> 一つ大切なことを書いておきますと、本物の仏教書というものは
> 普通の人が読んでも理解は出来ないということです。難しいという
> よりもチンプンカンプンと言った方がよいでしょう。 しかし、それは
> 当然のことであって、悟り(救い)を知らない人に理解できれば
> 却っておかしいのです。

> 大切なことは 「理解できないまま触れ続ける」 ことです。 河村
> とし子さんも何もわからないまま法話やお姑さんの話を聴き続けた
> 結果、ある時突然にわかるようになったことが書かれていますね。
> 宗教の歩みというものはそういうものです。

> (私も意味などはまったく理解できないまま正法眼蔵を読み続け、
> ある日突然体験が現れたのです。)