方です。
無論以前の「自分」といまの「自分」との間には、何ひとつつながりはありません。いまの「自分」は「自分」ではありますが、以前の自分から見れば「他人」です。
」 >>34
>>しかし、魂が無く、死んだら無になる根拠は何でしょう?
死んでなくなるものは、意識です。自己や世界を認識する作用、それらはすべて脳の活動によるものなので、死んで脳が活動しなくなれば、なくなってしまいます。
魂を「無」という言葉に置き換えれば「無」はあるかもしれません。
「自分」は死んで「無」になり、そしてふたたび「自分」が現れるのです。
この「無」は宇宙誕生以前の「無」に似ていると思いますが、それがどのような状態なのか?・・・そこまではわかりません。 >>42
>>輪廻転生については、その主体がなければなりません。当方、輪廻転生に主体はなく
この「主体」があると仮定して考えると、その「主体」は身体と一体しているはずなので、私達はそれを知覚し認識はすることは出来ません。
腎臓のみを知覚しろと云われ、出来ないのと同じです。
だからといって、「主体」が在るとは云えませんが、私の思考では反証が出来ません。
「主体」は実態のないものだからない!と切り捨てることも出来ますが、実体のない時間や空間は在ります。
輪廻転生に於ける前提の「主体」がないと考える根拠は何でしょう?
質問ばかりですいません。 >>44
主体を「無」という言葉に置き換えてよいなら、主体はあるでしょう。状態が「無」である主体なら、あると考えます。
ではその「無」の状態とはどういうものか?それはわかりません。
完全な「無」ではなかったといわれる宇宙誕生以前の「無」に近いものではないかと推察します。
ちょうど心や意識を持たない、石ころのようなものではないでしょうか?石ころには実態がありますから、「無」は石ころよりももっと無に近いものでしょう。
もし人間に魂があると仮定するならば、それは石ころの「魂」と何ら変わるものではないでしょう。
つまりどんな意味での意識や精神活動を一切持たない、まったくの完全な「沈黙」です。
それこそがあなたが「主体」と呼ぶところの「無」ではないでしょうか? 私が死んだときとあなたが死んだときの状態は違うと思いますか? >>46
私が死んだ時もあなたが死んだ時も、同じ状態になると思います。
何らかの意識も何らかの活動もまったくない、100%の「沈黙」。したがってそこに区別はないでしょう。
区別はないけれども、その「無」から「自分」が生まれたり「他人」が生まれたりするのでしょう。
ひとりの人間をコピーして2人にした場合、1人は「自分」でもう1人は「他人」であるのと同じように・・・
区別のないものからでも「自分」と「他人」が生まれてくるのです。 >>43
「意識」がなくなることを根拠に、死んだら「無」になるのですね。納得です。
しかし、そうなると少し奇妙なことにもなります。
生きている間も、「意識」はなくなるからです。
寝ている時や植物人間状態になった時などです。
この場合、「死んだら無になる」という意味合いの、なにもなくなる「無」ではなく、厳密には「有」になります。
なぜなら、「生きている」からです。
しかし、奇妙ではあるが問題はないですね。
>>43 >>「無」はあるかもしれません。
「無」が「在る」ということに於いて、「無」は「有」であり
>>18 しかしそれは完全な「無」ではなかったらしいのだ。
キムチさんが言及しているように、「無」とは厳密には「有」であるだけです。
単に死んでいようと生きている間だろうと、「無」という現象は起きているに過ぎない。
そうなると、死んだら「なる」、「無」とは「有」なのだから、
生まれ変わりはあるか?という問いをもう少し考察する必要がありますが、
ここまでくると「有」である「無」というものについて語り、解明しなければいけないので無理ですね。
そして、おそらく「無」より大事なのは「在る」ということ、
「存在」というものを解明しなければ「無」というものはわからないと思われます。
確実に無理ですねw
納得したので、まとめて去ります。
死んだら「無」に「なる」が、その「無」とは無ではなく、厳密には「有」である「何」かである。
かしこ。 「無」は「自分」を認識することはできない。
その意味で「無」に「自分」はない。
「自分」を持たないもの。それが「魂」だろう。
ではどの「無」も同じものなのか?
「無」に独自の傾向はないのか?
それは非常に難しい問題だが、「無」に傾向はあるかもしれない。
「無」の傾向のことを「カルマ」というのかもしれない・・・ 石ころは心を持たず、考えたり感じたりすることはできない。
何故なら「脳」がないからだ。
だが魂はあるかもしれない。「無」という名の魂が。
これは考えることができないという点で「人間」の魂と同じ構造のものだろう。
だが波長というか傾向の違いはあるかもしれない。それは「カルマ」と呼ばれるものである。
したがってその「無」の波長に応じて、石に生まれたり、人間に生まれたり、無から生み分かれる。 輪廻転生がないという証明は死んだら全てが無になるからでは説明できていないのでは?
死者は沈黙するから死後についてのその答えを生者は永遠に得られない。
あるかないか不確定なものは空想的に存在しているのでは?
転生前の記憶があるものは?
意識的に記憶を作り出しているだけ?
輪廻転生を否定することには少し足りない。
死んだら無になるということは身体的な死により意識やいわゆる魂という精神的なものも強制的に閉じられる。
行き場の喪った精神的なものが辿り着くところへは誰も一緒には行けないのだから。 >>51
うーん、意識や精神的なものを抜きにすれば「魂」は認めてもいいよ。
といっても「魂」というとどうしても意識や精神的なものをくっくけたがるだろうから、ホントは「魂」という言葉は使わずに「無」という言葉を使ったほうがいいのだけど・・・
この部分は、何回言っても、議論が振り出しに戻って意識や精神的なものが「魂」にくっついてしまうだろうから、当方疲れるんだけどね・・・w
当方意識や精神的なものがないという意味で「無」という名の「魂」を認めてもいい。 >>52
これはしっくりきた。
無なのだけれど有。非物質的なもの。質量のない光に近いものだと思う。 魂に無と言う言葉を冠するのなら、もはやそれは此れ此れであると示せるような対象ではなくなる
インド哲学で魂に相当するとされるもの、アードマンは認識するものと説くが認識するもの自体を
認識することはできないので本来的な意味において対象化できる魂には相当しない
仏教の無は、空と呼び変えて差し支えないが空と言うのは満たされた過不足のない状態を
指すので何もないことでも無ければ物質でもなく1つの概念を指す 生きている間にも死に近い状態は誰でも経験している。
それは熟睡状態である。
生理的には熟睡状態でも脳は活動しているのだろうが、少なくとも当人にとって意識や精神的なものが働いているという感覚はまったくなく、つまり完全に無になった状態にある。
自分の存在を自覚することも外界を認識することもなく、まったくの無になっている。
死後の魂とはこれに非常に近い状態ではないだろうか?
魂が自己を認識する時、それは再び生まれた瞬間だろう。 >>55
なるほど。転生までの時間が短い人がいるから前世の記憶を持つ人が偶発的に生まれると考えるとしっくりくる。 >>55
>生きている間にも死に近い状態は誰でも経験している。
>それは熟睡状態である。
仏教では、熟睡している時や、気絶している時でも、
阿頼耶識や末那識は働き続けていると考えられているよ。
つまりキムチ氏は、仏教的に見れば表層意識的なものを「自分」と考えているんだろうね。
キムチ氏は『「自分」が死ねば「無」になる。』と書いているけれども、
私たちが普段「自分」と思っているもの(表層意識的に見られた「自分」)は、本当の「自己」ではない、
というのが、仏教の無我説だね。 うーん
催眠から目覚めた今日の自分が昨日と同じ自分だと断言できるのは何故?
それは昨日の記憶があるからでは?
死んでないから脳が日々を媒体し、断続的に毎日が続いていく
脳が勝手に記憶しているものに自分の意思はない
もし日本人Aの記憶がある
アフリカ人Bがいてこの人は日本に触れ合う機会も全くないのに確かに日本人Aの記憶がある
この場合は確かにAとBは別物
でもAとBは同じ記憶を有している
私たちは決してAの記憶を有しているBをAだとかAの紛い物だとか言わない
確かにBだとおもう
これは輪廻転生じゃないの?
これを否定する根拠が欲しい
あるようでない魂?
では記憶はどう説明するの?
Aの記憶はあるけどAの意思はないBはなんなの?
Bのよくできた妄想がAの記憶と重なっただけ?
AとBは全くの別物だよ、でもAの記憶を有しているBは何者?
他人だとは認めてる
自分ではないと知ってる
そもそもキムチさんと私の前提が違うだけ?
キムチさんの輪廻転生は何をいうの?
全く同じ自分が死んでから生まれること。輪廻転生というの?
それだと何か違うんじゃない? 私、馬鹿だなー
全然、理解できない
キムチさんの生まれ変わりと輪廻転生は意味が違うの?
生まれ変わりも輪廻転生もAとBは別人だと認めてる言葉じゃないの?
なのにBは自分Aになりえないってどういうことなんですか?
誰か賢い人助けて! 生まれかはり、死に固定 ハンドルネームと 名無しさん。 >>58
Aの記憶を有しているA'はAの続き。
Aの記憶を有しているBはAの続き>
A’もBもAから連続した自己同一性を等しく保持している。
しかし「自分」は同時存在はできないので、A'とBは他人。
A'はBの生まれ変わりでもない。A’とBはただの他人。
ではA'が死んだら、BはA'の生まれ変わりとなり得るか?
いや、「自分」は同時存在はできない理由から、「自分」が存在している間に既に「他人」として存在していたBは生まれ変わりにはなり得ない。
A'が死んだら、新たに生まれてくるまったくの「他人」こそがA'の「自分」になり得る。 生まれ変わりといっても親からもらった体を一度として捨てるわけにはいかないだろう。
生は流転するのみ。 >>62
難しいー!
A´はどこからきたの?
わたしにとってAはわたしでBはあなたであのひとはCだ
それ以外に何もない
あともちろんだけど
Aの記憶を有しているBはもちろんAより後の生まれだよ
死んでしまった人間の記憶を何故か知っている、全くの赤の他人Bを否定するにはどうしたらいい?
わたしにはそれができない
だから生まれ変わり、輪廻転生はあり得ると思っている
生まれ変わりの定義は曖昧だ
まず生まれ変わりの定義が必要
人間から犬になったり
虫から人間に生まれ変わることもある
人間が人間に生まれ変わる根拠はない
肉体的にも精神的にも同一の生まれ変わりはもちろんあり得ないのではないかと思っている
生きる時間が違えば別人だ
わたしが生まれ変わりの肯首だから理解できないの?
ならごめんなさい <<64
A'はAからきた。BもAからきた。
もしAがまだ存命なら、Aから見てA'とBは他人。
もちろん物理的にはAこそがAの正当後継者、というよりかAはそのままA。
しかしA'の視点から見たら、A'こそがAの正当後継者。
Bの視点から見たらBこそがAの正当後継者。
そしてA、A'、Bはお互いにそれぞれ他人。 >>63
>親からもらった体を一度として捨てるわけにはいかないだろう。
物理的には心、精神、意識も親からもらったもの。何故ならそれらは「脳」の働きだから。
「脳」のないところに心、精神、意識はない。したがって「魂」には心、精神、意識はない。
「魂」とは限りなく「無」に近い、単なる情報体、エネルギー体のようなもの。 シンプルに
生まれ変わりはあるのか
それともないのか
では生まれ変わりの定義は?
死んだ人間の次に生まれてくる存在が
身体的に同一であることをいうのか
同じ記憶を有しているのか
同じ意識を有しているのか
でも現実的に死んだ人間との連続性を証明できるのか?
