経験は自覚されねばならない。
遺伝的宇宙においての経験は、自覚というものをどのように捉えるかで実装のしかたが決まる。
主体としての{}の内側に非要素として取り込めるのではないか、というのが遺伝的宇宙を考えた始まりだった。
順序対における順序を時間とみなしたとき、「経験」は過去に属する。
通常、それが「経験」と呼ばれることはありえないが、可能性としての「経験」は未来に属する。
なにをしているのかといえば、チューリングマシンにおけるテープとヘッドを合体させようとしているのだ。
数学問題をチューリングマシンで証明するという手法があり、哲学問題を「証明」するための哲学的チューリングマシンを構想している。
計算を計算する。高階論理マシンになるはず。
(卒論は人工知能ですからねw)
これを「無」から自発的に発生するための「無」というものの再定義。そこが問題だ。