資本主義の労働市場においても、人は、自らが市場において売る労働が「誰の
役に立つのか」、つまり、「誰が自分を使ってくれるのか」という問いを
前提とすることを暗黙に求められる。無論、この場合、その「誰」は、奴隷制
の場合のように世帯や、その拡大である荘園などの主人ではなく、企業という
法人であったり、いったん企業に雇われたなら、雇用を管理する組織内の
上の人間ということになるだろう。資本主義において、人は職を辞すこと
によって自分を「つかふ」その特定の「誰か」から離れることはできるが、
また働こうとするなら、やはり別の特定の「誰か」に「つかはれる」他なく、
独立起業して成功するというのは、極めて例外的な特殊事例に過ぎない。