ベルクソン
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ベスト翻訳書
『時間と自由』 竹内芳郎(翻訳)河出文庫(1955年)
『物質と記憶力』岡部聰夫(翻訳)駿河台出版社
『ベルグソン全集 創造的進化』松浪信三郎・高橋允昭(翻訳)白水社
『道徳と宗教の二つの源泉』 森口美都男(翻訳)中公クラシックス(I・II)
『精神のエネルギー』 原章二(翻訳)平凡社ライブラリー
『思考と動き』 原章二(翻訳)平凡社ライブラリー
『笑い』 原章二(翻訳)平凡社ライブラリー
はじめてベルクソン読む人は、入門書など読まず『精神のエネルギー』原章二訳から入るのがベスト。 死後生について (『精神のエネルギー』 意識と生命より)
>身体が崩壊したあとでも、人格の維持のみならず強化さえも可能であること
「人間の精神活動には脳の活動以上のものがあること、脳は記憶内容を蓄積しないこと、
思考などの機能は記憶作用よりも脳からもっと独立していること、身体が崩壊したあとで
も、人格の維持のみならず強化さえも可能であること、こうしたことを考慮に入れるならば、
次のように考えられないでしょうか・・・つまり、意識がここで見出す物質を通していこうし
ていく時、意識は鋼に焼入れをしたようになり、もっと強度な生のために、もっと効果的な
行動の準備をしているとは考えられないでしょうか・・・」 ベルクソン講義録 近代人における物質の理論(デカルト)
瀧 一郎 [訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/120001057070
ベルクソン講義録 近代人における物質の理論(デカルト(承前)・スピノザ・マルブランシュ)
瀧 一郎 [訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/120001057081
ベルクソン講義録 物活論と原子論〔含 テクスト〕
瀧 一郎
https://ci.nii.ac.jp/naid/120001057047
アンリ・ベルクソン 哲学者はいかに書くべきか? コンスタン・ブルカンへの手紙(1924)
瀧 一郎 [訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/120001057028 https://ci.nii.ac.jp/naid/110009763003
わが国におけるベルクソン受容史についての試論 : 文献目録を手掛かりとして
郡司 良夫
昭和30年代に入ると,本格的なベルクソン研究が書かれた.淡野安太郎に
よる『ベルグソン』(勁草書房,1958年刊.思想学説全書1)である.この書
は初版刊行以後,数回体裁を変えて復刊されており,戦後書かれたベルクソン
についての名著の一つといえよう. 映画を語るベルクソン : 「アンリ・ベルクソンが映画について語る」翻訳と注釈
大石 和久 [訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005856557 講談社学術文庫
『物質と記憶』アンリ・ベルクソン,杉山直樹 物質と記憶 (講談社学術文庫) 文庫 – 2019/5/11
アンリ・ベルクソン (著), 杉山 直樹 (翻訳)
¥ 1,436
内容紹介
フランスを代表する哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941年)が残した主著の一つである『物質と記憶』(1896年)については、すでに7種もの日本語訳が作られてきた。
そのすべてを凌駕するべく、第一級の研究者が満を持して新たに訳出した本書は、簡にして要を得た「訳者解説」と相俟って、日本語でベルクソン哲学の真髄を伝える、文字どおりの「決定版」である。
今後、本書を手にせずしてベルクソンは語れない。
著者について
1859-1941年。フランスの哲学者。独自の生の哲学を展開し、後世に決定的な影響を与えた。
代表作は、本書(1896年)のほか、『創造的進化』(1907年)、『道徳と宗教の二源泉』(1932年)など。
登録情報
文庫: 392ページ
出版社: 講談社 (2019/5/11)
言語: 日本語
ISBN-10: 4065156378
ISBN-13: 978-4065156377
発売日: 2019/5/11 フランスを代表する哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941年)が残した主著の一つである『物質と記憶』(1896年)については、すでに7種もの日本語訳が作られてきた。
1914年に初版が刊行された高橋里美訳(星文館。1936年には岩波文庫に収録)のあと、戦前には北れい吉訳(新潮社、1925年)が、そして戦後になると、田島節夫訳(白水社、1965年)、岡部聰夫訳(駿河台出版社、1995年)が続いたあと、
近年は、合田正人・松本力訳(ちくま学芸文庫、2007年)、竹内信夫訳(白水社、2011年)、熊野純彦訳(岩波文庫、2015年)が数年おきに刊行されてきている。
そのような状況の中、ここに生み出された新訳は、19世紀フランスに見出される唯心論の潮流をもフォローしつつベルクソン研究を最先端で支える第一級の研究者が満を持して送り出すものである。
既訳のすべて、そして公刊された原文のエディションすべてを比較・検討した上で、日本語としての読みやすさへの配慮はもちろん、
「単語単位での一対一対応の翻訳」を徹底的に排して「ベルクソンの議論や論証の流れをできるかぎり正確かつ明晰に写す」ことを目指して造り出された訳文は、どの既訳とも異なる、まさにベルクソンの思考の息吹きを伝えるものとなった。
学位論文『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年)のあと、ベルクソンが「イマージュ」を軸に据えて展開した思考は、どこへ向かうのか? 本書では、簡にして要を得た「訳者解説」で読解のための道標を立て、
1. 主観ないし意識とは、閉じたカプセルのようなものではない、2. 主観と客観は、時間的スケールに関して区別される、3. 過去の実在論、4. 前進的生成、「記憶力」と「記憶」というポイントを提示する。
このあと『創造的進化』(1907年)、『道徳と宗教の二つの源泉』(1932年)へと展開されていくベルクソン哲学の真髄を伝える本書の「決定版」を、今ここにお届けする。 「決定版」というのは、決定するたびにその数だけある >>31
杉山直樹訳『物質と記憶』を入手した人〜?
で、訳文はどうだったよ?
訳語を対照できる事項索引はあるのかい。 合田正人・松本力訳『物質と記憶』ちくま学芸文庫2007
これは、巻末に「事項索引」があって各項に該当フランス語が附してあるので、キイワードに注意して読み解く助けになる。
しかし、原文(下記URLでPDF公開)と照合すると、第三章の十四段落目(訳書p.208)の「連鎖の一つの環でしかないからだろう。」の後が脱文だった。
http://www.ac-grenoble.fr/PhiloSophie/bergson-en-version-numerique/
即ち、原文で": cet anneau communique alors son actualité au reste de la chaîne. "とある一文がこの邦訳では脱け落ちてしまって、これに対応すべき訳文が存在しない。
また「事項索引」は必ずしも網羅的でなく、遺漏があった。 あの円錐図含め挿入図が手書き(たぶん原典版?)でまずは驚いた https://twitter.com/Ceast1998fr/status/1127420747570302982
だがしや @Ceast1998fr
杉山直樹訳の「物質と記憶」届いた。
ちょっと見てみたら l’affection が 情感 て訳されてた。岩波の方は感受で、やっぱちょっとズレるのかな?全部読んでないから全然なんとも言えないけど
12:50 - 2019年5月12日
平井靖史『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する』 @hiraiyasushi1
https://twitter.com/hiraiyasushi1/status/1126749780032360448
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>36
表紙に出てる逆円錐の図版だろ?
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000317525
そんなに驚くことでもないし、特に原典そのままに拘泥すべき所でもないやな
ところで杉山直樹訳、mémoireを「記憶力」、souvenirを「記憶」と訳し分けるんなら、
書名も『物質と記憶力』にすべきだったのでは。
岡部聰夫訳は新版で『心と身体 物質と記憶力―精神と身体の関係について―』って改題したみたいだけど。
http://www.e-surugadai.com/books/isbn978-4-411-02241-7 杉山直樹の解説では、souvenir purを近年「純粋想起」と訳す向きもあるが致命的、だって。
名指ししてないけど、合田正人・松本力のちくま学芸文庫版2007以降のことで、竹内信夫の『新訳ベルクソン全集2』2011も含むよな?
でも、その理由がピンとこなかった。
souvenir purは想起する行為でなくその対象、記憶内容に近い意味だからってことらしいが……うーん。
その所為でmémoireも「記憶」でなく「記憶力」とされたけど、書名にすると誤解を生むから書名では避けたってんなら、本文で使っても誤解を生むのでは。
もう漢語で訳すことに拘らず、souvenir purは「純粋思い出」とでもすれば? 動詞souvenirは「思い出す」で。 ベルクソンはまったく読んだことがないな
暇ができたら図書館から借りてくるか >>35のちくま学芸文庫版p.208での脱文、
: cet anneau communique alors son actualité au reste de la chaîne.
は、杉山直樹訳講談社学術文庫版p.212だと
「そうなれば、この環は自分のもつ現実性を鎖の他のところにも移し与えていくことになる。」
日本語らしく翻訳するためにか、割と原文には無い言葉を補って噛み砕いてるみたいだな 白水社『ふらんす』2019年5月号
【書評】平井靖史・藤田尚志・安孫子信編『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する:拡張ベルクソン主義の諸展望』 [評者]合田正人
https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/1936
2019.05.13
「『物質と記憶』はベルクソンの著作の中でも最も難解なものである。金森修は最後に「『物質と記憶』は本当にわかりたいね」(『解剖』370頁)と語ったという。邦訳者でありながら私は未だ『物質と記憶』の「と」がどういう意味なのかさえ分からずにいるのだが」…… six-rivers @ttwrite
ttps://twitter.com/ttwrite/status/1127907319172386817
#物質と記憶 の新訳(#杉山直樹)を見かけたので、ちょっと読んでみたが、
やはり「意識状態と脳のあいだに緊密なつながりがあること、そのことに異論の余地はない。だが、衣服とそれがかけられている釘とのあいだにも、やはり緊密なつながりはある。釘を抜けば、衣服は落ちるのだから」にひっかかる。
21:03 - 2019年5月13日
脳が働かなくなれば意識もなくなる、ということを、釘=脳、衣服=意識、と対応させてるのだろう。
この比喩がピンとこないのは、機能の有無だけに注目してるから。釘の一部を叩いたら/熱くしたら/錆びてきたら/...、衣服の一部がどうなるか、という対応関係を示さないと。
21:14 - 2019年5月13日
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 杉山直樹の『物質と記憶』訳者解説によると、
ベルクソンがイマージュ一元論だなんて誤解にハマったら駄目だよってサ
ドゥルーズの騙りに乗せられるなってこった >>36
なんか図版はどれも、にじみがあってピンぼけ気味で、いまいちだよね。
スキャンの精度調整がうまくゆかなかったのか? >>49
◇◇ ベルクソン part2 ◇◇
www.logsoku.com/r/2ch.net/philo/1140954271/
アンリ・ベルクソン Part 3
www.logsoku.com/r/2ch.sc/philo/1296687653/
ベルクソン
https://peace.5ch.net/test/read.cgi/book/1290946257/ 『ベルグソン全集<新装復刊> 全9巻』アンリ・ベルグソン/白水社(1993)
http://jizaiya.main.jp/list/zensyu/Bergson.html
この旧版全集の目次見ると、
第1巻に「 『時間と自由』訳語対照表」、
第2巻 田島節夫訳『物質と記憶』には「人名索引/事項索引」、
があるけど、他の巻は「注解」「訳注」と「解説」だけ。
ちくま学芸文庫のベルクソン五冊でも、『物質と記憶』だけが「事項索引」「人名索引」附き。
第一主著・第二主著は特に用語が問題になる著作だからってことなの? >>47
志紀島 啓 @kay_shixima
20:05 - 2019年5月17日
<本書のベルクソンは、むしろ全力でそれ(イマージュ一元論を指す)を批判しているのである>。ベルクソン『物質と記憶』講談社学術文庫版, p.364 訳者解説
yusuke miyazaki @parages
20:15 - 2019年5月17日
自分もその一文の書き方に引っかかりを感じました。ドゥルーズは、ベルクソンがイマージュ一元論を貫徹できなかった点にこそ内在の哲学としての弱点を指摘していたはずなので。
志紀島 啓 @kay_shixima
20:40 - 2019年5月17日
返信先: @paragesさん
どなたかドゥルーズ研究者からの反論あるいは論点整理を期待したいです(僕自身はベルクソンの思考スタイルが自分と違いすぎて駄目です)。
yusuke miyazaki @parages
20:51 - 2019年5月17日
ベルクソンの哲学がイマージュ一元論に対する批判と言ってしまうと、そもそもなぜあのようなイマージュ概念を既存の二元論に抗して導入したのかという話になり、
本書の企図の大前提が崩壊すると思うんですが、どういう意図でそのように言われているのか、私にも正直良く分かりません。。 横山信幸「「物質と記憶」の訳語比較」
http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-a1f6.html
http://sets.cocolog-nifty.com/blog/files/yakugohikaku.pdf
アマゾン カスタマーレビュー
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R26FDWZWVG00N8/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4560093024
上記は、竹内信夫訳がpossibleとvirtuelをどちらも「可能的」として訳し分けてないと指摘する。
しかし、下記の竹内訳からの抜粋にはvirtuelを「潜在的」と訳した箇所が見える。
「この純粋想起は潜在的なものであって、それが現働化されるためには」
http://watasitokigyou.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
大久保忠男「レビュー 010 ベルクソン著『物質と記憶』」
下記には、『創造的進化』(と『物質と記憶』)の各書訳文比較があった。
高橋明彦『半魚文庫』
「(128) ベルクソン『創造的進化』に関し記帳雑俎(きてうぞうそ)ウソクルベ」
http://hangyo.sakura.ne.jp/naisei/tv.htm#S128 新訳ベルグソン全集の月報の内容はここで読めた(4巻まで)。
訳者・竹内信夫のほか、安藤礼二・茂木健一郎・前田英樹・宮沢章夫・鷲田清一・福岡伸一・篠原資明。
https://web.archive.org/web/20140111035847/https://www.hakusuisha.co.jp/collection/bergson/report.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています