ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
が、無限と有限の世界なんてロマンチスト過ぎるから反省していたようですね。 ナルシストにも満たないオフサイド。ワンタッチ以下のほうが。 スパイク性のボレーも退屈な差異と反復ボケでしょうね。 無能であることには、少なくとも人に利用されにくいという利点がある 荒野といわば、許されざる者とか?荒らす企図がおかしい。 クリントヌ ウエスト チタン。治安治水下水が下界のノリより。 山家集とか金槐和歌集を手にいるる意味はないけどね。所詮集だものね。 学術って統失レベルで言ったら板トップだな
コーヒーも相当酷いが、まだ本人の発言だけを見れば
一応それなりの統一性がある
だがこの学術とかいうのはそれすらない
かなりの重症 まぁ、日常レベルでもこういう手合はちょくちょく見かけるからネットなら特段珍しくもないがな >>77
おもしろそう
まずはラヴクラフトから読んでみるか 術策 をふるう 法術とかね、隠してるわけ、
それでね、男は古典の綴り、詩学、字韻 とかが大事でしょ。
ま、重症なのは女性かな?三重苦も四日市とか、時代によって
変遷がありますよ。重役出勤、役員報酬のほうが言いわけじゃ?
症状 より賞金、ジイド贋金づくりじゃないけれど。 哄笑とか 企図が立てられないとか、わかるでしょ?
戦死の文学部哲学科的空間時間意識とか、
祖国のために、一国セリつぶしたジャンヌであれ、
カイエ のヴェイユであれ、死後だからタイプを希少に打てるわけじゃないか? 厄年でも日本じゃいられない
。でも、空の便も神戸はレアチーズよりいいしね
人事も、総合的判断も待ちだな。 震災復興も敷居が高いけど、外貨獲得には
賃金請求権というのがある。一番★ね。 エイジアンオールスターやら、ワンスター のスターマン性もいいけどさ。
クツだって、動物とか生物のためには、必要だろうね。
職工人気質の、階級が、マルクスを葬り去ったことも度々あるわな。 ダン・ブラウン
『オリジン』 (2018/2/28)
スペインが舞台で、AIと人類の起源がテーマ。「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」。 >>79
> 中世イスラム哲学の機会原因論
これはガザーリー。
>>126にも出てくる。
日本人にはピンとこないところ。 ジョルジョ・アガンベン
『バートルビー 偶然性について』 (2005)
ドゥルーズと偶然性。キリスト教神学とイスラム神学。1993年の本。 >>65
千葉雅也×東浩紀
「神は偶然にやって来る ― 思弁的実在論の展開について」 『ゲンロン2』 (2016)
メイヤスー『有限性の後で』の解説としては、一番丁寧で詳しかった。
さて、メイヤスーは保守か?革新か? 中沢新一×東浩紀
「原発事故のあと、哲学は可能か」 『新潮 2014年9月号』
"「アジア」の脱構築へ"。言語起源論から、アジア環太平洋哲学の未来像まで。 その時代にあって、程々に不便で不満でありつつ、程々の満足もある
ポストモダンの幻想を諦め気味のシラケ目線でありつつも、同時に希望も抱ける社会構造こそが幸せな時代でもある
要はバランスが重要ってことだな >>131
いや、違う
俺にはアデランスが重要
バランスなどよりも
お前達よ 糞つまらんバランス取りにはなるな 《おさらい》
・カンタン・メイヤスー 『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』 (2016/1/23)
・グレアム・ハーマン 『四方対象:オブジェクト指向存在論入門』 (2017/9/26)
・マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』 (2018/1/13)
これぐらいは読んでおくのがいい。 >>133
『有限性の後で』は、ドゥルーズ/デリダ/ハイデガーの様なジャーゴンがないから誰でも読み始められる。
最優先。 >>133
『四方対象』は新しい実在論や存在論の傾向をうまく整理している。
下敷きにしたハイデガーの「四方界」は、哲学史の重要な分岐点になった。
詳しくはハイデガースレでも。
マルティン・ハイデガー5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/431- >>133
《マルクス・ガブリエルの新実在論》
アスリートさんがソレントにいて、ヴェズーヴィオ山を見ているちょうどそのときに、
わたしたち(この話をしているわたしと、それを読んでいるあなた)はナポリにいて、
同じヴェズーヴィオ山を見ているとします。
その時、存在しているものは以下。
(1)ヴェズーヴィオ山
(2)ソレントから見られているヴェズーヴィオ山(アストリートさんの視点)
(3)ナポリから見られているヴェズーヴィオ山(あなたの視点)
