「ウソ(つかふこと)」に関して言えば、奴隷制において「使用人」は、主人の
役に立つ「物/者」とされることにおいて属人的である。「使用人」は、たとえ
現在の主人のもとを離れることになったとしても、別の主人につかひ先が代わる
だけである。では、奴隷の解放とともに発展した労働市場を基礎とする資本主義
において、身体の「ウソ(つかひ方)」は属人的ではなくなったのだろうか?