できない
することは不可能だ
未来は常に未知である
死んだら無になるから
これは解答になりえるか
未知な未来への証明だね難しいのは 生まれ変わりがあるってことは命の総数が決まってるってこと
命の総数は増えてるから生まれ変わりはない 因果残した人は転生するとか、当人死んでも物理的に遺伝子半分現世彷徨っちゃうからね 生まれ変わりがあったとしてどんな価値があるんだ?
記憶が引き継がれないなら価値が何もない
PCだって記憶装置の中身が重要だろ
本体なんて壊れても中身を移せばそれで十分
輪廻転生なんかに価値はない
はい論破 例えば記憶の完全なバックアップができ別の体に移す技術が隔離したとしよう
目の前で同僚が事故死しても翌日にはバックした記憶を写した新しいカラダの同僚がくれば大抵の人間はそれで皆満足するだろう?
容姿が変わっても業務に支障はないし友人付き合いも変わらない
勿論モデルや俳優などなど容姿が業務に直結する職業では問題がある為高めの保険に入る必要はでてくるだろうが つまり魂とは情報である
明確な形を持たず受け継がれていく情報であり文化であり遺伝情報
既に魂とは何かと解析されているんだよ そんなこと言うなら他に妥当なものがあると言うの?
お花畑の向こうの世界や死後に何グラムか消えるとか言うよりまともだと思います >>73
これはしっくりくる。
何か伝承され受け継がれていくものを魂というしね。師弟関係で魂を受け継ぐとか。精神や思考に力として作用する形のないもの。オカルトフォースだった万有引力に近いものだと思う。ただファクターが質量ではなく遺伝情報とかそこらへんなのかな? >>68
納得しそうになった
けど絶滅している動物とかいるよね
人間から人間との生まれ変わりだけでなく
人間からその他の生まれ変わりがある
とすると
命の総数は増えてないのかも? >>77
そもそも命というリソースの総数を君は把握しているのか
それも明かさずに決まっているというのはおかしなことだ
前提条件に合理性が何もないのに納得する点が見当たらない
物質保存の法則化それとも出玉と入れた球の総数などを勝手に想像して納得しているようだがそれと難の関係もない話で錯覚しているだけだ 人にとって何が価値ある事なのか
先ずはそれを良く考える事だ
既にAIは目に見える範囲で人の知性を上回り
脳の解析もMRIの進歩などにより進んでいる
遺伝情報も解明され倫理や法を無視すれば
遺伝子プリンターであらゆる動物や植物との合成生物すら作れる時代に既になっている
勿論クローン人間も技術的には問題なく作れる時代であり恐らく既に作成しいるだろう
そういった時代において人間とは思考なのか肉体に依存するものか
真剣に考える時代が目の前にきている
恐らく今生きている人たちの多くがこれから取り組むべき問題だ
魂を最も尊いものと捉えるならば
魂とは肉体に宿るのか記憶や宿るのか明らかにしなければならない
既に肉体と記憶は分かつ事が出来る時代に差し掛かろうとしているのだから 生まれ変わりを肯定的にとらえるやつは
必ず失敗する。これをやって失敗した宗教はいくつもある
絶対的差別に繋がりやすいのよね
そもそも死んだことも無い人間がわかるわけがない
つまり詐欺確定。 >>81
性別を入れ替えることが出来る
肉体を入れ替えて若返ることも一気に大人になる事もイケメンになる事もお金次第で出来る
無茶やって体を壊す事に悩む必要もない >>77
ビックバン宇宙論を正しいとするなら、ビックバン直後は命の総数はゼロ >>84
ありがとうございます!
すごく納得できました
馬鹿なんで失礼いたしました
>>79さんの命のリソースとか分からないですけど
命の総数が0だった頃から
地球がいくつもの命を育んでいき
多様な意思・記憶・情報が溢れるようになった
その中で意思・記憶・情報の同一性や類似性が見られるようになった
けれど人間という単位では一人として同じものはなく、例え一卵性双生児だとしても、互いは他人同士である
よって死んだら無になり
生まれ変わりなどありえない
けれど死後の世界を誰も証明できないから
概念的には生まれ変わりというものを否定することはできない
と皆さんのレスで納得しました
こんなんでいいのかな? 否定する前に肯定する事すらできない
つまり妄想の類で現状議論に値する価値がない >>67
生まれ変わりはあるのか?ないのか?
生まれ変わりはないだろう。
死んだら宇宙に溶け込んで「無」になると思われる。
しかし次の「自分」は生まれてくる。
この「自分」は現在の自分とは何の関係もない自分だ。したがって生まれ変わりはない。
ただ「自分」であれば充分だ。「自分」であれば充分だろう。
したがって生まれ変わりはないが、擬似的な生まれ変わりはあるだろう。
生命の総数。それは特に決まってはないのではないかと思う。生命は宇宙から沸いてくる神秘的なエッセンスだから、その時々で1の時もあれば100兆の時だってあるだろう。 なんで溶けて無になるのか
そもそも何が溶けるのか
そして次の自分とやらは何ですか?
そしてなんで生まれてくるんですか?
何一つ説明がないんだけど
どう言う事?w
中2病が 酷過ぎる 以下の中で一番強いのはどれだと思いますか?
全(全て)、無、どうなってもいい、考えない、痛む、痛みに耐える、なんでもあり
観測者不在、不定、自由自在、想像することすらできない、感じることすらできない 意識が無 を経験すると 意識身体精神が有 の状態になります。
永遠に生きる義務はないが、永遠に生きてみてもいいでしょ。 >>94
踵を削ぎ落としても生爪を全部剥がしてもね
水虫は治らないんだよ
おばさん 自分から見れば他人は「他人」だが、他人から見ればその他人は「自分」である。
自分が死んで次に生まれてくる「自分」というのは、この「自分」によく似ている。
いまの自分から見れば次の自分は「他人」だが、次の自分から見れば次の自分は「自分」である。
生まれ変わりはないが、擬似的な生まれ変わりはあるというのは、こういうことである。 死んでみないと死後のことはわからないという人がいるが、考える行為、見る行為、認識する行為はすべて脳の働きによるものだ。
死んだら、この脳が停止してしまうので、死後のことはわからなくなる。
死んだらわかると考える者はバカだ!
生きているからこそ、死後のことを考えたり推測したりすることができるのだ。 そうじゃ無いよ
死後の世界があろという人がいて真実を語っているのなら脳の活動と思考能力は因果関係が無いという前提で考えているんだよ
君は論理的思考能力が低く問いを正しく理解できていない 少し別の話でテレパシーが量子もつれで生じ、
似通ったDNA配列間でのみ強く起こるのであれば、電子等の素粒子の相互作用がそれらに関与しているというのが論理的帰結であるが、魂というのがそういったミクロな世界の事象であるならばマクロな脳の活動そのものの挙動には関与しないとも考えられる。 命の総数と言うが、そんな話は命の生滅を自然の働きのなかでしか前提しないから成り立つわけで
人為的に命の数を無制限に増やすことが可能であることから考えると
例えば、ネズミを一定数まで人口的に増やしたとして、ある一定量にまで達したらその先は生まれてこなくなる
なんてナンセンスな事態が生じる訳がない >>98
>脳の活動と思考能力は因果関係が無いという前提で
脳の活動と思考能力は因果関係はあるだろ。具体的には脳細胞が少なくなって思考能力が衰える認知症がその例だ。
現実に反した前提には意味がないw みなさん固い話ばかりでお疲れのようですから、この辺でちょいとつくろぎませんか?
とっておきの最新ニュースです!!
何とあのキムヨナが復活してフリー1000点を出したのですぞ!!!
その動画をご覧くださいまし ↓
https://youtu.be/TAmFcBOcvCw >>102
脳が魂の受信装置だとしたらどうかな?
脳がおかしくなることで正しく霊波を受信できなくなっておかしくなるとしたらね なるほど・・・
つまり量子コンピューターとは霊波を使ってアカシックレコードからデータを取り出すから無限に等しい演算能力を得るという事か
対した奴だ
やはり天才か >>102
おい、バカ
お前も>>104さんを見習え >>104
>脳が魂の受信装置だとしたらどうかな?
>>98
脳の活動と思考能力は因果関係が無いという前提なのではなかったのか?
言ってることがメチャクチャだぞ!! どうして?
思考能力とは直接関係ないだろ
君の場合は屁理屈しか言えないし
合理的な思考が出来ていないから反論できていない事すら理解していないのだろうけど
馬鹿って悲しいね
日本語で語り合えないから 脳が魂の受信装置、脳と魂は関係あるんだ?
>思考能力とは直接関係ないだろ
脳と思考能力は関係ないんだ?
すると魂と思考能力も関係ないんだな?
すれこそ当方が主張していることじゃないか。魂は心も意識も持たず何も認識できないという主張だよ。 私自身の主観として、君の脳が破壊されたとして、瞬間的にその機能がどこかの誰かの新生児の脳の機能にすり替わっていると考えるのは正しいですか? >>106
>無限に等しい演算能力
上限がまだ分かっていないだけで無限ではない >>111
君は自分の思い込みやバカな自分を肯定したいが為に視野狭窄に陥っている事に気づいていない…
情けないな >>115
だったら有意義なレスをつけろ
お前はラノベより下の知性しかないんだから嫉妬せずにROMってろよ
情けねー男だなぁ 仮に生まれ変わりだと言う言う男が現れた時
何を持ってそれを証明するかを考えろよ
遺伝子鑑定でDNAが同じ事か?
だったらクローンだろ
容姿が同じ事か?
それなら整形すれば良い
記憶を持っている事だろ?
つまり記憶のコピーこそが生まれ変わりの条件だ なぜ記憶がコピーされずに生まれ変わることはあり得ないのですか。
人口が減少した場合、その人の自分はどうなりますか。 転生っつっても、死体が物質になって誰かや何かの材料になるわけだし
そらなんかしらには転生するでしょ。意識がまるっと記憶して又人間に
生まれ変わるかどうかの話は知らんけど 今話している転生とは記憶の継承。
死後の世界や前世を語る事が埋まれ替わりがあるという根拠になっているのだから。
ならばそれは記憶でしか証明されない。
この程度の事も演繹できないの?
馬鹿だね。 >>125
君の場合は脳に障害ある
ダウン症や先祖返りで知能が著しく退化してるんじゃないか? 転生のほかの知識は学習による理解で、転生については記憶による理解なんですか? >>118
>つまり記憶のコピーこそが生まれ変わりの条件だ
では前世の記憶を持っている人間だけが生まれ変わった人間であり、
他の者は生まれ変わった人間ではないということだな。 生まれ変わりにはいろんな説がある。
生まれ変わりはあるという説もあるし、生まれ変わりなどないという説もある。
このスレにも両方の説を唱える人間がいるようだ。
しかしそれを証明する100%確実な証拠はない。
100%確実な証拠はないのに、では何を持って、キミたちはその説に依ったかだ?
それはこうあってほしいという自分の期待によってではないのかね?
特に生まれ変わりはあると主張する人間にその傾向が強いように思う。
何故なら、人間誰しも死後にも心を持った魂があってほしいであろうからだ。
死後にも心を持った魂があってほしい。当方だってそうだ。
しかしそれは残念ながらないようだ・・魂はあるかもしれないが、それは心を持たない。
自分の期待に反することを主張する当方は、その点だけでも客観的ではないかね? >>128
少なくとも前世の記憶を持った人間がいないのなら死後の世界と転生は証明されないという事。
これらが十分な数存在するなら輪廻転生を検証する価値はあるだろう。 また記憶を保存し写す事が出来るのならそれは転生と言える。 しかしここに資産の継承などにより第三者の利権が絡むと遺伝や指紋といった肉体的要素によって相続問題が生じる。
現状記憶の継承及び、輪廻転生は認められていないのだから。 >>128
こう言った論理的な会話が出来ないから君はバカだと繰り返しバカにされるんだよ
バカって一方的になじられて惨めな人生だね…
可哀相 >>129
100%確実でないからといって両者を等価とするのは詭弁だ
生まれ変わりがあるという確率は1%もないだろう 確率で言えば0%
生まれ変わりを私たちを知らないから
ただそうあってほしいという願望だけがある
しかしこれから先記憶のコピーによる生まれ変わりは期待できるだろう
人工知能の発展を見る限り肉体を捨てて私たちは転生できる! むしろこれからはAIに記憶を写して劣った旧人類から
より優れたケイ素系生物へと進化する
AIとは新人類という意味になる日は近い 生まれ変わりがあるか?
これが主題
「生まれ変わり」の理念型は「現世で生命体が死を迎え、直後ないしは他界での一時的な逗留を経て、再び新しい肉体を持って現世に再生すること」
この定義を否定できれば生まれ変わりはないと断言できる 逗留を認めているからややこしいね。
これを否定できるのか。
生まれ変わりには転生型の輪廻型のリインカーネーション型があるそうだ。
リインカーネーション型はフランスから生まれた思想。
いわゆる人類の進化の過程で不死なる根源、そこに魂を見出すということ。
いわゆる同一個体としての生まれ変わりではなく、他人の中にある自分を知ることに、死ぬことの意義と再び生まれることの意義を見出すこと。
私たちは死ぬが、私たちの思想は、生きるということ。
その先にはあるいは神のような全知全能の存在に近くために必要不可欠なものとして死とその再生の循環を肯定的に受け止める。
死と再生。生命の循環。
これも生まれ変わりのひとつ。
転生型は同族間で循環的に転生すること。
動物転生や植物転生もこれに含まれる、原始的な死生観。
輪廻型はインドで生まれた転生観。生まれ変わりを流転として捉える。生物は永遠にそのカルマの因果によって、繰り返し生まれ変わるいう考えを意味する。
ほんとに否定しなければならないのは転生型と輪廻型という感じかな 輪廻とは、死後、逗留を経て、生前の業つまりカルマの結果、次の多様な生存となって生まれ変わること。
生と死を繰り返す輪廻の苦痛とし、二度と再生を繰り返さない解脱を最高の理想としている。
仏教的思想。
ブッタは輪廻を否定する。
けれど当時の人々は輪廻の観念に囚われていた。だからこそ輪廻という想念に留まるべきではないと説いた。
松尾宣昭の説。
少し仏教的要素が出てしまう。
哲学板には不向きかな? >>139
否定の前肯定できる証拠が何にもないんだから議論する価値がない。 >>1
言いたい事は分かる。
死後の世界とか魂とか抜きにして
死んでも気付いた時にはどこかで生きてる(自我を持ってる)
これだけは何か確信がある。
宇宙の歴史130億年〜200億年だったっけ?
宇宙の歴史の中では、人一人の人生の時間なんて、ほとんどないようなレベルだし
その一瞬にだけたまたま自我を持った自分がいる?
とかどう考えても有り得ない気がする。
またいつかどこかに自我を持った自分がいるのは確実だと思うんだよね ごめん、直接スレに飛んできたので
哲学板のスレだとかは知らなかった。
俺はただの素人だし
ただ、難しい話は抜きにして思った事をそのまま書いてみた。
スレチだったらスルーしてね 第三次戦争で絶滅したらどうなるの?
自分の行き先は地球にないけれど、、
億年前、人類はいなかった
自分の居場所がない
どう思う?
ある意味、本質的な質問だよ、これ
別に挑発しているわけではサラサラな
いので、特に一さんに教えていただき
たいです。 例えばこんな時にご相談下さい。
借金の返済で困っている・・・。
(金融機関、住宅ローン、会社、個人など)
家賃や税金、公共料金、学費の支払いに悩んでいる・・・。
給料が減少し、生活が苦しい・・・。
数社から借入があり、どこからも借りられない・・・
お金の悩み、相談はエスティーエーで ,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i ! 諸行無常 諸法無我
__.. -/ ,.. / `ヽ、
, -‐ ,.´-─./ /:. . . / ..__ / ! `ヽ ヽ クゥクゥ クゥ 空
/,.-‐´ _r‐' _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_ `丶、ヽ、 、__,ス ,)
~~ ̄/(三,. -‐ ´ / ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. l. ! / / 自己肥大・自己拡張・存在確認のかまってちゃんクレクレ君は荒らし確定
. ! | (, ,,/
! ,j 2chの鉄則(おやくそく)とは 【荒らしはスルー(無視・放置)・あぼ〜ん・透明あぼ〜ん】 しましょう。
ゝ、ノ
● 荒らしは放置されるのが一番の苦手苦痛です。
→ ウザイと思ったらそのまま放置!
● 放置の荒らしは焦り、煽りや自作自演、PC串スマホで多人数を装い、あなたのレスを誘う。
→ 釣られてレスしたらその時点であなたの負け、あなたが荒らしです!!
● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり、ヨダレを垂らして最も喜ぶことです。
→ 荒らしにはエサを投げ与えないで下さい!
●荒らしは語尾に w をつけてあおります。
→ 問いに問いで返す無頭が故の無脳で、裏の小藪に捨てましょう。
●荒らし・粘着にはスルー・あぼ〜ん・透明あぼ〜ん・が推奨です。
→ 考えない学ばない荒らしは外道です。
●荒らしは自立できず、もたれかかり、ストーキングする
→ 真贋が見分けられないのが荒らしの属性です。
●無いものを有ると思い、有るものを無いと思う、これが顛倒(てんどう)、妄想(もうぞう)です
→ 公案の答えは無尽蔵、己だけの答えを出せ!
●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
→ ミイラ化です、放置、風化させ、土に戻しましょう うまれかわるのは肉体は滅び別の肉体で再生する
そして主体の記憶も生まれるから当然ない、 記憶のバックアップがクラウドで出来る時代はもう目の前だ。
天国が雲の上にあるってのはクラウドサービスを指していた。
これによって人類は事実上の不老不死を実現する。
魂の重さは電子の重さ。
USB一個に宿るのさ。 これからは魂同一性障害・記憶同一性障害など起きる。
肉体と記憶の不一致や同じ記憶を持った人物などが現れてそれらをケアする哲学が必要となる。 当然完璧な人格をプログラミングされたデザインスピリッツも誕生するだろう。 当然完璧な人格をプログラミングされたデザイナースピリッツも誕生するだろう。 >>148
記憶だけ同じ人間を生み出すことができても元のお前自身が実感を得る訳じゃないよ
対象化された時点でもはやそれは自分ではなくなるので魂の不滅には繋がらない さて
それはどうかな。
USBに焼き付けられた魂こそが自分自身でないとなぜ言い切れる。 では仮にそのUSBメモリに魂が宿るとして、それをコピーし百万個に増やしたとしよう
すると複製作業が終了した瞬間に百万の認識がお前に飛び込んでくるのか?
百万に増やしても、それぞれは独立して別存在であってクローン人間が同じ人間にならないのと
同様の結果を得る 100個に自分が分裂しただけさ。
そして認識の共有化は並列処理として、そして意識の統合と言った新しい人間の能力が身に付く。
人間は新たな認識力と意識の形を得る。
だから君の様に頭が古く固い人間の為に新しい哲学が必要だといったのが。
君は想像力が低過ぎて其処まで思い至る事が出来なかったようだ。
憐れだな。 こんな言葉遊びごときで何興奮してんだかこのアホは
言ってる内容も子供がオバケはいると思う程度の妄想で無価値 >>156
例えが未熟で憐れだね。
もっと気の利いたこと言えないのか。
語彙が低すぎて教養の低さがバレてしまうよ。 明らかに馬鹿なことを笑っただけで教養が低いことに成るのかね
>>155の書き込みにオバケはいる!絶対いる!以上の内容があるとでも?
馬鹿の常識に付き合う義務はないよ >>158
付き纏いは辞めてください。
それにこんな処で油を売ってないでやる事があるのでは。
貴方は皆から大きく劣っているのですから。 知恵遅れの馬鹿を構ってやる義務はないから黙って死んでろ ご丁寧に改行まで入れてるから自信タップリで書き込みボタンを押したんだろうなぁ(笑) 語彙の低さを自ら露呈し始めたな
ここは哲学を扱う場だから好き勝手に何を書き込んでも良いという訳じゃないよ
客観的に妥当すること、確かな前提から演繹される推論でない限りは
君の言ってることは妄想でオカルトなんだよ 確かな前提とやらなど存在するのでしょうか。
しかし十分に妥当性のある未来の予測だとはお思います。
AIが人を超える棋譜などを打ち出し、会話で操作が出来る機器が身近に有ります。
fMRI等によって脳の神経活動なども解明されつつある。
最早意識とは特別な物ではないのです。
貴方こそがオカルトとして意識を特別視しているのではないのか。
その頑迷な思い込みが無意識のうちに神聖化して愚かにも批判ではなく非難しているのではないのか。
素直に自省する事を勧めます。 言うまでもなく生物とは代謝をしていきすべての細胞は半年程度で入れ替わると言われています。
しかし人は己の同一性の維持を主張する。
つまりそれは認識の問題でしかない。
USBに焼き付けられた意識が己の同一性を認識さえすればそれは本人。
そう云う事なんですよ。
人の意識も認識も進化し変化するのです。 貴方の乙女チックで感傷的な主観など糞喰らえです。
素直に受け入れなさい。
抵抗は無意味だ。 USB自身を人格的存在であることを自覚することと、それが他の完全コピーと繋がりがあって
意識のレベルで同一化するという事は全く別の話、微妙に軌道修正かけて話をすり替えるなゴミクズ 訂正 USBが自身を人格的存在であると認識することと >>167
だから君は未熟なのです。
クラウドサービスによって繋がり精神融合した新たな人格・意識が生まれるのです。
現生人類ですら脳神経のネットワークを組み、更に左脳右脳は脳梁によって並列思考を行なっています。
また脳とそれ以外の部位も神経によって繋がり通信して体を動かしています。
喪った目なども最近は電子デヴァイスから信号を受け取り視覚情報を受け取れる様になっています。
他にもパーキンソン病などでは脳にデヴァイスを埋め込み電気信号で症状の緩和を行い、ピースメーカーで心臓の鼓動を制御します。
既に神経を代用機関で繋げ制御する事は実用化されているのです。
何故そういった事実を無視して脳や意識を特別視してオカルトに走るのですか。
貴方の古い宗教に捉われら愚か者は目を覚ましてください。
ゴミクズ等と感情的にならず理性の目を開きなさい。 .
腐敗しきった日本を救う、救国の党、!
「万万党」に清き一票を!!
\\ //
∧_∧ ∧_∧
∩´∀` )( ・∀・) 日本の伝統をぶち壊しまくっている既存の政党
ヽ .)( つ¶ 9 特に、アメリカのポチに成り下がって保守を僭称する輩どもの政党!
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| これをぶち壊して、日本の伝統を死守します。
| 万 万 党 |
比例区は
萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬
萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬 ■萬 ■萬萬 ■萬萬萬
萬 ■萬 ■萬萬 ■萬 ■萬 ■萬萬萬萬
萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■萬萬
萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬萬萬 ■萬萬
萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■萬萬 ■ ■ ■萬萬
萬萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬萬 萬萬萬萬萬 ■萬萬萬萬
萬萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬萬 ■萬萬萬萬
萬萬萬萬 ■萬萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬萬萬萬 ■ ■萬萬萬萬萬萬
萬萬萬萬 ■萬萬萬 ■萬萬萬萬萬 ■萬萬萬 ■萬萬萬萬萬 ■萬 ■萬萬 ■萬萬
萬萬萬 ■萬萬萬萬 ■萬萬萬萬 ■萬萬萬萬 ■萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬=@ ■萬萬
萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬萬 ■萬萬 ■萬萬萬 ■萬萬萬 ■萬萬萬
萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬 .
,,-''"´ ̄ ̄ ̄`"''- 、
/ \
/ '、
,' r'"´ ̄ ̄`" ̄ ̄`ヽ |
| .| 二ニ |.|
| ./ _,,;;:==='' '==:;;,_リ
.⊥ .| 'ミ'´,.=、 , ,.=、`ツ さよう、やはり
(⌒`ヽ_| く🐠 _) .、〈.く🐠_).{ 比例区は
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
.\_ \ ,ィ´ヽ ) .|
.⊥ .| 'ミ'´,.=、 , ,.=、`ツ
(⌒`ヽ_| く🐠 _) .、〈.く🐠_).{ 万万党じゃろ?
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
.\_ \ ,ィ´ヽ ) .|
.| '、 / `⌒(て´ヽ ,'
.| '、 l ( ^ー'二二ー^ )/
.| \ ` /
/.\ '、 \ /
''"´ヽ .`"'- ,,`''- ,,__/、
\  ̄ ̄ ̄ ̄ノ "'' 生まれ変わりはあるよ。
君たちはどこから生まれた?無からだろ?
無→生→死→ 無
このサイクルを見ればわかるだろ? なんの前提もない状態(無)から何かが生まれる訳無いだろう ただ無を前提としなければ、この世界には常在の何かが存在し続けていると言う
無限を同時に受け入れなければならなくなるので矛盾律となり論理的には成立しない 無限?有限の命を更新しているHPたち。
女と女をあらそわしめるのが上策よ。フッ。 真空のフラスコの中から突然ものが生ずるなど馬鹿げていると言うことは小学生でも理解できる
真空ゆらぎという言葉もあるが、これもまたエネルギーが場を満たしているという前提がなければ
生じ得ない現象である、宇宙が誕生する以前は無であったという根拠はこの辺から来ているらしいが >>1みたいな考え方は仏教では断見といって、邪見に分類される。
逆に魂みたいな永遠の自分がいてずっと生まれ変わったり
存在し続けると考えるのは常見でこれも邪見。
正しいのは生まれ変わりの原因(渇愛と無明)を滅ぼした人は生まれ変わらないし、
生まれ変わりの原因を滅ぼしていない人は永遠に意識が
過去に行った善悪の行為に従って地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天に再生するとされる。
魂の概念は仏教には無く、仏教では意識が業の善悪に従って再生すると説く。
ちなみに意識は肉体に依存するので肉体が滅べば意識も消滅する。
前世の記憶は深い瞑想により獲得される神通力によって思い出す事ができるとされてる。 ちなみにブッダは輪廻転生を否定していないしむしろあらゆる所で説いてるよ。
「ブッダは輪廻を否定した説」は主に学者が唱えてる説で、伝統的な仏教の立場からは邪見に分類される。
伝統仏教では僧侶が輪廻を否定しようものなら、
その僧侶は邪見者という事で説法する事を許されなくなるらしい。 ごめん、
>生まれ変わりはないよ。当たり前のことだけど、死んだら無になるだけだよ。
>世界を認識したり、自己を認識したり、物を考えたりする作用は、
>脳の活動によるものだから、死んでその脳がなくなっちゃったら、単に無になるだけで、魂なんてものはないよ。
ここまでは邪見ね。その後言ってる事はよく分からなかった。
ただ肉体の「自分」が死んだ後の「自分(元々の他者)」に何の関連性もないというのは仏教的ではないな。 輪廻転生についてブッダは、「無記」として思索すること自体を退けているのだよ
仏教は苦から脱することを本分とするので、死後の生命がどうなるかは
どうでも良いこととして結論している
そんな、どうでも良いことをなぜ仏教をやるうえで考える必要がある もし仮に輪廻転生があったら
現在から過去に
生まれ変わる事は出来ないの? >>187
時間の不可逆性からそれはできないだろうなw 生まれ変わりがまず無理だろ、ニューロンに電気的な信号が走る物理的な作用の結果でしか無い
意識がどうやって別の個体に引き継がれると言うんだ 生まれ変わるとか嫌なんだが
「自分」はもうこの一回だけでいい 『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
思索的な哲学書として読んでも面白い書物だと思います。
イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
特定の宗教に依存していないというだけで洋の東西問わず様々な宗教・思想を寄せ集めたに過ぎない代物
そういう本はブームで山ほど出版されてた、神がペンに乗り移ってなどと言う主張さえなければ
内容自体は劣悪というほどでないが >どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
それについては、作者本人が否定してたはずだが。
シリーズの何冊目かで、「じつはそうではない」ということになったはず。 >>192
たしかに、精神世界本の、よくいえば集大成、わるくいえば寄せ集め >>191
>私自身、しばらく後に、
(レビューだけは見ましたが)全く買う気の無かった『神と一つになること』という本が、勝手にamazonの買物カートに入ってたという、
いまだに全く理解・解明できない不思議を体験してから、
これは、やはり人知を超えた意志を持つ本ではないかと、ほぼ100%という確信を持って信じるようになりました
すげえな
なんという奇跡(笑) 「神との対話」は全て読んだよ、始めの頃は誰もが同意できるような倫理観が記述された無害な内容だと
思われたが、徐々に筆者自身の主義主張、押し付けのオンパレードと化してきた感がある
なにしろ神さまが具体的な質問について明快な答えを断定的に語っていくからね
これがベストセラーとなった理由でもあるんだが 今お前らがあるのは生まれ変わりのシステムのおかげ
過去に死んだら必ず生まれ変わる
しかし日本では少子化で受け皿がないので余剰人員は人口が多い他国で生まれ変わる
まれに前世の記憶があることでそれを裏付けてる
生まれ変わることのできるのは知能がある程度発達した生物だけ
但し太陽や地球の重力や磁場が影響を与えるので、地球を飛び越えて生まれ変わる場所を選べない 重力の影響を受けるなら魂たるものは物理的実体を持つ存在な訳か 物だけじゃない空間すら歪める重力の力に逃れる術はない
魂も同様だ 魂が物体じゃないとしても重力から逃れられない
魂が物体だとしても重力から逃れられない
確かに理にかなってる
ではブラックホールには魂が濃縮しているのか? 魂が観念的なものであっても重力から逃れられないのか 観念的なものはどこから発生してるか
人である
人は重力から逃れられるか
否である
観念的なものも同様である 重力は知らなくとも人は大地に縛り付けられているのを体感できる。
だが魂を感じることができるのか。 とにかく死を恐れる必要はない
今この時間も命が誕生しているのだから
記憶が消えて新しい命となることに何故怯えるのか
なぜ理由が必要なのか
記憶が消えることは消滅ではない
新しい脳を得るには以前の記憶が邪魔だからだ
さあ逝こう 記憶こそが自分であり魂だと言う認識を多くの人のが抱いている。
だから脳死を死として扱うし痴呆を恐れて自殺する人もいる。
記憶喪失は語感と違い記憶自体は失っておらず上手く思い出せないだけの一時的な症状故に死と見做されていない。
良くあるデタラメな知識で書かれる三文小説の記憶喪失は実際は無い。
本格的に全ての記憶が思い出せない場合は他の脳機能にも重篤な障害が起こり周りから見れば明らかな障害者のような振る舞いを起こすからだ。
そうなった場合は周りから見てその人物は半ば死んだに等しく扱われる。 >>210
分からないなら無理して読むなよ。
虫ケラが。 >>211
生まれ変わりがあるのかというテーマなのに誰が記憶喪失なんか掘り下げろったんだよクソ
死んだ後の話をするところだろうが だから君はバカなんですよ^_^;
理解できないならここから出て行きなさい。
ここは哲学を語る板です。
バカな君には理解できない世界があるんだって理解してね。 生まれ代わりの証明に多くの人間が前世の記憶を持ち出すでしょ?
違うの?
ボクちゃん?
わかったら黙って出て言ったら?
バカなんだからみんなの邪魔しちゃダメでちゅよぉ >>214
ボクちゃんは他人と自分を混同しちゃダメでちゅよ?
自我と他我を混同するのは幼児期まで。
それを過ぎたら他我の存在を認識ぢて自我が形成されていくんでちゅから。
こんな基本的な事も知らずに哲板で煽ろうとしても揚げ足取られるだけだからw
ギャハハハハハw 脳科学や心理分析の専門化でもないクセして場違いなところで記憶障害についてつらつらと
この調子だと周りから馬鹿扱いされてるのも分からないんだろう >>219
脳科学なんて良い加減で基礎心理学と同じで碌に役に立ってないのも知らないんだろ。
オカルトじみた精神分析と同じで勝手に自己解釈してデタラメ語る茂木が良い例。 大体心理分析ってなんだ?
精神分析の間違いか?
分析心理の間違いか?
ユングにフロイトなんてどっちも似非科学のレッテル貼られてるだろ。
大量の訴訟に負けてラカンも精神分析は終わったって泣いてたの知らんのか。 ロクに知識を学ばず勝手に他の人間も自分と同じバカだと思い込むなってこった。
お前相手じゃバカなこと言っても下地が違い過ぎて失笑しか出てこねーわ >>219
おいどうした。
チンカス。
何かまともな事は言えねーのか。 鏡像段階(仏:stade du miroir)論とは、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、鏡に映った像(仏:signe)が自分であり、統一体であることに気づくという理論である。
一般的に、生後6ヶ月から18ヶ月の間に、幼児はこの過程を経るとされる。
幼児は、いまだ神経系が未発達であるため、自己の「身体的統一性」(仏:unité corporelle)を獲得していない。
つまり、自分が一個の身体であるという自覚がない。言い換えれば、「寸断された身体」のイメージ(仏:image morcelée du corps)の中に生きているわけである。
そこで、幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく。この鏡とは、まぎれもなく他者のことでもある。
つまり、人は、他者を鏡にすることにより、他者の中に自己像を見出す(この自己像が「自我」となる)。
すなわち、人間というものは、それ自体まずは空虚なベース(エス)そのものである。一方、自我とは、その上に覆い被さり、その空虚さ・無根拠性を覆い隠す(主として)想像的なものである。
自らの無根拠や無能力に目を瞑っていられるこの想像的段階に安住することは、幼児にとって快いことではある。
この段階が、鏡像段階に対応する。 もう少し短くまとめればいいと思うけど別に鏡じゃなくてもいいじゃない
鏡が無かった時代でも水に映った自分の姿を早い段階から自覚する
例えば川で水を飲むとき
水を補給することは生物にとって毎日であり命には欠かせない
それにいちいち驚く動物はいない
つまり自覚しているから バカだな。
ここで書いてある鏡とは他者だ。
他者に映り込む自我、自分に映り込む他我。
>>1の言うところ他人から見た自分って奴を哲学として扱った例をあげてんだよ。
これがラカンであり精神分析。 そして水に映った自分に動物は良く驚く。
人間も幼児期は驚く。
本当にデタラメばっか言う奴が多いな。
こんなんテレビ番組やらでも動物に鏡見せて威嚇したり興味深く見る姿を実験と称して流してるやん。 他にも現時点の自我とは常に他者に写る自我と自我に写る他者の間に揺蕩うもので社会生活をするものは他者との関係の間に自我は存在するとも。
だから人間とは集団としての自我を持つ社会性動物だとも。
集団幻想とかイデア論を引き摺ったりユングの影響が強い話だが。 >>227
バカはお前だ
ダラダラ長文がウザいとステゴザウルスのような鈍い頭に
遠回しに言っただけだ早く気づけよw >>230
おいおいまだ一冊も本読んでねーの?
本当に馬鹿だな。
何一つ理解出来ねーで馬鹿にされる為に書き込んでんだなw
本当に馬鹿w
ギャハハハハハw こんな猿並の知性のやつが哲学に関わるべきではないな
学問に対する侮辱だろう ギャハハハハハ教授の濃いキャラが素晴らしい
もっと崇拝して自分語りをさせるんだ
教授もそれを望んでおられる
さあ続きをドウゾ
↓ >>236
悔しいのか?
でも君が馬鹿で尚且つ学ぶ意欲持てないのは俺のせいじゃ無い。
教育をしなかった親を恨めよ。
哀れだな。
5chですら自尊心を保てず砕かれるほど馬鹿だと。 ある人が絶対に生まれ変われると悟って
後悔し満足せずに今の人生を送ったとします
そして
その人が未練を残して死ぬとしましょう
省略
2パターンしかありませんね
生まれ変われる真理か
生まれ変われない真理です
そして
もし生まれ変われないほうが真理とすると、
限りある命をだらしなく生きたその人の人生は
何も達成できないままの悲しい人生と言えますね
そして
もし生まれ変われるほうが真理としても、
過去に限りある命をだらしなく生きたその人の人生は
何も達成できないままの悲しい人生と言えますね
さらに
新しい人生に活かすことができる体験を何一つ覚えていない点で
前世よりも何倍も途方にくれる人生を体験するはずです 今度は逆に
ある人が絶対に生まれ変われないと悟って
悔いのないように満足できるように人生を送ったとします
そして
その人はとても満足して悔いなく死ぬとしましょう
生まれ変われるか生まれ変われないかは
ある意味で宇宙によって定まっているものとしますが、
2パターンしかありませんね
生まれ変われる真理か
生まれ変われない真理です
そして
もし生まれ変われないほうが真理とすると、
限りある命を懸命に生きたその人の人生は
素晴らしい人生だったと言えますね
そして
もし生まれ変われるほうが真理としても、
過去に限りある命を懸命に生きたその人の人生は
素晴らしい人生だった
さらに
新しい人生に活かすことができる体験を覚えている点で
前世よりも何倍も悔いのない満足できる人生を体験できるはずです つまり
生まれ変わっても生まれ変われなくても
一連の人生の流れは変えられず同じことを繰り返すだけで
変えられるのは内容だけ
どう生きるか、だけなんです
意識というのは主観や記憶を意味すると思うけど
意識を引き継ぐことができたとして
引き継ぐまでに知らないことは
生まれ変わった後も知らないのです もしタイミングを逃して得るものを得られずに過ごし
あとでこうすれば確実に取れるとわかったとしても
来世でも同じこと
そのタイミングが来ても気付かず
取り逃がしたあとで後悔するだろう とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
W1AHY 物理として生死はないからないあ。
生まれ変わりという前提自体が成立しない。 仏教云々とあるので、ちょいと書いとく。
所謂「生まれ変わる人格の主体である魂」などと言うものは、
仏教ではプトガラ派という連中がかつて唱えたが、八宗の祖たる龍樹菩薩により論破された。
仏教でいう輪廻とは、確かに「生まれ変わる」という話なんだが、
先にも出ているように釈尊は十四無記を説かれた。
だが、初期経典群の中では明確な記述はないらしく、龍樹菩薩は「釈尊は有るとも無いとも説かれた」と記されている。
以下は個人的な仮説だが、
個別の魂が生まれ変わるのではなく、一切の色界が相依性であるように、
意識界の一切が相依、則ち複雑に係わりながら仮に形成している、
これを輪廻と言うのではなかろうか。
これを「物理的な話ではなく、文化的、認識上的な話」としてもいいが、
釈尊は墓所でも説法され、また霊的な存在を相手とした経典もあるので、
仏教的には霊的な事象を全否定はしない。
というか、そうした法が伝承されてるから、実際上認めてんだけどね。(笑)
この話に限らず、宗教というのは記述不可能なとこが多いから、俺も含めて断定した記述はまず間違いだと考えて良い。(笑)
要はどういう話かというと、死後の意識は有る人もいるしない人もいる。それらが
空中の窒素が窒素固定するように
生まれ変わるということではないかと俺は解釈しているって話だ。
(^。^)爺だから冗長なのは勘弁な。(笑) 鳥間違えてた。
あと、「当時の常識だった輪廻転生に沿って説かれただけで、現代では転生云々など必要性はない」という人もいますね。
(^。^)ここまで行くと、少なくとも呪法に携わる仏教僧からみれば外道です。(笑) >>246
感情や人格を持つ存在としての同一性の問題だろ
お前はその辺に転がってる石と人間生命を同列に扱うべきだとでも言うのか >>249
物理として石は人間と差異として実在するだけだからなあ。 なら貴様を石ころと同様に扱っても文句はないだろうな
ソシュール辺の主張しだしたことを部分的に切り取って得意に語るザコが多すぎて困る まぁ人間存在なぞ所詮、差異の体系と言って意味もなくぶん殴る訳にゃいかんわな 人が感情的な存在として生きてる以上、物理として生命を考えてもしょうがないんじゃないか
生まれ変わりというのもその意味において関心を集めるものだろう
存在とは原子や素粒子の集合で、死んだらそれが散り散りになるだけと言うことなら
問題にすらならない 全ては単純な物質である、そんな小学生でも言える結論をドヤ顔で語られてもな >>263
哲学の出来ないお前のようなアホにお似合いだな 人によりけりだよ、というか夫婦の信仰形態とかにもよる。
男性は恋人が多いと生まれ変わり自体依存しないさ。
女性は固め産ちができる時期もいいかもね。と思うけど血統的妙味の方がいいよ。 物理は湿潤気候ではきつそうだよね。そもそも高校ぐらいのカリキュラムで
一生食うてける?破たん財政の元凶はよくないよ。 来世は女性になれますように
男みたいな下品な動物には二度となりたくありません 男と女の体作りを交互にするのは難しい宗派もあるよ。 性転換より 性変換 ぐらいの世紀はもともままで何かが増える方がいいなあ。少し。 さすがのアリスもここまでばかじゃない
なりすましだ、と思うが。 生まれ変わりがあるということは
神の存在は証明される あったら良いなと思える人もいる。
無いけど。
>>278
? わからないうちに連れ出され
いつ命を終えるのかもわからない。
生を楽しむしかない。
楽しめる環境にあるだけ幸せかな。 ダライラマぐらいしかやったの、聞いたことないな
あれぐらい高徳でないと生れ変わらないみたいだ 洋の東西を問わず、輪廻転生、再生という信念を持ちたがるヒトというものは
どこまで傲慢なのかと、その業の深さに驚かされるが
生存の原理とは自己保存と快楽追求であり、その真逆に位置する死は忌み嫌われるもの
ヒトは生への執着から死を克服したいと言う願望を抱き、普遍の原理として
生まれ変わりという観念を精神に生じさせたのだろう 魂の不死を信じていないと、生まれ変わりをすることができない
死んだらそこで終わりなら、生まれ変わることがないから
魂によいことは徳を積むことだと言われている
ボランティアなどすると、魂によい影響がある
徳を積もうと思ってボランティアをすると良い つまり、キリスト教やイスラムを信じている再び地上に生まれ落ちることはない
死んだら天国か地獄にいくと教えられているから 生まれ変わりがあるかどうかなんて問題にもならないだろ
誰も誰それの生まれ変わりである記憶なんてないんだからないと言うしかない 私はあるって言った神だれだっけ?
キリストはアルファでお目目がオメガやろ? 物質やエネルギー同様クオリアも再利用されているとは思うが
統合されたり分裂したり物質依存の記憶もなくなるから
生まれ変わった感じを持つことは滅多にないだろうね 生まれついて盲目の人が見る夢は音声のみだと言うんだけど
この事実から導かれることは、一切の映像素材を得ずして映像観念が脳裏に生ずることはないと言うこと
仮に幼児が違う人生に繋がる何か特殊な情景を記憶している事実があるなら
それは現実に目にした何かと結びつけて新たな記憶を作り出していると考えられる
他方で、新たな映像記憶を積み重ねてゆく段階で魂に記述された前世の記憶がそれら素材を利用して
過去の記憶に近い像を結んでいると仮定することもできる 前世が昆虫だったら複眼で見た世界の記憶があるのかな?
人間でも四色型色覚だったらとか、想像がつかない そういう記憶のある人間はいないから生まれ変わりはないだろう 死ぬと生まれ変わるぞ。
人間の場合だと大抵その辺のダニとかに生まれ変わる。
記憶は無くなる。
というより、そもそも記憶も体も、君の所有物ではない。肉体(主に脳)に記録されてるだけなんだ。
死ぬと記憶媒体(肉体)から魂が切り離される。それによって、記憶は無くなる。
魂とは何かというと、別次元の物なんだ。
自分は自分であって自分でない。
なんで人間(動物)には魂があると思う?
例えば、数学で「虚数」ってあるだろ。「虚数」は概念でしかないけど、虚数を代入する事で解決、または辻褄が合うという物はとても多い。
魂とは、数学で言うところの虚数にあたる。概念。
生物を動かすにあたって、辻褄を合わせるために出来上がった概念。それがいわゆる魂です。
物的なものでは無いけど、存在する。ってこと。
原理的に、物質界までの生物には理解が出来ない領域の話。 話を戻すと、生物が死ぬと、魂が剥がれる。魂に記憶なんてものは無い。
個性なんて物もない。
君と僕は今ちがう肉体に乗り移ってるから別の個性があるように見えるけど、実は君と僕の魂はまっっったく同じモノだ。
君の魂は僕であり、僕の魂は君であるとも言える。
抜けた魂は、次の生物へ即座に結びつく。
ルールは定かではないけど、この次元の物理的なルールに則って考えると、死んだ生物から一番近い生物に乗り移る。
例えば大抵の人はベッドの上で死ぬので、ベッドで生まれたダニに魂が接続される。
っていう仕組みだ。
君が死んで、遺族は悲しんでシーツをギュッと握るシーンがあるかもしれない。その時、君はそのシーツの上で元気に生きるダニだ。
運悪く、泣いてる君のお母さんの手に踏み潰されて死ぬこともあるだろう。
そうしたら、また君のダニ人生は終わり。さっき死んだばっかりなのにね。
まぁでも、そんなのはよくある事。何十年も魂と肉体がリンクしてるパターンの方が珍しいんだよね。
で、君はダニ人生を速攻で終わらせたのち、次は踏み潰したお母さんの手の、爪の細菌に生まれ変わるかも知れない。
とまぁ、こんなプロセスを経て魂は何回も、無限に生まれ変わる。(肉体間移動を繰り返す)
次に人間になるのは遥か先かもしれない。
まぁでも、人間以外の生物も楽しいよ。野生動物は大変そうとか人間は言うけど、本人(?)は外野が見てるほど卑屈に感じてはいないよ。
彼は彼として彼の世界で生きているのだから。 人間よりもダニが下等なんてことはない、そんなものは勝手な偏見だ >>296
下等だとは言ってないけど、言い方的に見下してる感はあったかも。すまねぇ
まーでも生物が淘汰システムで動いてる以上、大なり小なり自分の種以外の生物を見下してるもんだと思うよ。人間に限らずそれはありそう。 まてまて
人間よりダニは下等だろ
お前は親をダニと一緒だというクズなのか 例えばお前を殺して食って俺の肉体に取り込まれる
嘗てお前の脳みそだったたんぱく質が今では俺の肛門の括約筋に変わったとしてそれはお前なのか
断じて違う
お前がお前である証はお前の記憶であり情報だ
お前の云う魂とやらがあったとしてもそれは電機やたんぱく質と変わらない唯のものだ
それは栄養源以上のものではない
それが犬だろうがダニだろうが人であっても等しく価値は栄養素以上のものではない
そんな魂とやらを後生大事に語ってどうすんだ
ボケ! ダニはダニで人間は人間
同じではない
つまり価値も違う 信じて貰えないかもしれませんが、自分に魂が入った時を覚えてますよ。その直前も。誰にもまた、親にも言ってません。妻に話したらやっぱり信じてもらえませんでした。 勝手に書きますね。このまま妻と子供にだけ話して、墓場まで持って行こうと思いましたが、真理に近いことを話している方がいるので、また私と皆さんの疑問を解くキッカケになればと思うので書きますね。同じ体験をした人がいたら良いんですが。 一番最初の記憶と呼んでよいのか分かりません。何故かと言うと体の記憶と魂の記憶は最初は違うのです。だから魂の記憶から書きますね。
まだ体に入る前の時です。私は光の中にいました。物凄い光の渦の中です。銀河をギュウギュウに圧縮したような状態を想像して下さい。その中を私は凄い速さで飛び回っていました。 集まっていたのは一つ一つが光輝く魂でした。
当時は分かりませんでしたがすべて魂なのでしょう。でも、皆少しづつ違うんです。動く速さや、光の強さや、色そのものや。落ち着いて漂っている方がほとんどでした。程々の距離を保って集まっていました。どれくらい集まっていたのかは分かりません。
目はないんですが、感じ取れる限り見渡す限り光の渦でした。 その中で私は凄い勢いで飛び回っていました。他の誰より輝きが強く、一回り大きく、誰よりも速かったのです。光と光の間をまさに光の速さで飛び回りました。また、ぶつかりそうになりながら、時には他の光を押しのけて、またぶつかって他の光を離散させそうになることも。 弱々しく小さい薄ぼんやりした魂とぶつかった時は、その魂はバラバラになりそうでした。そうすると近くの魂が周囲に集まって光の形がなくならないように支えているのが、見えました。
他の魂より大きく強い光を放っている魂にもぶつかって行きました。私よりも倍くらいある大きい魂です。それすら打ち勝ちました。
私のエネルギーの密度が高かったのでしょう。でも後から考えると相手は私とぶつかろうとは思ってなかったのでしょう。 そうするうちにと言いたいのですが、時間の感覚は当時はありませんでした。永遠と続いている感じはありました。
私が近くを飛ぶと皆ほんの少し距離を置く感じになりました。私は周りの魂は皆だれか知っている感じでした。ただの光にすぎないのですが、ボンヤリとした感情が伝わって来て、見ただけでなんとなく誰だか分かるのです。 スマホで直接書いているから少し疲れました。誰か見ているのかな? ちなみに私は無宗教です。逆にすべての宗教は八百万の神のようになるべきとおもってます。この世の前を見ているので現世の神を信じる気にはなりません。
私は周りの魂が少し引いてくれることで、さらに速度を上げて飛び回りました。皆私の力を恐れたと思ったのです。 調子に乗っていたのでしょう。私が飛び回ることで、魂と魂の間に徐々に隙間が出来て来ました。物凄い密度で魂が集まっているはずなのに、なぜかその隙間には落とし穴のような空間が出来て来ました。
私が飛び回ると落とし穴のような空間がいくつも徐々に出来て来たのです。落とし穴のような空間もどんどん広がって行きました。それでも懲りず私は更に魂を押しのけて飛び回りました。 でもその時はるか彼方の先から私に向けて声が響き渡りました。私の魂に直接訴えて来た声?でした。私は狼狽えました。今まで感情は互いになんとなく届いても、明確な声?など感じたことはなかったのです。 その声の主は遥かに密度の高い光の集まる、遥か先の高い所?と思われる所から響いて来たと感じました。感覚的に声の主は私の何万倍も何億倍も明るく大きな相手だと分かりました。 その声の主は言いました。なぜそんな力を持っているのに高みを目指さないんだ。なぜ他の魂を恐れさせるのだ。
私は私がすることを邪魔するその主が嫌でした。敵うはずもないことが分かっていたので逃げ惑いました。
そうすると私の周りから他の魂が離れ逃げ、言わば周りが魂の壁のようになりました。
声の主は言いました。以前から他の魂を怯えさせるのは止める様に言ってきた。それでも懲りずやっている。 私はハッと思い返しました。確かにその様なことを何度も意識に伝えられていたことがあったと思い出したのです。でも私は抵抗しました。その主の言うことを聞く気はない、邪魔するな、あなたにその権利はないと明確な意識を送りました。
主はこう言いました。ならば彼方の世界に送るしかない。一度向こうに行ってこいと。私はまだ彼方の世界を過去体験した感覚は一度もありませんでした。その時物凄い恐怖を感じました。全く未知の世界に送られる恐怖です。 ちなみに先に書き込みがあった魂と魂はつながっているは正しいと思います。こちらに来る前は確かに魂同士は光の中である意味一つでした。空間に光の濃淡があるだけでした。
主から私は逃げようとしましたが、周りは魂の光の壁になっていて逃げられませんでした。
私が作ってしまった壁です。魂のない私の周りの空間は黒い暗い落とし穴になりました。
そして、どんどん虚無が濃くなって行き私を支えるものはなくなりました。
アッと思った瞬間私はその虚無の落とし穴に落ちたのです。 すべての生き物に魂があるかは分かりません。なぜなら体だけの生き物と魂と結びついた生き物がいるからです。そのことはこれから話します。
私は落ちました。?落ちたかは分からないですが、飛ばされた、落ちたどちらに近いと言われれば落ちたが圧倒的に近いです。
落ちた瞬間、私は光る何かを見上げていました。あちらの世界に近い光る物です。一所懸命手?を伸ばしました。
その時、大きな大きな巨人に掴まれ抱えられました。「あれ?あれ知らないの?太陽だよ。たいようって言うの。初めて見たの?」巨人は二人いました。 巨人はたいようを知らない私にびっくりして笑っていました。私はなぜ笑われているか分かりませんでした。そして父は私を地面に下ろしました。なぜだか分かりませんがその巨人が父と私は分かりました。
地面降りた私は前に進もうとしました。
その瞬間体が重くなりまともに動かなくなり全身で前に転びました。
体が言うことを聞かないんです。
あちらの世界では自由にあらゆる方向に思うがままに飛び回れたのに。 生まれ変わりというのは二度と子宮の中にいないし親が死んで子孫が生まれる
という意味だ。 私は再び起き上がり先に進もうとしました。しかし、何歩も進まない内に体が言うことを聞かず、何度も転んでしまいました。
幾ら繰り返しても自由に動けませんでした。なんで?どうして?あちらの世界ではあれだけ自由に素早く飛び回れたのに⁉︎私は自分自身と見て何か意味が分からないことを話している巨人に怒りが混み上げました。
本当に屈辱と恥ずかしさともどかしさで泣きじゃくったのを覚えています。 私は小さな頃からかなり記憶力が高かったと感じます。今まで話したことが、もっとも小さな頃の記憶と言いたいのですが、実は違います。
体の記憶が詳細にあるのです。お乳を吸った記憶。哺乳瓶が嫌だった記憶、寝返りがようやく出来て嬉しかった記憶、目の前をオルゴールが回っていた記憶…等。詳細に覚えています。
親に話した時も覚えているはずがないと否定されましたが、詳しく話したら驚いていました。
でもそれはすべて動物的な記憶だったように感じます。言わば本能です。
しかしながら、初めて外を歩き、魂が入った時からの記憶は今までと違う気がします。 魂が体に入って直ぐに思ったことは、この世界と自分との違和感です。今まで光の世界にいて精神世界の速さと明るさに慣れていたのに、いきなり醜い、自分も含めていかにも鈍重な世界に投げ飛ばされたのです。
二人の巨人=親にも、自分の体にも、この世界にも物凄い違和感と嫌悪を感じました。
しかしこのまま過ごさなければなりません。私自身ではどうにもならないのです。
そこからは必死で素の自分を取り戻す為に努力しました。何しろ歩く事、話すことつまり意思を伝えることさえままならないのですから。意識を口で話さないと伝わらないというのは衝撃でした。 事実の記憶と、それを後に得た魂や転生のイメージによって補完してる記憶があるんじゃないか
間に事実が入ってるから全てが体験したことだと思いこんでいる 当時は転生なんて知識はなかったので、あれは何だったのだろうとずっとある程度の年齢まで疑問で仕方ありませんでした。
体の記憶と魂の記憶が一致しないのは今思うと完全に魂が体に入り切っていない為かもしれません。微妙にズレている為かは分かりませんが、昔から霊感はほんの少しですがありました。
また、もしかすると小さい頃の記憶が皆無くなるのは体と魂が結びつくことによって記憶がリセットされるのではないかとも考えました。体と魂のズレがあるためリセットされなかったとも考えられます。 霊感の話しですが、全くの気まぐれで予感を感じることがあります。何かありそうではなく、明確にある、起こるです。
残念ながら日本や世界の出来事ではなく、身近なことだけです。起こることは近親者には話してます。
先ず初めは私の病気でした。感じたのは8歳で私の二十歳前に命の危険があると分かりました。タイマーの様に時間が経ち、まさかと思いましたが当たってしまいました。おかげで開胸オペです。オペは2度しました。 ああっ、やっぱりそう言うことなんだと思いました。それからは分かったことは話してます。
祖父の時は予知夢で枕元に立ちました。病気と知らされてなかったのですが、実家に電話をしたらやはり先ほど亡くなり、タイミングが良すぎると。
義理の母は亡くなる理由が夢で分かったので妻に話しました。認知症でしたが亡くなった直接の原因がそのままでした。
もう一人の祖父の時は起きてる時にピンっと来たので妻に話しましたが、まさかとのコメント。明日から旅行があったので無視しようと思いましたが、やはり実家から電話があり旅行はキャンセルに。
人の体の悪い所が見ると分かるとか、目を凝らすとオーラが見えるとか、よく見ると霊が見える時があるとか細かく話すとありましたが歳を取るにつれて衰えました。
ある人に霊が付いているか見て、と言われたので肩に緑の小鳥が乗ってるね。足元に猫がいるよと話したら目がまん丸になりました。有名な霊が見える人にこの間全く同じことを言われたとのことでした。 私は完全な理系です。大学も都内の国立大を出て生物を専攻し、現在も最先端の生物関係に携わって仕事をしています。
論理に矛盾することは納得いきませんし、すべて科学的に理論立てて考えないと気が済まない性格です。生物学の観点から過去の体験を20年以上にわたって考えましたが全く結びつけることは出来ませんでした。
なぜなら現在の生物学は分子生物学つまり化学を基礎とした考え方から出来ているからです。
人間の神経活動、記憶は電気信号とシナプスからの神経伝達物質の放出と受容体の受け取りから成り立っているので結局の所、化学からは抜けられませんでした。
人の記憶は凄く曖昧です。自分に都合の良い方に改変して過去を書き換えてしまいます。私にもその傾向はあると思います。 形而上学と言う哲学の言葉を具体的に聞いたのは初めてだったので、wikiを少し見て非常に勉強になりました。ありがとうございます。哲学は私には非常に難しく内容はまだ良く分かりません。これから勉強します。我思う、故に我在りに近いのですかね。
ただ過去の経験を何かに当てはめたいのですが、今だに正解がなく模索中です。今まで近いなと思ったのは平井和正の幻魔大戦かインターステラーです。 >>331
何も知らないところからwikiだけ見て形而上学がわかったなら凄いわw
俺は分からんかった。まあ有り体に言えばあらゆる存在には「イデア」的なものがある言うことや。我々の目の前にあるものには質量があり、それは制作されている。
存在は根本的に制作されたものだということ。 理系なら「自己再帰性」という言葉をご存知だろうと思う。生物には自助作用がある。オートポイエーシス「自動的な制作性」「自己再帰性」やね。
つまり怪我したら勝手に白血球が傷を直してくれるし、社会的には誰かがゲロ吐いたらその場にいたやつが全員ソッポ向いても自然に片付けられるとかw
自己再帰性ね。このオートポイエーシスのポイエーシス(制作性)が形而上学に寄っている。 物事の根本には質があり「イデア」がある。
アリストテレスやプラトンは古代ギリシャの哲学からではなく(タレースから始まる、ほとんど自然に寄っていた)、イタリア半島のソフィストから着想を得たらしいね。
捻くれているというか、このプラトニズムからのアリストテレスの第一哲学がやがてキリスト教神学にもデカルトーカントーヘーゲルまで形而上学を貫いた。
それに対してマルクス「唯物論」が登場したのや。プラトンやアリストテレスの場合、存在のイデアや第一形相に至るまで、
「存在=被制作性=現前」というのは自然が制作してきた形相にヒュレーが加わって、それを人間がその形に至るように、なんていうか合わせていくべきだと言うのが形而上学。 ありがとうございます。あっ、それは何となく感じます。この世はある意味物質で理論的に構成されていてそこには何らかの背景があるような感じがするんです。
最近の物理学の一つの説では現実世界は上位次元の投射つまりホログラフィーだと言う説がありますが、それに近いかも。ただ私の経験はあくまで経験論で統計学的には有意差はないので誰か近い体験をして科学的に教えて頂ける人はいないのかな?と思いました。
形而上学は考え的に精神論と物質理論が融合していて凄く面白いですね。最新の形而上学を勉強したいと思いました。 >ありがとうございます。あっ、それは何となく感じます。この世はある意味物質で理論的に構成されていてそこには何らかの背景があるような感じがするんです。
そうっすね。ぶっしつの設計者がいて我々はその設計図の完璧なイデアに到達するために生きているつうことらしいね。
>最近の物理学の一つの説では現実世界は上位次元の投射つまりホログラフィーだと言う説がありますが、それに近いかも。
これこそ形而上学的な発想やわw
>ただ私の経験はあくまで経験論で統計学的には有意差はないので誰か近い体験をして科学的に教えて頂ける人はいないのかな?と思いました。
ここらへんはカントやね 「形而上学的原理」から「超越論的主観性」
神を排除し、神的媒介を抜きにして、人間理性と世界構造の対応をとりつける。人間が認識するのは「物自体」(それ自体においてあるがままの物)の世界ではなく、
人間の認識能力に間尺を合わせて現れてくる「現象」の世界、現象界でしかない。つまりは
現象=材料➕形式→人間はこの形式的側面に関してなら、一々経験しなくとも、明確に知ることができる(カント) >人間が認識するのは「物自体」(それ自体においてあるがままの物)の世界ではなく、
人間の認識能力に間尺を合わせて現れてくる「現象」の世界、現象界でしかない。つまりは
現象=材料➕形式→人間はこの形式的側面に関してなら、一々経験しなくとも、明確に知ることができる(カント)
なるほどー、人間の認識能力は限界があり現実世界さえ人間の認識能力に応じた世界しか見ていないということですね。
その言葉深く刺さりました。
誰もがその能力しか持っていなかったら、本質さえ改変して現状を誤って?認識されている可能性がある。
つまり絶対に現在の人の能力では有意差は出てこない と。
もしかして今いる私の隣に何らかの認識出来ない何かがある可能性はありますよね。過去の科学的認知不足による空気やウイルスみたいな物ですが…。今見ている世界が曖昧になって来ました(^^;) カント的には、物事の認識能力は人間の理性に根ざしており、限界があるというよりは人間の測る間尺も自然に根ざしているのだから、基本的には合致するハズ、みたいな。
人間理性=自然(現象)界の立法者、Not創造者
人間理性が及ぶのは、あくまで「現象界」のそれもその形式的側面に限られ、そのための材料は物自体に仰がねばならない。
受容の能力は「感性」
その受容の働きを「直感」
前の受容の形式は感性の「直観の形式」と呼ばれ、空間と時間がそれに当たる。
そうした空間的規定や時間的規定に関してなら、われわれは先天的「経験に先立って」知ることができる。
↓
幾何学と数学は、実は空間形式と時間形式とについてのアプリオリ(先天性)
そのようにして受け入れられた材料を整理するための能力が「悟性」
その整理の働きが「思考」 >>339
いや、凄すぎて頭がパンクしそうです。人間の経験則から逸脱した事柄は逆にいうと誰も予測し得ない事柄であり誰にも認知出来ないってことですか?カントとかアリストテレスはやはり天才ですね!
>>339さんは博学が凄いです。過去哲学を科学のベースにしたらもっと早く科学が真理に到達したような気がします。
私はまだ、科学、生物学、物理学に縛られた世界に生きているので、哲学のような世界観を持って世の中を見なければ行けないと思いました。 なるほど。あなたにとって人間の認識能力や認知能力の外にあるものに興味があり、人間の知り得ないものの存在をもしかしたら見たのかも、あるいは観たのかもしれませんね(*´-`)
なんか面白いです。 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」のマドレーヌを紅茶?か何かに浸した時の人間の感覚ですな(`・∀・´) 時間は相対的な物であり感覚も相対的な物。
ならば現実世界も相対的でありどう捉えるかは人次第との捉え方が正しいのですよね。
幸せも世の中の浮き沈みも老化も考え方次第。
二度の全麻オペでも彼方の世界を一瞬垣間見たのは気のせいかも。
一度はその為麻酔オペ中に起きてしまったんです。酷い目に合いました。
気のせいか、錯覚か、彼方の世界を見た気がするので死ぬのは全く怖くありませんが、逆に不老にも興味があるため生物学的に研究中です。
老化→アポトーシスの阻止の為にポリフェノールとビタミンCによる抗酸化作用を期待してレモンを浸した紅茶は良いかも。
ポリフェノールと言いつつウイスキーに日々浸かり、寝る前のビタミンCの今の生活よりマシですね(^◇^;)
楽しく勉強出来る会話が出来てありがとうございました。 34マーボ豆腐2019/05/22(水) 04:51:58.63ID:R39NmNdI
サティ 幼稚
35マーボ豆腐2019/05/22(水) 04:54:34.10ID:R39NmNdI
つきみ 知ったか
健二 私を厳しい目で見てるようだ
雹 哲学板の私のスレ来て私の悪口を書いて哲学板で広めてる❗
36マーボ豆腐2019/05/22(水) 04:55:17.64ID:R39NmNdI
でおー 宗教音痴 すべて気紛れ
37マーボ豆腐2019/05/22(水) 04:56:32.41ID:R39NmNdI
面白い人達が楽しませてくれておま。🙆
神様に感謝します🎵ぐない。🙆 人間単独では存在できないから感受性や知覚も何かから借り受けたものが、
物事を表象知覚しているということになる。 私思うんですけど、津波とかで一気にたくさんの人間が死んだら今度はあっちがキャパオーバーになるじゃないですか?
だから通常時より早く生まれ変われるかもしれませんね! なので地獄に行く予定の人も恩赦を受けて切り上げてくれるかもしれないですね!
良かったですね! 魂の量に限りがあると?
では、無限に人を産んでいくとある時点でピタリと生まれてこなくなる瞬間があるという訳だね >>1
なんかいい事言ってるねw
アルバムを見てると幼稚園、小学生、中学生までは普通に外見も悪くない少し可愛い系の少年だったが
思春期が過ぎてから高校生くらいから一気に顔が不細工になって20歳すぎて整形もしたが結局不細工から脱出出来ずorz
現世は不細工でモテないからもう諦めているけど、だからと言って自殺だけはしたいとは思わない。
ただ短命でいいとは思っている。死後は性別は問わず、その「自分」として認識出来る日を期待したい。
出来れば容姿に恵まれた自分としてね! >>1
死んで無になれば他人の自分を認識する
ここがおかしい
なにも認識することもなくされることもないのが無だからだ 有機物である限り転生できる可能性はある。
人間→植物→虫→小動物→豚か牛か鶏→人間
但し人間の本体は卵子なので女性に喰われる必要がある。
そして人間の本体は中枢神経系のどこかにある可能性が高い。
ガンダムのパイロットのようなものが中枢神経系のどこかに間違いなくあり、それこそが人間の本体。
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ヾ|l_ニ!ニlニ!-|=l_;_~!;;...: : :υ ) ̄""
┌、. / ヽ ー‐ <. ゆいちゃん
ヽ.X、- 、 ,ノi ハ まじゆいちゃん
⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ
入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
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∨´ `ヽ、 ノ ゙ヽ
∨ ヽ _,,..-'" `ヽ
∨ 〈-=、.__ } >>352
転生しても前世はどうだったと頭でちゃんと認識できてないなら無意味だな
それは全く別の人間と変わらない 死んだら死ぬだけだろ次の人生なんかない
何言ってんだ 東照大権現が歩んだ出世の街静岡市に来てみなよ!
今日のような冷えた日は富士山が驚くほどくっきり見えるよ! >>357
正しいものは天国にいける、昔から決まってる >>355
無意味かどうかは関係無い、イアンスティーブンソンの研究は冷徹な科学だから
生まれ変わりがあるかどうかと問われると、個人の願望と無関係に無意味でも生まれ変わりは存在する可能性が高い 仮に熟睡してる間にあなたの大好きなアイドルが(誰でも良いけど)チューしてくれたとする
しかし本人はグッスリ寝ている訳なのでそれを知ることはないので
そんな出来事は無かったのと同じになる
ここでもし誰かが意地悪心でババアが寝てるお前にキスしたよとウソを教えたら
むしろ嫌悪感にすらすり変わってしまうでしょ
事実っていうのはちゃんと自覚することができて初めて意味をもつものだよ 生まれ変わり後も自我の連続が欲しいっていうのはただの願望でしょ
願望の話をしてるんじゃないから
意味があろうが無かろうが、肉体を構成する物質が再利用されるように
意識も何らかの再利用されるか 意識もまたは物質によるものだけど分解されてまた同じ状態に戻るってことはないだろうね
川の水は同じように流れてるように見えてもやっぱり違う水なんだ 死の概念=言葉でのみ表現可能な現実にはあり得ない概念
死の状態=バランスが取れて動かず成長・進化しない状態
肉体=器
意識=形のないソフトウェアのようなもの
拡大=望遠鏡の如く顕微鏡の如く拡大するようなこと
死ぬと「違う生き方になる」根拠その一
生命(器)とは始まりと終わりがあるもの全て
無機物だろうが有機物だろうが関係なく
宇宙に存在するもの全て始まり終わる生命
肉体は同化するもの意識は拡大するもの
惑星に生まれた肉体は死後その惑星と同化する
意識は死後拡大し惑星と同化することもできるし
肉体という器に意識を拡大させれば
また肉体を操縦することもできる よく自分と他人は別々の存在ではなく根底部分で繋がってるとよく言うが、その根底部分のほうが自意識よりはるかに大きいのならば、自分は他人であるとも言えるし他人は自分であるとも言える。したがって自分が死んで無になったとしても、人類が1人でも生き残っている限り、それは自分自身であると言うことができる。 魂だとか生まれ変わりの思想は、自分が特別な存在であり未来永劫生き続けると信じたい願望に過ぎない。神の目線から見れば、特別なのは人類という種であって自我ではない。自我なんてものは玉ねぎの薄皮に過ぎない。自我が死ぬとは玉ねぎの薄皮が剥がれる事であり、玉ねぎ本体は腐り果てるまでずっと生き続ける。つまり死なんて概念は人類が続く限りそもそも存在しない。 おそらく自我の死とは自分の人生がどこかにレコーディングされることなんだろう。その記録は子孫に受け継がれ、その記録を参考に次の人生を生きる。したがって失敗も成功もそれぞれに意味がある。無益な人生なんてものはない。 そもそも地球には「人類」しか存在しないのに「自我」というセパレーターによって、他人と自分は全く別の存在であると錯覚してるんだな。それは幻覚である事は釈迦の昔から多くに人間が指摘してる。したがって自分が死んだとしてもそれは死ではない。死は人類が滅亡しない限りありえない。 根底部分で繋がってるなんて誰が言ってるんだ
魂だとか意識を共有してるとかそんなオカルティックな話はない 死≠命がなくなること・生命が存在しない状態
死=バランスが取れて動かず成長・進化しない状態
自己理念=夢・自分の生き様
拡大=望遠鏡・顕微鏡のような拡大
「輪廻転生と永遠のあり方」
人間の体に住む細胞と共生してる細菌やバクテリアは
死ぬと糞尿となって土と同化し人間の体は残る
日本国に住む人間も
死ねば焼かれて灰や骨は散骨したり骨壷に
入ったりして最終的に土と同化し日本国は残る
そして全人口がいなくなり国が全て滅び
地球が死の星となっても太陽系の一部として残る
このように輪廻転生 転生輪廻とは
死んであの世に還った霊魂(魂)が
この世に何度も生まれ変わるのではなく
肉体が死んで自己理念が拡大した時に同化した生命の寿命になる
これが輪廻転生と永遠のあり方である 死≠命がなくなること・生命が存在しない状態
死=バランスが取れて動かず成長・進化しない状態
自己理念=夢・自分の生き様
拡大=望遠鏡・顕微鏡のような拡大
「輪廻転生と永遠のあり方」
人間の体に住む細胞と共生してる細菌やバクテリアは
死ぬと糞尿となって土と同化し人間の体は残る
日本国に住む人間も
死ねば焼かれて灰や骨は散骨したり骨壷に
入ったりして最終的に土と同化し日本国は残る
そして全人口がいなくなり国が全て滅び
地球が死の星となっても太陽系の一部として残る
このように輪廻転生 転生輪廻とは
死んであの世に還った霊魂(魂)が
この世に何度も生まれ変わるのではなく
肉体が死んで自己理念が拡大した時に同化した生命の寿命になる
これが輪廻転生と永遠のあり方である 悪いことばかりしてると、来世は朝鮮人に生まれ変わる 人間は、死んだ瞬間に他の人間として生まれ変わるんだと思ってる。
人間の魂は人間にしか生まれ変わらないけど、また日本人とは限らない。
ちなみに約3分の1の確率で来世は中国人かインド人ということになる。 >>382
> ちなみに約3分の1の確率で来世は中国人かインド人ということになる。
現在の人口比率にとらわれてはいけない
少子高齢化が急激に進行する中国では、新生児の出生数が激減しており、かなり狭き門になってきた
来世はアフリカ人に生まれる確率が非常に高く、インド人がそれに次ぐ あほう、死んだら魂になって霊界(人間界と天界or魔界の間)にまずいくんや
外国では霊界のことを煉獄ともいってる、ダンテの神曲にでてくるやつな
そこで魔界に堕とされるやつと天界にいくやつに振り分けられる
天界では全てが満ち足りている
俗っぽい言い方をすると無限に金があってなんでも実現するみたいな世界
だから再び人間界に戻ってこなくても良いんだが
目的のない世界なのでわざわざ人間界に戻ってきて
苦労をしにくるやつもいる
だけど一度でも魔界にいったやつは二度とそこから出られない
なので襟を正して生きろよおまえら、 こんなの見つけた。
なかなか良いよ。おすすめ。
生まれ変わりと死後の世界。東大卒医師による考察
https://youtu.be/0J0M5BO5MXA 私というものは脳に蓄えられた記憶でしかない
したがって脳が消滅する時に全て消滅する
それで終わりだ 魂があったとしたらどんなものか考えてみよう
魂は物質ではない
重さがない
魂は脳ではない
魂には知能はない、思考はない、性格はない、意識もない
それらは脳の性質だからだ
魂はものを見ることが出来ない、感覚がない
こう考えてみると魂が持ってるものは何か?
何もない
したがって魂は存在しない 哲学的に考えるなら
むしろ「私」というものが幻想なのだ
「私」などもともと存在しない
もちろん生物の個体としての人間は存在する
しかし「私」は幻想なのだ
存在しないものを「私」と錯覚しているに過ぎない
もともと存在しないものは生まれ変わりようもない
したがって「私」は生まれ変わらない 宇宙ってビックバンから始まってまた収束して無になる繰り返しじゃん。だから生まれ変わりと言うより何回も同じ人生の繰り返し。死んでる間は時間はすぐ過ぎて寸分違わず生まれてくるからね。だから幸せな人は永久に幸せ。不幸ならずっと不幸 繰り返しかどうかは分からないが
宇宙の発生がもし繰り返しとしても前回の宇宙と今回の宇宙は別物だろう
というのは宇宙自体が偶然だから そうだ
神は何事も、サイコロを振って決めている
ニーチェも量子力学を知ったら、考えが変わっただろう この宇宙は、マルチエンディング・アドベンチャーゲームみたいなものだ
全体としての筋書きは最初からそろっているが、どの経路を通って、どの結末に到達するかは確率でランダムに決まる
もちろん、ゲームと違って、経路もエンディングも無数で膨大。どっちに転ぶかはやってみないと分からない DVDなどの媒体みたく情報が固定されているので永久に普遍だと思うけれど。量子力学も統計的に計算したら固定値に近くだろうし。まぁ、少しの揺らぎが全く異なる世界を作りだすかもね。分からねぇ〜 >>399
だから、「マルチエンディング・ゲーム」なんだよ
たくさんの経路を通って、無数の結末に到達するのだが、すべては最初からDVDに入っている
単に、そのときどきで、次はどの画面に進むかを選んでいるだけだ >>400
いや別に全部入ったDVDなんてないでしょ
もしあるならそのDVDを作ったのは誰?という問題に答えないといけなくなる >>401
おそらく、過去に行われた無数の試行例の、集大成なのではないかと思われる
データが残っているのだろう >>402
例えば1ミリリットルの水の中には10の22乗個くらいの水分子が入っていて秒速600メートルで運動して他の水分子と衝突している
この無数の衝突を全て観測して記録しているのか?
これが宇宙全部の分子だけ記録されていてしかも180億年分も? もうこのゲーム飽きたんだけどね?マルチエンディングっつうか、選択肢どれも選びたくない。嫌々選んできたともいえる。ゲーム機の電源引っこ抜いて窓から放り捨てたい。 >>403
そういうのは、確率でランダムに決まる
神はサイコロを振って決めている >>404
お釈迦さまによれば、そう思うのが解脱への第一歩 >>406
第1歩ぐらいじゃ埒あかないね。瞬間解脱したい。正式な解脱は合計1000歩ぐらいあるんでしょう?タルいなー。
しかし人生とか、バッドエンドだらけで、サイを振ってる神だけ楽しい気になってる。こっちは楽しくもないし苦労とストレスだらけで何にも得がない。地獄の一種? >>407
楽しいとか苦しいととかストレスは全て人間の錯覚
そんなものもともとない
それは脳が感じさせている幻覚 生まれ変わってもそれは自分の記憶を転写されただけの赤の他人 宇宙で自分が生まれて存在するという現象が起きる事実と
エネルギー保存の法則だけで証拠は十分
生まれ変わりはある >>409
今の自分も1時間前、1分前、1秒前の自分の記憶を転写しただけの赤の他人だけど それが自分なのか他人なのかの基準は人によって違うのか?
そうだとすると議論は難しいな >>412
だな、つまりやぁこいつは過去の俺だと言うことは普通に起きている
アカウントや貯蓄なんかも引き継ぎに関して考えるべきだぜ 何?毎日、毎分、他人のアカウントを盗み、貯金を盗んでいるということか? ん?そうじゃなくて亡くなった前世の自分の貯蓄やアカウントのことだよ
物理的に生まれ変わりが仮に立証できれば
それらを引き継ぐのは権利では?! それを誰と争う?
貯金は遺族が相続してるぞ
遺族と争うのか? 争う?物理的に同じ人間なら元からそいつの物であって法定相続人が権利を主張するが間違ってるということになる 現行法の話をしてるんじゃなくてメタな法理を論じている >>416
たとえ生まれ変わりが科学的に実証されても前世の故人の権利を引き継ぐ法的権利など存在しないが 転生ということじゃないの。特殊能力や魔法は遺産遺言もできる。
俺は転(落)死人。ベランダからオカルトダイハード三内に狂い飛びバッケンレコード。二階に天国の人はしってきた。
救急車の中で解脱真空体飛び。オペオペの実(力)は凄腕でした。 それで陰性とか陽性とか症状言われてる。急逝最期とか。月と太陽ね。憑きと大洋。 日の丸マグマPKビーム討ちまくってたから相手訴えない自業自得だろ。 生まれてかわるってことはあるさ。地獄の死神から、地獄の魔死神とか。
生々流転。死々急転。 >>422
だから現行法の話じゃねえって言ってるだろハゲ
法理論、法哲学をやってんだよ そもそも自分の意識自体が幻影だ
もちろん人間は存在するし脳も存在する
しかしながら自分という意識は脳が作り出した幻だ
そんなものはもともと存在しない
だから生まれ変わりもない 自分の意識とか魂が存在すると決めてかかってるところが間違い 生物の意識を担当する部位をとある素粒子が担当してるから自分の意識になる
その素粒子が自分
その素粒子が死後、また別の生物の意識をつかさどるブイを担当することになれば
その生物の意識も自分となる 素粒子とは何か理解してる?
素粒子の具体例を挙げられる? つぶつぶオレンジだって身体にはいってまた土に還る、間違いない >>433
自分の意識が存在しないと考えてる時点で虚無主義 >>434
随伴現象説をさも当前の真理みたいに前提しないでくれ 生まれ変わりはあると思いたいな、
殺された人が生まれ変わって
事件解決とかあるらしいし
やらせと思うかもしれんけど
ほぼ不可能らしいし
(死んだことさえ気づかれてなかったらしい)
ただ前世の記憶については
記憶が何らかの形で
入ったって説があるから
そこがわからない、
宇宙人が遊びで死人の記憶を移したとか
超能力の赤ん坊がテレパシー
とかで記憶手に入れたとか
生まれ変わりよりは
そっちのほうが可能性があるって
言われてる たださすがにたくさんの子供
(とある研究によると2000人)
が生まれ変わり的なこと言ってるから
超能力とか記憶を誰かに埋められたとかも
なさそう
それと退行催眠?
ってのやると前世思い出す人もいるらしい
催眠で昔に遡る?みたいな
ただ学者とかネットの頭いい系?
は否定するよね、ひろゆきとか 生まれ変わりはあって欲しい
後悔ばかりでやりなおしたいことばっかや
来世は違う人間やけど
それでもちゃんと生きたいとおもう
今の人生もまだまだヤケド
太ったりいじめられたりを治したいと
思ってしまう
生まれ変わったら
記憶なくなった感じなんかな?
それとも魂みたいなんが
一緒なだけで
記憶消えたとかよりちょっと変わった
とかになるのかな?
誰か学者に解明してほしい 少し考えれば、生まれ変わりはないと解る
だからこの一度きりの生を全力で全うするしかない
だが人は弱いから生まれ変わりという妄想に救いを求める