(4)ナポリから見られているヴェズーヴィオ山(わたしの視点)
形而上学の場合
・(1)のみが存在する
構築主義の場合
・(2)、(3)、(4)のみが存在する
・(1)は存在しないか不可知
新実在論の場合
・(1)も(2)も(3)も(4)も存在する
・(1)は不可知でない
〜『なぜ世界は存在しないのか』(2018)p13-17 >>137
半世紀もくすぶっていた難問に挑んだ「天才哲学者」驚きの論考
「実在論ブーム」を読み解く
千葉 雅也
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54371
> ガブリエルは、自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという(広く支持されている)立場に否を突きつける。
> そうした科学主義は、特定の「意味の場」を特権化しているからだ。
> 非科学的な実在性もあるし、ファンタジー的な実在性もある… >>138
相変わらず(?)、言葉に振り回されてるんだねw 「自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという立場」が「広く支持されている」かどうかは
大いに疑問の余地があるな。例えば経済学は「実在にアクセス」した研究分野なのであろうか。 >>140
実在という言葉の概念を問題にしているのに、実在を前提とした議論をするという、循環論法なんじゃない? 実在論の規制緩和だね。
「月の裏面に棲んでいる一角獣でさえ存在する」というのだから。 >>137
ガブリエルのロジックは、
「世界は存在しない」が、「世界以外のすべては存在する」というもの。
ここでの「世界」とは、人もリンゴも地球も宇宙も全てを包摂する対象領域のことで、
説明には、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の第一テーゼ「世界とは、成立していることがらの総体である」や、
ジジェクの『無以下』が参照されている。
Slavoj Žižek, Less Than Nothing: Hegel and the Shadow of Dialectical Materialism, 2012 乱暴な議論だなあ。ヴィトゲンシュタイン。世界の王になったつもりでも
失敗未遂。 >>147
そのことを『なぜ世界は存在しないのか』というタイトルにして、
本一冊使って、色々な角度から何度にも渡って説明しているのだけどね。
例えば、>>143にある様な、互いに連関をなして一個の全体を形づくっている「世界」というものを見たことがあるかな?
その端から端までを見渡せるかな? >>137
ウィトゲンシュタイン/ハイデガー/ガブリエル
・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の「世界」(p52)
“1 世界とは、成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であって、物の総体ではない。”
・ハイデガーの「世界」(p69)
“世界とは、物の総体でも事実の総体でもなく、存在するすべての領域がそのなかに現れてくる領域のことです。
存在するすべての領域は、世界に含まれている。
マルティン・ハイデガーが適切に定式化したように、世界とは「すべての領域の領域」にほかなりません。”
・ガブリエルの「意味の場の存在論」(p292-293)
“いかなるものも、何らかの意味の場に現象するからこそ存在する。
そのさい、全てを包摂する意味の場(=世界)が存在しえない以上、限りになく数多くの意味の場が存在するほかない。” >>148
すべて言葉の定義の問題。
定義をせずに、実在だの存在だの世界だの意味だのと言っても、無意味だろ? ハーマンやガブリエルも読んでみると、メイヤスーはラディカルな分、硬いところがある。 表象と実在の関係
分離型
・カント(表象主義)
・ハイデガー(表象主義)
・メイヤスー(表象主義批判)
一致型
・仏教密教(表象と実在の一致)
・道元(一致させたものの反転)
・京都学派(現象即実在論)
・ハッラージュ(アナ・ル・ハック(われは真理なり))
棲み分け・共存型
・ハーマン
・ガブリエル
アクセス型
・ハイデガー(抹消記号、四方界)
・デリダ(痕跡)
・ドゥルーズ(リーニュ(線)) >>153
> 分離型
メイヤスーは、表象主義を批判。分離された実在に注目する一方、受け手は消去した。
> 一致型
密教は、表象と実在の分離を認めつつ、その両者の一致を行ってきた。
道元に至っては、「諸法は実相」を「実相は諸法」と反転させる。人々の求める真実とは、経験的世界の諸現象そのものに他ならないと。
> 棲み分け・共存型
ハーマンとガブリエルは、様々なレベルの実在や対象の棲み分け・共存を認める。
