仏教哲学総合スレ4
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573.
因果関係、縁起は科学の問題である。
それは宗教の問題ではない。 仏教とは、当然の因果ではあるが、不思議で高級なものを基本法則とする。
南無妙法蓮華経は、もともと、人の住む、湿潤な温帯や亜熱帯であれば、
泥のある汚い沼にも、蓮の種が落ちれば、美しい花も咲き、レンコンも、栄養のある
種も再び得られる、という当然ではあるが有り難い現実の法則を示している。
この世は捨てたものでは無い、泥の中にもコリャ花が咲くよ、チョイナちょいな、である。
この様なこの世の基本を、沢山述べれば、仏教になる。
ちゃんと因果を説明しようと思えば、だいたい人間が話すこと自体が不思議である。
星に日があたって森になり、その実をたべて猿がうまれ、人になり、
人は家をつくり村をなし、町になって市をたて、国となって交易をする、
これがこの世の因果である。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 919 :考える名無しさん :2018/01/27(土) 10:41:36.10 0
申請して認定されたなら不正じゃ無いだろ
つまりモノホンの障害者
バカは書き込むなよw
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1512049357/919 伝教と弘法、どっちが凄いの、どっちが上なの?
教えてケロ。 オレ > ブッダ > 玄奘三蔵 > 空海 > 最澄 第28話 暗号解読「風信帖」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880552932/episodes/1177354054880553179
ちなみに、空海の「風信帖」の暗号の解き方は、簡単であり、縦に書いてあるものを横に
読めばよいだけである。
「風信帖」の一番上の文字を横に読むと、「風被恵不法随願及法仏降不」と読める。これは、
仏から先を読まないという条件をつけて読むと、「風、恵みを得、法に則らず、願いのままに、
法に及ぶ、仏降不」と読める。これは、「風(君子の徳? ポップ文化? 左道?)は得をして、
法に縛られることなく、思いのままに行動でき、やがて、それが法になる」というちょっとびっくり
するような世の中の奥義について書かれたものである。と説明したら、バカにされたことを
わたしはとても恨んでいるのである。このように空海の「風信帖」は暗号文なのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E4%BF%A1%E5%B8%96
風信帖(ふうしんじょう)は、空海が最澄に宛てた尺牘(せきとく)3通の総称である。国宝に指定
されており、指定名称は弘法大師筆尺牘三通(風信帖)(こうぼうだいしひつ せきとく さんつう)。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Huushincho_1.jpg >>523
>法華経の
>仏性そのものからの観照をする為の方法を
天台大師智の摩訶止観
そこから一念三千の宇宙観を見出したことは有名 オレが久方振りの幕府を開くから皆んな平伏してほしい
おじゃるは
実践したことがないのでわからないけど
たとえば
上座部系の
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)と
大乗の摩訶止観は違うかもしれないけど
それでも
大乗の摩訶止観も
一応は
上座部系の
サマタ、ヴィパッサナーが元ネタなんでしょ?
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
(たとえば上座部系の場合の)
第一禅定
ヴィタッカ(尋)
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを呼吸の観照に ← 戻す要素があります
(仏性そのもの ← に戻す要素があります)
> 一念三千の宇宙観
地水火風空識の識は
大日如来の智慧と慈悲そのもので
無明している世界の中の
すべて一切の諸法にも満ちている
っていう意味でしょ?
↑間違ってたらスマソ m(_ _)m
一念三千
極小から極大の相即した統一的な宇宙観を示し、実践的には自己の心の中に具足する仏界を観法する
↓こんな感じ?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
宇宙に満ちている根源的エネルギー
↓
人体内に存在する根源的生命エネルギー
ttps://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%A6%82%E7%B8%81%E8%B5%B7-538672
仏性からの真如縁起(しんにょえんぎ)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
心は
(仏性からの智慧と慈悲をもって)
光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
ttps://kotobank.jp/word/%E6%9C%88%E8%BC%AA%E8%A6%B3-45106
月輪観(がちりんかん)
心のなかに,あるいは面前に月輪を観想する
この月輪は自己の菩提心そのものを示すもので
その月輪が
(仏性からの智慧と慈悲をもって)円明無垢で光明が全法界に周遍する
と観照する >>591
私の裸を見たいの、見たくないの、どっち❓👰
法華経を読んで「一念三千だ!」っていうのも良いかもしれないけど
それよりも
ttp://www.el-aura.com/20121115-03/
タロット 隠者
隠者が持っているランプから ← 真理の光がでている
仏性からの観照によって
無明している世界を ← 照らしだす
というような観照の方が良いんジャマイカ?
ttp://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
ttp://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat29/post-99.html
護摩の思想
火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼く
仏性からの観照によって
幸せの白い光をもって → 苦しみの黒い煙を手放しする
で、結局のところ
法華経に
悟りに至るための
菩提分法のようなものが書いてあるのかしらん?
(大乗の場合は、無苦集滅道なのかもしれないけど…) 外来のもろもろの煩悩によって汚れている貴方が、
心のなかに,あるいは面前に
私がセーターを着ているのを、あるいは裸でいるのを観想する
この私の姿が貴方の菩提心そのものを示すもので
その私が智慧と身体もって円明無垢で光明が全世界に周遍する
と観照するのよ。☝👰
十七清浄句
男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
美魔女師匠と
その弟子の
おじゃるの触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
ということなので
画像UP ヨロ m(_ _)m
性的結合の恍惚が悟りを開く?
ttp://todorokiremi.com/2016/05/16/gattai-hotoke
ttp://todorokiremi.com/2016/05/16/gattai-hotoke
世界創造のエネルギーは性的なエネルギーの中に最も強力にある
実際のパートナーと性的な結合をしながら瞑想し…
美魔女師匠と
その弟子の
おじゃるが合体して
最も強力な性的なエネルギーによって
神通力(自在力)を具現化させて
輪廻から解脱する?
↑
我愛に依存して
更に
輪廻しそうな気がする おじゃる
一切の如来の御足を礼拝し奉る
美魔女師匠の御足も礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m 法華経というのは「既に瞑想の行を日常としている」声聞や辟支仏(これこそまさに瞑想で独覚を目指している修行僧)に説いた教え
四諦や十二因縁だけでは完全な悟りとは言えず、衆生への説法教化をする利他の精神を有して初めて一切種智を得ることができ、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができると説いている
衆生を強化するのは菩薩道であるが菩薩道は声聞道や辟支仏道と対立的なところがあるのに対し、法華一乗はそれらの対立はなく声聞も辟支仏も菩薩もみな平等である
対立のない菩薩道が法華一乗であると言えよう
暇があったら比喩品や化城喩品に目を通してみるといいよそれらのことが書いてある
また大衆強化の方法は安楽行品や◯◯菩薩品にその例が書いてある >>590-591
何故自分が親しんでいる宗派の法門に無理矢理法華経を当てはめるのかが理解できない
上座部はともかく密教とかクンダリーニヨガなどの話は持ち出さなくていいw
そういうのを自説の押し付けという
>何故自分が親しんでいる宗派の法門に無理矢理法華経を当てはめるのかが理解できない
たとえば598氏にとっては
法華経だけが最強なんでしょ?
− これに対して −
おじゃるの場合は
後期大乗密教も肯定派なので
たとえば
チベットは
根本説一切有部から、大乗顕教の諸哲学や
金剛乗の密教までをも広く包含している
それゆえに
おじゃるにとっては
法華経が最強ではない
悟りに至るための菩提分法
暗闇に覆われている無明から解脱するための
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じる
上座部系とか
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とか
後期大乗密教とか
マインドフルネスとか
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)とかの方が良いんジャマイカ? >>599
誰も法華経が最強などとは言ってない妄想も甚だしいw
法華経の行の話をしてるのに密教とかの話を脈絡もなしに入れてくるのがおかしいといってるのw
密教やヨーガはまったく否定はしないが法華経よりも密教の方がいいよクンダリーニヨガよ方が悟れるよという論理展開が余計なのw
参考までに
https://gamp.ameblo.jp/morfo/entry-10814135474.html
みんな自分に合った好きな法門選べばええ
どの道を通ろうが彼岸に到達すればいいんだよ
>みんな自分に合った好きな法門選べばええ
>どの道を通ろうが彼岸に到達すればいいんだよ
↓おじゃるにとっては
宇宙に満ちている根源的エネルギー
↓
人体内に存在する根源的生命エネルギー
眉間にある 第6のチャクラ
くすぐったい むずむずする
↑法華経よりも良い
>法華経の行の話をしてるのに密教とかの話を脈絡もなしに入れてくるのがおかしい
ttps://www.iwanami.co.jp/book/b270312.html
法華経 上 ワイド版 岩波文庫 31ページ参照
敢然と山の洞窟にはいって修行する
(たとえば上座部系とか瑜伽行派とかが
サマタ禅定・ヴィパッサナー智慧とかを実践している)求法者
彼らは仏の智慧と慈悲を遵奉している
(上座部系とか瑜伽行派とかの)
神通力を具現化させる
四神足の智慧と慈悲を具えて
身体から光輝を放ち
地獄に墜ちた衆生を救い上げ
彼らを「さとり」に導く
_ _ _
解説書に
上座部系とか瑜伽行派とかの
神通力を具現化させる
四神足の智慧と慈悲を具えて
と書いてあるので
(密教とかも含めて)
上座部系とか瑜伽行派とかも関係あるんジャマイカ? 解説書というのは岩波法華経の解説書?
なら最初からそう書けば良いし上座部って説一切有部なのかテーラワーダなのか分からないし唯識のヨガ業者とクンダリーニヨガを結びつけるのも強引だし
だいたい釈迦が悟ったのも伝統的なヨガの行法、結跏趺坐と法界定印で座禅をして悟ったわけだしその流れなら仏教は唯識に限らずヨガの流れをくんでいる
もちろん法華経もそうた
他力の浄土真宗などは除くけどね
しかしいずれにせよその解説書をもとにこれこれよりあれの方が良いとかいうのは余計 だいたい密教の平等性智を知っていればどの法門ももちろん清浄で価値があるということは分かるだろう
あとはその人の機根とか相性で個々人が法門を選べば良いんだよ
>密教の平等性智を知っていればどの法門ももちろん清浄で価値があるということは分かるだろう
おじゃるは
脳みそ腐ってるので、わからないけど
とりあえず了解 おじゃる
おじゃるが言いたかったことは
法華経信者の人は
法華経に書いてある
『神通力を具えて』
これは上座部系とか瑜伽行系とかに由来している
ということを知らないで
そういう経緯を知らないで
『法華経だけが最高だ!』と折伏してるでしょ?
ということを言いたいのでつ
そして↓ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m
ttp://gamp.ameblo.jp/morfo/entry-10814135474.html
サマタ ヴィパッサナー なんちゃら かんちゃら 603.
坐禅とかヨガで悟った、か。
バカ丸出しの迷信であるよ。
悟っていないバカの言うことであるよ。
だからして法華経バカとなれるのだ。 どのお経をよんだあとでも
願わくばこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし〜
(この原題も法華経にあるのだが)
と普回向で経典の功徳に願掛けするのは法華経に限った話ではなく般若心経でも舎利礼文でもそうだから
また般若心経には経典中には書いてはないが玄奘の注釈だかにはその読誦で無病息災になるとか悪霊が寄ってこないとかの功徳が書かれている
金剛般若経も経典の神通力があったと思ったな
もともと、パーリ仏典の沙門果経などでも悟りを得れば神通力を得られるとか書いてあり、そういう果報とか功徳は異教徒に対する方便品なんだよ
>神通力
上座部系は
無明からの解脱
苦集滅道
非想非非想も超えて
滅に触れ想滅定が生起する
この時に
自在力(神通力)を具現化する
四神足
観神足
仏性の智慧(と慈悲)をもって
縁起している世界を観照する
仏性そのものに成る
その為の
四神足(神通力)
という意味で説明していると思いまつ
これも
人々の心の働きに合わせて導いている
方便ともいえますが… >>471
>『法華経』には
>『「軽い瞑想をするくらい」のことも書かれていない』ということでつ
常好坐禅。在於閑処。修摂其心。文殊師利。是名初親近処。
(常に坐禅を好んで閑かなる処に在って其の心を修摂せよ。文殊師利、是れを初の親近処と名く。)
ー安楽行品十四ー
https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/14.htm
のほかにも瞑想の話は随所に出てきてたと思うよ
あと五種妙行の読誦や写経はまず読経が読む瞑想と言われていて瞑想と同じ効果がある
読経中に読経の調子を観察しながら読経中に湧いてくる雑念もまた観察するという観行が充分可能
誦は記憶力を高めるのに有効
写経も読経と同じく観行になる
解説は人様に解脱できるだけ仏道を追求しないといけないわけでやはり修行になる
これら妙行を侮ってはならない
>常に坐禅を好んで閑かなる処に在って其の心を修摂せよ
道元 普勧坐禅儀
…坐禅をするときは
静かな部屋ですべきであり
無明している
すべて一切の諸法の
雑事を忘れ、全ての関わりから離れ…
>読経が読む瞑想
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
こんな感じでつね?
ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m おじゃる?よ、ちゃんとお風呂入ってるかー、最近メッチャ寒いぞよ〜、あったかくして寝ろよー >>611
ギャーテイギャーテイのようなマントラ瞑想に限らないよ
お経なら何でも良いが特に韻を踏むお経が良いらしい
http://www.senrinji.com/kyuu/kouyou3.htm
妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈などかなり良さそうだな
リズムが規則正しく念彼観音力で韻を踏むからね >風呂入ってるかー?
ノミ、ダニ、シラミで身体かゆい おじゃる (δ´ω`)カユイ
_ _ _
念彼観音力
観音妙智力
具足神通力
普門品偈文(観音経)
衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼らんに
観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う
(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して
十方の諸の国土に、刹として身を現ぜざることなし
仏性からの縁起をもって顕現する
如来の大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 如来の大悲・大智を受け入れる
心は
仏性からの智慧と慈悲をもって
光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす瀉瓶のように
無明している世界を手放して
仏性そのもの
ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m おじゃる、よ。
仏教をやっているか。
仏性そのもの、か。
誤解の典型である。
バカ丸出しの迷信であるよ。 どいつもこいつも社会に寄生したいために
邪教を用いて屁理屈をこねるばかり
いい加減このバカ宗教に中身がないことを認めろ >>621
> このバカ宗教に中身がない
正解。それが空という仏教的真理
頭悪いな〜 986 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2018/02/12(月) 13:29:26.13 0
>>976
漢文の思考というのは、表意文字のようなチマチマしたものではなく、
もっと演算子的なものだと思う。
華厳の四法界などは良い例。
「事・理・無・礙・法・界」6文字の組み合わせだけで、
存在論、言語哲学、同一性と差異、宇宙論から核融合までを合わせた様な世界を描いている。
そのスケールの大きさと繊細さは、ドゥルーズ/デリダの比ではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%84%E8%A6%B3
四法界とは現象世界に対する四つのものの見方である。
1.事法界(じほっかい)
我々凡人の普通の物の見方である。
2.理法界(りほっかい)
すべての物に実体はなく、空であるという見方。
3.理事無礙法界(りじむげほっかい)
実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存しているという見方。
4.事事無礙法界(じじむげほっかい)
一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存するという見方。 >>624
大正蔵 第45巻p684b26
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1884_,45,0684b26
T1884_.45.0684b26: 一事法界。界是分義。一一差別。有分齊
T1884_.45.0684b27: 故。二理法界。界是性義。無盡事法。同一性
T1884_.45.0684b28: 故。三理事無礙法界具性分義。性分無礙故。
T1884_.45.0684b29: 四事事無礙法界。一切分齊事法。一一如性
T1884_.45.0684c01: 融通。重重無盡故
以下はもう少し膨らませた説明。
国訳大蔵経. 経部 第5巻「華厳経解題」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207247
p48-52 ミトラ神が、弥勒菩薩という仮説が、真実なら、ミトラ神の誕生日である12月25日を弥勒菩薩が、この世に現れる日として、祝いましょう! 観音経は確かに韻が多くて読んでいて気分が高揚するな
多分読むにつれて脳内はα波で満たされて行ってると思う
妙音觀世音
梵音海潮音
勝彼世間音
是故須常念
この辺の語呂は特に良い
他にも五言の最後が「ん」で終わる句が多い お経を唱えるってのはそれ自体が修行や呪文的意味合いではなくて個々人が紙やペンを
持たなかった時代に経典を暗唱することで頭に入れてた名残なんだろうけどな >>628
最初期はアーガマの読誦というか口伝による唱誦だったのだろうが、それ自体も托鉢などと同じく修行とされたのかもしれぬ?
現代的に見れば記憶力を高めるとかの功徳があるのだろうが、なによりも仏道教学の修行になる アイヌやアステカやインカの神話も後者
バラモン教のヴェーダ聖典も文章化されるまでは後者で仏教よりも当然歴史は古い 仏教が廃れた原因は何の役にも立たないからだろうね
まず仏教は3人以上の人間関係について何も語らない
ゆえに政治的問題に対しても社会的問題に対しても集団における倫理的問題に関しても何らの指針にもならず極めて無力
物的関係についても同様に極めて単純な事象しか想定されず故に環境問題や経済問題や資源の問題についても何の役にも立たない
そうなった原因は分析判断に偏りすぎて総合判断を忘れてしまったことだろうね、ミクロな事象についていくら精緻な思考を繰り広げても現実的問題の解決にはほとんど役に立たないただのカカシですな >>634
解釈間違ってる違うよ。今はもうアートマンの実証段階に入りつつある
仏教は別れたのよ。知識を探求するのが本質の仏教と
信仰を主とする仏教。廃れたのは信仰の方で知識を探求する仏教は
日本で花開いてるそれは科学となったんだよ。
だから日本は技術凄いだろ。研究者にブッタを支持しないひとはいない
信仰の方は残念ながらブッタの予測した通りの道を歩いてる
ブッタは君達には仏教を極められないと言った。
ブッタは人であって神ではない拝むものでもない
彼は偉大な哲学者である >>634
仏教は他者ではなく自身つまり自分が中心として哲学していく
君は全く理解してない。自分自身の判断基準を明確化させるのが入り口なのよ
それは自分がどんな人間でどんな判断をしどんな間違いを犯したか
それと向き合い間違いを認める。すると一定年齢で結論がでる
結論がでたらどうすればいいか明確化でき器を知ることができる
すると自分にできることできないことがわかり他者との繋がりの本質が見えてくる
多分君は空に入ったこともなく仮に染まった事すらきづいてなく
縁起に程遠い人間だと暴露してるようなもんだよ
つまり私は協調性がなく自分自身に答えを出さず。社会で苦しむ事が努力と思ってる
縁起迄いった私が言うよ君は間違ってる。仏教は最終的に中道に行き着く
仏像にも意味があるんだよ。現実問題を解決したいのなら先ず現実を知るべき
君は現実について明確化できるの?何故不遇なのか何故苦しいのか何故心が空白なのか
何故1日過ぎるのが早いのか定説は答えではない。定説は今現状で予測した答えでしかない
つまり間違いがあるという前提である。ブッタは見事なまでに人の本質を見抜き
言い当てる事が出来た人物だよ。それは太古の人からすればマジックだろう
ブッタの悟りの意味を把握する人がこの世に何人いると思う。少ないよ
ここにたどり着くには10年捨てないと辿り着けない 自分が「本当にやるべきこと」がどんどん見えてくるらしい >>634
当たり前だろ、そんなに便利なら今でも利用されとるわ
シッダルタは当時の無益な形而上学的議論を戯論と呼んで退けたそうだが今となっては仏教こそ戯論 >>634
俗世のことには関わらないのが釈迦仏教です 初期仏教は徹底して個人主義だから政治にどう活かせるか?なんて視点は的外れもいいとこだ 只管打坐の個人成仏主義は菩薩の道ではなくこの世を浄土(寂光土)にできないので禅は天魔の所業である(禅天魔)と批判していたお坊さんもいた 形而上学的議論を排斥する実践主義を掲げておきながら現実社会の様々な場における人間関係の考察を蔑ろにして個人主義を自称するなんて一体何の実践を目指してるのかな?
家に引きこもって妄想をたくましくして自慰する方法?その家でさえも自分が作ったものではないし困ったね
そんなんだから廃れるんだよ 別に一切の形而上学的議論を排斥してたわけではないぞ、実際原始仏教聖典の中にも形而上学的議論と呼べるものは出てくる
バラモン教に対して相対的に形而上学的議論は程々にしてもっと実践的にやろうということだ >>643
インドでは聖者らしく振る舞えば施してもらえるから食うには困らない
その上で目指していたのは苦の滅却 暗記しただけの知識しかない波平、
底辺だからこそ妬み、苦しむ、そして5chにその負の感情をぶつける
その行動は量と質から考えればわかる、底辺で彼が苦悩している地獄の様子、
その自分で行う自分への呪いは永久に続く、死ぬまで。 >>643
自分が前提にあって他の生命のことも考えるのが仏教の基本だけどそういう話知らない? 明日2月24日(土)21:00より、TBS「世界ふしぎ発見!」にて「超人 空海 唐留学の謎に迫る!」が
されます。映画『空海−KU-KAI−美しき王妃の謎』も24日公開です。
TBS HP http://tbs.co.jp/f-hakken/ 仏教は自己の内面の変革を起点としている
自身の心もままならないのに上から目線で社会をどうしてやろうなんてのは
傲慢な態度で大乗仏教ってのが行き着く所は必ずカルトになる
まず、自分の愚かさを認めるところからだな >>652
大衆化という点においては大乗の中の大乗といえる浄土真宗の宗祖は自分で愚禿親鸞と名乗ったのだが 呪術 呪詛 カポエラ系ブレイク ダンセ 呪い 祈り 解く 謎 解く 世界九位の次のなぞめいた。 王が賢者に人生について説明を求めた。
超長文だったのでもっと短くせよと命じた。
それも長文だったので再び短くせよと命じた。
王の寿命もあとわずかという頃、返ってきたものは
4文字だった。それは「生老病死」だった。
ーーー
こんな話をどこかで読んだ記憶があります。
出典はわかりますでしょうか? 古典サンスクリット語を学ぶためにパーニニスートラを勉強したいのですが、初学者にわかりやすい参考書、論文を教えてください。できれば和文それが無理なら英文のものがいいです。VasuやKatreの英訳を見たのですが、いきなりこれから始めるのはちょっとハードルが高いです。 660.
生老病死、か。
それは生活の問題である。
それは宗教の問題ではないよ。 663.
心根の卑しい人間だけが悟れる、のだよ。
バカには理解できないよ。だからして悟れない、よ。 そこは馬鹿だから悟れると言うべきだろうな、南宗の慧能なんかは
文字も読めないで悟りを得てるんだが禅ではそういうことが多いことも知らないんだろう
だから君は悟るのに適してる、現代社会で無学なのは辛いけどね 煩悩こそが悟りの種
煩悩離れて悟りなし
煩悩即菩提 ほんと馬鹿だな
煩悩即菩提が示す煩悩ってのは、悟りたいという一心のことで
金もちになりたいとか、いい女を抱きたいとか
世俗的な欲望を指すのではない 悟りたいと思う気持ちは発心(発菩提心)
煩悩は純粋に煩悩だよ、煩悩即菩提においてもね 煩悩は切っ掛けだと言ってるに過ぎないよ
悟りたいという欲求が悟りに向かわせると言うのは極めて妥当だが
腹減ったとかそんなものは仏教には関係ないし
純粋な煩悩なんか相手にしてない 666.669.
煩悩は悟りの一部ということであるよ。 悪さをすれば成仏できると勘違いした無法者がその通りのことを実行した
親鸞の悪人正機説と同じだね 671.
煩悩を排除する論理の問題であるよ。
親鸞の悪人正機説は一部正しい。
だが、南無阿弥陀仏で救われることはないよ。 仏教では、煩悩(ネガティブなエネルギー)を
ポジティブなエネルギー(菩提=悟り)に転化するということをやるね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています