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仏教哲学総合スレ4
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0726考える名無しさん垢版2018/04/24(火) 13:45:01.700
キリスト教のGod brass youとか、イスラム教のアッサラーム・アライクムみたいに他人の幸せを日常的に祈る挨拶みたいなので、仏教には何故ないの?
0728考える名無しさん垢版2018/04/28(土) 23:17:14.520
>>726
印度の挨拶は「ナマステー」。

それで足りないとしても、
祈りの表現を、そうした慣用句として使わず(→形だけのものにせず)、
都度都度明確に言葉にするから、定型表現が形成されなかった、
ってことじゃね?
0729考える名無しさん垢版2018/04/30(月) 14:46:13.300
ありがとう!

でもやはり弱いですね〜。
定型化したくないというのもわかりますが、他方、南無阿弥陀仏的な定型文はいくらでもありますしね。

やっぱり無いのかな、定型文は。
0730元小学校教員の臨床心理士『西村』 ◆uIU6J7Th0Y 垢版2018/04/30(月) 16:35:59.49
佛とは嘘で在り、悪で在る。
仏教なる名目に於いて一般労働からの逃亡を謳歌せし僧侶達は常に自己と周囲を欺く。
何ぞ反動的冒険を行えど、其れすら仏道の証と決定し、粉飾に塗れた生涯の一頁に刻むのだ。
例を挙げん。特権階級は道義的な労働条件から全く逸脱した人権の蹂躙たる酷使や富の再分配を忘却した独占主義なる犯罪行為に手を労働者の血で染めては其れを「ノブレスオブリージュの代償」と呼ぶ。
労働争議で被虐者が起てば、工場は生産是れ唯一の場所に非ずと言い出す。
資本家は青春の二文字をさも金科玉条かの如くに思慕し、如何なる一般的解釈も社会通念も屈曲する。
支配層に係れば虚偽も欺瞞も、詐術も弾圧さえも青春の香辛料でしか無いのだ。
又、封建領主は其の悪行に、其の詭弁に特別性を見出す。自己の労働からの逃亡は遍く青春の一部分で在るが、労働者の逃亡は青春でなく只の叛逆にして重罪であると断じるのだ。
仮に逃亡する事が仏道の証で在るのなら、資本家化を拒絶した労働者も又青春の中軸でなければ破綻的矛盾を生む。
しかし、肥え太った僧侶共は其れを認め無いだろう。
何の事も在らぬ。全体汚らしい豚の都合主義の範疇を超え無い。畢竟、其れは欺瞞に他成らぬ。虚偽も欺瞞も詐術も弾圧も糾弾される可き物だ。
資本主義は悪の源泉だ。
演繹的にも帰納的にも前衛的に仏道(笑)を謳歌してい無い労働者の方が正当な真理的正義で在る。
結論を言おう。
共産主義こそ根本である。
0731考える名無しさん垢版2018/04/30(月) 19:25:02.790
以下、
「ハリウッド・ゼン」シナリオ、大島渚全集4、280頁より

雪洲「禅師のところに来て、“師よ、私は何も持っていません。どうしたらいいのでしょうか?”
とたずねた日本人の男の話がある。禅師は“全てを捨てよ”と答えたのだ」


参考:

厳陽尊者が、趙州に聞いた、「私は全てを捨てて、何も持っていません。
 この先どんな修行をすればよいでしょうか?」。
趙州は云った、「捨ててしまえ!」。
厳陽は云った、「私は既に何も持っていないのに、一体何を捨てたらよいのでしょうか」。
趙州は云った、「それなら、担いで行け」。

世界古典文学全集 第36巻 A 禅家語録  筑摩書房 1972.12 趙州録所収
0732考える名無しさん垢版2018/05/02(水) 16:03:11.680
>>726
願わくは此の功徳を以[もっ]て、
普[あまね]く一切に及ぼし、
我等[われら]と衆生[しゅじょう]と、
皆共に仏道を成[じょう]ぜん(ことを)。

この功徳というのは主に経典読経の功徳をいう
決まった相手ではないが一切衆生に功徳を分け与える(回向という)時の定型文
あいさつには使えないけどね

【回向】
自分の修めた功徳(くどく)を他にも差し向け、自他ともに悟りを得るための助けとすること。
0733考える名無しさん垢版2018/05/02(水) 19:01:08.380
禅語
「本来無一物」
http://rinnou.net/cont_04/zengo/1610.html
(『六祖壇経』)
「この身体は菩提樹、心は明るい鏡のようなもの。常に拭き清めて塵の溜らぬようにせよ」と
トップクラスの神秀上座が言う。これを聞いた寺男の盧行者(後の六祖慧能)は「身体も心もその
ように立派なものではない。もともと実体など無い(本来無一物)のだ。どうして無いものの上に
塵の溜ることがあろう」と、自分の心境を吐露した偈の一句。
0734美魔女垢版2018/05/02(水) 19:04:42.970
「女の子はみんな無イチモツ」
0735考える名無しさん垢版2018/05/10(木) 23:36:37.030
金剛般若経(ダイヤモンド・スートラ)
0736美魔女垢版2018/05/10(木) 23:47:31.940
>>734


め!
0737考える名無しさん垢版2018/05/11(金) 00:38:02.330
般若経の中でも奥義が語り尽くされてるのは理趣般若経
0738考える名無しさん垢版2018/05/12(土) 15:57:25.690
奥義なんてねーよハゲ
0739考える名無しさん垢版2018/05/12(土) 15:59:56.890
理趣経はセックスについて書かれた経典であり、空海はあまり世間に出すには好ましくないとしたものでもある。
0740考える名無しさん垢版2018/05/12(土) 16:28:30.770
十七清浄句
0741考える名無しさん垢版2018/05/12(土) 17:01:58.080
経典など釈迦の名を借りて創作したフィクションだよ
0742考える名無しさん垢版2018/05/12(土) 19:06:37.050
>>2にもあった。
『仏教を読む 秘密の庫を開く <密教教典 理趣経>』 花山勝友 
0743123師垢版2018/05/13(日) 17:19:48.550
本来無一物、か。
本来=根本は無である。
人間は、その無からの距離として測定することができる、ということである。
だからして、無、を理解しないで、修行しても、それは無意味である、ということである。
0744考える名無しさん垢版2018/05/13(日) 18:32:08.080
そうじゃない
「無」でもない
ただ、縁起しているだけ

畢竟、
これを(吾が事として)見れるかどうか
でしかない。
0745123師垢版2018/05/13(日) 18:54:56.510
744.
縁起、か。
それは、科学の問題である。宗教ではない。
その縁起を否定したものが、無、である。
0746考える名無しさん垢版2018/05/13(日) 19:15:23.890
>>743
ブッダは無についてどのように説いてる?
0747考える名無しさん垢版2018/05/13(日) 19:24:46.010
お釈迦さん全否定かw    >>745


『仏』教に関わる必要ないだろwww
ブードゥ教にでも改宗したらどうだ?
0748123師垢版2018/05/13(日) 21:03:57.590
多数決で決めるバカが多い。
釈迦のバカ弟子が作ったバカお経を信じるバカが多い。
0749考える名無しさん垢版2018/05/13(日) 21:27:47.880
戯言を垂れ場がしてるだけのお前ごときに何が理解できるんだよ
人と反対のことを言ってれば注目を浴びると思ってる井沢元彦みたいなやつ
0750考える名無しさん垢版2018/05/13(日) 22:04:50.460
多数決?w



君の経験は、一体、他何人の同意のもとにあるんだい?w

君は、君自身の経験を、他百人が否定したら取り下げるのかい?   >>748


菩提樹下のエピソードも、
(史実としてではなく、その意義として)
何も見えてないんだな・・・。
0751考える名無しさん垢版2018/05/16(水) 21:42:31.10O
・何故、元々供え物を食ってて肉を食わないとか選り好みをしている余裕がなく
肉食禁忌なんかなかった仏教から何故、食肉禁止が生まれたのか?
・何故、日本では最澄の円戒、親鸞の非禿非俗の肉食妻帯の仏教が生まれたのか?
このことは同じコインの裏表同じサイコロの表れる面の違いに過ぎない
0752考える名無しさん垢版2018/05/17(木) 16:00:22.190
心は何人にも束縛されないのだから戒律を守り格式ある態度でいることが正しいに決っている
こういうことは真心の問題と言いながら葬式にアロハなんか平気で着てくるやつはいないだろ
0754美魔女垢版2018/05/18(金) 00:28:35.130
お肉食べよう✨
0757考える名無しさん垢版2018/05/20(日) 10:00:11.860
ビッチを問題にしているのではないよ。
出鱈目は困るが。
0758考える名無しさん垢版2018/05/20(日) 10:00:51.060
哲学の命題や宗教の戒律は、地図やコンパスであって、
それによって示され、共有される哲学的・宗教的真理があるというだけの話。
0759考える名無しさん垢版2018/05/20(日) 10:01:31.750
必要としない人間は、好きに生きていけばいい。
0760考える名無しさん垢版2018/05/20(日) 12:09:20.590
だな、自己流の解釈で好き勝手なことをやりながらそれを仏教だと言い張るのは図々しい態度だ
0762DJgensei artchive gemmar垢版2018/05/20(日) 13:51:05.090
仏教は哲学ではなく、ある種の体験だと思う。
0763考える名無しさん垢版2018/05/20(日) 17:33:34.080
>>759
それは ただのアホ
0764考える名無しさん垢版2018/05/23(水) 23:05:18.390
哲学を見い出せるかどうかは、
哲学の語彙と文法を持つかどうかによる
0765考える名無しさん垢版2018/05/24(木) 23:23:46.570
“「禅定 samādhi サマーディ」は瞑想によって得られる、統一された高いレベルの心の境地です。
 恐怖感があると禅定はひとかけらもなくなります。[略]

 執着を断って真理を観察する状態(禅定)が壊れてしまうのです。
 悪魔はこのことを理解していて「怖がらせてやればいい」と考えたのですから、けっこう頭がよいのです。[略]

 阿羅漢はそもそも煩悩をなくしているので、そんな手には乗りませんが、迷惑は迷惑です。
 悟っていない人は怖くなって、修行から逃げてしまうこともあります。[略]

 もし悪魔が瞑想道場にもぐり込んだら面倒です。”

― アルボムッレ・スマナサーラ 『般若心経は間違い?』 (2007)
0766考える名無しさん垢版2018/05/24(木) 23:24:29.990
こういうことは、よくある話
0768考える名無しさん垢版2018/05/31(木) 00:50:41.570
説一切有部が説く三世に渡って実有の法とはイデアとどう違うのか?
イデアは観念論だけど説一切有部は原子論に近いとも聞く
色んなサイトを見てみたけど結局のところは分からなかった
誰かイデアと実有の法の違いを分かりやすく教えてください
0769考える名無しさん垢版2018/05/31(木) 08:55:14.460
説一切有部の説く三世実有は、現象や実体を構成する要素の要素『五蘊』などと言い表しているもの
さらにそれを成り立たせている最小のものが存在して常在で不変だと言うこと
イデアの真実在は物理的実体を想定したものではない、実体は存在するとしている説一切有部は
観念論とは真逆の立場をとってる
0770考える名無しさん垢版2018/05/31(木) 09:39:27.450
有部の五位七十五法で実体視された75の法
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BD%8D

例えば有為法の心所法には受想思欲触慧念などがあるけどこれらは心理学的なものだよね
まさか唯物論に沿って、受とか想は現状(これとて実体なのだが)を感受する想念を起こす時の脳内伝達物質の働きや海馬に蓄積されている記憶との関連性によって起こるものという説なわけではないと思うし
となると有部のいう実体とはイデアみたいな永遠不変の概念に近いのではないか?
受というのを物質的実体にすることは難しいと思うし俺にはどんなものなのか想像できない
0772考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 15:39:03.670
一番最初の大乗仏典が般若経です。
その後、維摩経や法華経や浄土経などの経典がつくられます。
私たちの知っている法華経(クマラジーヴァ訳『妙法蓮華経』)の原典はおそらく西暦3世紀の中葉までに成立したと思われます。
つまり、法華経はブッダの死後およそ400−500年後に、大乗仏教運動の宗教改革者たちによってまったく新しく創作された経典(大乗経典)の一つなのです。
これは「偽経」とも呼ばれ、
それゆえ、「大乗非仏説」(大乗仏教はブッダの教えではない)と主張する人もいるのです。
0773考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 16:21:35.900
大乗非仏説というのは、「すべての経はゴータマ・ブッダが直接説いたもの」という建前に拘泥した極めて小乗的なもの
大乗の説くべきは、歴史的ブッダが何を言ったかではなく、ブッダとはそもそも何であり、ブッダは何故にブッダなのかということ
般若経ではそれは阿耨多羅三藐三菩提であるとしたが、法華経は更に進んで久遠実成のブッダであるとした
ここにおいて仏教思想の頂点に至ったのであり、それゆえに法華経が最上の経典と言われる
0774考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 17:12:13.410
>法華経が最上

は、自称である。華厳経が上という人もあれば、密教が上という人もいる。
経典の高低論争ほど無駄なものはない。
0775考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 18:06:08.930
中国佛教の影響を受けた我が国の佛教の考え方も概ね「教判佛教」なので、
天台宗出身の日蓮が「法華折伏破権門理」の天台の言葉を崇めて、

末法の世には『法華経』に帰依して「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるしか救われる道は無く、他の経典を尊重している宗派は全て邪宗である。

として、彼独自の宗旨を建立したのです。

要するに天台大師も日蓮も、
インドに於ける経典成立の過程を知らず、
サンスクリット語の原典を読んだ訳ではないのです。
0776考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 18:09:55.330
ことに『法華経』は「諸経の王」と言う文句がクローズアップされて、
この経典を翻訳した羅什三蔵は「創作経典の創作的翻訳」と西洋の研究者から後世に揶揄されるくらいに、中国人好みの文学的翻訳を行いましたので、
彼の翻訳した『妙法蓮華経』の評判は当時の中国に於いては高かったのです。

また、権威付けの為に「四十余年未顕真実」の文句のある『無量義経』というメイドインチャイナの経典まで偽作されて、いよいよその権威は高まりました。
0777考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 18:10:59.270
法華経方便品の「正直捨方便」の真実

坂本・岩本訳注「法華経・上」(岩波書店)のサンスクリット語に対応した和訳が分りやすいので引用します。

『そのとき、余はうれしくなり、自信をもち、ためらう心をすべて捨てて、仏の息子たちの真中で教えを説き、かれらに「さとり」を勧めたのであった』

となっていて、それ以前に何か説かれていたものを、捨てるべきであるというような意味は含まれてないことが分ります。
0778考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 18:12:01.920
「ためらう心をすべて捨ててかれらに「さとり」を勧めた」という原意を、正直捨方便という漢訳語に引きずられて、

『方便を捨てよと説かれてはんべるは、四十余年の念仏等をすてよと説かれて候』(「南条兵衛七郎殿御書」日蓮)と誤解してしまったのも分らないでもないですが、

もし、そうであるとすれば、声聞、縁覚に対する教えや二乗作仏という法華に見える思想は、如何に解釈してよいのか?となります。
0779考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 18:22:25.810
法華経くらい中身のない経典は無いと言われてるね
主な内容と言うと、SFチックな描写を用いた自画自賛の嵐
とにかく、この教えこそが最高であると繰り返されるのみ
そんなものを唱えてどうなる

日蓮は、法然のやりかたを丸パクリしながら批難の対象としている節操のない人間で
南妙法蓮華経は念仏のパクリだし、その排他主義においては念仏以外の雑行を
捨去れとする浄土宗の捨閉閣抛まんま

法華経を正統づけんがために書かれた、『立正安国論』に引用される多数の経典には
正法とは釈迦の教えのことを指しているとは書かれてるが、法華経だけが正法であるなどとする
記述などどこにもない、法華経を国教としなければ元寇で日本は滅び去るという予言も外れ
すべて嘘八百です。
0780考える名無しさん垢版2018/06/04(月) 18:37:36.640
>>778
『無量義経』には、「四十余年、未顕真実」(四十年の教えでいまだ真実を顕さず)と記述されている
これを拠点として、五時八教の教相判釈が天台によって説かれる訳だけど
無量義経が中国で書かれた偽経であることはもはや定説となってるうえに、法華経が順番的に
釈迦の説いた最後の教義であるとする主張にも根拠がないね

そもそも、法華三部経の開教が遥か後に書かれた無量義経とだとすることにはもともと無理があるし
無量義経においてすら法華経が正法であるとしている箇所など見当たらない
結論的に、法華経が讃えられている経典は法華経だけであって資料家の日蓮が
何を見て法華経正義を判断したのか、理解に苦しむ。
0781考える名無しさん垢版2018/06/05(火) 12:23:41.670
仏教系の学校で六年間宗教の授業をうけた。
般若心経の研究に生涯をかけても、まだ終わらないのがざらだと言ってた。
サンスクリット語で無という意味の研究だけで何十年もかけてるとか。
最後の授業で、その坊さんが言ってたけど、とどのつまり、屁理屈らしい。
0782考える名無しさん垢版2018/06/06(水) 01:22:28.370
『村上春樹と仏教』 平野純 (2016)
『村上春樹と仏教 II』 平野純 (2016)
0784考える名無しさん垢版2018/06/06(水) 21:16:45.070
これは偶然>>573
0785考える名無しさん垢版2018/06/07(木) 04:07:19.880
パンタカ「あばばばばば」
ゴータマ「この布でお掃除してください」
パンタカ「あばばばオソウジタノシーあばばばココロもオソウジするおお」

そしてチューラパンタカは悟りを得ました。めでたし。
0786考える名無しさん垢版2018/06/07(木) 19:54:45.400
仏教3.0回りの本を整理
0787考える名無しさん垢版2018/06/07(木) 19:55:15.670
「大乗仏教/上座部仏教(原始仏教)」を理解する本

(1)『〈仏教3.0〉を哲学する 』 藤田一照、永井均、山下良道 (2016)
(2)『別冊100分de名著 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』 佐々木閑 (2017)

1.日本の伝統的な〈仏教1.0〉と、上座系瞑想実践的な〈仏教2.0〉を、共に包み超えて、新たな〈仏教3.0〉を提唱。
2.原始仏教から大乗仏教へ、運用面での思想の変容を中心に解説する、数少ないリアルな仏教史。
0788考える名無しさん垢版2018/06/07(木) 19:55:48.520
上座部仏教(原始仏教、テーラワーダ仏教、ヴィパッサナー瞑想)の本

日本

・『悟らなくたって、いいじゃないか ―普通の人のための仏教・瞑想入門』 プラユキ・ナラテボー、魚川祐司 (2016)
・『仏教思想のゼロポイント ―「悟り」とは何か』 魚川祐司 (2015)
・『「気づきの瞑想」を生きる ―タイで出家した日本人僧の物語』 プラユキ・ナラテボー (2009)

スリランカ

・『自分を変える気づきの瞑想法 ―ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想』 アルボムッレ・スマナサーラ (2015)

ベトナム

・『ブッダの<気づき>の瞑想』 ティク・ナット・ハン (2011)
0789考える名無しさん垢版2018/06/07(木) 19:58:29.160
>>469の中でも紹介されてるけど、
ティク・ナット・ハンがいいね。

ヴィパッサナー瞑想について、この人ほど平易な言葉で深い洞察をする人はいない。

そういう話をしながらも、時折、井筒レベルの唯識、華厳から曹洞宗まで、
大乗仏教の理論が縦横無尽に展開される。

臨済宗の人で、世界レベルの叡智。
0790考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 06:46:36.230
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku03.html
佐倉氏の有名な縁起論です。今はどう言う評価か知りませんが。
龍樹の縁起説が十二支縁起の言い換えである>縁起を因果関係では無く論理的関係として解釈出来なければ言い換え出来ない...
と言う風に議論が進行していく訳ですが。
一つ興味深い事に気がついたんですよね。

佐倉氏は「龍樹は初期の縁起説の対偶律を用いて〜」と仰っているんだが
「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。(空七十論 11)」という書き方が佐倉氏の論理と矛盾しているんだな。
0791考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 06:56:46.720
「ところが、もし、縁起を論理的関係を示しているものとナーガールジュナが解釈していたと仮定すると、そのような言い換えが可能であったことがわかります。たとえば、

B : もし食べ過ぎる(P)ならば、腹痛が起きる(Q)。
を、ナーガールジュナふうに言い換えると
B’: もし腹痛が起きない(〜Q)ならば、食べ過ぎではない(〜P)。」

しかし龍樹の「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。(空七十論 11)」
という「言い換え方」は佐倉氏の「言い換え」と異なっている。
佐倉氏曰く「行がなければ無明も生じないし」の部分が十二支縁起の言い換えに相当するらしいが
後半の「それ(無明)がなければ行も生じない。」をよく注視してみると
言い換える前の直前の文章は「無明があって行が生じる」というもので有ると分かる。
龍樹の空七十論 11をオリジナルに直すと「無明があって行が生じる。それ(無明)がなければ行も生じない。」というもの。

しかし龍樹は
「無明があって行が生じる。」の部分を「行がなければ無明も生じないし」と言い換えている。
これでは佐倉氏が
「まず、縁起を時間的生起関係・因果関係を示しているものとナーガールジュナが解釈していたと仮定してみますと、
このような言い換えは不可能であったことがわかります。たとえば、

A : 食べ過ぎ(X)によって、腹痛(Y)が起きる。
を、ナーガールジュナふうに言い換えると
A’: 腹痛(Y)がないことによって、食べ過ぎ(X)が起きない。」
として例に挙げているように、龍樹が縁起を因果関係として捉えて言い直している事になってしまうんだが...。
佐倉さんは生きとるんかね...
0792考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:10:57.850
時間・因果的な十二支縁起の言い換え(2つの文章に関係が無い)
「XによってYが起こる」→「Yが無い事によってXが起らない」
(無明があって行が生じる)→(行がなければ無明も生じない)

論理関係的な十二支縁起の言い換え(対偶の関係・佐倉氏の主張)
「Xで有るならY」→「Yで無いならX」

龍樹が十二支縁起を本当の意味で言い換えているつもりなら後者の解釈しかないが
実際には龍樹は前者の方法で言い換えているんだよね。
じゃあ龍樹は十二支縁起とは全く別の縁起を説いてるのか、と言われるとそうなんだよね...
0793考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:21:25.200
つまりこのままだと龍樹は十二支縁起を対偶律を用いて言い換えているように見えて
実際には全く関係の無い文章を用いて説法している事になってしまう(笑)。

これを回避する(=対偶律を用いた言い換えと見なす)為には
「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。」
という文章を
「行が『生じなければ』無明も生じないし、それ(無明)が『生じなければ』行も生じない」
という風に書き換える必要性が生じるのだが
誰か「空七十論」の原文を持っていませんかね泣。
「これが生ずることからかれが生ずる」の形式と一致するので無理ではないと思うけれど笑
0794考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:26:51.870
ちなみに
「行が生じなければ、無明も生じない」と書き直した場合
「これ(行)が生ずることから、かれ(無明)が生ずる」との対偶の関係が成立する。
「AがVするから、BがVする」を丸ごと「XゆえにY」と書き直せるという事。
問題は原文に「AがVする」に相当する文章が有るかどうかだけれど...
0795考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:29:48.210
まあそもそも龍樹は対偶律を用いるつもりが無くて、ハナから逆方向の時間的縁起を展開するつもりだったと解釈すればそれでストップする話なんだけれどね。
0796考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:43:17.270
以下、『阿含経』より
http://space.geocities.jp/buddha_res/2.html (リンク切れ)
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130505/p2
「…マールンクヤプッタよ、世界は常住なりとの見解の存する時にも、あるいは、世界は無常
なりとの見解の存するときにも、やっぱり、生はあり、老いはあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩
はある。そして、わたしは、いまこの現生においてそれを克服することを教える」

 「…マールンクヤプッタよ、<人は死後もなお存するとの見解が存するとき、そのとき清浄の
行がなる>ということはない。マールンクヤプッタよ、<人は死後には存しないとの見解が存
するとき、そのとき清浄の行がなる>ということもない。マールンクヤプッタよ。人は死後にも
なお存するとの見解があるときにも、あるいは、人は死後には存しないとの見解の存するとき
にも、やっぱり、生はあり、老はあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩はある。そして、わたしは、
いまこの現世においてそれを克服することを教えるのである。」
(増谷文雄訳『阿含経典』p52)
0797考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:45:32.050
以下、末木剛博(すえきたけひろ)『東洋の合理思想』講談社現代新書33ー34頁より
「…カントはこれら三種(魂、宇宙、神)の問題に一定の解答を与えることは
不可能であることを論理的に証明している。したがってこれらの問題に関
する形而上学は論理的には成立しないといって、形而上学を排除したのである。
 これを初期仏教の形而上学批判とくらべると、精粗の違いはあるが、主旨は
はなはだよく似ている。初期仏教では形而上学の立場を前述のように常見と
断見との二種に大別しているが、さらにカントのあげた諸問題とほとんど
同じ問題を論じている場合もある。たとえば『中阿含経』の一部の「箭喩経
(せんゆきょう)」では次の諸問題があげられている。


(A) 自我および世界は時間的に、
 (1)無限である。
 (2)有限である。
 (3)無限かつ有限である。
(B)世界は空間的に、
 (1)無限である。
 (2)有限である。
(C)魂と肉体とは、
 (1)同一である。
 (2)別異である。
(D)如来(完全な悟りを得た者)は死後に、
 (1)生存する。
 (2)生存しない。
0798考える名無しさん垢版2018/06/08(金) 07:45:58.000
 これらの問題は、カントのあげた問題とは多少のずれがあるが、それは時代と国土
にもとづく関心のちがいである。しかし、たとえば(A)と(B)とは、カントの
第一および第二の問題とほとんど同じであり、(D)の如来の問題とカントの第三の
神の問題とも類似している。
相違点を挙げれば、初期仏教は(A)の問題に対して四種の解答を用意しているのに対し、
カントは、(1)無限であると(2)有限であるとの二つだけを用意し、その二者択一を
せまるのである。
『箭喩経』では四種の解答を(A)の問題だけにそろえてあるが、他の文献では、あらゆる
問題に対してそろえている場合もあり、そのほうが論理的には完全なわけである。それで
後世には、この四種の解答、つまり一問題に対する(1)肯定、(2)否定、(3)肯定
かつ否定、(4)非肯定かつ非否定、の四つを四句分別と名づけている。
 ともかく、カントの提出した問題と、形の上では多少の差はあるが、本質的にはほとんど同じ
問題をかかげて、しかもカントと同様にこれらの問題に対しては何らの解答も与えられない、
と言うのである。したがって形而上学批判に関しては初期仏教はカントの批判哲学と本質的に
一致するのであり、哲学上は一種の批判主義である。」
0799考える名無しさん垢版2018/06/11(月) 22:23:44.930
座禅の入門書

・『禅を楽しむ本 』 ひろさちや (2008)
・『禅 ―心と体が綺麗になる坐り方』 池田書店編集部 (2004)

巻末には、参禅できる全国のお寺の一覧もある。
0800考える名無しさん垢版2018/06/11(月) 22:24:47.040
座禅や瞑想は、ちゃんとしたところで教わるのがいい。
0801123垢版2018/06/13(水) 07:38:24.140
800。.坐禅、瞑想は、悟れないバカがすることである。
0802考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 12:03:39.010
悟る悟れない以前に人間としてウンコだなお前は
0803考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 12:30:15.560
>>802
ウンコとは何?
0804考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 14:02:13.320
http://www.hikari-k.ed.jp/zenchoji/houwa/houwa2508.htm
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/LB-zen-14.html
 「糞かきベラ」

 ある僧が、雲門文偃(うんもんぶんえん)に尋ねた。
 「仏というのは、どんなものですか?」
 「糞をかき取るヘラだ!」

 −無門関−[第21則]


http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2012-11b.html
禅の修行の中で大切な禅問答の中に、「仏とは何ですか?」と問うものがあります。
それに対し「乾屎*」と答える所があります。この「乾屎*(かんしけつ)」とは、
「糞かきべら」または「糞(排泄物)」そのものを指しております。

皆様も今日からトイレに行く度に「仏様に出会う」という心を持ってみては如何でしょうか。
0805考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 14:39:13.250
悟るという抽象的で一般化できない現象を他人に対して訴えるべきではないね
大乗仏教は誤りで仏教とは鉄塔鉄扉、自己内省的な取り組み
0806考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 14:53:47.190
鉄塔...なんかカッコイイw
0807123師垢版2018/06/13(水) 16:09:01.420
804.糞をかき取るヘラ、か。
糞をかき取る、と綺麗になる、という問題である。
0810考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 23:35:41.650
「老子」 第十六章(抜粋)

致虚極、守静篤。
万物並作、吾以観復。

虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。
万物並び作(おこ)れども、吾は以て復るを観る。

心を出来る限り空虚にし、深い静けさをしっかりと守る。
すると、万物はあまねく生じるが、わたしには、それらが元に返っていくのがみてとれる。
0811考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 23:36:12.610
>>810
これなどは仏教に近い
0812考える名無しさん垢版2018/06/13(水) 23:37:02.420
仏典の内容が『老子』と似ているのは、
老子が天竺に赴き釈迦を教化したからであるとか、
釈迦とは西に出た老子その人であるなどといった、「老子化胡説」というのもある。
0813考える名無しさん垢版2018/06/14(木) 19:29:15.070
シュレーディンガーやハイゼンベルク、ニールス・ボーアなどの原子物理学者は
ブッダや老荘を読んでいた。

「われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、
 大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある
 我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」 (ニールス・ボーア Wikiより)
0815考える名無しさん垢版2018/06/14(木) 19:34:25.260
“本書を執筆するきっかけとなったのは、五年前のある美しい体験である。
 夏も終わりに近いある午後、海辺に腰をおろし寄せくる波を見つめながら、わたしは自分の呼吸のリズムを感じていた。
 と、その時、とりまくすべてが壮大なコズミック・ダンスを舞っていることに気がついた。

 まわりの砂や岩、海や空気が振動する分子あるいは原子で構成されていること。
 その分子や原子が粒子からなりたち、たがいに他の粒子を生成、消滅させつつ相互作用していること。[略]
 また、地球の大気には「宇宙線」(コズミック・レイ)が絶えず降り注いでいて、
 高エネルギ−粒子である宇宙線が大気に突入する時に、衝突を無数に繰り返している…”

― フリッチョフ・カプラ 『タオ自然学』 (1979)
0816考える名無しさん垢版2018/06/14(木) 19:35:19.860
>>815
仏教…原始仏教と大乗仏教、禅、華厳
中国…老荘、易経、淮南子
印度…ヒンドゥー、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター

これぐらいの話が読み分けられている。
0817考える名無しさん垢版2018/06/14(木) 19:42:55.230
鍵概念は「万物の合一性 the unity of all things」
0818考える名無しさん垢版2018/06/14(木) 22:31:19.630
>>810
>すると、万物はあまねく生じるが、わたしには、それらが元に返っていくのがみてとれる。

これはバラモンのアートマンブラフマン思想に近いのでは?
0819考える名無しさん垢版2018/06/14(木) 23:18:31.370
>>818
似てると思う。
老子の道(タオ)というのは、万物の根源、一なるもの、という感じ。

仏教的には、

> 万物はあまねく生じる

現象的意識の生起

> それらが元に返っていくのがみてとれる

心の働きの止滅、寂静、だろうか。
0820考える名無しさん垢版2018/06/15(金) 04:18:35.040
老子には発生論があるが
仏教は発生論を禁じている
批判哲学に近い
0821考える名無しさん垢版2018/06/15(金) 04:28:58.380
道鏡は以下のような図式を持つシステム論だが


       道
     ┏━┻━┓
  絶対の道  相対の道/政治
┏━━┳┻━┓   ┣━━┳━━┓
範囲 体  用  人の道 不道 非道
      :  ┏━┻━┓
     天下を得る方  天下を得たる後/修身
      :      ┏━┻━┓
      :    積極的  消極的
      :   ┏━┻━┓ ┏┻┳━┳━┓ 
      :  方針  教育 法 兵 刑 ┃
      :   ┃ ┏━┻━┓     ┃
      :..柔弱 無欲 無智     ┃
      :   等     ┃   ┏━┻┳━━┓
      :........嬰児  学問 行為 多言


仏教はそれを禅問答のように内側から破壊する
華厳はライプニッツ的な多元システムだが再帰的である
老子にも逆説性はあるが再帰性とは違う
0822訂正垢版2018/06/15(金) 04:29:37.510
道教は以下のような図式を持つシステム論だが


       道
     ┏━┻━┓
  絶対の道  相対の道/政治
┏━━┳┻━┓   ┣━━┳━━┓
範囲 体  用  人の道 不道 非道
      :  ┏━┻━┓
     天下を得る方  天下を得たる後/修身
      :      ┏━┻━┓
      :    積極的  消極的
      :   ┏━┻━┓ ┏┻┳━┳━┓ 
      :  方針  教育 法 兵 刑 ┃
      :   ┃ ┏━┻━┓     ┃
      :..柔弱 無欲 無智     ┃
      :   等     ┃   ┏━┻┳━━┓
      :........嬰児  学問 行為 多言


仏教はそれを禅問答のように内側から破壊する
華厳はライプニッツ的な多元システムだが再帰的である
老子にも逆説性はあるが再帰性とは違う
0823考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 20:25:02.640
・旧約聖書、新約聖書
・コーラン、ハディース
・タルムード

・アヴェスター

・仏典(原始仏典、大乗仏典)
・リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ヨーガ・スートラ

・孔子、老子、荘子、易経、淮南子
・日本の古典

ぐらいは目を通しておくのがいい。
0824考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 20:26:02.950
西田と井筒の間の世代にあたる人達。
宗教哲学を中心とした、西洋と東洋の比較思想を扱うが、今日的で読みやすい。

・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・久松真一 『東洋的無』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』
0825考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 20:26:52.240
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)

(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教でいう「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。

(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教の「般若」に相当するが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。

(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。

(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。



(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。

セフィロトの樹:http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg
0826考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 20:28:41.800
今思うと、ある種の神仏習合だな、これは
0827考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 20:33:49.500
創造主(曹洞宗)
0828考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 21:02:38.650
>>827
鎌倉仏教より千年、ついに気づいてしまったか
0829考える名無しさん垢版2018/06/17(日) 22:29:11.430
はい
0830考える名無しさん垢版2018/06/21(木) 13:31:25.860
オナニーしかやることないんだが
0831考える名無しさん垢版2018/06/21(木) 15:39:50.080
>>830
大乗仏教の如来さんであります、阿閦如来さんの誓願には「夢精しない」「誰にも夢精させない」というのがあるそうです。
阿弥陀如来さんの衆生を極楽浄土に往生させて救済する崇高な誓願も素晴らしいですけれども、阿閦如来さんの誓願には修行者のリアルがあるような気がします。
0832考える名無しさん垢版2018/06/24(日) 16:11:23.150
     |lililililililililili/ .ヽlili|     /:::::::,ヽ#"ヽ` "゛/ :::::|
    ililililil ilili〆 /⌒ lili/     /::::::/ .,,=≡, ,,≡=, l::::::|
    (ili -・=V  =・- V)      i::::::l゛ .,-・= ,!. =・- l::τ
     ゚li "  (・_・)ヽ l*      |:::::|  :⌒ /.. iヽ ⌒u|::i
     )人  > ⇒(  人(      (i::i″   ,ィ__)   i/
     _ __:ヽ、__  __,イ_        ヽ  U / ::::/:::〈   i
   /;:;:/゚。 ⌒。゚\;ヽ        ヽ_ ノ::``ーー''ヽ _/
   |:;:;:;:;Y * /;く;:\      __人  ` ̄´ 人_
   |;:ヽ:;:;: \ ̄/;:;/;:;:\   /: : : : : ` " λ  : :ヽ: :\
   |:;:ヽ:;:;:;:;ヽ/, / ⌒つニ/⌒ ヽ: : : :\ /▼ヽ/: :く: : : \
   |;:;:\;:;:;:// /<  二二)(二二): : : : : :\▲/:_・:/: :_: : : :ヽ__
   |:;:;:;:\;:;:|| | <  __)ゝ__人: : : : : : : ▼// ̄__つ (__)
    ;:;:;:;:;\:;| |  <___ノ  (___): \: : : : : :// / <  __)(____)
            ヾヽニニ/ヽ--'/: : : : : :\: : : :| | | < ___) (__)

                反 知 性 主 義 者
0833考える名無しさん垢版2018/06/24(日) 16:36:47.010
結局のところ、おまえらが否定しつづけた悟り、悟りとは何かを理解できないことから
始まる
0834考える名無しさん垢版2018/06/24(日) 17:31:49.340
あの大仏のデカさがまた、チャーミングだよな
おい、こんなでけえのって
俺よりでけえの丸分かりじゃないの
0836考える名無しさん垢版2018/07/05(木) 01:28:48.630
“日本語の「心」という言葉は、ふつう英語でmindと訳されますが、
 この英語は主として「理性」を意味します。
 ところが、禅でいう「心」は意味が広く、意識一般を指します。
 たとえば、私たちが「心を静めて調和へ至る」と言うときには、
 記憶、想像、感情、さらには理性を含むすべての精神活動を静めることを意味します。”

― イレーヌ・マキネス 『禅入門 カトリック修道女の歩んだ道』 (2009) 3章
0837考える名無しさん垢版2018/07/05(木) 01:30:05.900
>>836
初心者が読む禅の入門書としても良書。
0838考える名無しさん垢版2018/07/06(金) 00:09:35.070
>>836
“ある程度の意識の深みに達すると、
 リニア思考の嵐は少しずつおさまってきますが、
 そのかわり「ランダム思考」と呼ばれる
 脈絡のない想念に煩わされることがよくあります。
 [略]
 ランダム思考はさほど不自然なものではありません。
 山田耕雲老師はこれを「富士山のまわりに浮かんでは消える雲」にたとえられました。
 雲のように漂ってきては、そのまま消え去るのです。”(5章)
0839考える名無しさん垢版2018/07/06(金) 23:51:02.860
>>836
“―― 体から光が出るのですか?

 いいえ、禅ではそれはありません。”(付録1)
0840考える名無しさん垢版2018/07/07(土) 00:03:20.900
ここまでのまとめ。

1.
原始仏教に於て説かれた禅定(C)観は仏教独自のものでなく、その当時行なわれていたインドの修法に基づくものであろう。(吉瀬)
2.
仏教が成立した最初の時期には、禅定(C)の修行は行っていたが、それを意味する術語としては、ウパニシャッドやジャイナ教におけるのと同じ語を用いていた。
すなわちdhyana、yoga, samadhi などである。(中村)
3.
瞑想(C)はその機能から大きく二つの範疇(止観(A,B))に分けられました。(箕輪)
4.
samatha(止(A)) というのは、仏教が成立してしばらくたって一部の修行僧のあいだで用いられるに至つた。(中村)
5.
vjipassan(観(B)) という語は、原始仏教においても、かなり遅れて成立した。(中村)
6.
定には種々の使用例があり、止(A) 観(B)もその一部である(吉瀬)


引用論文
1.6. 〜 原始仏教の禅定観〜吉瀬 勝 / https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2_823/_article/-char/ja
2.4.5. 〜 原始仏教における止観〜中村 元 / https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/23/1/23_1_24/_article/-char/ja/
3. 〜 仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について── 〜箕輪顕量 / http://zenken.agu.ac.jp/research/42/14.pdf
0841考える名無しさん垢版2018/07/07(土) 01:38:23.330
スッタニパータ第四
マーガンディヤ経

847 想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない。
想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。

これは心解脱と慧解脱を指していると思われる
だとすると最古層の段階で解脱には二種類あると説かれていた
0842ポッタン師垢版2018/07/12(木) 10:56:41.530
841.それは心理学である。宗教ではない。
0843考える名無しさん垢版2018/07/27(金) 22:55:47.680
>>842
仏教は心理学でいいんだよ。
0844考える名無しさん垢版2018/07/27(金) 22:56:51.320
『初期仏教キーワード』 星飛雄馬 (2008)

スマナサーラと藤本晃による『ブッダ実践心理学』シリーズのリファレンス本で、
初期仏教の基本的な用語が紹介されている。

この本の中では、89種類のcitta(心)、52種類のcetasika(心所、精神的はたらき)、
40種類のsamata(サマタ、止)瞑想が定義、分類されている。
0845考える名無しさん垢版2018/07/27(金) 22:57:45.510
>>844
これを見ても、仏教がいかに心の分析を重視し、
それを体系的に行ってきたのかが分かる。
0846考える名無しさん垢版2018/07/27(金) 22:59:25.540
キリスト教では、ルターの時代まで、人の心の内は、神のみぞ知る対象だった。
ルターは、

“どのようにしたら人間が人の心を見たり、知ったり、裁いたり、判断したり、
 変えたりできるのか、私に言ってほしい。
 なぜなら、そのようなことは神のみに帰せられるものだからである。”

とし、以下の章句などを引用している。

“すべての人の心をご存じである主よ”(使徒言行録 1:24)

“人の心はなににもまして、とらえ難く病んでいる。だれがそれを知りえようか。
 心を探り、そのはらわたを究めるのは主なる私である”(エレミヤ書 17:9-10)

― マルティン・ルター 『ルター著作選集』 徳善義和訳 (2012)p409
  「この世の権威について、人はどの程度までこれに対し服従の義務があるのか」
0847考える名無しさん垢版2018/07/28(土) 17:09:03.320
「ちんちんとしての仏教」

著 タージ・マハール相川 
0848考える名無しさん垢版2018/07/28(土) 17:14:26.330
>>846
>心を探り、そのはらわたを究めるのは主なる私である”(エレミヤ書 17:9-10)

これは、心に「はらわた」があると言っているのですか、それとも
心=「そのはらわた」と言っているのですか?
0849考える名無しさん垢版2018/07/28(土) 19:01:21.690
「ちんちんとしての仏教」

著 タージ・マハール相川
0850考える名無しさん垢版2018/07/28(土) 19:35:56.430
「ちんちんとしての仏教」

著 タージ・マハール相川
0851考える名無しさん垢版2018/07/28(土) 20:54:41.490
「ちんちんとしての仏教」

著 タージ・マハール相川 
0852考える名無しさん垢版2018/07/28(土) 21:03:27.230
ふぁーーーッ!(笑)大爆笑、面白い、腹がよじれたわーどうしてくれるんだい爆笑王
0853考える名無しさん垢版2018/07/29(日) 14:38:22.570
(艸□`*◆)・゚・ あ゙ぁあぁ゙ああぁぁうあ゙ぁあ゙ぁぁうぁ゙うぁ゙ぁ
0854学術垢版2018/07/29(日) 15:01:01.290
マハ―ル?よく覚えているよ。牛皮のコート売りだよなあ。5351プールレス
オムの。
0855学術垢版2018/07/29(日) 15:19:39.080
アバハウスの義経記の下駄とか アローズの虹蛇信仰色ビーサンとか 足元は東京は良いけどなあ。
0856考える名無しさん垢版2018/07/30(月) 18:55:14.280
お前の書き込みはちっとも笑えない
0857学術垢版2018/07/30(月) 19:52:40.490
笑われるな 笑われよ。

笑われるな 笑わせろ。


笑われるな 笑い給うべくなむありけ
0859考える名無しさん垢版2018/07/30(月) 21:35:35.970
学術の笑いどころはコテ名
0860考える名無しさん垢版2018/08/19(日) 01:23:30.340
十字架のヨハネ(無の博士)

“無、無、無、無、無、無、山中においても無”
 (nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada)

― 『十字架のヨハネ研究』 鶴岡賀雄 (2000) 1部序論 p20


カルメル山図(完徳の山 Monte de perfección)
http://www.mercaba.org/DOCTORES/JUAN-CRUZ/Monte%20de%20perfeccion.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/67/Monte_Carmelo_Juan_de_la_Cruz.jpg
https://i.pinimg.com/564x/d6/35/02/d6350288e6e54d589ec5dd13d480bb4c.jpg
https://cdn-images-1.medium.com/max/1600/1*qY2u3izpyvk5zKFUs649xw.jpeg
図には、「カルメル山」の頂上を指して三つの登攀(はん)路が示されている。
・右の道は「地上の不完全さによる霊的道」
・左の道は「天上の不完全さによる霊的道」
・真ん中の道には「nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada」
登攀の先に、神との一致を目指す。
0863ポッタン師垢版2018/09/11(火) 21:21:27.370
無字の公案。犬に仏性があるか、否か。
人間には仏性がない、が答えである。なんでか。
0866考える名無しさん垢版2018/09/19(水) 13:08:44.110
お前にそんな知り合いはいない
0867考える名無しさん垢版2018/10/04(木) 07:23:58.450
唯識難しいです。
高崎直道の「唯識入門」を読んでいるのですが、さっぱりわからないです。
0869考える名無しさん垢版2018/10/08(月) 15:46:34.830
魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』みたいに西洋哲学をバックボーンとした著者による仏教思想書でオススメありますか?
0871考える名無しさん垢版2018/10/08(月) 16:17:30.610
普通の人は普通に生きて悟る
悟りたいと思うのは煩悩が強すぎるから
つまり悟りたいと思うのは最大の煩悩
自分が生来甘い人間だということを知ったほうがいい
0872考える名無しさん垢版2018/10/11(木) 00:41:04.490
天台宗総本山・比叡山で暴力事件発生、人気僧侶がお布施の追加要求!ゲス密教ここに極めり! 
https://mnsatlas.com/?p=5227
0873考える名無しさん垢版2018/10/23(火) 04:13:18.570
The Lankavatara Sutra (English Edition)
https://www.amazon.co.jp/Lankavatara-Sutra-English-Thomas-Cleary-ebook/dp/B00AJXMYCA/
「楞伽経」

Contents
Translator’s introduction
Lankavatara Sutra
I. Ravana’s Request for Instruction
II. A Collection of All 36,000 Teachings
III. Impermanence
IV. Realization
V. Implications of Eternity or Impermanence of the Realized
VI. The Momentary
VII. Projection
VIII. Meat Eating
IX. Spells
X. Summation in Verse
Glossary

参考
http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/book_f1b.html

全訳のような気がしますがわかりません
0874考える名無しさん垢版2018/10/23(火) 04:23:57.280
http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/book_f1b.html
 常盤義伸 「『ランカーに入る』 ― 梵文入楞伽経の全訳と研究 ― 」
判 型 : B5大判 頁 数 : 376頁(本文・研究) 211頁(註)
ISBN : 4-938796-15-5 発行年月日 : 1994年12月1日 発行者 : 花園大学国際禅学研究所 〔非売品〕
 〔 目 次 〕
緒言 (柳田 聖山)
まえがき
第1章 ラーヴァナによる勧請
第2章 [世尊がランカーに入って説かれた]全ての教え三万六千の集まり
第3章 無常性
第4章 [涅槃すなわち苦の滅の]現証
第5章 如来が常住でも無常でもいけない
第6章 刹那性
第7章 化作するもの
第8章 肉食[は止めるべきである]
第9章 記憶すべき呪句
研究 大乗経典『ランカーに入る』十三講
0875考える名無しさん垢版2018/10/30(火) 21:10:50.090
仏教思想のゼロポイントという本が読みやすかったのですが
同じくらいのレベルの仏教書で他にいいのってありますか?
もしくはおすすめの著者
宮崎哲弥の仏教論争を買ってみたのですがレベルが高くてついていけませんでした
0876考える名無しさん垢版2018/10/30(火) 22:08:19.200
最近出たばかりの岩波新書の『初期仏教』がお勧め。
中村元の本を読んでスッタニパータやダンマパダにこそ
ブッダの元々の教えが書かれていると思っている人には衝撃だろう。
0878考える名無しさん垢版2018/10/30(火) 22:46:33.240
>>876
ありがとうございます。読んでみます。

>>877
「ごまかさない仏教」は持っています。
「仏教論争」より格段に読みやすかったです。
内容を忘れてしまったので再度読んでみます。
0879考える名無しさん垢版2018/11/02(金) 23:17:13.000
>>11
中村元尊師に絶対帰依してるか?
生半可な信心じゃ「安らぎ」には到達できねえぞ
0882考える名無しさん垢版2018/11/04(日) 16:40:18.300
デカルトとブッダ

“我思う、ゆえに我あり”
― デカルト 『方法序説』

“〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。”
― ブッダ 『スッタニパータ』 916偈 (中村元訳『ブッダのことば』)
0883考える名無しさん垢版2018/11/04(日) 16:41:59.790
>>876
「中村元訳のブッダだけがブッダの言葉ではなかった」という触れ込みの本が
良かった試しはないが、読んでみるかな。
0884考える名無しさん垢版2018/11/04(日) 16:43:35.780
『現代思想 2018年10月臨時増刊号 総特集◎仏教を考える』 (2018/9/28)

『初期仏教――ブッダの思想をたどる』 馬場紀寿 (2018/8/22)

『大乗非仏説をこえて:大乗仏教は何のためにあるのか』 大竹晋 (2018/8/25)
0885考える名無しさん垢版2018/11/04(日) 16:44:57.130
新しい仏教が示されつつある
0886考える名無しさん垢版2018/11/07(水) 06:10:10.940
「大乗非仏説をこえて」は評判悪いね
0887考える名無しさん垢版2018/11/07(水) 06:55:58.240
NHKスペシャル ブッダ 大いなる旅路 | NHK名作選(動画他)
http://www2.nhk.or.jp/archives/tab/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010448_00000

ブッダ大いなる旅路 「インド・輪廻する大地」(3/4)〜仏教盛衰の2500年 バングラデシュのベンガル人仏教徒
https://youtu.be/Nerb03bMlWQ
チッタゴン:
https://youtu.be/PTjmD5rVarc


ブッダ大いなる旅路 「インド・輪廻する大地」(2/4)〜仏教盛衰の2500年 1999年1月1日-3日放送
https://youtu.be/AaiPFHJHJ5w
キサーゴタミー:
https://youtu.be/y79i9WkppVM
0890考える名無しさん垢版2018/11/07(水) 08:30:39.720
飛ばし読みしてるんですが大事なとこ飛ばしてました
スッタニパータ、ダンマパダが結集仏典でない というのが衝撃ポイントという意味ですね
0891考える名無しさん垢版2018/11/08(木) 19:45:00.100
家のお宗旨は氏神さまのようなもの
尊重はするけれど妄信はしない
本師は釈迦牟尼
0892考える名無しさん垢版2018/11/22(木) 18:06:02.540
>>768>>769>>770
全く同じところで引っかかりました。
中村元の龍樹を読む限り説一切有部の「三世実有法体恒有」はイデアに近い話なんですが
ネットで色々調べるとどのサイトも原子論みたいな話なんですよね。
「ごまかさない仏教」でも佐々木、宮崎は原子論と似たようなものとして解釈してます。
0896考える名無しさん垢版2018/11/27(火) 14:31:22.010
 仏教で面白い物語を八個選んでみた。
 まだ失敗作。

一、阿修羅。
 煩悩は、闘争心。
 目的は、勝利。
 至るのは、強存在。

二、梵天の輪廻。
 煩悩は。生への執着。
 目的は、無限輪廻。
 至るのは、植物転生。

三、止滅の尼僧。
 煩悩は、消滅願望。
 目的は、世界の止滅。
 至るのは、存在せざる王。

四、無間地獄。地獄巡り。
 煩悩は、苦痛中毒。
 目的は、苦痛からの悟り。
 至るのは、最悪からの創造。
0897考える名無しさん垢版2018/11/27(火) 14:31:51.870
五、左道密。
 煩悩は。快楽修行。
 目的は。全肯定生物。
 至るのは、幸せ増幅回路。

六、閻魔帳。
 煩悩は、嘘。
 目的は。嘘つきの町。
 至るのは、嘘から反証される真実。

七、竜を喰らう孔雀明王。
 煩悩は、過美。
 目的は、強食。
 至るのは、弱神。

八、禅問答。
 煩悩は、不正解。
 目的は。冗談解答。
 至るのは、白痴。
0899考える名無しさん垢版2018/11/29(木) 22:19:37.550
クリエイティブ シェル マスク
ハロウィン ファンシー・ボール
全頭ラテックス マスク 小道具新
http://i.imgur.com/3LNM4Iy.jpg
0901考える名無しさん垢版2018/11/30(金) 23:28:06.900
>>900
AAを貼るな
0902考える名無しさん垢版2018/12/01(土) 07:38:03.900
ミトラ神=弥勒菩薩仮説を広めて、12月25日を祝いましょう。
0903考える名無しさん垢版2018/12/05(水) 15:06:39.520
ちょっと変更。

 仏教で面白い物語を八個選んでみた。
 まだ失敗作。

一、阿修羅。(強存在)
 煩悩は、闘争心。
 目的は、勝利。
 至るのは、全戦全勝からの唯一の敗北。

二、梵天の輪廻。(創造主すら輪廻する)
 煩悩は。生への執着。
 目的は、無限輪廻。
 至るのは、植物転生。

三、止滅の尼僧。(仏教徒が救えなかった哀切の女)
 煩悩は、消滅願望。
 目的は、世界の止滅。
 至るのは、存在せざる王。

四、無間地獄。地獄巡り。
 煩悩は、苦痛中毒。
 目的は、最悪からの創造。
 至るのは、地獄で地蔵に会う。
0904考える名無しさん垢版2018/12/05(水) 15:06:54.020
五、荼枳尼。(左道密。幸せ増幅回路)。
 煩悩は、快楽修行。
 目的は、隠し曼荼羅。
 至るのは、全肯定生物。

六、閻魔帳。
 煩悩は、嘘。
 目的は、嘘つきの町。
 至るのは、嘘から反証される真実。

七、竜を喰らう孔雀明王。
 煩悩は、過美。
 目的は、幻獣食物連鎖。
 至るのは、栄養としての弱神。

八、禅問答。(荒行三昧。滝行。修行山暮らし)
 煩悩は、不正解。
 目的は、真理はヒトの認識上には非ず。
 至るのは、正解の記された紙。
0905考える名無しさん垢版2018/12/05(水) 18:24:30.910
わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。

何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。

法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。

(白取春彦「勉学術」)
0906考える名無しさん垢版2018/12/31(月) 02:43:28.750
(引用開始)

カルマというのは、インドの言葉で、
中国の言葉に翻訳されて「業(ごう)」と言われます。
意味は、行為のことです。

私たちの運命は、自分の業が原因となって、
因果の道理にしたがって生みだしています。

善い行いは善い運命を生みだし、
悪い行いは悪い運命を生みだします。
ひとたび業を造ってしまうと、
そこから生み出される運命は避けることはできません。

まいたタネは必ず生えるということです。

善い行いも悪い行いも、寸分の狂いもなく
強烈な力で因果応報の報いを引き起こす、
ということです。

(引用終了)

カルマ(業)とは?
https://true-buddhism.com/teachings/karma/

(コメント)
カルマの法則は、本当に正しいのだろうか?
カルマの法則が誤謬であった場合、仏教の正当性にどの程度影響を与えるのだろうか?
0907学術垢版2018/12/31(月) 07:19:11.080
聖書も必修なのか必修じゃないのかよくわからない。人にもよるだろうね。
死刑がきつそうだなあ
ぐらいでも、それをクライマックスにする編集はどうかと思う。作為的な事件だもんなあ。
0908学術垢版2018/12/31(月) 07:38:19.090
もう一回編集しなおしたらどうだい。死刑をかくして。
0911考える名無しさん垢版2019/01/06(日) 13:49:17.570
  17、無意識を探る

 無意識を最初にいったのは誰か。西洋哲学では、十八世紀のシェリングが最初だとユングがいっている。
しかし、無意識の起源が仏教哲学、インド哲学へさかのぼれるのは有名である。
 四世紀のインド思想家ヴァンスバトゥが「末那識」「阿頼耶識」に言及している。
しかし、大胆な解釈が許されるなら、紀元前五世紀のゴータマ・シッダルタの「阿含経」にある「無明」の概念を無意識の起源とすることもできる。
 原始仏典「阿含経」にあるゴータマ・シッダルタのことばでは、
「五感と意識の六識を消すと、「無明」が現れる」とある。
つまり、仏典では、教祖ゴータマ・シッダルタの「無明」にまで無意識の起源がさかのぼれるので、
仏教における無意識の起源は、ゴータマ・シッダルタであると仮に決めてもよいだろう。
 人の知覚できる世界、意識の世界において、その外の世界が存在すると考える根拠はなんだろうか。
西田幾多郎の「善の研究」において、人の意識は自我の主体の内側だけで意思が決定されるのではないという。
ヒトの意識は、意識の内側の要素だけで決まるのではない。
ヒトの意識は、意識の外側から志向される要素と意識の内側の要素との統合によって発現するのである。
つまり、無意識が原因で発現する意思の要素は必ず存在する。
ヒトの一回の意思決定には、無意識からの発動する神経による影響が存在する。
 我々の意識が、その外側からの神経刺激によって発現している。
その場合、我々の意識にとって外界はどの程度の確実性によって存在するのだろうか。
0912考える名無しさん垢版2019/01/06(日) 13:49:35.200
 意識によってとらえられない外界のことをカントは「物自体」と呼んだ。
意識によってとらえられない存在を、朱子は「理」と呼んだ。
意識によってとらえられない外界のことをゴータマ・シッダルタは「無明」と呼んだ。
ドイツ大陸哲学と呼ばれる思想は、仏教、儒教にすでに同様の発想が、西洋哲学とは異なる表現によって述べらえていた。
 ゴータマ・シッダルタが、無意識、「無明」を消すことによって
知ることができる外界の宇宙の法則を「智慧」と呼んだ。この「智慧」は朱子の「理」と同じ発想にぼくには思える。
0913考える名無しさん垢版2019/01/06(日) 13:56:09.810
無明は知恵がない状態だぞ
0914考える名無しさん垢版2019/01/07(月) 08:51:22.270
>>913
ぼくには、増谷の訳した「原始仏教」の「阿含経」を読んで、
無明の意味が、知恵がないことだとは思いませんでした。
ぼくの解釈とちがいます。
0915考える名無しさん垢版2019/01/07(月) 09:18:02.550
比丘たちよ 、では 、無明 (無智)とはなんであろうか 。
比丘たちよ 、苦についての無智 、苦の生起についての無智 、苦の滅尽についての無智 、および苦の滅尽にいたる道についての無智である 。
比丘たちよ 、これを無明というのである 。
(増谷文彦訳 阿含経)

比丘たちよ 、では 、無明(無智)とはなんであろうか 。

◯◯についての無智

無知ではなく無智だから無明とは智慧のないこと
特に四諦についての智慧がないこと
0916考える名無しさん垢版2019/01/07(月) 10:21:24.450
>>915
「無明によりて行がある」
というのは、無明が無知であることを意味しているとは思いません。
「行」とは行動のことでしょ。

ぼくは、無意識(無明)が行動(行)を行うと読みますね。
0917a垢版2019/01/07(月) 12:50:20.930
以下、参考までに『仏教論争』(宮崎哲弥)の戦前の第一次仏教論争を扱った#2,3より

《木村[泰賢]は力説している 。仏教が描き出すものは 、カント的な整然とした客観的な
世界像などではなく 、ショーペンハウアー的な盲目的に生存を求める意志の表象とし
ての世界であると 。かくして 「識名色 」の根源に行 、さらには無明が想定される
こととなる 。木村はさらに一歩踏み込んで 、先にみたバラモン教 、ヒンドゥー教の
聖典リグ ・ヴェーダとの連関性も示唆している 。
「況んや 、前にも述べたごとく 、無明 - 行 - 識の系列は梨俱吠陀の創造讃歌以来の
縁起観の形式であったとすれば 、背景思想の関係からしても 、この系列を度外視し
得ないものがあったにおいてをや 」 ( 「事実的世界観 」第五章三節 )
「梨俱吠陀 」とはリグ・ヴェーダの音写だ 。》#2

《[一般的には、あるいは宇井伯寿の説では]無明は無知なのだ 。宇井において 、ブッダの
根本思想を知らぬことが無明なのである 。だが …

木村(泰賢)は 『原始仏教思想論 』附録の反論文 「縁起観の開展 」の 「上 」において 、
一見奇妙な論法で反駁して…

仏出でたる後の無明はそれでよしとしても 、出でざる以前の無明は少なくも 、それだけ
では説明することの出来ぬ欠点を伴って来よう 」と難じた ( 「縁起観の開展 」上二節 ) 。》#3
0918考える名無しさん垢版2019/01/07(月) 13:39:36.630
>>916
行は行動ではなく形成力
ここ(十二支縁起)では識を作る力のこと
無明によって形成力が働き識が形成されるということになる
0919考える名無しさん垢版2019/01/07(月) 14:53:55.320
ちなみに、「四門出遊」の出展がわからないんですけど、仏典の名前わかりますか?

>>918
納得できません。わからないです。
0921考える名無しさん垢版2019/01/07(月) 18:00:14.810
>>920
おお、すごい。出典がわかるんですね。
助かります。
0924考える名無しさん垢版2019/01/09(水) 12:23:16.040
紀元前の仏教を研究してるなw
0925地球人垢版2019/01/13(日) 00:47:48.520
仏教哲学とは仏の教えをあれこれと考究することか。突然失礼する。
0926学術垢版2019/01/13(日) 08:35:15.660
実践宗教。利他業 喜捨 托鉢 等。法系なんか興味深いよな。法力だけじゃなく
特殊な能力が備わるように、祈願しよう。
0927考える名無しさん垢版2019/01/13(日) 11:25:01.550
法力がどうこうっていう密教のやってることはヒンドゥーからきたもんで
元々の仏教に能力開発などない
0928考える名無しさん垢版2019/01/13(日) 12:14:37.280
三国志を読むと太平道や五斗米道といった道教系の宗教の指導者が使う妖術の方が密教の法力よりもすごい
0929学術垢版2019/01/13(日) 13:24:19.960
大僧正もスターだよ。仏陀が、ヒンドゥーに勝って手に入れたなら内発的萌芽もあるし、正当
に思う。日本は幻術士が土壌だけど妖術なんてこれから大事な学術のテーマだよ。
0930考える名無しさん垢版2019/01/13(日) 20:44:30.250
学術はカルトか新興宗教
0931考える名無しさん垢版2019/01/13(日) 20:52:02.270
誰かかが言ってたみたいな
クンダリニー+チャクラ⇒超能力開発とかいうのもあったな
0932考える名無しさん垢版2019/01/15(火) 01:49:53.290
>>928
実際の道教系の妖術というのは聞かない、フィクションでは。
これに対して道家の超常能力というのは、その存否が自分にはわからない
0933THE グル垢版2019/01/15(火) 02:08:38.290
ちんちん

しゅっ
しゅっ

ちん


しゅっ
しゅっ


どうかしましたか?
0934考える名無しさん垢版2019/01/15(火) 02:11:33.540
これの本人でつか?


39 :THE グル:2006/11/24(金) 00:53:20


いいですか、

チンチンシュッシュッ チンシュッシュッ

これが断言できます。

定説なんです。

どうかしましたか?

40 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 21:37:56
持たざる者に何を言っても無駄。原理的に理解し合えない。
また持たざるものが持っているふりをしようとしてもみっともないだけなのだ。
がしかしそのみっともなさを理解できるのはセンスを持って生まれたものだけなのだ。
堵愚慧螺簸轡にも劣る低学歴が杜玖椀を誤読して恥じないのもそれを示している。
0935考える名無しさん垢版2019/01/15(火) 08:59:05.110
仏典が読めねえ。
誰か、もっと仏典を翻訳して文庫にしてくれ。電子書籍で。
0936考える名無しさん垢版2019/01/15(火) 13:03:47.270
ごめん。仏典けっこう見つかった。

kindle限定で、「大日経」「弥勒経」「宿曜経」はあった。
安価で。
助かる。

「華厳経」と「地蔵経」をあと頼む
0937考える名無しさん垢版2019/01/16(水) 09:48:34.300
「弥勒経」読み終わった。
漢詩としては美しいかもしれないけど、哲学としては何の意味もない。
弥勒が四十八億年未来に現れて世界を救うなんてことは、弥勒経にはまったく書いてなかった。
誰がいいだしたことなんだろうか。

今は、
「大日経」を読んでいる。
「大日経」44%
なんか、たくさんのサンスクリット語の真言の羅列になってるな。
つまらないなあ、この経。
毘盧遮那仏は、真言(マントラ)を唱える呪術的仏教で、あんまりよくないんじゃないかな。
諸仏を崇め奉り、他力によって救われる教えじゃないかと思うわ。
「大日経」は、あまりよい経典ではないよ。
0938考える名無しさん垢版2019/01/19(土) 21:24:40.020
『世界古典文学全集 第6巻 仏典 1』 中村元編 (1966)

仏伝
・「仏伝に関する章句」 中村元
・「偉大なる死」 中村元 (大パリニッバーナ経)

原始経典
・「経典のことば」 中村元
・「シンガーラへの教え」 中村元
・「本生経」 平川彰 (ジャータカ)
・「長老の詩」 早島鏡正 (テーラ・ガーター)
・「長老尼の詩」 早島鏡正 (テーリー・ガーター)

「アヴァダーナ」 奈良康明
「百五十讃」 奈良康明
「金剛の針」 中村元
「ラトナーヴァリー」 瓜生津隆真
「ナーガーナンダ」 原実
0939考える名無しさん垢版2019/01/19(土) 21:25:07.220
『世界古典文学全集 第7巻 仏典 2』 中村元編 (1965)

「維摩経」 中村元
「法華経」 紀野一義
「勝鬘経」 高崎直道
「華厳経」 玉城康四郎
「阿弥陀経」 早島鏡正
「大無量寿経」 早島鏡正
「般若波羅蜜多心経」 平川彰
「八千頌よりなる般若波羅蜜経」 平川彰
「中論の頌」 平川彰
「大乗起信論」 柏木弘雄
「理趣経」 金岡秀友
「ダラニ集」 金岡秀友
0940考える名無しさん垢版2019/01/19(土) 21:26:21.300
>>938-939
初心者にも読みやすい仏典の抄訳はこれ。
原始経典から大乗経典までを収録。
0941考える名無しさん垢版2019/01/19(土) 21:27:49.870
>>939
柏木の「大乗起信論」は哲学的でいい。
0942考える名無しさん垢版2019/01/19(土) 21:29:58.360
『大乗とは何か:「大乗起信論」を読む』 柏木弘雄 (1991)
『意識の形而上学:「大乗起信論」の哲学 東洋哲学覚書』 井筒俊彦 (1993)
0943考える名無しさん垢版2019/01/24(木) 02:43:14.140
>>906
>カルマの法則は、本当に正しいのだろうか?
>カルマの法則が誤謬であった場合、仏教の正当性にどの程度影響を与えるのだろうか?

以下は、「シルバーバーチ」からの抜粋。

「地上に生を享(う)ける時、地上で何を為(な)すべきかを魂自身は自覚しています。何も
知らずに誕生してくるのではありません。
自分にとって必要な向上・進化を促進するには“こういう”環境で“こういう”身体に宿るの
が最も効果的である、と判断し、魂自らが選ぶのです。」

カルマの法則は、誤謬であるかもしれない。
その場合、仏教の正当性にどの程度影響を与えるのだろうか?
0944考える名無しさん垢版2019/01/24(木) 03:19:29.230
すべては縁起するのだから
あるとき考えただけのことであっても未来に影響を与える
それがカルマなのだろう
ローレンツ効果みたいなもの

魂云々はまったくの誤用
そもそも自分などというものは存在しないのだから
0945ゼロ垢版2019/01/24(木) 17:19:24.530
いわゆる無や空の境地ってすべては±0だよってことだよな
ちなみに0を考えたのもインド人らしいけど釈迦の言う生老病死の苦しみも最後はプラマイゼロになるよと

つまり仏教は人生でプラス的なことをする必要は無いよってことなんだろうけど王族生活や妻子を手放してマイナスから始まって出家した時点で悟ってたんだろうなと
0946考える名無しさん垢版2019/01/24(木) 18:41:22.750
悟ってしまった人からすれば、生老病死なんて頭の中で作った虚構概念でしかないんじゃない?
真なる姿は最初から生きてなんかいないってことだから
0947考える名無しさん垢版2019/01/24(木) 22:28:27.900
いや君も俺も今現在こうして地球上で生きて呼吸もしてるしウンコだってする訳で肉体を持ってるし考える精神とやらもある
でも宇宙空間やその長い長い永遠とも言える時間を考えたらその存在は君の言う通り虚構で生きて無いに等しいとは思うけど

何はともあれ仏教の基本はやはり脱俗隠遁の生活にあるよなと
0948考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 00:48:20.060
>いや君も俺も今現在こうして地球上で生きて呼吸もしてるしウンコだってする訳で肉体を持ってるし考える精神とやらもある
それは物語の世界が実在してると勘違いしている私達衆生の発想なのでは?
悟った人からすれば、便意が発生した自分も次の瞬間には消滅して、立つ行動準備する自分が引き起こされて消滅して、・・・
なんて連鎖する物質の一部なんじゃない?
上の自分も頭の中で便宜上括って表現しているだけで本当に自分が独立して存在しているなんて考えてないだろうし
0949考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 01:49:56.220
人間であることを捨てて動物になるのが良い
0950考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 11:05:18.520
確かにこの空間の物質は一繋がりで物事が発生して消滅してと言うのは解るな

今太陽の日差しが少し気持ち良いんだけど、それでもやっぱり生きててそういう感覚は大切だなと
宗教に足りないのは例え深刻さやストイックであっても「もっと生を楽しもう」と言う教えだよな
0951考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 13:55:18.590
はよ出家しろや
0952考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 14:39:29.940
783吾輩は名無しである2019/01/25(金) 14:35:47.62ID:mM1gDNX7

これ、書いたっけ?

「原典訳ウパニシャッド」
ウパニシャッドと呼ばれるインドの文献は200個はある。
うち五個のウパニシャッドが訳されタ本。

チャーンドグヤ・ウパニシャッド「この世に存在する一切のものと、あらゆる欲望があらわれた。」
ブリハッド・ウパニシャッド「一切の存在の中に居住し、一切の存在とは別のものであり、
一切の存在が知ることなく、一切の存在を肉身とし、一切の存在を内部から制御するもの、
それがあなたのアートマン(真我)であり、不死の、内部の抑制者であります。」
0953考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 14:40:10.670
シャンカラ「ウパデーシャ・サーハスリー」

「それゆえにアートマン(真我)が知られたときには、一切が非存在となるだろう。」
「二元が欠けているので、善でも悪でもなく、昼でも夜でもない。それが不二である。」
二元論にならないという哲学。
紀元前400年の釈尊の「無明」を、西暦8世紀に「潜在印象」と呼んでいて、無意識と解釈した。
0955ポッタン師垢版2019/01/25(金) 18:23:04.400
存在の問題ではない、からである。
0956考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 19:07:51.600
>>950
生きることを楽しむとは言っても楽しみと苦が一時的に少なくなっている時間に限定されまた楽しみが消える時に苦を味わうことになる
酔いから覚めると酔う前以上に虚しくなるのと一緒
それに気づかない人は楽しむことに執着し生きることに執着する
賢者はそのような苦しみに帰する生への執着はなくこの世を厭い来世を厭う
一切の形成されたものは苦であると正しい智慧によって観ることが出来れば逆に苦しみである生そして死から解脱でき涅槃に到達する
その時「生は尽きた。梵行は完成した。なすべきことはなし終えた(所作已弁(しょさいべん))再びこのような生を受けることはない」と知ることになる
0957考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 21:47:08.910
それならば、ひなたぼっこの楽しみに伴う苦しみを説明してほしいな
適度な日光浴は単純に細胞に良いというか心身に良いよ

まあでもアリストテレスの言った「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」と言うことだよな
0958考える名無しさん垢版2019/01/25(金) 23:49:41.150
仏教の苦は苦痛のことじゃなくて不満足な状態のことだよ。
ひなたぼっこが楽しくてもずっとやってたら、いずれ不満足な状態になってしまう。
0959考える名無しさん垢版2019/01/26(土) 00:16:46.450
確かに雨や曇りの日は不満を感じるかもだけど

最も仏教的な哲学者はやはりショーペンハウアーだと思うな
新潮文庫で出てる幸福について(人生論)は未読なら読んでみるといいよ
上のアリストテレスの引用もそうだけど随所にかなり頷ける内容だから
0960考える名無しさん垢版2019/01/26(土) 11:49:19.470
かなり簡単に要約すると人生は健康と精神の平静が何よりも重要で歴代の賢人達が隠遁の生活をしていた様にそれを見習えと
この地上や社会に求めるものには殆ど全く価値も無いし、なるべく哲学とか芸術とかの知的精神活動を勧めてるのもある
0961考える名無しさん垢版2019/01/26(土) 12:04:28.230
ショーペンハウアーと言えば厭世だけど、この本の何がいいかと言えばシニカルや冷淡さに終始してる訳でも無いところ
現実主義だけどかなり「知性に重きを置こう」と言う内容だから
0962考える名無しさん垢版2019/01/26(土) 13:02:18.830
訳者のお陰もあるかもしれないけど日本語文章もかなり生真面目だしいいよ
0963考える名無しさん垢版2019/01/26(土) 14:12:31.170
仏教は始める動機が厭世の人は多いけど、
善も悪もありのまま観察するのが仏教だよ。
何にでも良い悪いってラベル付けしてるのは自分の頭の中のほうで、
それを滅尽するためのトレーニングが隠遁生活だったりするわけで。
0964考える名無しさん垢版2019/01/27(日) 10:53:55.720
確かにそれはわかるな
例えば本の終盤で性欲についても少し語られてるけど仏教的に観たら悪や苦悩として扱われるものだよな
でも現代では色々無駄な労力を使う事も無くネットやAVなどで簡単に処理できる媒体もあるし医学的に観たら適度な分泌や射精は身体の健康維持に良いし美しい女体として観たら芸術感性にもなる
0965考える名無しさん垢版2019/01/27(日) 10:59:40.400
だから視点を変えてもっと達観して観たら肯定否定や善悪を超えて行く場合もある
0966考える名無しさん垢版2019/01/27(日) 18:31:32.430
仏教的にはAV鑑賞は、ありのまま観るのが基本じゃないかな?

つまり性的にみるのでもなく芸術としてでもなく、
目があって鼻があって皮膚があって乳首があって・・・更に言えば
画素ごとに色の濃淡がある二次元の並び・・・とありのまま観ることで
煩悩や執着を滅尽する。
0967考える名無しさん垢版2019/01/27(日) 20:34:53.000
>>966
それは唯物(ただもの)論
0968考える名無しさん垢版2019/01/28(月) 22:13:36.750
“心は、欲望に満ちた世界と同じ性格ではなく、
 純粋な物質からのみなる世界と同じ性格ではなく、
 純粋な精神のみからなる世界と同じ性格でもない。”
 
― 「大日経」 1.真言の教えに入り、心の特徴を理解する章 『大乗仏典 8 中国密教』 頼富本宏訳 (1988)
0969学術垢版2019/01/28(月) 22:16:08.600
>仏教的にはAV鑑賞は、ありのまま観るのが基本じゃないかな?
0970考える名無しさん垢版2019/01/28(月) 23:13:46.980
学術 ←高卒
0971考える名無しさん垢版2019/01/28(月) 23:38:30.380
Avは抜くためのツールなんだから自然に抜くのがイイのではないか?
0973考える名無しさん垢版2019/01/29(火) 00:04:45.860
学術AV鑑賞↓
0975ゼロ垢版2019/01/29(火) 00:18:12.530
誰うま俺うま君賢者
0979考える名無しさん垢版2019/01/30(水) 12:05:05.350
田辺元の「あるというものにはないといい、ないというものにはあるという」という弁証法が、
誰が言い始めたのか探している。

鈴木大拙の「浄土系思想論」でも見つけたのだが、その文章が見つからない。
一心三観として、円融か円教か知らないがいいだしたこと。
それを学んだ空海が「秘密曼荼羅十住心論」にも一心三観は書いてある。
その後で、インドのシャンカラが「二元を欠く」という、二つの思想を一つとしてとらえる認識論を主張した。
このシャンカラの「二元を欠く」というものは、ヘーゲルのアウフヘーベン(止揚、概念融合)と同じ発想だと思われる。
0980考える名無しさん垢版2019/01/31(木) 07:55:00.330
質問です。

「世界苦」って仏教ですか?
鈴木大拙の「浄土系思想論」に出てきたかと思ったんですが、見つからないんです。
0981考える名無しさん垢版2019/02/01(金) 08:38:38.700
仏陀の教え
h ttp://buddha-osie.com/last_trip/trip07.html

さっき見つけた記事だけど、これは皆にも読んでほしい。
0982考える名無しさん垢版2019/02/02(土) 19:59:40.950
超逆境クイズバトル!!99人の壁 古舘伊知郎が生涯クイズ初挑戦!2時間SP★1
仏教古舘
0984考える名無しさん垢版2019/02/04(月) 01:28:16.110
天台宗の初祖「慧文は、龍樹による『大智度論』と『中論』に依って「一心三観」の仏理を無師独悟したとされる。」

(天台宗wikiより)
0985考える名無しさん垢版2019/02/04(月) 01:29:50.600
一心三観
いっしんさんがん

天台宗の瞑想法の一つ。あらゆる事象が相対を超えた仏教の絶対的真理にかなっていることを体得すること。
現象世界を否定的にあつかう空観 (くうがん) ,肯定的にとらえる仮観 (けがん) ,
この両者がともにそなわってはじめて真理を把握しうるとする中観 (ちゅうがん) の三観を,ひと思いに一時に観念すること。

(出典 ブリタニカ国際大百科事典)
0986考える名無しさん垢版2019/02/04(月) 01:31:35.130
「空」を観じることは「空観」とよばれ、私たちを日常的な見方が引き起こす「我」の捉われから解放してくれます。
しかし、この見方に固執すれば事物は実在しないというニヒリズムに陥ります。
そこで、縁によって現れている「仮」の姿をもう一度見るのです。
これを「仮観」といって、事物個々の特質を再認識し、他に対する無関心を防ぐのです。
この2つの見方は視点が異なるだけで同じ対象を捉えているのですが、聖性と凡性を別々にしか照らせないという欠点があります。
事物の正しい観察はこの2つを同時に見る「中道観」によってはじめて達成されるのです。
天台宗ではひと思いのうちに一切を空と観じ、仮と観じ、また空仮が一であると観じる「一心三観」を指南としています。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1485415554
0987考える名無しさん垢版2019/02/04(月) 01:32:23.330
今の哲学でいうならガブリエルの多元論が近いかな。
0988考える名無しさん垢版2019/02/09(土) 21:02:13.550
>>980

《この世が苦しいから、彼の土へ往きたいというは真宗の大義ではない。日本的霊性の特異性でない。
これは通俗化し世諦化した信仰で、他力の真相ではない。それは貴族文化の残滓である。》鈴木大拙 日本的霊性より

世界苦という言葉はドイツ語のWeltschmerzの直訳で柳田國男なども使っている*。
ドイツは仏教を早くに取り入れたから(訳語を含め)仏教由来の可能性はあるが、
ゲーテの時代の流行語と考えるべきだ。


柳田國男
「世界苦と孤島苦」(内容は「青年と学問」文庫全集27or岩波文庫版所収。講演タイトルは後に改題)
電子版なし。柳田國男の眼目は孤島苦の方。
『故郷七十年』(kindleあり)に「世界苦と孤島苦」の章題で回想されている。

参考:
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den037.htm
…和辻哲郎によると、「もののあはれ」は「永遠への思慕」である。
美学者大西克禮は単なる「あはれ」を一つの派生的美的範疇として論じ
ようとする論文の中で、その語を「世界苦」(ドイツ語のWeltschmerz)として
定義したこともある…

https://deepstsky.net/Blog/0100-Weltschmerz-I/
 ドイツ語における言葉自体は、ゲーテと同時代の作家でゲーテと並ぶ巨匠とも
言われたりしていますが、その割には読んだことがあると言う人をあまり見かけ
ないジャン・パウルの造語のようです。…


以下のブログは世界苦の自覚を仏教の特徴としているが
https://blogs.yahoo.co.jp/sangam_manager/53574294.html?__ysp=44K444Oj44Oz44Od44Km44OrIOS4lueVjOiLpg%3D%3D
0989考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 00:06:41.550
>>768-770
三世実有説

説一切有部の基本的立場は三世実有・法体恒有と古来いわれている。
森羅万象(サンスカーラ、梵: saṃskāra)を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体を想定し、
これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続けるが、
我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間である、という。
未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくという。
このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験しているのだと、諸行無常を説明する。

(説一切有部wiki)
0990考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 00:15:37.850
三世実有説にある「過去・現在・未来」の変化という捉え方は、
仏教とフッサール現象学に共通する特徴。
0991考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 00:36:43.430
フッサールの「流れつつとどまっている現在(strömendstehende Gegenwart)」(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第四十九節)。
知覚それ自身が、過去志向と未来志向の連続体に挟まれる「生きいきとした」現在としてあるという。

Husserliana 6, Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, SS49
0992考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 00:37:36.600
フッサールは仏教からヒントを得たのでは?

> 現象学と仏教。。。。。
> 現象学と仏教について教えてください。
> https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440409419
> ハイデッガーは正法眼蔵に衝撃を受けて《存在と時間》を書いたそうですが、
> ハイデッガーの先生のフッサールの現象学は仏教をヒントにしていたりなんかはしているのでしょうか?
0993考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 00:39:04.050
フッサールは田辺から西田についても聞いていた。

> 1928年
> ドイツに留学してきた田辺元を通して、西田幾多郎が『自覚に於ける直観と反省』で展開した思想の概略を聞くことができた。
> フッサールは数学者のエルンスト・ツェルメロと一緒に田辺の解説に耳を傾け、熱心に議論したのだという。

(エトムント・フッサールwiki)
0995考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 15:52:16.120
鈴木大拙「大乗仏教概論」を読了。

愛を肯定している明治仏教だった。なかなか良い。
いやあ、日本仏教は、百年も前から愛を肯定していたことを今日知ったぜ。
0996考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:07:43.980
唯識が扱っている問題系は、そのままデリダやクリステヴァと比較できる。
0997考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:12:35.380
現象学や心理学を持ち込んだりするのは、近代仏教だけど。
0998考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:13:32.330
0999考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:13:47.960
1000考える名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:14:09.930
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