> アクセス型
これらは密教。 密教/絶対的一元論
“絶対的一元論の哲学的立場を実践的に把握するためには顕教的立場を超えて、密教的な修法が要求されるのである。
たとえぽギリシャにおいてもオルフェウス教の密儀や新プラトン派では哲学思想が神秘の秘儀にまで高められる。
中観派の般若思想が密教にまで進むのも、思想史の必然的な発展と見られる。”
『インド思想史から見た真言密教 (文部省科學研究費綜合研究成果特輯號二)』 (1957)
渡辺照宏
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/6/0/6_KJ00009415323/_pdf/-char/ja グレアム・ハーマン(Graham Harman、1968年5月9日 - )
[和訳]岡嶋隆佑監訳、山下智弘、鈴木優花、石井雅巳訳『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』人文書院、2017年。
クァンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux, 1967年 - )
[和訳]千葉雅也、大橋完太郎、星野太訳『有限性の後で』人文書院、2016年
カトリーヌ・マラブー(Catherine Malabou、1959年 - )
明日の前に
カトリーヌ マラブー (著), 平野 徹 (翻訳)
出版社: 人文書院 (2018/6/26) 表象主義の二面的構造は、真理の「隠れと顕れ」として以下のように辿ることができる。
ハイデガー → ソシュール → カント → ルター → キリスト教 → ギリシャ語の真理「アレーテイア」 ルター「ハイデルベルク討論」における解体/構築
<解説>
「ハイデルベルク討論」の終わりのところで「十字架の神学」が隠れたる神の逆説として展開する。
ルターによるとキリストにおいて自己を啓示する神、つまり顕れた神は、もっとも深く自身を隠している神である。
(略)キリストは苦難と十字架というローマの極刑に付けられた、見るかげもない哀れな姿において自己自身をあらわす。
<本文>
(19)神の「見えない本質が」「造られたものによって理解されると認める」者は、神学者と呼ばれるにふさわしくない[ローマ 1:20]。
(20)だが神の見える本質と神のうしろ[出エジプト 33:23]とが、受難と十字架によって認められると理解する者は、神学者と呼ばれるにふさわしい。
[独語] Die Heidelberger Disputation
http://www.reformatorischeschriften.de/Hddisp/hddisput.html
[英語] The Heidelberg Disputation
http://www.catchpenny.org/heidel.html
解説…『ルター神学討論集』 マルティン・ルター、金子晴勇 (2010)
本文…『ルター著作選集』 マルティン・ルター、徳善義和ほか (2012) ルターはギリシャ的スコラ神学を解体し、原始キリスト教的性格を洗い出した。 >>163
デリダの脱構築(déconstruction) → ハイデガーの解体(Destruktion) → ルターの解体(destructio)
の経緯については、以下が詳しい。
・宮ア裕助 「プロト脱構築について――ルター、ハイデガー、デリダ」
『現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー -黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
・茂牧人 「なぜ日本にキリスト教哲学が必要なのか」 (2009)
https://serve.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=49&block_id=42&item_id=1245&item_no=1
ハイデガーとルター “わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵”
― 新約聖書 「コリントの信徒への手紙1」 2:7
聖書に書かれた言葉の様態 “「真理」という語は、ギリシア人のもとでは或る否定を伴っている、
すなわちア-レーテイア<ἀ-λήθεια>――
非-覆蔵性、覆蔵されて-いないこと、である。”
― 『ハイデッガー全集 55 ヘラクレイトス』 p110
真理=隠されていないこと “自然(ピュシス)は隠れることを好む”
― ヘラクレイトス 断片123
ピュシス [physis]
〔哲〕 〔自然の意〕 単に物質的な自然でなく、生ける霊にみちた能動的・有機的なもの。
ギリシャ哲学の最初の主題となった。(大辞林 第三版) “「オカルト」という語は、けっきょくのところ、「未知なるもの」、隠されているものを意味するのだ。”
― コリン・ウィルソン 『オカルト』 (1985)
オカルト [occult]
神秘的なこと。超自然的なさま。(広辞苑第五版)
ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。 デリダによる「現前の形而上学批判」も、「ロゴス中心主義批判」もここまでを踏まえたものだった。
デリダは>>162の先に、フロイト経由で、古代エジプトの象形文字(ヒエログリフ)を接続する。 井筒や書家の石川九楊は、デリダを引き合いに、
ソシュールの言語学が、日常的な音声言語を中心とした表層言語を扱うものであることを指摘し、
書字や深層言語による意味作用の重要性を説いた。 更に、ここまでを踏まえて、メイヤスーは「祖先以前性」にまで遡った。 『有限性の後で』が邦訳されて2年も経つのに、
未だに読みもしないで、数学の話だとかいっている人達がいるから
説明しているんだよ。 実際、これを読まないと21世紀の哲学に参入できないというところもある。 参入できないところもあるじゃなくて、参入できない。と断定してくれよ >>181
自分だけが理解している、かw
まあ、自分の道を進みなよ。
文系排除の現在、哲学で仕事にありつくのは無理だろうが、自己満足にはなるんだろう。
現実と触れ合わなければ、自己満足を持ち続けるのは簡単だ。 なんか一冊読んで全てを知ったつもりに浸ってるんだろうな
俺にもそういう時代がありました >>162
> 498 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2018/06/04(月) 23:21:39.22 0
> “既にこの太古の神性Ἀφαία(アパイア)
> - 現われざるもの、現われることから身を引くもの、逃れつつ現われ出でるもの -
> それがアレーテイアの謂うところを名指している。”
>
> ― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』 p279
> 499 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2018/06/04(月) 23:41:35.14 0
> 「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」という、あの根源的な振る舞い
浅田の場合は、自然の秩序たるピュシスから
ズレはみ出すところの人間性・社会性を扱ったのではあるが 『構造と力 ―記号論を超えて』 浅田彰 (1983)
ポスト構造主義についての見立ては、今もこの頃から大きくは変わっていない 文系は排除じゃなくて理系に先んじて人員を絞っているんですよ。
だぶついた低ラン 中ラン 上位中らんぐらいまでを理系は背負っていってくださいね。 >>138の引用
> ガブリエルの哲学は、ファシズム批判の哲学でもあると思う。
> ひとつの特権的な「意味の場」の覇権を拒否し、複数性を擁護するという意味において。
> それは、戦後ドイツの歩みを隠喩的に示しているとも言えるかもしれない。 >>165の宮ア「プロト脱構築について――ルター、ハイデガー、デリダ」は、
ハイデガー論としてもデリダ論としても新しい。 ルターにしても、ハイデガーにしても、デリダにしてもだが、
古典を遡行し、テクストを読む中に自己解体をやったのだということ。
自己が属する歴史や意識の。 ゲームやってるキモータにとって植民地ってなんなんだ >>189
ハイデガー『存在と時間』
“存在問題そのもののために
それ自身の歴史に透明な見通しをつけることが
われわれの課題なのであるから、
固定化した伝統を解きほごして、
その伝統が生みだしてきた蔽塞状態を解消することが必要となる。
この課題をわれわれは、存在問題を手びきとして、
古代的存在論の伝承的形態を解体し、
かつて存在の最初の ―そしてそれ以来主導的となった― 諸規定が
そこで得られた根源的諸経験へひきもどす
解体作業(Destruktion)という意味でうけとる。”
― (序論2-6節) 細谷訳 >>189
デリダ「〈解体構築〉DÉCONSTRUCTIONとは何か」
> Déconstruction:déconstruireする〔解体して組み立てる〕行為。
> 文法用語。文のなかの諸語が構成しているものを、順序を崩して並びかえること。
> dé-は、破壊というよりもむしろ系統学的遡行を意味し得る
> 諸構造を壊し、分解し、その沈殿物を浮かび上がらせること
『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014)所収 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています